謹慎も休暇も開けた山吹に命じられた任務は、珍しいものではなかった。 特定のミュータントが活動していると、企業イメージに関わる。だから、さっさと手を下して処分してくれ、という要求 が上層部を通じて下ってきた。これまでにも何度かそういう命令はあったので、ああまたか、としか思わなかった。 先日、斎子紀乃とゾゾ・ゼゼが渋谷に来て好き勝手に衣服や食料品を持っていったせいで、渋谷一帯からは汚染と 風評被害の不安の声が上がっているが、それと似たようなものだ。政府と変異体管理局の徹底したプロパガンダの おかげで、世間一般におけるミュータントの印象は最悪だ。もっとも、ゾゾは単眼の怪物じみたトカゲだし、ミーコは 寄生虫を媒介するし、小松は大量殺人鬼だし、紀乃はオーバースペックの超能力者なので間違いではないが。 今回、山吹の元に届いた命令は、小松が使用している人型多脚重機のメーカーからのものだった。市民の安全と 警戒のために、との名目で流されている政府公報には、紀乃だけでなく、小松やミーコも映し出されている。現在は 生身の体を失って人型多脚重機と化した小松も日に何度もテレビ画面に登場するが、その際、機体のメーカー名は 黒塗りで消されている。それでも、見る人が見れば解ってしまうので、小松の機体を破壊してくれとのことだった。 会議室で一ノ瀬真波から必要書類を手渡された山吹は、十数枚のコピー用紙をホッチキス止めされた資料を ぱらぱらと捲りながら通路を歩いていた。小松建造のスペックは今更教えられるまでもないし、人型多脚重機の構造も 知り尽くしていたが、行政ではありがちな儀礼だ。それらを一通り捲った後に出てきた書類を見、足を止めた。 「新兵器ってやつっすか?」 それは、汎用前の人型軍用機の使用を許可する文面で、人型軍用機の使用者は山吹丈二になっていた。 「てぇことは、考えるまでもないっすね」 上の考えていることは読める。いかにも悪役な小松を、いかにもヒーローな山吹が倒す様を世間に見せつけたい のだろう。だが、山吹は体こそ頑丈だが戦闘のセンスはない。コンピューターでフォローするにしても、限界がある。 かといって、機体を伊号に遠隔操作されてしまっては、どちらの脳も情報がパンクして死にかけるだろう。真っ当に 見えるが、実際は無茶苦茶な作戦だ。成功するとは思いがたい。 「けど」 ぐしゃりと書類を歪め、山吹は無機質な明朝体の文字を見据えた。 「これで俺が勝てば、むーちゃんは」 秋葉は、小松建造への復讐心から解放されるだろう。 「ふは、ははははは」 なんだか楽しくなってきた山吹は、マスクを押さえたが笑い声は押さえられなかった。生身と違って口と喉では なく、マスクに内蔵した小型スピーカーを使って発声しているのだから仕方ない。無理をしている秋葉を見るのは、 恋人としては辛くてたまらない。山吹の背中を追わずに、自分の思うように生きてほしい。そのためには、秋葉の心を 踏み潰した小松建造を倒さなければ。破壊しなければ。殺さなければ。 「帰ってきたら、なーにしよっかなぁ」 戦ってもいないのに勝利した後のことを考え、山吹は浮かれた。まず、あの日からずっとお預けになってしまった プロポーズをしよう。婚約をしよう。結婚のための準備もしよう。新居も探そう。ドレスも、指輪も、結婚式場も。 「丈二君」 すると、通路を曲がってきた秋葉が顔を出し、山吹を見上げてきた。 「おうわっ!」 不意打ちだったので山吹が仰け反ると、秋葉はむっとした。 「心外」 「い、いや、なんでもないっすよ。てか、むーちゃんは何しに来たんすか?」 山吹が取り繕いながら尋ねると、秋葉は資料室の方向を指した。 「コピーを取りに行く。丈二君は、一ノ瀬主任との話は終わった?」 「ああ、今さっき」 「それ、どんな任務?」 「大したことないっすよ、大したことは。んで、その任務が開けたら、大事な話があるんすけど」 「何?」 「秘密っす、秘密」 書類の束を背に隠し、山吹はマスクの前の人差し指を立てた。秋葉は少し残念そうだったが、笑んだ。 「だったら、期待している」 「あー、まぁ、大した話じゃないっすけどね。んじゃ、御仕事頑張るっすよ、むーちゃん」 山吹は手を振ってから、背を向けて歩き出した。秋葉は名残惜しげだったが、資料室に向かっていった。彼女の 足音が遠ざかったのを確かめてから、山吹は作戦概要を書いた書類を見直し、沸き上がる戦意に身震いした。 小松さえいなくなってしまえば、これ以上秋葉を苦しませずに済むだろうし、あの日の続きに戻れるかもしれない。 小松建造に殺されることさえなければ続いていた時間を、再び織り成せるようになる。夢にまで見た秋葉との結婚 生活の足掛かりにもなる。インベーダーを一人でも倒した実績を作れば、山吹の立場も安泰だ。相手は人間ではない のだから、迷うことなど何もない。溜まりに溜まった怒りを、拳に込めてぶつけてやる。 正義の味方なのだから。 家を建てたい。 久し振りにその衝動に駆られた小松は、木を切り倒していた。本を正せば、そのために建築会社に入ったのだ。 高校を中退して就職しただけで建てられるとは思っていなかったし、仕事をしながら勉強をして資格を得て、いつかは 自分自身の手で自分の家を建てるのが夢だった。だが、その夢も半ばにして小松は生身の体を失い、人型多脚 重機に脳が癒着し、一緒に住んでほしいと言いたかった相手はいなくなってしまった。 けれど、建てたいものは建てたい。小松は棒きれをマニュピレーターに挟むと、地面を方眼紙代わりに設計図を 書き始めた。最初に意匠図を書き、続いて構造図を書いたが、どちらかに比重を置きすぎると必ず無理が生じる。 かといって、ここだけは外せない、という部分も多い。何せ、十年以上も頭の中にあった家なのだから。 「小松さん、何してんの?」 頭上に小さな影が差し掛かったのでメインカメラを上げると、水着姿の紀乃が浮かんでいた。その背後には、塩が みっちりと詰まった麻袋が三つ漂っていた。塩田での作業は順調のようだ。 「おー、間取り図だ。じゃ、小松さん、家でも建てるの?」 紀乃が興味を示して覗き込んできたので、気恥ずかしくなった小松は前のめりになって設計図を隠した。 「お前には関係ないだろう」 「ふーん。で、どこに建てるの?」 「だから、関係ない」 「誰が住むの?」 「だ、だから」 紀乃ににじり寄られ、小松は六本足を広げて這い蹲った。誰と一緒に住みたいかなんて、口が裂けても言えない。 ないはずの背筋がむず痒くなったような気がして、小松は頭部を半回転させて紀乃から目を逸らした。だが、紀乃は 満足していないらしく、小松とその体の下の設計図をしきりに覗き込んでくる。邪心はなくとも無遠慮な好奇心に満ちた 眼差しが鋼鉄製の肌に突き刺さるようで、小松は歯噛みするようにエンジンを唸らせた。 「あ、あのさ、放っておいてやりなよ」 尻尾を引き摺りながら、古ぼけた本を十数冊も抱えた甚平が歩み寄ってきた。 「えー、なんで? 面白そうじゃん」 紀乃は甚平の前まで降りると、甚平はビキニ姿の紀乃が目の毒だと言わんばかりに瞬膜を開閉させた。 「あ、うんと、誰だって、立ち入られたくないことはあるっていうか。僕も、だけど」 「そういう甚にいは何してたの?」 紀乃は甚平の太い両腕に抱えられた本を覗くと、甚平はやりづらそうに顔を背けた。 「あ、うん、図書室の本を虫干ししていたんだよ。凄くカビ臭かったっていうかで。だから、その、邪魔しないで」 「なんで?」 「あ、う、なんでって、そりゃ……。ねえ?」 甚平が小松に同意を求めてきたので、小松はがしゃりとメインカメラのシャッターを開閉した。どうやら、同類扱い されたらしい。お前と俺を一緒にするな、との否定の言葉がスピーカーまで出そうになったが、甚平の言いたいことが 解らないわけでもない。紀乃は良くも悪くも他人との境界が薄いタイプらしく、馴れ馴れしく話し掛けてくる。だが、 放っておけば一日中図書室に籠もっている甚平と、空腹にならなければ工作場で漁船のスクラップをいじくり回して いる小松は、根底では似通っているのだろう。方向性は大違いだが。 「あ、じゃ、僕はこれで」 甚平は紀乃から本を守るように背中を丸め、廃校に続く坂道を上っていった。彼の足取りは左右に揺れていて、 見るからに頼りない。そして、実際に頼りにならなかった。紀乃の興味の対象が移りそうだと思ったのに、これでは 何の意味もない。しかし、設計図は地面から引き剥がせないし、小松の頭では丸暗記するのは難しいだろう。だが、 紀乃の力を借りるのは不本意だ。自分一人で最初から最後までやらなければ、意味がないのだから。 「きゃひはほはひはははははははははっ!」 あの奇声が響き渡り、紀乃はびくっとして塩の麻袋を地面に落としてしまった。小松は設計図を覆っていた上体を 起こして頭部を一回転させると、少し離れた木の枝から恐るべき跳躍力でミーコが飛び出した。 「ミーコがミーコのミヤモトミヤコー!」 挨拶代わりだと言わんばかりに、ミーコは小松の側面に蹴りを叩き込んできた。体格に似付かわしくない威力の 蹴りをもろに浴びた小松は、六本足をしならせながら横に倒れ込んだ。当然、設計図は丸出しになった。 「ああああああ」 恥ずかしさと情けなさで慌てた小松は起き上がろうとするが、焦ったせいで足が地面を噛まなかった。シリンダーが 上下してエンジンが空吹かしするばかりで、排気ガスが充満した。小松を蹴り倒せて満足したのか、ミーコは見事に 着地してからまた高笑いした。そして、振り返って設計図を見た途端、ぎゅうっと瞳孔が縮んだ。 知性も理性も剥がれ落ちて表情筋が意味を成さなくなっていた顔に力が戻り、無表情に見えるほど強張った感嘆 を形作った。唇は端が吊り上がりそうなのを堪えるために震えていて、眼球が零れ落ちそうなほど見開かれた目は 小松の機体と設計図を同時に映し、僅かながら潤んでいるのか光沢が増していた。ほんの数秒にも満たない変化 だったのだろうが、小松は彼女に見入っていた。暴力的な日差しが作り出した一瞬の幻想に思えるほど、刹那的な 表情だった。その間、ミーコは小松をじっと見ていた。何か言いたげだったが、唇を真一文字に結んでいた。 「ふーん」 ミーコに見入りすぎていた小松は、紀乃が設計図を眺めていたことに気付けなかった。 「ね、良かったら、私も手伝おうか? どうせ暇だし」 ミーコが反応するのでは、と小松はメインカメラを向けるが、ミーコは知性の垣間見える表情が消え失せてしまい、 小松に対しても興味を失ったらしく、身を翻して駆け出していった。いつもは過剰なまでに小松にまとわりつくので、 紀乃も珍しがった。だが、邪魔をされないのであればそれに越したことはない。小松はなんとなく得意げな顔の 紀乃と自分の設計図を見比べていたが、人手が足りないのは事実なので、彼女の申し出を受けることにした。 どれほどパワーが出ようとも、腕は二本しかないのだから。 10 8/2 |