南海インベーダーズ




シーク・アンド・デストロイ



 雑音が混じった。
 それも、許し難い不協和音だ。呂号はゴーグルの下で顔をしかめたが、エレキギターの弦を弾く手の速度は一切 緩めなかった。呂号の完璧な演奏を穢す、余計な音が聞こえてくる。雑音、異音、騒音。それらを塗り潰そうと弦を 押さえる手を強張らせるが、逆にこちらの集中力が削がれていく。演奏に浸り切っていられれば、騒音などに気が 逸れたりはしない。斎子紀乃の脳波に合わせてアレンジしたせいで、変に気を遣っているからだ。

「ロッキー!」

 秋葉が急に声を上げたが、呂号は構わずに弦を弾き続けた。すると、広域音波発生器の一号機の音が途切れ、 前触れもなく爆砕した。重低音に代わってビルに反響した爆音が呂号の聴覚を乱し、音波に乗せて広げていた感覚 も荒々しく掻き乱された。舌打ちした呂号は一際強くリフを放とうとしたが、不意にケーブルが引っこ抜けた。

「何だ」

 ばん、と爆発音に似たノイズを放って全てのスピーカーが沈黙し、広域音波発生器も同様だった。残った三機だけ でも使いようで二人を追い詰められる、と呂号はブーツのつま先で足元を探るが、ケーブルは見つからなかった。

「捜し物ってこれのこと?」

 どこかで聞いたことがあるような音程の声が届き、顔を上げた呂号の体にケーブルがびゅるりと巻き付いた。手足の 自由を奪われたが、肝心のエレキギターは手中にある。呂号は指で弦を探りながら、声の音源に向けて言った。

「お前が乙型一号か」

「それは私の名前じゃない。それで、あなたは何号って言うの?」

「だめ、ロッキー、あなたは接近戦は不利!」

 秋葉が駆け寄ってきたが、声の主は手近なケーブルで彼女も拘束してその場に転がしてしまった。

「安心してよ、別に私は殺し合いに来たわけじゃないし」

「それは僕も同じだ。だけど無事に帰すつもりは更々ない」

 ぎゅいいいいいっ、と四本の指で押さえた弦を甲高く鳴らした呂号が振動波でケーブルを緩め、脱すると、声の主は 呂号の四方に配置されていたスピーカーを浮かばせたらしく、ビル風を遮断する長方形の物体が呂号の正面に びたりと据えられた。排気ガスと光化学スモッグと無数の人間の生活臭が混在している濁った風が、嗅覚を汚して 過ぎていく。エレキギターの柄を両手で握った呂号が腰を落とすと、声の主はスピーカーの角を呂号の額に据えて、 敵意と警戒心が充ち満ちた声色で言った。

「そっちがそのつもりなら、戦ってやろうじゃない。私達の買い物を邪魔したのが悪いんだからね?」

「買い物じゃない。お前らのは窃盗だ。現金を置いていたようだが売買契約は成立していない。だから窃盗だ」

 この距離なら、声の音波だけでスピーカーを破壊出来る。呂号はギターを握り締めて息を吸い込み、デスヴォイスを 放とうとしたが、声の主から流れてくるビル風の気流がおかしいことに気付いた。乙型一号、斎子紀乃の体格は、 呂号と差して変わらないと聞いている。それなのに、声の響き方が呂号に比べて幅が広く、有り得ない低音がある。 更に、声の主を伝って呂号の肌を舐めてきた風は、太く丸い遮蔽物を通り抜けた後の対流現象を起こし、常人ならば 持ち得ないモノを舐める空気の流れもある。

「……お前は誰だ。乙型一号じゃない」

 呂号が警戒心を高めると、声の主はゆらりと長い尻尾を揺らした。

「おやおや、もう気付いてしまいましたか。自分の体なので、喉と脳をいじって紀乃さんに似た声色とサイコキネシスを 身に付けることなど造作もありませんが、さすがに体格の違いによる響きまで誤魔化せませんでしたか。改めて 自己紹介いたしましょう、私の名はゾゾ・ゼゼ。地球人類から敵対視されている、しがない異星人です」

 その声は少女から低く太い男のものに代わり、体格に見合った重たさも含んでいた。

「時間稼ぎは、もう充分でしょう」

 渋谷を中心とした一帯の空気が、大きく撓んだ。体を戒めているケーブルが解けると同時にしなり、コンクリートの 屋上に叩き付けられる。浮かばせられていたスピーカーが突然落下し、破裂するように砕け散った。最早体の一部 と化しているはずのエレキギターが手で支えきれないほどの重量と化し、落下した拍子に弦が切れて飛び跳ねた。 両足が縫い付けられ、肩が誰かに押されているかのように下がっていった。ぎしゃり、と背後で給水タンクを支える 鉄骨が軋んだかと思うと、突如、砕け散って水が溢れ出した。

「まさか、この前の流星雨と同じことを」

 這い蹲った秋葉はホルスターから拳銃を抜くが、声の主、ゾゾは軽やかに駆けて秋葉の手元を蹴った。

「おやおや、いけませんねぇ。御婦人がこのようなものを振り回しては」

 金属音と共に拳銃を手に収めたゾゾは、満足げに尻尾を振ったのか風切り音がした。

「ええ、お察しの通りですとも。我らが同胞である紀乃さんの超能力は、それはそれは素晴らしいものでして。感覚が 掴み取れるものでしたら、どんなものでも引き寄せられるのです。そう、それは重力であろうとも!」

 ゾゾは両腕を広げ、誇らしげに突き上げた。

「どうです、美しいでしょう! あなた方などでは、私達に勝てるわけがありません!」

「耳障りだ」

 呂号は屋上に貼り付けられた体を持ち上げようとするが、圧迫された炎症が痛んで顔を歪めた。

「こんなことは大したことはない。僕の演奏でも出来る。歌えさえすれば演奏出来さえすれば乙型一号なんて僕の敵 じゃない。あんなやつに負けたりはしない。僕は優れている」

「おやおや、そうですか」

 ゾゾの足音が呂号の頭上に近付き、拳銃を弄ぶ音も聞こえてきた。

「では、その願いを叶えてさしあげましょう。紀乃さん、もうよろしいですよ」

 渋谷全体を押さえ付けていた重力が緩み、手足の自由が戻ってきた。呂号は素早く起き上がってエレキギターを 持つが、弦が一本切れていた。これでは満足に音が出せないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。乙型一号を 生け捕りにすれば面倒な任務の回数は半減し、音楽に集中出来るようになるのだから。
 ぶわりと風が吹き付け、呂号の髪が広がった。ゾゾよりも二回りは小さい質量の物体がビルの下からやってきて、 呂号に視線を据えてきたのが解った。ピックは這い蹲った時に手元から離れてしまったので、爪を弦に添えた。

「この子が甲型生体兵器なの、ゾゾ?」

 ゾゾの傍に浮かぶ少女が呂号を見下ろすと、ゾゾは頷いた。

「ええ、そうですとも。もっとも、スーパーナチュラルである紀乃さんとは違って、脳に手を加えられておりますが」

「ふうん」

 乙型一号、紀乃の声からは、かすかな同情と薄っぺらい親近感と多少の優越感が感じ取れた。

「じゃあ、倒しちゃってもいいよね? 殺しはしないけど」

 壊れたスピーカーが浮かび、風を遮る。呂号はエレキギターの弦を爪で弾いて鋭利な音を作ったが、スピーカーを 失っているためか響きが今一つ悪く、スピーカーを壊すまでには至らず、生温い風が起きただけだった。スピーカーの 割れた合板が呂号目掛けて投げられたので、声を出す余裕がなかった呂号はエレキギターを振り回した。細かな 破片が飛び散って髪と肌を掠め、ベニヤ板の匂いが鼻を突いた。続いてスピーカーの振動板とホーンが頭上から 落とされ、それもエレキギターで受け止めた。大事なギターを武器にしてしまった自分を悔い、呂号は呻いた。

「僕を馬鹿にするな。僕のステージだ。僕が勝つに決まっている」

「勝とうが負けようが、どうでもいいじゃん」

 買い物袋らしき紙袋を大量に浮かばせている紀乃は、肩を竦めた。

「どっちに転んだって、私達みたいなのの末路は決まってんだし。兵器だろうがインベーダーだろうが、化け物扱いには 変わりないじゃん。だったら、好き勝手に生きた方がまだマシな気がしない?」

「……僕は人間だ!」

 化け物なんかじゃない。頭に血が上った呂号はエレキギターを振りかぶり、先程の仕返しと言わんばかりに紀乃に 放り投げた。だが、それも容易く受け止められ、びょおん、と振動で弦が半端に鳴った。

「そうだよ、私だって人間だよ。だから、渋谷で買い物したいし、水着を着て海を泳ぎたいし、流行りの服だって欲しいし、 色んなもの食べたいし、遊びたいし、学校にも行きたい。それを全部台無しにしたのはそっちじゃない!」

 エレキギターが唸り、呂号を狙う。鈍い風切り音が鳴り、一瞬の後に頭蓋骨とヘッドギアにエレキギターのボディが 叩き込まれる。かと思いきや、突然呂号は突き飛ばされ、スピーカーの破片とケーブルがとぐろを巻くコンクリートに 投げ出された。直後、骨と合板が激突した音が波状に広がり、鉄臭い蛋白質臭が僅かにビル風に混じった。

「あっ、ヤバッ!」

 短く悲鳴を上げた紀乃がすぐさまエレキギターを引っ込めると、呂号の代わりに一撃を受けた秋葉はもう一挺の拳銃を ホルスターから抜き、額が割れたことも気にせずに二人に銃口を据えた。

「ならば、あなた達は自分以外の人生や生活や環境を何だと思っている。私達もまた私達なりに生きている。あなた達の 過剰な力と無益な活動によって損害を受けるのは、他ならぬ一般市民。あなた達は、存在しているだけで危険を生む。 だから、離島に隔離し、国民の安全を確保するのは政府として当然の判断」

 がつんとヒールがコンクリートを力強く踏み締め、秋葉は声を張った。

「あなた達の言う自由とは無秩序と同義! だが、私達は違う! 守るべきものがあり、戦うべき時に戦っている!  ロッキーは化け物ではない! 勝手に人間に絶望して勝手に堕落した乙型一号、あなたこそが化け物だ!」

 銃声、銃声、銃声。つんと来る硝煙と衝撃破が秋葉の匂いを掻き消すが、弾丸は空中に縫い付けられた。

「良い根性をしておりますね、お嬢さん」

 弾丸をサイコキネシスで止めたのは、紀乃ではなくゾゾだった。右側の翼を丸めるようにして紀乃を包み込むと、 弾丸を屋上に投げ捨てた。ゾゾは拳銃を捨てると、尻尾と両腕で紀乃と荷物を一抱えにした。

「今日のところは、これにて失礼させて頂きます。夕食の支度をしなければなりませんのでね」

 ゾゾの重たい羽ばたきが遠のき、二人の質量が東京上空から消えると、紀乃の支配から逃れた空気が緩んだ。 呂号は壊れかけたエレキギターを拾ってから、秋葉に気を向けた。熱が残る拳銃を握り締める秋葉は肩を怒らせて いたが、膝を折って座り込み、緊張から来る過呼吸で苦しげに喘ぎながらも呂号を心配してきた。

「ロッキー。どこも痛くない?」

「僕は平気だ。けれどギターが瀕死だ。後で直さなければ」

 エレキギターが受けた痛みと屈辱を思い、呂号は胸が詰まった。秋葉は拳銃をごとりと足元に横たえ、ハンカチを 取り出して額の傷を押さえ、俯きがちに呟いた。

「そう。良かった」

 安堵に含まれていたのは、偽りのない慈愛だった。秋葉が近付いてくる様子はなかったが、呂号は自分の代わりに 傷付いたエレキギターを抱く腕に無意識に力を込めていた。秋葉が呂号らに親しくするのは、山吹のための点数 稼ぎと、山吹に良く思われたいという下心だけだと思っていた。むしろ、それだけでいてくれた方がやりやすかった。 辛辣に接されるのは初めてではないし、養子に出された先の家族からも優しく扱われた記憶はない。養父母の間に 実子が生まれたことと、病気のせいで肌があまり綺麗ではないことも手伝い、触れられた記憶はない。だから、誰か に良く思われるのは面倒臭いし、寒気がする。見えないのだから本当に存在しているのかどうかも怪しい外の世界 に理想を抱くよりも、エレキギターを抱き締めて自分の内なる世界に沈んでいた方が余程気持ちいい。
 だから、秋葉の思いも気持ち悪い。他人に情を寄せたって、結局は自己満足ではないか。他人を大事に思う自分に 酔っているだけで、巡り巡って自分自身に利益が生まれることを期待しているが故の行動だ。いつのまにか秋葉が 回収要請を出したのか、海上基地方面からCH−47チヌークの駆動音が聞こえてきた。その音を聞きたくなくて、 呂号は戦闘仕様のヘッドフォンを外していつものヘッドフォンに被り直し、反社会的なデスメタルを再生した。
 音楽にさえも、優しくしてもらいたくない。




 紙袋に囲まれている紀乃は、浮かない顔をしていた。
 ゾゾは己の体液から抽出して合成した生体改造アンプルを上腕に刺し、長距離飛行用に生やした翼を肩胛骨と 肋骨と背中の皮膚に戻しながら、紀乃の様子を窺っていた。買い物に行くことは、彼女が常日頃から口にしていた 願望だった。水着が欲しい、Tシャツが欲しい、ショートパンツが欲しい、サンダルが欲しい、下着が欲しい、などと、 ゾゾは何度となく聞かされていた。それだけのものを買うために充分な資金は、ゾゾがネット上での株取引で作った 現金をスイス銀行の秘密口座に預金していたものを引き出したので、問題はなかった。東京までの飛行も到着する 前にレーダーで発見されたが、大したことはなかった。渋谷で呂号に待ち伏せされて戦ったことも、少々手こずったが 無事に帰ってこられた。それなのに、紀乃は心ここにあらずといった様子だった。

「ねえ、ゾゾ」

 紀乃はビキニの上下とワンピースがセットになった水着を眺めていたが、呟いた。

「あのお姉さんが言っていたこと、凄く正しいよね」

「ええ、正しいですとも。私達にとっては正しいとは言い切れませんがね」

 ゾゾは蛋白質で出来ているアンプルの空き瓶を、台所のかまどに放り込んで燃やした。

「あの子、呂号って言うのかな。頭に被っていたやつに書いてあったし。あの子のことも忘れられないなぁ」

 紀乃は頬杖を付き、西日が差し込み始めた窓の外を見やった。

「あれほどメタルは嫌いだと仰っていたではありませんか」

「メタルは嫌いだけど、メタルが好きな人を嫌いなわけじゃないよ」

「では、なぜ」

「悪いこと、言っちゃったなって」

 それに、何か引っ掛かる。紀乃は違和感の正体を掴み取ろうとするが、思い当たることはなかった。初対面だし、 まともに甲型生体兵器に出会ったのも呂号が初めてだ。紀乃の記憶にこびり付いている父親の演奏に比べれば、 呂号の奏でる音には力もあれば技もあり、メタルが嫌いでさえなければ、能力を阻害されなければ、呂号の演奏に 聞き入っていたかもしれない。だが、本当に感じている違和感はそれではない。もっと根っこの部分だ。
 黙り込んでしまった紀乃を見、ゾゾは踵を返した。先程放り込んだ蛋白質製のアンプルの瓶がすっかり焼け焦げて いたので、火バサミで小突いて叩き割った。冷蔵庫の中身と畑から収穫してきた野菜を組み合わせて夕食の品を 考えながら、もう一方では、若い女性の服装については勉強する必要がありそうだ、と至って真剣に考えた。
 それもこれも、紀乃のためだ。





 


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