南海インベーダーズ




変異体隔離特区掃討戦線



 三日目の朝が訪れた。
 いつものように、忌部島は、世間からは疎んじられても太陽からは祝福されているかのように真っ直ぐな日差しを 浴び、あらゆる命が生き生きと輝いていた。目に染みるほど色味が濃く、鮮やかすぎるほどだ。だから、影もおのず と濃さを増す。ろくに目に見えないほど薄い影であろうとも、影は影だ。どこで何を履き違えたのだろうか、今一度、 考え直さなければならない。このまま進み続けたら、間違いなく後悔する。普通に生きるのが信条だった男は、一体 どこに逃げ出してしまったのだろう。忌部の心を長らく苛んでいた父親が無様に死んだから、タガが外れてしまった のかもしれない。翠にしても、抱き締めるだけにしておくべきだったのだ。本当に妹を愛するのなら、見苦しい男の 欲望などぶつけるべきではない。翠を何らかの形で利用してニライカナイへと通じる道を開くことが出来たとしても、 その先はどうするつもりだったのだろう。ようやく外界に触れられ、新鮮な刺激を受ける喜びを振りまいている翠を 再び狭い世界に押し込めるつもりだったのか。哀れで孤独な娘を思うがままに貫くつもりだったのか。
 引き返すなら今だ。だが、どうやれば事態を打開出来る。忌部はテーブルに置いた無線機を睨みながら、懸命に 報告する文面を考えていた。情報を使って限りなく真実に近い嘘を作らなければ、山吹はともかく一ノ瀬真波が納得 しないだろう。虎鉄と芙蓉は強力なミュータントだ、適当なことを言っても作戦は強行されてしまうだろう。翠を昼間の 太陽の下に出して暴走させてしまえば追い返せるかもしれないが、それでは本末転倒だ。翠が暴走してしまえば、 忌部にはそれを収める術はなく、戦いが起きるよりも悪い結果になる可能性が高い。だが、このままでは。

「はいどうぞ、忌部さん」

 忌部の前に熱いドクダミ茶の入った湯飲みを置いたゾゾは、椅子に座った。朝食が終わって片付けも終わると、 居間兼食堂の教室は穏やかな空気が流れていた。ガニガニを散歩に連れ出している紀乃の声が遠くから聞こえ、 小松の鈍い駆動音が工作場から流れ、甚平の気配は消え失せている。なぜか、ミーコの声は聞こえなかった。

「……俺はどうしたらいい」

 忌部がテグスのように透けた髪を掻き乱すと、ゾゾは自分の湯飲みに口を付けた。

「どうもこうもありませんよ。忌部さん達が私達にどうなさろうと、それはあなた方の勝手ですから」

「ゾゾは俺達の考えに気付いていたのか?」

「とっくに感付いていますとも。あなた方との付き合いも長いですからねぇ」

 ゾゾは太い尻尾をゆらりと振り、朝日の明るさに合わせて瞳孔が収縮した単眼を向けてきた。

「翠さんも生体兵器なのですね?」

「……ああ。能力は一昨日の夜に説明した通りだ。だから、使いどころが難しすぎて封印も同然だったんだ」

 隠す意味はない、と開き直った忌部は、ゾゾの入れたドクダミ茶を啜った。いつにも増して、苦かった。

「乙型生体兵器二号。実用化に至っていないから、紀乃と一緒でコードネームはない。以前、波号がミーコの作った ガの化け物を迎撃した時に能力をコピーして戦ったんだが、記録映像だけでも凄まじかった。巨大化した翠の体長は 百メートル、というのが公式のスペックではあるんだが、紫外線の量が増えれば増えるほどに細胞の質量が増大 するから、日光に曝している時間が長くなれば手に負えなくなってくる。波号がコピーして巨大化した際には、呂号の 音波で沈静化を図り、海に落として意識を失わせたから元の姿に戻ったが、オリジナルの翠には実戦経験が一切 ないから当然細かいデータもない。だから、何がどうなるか予測も付かないんだ。上はそれが狙いだろう」

「暴走させた翠さんごと、我々を全滅させる腹ですか」

「恐らく。一時的に忌部島から追放する気なんてない、本気で倒すつもりでいるんだ」

「忌部さんは、私達がお好きなのですか?」

「少なくとも嫌いじゃない。嫌うべき立場にいるはずなのに、お前らを心の底から疎めないんだ。俺も変な体になって いるからだろうが、突き放してしまいたくないんだ」

「ええ、解りますとも」

 ゾゾは湯飲みを置き、深く頷いた。

「俺は、本当にこのままでいいんだろうか」

 忌部は両手を組んで肘を突き、額を当てて項垂れた。

「変異体管理局の連中も嫌いじゃないし、俺を今の今まで生かしてくれた職場だし、好かれてはいないが居心地は そう悪くない。伊号も呂号も波号も、生意気だが可愛いと思っている。山吹も、田村も、主任も、役に立たないなりに 俺のことを使ってくれている。給料もそれなりだ。だから、そのままでもいいと思ってもいる。だがな、ゾゾ」

 目線をテーブルに落とした忌部は、自分自身の希薄な影を見つめた。

「どっちつかずのコウモリのままでいたら、いつか俺自身が潰れちまうような気がするんだ」

「それはそうかもしれませんね。あちら側にいるにせよ、こちら側に来るにせよ、自分の内に芯を据えていなければ 足元はぐらついてしまいます。誰かを守ろうと思うのなら、尚更ですね。失うものだってありましょう、傷付くことだって ありましょう。ですが、自分を誤魔化して逃げ道に入り込むよりはいいと思いますけどねぇ」

 ゾゾはドクダミ茶と一緒に出したパパイヤの漬け物を一枚取り、がりぼりと囓った。

「他にも、何かおありなのですか?」

「まあ、色々とな」

 忌部は顔を上げ、ゾゾに倣って漬け物を囓った。

「お前に言っても解らないだろうが、自分の中だけで処理出来そうにないから言ってしまおう。この前、俺の親父が 死んだんだが、兄貴が何年も前に家を出ているから俺が家督を継ぐことになったんだ。といっても名前だけだがな。 財産は親父が生きている間に食い潰しちまったから、本当に名前だけなんだ。だが、その名前が厄介でな」

 二枚目の漬け物を囓り取った忌部は、湯飲みを取った。

「俺は当主になって、御前とやらにされちまったんだ。で、翠の実家の御前とやらが、俺に子供を早く作れって内容の 手紙を寄越してきたんだ。跡取りが必要なほど、立派な家系だとは思えんが」

「忌部さんが、御前……ですか?」

 ゾゾの語尾が不自然に上がり、ぎゅうっと瞳孔が広がった。

「そうだ。何か」

 知っているのか、と言いかけた忌部に、ゾゾはテーブルを乗り越えて掴み掛かってきた。

「そのような身の上であるにも関わらず、あなたは翠さんに手を出したというのですかっ!?」

 忌部の素肌の両肩にゾゾの太い爪が食い込み、零れ落ちそうなほど見開かれた単眼が迫る。

「ああおぞましや、穢らわしや、恐ろしや! あの男のイカれた血は、今も尚あなた方を狂わせているのですか!」

 ゾゾは忌部を揺さぶり、鼓膜近くまで裂けた口を全開にして牙を剥いた。

「あなたは翠さんに近付いてはいけません、それ以前に手を出してはいけません、交わるなど以ての外なのです!  それなのに、ああそれなのに!」

「どうして、知っている?」

 翠と交わったことはまだ誰にも話していないのに。忌部がゾゾの剣幕に臆すると、ゾゾはぶうんと尻尾を振った。

「解りますとも。私があの腐った男とどれだけ付き合ってきたと思っているのですか? あの男の血族は、皆、同じ 血を引く者と交わることになっているのです。強靱な意志があろうとも、他に思い人がいようとも、男でも女でも なかろうとも、交わらざるを得ないのです。そういうことになっているからです」

「そういうこと、って……。まさか、生体改造されているのか? 俺の家系も、翠の家系も」

 忌部が身動ぐと、ゾゾは苦しげに単眼を細めた。

「ええ。そうなのですよ」

「それはお前なんだろう、ゾゾ! お前が俺達の体をおかしくして、俺達の頭もおかしくしたんだろう! だから、お前は ずっとこの島に隔離されているんだろう! だったら、どうして俺の体を元に戻してくれないんだよ! 翠の体も、 日差しを浴びられるようにしてやらないんだ! お前にはそれが出来ると思ったから、俺はこの島に来たんだよ!  それなのに、なんで何もしないんだ!」

 忌部はゾゾと頭をぶつけかねないほど身を乗り出し、腹の底から叫んだ。

「出来ないからですよ」

 ゾゾは忌部の肩に食い込ませていた爪を緩め、忌部の透き通った血が薄く付いた爪を下げた。

「今の私には、計算をする頭はありますが、成体と化した生命体の生体改造を行える設備がないのです。この星の 文明も一万年のうちに目覚ましく発達しましたが、私の母星に匹敵するほどの科学技術には到底及ばないのです。 ハルキゲニアを大増殖させた際に実験してみましたが、古代生物の単純な生体組織であろうとも生体洗浄プラント への改造に耐えられないのです。あなた方人類は、私達からすれば非常にデリケートでソフトな生き物なのですよ。 これ以上生態系を悪化させてしまえば、一層イカれたミュータントが生まれてしまうでしょうが、あなた方一族は少し 目を離した隙に繁殖を繰り返してしまいます。ですから、今の私に出来ることはあなた方が生きる道を誤らないように 見守ることだけなのですよ」

「だから、紀乃を溺愛するのか?」

「ええ。とても可愛らしい方であると同時に、最も即物的な能力を宿しておられますからね。ですが、その危うさすらも、 私には愛おしくてならないのです。無闇に人を憎まずに心から笑えるように、狂おしい世界の中であろうと他人から 好かれる喜びを忘れてしまわないようにと、私は紀乃さんを愛しているのです。個人的な感情も大きいですが」

「解る気がしないでもない」

 少しだけ平静を取り戻した忌部は、熱さを保っているドクダミ茶を啜った。

「俺達の家系が行きたがっているニライカナイって、やっぱりゾゾに関係あるのか?」

「それはもう」

 座り直したゾゾが頷き、口を開きかけた時、居間兼食堂の引き戸が乱暴に開いた。二人の目線が同時に向くと、 ミーコが突っ立っていた。日に焼けた肌には生気はなく、弾けそうなほど寄生虫がたっぷりと詰まった肉体は左右に 重心をずらしながら、奇妙な姿勢で歩いてきた。履き潰して擦り切れそうなビーチサンダルを引き摺りながら、ミーコは 忌部とゾゾの座るテーブルに向かってくる。外で転げ回っていたらしく、服から零れた砂と土が床に散らばった。

「御前」

 いつになく明瞭に発音したミーコは、忌部を見据え、首を真横に曲げた。

「御前は殺す。御前だから殺す。御前なら殺す。御前でなくても殺す。殺すロスロスロスロスロス」

「おい、ちょっと待てよ」

 忌部は腰を上げて後退ると、ゾゾはミーコを諌めた。

「ミーコさん。あなたが殺すべき御前は忌部さんではありませんよ、あの男ですよ」

「関係ないナイナイナイナイナイナァアアアアアイッ!」

 ミーコは首を元の位置に戻すと、獣じみた仕草で歯を剥いた。

「殺すロスロスロスロス、ミーコでミーコはミヤモトミヤコ! だから御前は殺すロスロスロス、死ね死ねネネネネ!  それがミーコがミーコのミヤモトミヤコ! ミーコをミーコのミヤモトミヤコは、そのために戦うだンダンダダダダッ! 全部が全部で全部を殺したらタラタララッ、ミーコはミーコのミヤモトミヤコでミヤモトミヤコはミヤモトミヤコ!」

 ミーコの目の焦点が忌部を捉え、見開かれた目に狂気とは異なる光が宿った。

「だから、ミヤモトミヤコはお前を殺す」

 敵意と殺意を溢れるほど漲らせたミーコは、両手をだらりと下げた。伸び放題の髪が垂れ下がってミーコの表情が 隠れたが、喉から絞り出すように呪詛を吐いている。喘ぐように小松の名を繰り返し、本家の御前様への恨み言 を汚い言葉で連ね、忌部の首を捻り潰す時を待ち侘びているかのように十本の指がでたらめに蠢いている。これに 恐怖を感じない人間がいたら、お目に掛かりたいものだ。忌部はゾゾに庇われながら後退ったが、すぐに壁に背が 当たってしまった。外に逃げたとしても、ミーコに追い掛けられれば一溜まりもない。ミーコの両手の指が急に動きを 止め、刃の如くぴんと伸びた。床を蹴り付けるために膝がくっと曲がり、跳躍に入りかけたが、ミーコは短く痙攣して 顔を上げた。その目は忌部から完全に興味を失い、ぎゅるりと一回転してから北側に向いた。

「来る」

 それが何かと、問う必要はなかった。輸送機が発する爆音の切れ端がかすかに届き、忌部島を満たす穏やかな 空気がびりびりと震え始めた。ミーコは忌部もゾゾも無視して窓を開けて外に飛び出し、駆け出した。忌部は一瞬、 命拾いした、と思ったが、ミーコに殺されなくても味方に殺されるかもしれない。翠が暴走することを前提とした作戦の 場にいながら回収されないのは、巻き込まれて死んでも構わない、ということだ。ゾゾに話すだけ話したからか、 不思議と変異体管理局に対する憎悪の念は沸かなかった。切り捨てられたのなら、堂々と開き直れる。
 もう、迷わなくて済む。





 


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