南海インベーダーズ




シーク・アンド・デストロイ



 空腹を覚えた。
 正確には、血糖値の著しい低下と脳細胞の活性に必要な栄養素の不足だった。エネルギーを喰らう腹はガソリン しか受け付けないし、ゾゾの作った人工臓器に味覚なんてないのだが、生身だった頃の感覚の名残で食事の時間は 楽しみにしている。六本足を順序よく動かしながら廃校に至る斜面を登った小松は、ガニガニに出迎えられた。

「お?」

 珍しいこともあるものだ、と小松がガニガニと対峙すると、ガニガニはおもむろに鋏脚を振り上げた。

「どうした、ガニ公」

 小松より二回りほど大きい巨大ヤシガニのガニガニは、鋏脚を後ろ側に伸ばした。尻尾のジェスチャーなのか。

「ゾゾ?」

 続いて、ガニガニは鋏脚を曲げて肩と思しき部分を指した。今度はセーラー服だろう。

「紀乃?」

 更に、ガニガニはその辺りにある石や雑草を掻き集めてから、枯れ葉を一枚抓んで差し出した。

「買い物?」

 最後に、ガニガニは鋏脚を大きく広げて上下させながら校庭をぐるぐると歩き回った。

「飛んでいった?」

 小松が言うと、ガニガニはヒゲを上下させて頷いた。

「つまり、ゾゾと紀乃が買い物をするために本土に飛んでいったのか」

 かちかちかちかちかちかち、とガニガニは意志が通じた嬉しさで顎を打ち鳴らしたが、しょんぼりと鋏脚を下げた。 留守番を任されたのが寂しいらしく、先程までの勢いを失って腹部を引き摺りながら巣に戻っていった。となれば、 昼食を作ってくれる人間がいないわけだ。忌部は変異体管理局に回収されてから三日が過ぎた今もまだ戻ってきて いないし、ミーコがアテになるわけがない。小松はがりがりとマニュピレーターの先端で擦ってから、適当な果物か 野菜でも見繕おうと身を反転させた瞬間、機体の側面に抉り込むような蹴りを喰らった。

「ミーコはミーコのミヤモトミヤコー!」

 嬌声を放ちながら着地したミーコは、誇らしげに胸を張った。

「ご飯ご飯ハンハンハン、作る作るクルクルクル!」

「またフナムシを煮るのか。勘弁してくれ」

 小松が顔を背けると、ミーコは不満げに頬を張り、小松の足の一本を抱えてぐいっと捻った。

「やだやだダダダダダダ!」

「ぎえぇ!」

 捻られた足の関節から逆流した過電流が脳に至り、小松は残りの五本の足で飛び跳ねた。

「きゃほはははははははははは!」

 小松の足を解放したミーコは、楽しげに笑い出して駆けていった。

「全く……」

 後で部品を交換しなければ、稼働効率が低下する。小松は恐るべき怪力でねじ曲げられた足を引き摺りながら、 体育館に向かおうとすると、ガニガニがこちこちと顎を細かく鳴らしながら覗き込んできた。

「ああ、平気だ。すぐに直る」

 かちかち、とガニガニは安心したように顎を打ち鳴らしてから、巣に巨体を戻した。紀乃から毎日話し掛けられて いるせいか、すっかり人の言葉を理解するようになったらしい。扱いやすくて何よりだが、それもまたミーコの寄生虫 による影響なのだろう。全くおぞましい寄生虫だ、だから、ミーコを殺さなければならない。あれは、宮本都子の皮を 被った別の生き物だ。だが、ミーコは生半可なことで死なないし、異様な身体能力を持ち、小松のマニュピレーターで 捕まえたとしてもすぐに逃げられてしまう。火炎放射でもして焼き尽くせば寄生虫は全滅するのだろうが、それでは 宮本都子までもが一握の灰と化してしまう。

「都子」

 外界の明るさと反比例した暗さが籠もる体育館に巨体を収め、小松は故障した足を外しに掛かった。

「必ず、俺が助けてみせる」

 そのために、もっと機械いじりを上手くならなければ。小松の本領はあくまでも土木作業であって、機械にはあまり 通じていない。人型多脚重機に内蔵されているコンピューターがあるから、どうにかこうにか回路やら配線の繋がりが 理解出来ている。先日のミサイルも、上手く飛ばせたのはゾゾの水素化合燃料が素晴らしかったからだ。弾頭に 詰め込んだのも単なる石油で、紀乃が戦闘機の尻にねじ込んでくれなければ、ロケット花火にすら劣る筒で終わる はずだった。あんなに上手くいったのは、彼らのおかげだ。しかし、ミーコに関しては彼らに頼るわけにはいかない。 ミーコのことは、小松建造と宮本都子だけの問題なのだから。
 他の誰にも邪魔はさせない。




 視神経を通る光が、また弱くなった。
 近頃は炎症も落ち着いていたので安心していたが、症状がぶり返した。ピックを挟む指に出来た炎症が痛んで、 弦を弾くための力が上手く出せない。外が見えないせいでやたらに過敏になった肌も、至る箇所が熱を持っている。 薬は処方してもらったが、効いているかどうか解らない。呂号は気分を紛らわすためにヘッドフォンを被ると、MP3 プレーヤーを操作して重低音が激しいヘヴィメタルを大音量で流し始めた。アルバムジャケットも見られたら、もっと 深く思い入れられただろう。歌詞も文字で見られたら、文面から伝わってくるものもあるだろう。もっとも、英語なんて 読めやしないが。目が見えなくなったのが四歳の頃なので、ひらがなを覚えた程度だったからだ。
 甲型生体兵器専用の待機室は食堂と同様に窓が巨大で、日差しがたっぷりと差し込んでいる。いつもであれば、 レザージャケットの下の肌を温める日光の暖かさを気持ち良く思えるのだが、今日はそうもいかない。失明した原因 である病気、ベーチェット病が再発してしまったからだ。ここ半年近くは小康状態が続き、目立った炎症が出来ずに 済んでいた。しかし、戦闘が頻繁に続いたせいで心身にストレスが溜まっていたらしく、口内炎を切っ掛けに次々と 炎症が出来て全身に広がった。そのせいで、ホットパンツから露出した太股にも包帯を巻く羽目になった。

「ロッキー、体、平気?」

 ヒールがパンプスの足音が近付き、秋葉の声も同じ速度で近付いてきた。

「僕は平気だ」

 音量を下げずに答えた呂号に、秋葉から漂う化粧気の薄い匂いがふわりと過ぎった。

「丈二君は謹慎中。だから、私が監督官代理」

「それぐらい理解している。僕に何の用だ」

「第一級警戒警報発令」

「またか」

「そう、また」

 いつも以上に抑揚のない秋葉の声に、呂号の気のない声が重なった。山吹が忌部の失態の煽りを喰らって配置 換えになってしまったことが余程響いているらしく、呼吸すらも力がない。だが、そんなものはどうでもいい。他人の 恋路など、呂号の人生にとって何の関係もない。

「それで?」

「今、ソナーで探知した情報を出す」

 呂号が促すと、秋葉はPDAを操作して呂号のヘッドフォンにデータを送信した。アイアンメイデンのヘヴィメタルに 重なったのは、ソナーの反応音だった。普段、呂号が視認する代わりに感じ取っている音波の精度を上げたもので あるが、感じ取る方法はいつもとなんら変わらない。音はあらゆる物体に跳ね返る波であり、対象の物体の質量や 重量が違えば変わってくる。変異体管理局が所有する呂号に合わせた波長のソナーが放ち、跳ね返ってきた音波 を聞いているだけで、呂号の頭の中には地図が出来上がっていった。大小様々なビル、無数の人間、鉄道。

「渋谷か」

「そう、渋谷。そこが到達予想地点」

 秋葉が続いて送ってきた情報に、呂号はゴーグルの下で眉根を曲げた。

「なんだこれは」

 音波を使って表された敵影の軌道は、常軌を逸していた。コース自体は忌部島から東京までのほぼ一直線という 解りやすさなのだが、速度が馬鹿げている。飛行しているのは乙型生体兵器一号、斎子紀乃とゾゾ・ゼゼらしいが、 最高速度がマッハ二を越えている。斎子紀乃が有するサイコキネシスは並外れたパワーがあるので、飛行と同時に 空気摩擦や加圧を相殺しているのだろうが、恐るべきオーバースペックだ。

「斎子紀乃、及びゾゾ・ゼゼの目的は不明。二人の針路をトレースした結果、目的地は渋谷だと判明、現在民間人 の排除と戦闘部隊の配備を行っているが、通常攻撃が通じるとは思いがたい」

「だから僕の出番か」

「辛いのならば、無理をするべきではない。丈二君も忌部さんも処分中であり、現在、ロッキー達の指揮権を握って いるのは私だけ。だから、出撃させないという判断も下せる」

「下すつもりもないくせに。もっともらしいことを言うな。最初から僕を使う気だな」

「そう。イッチーは先日の戦闘で無理をしたから脳圧が安定していないし、脳内出血の恐れがあるから実戦配備に 至れない。けれど、はーちゃんは不向き。斎子紀乃をコピーさせるという手もあるにはあるけど、それでは」

「斎子紀乃の思考や感情に感化されて波号までもが裏切りかねない」

「そう。だから、ロッキー」

「だったら最初からそう言え」

 呂号はヘッドフォンの音量を元に戻し、椅子に立てかけていたリッケンバッカーのエレキギターを手にした。

「それで今日のリクエストは何だ。先に言っておいてくれないと渋谷が消し飛ぶ」

「これ」

 秋葉が手渡してきたのは、SDカードだった。呂号は秋葉の声の位置と自分の足音で、対象物と秋葉の手の位置を 把握して受け取り、ヘッドギアのスロットに差し込んだ。ボタンを操作してMP3ファイルを再生すると、初めて聞く のに不思議と馴染み深い音が両耳から頭の中に広がった。

「それは、乙型一号の脳波から検出した音。これを利用して、編曲すれば」

「乙型一号の能力を封じ込められるというわけか。考えたな」

「やってくれる、ロッキー?」

「僕を馬鹿にしないでくれ」

 エレキギターを担いだ呂号は、ブーツのピンヒールを高く鳴らしながら待機室を後にした。秋葉も続いたが、言葉を 交わすことはなかった。田村秋葉という人間に対して好印象を抱いているが、波号のように無防備に甘える気は ない。程良く距離感を保ちながら甲型生体兵器達に接している秋葉は、感触が良すぎて胡散臭いと思うのだ。気を 許させておくのは、いざという時に手を下しやすくするためなのでは、とも勘繰ってもいる。へらへらしているわりに芯が 硬そうな山吹と真っ当そうに感じられるわりにぐにゃぐにゃしている忌部の方が余程解りやすい。

「今日は上天気だから、きっといい音が鳴る」

「僕のギターは僕が一番よく知っている。言われるまでもない」

 最後には使い捨てられるであろう兵器に、優しくしてくるのが不可解だ。上への点数稼ぎだとしても効率が悪いし、 単純な同情だとしても行き過ぎている面がある。波号のボトルレターに付き合っているのも変だ。局員がそんなことを したら、スパイ疑惑を掛けられて追放されるのがオチだ。秋葉は馬鹿ではないし、上司の山吹よりも頭の回転が 早い時もある。そんな人間が、敢えて不利益になるようなことをするだろうか。

「ねえ、ロッキー」

 エレベーターに乗り込んでから秋葉から話し掛けられ、呂号は鬱陶しげに返した。

「なんだ」

「この作戦が成功したら、丈二君の評価は上がるかな」

「僕が知るか。指揮を執るのが田村監督官補佐なら山吹監督官の評価には繋がらない」

「そうかな」

「そうだ。そうに決まっている」

 急に秋葉に生臭さを感じて、呂号は意味もなく親指で弦を弾いた。秋葉が呂号ら三人に過剰に尽くしてくるのは、 要するに山吹の足元を固めておきたいからだったらしい。山吹丈二は管理職らしからぬ言動の軽さといい加減さ ではあるが、それなりに仕事をしている。三人の能力を最大限に引き出しているかどうかは怪しいが、戦果はちゃんと 上がっている。世にも珍しいサイボーグ化に成功した人間であり、今のところは伊号も押さえ込めているし、波号も 秋葉と合わせて懐いている。呂号は山吹も秋葉も信用していないが、多少は評価している。だから、山吹の地位は 安泰だと思うのだが、一番傍にいる秋葉からすれば危なっかしく見えて仕方ないのかもしれない。
 だとしても、そんなことのために呂号を巻き込まないでほしい。戦果を上げたいのなら、自分で戦闘部隊の指揮を 執ってインベーダーを一人でも良いから殺処分すればいい。山吹の地位を上げたいのなら、局長の竜ヶ崎全司郎や 政府側の人間に取り入ればいい。生体兵器は、男と女の汚らしい関係を深める道具ではないというのに。
 これだから、他人は嫌いだ。





 


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