世の中は、今、赤と緑に染まっている。 十二月に入った途端に、クリスマス一色だ。商業施設は真っ先に変わり、街中の至るところにクリスマスツリーが 並ぶ。駅ビルにはクリスマスセールを謳う垂れ幕が下がり、煌びやかなモールが飾られ、イルミネーションが輝く。 店舗から流れ出すBGMは聞き慣れたクリスマスソングになり、何はなくとも華やいだ雰囲気が漂う季節である。 駅前広場も御多分に漏れず、クリスマス仕様になっていた。決闘の場である広場の中心には、ツリーが陣取って いる。全長は五メートル以上あり、カラフルな電飾が点滅し、足元にはサンタクロースやトナカイの人形もある。正直 言って決闘の邪魔だが、これが本来の使い方であり、毎週の如く戦いを繰り広げる方が間違っているのだ。本物の モミの木に飾り付けされた立派なクリスマスツリーを見上げながら、ミラキュルンは軽い緊張を覚えていた。しかし、 それは戦うことに対する緊張ではない。暗黒総統ヴェアヴォルフに、聞いておきたいことがあるからだった。だから、 普段は悪の秘密結社ジャールの怪人達よりも少々遅れて到着するのだが、今日ばかりは十分前に到着していた。 そわそわしながらミラキュルンが敵の登場を待ち侘びていると、定時よりも五分程早くジャールの面々が現れた。 「あれ?」 ミラキュルンが早く来ていることに気付き、暗黒総統ヴェアヴォルフは軍帽の鍔を上げた。 「どうしたんだ、今日は? 随分早いじゃないか」 「どっ、どうも!」 ミラキュルンが声を上擦らせながら一礼すると、本日の補佐役であるレピデュルスが丁寧に礼を返した。 「今日こそはあなたの命を奪ってみせましょう、我らが宿敵よ」 「うぃーっすぅ」 ねちゃねちゃと生理的嫌悪感を掻き立てる異音を放ちながら、ナメクジ怪人ナクトシュネッケが這いずった。 「ひゃあひいぃっ!?」 顔を上げた途端に仰け反ったミラキュルンに、ナクトシュネッケは心外そうに触角じみた目を曲げた。 「てか、もう慣れてくれねー? 俺ら、もう何度も戦ってるんだしさぁ。全戦全敗だけど」 「慣れない慣れない。ていうか、俺もまだ結構きつい……」 ヴェアヴォルフが身を引くと、ナクトシュネッケはぬちゅぬちゅと粘液を滴らせながら上司に這い寄った。 「んだよ怪人差別すんなよー、お前、それでも悪の組織のボスかっての」 「ナクトシュネッケ」 音もなくレイピアを抜いたレピデュルスは、ぐい、とナクトシュネッケの後頭部に切っ先を埋めた。 「若旦那に対する口の利き方は教えたはずだが、その身に染みていないと見える。フォースリゼイション!」 「う、お……」 レイピアが触れた部分から石化が始まり、ナクトシュネッケは文字通り硬直した。 「この際だから、悪の組織での上下関係について叩き込んでやってくれ。近頃、俺でも目に余るところがある」 ヴェアヴォルフが命じると、レピデュルスはレイピアを揺らがさずに礼をした。 「承知いたしました、若旦那」 「おぅっ、ちょお待てよ総統! そりゃちょっとないんじゃぁああっ……」 ナクトシュネッケは腕のような触手を伸ばしてヴェアヴォルフに助けを求めるが、その腕までもが石化した。 「では若旦那、ミラキュルンの相手をお願いいたします。私はこれから、教育的指導を行ってまいります!」 レピデュルスは頭部以外を全て石化させたナクトシュネッケを掴み、片腕だけで軽く引き摺って立ち去っていった。 ヒーローならともかく怪人が怪人に引き摺られる様は珍しいので、駅前広場を行き交う人々の注目を集めていた。 レピデュルスは苛立ちを表すように大股に歩きながら、ナクトシュネッケを人気のない路地裏へと連れていった。 「レピデュルスさんでも怒ることがあるんだね」 二人を見送っていたミラキュルンが珍しがると、ヴェアヴォルフは苦笑しつつ腕を組んだ。 「レピデュルスが一番うるさいのは、礼儀作法だからな。俺も子供の頃には散々躾けられたもんだ」 「じゃあ、弓子さんも鋭太君も?」 「そりゃまあな。だから、なんで鋭太がああなったのか、俺は未だに理解に苦しむんだよ」 「うん。それ、ちょっと解るかも」 ミラキュルンはバトルマスクの下で少し笑ったが、緊張は解れなかった。 「あ、あのね」 「なんだ?」 ミラキュルンの声色の弱さに、ヴェアヴォルフはつい素顔の時のような反応を返してしまい、やり直した。 「俺に何を聞くというのだ、ミラキュルンよ」 「え、えっと……」 ミラキュルンはおずおずと顔を上げて、気付いた。ヴェアヴォルフのマントの襟元には、マフラーが埋まっている。 しかも、手編みだった。ヴェアヴォルフの毛並みに良く似合うダークブラウンで、糸目は美しいほど整然としている。 シンプルだがセンスの良い模様が編み込まれ、赤い軍服姿から浮くどころか、逆に引き立てていた。 「ああ、これか?」 ヴェアヴォルフはマントの襟元を開き、マフラーを引っ張り出した。 「姉さんが作ったんだよ。家事の類は下手なんだけど変なところで器用でさ、手芸が得意なんだよ」 「そう、なんだ」 ミラキュルンは徐々に俯き、ピンクのミニスカートを握り締めた。 「刀一郎さん、じゃなかった、ベーゼリッターに毎年何かしらを編んでクリスマスにプレゼントしているんだけど、家族の 誰かが必ず習作を寄越されるんだ。姉さんの気持ちは嬉しいんだけど、ちょっと困るんだよな。マフラーは一本もあれば 充分だし、数があってもタンスの肥やしにしかならないっていうかで」 「うぇ……」 何もそこまで言わなくても。ミラキュルンがバトルマスクの下で半泣きになると、ヴェアヴォルフは少し慌てた。 「俺、何か気に障ることでも」 「ぜぇんぜんっ!」 ミラキュルンは精一杯の意地で声を張るが、涙で詰まっていた。 「全然なんでもないけどぉっ、ちょ、ちょっと戦えないからぁっ、今日はもう帰るぅっ!」 「えっ、あっ、せめて俺と戦ってから帰ってもらわないと、業務実績ってのが」 戸惑ったヴェアヴォルフはミラキュルンを引き留めようとするが、ミラキュルンは舗装を蹴って空中に飛び出した。 逃げるように飛んだミラキュルンは、路地裏でナクトシュネッケを正座させて説教するレピデュルスに気付かれた。 レピデュルスはすぐに異変を察し、頭部以外が石化したナクトシュネッケを放置してヴェアヴォルフの元に走った。 だが、ミラキュルンが泣き出した意味を全く知らないヴェアヴォルフも困っているらしく、両耳を伏せていた。 当たり前だ、教えていないのだから彼が知っているわけがない。だって、クリスマスプレゼントにするつもりだった のだから。ヴェアヴォルフ、もとい、大神と付き合って初めてのクリスマスだから、大神には喜んでもらいたかった。 だから、秋頃から編み物を練習し、ようやくそれらしい形を作れるようになったから好きな色を聞こうと思っていた。 だが、それを聞く前に一蹴どころか一刀両断された。これが泣かずにいられるか、とミラキュルンは涙を散らした。 悲しくて悲しくて、新しい必殺技が作れてしまいそうだ。 翌、日曜日。ミラキュルン、もとい、美花は大神邸を訪ねていた。 目的は大神に会うためではない。大神家のメイドであり、兄の速人の恋人である内藤芽依子に会うためである。 理由は無論、相談の名の下に愚痴るためだった。どういうわけか、道中で会った天童七瀬も美花に同行していた。 大神邸に到着した美花と七瀬は客間に通されてから芽依子に相談を持ち掛けると、芽依子は快く了承した。 美花と七瀬の向かい側のソファーに腰掛けた芽依子は、外したエプロンとヘッドドレスを畳んで傍らに置くと、二人 に紅茶とフォンダンショコラを勧めてきた。芽依子も紅茶を傾けながら、多少崩した敬語で話を切り出した。 「それで、今日はどのようなお話ですか?」 美花は香りの良いダージリンで喉を潤してから、俯きがちだった目を上げた。 「えっと、その……」 「大神君の無神経さについての相談っすよ」 なかなか話さない美花に代わって七瀬が切り出すと、美花は慌てた。 「えっ、あっ、そういうことじゃなくて」 「では、どういうことですか?」 芽依子に穏やかな声色で問われ、美花は言葉を選びながら答えた。 「昨日の決闘でのことなんですけど、大神君に、じゃなくて、ヴェアヴォルフさんに好きな色を聞こうと思ったんです。 えっと、ま、マフラーを作ってクリスマスにプレゼントするつもりだったんですけど、ヴェアヴォルフさんは弓子さんから 頂いた凄く出来の良いマフラーを付けていたし、マフラーはいくつもあるからこれ以上は必要ない、って言っていて、 あ、でも、ヴェアヴォルフさんは悪くないんです。私からはまだ何も言っていなかったし、私の考えていることを知って いたらそんなことは言わない人だって知っているし、でも、やっぱり、その、悲しくて……」 「それは確かに、若旦那様を責めるに責め切れませんね」 芽依子は頷いてから、ほうっとため息を零して頬に手を添えた。 「てか、大神君は弓子さんのがあれば充分だー、って暗に言ってるわけだし。マジ天然無神経だわ」 フォンダンショコラを食べつつ、七瀬が触角を振った。 「でも、私、マフラーのことしか考えてなくて、それ以外のプレゼントなんて思い付かなくて」 美花が泣きそうになると、七瀬は美花を見やった。 「つか、そこまで思い詰めなくてもいいんじゃね? 大神君の場合、美花が寄越すものなら何でも喜ぶっしょ」 「それは言えています。私も人のことは言えませんが」 芽依子がかすかに恥じらうと、美花も釣られて照れた。 「う、うん。私も、大神君が選んでくれたものなら、どんなものでも嬉しい。そういう七瀬はどうなの?」 「どうって……」 急に口籠もった七瀬は、触角を忙しなく動かした。 「物によるだろ、物に。いくら竜吉が選んだものだっつっても、いらないモノだと嬉しい以前の問題だし」 「リュウキチ? それって確か、カメリーさんの本名だよね?」 美花が聞き返すと、七瀬は頭を抱えて身を伏せた。 「それ忘れてお願いだから! 聞かなかったことにして! あーなんで出たんだ勝手にぃ!」 「ああ、そういえばそうでしたね」 四天王を通じて七瀬が発情したことを知っている芽依子が微笑むと、美花も笑った。 「解った解った、聞いてなかったことにするから」 「ほんっとマジ頼むわ、つかもうなんだよー……。なんで勝手に言っちまうかなー……」 七瀬はぎりぎりと顎を擦り合わせながら、ずるりとソファーにへたり込むと、深呼吸して腹部を大きく上下させた。 照れがなかなか収まらないのか、七瀬は複眼を逸らす。その様に、美花と芽依子は顔を見合わせた。先日までの 七瀬とは大違いだが、微笑ましかった。発情したことで、カメリーとの仲が一層深まったのだろう。呼び方が怪人名 から本名に変わったことから見ても明らかだが、それを認めることがまだ恥ずかしいのだろう。 「芽依子ちゃん、いるぅ?」 客間のドアをノックしてから入ってきたのは、弓子だった。丸く膨らんだ下腹部はまた大きくなり、重たそうだ。 「弓子御嬢様。御用でございましょうか」 すぐに仕事の顔に切り替わった芽依子が立ち上がると、弓子は二人に気付いた。 「あ、美花ちゃん、七瀬ちゃん、いらっしゃい」 「どうも、御邪魔してます」 美花が挨拶すると、七瀬も照れで若干上擦った声で挨拶した。 「……どうも」 「して、何の御用でございましょうか、御嬢様」 芽依子が弓子に向き直ると、弓子はにんまりした。 「これから駅前の手芸用品店に行くんだけど、芽依子ちゃんも一緒に来ない?」 「大変嬉しい申し出でにございますが……」 二人に来客に目を向けて芽依子が答えに迷っていると、弓子は美花と七瀬にも向いた。 「そうだ! せっかくだから、美花ちゃんと七瀬ちゃんも一緒に作ろうよ、マフラー!」 「え、でも……」 ヴェアヴォルフの言葉が振り切れない美花が躊躇うと、弓子は美花に近付いてきた。 「大丈夫大丈夫、お姉ちゃんが教えてあげるから! これでも編み物は得意なんだぞ、売り物に出来るぐらい!」 「そうなん?」 七瀬が芽依子に問うと、芽依子は頷いた。 「ええ。弓子御嬢様は以前はブログで個人通販を行っておりまして、私めも商品の発送を行っておりました」 「といっても、たかが趣味の範囲だし、今はお休みしてるけどね。愛の結晶を育てている真っ最中だから」 弓子は美花の傍に座り、尻尾をぱたぱたと振った。 「私がこの前に剣ちゃんにあげた試作品のマフラーなら、私が取り上げてお父さんにプレゼントするから平気だよ。それに、 剣ちゃんなら、美花ちゃんが作ってくれるものならどんなものだって喜んで受け取るに違いないって」 「でも、それじゃ、弓子さんが」 「私だったら何も気にしてないって。あのマフラーだって、お父さんにあげようか剣ちゃんにあげようか迷ったけど、剣ちゃんが 寒々しく見えたからあげただけなんだよ。だから、あのマフラーはお父さんの手元に渡るのが筋なのよ。だから、美花ちゃん、 一緒に毛糸を買いに行こう!」 満面の笑みを浮かべた弓子に両手を握られ、美花は目線を彷徨わせかけたが、弓子に定めた。 「……はい!」 「じゃ、出掛けよう。もちろん七瀬ちゃんも一緒ね、人数が多い方が楽しいでしょ」 弓子に押し切られ、七瀬も嫌とは言えなくなって承諾した。 「あー、はい。でも、私、手芸なんて出来ないっすよ?」 「私めは裁縫はレピデュルスさんから懇切丁寧に教えて頂きましたが、編み物となると未経験にございます」 芽依子も自信なく眉を下げると、弓子は腹部と同じく大きさを増した胸を張った。 「だから、お姉ちゃんが教えてあげるのさ!」 「よっ、よろしくお願いしますっ!」 勢いに負けた美花が頭を下げると、弓子はその頭を撫で回した。 「剣ちゃんが好きな色とか、趣味とかも教えてあげるね。美花ちゃんは未来の妹なんだから」 じゃあ行こうすぐ行こう、と弓子は美花の腕を引っ張って立ち上がらせると、外出する準備をしに客間を後にした。 それから五分と経たずに戻った弓子は、三人を引き連れて駅前に向かいながら、編み物を始めた経緯を話した。 中学生の頃に母親の鞘香から教えてもらい、祖父のヴォルフガングに褒められてその気になった。ヴォルフガング は大して出来の良くないものでも喜んで受け取ってくれるので、弓子は山ほど編み物を量産した。中高と手芸部にも 入り、コンテストにも出品し、受賞したこともあるが、祖父に喜ばれるのが一番嬉しかった。弓子の温かな思い出話 に美花は聞き入り、芽依子は深く感じ入っていて、七瀬も心を動かされているようだった。おかげで、手芸用品店に 到着する頃には、当初はその気ではなかった芽依子と七瀬もすっかりその気になっていた。 これで、それぞれの思い人に送るクリスマスプレゼントは決定した。 09 12/6 |