駅ビルに併設している手芸用品店は、駅ビルに等しい規模のビルだった。 手芸用品のジャンルごとにフロアが別れているので、ワンフロアがそれ専門なので、陳列されているだけでも相当な 物量があった。地上五階に地下一階で、初めて来た時は迷うこと受け合いだ。それはもちろん、品物が多すぎて 目移りしてしまうからだ。メートルごとで量り売りする布、テープ、ボタン、ミシン、一目見ただけでは用途の解らない 器具などが並んでいる。美花は編み物の練習に使う糸を買うために何度か入ったが、それでもまだ慣れず、辺りを 見回しつつ歩いていた。芽依子は初めてではないようだが似通った反応で、七瀬に至っては落ち着きなく触角を 動かして店内を見ていた。対する弓子はどこに何があるのかを完全に把握しているようで、三人を引き連れながら、 真っ直ぐ歩いていった。地上一階の集中レジには、品物をカゴに詰め込んだ人々が順序よく並んでいた。 三階に到着し、弓子は三人を毛糸の棚に案内した。待ち受けていたものは、毛糸が天井まで詰まった壁だった。 極太の糸、細い糸、違う色同士が絡み合った糸、ふわふわした糸、などの様々な毛糸がみっちりと収まっている。 色も種類が多く、棚の中にはグラデーションが出来上がっていた。美花は七瀬を窺うと、七瀬は顎を開いていた。 「これ、全部が毛糸?」 「毛糸ですね」 芽依子も驚いたらしく、若干目を見開いている。 「何度見ても、凄い量だよねぇ……」 美花が感嘆すると、弓子は店内用の買い物カゴを三人に渡してから、極太の毛糸が詰まった棚を指した。 「作るのは男物だから、ざっくりした感じの仕上がりがいいよね。それに、糸が太い方が編む回数も減るし」 「では、まずは何を」 芽依子が弓子に尋ねると、弓子は毛糸を一つ取り、毛糸玉に巻いてある帯紙で長さやロット番号を確かめた。 「どんな色のマフラーにしたいかを決めることが最初だね。そしたら、次は編み針も選ばなきゃ。それがないと何も 始まらないし。この長さの糸だと八玉は必要だね。ああ、それと、最初から手間の掛かるものを作ろうとは考えないでね。 クリスマスに間に合うように作るためにもね」 「八個も? てか、これ一個いくらよ?」 七瀬が毛糸玉を指すと、弓子は答えた。 「一玉五百円だから、五かける八で四千円だね。消費税もあるから、もうちょっと足が出るけど」 「良い値段すんなー……」 買った方がマジ早くね、と七瀬が早くも挫折しかけていると、弓子は七瀬を小突いた。 「その手間と金を惜しまずにプレゼントを作るから、世の男性諸君は傾くんじゃないの。ちなみに、この毛糸は純毛だから 相応の値段がするんだよ」 「逆に言えば、そこまで出費がかさむから完成するまで放り出せない、ってのもあるんじゃない?」 美花が弓子に続けて言うと、七瀬は触角を片方曲げた。 「てか、そこまでされるからドン引かれるってのもあるし」 「私の場合、それ以上にドン引かれることをしてしまいましたが、幸いなことに嫌われておりません」 芽依子が真顔になると、美花も心当たりがあるので苦笑した。 「うん。私も大神君に色々とひどいことしちゃったけど、大丈夫だったから、今更マフラーぐらいじゃ……」 「けどなぁ」 七瀬は毛糸の詰まった棚を見回し、ぎりっと顎を擦り合わせた。 「あいつ、そういうのが嫌だっつーしなー。ノリでこういうことしても、ウザがられちゃなぁ」 「でも、たまにはいいんじゃない? 年がら年中イチャイチャするならともかく、年に一度のイベントだしさぁ」 弓子が七瀬の上右足を引っ張るが、七瀬は渋った。 「ですけど……」 「カメリーさんに差し上げないのであれば、御自分で使えばいいのではありませんか?」 芽依子が提案すると、七瀬は数秒間沈黙してから頷いた。 「あー、そうだな、うん、そうっすね。そう考えりゃいいですね」 「結局作るんじゃない」 美花がくすくす笑うと、七瀬は爪先で美花の額を弾いた。 「断じてアレのためじゃないし、自分のためなんだから!」 「はいはい」 美花は生返事をしてから、棚に向かった。弓子は少し離れた棚を指し、三人に言った。 「じゃ、私はあっちにいるから。手袋も靴下も作ったから、今度はおくるみを作りたいの」 弓子の後ろ姿を見送った美花は、その尻尾が元気よく揺れている様を見、微笑ましくなって思わず頬を緩めた。 子供が生まれるのが楽しみで楽しみで仕方ないのだ。だから、きっと名護も楽しみにしているに違いない。神聖騎士 セイントセイバーに変身して悪の秘密結社ジャールを滅ぼそうとしたほどに、弓子を愛しているのだから。一時期は 行き過ぎていた名護の愛も今では穏やかなもので、暗黒騎士ベーゼリッターの戦い方も安定している。以前の決闘 で剣を交えたが、セイントセイバー時代にはなかった確かな重みが斬撃に加わっていた。怪人を滅ぼすための憎悪 ではなく、弓子を守るための信念を得たことで、名護は戦士としても完成したのだろう。ベーゼリッターと本気で戦い 合ったらちょっと危ないかもしれないな、と思いながら、美花は毛糸の棚を見上げた。 「んー、と……」 美花は道中の会話を思い出しながら、棚を見回した。弓子に寄れば、大神は赤が好きだと言っていた。 「暗黒総統の軍服も赤だしね」 真っ赤な毛糸はすぐに見つかったが、これでは色が鮮やかすぎて安っぽい。もう少し大人っぽい色が良い。 「美花さん」 メイド服の上にロングコートを羽織っている芽依子は、店内の暖房の強さに負けてコートの前を開いていた。 「あ、はい」 美花が振り向くと、芽依子は美花の隣に立った。 「先輩のお好きな色はお解りになりますか?」 「お兄ちゃんだったら、やっぱり青ですよ。マッハマンのメインカラーは青だし、お兄ちゃんの私服も青が多いし」 「そうですか、ありがとうございます。マフラー、上手く出来るといいですね」 「ですね。だから、頑張りましょう」 美花が笑みを返すと、芽依子は頷いた。 「ええ。必ずクリスマスに間に合わせましょう」 「七瀬はどんな色にするの?」 美花が七瀬に声を掛けると、七瀬は濃いグリーンや黄緑の並ぶ棚を見上げていたが、一歩引いた。 「そうだなぁ……」 その中でも特に鮮やかな緑色の毛糸を取ると、次は原色の黄色の毛糸を取り、その次にはショッキングピンク、 そのまた次には紫、ブルー、オレンジ、白、黒、と原色の毛糸ばかりが集まった。 「虹色ってこと?」 美花が七瀬がカゴに入れた毛糸の山を指すと、七瀬はむっとした。 「悪いか」 「悪くない悪くない、うん悪くない」 ただ、恐ろしく派手だ。美花がその言葉を辛うじて飲み込むと、七瀬は二人を見やった。 「んで、美花と芽依子さんのは?」 「先輩に似合う色となりますと、難しいもので」 芽依子は青の毛糸の棚を見上げたので、美花も赤の毛糸の棚を見上げた。 「うん。大神君に似合いそうな色となると、結構悩んじゃいます」 大神剣司。またの名を、暗黒総統ヴェアヴォルフ。茶色の深い毛並みが素敵で、戦闘中でも見惚れそうになる。 体格も元々立派だが、総統の仕事に専念するようになった近頃は鍛え直しているため、軍服がきつく張っていた。 冬毛になったせいもあるのだろうが、それだけではない硬さが見て取れる。思い出すだけで、胸が締め付けられる。 マズルの長い顔付きも男らしく、耳も尻尾もぴんとしていて、後ろ姿などは本物の上位軍人のように堂々としている。 怪人を率いて戦いに赴き、マントを翻して口上を述べる様子は力強いのに、美花と二人きりになると本当に優しい。 どちらも都合が合ったのでようやく行くことが出来たデート先での出来事も思い出してしまって、美花は赤面した。 「あうぅ……」 手を繋いだ。キスもした。抱き締められた。そして、お揃いのキーホルダーを。美花は弛緩し、よろけた。 「何を思い出されたのですか」 芽依子が美花を支えてくれたので、美花は緩みっぱなしの顔を元に戻す努力をしながら姿勢を直した。 「なんでもないです、なんでもぉ」 「しっかりなさって下さい。美花さんがジャールの野望を阻んでいるのですから、倒し甲斐がありませんと」 芽依子は美花を立たせ直してから、速人との先日のデートの一部始終を思い出し、くらりとした。 「あはぁん……」 「頭ん中が煮えすぎだろ、お前ら」 本題を忘れて恋愛に浸り切っている美花と芽依子の様に、七瀬は心底呆れてしまった。 「そういう七ちゃんもぉ、人のことを言えるのかしらぁん?」 突然、目の前に上下逆さまのアラーニャが降ってきたので、七瀬は本気で驚いて仰け反った。 「うおおうっ!?」 「はぁい、七ちゃん、美花ちゃん、芽依子ちゃあん」 アラーニャは糸を千切って床に降りると、その糸をくるくると足に巻き付けて回収した。 「あ、アラーニャさん。こんにちは」 七瀬の悲鳴でハチミツで煮詰めた砂糖のような追憶から現実に戻った美花は、アラーニャに挨拶した。 「アラーニャさん。どのような御用でいらしたのですか?」 同じく、七瀬の悲鳴で我に返った芽依子がアラーニャに向くと、アラーニャは紙袋を抱えていた。 「パンさんにぃ、マフラーを贈ろうと思ってぇ、そのラッピングの材料を買いに来たのよぉ」 「パンツァーさんに? でも、パンツァーさんはロボットというか、戦車ですよね?」 マフラーを巻く意味があるのだろうか。美花が不思議に思うと、アラーニャは紙袋の中を見せてくれた。 「マフラーって言ってもぉ、意味が違うわよぉ。こっちのマフラーよぉん」 紙袋の中で、真新しい金属の円筒が輝いていた。マフラーはマフラーでも、自動車用のマフラーだった。確かに、 このマフラーならばパンツァーに必要だろう。人型戦車である彼は、稼働中は排気と廃熱を行っている。 「でもぉ、パンさんには内緒よぉ。喜ばせてあげたいものぉ」 アラーニャは含み笑いをしてから、じゃあねぇん、と足音も外骨格の擦れる音も立てずに立ち去っていった。 「ですが、パンツァーさんの排気口にあのマフラーのサイズが合うのでしょうか」 アラーニャを見送ってから芽依子が呟くと、七瀬は笑った。 「そりゃ合うでしょ。久仁恵叔母さん、パンツァーさんとはかなり良い仲みたいだから、調べる機会はいくらでも」 「……生々しいなぁ」 美花は甘ったるすぎる追憶の余韻が抜けていなかったので、現実を突き付けられたような気分になった。いつか 大神君と私も、だけどまだそんな、とまで考えそうになり、美花は本来の目的を忘れてしまいそうになった。強く自戒 した後、美花は、大神に似合いそうであると同時に気に入ってくれそうな赤の毛糸を探すことに専念した。芽依子も また青い毛糸を眺めていたが、藍色よりも暗めの青と群青色を手に取り、しばし考えてから意を決した。 「ストライプにいたしましょう。一色だけでは芸がありません」 「え、でも、弓子さんは、いきなり手の込んだものを作ろうとするなって」 「やって出来ないことはありません。いえ、やらなければ何も出来ません」 芽依子の決意は固く、暗い青と群青色を四個ずつ取ってカゴに入れた。 「う、うーん……」 確かに芽依子は器用だが、経験がなければ難しいのでは。だが、止めるのは野暮だ、と美花は思い直した。 「それじゃ、この色かな」 美花は原色の赤よりも落ち着いた臙脂色の毛糸を取り、カゴに入れた。この色なら、大神の毛色にも似合う。 「三人共、選び終わったー?」 三人の元に戻ってきた弓子は、ベビー用品に使うための毛糸玉を十数玉もカゴに入れていた。 「はい。こんな感じです」 美花が自分のカゴを見せてから二人の毛糸を示すと、弓子は七瀬が選んだ毛糸を見て目を丸めた。 「えっと、これ何? レインボー?」 「レインボーっすよ」 七瀬が開き直ってカゴの中身を見せつけると、弓子は手を横に動かした。 「じゃ、横縞のレインボーだね。一色を何段にするかを最初に決めておいて、八色の縞をいくつも作っていけば綺麗に 仕上がるんじゃないかな」 「では、私めはいかがいたしましょうか」 芽依子が弓子にカゴの中身を見せると、弓子は手を縦に動かした。 「その数だと、縦のストライプがいいんじゃないかな。難しいし、根気が必要だけど、芽依子ちゃんなら出来るよ」 「それじゃ、私のは」 最後に美花が弓子に尋ねると、美花のカゴの中身を見てから弓子は答えた。 「一色でもアクセントを付ければ見栄えがするよ。表目と裏目を交互に編んでいけば、簡単にリブ編みに出来るから そうしようか。同じ色の糸をもう一玉買っておいて、最後にフリンジを付けてもいいしね」 「頑張ります」 美花が大きく頷くと、弓子は笑みを返した。 「よろしい。ついでにラッピングも買っていこう。これからじゃんじゃん売れるから、良いものが売り切れちゃうし」 「そこまですることないような気も」 七瀬が触角を曲げると、弓子は首を横に振った。 「いやいや、あるよ。充分あるよ。飾り付けがあるから、プレゼントはプレゼントたらしめるんだから」 「せっかくだから、鋭太君のプレゼントも考えておきましょうよ、弓子さん。これだけ周りでプレゼントが飛び交うのに、何も ないのはちょっと……」 美花が提案すると、弓子は思案した。 「んー……。無難なところで銀粘土細工のストラップだろうけど、鋭ちゃんの気に入るデザインってどんなのかなぁ」 「気に入らなくても、受け取ってくれますって。あいつ、見た目ほど突っ張ってないから」 七瀬がにやにやすると、美花は釣られて笑い、芽依子も笑んだ。 「うん、そうだね。きっと大事にするよ」 「では、私めも鋭太坊っちゃまへのプレゼントの製作に関わりましょう。喜んで頂けるのでございましたら、私めとしても 遣り甲斐があるのでございます」 「だね! 鋭ちゃん、じゃらじゃらしたのが好きだもんね。四人掛かりでじゃらっじゃらしたのを作ってやろう!」 ルート変更だ、と弓子は真っ先に歩き出して、銀粘土細工に必要な商品が置いてあるフロアを目指した。妊婦だが 弓子の足取りは軽やかで、気概が感じ取れた。編み物を作ることもそうだが、誰かにプレゼントして喜んでもらう ことが好きなのだろう。この分だと、名護へのプレゼントも相当に力の入ったものに違いない。愛の分だけ、手間が 掛けられるのだから。エスカレーターに乗った美花はカゴに詰まった毛糸を見下ろすと、お手製のマフラーを大神が 巻いてくれる様を思い描いた。あのモフモフの体毛が、マフラーで更にモフモフになることだろう。 それだけで、また弛緩しそうになった。 09 12/6 |