南海インベーダーズ




強襲的追憶峠



 ひたすら、上を目指した。
 その間も重みのある水気は膀胱を膨らませていたが、それを出しに行く暇はない。紀乃は蒸し暑さとは別の意味で 嫌な汗を掻きつつ、感覚を広げていた。アスファルトから数センチ浮かせて低空飛行させて運んでいる小松も頭部を ぐるぐると回転させていて、十数台はありそうなエンジン音の発信源を辿っていた。湿っぽい風には排気ガスが 混じり、煤や土埃でますます体がべたついてくる。おまけに空腹で低血糖気味でコンディションが最悪だ。これでは、 勝てる戦いも勝てない。だが、抵抗もせずに捕まるのだけは嫌だ。
 四つ目のヘアピンカーブを曲がり、速度を落とさずにガードレールすれすれを通り抜けた。そのまま頂上を一気に 目指すべくサイコキネシスを高めるが、突然、木々が粉砕されて細かな木片と青い木の葉が飛び散った。それらで 視界を塞がれた紀乃は速度を落として小松も下ろすと、ガードレールをぶち破ってロボットが突っ込んできた。

『往生せいやあああああああっ!』

 小松のように拡声器を使って発声した全長五メートルほどのロボットは、二人の前に立ち塞がった。

『乙型生体兵器一号、並びに二十八年式人型多脚重機寄生体一号、えーと……とにかく諸々の法律違反で現行犯 逮捕するっす! 黙秘権も弁護権も人権保護法もお前達にあるわきゃねーんすから、とっととお縄に付くっす!』

「お前、山吹丈二だな」

 小松が円筒形の両腕を構えると、アーミーグリーンの人型軍用機はじゃきんと右腕からナイフを跳ね出した。

『だから何だってんすか、この際関係ないっすよ、そんなの。とにかく、抵抗する場合は攻撃も辞さないっす!』

「抵抗しなくても攻撃するくせに」

 紀乃が唇を尖らせると、人型軍用機はナイフの切っ先を迷わずに紀乃に据えた。

『攻撃するに値する能力を持っているからっすよ。んで、俺達は守るに値するものがあるんす』

「それはお前らが勝手に決めたことだ、俺達には関係ない」

 小松は六本足を強く踏み込んでアスファルトを砕き、山吹丈二が搭乗する人型軍用機にセメントガンを向けた。

「ついでに言えば、お前の人生なんて俺にはどうでもいいんだよ!」

 速乾性の灰色の濁流がノズルから吹き出したが、山吹機は素早く身を屈めて回避した。頭上を通り越したセメントは 折れた杉の木に付着し、滴り落ちると同時に凝結した。紀乃は被害を被りたくないと小松の操縦席から遠のくと、 背後の木々がまたもや粉砕されて枝葉が降ってきた。紀乃がサイコキネシスでそれらを受け止めると、道なき道 を切り開いて昇ってきた装甲強襲車が出現し、ハッチが開いて呂号が顔を出した。

「山吹監督官。狙い通りだ」

「……うげ」

 前門の虎、後門の狼とはこのことだ。紀乃は折れた木を浮かばせて投げ飛ばそうとしたが、装甲強襲車に続いて 道なき道を昇ってきたトレーラーがコンテナを開き、あの忌々しい広域音波発生器のスピーカーを展開した。

「ジャンプ・イン・ザ・ファイヤー」

 呂号は装甲車の中から引き摺り出したケーブルをエレキギターに接続し、最初の音を奏でた。

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよお!」

 せめてトイレを済ます隙を与えてくれ、と紀乃は後退ったが、呂号の指は正確なコードを押さえた。

「うるさい。黙れ」

 ジャンプ・イン・ザ・ファイヤー。日本語的には飛んで火に入る夏の虫って意味か、と紀乃が頭の片隅で考える余裕が あったのは、スピーカーがびりびりと震える寸前までだった。山間部の湿っぽい空気が呂号のリフで掻き混ぜられ、 背後で繰り広げられる人型軍用機と人型多脚重機の火花を散らす取っ組み合いの騒音と重なり合い、紀乃は 超能力に集中力するどころではなくなって頭を抱えた。浮かばせていた木も落下し、ごろりと空しく転がった。

「所詮乙型は乙型だ。僕に劣って当たり前だ」

 呂号はエレキギターを鳴らす指を緩めずに、唇の端を得意げに引きつらせた。紀乃は逃げ出そうとするが、山吹機の 拳で吹っ飛ばされた小松が坂に倒れ、背後からは装甲強襲車から出てきた数人の歩兵が自動小銃を据えて 駆けてくる。これでは、逃げるに逃げられない。紀乃が半泣きになると、突然、小松が起き上がった。

「紀乃!」

 反復横跳びのように移動して頭部への一撃を避けた小松は、多目的作業腕のマニュピレーターで紀乃を抱えると、 六本足を折り畳んで内側に内蔵されている車輪を出し、ギアを組み替えて発進した。ガードレールに車体を派手に 擦り付けながら、山吹機の足元を通り過ぎた小松は急加速して頂上を目指した。速度に見合った風が吹き付け、 紀乃は目も開けていられずに小松の硬い指にしがみついていた。その間も爆音による頭痛は起きていて、超能力 は封じられたままのようだった。操縦席に放り込まれると、紀乃はぼさぼさになった髪を撫で付けた。

「そんなこと出来るんなら、最初っからしてくれりゃいいのに」

「燃費が悪いし、タイヤも減る」

「ああ、そう……」

 そんなことはどうでもいい、膀胱は相変わらず由々しき事態だ。紀乃は自然と内股になり、小松の車体の揺れが 響くたびに股間の筋肉を絞っていた。どこかに止まってくれないかな、とは思うが、バックミラーには自然保護活動 を謳う政府の方針を完全に無視した変異体管理局の面々が迫ってくる様が映っていた。植林された杉は次から次へと なぎ倒され、アスファルトは山吹機の足で無惨に砕かれ、呂号の爆音を浴びた枝葉は散弾のように吹っ飛んだ。 小松は一応舗装された道を辿ってきているのだが、彼らは違う。カーブした道を無視して直進してきている。

「ねえ、小松さん。こんなことになっちゃったから聞かざるを得ないんだけど、あの山吹って人と何かあったの?」

 紀乃はシートベルトを締めながら尋ねると、小松は少し間を置いて答えた。

「何もなかったら、恨んだりはしない」

「だよねぇ」

「話せば長くなるから、また今度でもいいか」

「そりゃあね。どうせ話してもらうんなら、静かなところでゆっくり聞かせてほしいな」

「少なくとも、それが今じゃないのは確かだな」

 最後のカーブを曲がり終えた小松が頂上の広場に滑り込むと、すぐさま山吹機も突っ込んできた。小松は六本足の タイヤを曲げて減速し、半回転して制止すると、山吹機は右腕のナイフを振り翳した。

『ロッキー、最高のライブを見せてほしいっすよ!』

「言われなくとも」

 山吹機に続いて頂上の広場に入ってきた装甲強襲車の上に、呂号は仁王立ちした。女王に付き従う従者の如く、 三機のトレーラーに搭載された広域音波発生器が展開され、小松の操縦席に身を隠す紀乃に狙いを付けてきた。 逃げ場はないが、なんとかしなくては。そう思っていると、山吹機は高く跳躍して小松の真上から降ってきた。

「小松さん、全速後退!」

「おう!」

 ぎゃりぎゃりぎゃりぃっ、と小松の六輪が煙を吹いて急速回転して数メートル後退した直後、山吹機の質量に伴う 威力を持つ膝蹴りが地面を割った。土煙を上げながら小松は後退るが、山吹機はすぐに立ち上がって駆けてきた。 素人目にも、対ショック性能が半端ではないことが解る。その間にも呂号のライブは続いていて、紀乃は鈍い頭痛が 頭の芯から広がっていた。広域音波発生器さえなんとか出来れば、後はどうとでもなるのだが。

「そうだ、歌!」

 紀乃は小松の操縦席を見回して拡声器のマイクを探そうとするが、小松の機体が体当たりで吹っ飛ばされた。

「うお」

 小松の鈍いリアクションとは裏腹に物凄い衝撃が襲い掛かり、紀乃は狭い箱の中で上下に揺さぶられた。肩から 突っ込んできた山吹機は横転した小松の足を二本掴み、ひっくり返しに掛かってきた。

『せぇーのっ!』

 またも衝撃が訪れ、今度は天地が逆さまになった。紀乃の視界は砕けたガラスと土だけになり、頭に血が上った。 でんぐり返しを失敗したような格好になった紀乃はシートベルトを外そうとするが、上手くいかない。

「……紀乃」

 小松の雑音混じりの声が届くと、ぱちん、とシートベルトが独りでに外れて紀乃は転げ落ちた。

「ぎゃっ!」

「思い出した。俺があれを埋めたのは、この近くだ。目印があるはずだ。その下を掘り返せば、ある」

「で、でも、小松さんは」

 狭い中でなんとか上下を正した紀乃が小松の声に合わせて点滅するパネルに触れると、小松は平坦に言った。

「こいつらは俺がなんとかする。出来るはずだ」

「でも……」

「作戦を考えている暇はない。目印は立て札だ。それはこの辺りにあるはずだ」

「だけど、私が小松さんの風見鶏を見つけたって、小松さんが捕まったんじゃ何の意味も」

「山吹丈二を殺さずにいる方が、何の意味もない」

 六本足の右半分を反転させて地面に噛ませ、反動を付けて起き上がった小松は、カバーが割れたメインカメラで 山吹機を睨み付けた。紀乃は破損したドアを蹴り開けて転げ出し、走った。

『乙型一号の身柄確保を急げ! 実弾は使うな、ゴム弾だ!』

 山吹機は歩兵部隊に叫んでから、小松に掴み掛かった。小松は両腕で山吹機の拳を押さえて、紀乃を一瞥した。 紀乃は若干気が咎めたが、立ち止まっては簡単に捕まってしまう。呂号の音楽が届かない場所まで行ければいいの だが、この前と違い、ゾゾの翼に運んでもらうわけにもいかない。歌でも歌って呂号の音楽を阻害するにしても、 銃声や機械の衝突音ばかりでは効果は望めないだろう。となれば、直接呂号を叩くべきなのだろうが、装甲強襲車 の上に立つ呂号をどうやって攻撃してやろうか。その時、紀乃の視界の端に、板が打ち付けられた木材が掠めた。 恐らく、これが小松の言う目印の立て札だろうが、引っこ抜いたら跡が残るはずだから大丈夫だ。使えるものはなん でも使わなければ、戦いに勝てるわけがないのだから。

「やったろうじゃないの!」

 紀乃は身を反転させて板の付いた木材を引っこ抜くと、手近な石を拾い、振りかぶった。

「テニス部舐めんな!」

 ガットで叩くよりも重たい衝撃が手首を揺さぶり、懐かしい感覚が体中を駆け巡った。テニスボールよりも遙かに 硬く、重たい石は、一直線に呂号に向かった。

「だからどうした」

 呂号は片足を軸にしてエレキギターを振り回し、その石を難なく叩き落とした。

「僕は音が視える。音は反射する。万物は音を出す。音さえあればどこで何がどうしているかなどすぐに解る」

「この前はゾゾに騙されたくせに。あのお姉さんに守られちゃったくせに」

 紀乃が嫌みったらしく言うが、呂号は動じなかった。

「前回はお前に関する情報が少なすぎただけだ。今回は違う。お前は僕に勝ち目はない」

「女の子でしょ? なんで自分のことを僕なんて言うの? それ、マジで変だよ」

「お前には関係ない」

「ヘッドフォンを被ったまま人と話すのやめなよ、家の中で帽子を外すのと同じぐらいの最低限の礼儀じゃん」

「黙れ」

「それとさ、そのメタルファッションも微妙だよ。胸も尻もないのにレザーなんて着ても似合わなさすぎだし」

「黙れ」

「そっちが黙りなよ! 私達に戦いを吹っ掛けてきたのはあんた達でしょ!」

 紀乃はもう一つの石を拾い、板の付いた木材で呂号目掛けて打ち込んだ。苛立ちに頬を歪めている呂号は再度 エレキギターで叩き落としたが、紀乃の単純な挑発で冷静さを欠いていたらしく、手元が狂って弦が外れて情けない 音を立てた。紀乃は呂号の打たれ弱さに半笑いになりながら、足元に散らばる石を浮かばせた。プライドと自意識が 高い分、嫌味に対する耐性がないらしい。紀乃は立て札を足元に放り投げ、感覚を広げた。

「甲乙付けがたい、とか言うけどさ、どっちが上とか下とかマジでどうでもいいんだよね」

 重力から解放した無数の礫を浮かばせた紀乃は、人差し指を向けた。

「私はね、トイレに行きたいの!」

 その一念で、紀乃は数百個の小石に均等な力を加えて発射させた。もちろん、生身の人間と小松は避けるように した。マシンガンにも匹敵する威力と数の小石の流星雨は主に広域音波発生器に降り注ぎ、ホーンや振動板に 無数の穴を開け、装甲強襲車にも大量の細かな凹みを作った。呂号は自衛官の手で素早く装甲強襲車の車内に 引っ張り込まれ、自衛官達も戦闘車両や木の陰に身を隠した。形勢逆転だ、と紀乃はやや安堵し、強張らせていた 筋肉が緩みかけた。思い出したように襲い掛かってきた強烈な尿意に身震いした紀乃は、小松を援護したい気持ち とは裏腹に逃げ出した。敵が来なくて身を隠せるような場所を探したかったが、そんな余裕すらなかった。
 今、トイレを差し出されたら、降伏してしまうかもしれない。





 


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