南海インベーダーズ




強襲的追憶峠



 紀乃の行動理念は解らない。
 小松は紀乃の捨てゼリフを聴覚センサーで聞き取りながら、内心で首を捻った。大方、原因は先程飲んだコーラと カルピスなのだろうが、そんなものは適当に処分しておけばいいだろうに。冷却水のようなものなのだから、出して いる様を見られたところで大したことではないだろうに。全く、女という生き物は面倒臭い。
 外装を折られた右腕は漏電し、目障りなヒューズが散っている。メインカメラのカバーにヒビが走ったせいで視界が 複数の多角形に区切られ、複眼を持った昆虫の気分だ。まともに膝蹴りを喰らった胴体からは不気味な軋みが 漏れ聞こえ、六本足で体を支えようとしてもバランサーにもダメージが及んだらしく、重心が定まらなかった。小松は 各関節から蒸気を漏らしている山吹機と対峙し、山吹の本体が収まっている場所を探った。

「死ね、山吹丈二」

 小松は精一杯センサーを働かせながら、潰れかけた指を固めて拳を作った。

『勝ち目なんてないんすよ、最初っから。とっとと降伏した方が利口っすよ、利口』

 山吹機は小松との間合いを計りながら、ナイフを構えた。鈍色の光る分厚い刃が夏の日差しを撥ねる。

『でも、一つだけ、聞いてもいいっすか?』

「何をだ。俺はお前に答える義理もなければ義務もない。断る」

『どうして、俺とむーちゃんがメテオにいるって知っていたんすか?』

「そんなこと、どうでもいい」

 小松は山吹の甘さが心底嫌になり、エンジンの回転数を高めて黒い排気を噴いた。

「お前は都子を大事にしなかった! お前を殺すのに、それ以上の理由があるか!」

 だから、もう一度、殺さなければ。小松は左腕からフック付きワイヤーを発射して山吹機の頭部に巻き付けると、 引き絞り、センサー類を殺した。だが、まだサブセンサーが残っている。小松はワイヤーを巻き取りながら山吹機と の距離を狭めると、先程発射したために残量が大分減ったセメントガンを山吹機の右肩にねじ込み、流し込んだ。 ノズルの形にひしゃげた肩アーマーの間からセメントガンを抜き、小松は二本の足で山吹機の胸部を踏み付けた。 左肩には溶接機を突っ込んで無理矢理溶かして断ち切り、左腕を引き抜いた。

『ぐげぁああっ!』

 ダメージが直接フィードバックしたのか、山吹の耳障りな悲鳴が上がった。

「……死ね」

 小松は奇妙な陶酔感を味わいながら、山吹が収まっているであろう胸部装甲に指を掛けた。この時を、どれほど 待ち侘びていたことだろう。機械の体を得た直後に踏み潰した時に味わった達成感と陶酔感も素晴らしかったが、 今、電子回路と癒着した脳神経を駆け巡る快感も格別だ。さあ、今度こそ、悪しき山吹丈二を殺そう。

『死ぬのはどっちっすかねぇ!』

 山吹機の両足が上がり、小松の脚部の付け根に押し付けられた。高速移動用のキャタピラが展開されて小松の 脚部に接し、急速回転した。山吹機の金属板と小松のシリンダーが擦れ合い、赤い火花が散った。小松は山吹機の 両足をねじ切ろうと両腕で抱えるが、山吹機は腹筋のような動作で上体を持ち上げた。

『俺は死亡フラグなんて押っ立てちまったんすよね! それもベッタベタでバリバリの!』

 小松の指の跡が残る胸部装甲の間から蒸気が噴き出し、操縦席から山吹が身を乗り出した。

「けどな、それぐらいしなきゃならねぇんすよ! 男が女の人生背負うってぇのは、ガチに命懸けっすからねぇ!」

 頸椎に差し込んだケーブルを引っこ抜き、円筒形のマニュピレーターツールからも両手足を引っこ抜いた山吹は、 操縦席の内装を壊しかねない力で蹴り、小松の操縦席に飛び移った。

「だから、あんたの気持ちもちったぁ解るっすよ、ちったぁ! でも、それとこれとは別問題!」

「降りろ、降りろ!」

 小松は山吹機を放り投げ、操縦席の屋根に乗った山吹を掴み取ろうとするが、山吹は割れた窓から操縦席内に 滑り込み、フレームがひしゃげた座席に大柄な体を収めた。小松の中に山吹丈二が入っている、それだけで耐え難い 嫌悪感に襲われ、小松は己の操縦席を叩き潰さんと拳を振り上げた。だが、ここを潰せばミーコが入ってくれる 場所がなくなる、と脳裏に過ぎり、小松は振り上げた拳を震わせて硬直した。

「……ぐ」

「ここまで上手くいくなんて、日頃の行いが良いからっすね、きっと」

 山吹は内部の過熱で焦げ跡が付いた防護服を脱ぎ、ホルスターからハンドガンを抜いた。ハンマーが起こされ、 引き金が絞られた。銃声が轟く、かと思いきや、山吹の舌打ちだけが響いた。

「ちぇー。あの機体、所詮は試作品っすね。ガンがジャムるほど熱するなんて、非常識っすよ」

「非常識なのはお前だ、山吹丈二。お前さえ」

 いなければ、と続けようとしたが山吹は小松のイグニッションキーを乱暴に引き抜いた。途端にエンジンが停止し、 バッテリーの電圧も低下していく。ミーコのことが過ぎったせいで叩き潰す機会を逃したばかりか、小松の命である イグニッションキーを抜かれるとは。バッテリーの予備電源が作動しているので意識は保たれているが、稼働率は 最低だ。これでは、起き上がるどころか、土の中から風見鶏を掘り起こすことも出来ない。得意げに小松のキーを 弄ぶ山吹に罵詈雑言をぶつけたかったが、バッテリーは節約しておかなければ。

「山吹監督官!」

 自衛官の一人が小松の中にいる山吹の元に歩み寄り、紀乃が飛び去った方向を指した。

「北西側の斜面の洞窟にて、乙型一号を確保しました!」

「ご苦労様っす。んで、武士の情けは掛けてやったんすか?」

「と、仰いますと?」

 自衛官が訝ると、山吹はやや声を潜めた。

「だって、ほら、乙型一号、トイレに行きたがってたじゃないっすか。してなかったら、WACを見張りに付けてやって、やること やらせてほしいっす。でないと、なんか、ねぇ?」

「確かに、気が咎めますね」

 山吹とあまり年の差がない自衛官は笑うべきか否か迷ったようだったが、戦闘中の表情を保った。その自衛官は 装甲強襲車に向かい、呂号の世話をするために配備されている女性自衛官を呼び出した。ふて腐れている呂号は、 女性自衛官に一言二言文句を言ったが、現場での最高責任者である山吹の命令には逆らえず、女性自衛官は足早 に拘束された紀乃の元に向かっていった。山吹は小松の操縦席から飛び降り、拳を突き上げた。

「正義は勝ぁつっ!」

 すると、大股に歩み寄ってきた呂号が、おもむろに山吹の後頭部にエレキギターを叩き付けた。

「いだっ! 何するんすか、ロッキー」

 山吹がつんのめると、エレキギターを担いだ呂号は成長が乏しい胸を張った。

「僕は胸も尻も存分にある。僕の一人称は僕以外に有り得ない。僕はメタルファッションが最高に似合う。僕のヘッド フォンはアイデンティティだ。肯定以外は認めない」

「えー、と、そうっすねぇ……」

 山吹は答えに詰まり、口籠もった。紀乃の言ったことは大筋では間違いではない。呂号の性癖は、見慣れてきても 変だと思う箇所は多い。レザーにブーツにホットパンツのメタルファッションも、あまり脂肪が付いていない体では 似合っているとは言い難い。ああいった代物は乳房や太股ではち切れそうなほどレザーが張り詰めているからこそ 色気があるわけで、胸や尻に隙間があると魅力はぐっと下がってしまう。でも、それがいいって人種も多いしなぁ、と 山吹は言いかけたが、またエレキギターで殴られそうなので胸の中に止めておいた。
 赤面して俯いている紀乃が連行されてきたのを確認してから、山吹は防護服のポケットを探り、ビロードの小箱を 取り出した。だが、洒落た小箱は原形を止めないほど潰れていて、指輪も過熱したせいで歪んでいた。これでは、 秋葉に渡せるわけがない。保証書をどこにやったっけかなぁ、と記憶を探りながら、山吹は小松に背を向けた。
 その無防備な背を睨み付け、小松は悔しさと憎悪で呻いた。だが、エンジンが停止し、バッテリーも節電モードに 切り替えたため、音声は発声装置から零れ出さなかった。この腕さえ上がれば、この足さえ動けば、この頭だけでも 回れば、山吹を脳髄ごと叩き潰してくれるものを。この世はなんと不平等で、理不尽なんだろうか。
 ただ、都子を愛しているだけなのに。




 二人分の食器が、伏せられたままだった。
 紀乃の分と小松の分のおかずも皿に載ったまま、冷めている。付けっぱなしのテレビからは、二人の識別名称が 繰り返され、あきる野市郊外の山間部からの中継映像が延々と流れていた。自業自得だと言えばそれまでなの かもしれないが、忌部は変異体管理局側らしからぬ心境を抱いていた。無事に帰ってきてほしかった、と。
 ゾゾ、忌部、甚平は自分の分を食べ終えたが、誰も席を立とうとはしなかった。窓の外からガニガニが覗き込み、 不安げにヒゲと触角を揺らして顎を強く鳴らしている。明かりを付けているのに、なんとなく室内が薄暗いのは、紀乃の 明るい喋り声が聞こえてこないからだろう。甚平は膝に置いた本を開くべきか迷いながら、テレビに視線を向けて いる。ゾゾはテレビを見ているようで見ておらず、単眼の焦点はぼやけていた。

「忌部さん……」

 弱々しく呟いたゾゾは、顔を伏せて目元を押さえた。

「ミュータントは、拘束されたらどこに隔離されますか?」

「言えるか、そんなこと。非常識にも程がある」

 忌部は気を紛らわすために泡盛を傾けたが、強い酔いは回ってこなかった。

「え、あう、うぅ……」

 甚平は何か言いかけたが、雰囲気の重さに負けて口を閉じた。

「ああ、なんということでしょう」

 ゾゾは両手で顔を覆って項垂れ、尻尾も力なく垂らした。

「私の、あ、いえ、私達の愛すべき存在の紀乃さんが、ちょっとどころかかなりアレな感じですけど有能な小松さんが、 こうも簡単に拘束されてしまうなんて……。今頃、お腹を空かせているでしょうに。また、検査や何やらで辛い目に 遭わされてしまうでしょうに……。あぁ……」

「弱り切った声なんか出しやがって、お前らしくもない。悪いようにはならないさ、ミュータントは生け捕りが基本だ。 間違っても殺処分はされないはずだ。この国の行政は前例がなきゃ何もしないんだから、前例のない殺処分なんて 下すわけがない。たぶんな」

 忌部はゾゾの弱気に辟易したが、自分も少々引き摺られてしまった。紀乃も小松もいきなり殺処分されてしまっては、 さすがに後味が悪い。かといって、ゾゾに変異体管理局の内部構造をばらせば色々な意味で最後だ。

「あ、あぁ、あ……」

 甚平は窓の外のガニガニと向き合い、呻き声のようなものを漏らしていたが、恐る恐る忌部に向いた。

「あ、えと、ガニガニも、心配だって。紀乃ちゃんが戻ってこなかったら泳いででも助けに行く、っていうかで」

「行けるわけがないだろうが」

 不安を誤魔化すために苛立った忌部が切り捨てると、甚平は太い首を引っ込めて黒い目も伏せた。

「あ、その、それはその、きっと、ガニガニ的な決意表明っていうかで……」

「それがどうした」

 忌部は湯飲みに泡盛のお代わりを注ぐと、麹の甘い香りと濃い酒精を啜った。決意表明だけで物事が進んだら、 世の中はもっと円滑に回っている。気が滅入ったゾゾ、元々陰鬱な甚平、忌部には言動が理解しづらいガニガニ、 このメンツの中にいると息が詰まりそうになる。年頃の少女である紀乃の存在の大切さを嫌と言うほど思い知ったが、 この事態に真っ先に反応しそうなミーコの姿が見当たらないのが気掛かりだった。だが、事態を伝えるために 捜しに行くのも妙な話だ。それ以前に、ミーコがどこにいるのかも解らないのだから。

「どいつもこいつも、面倒臭いな」

 忌部は無意識にタバコを探ったが、フンドシからは何も出てこなかった。小松建造は宮本都子に並々ならぬ執着を 抱き、宮本都子も小松建造に思い入れがあるような言動を取っていた。その間に挟まれて殺されかけた山吹は 良い迷惑だが、その山吹の手で小松を捕まえるのは因果応報だ。部下の一人としては山吹の活躍を喜ぶべきなの だろうが、釈然としなかった。きっと、小松のログハウスが壊れたままになっているせいだろう。せめて完成させて から捕まってもいいだろうに、紀乃は勘弁してやってもいいじゃないか、などと考えてしまった。以前だったら、もう少し 突き放して考えられていたのだが、生活を共にするようになったせいだろう。疎むべきインベーダーを、一人の人間 として見てしまっている。現場調査官としては良くないことだと思いつつも、自分の人間臭い曖昧さにほっとした。
 それきり、皆、一言も喋らなかった。





 


10 8/12