南海インベーダーズ




喪失、或いは消失



 段ボール箱にして、二つ分。
 蓋を閉じてガムテープを貼った山吹は、サインペンのキャップを開けた。忌部次郎 私物、と、丁寧とは言い難い 字でルームメイトであり年上の部下であり友人でもある透明人間の名を記した。ペン立てにサインペンを戻し、山吹は その場に胡座を掻いた。部屋の真ん中に置いたテーブルを境目にし、右側が山吹のパーソナルスペースであり、 左側が忌部のパーソナルスペースだった。山吹のベッドの周辺には山と私物が積んであるのに対し、忌部のベッド の周辺には雑誌の一冊もなかった。一年のほとんどを忌部島で勤務していたのだから仕方ないことかもしれないが、 ベッドの足元にある狭いクローゼットも、ベッドの下の収納スペースも、机の引き出しも、忌部次郎という人間の 息吹が感じられなかった。透明人間と化してからは露出趣味に目覚めたとはいえ、私服も下着も少なすぎるのだ。 思い出してみれば、忌部は海上基地からほとんど外に出なかった。欲しい物は基地内の売店で事足りる、と言い、 たまに山吹が誘っても応じなかった。忌部には、もっと歩み寄るべきだったのかもしれない。

「丈二君」

 ノックの後、ドアが開き、私服姿の秋葉が入ってきた。勤務時間外だからだ。

「あ、むーちゃん。手伝ってもらわなくてもいいっすよ、大した量じゃないっすから」

 山吹は腰を上げ、秋葉を出迎えた。

「はーちゃんはどうしたんすか? いつもなら、夜でも一緒なはずっすよね?」

「ここ数日、局長の部屋で寝泊まりしている。だから、問題はない」

「そうっすか」

 山吹が自分のベッドに腰を下ろすと、秋葉もその隣に座った。忌部次郎の名が書かれた段ボール箱を見下ろした 秋葉は面差しに複雑な感情を覗かせたが、控えめな声色で呟いた。

「忌部さんの私物はどうなる」

「普通なら実家にでも送り返す、ってことになるんすけどねぇ。あの人、実家は当の昔に取り壊されちゃったし、親父 さんはこの前火葬されたし、親父さんの後妻の住所は知らないし、お兄さんが一人いるらしいっすけどそっちの行方 も全然解らないしで。焼却処分されるか、証拠品として押収されちまうんすかね」

「それは冷酷」

「俺もそう思うっすよ。でも、俺らには忌部さんの人生に踏み込めるほどの力はないんすよ」

 ベッドに仰向けに寝転がった山吹は、後頭部で手を組んだ。窓の外には、臨海副都心の夜景が見える。

「主任に寄れば、あの人、翠さんってーか乙型二号に手ぇ出したらしいんす。それが本当か嘘かは解らないっすし、 忌部さんと翠さんの言い分を聞かなきゃ、どうしてそうなったのかも解らないっすけど、そうなっても仕方ないよなって 思っちゃったんす。忌部さんも翠さんも、なんてーか、一人だったから」

「だったら、今、二人は幸福なのだろうか」

「だと、いいっすね。二時間前に輸送機で帰投した虎鉄と芙蓉の報告に寄れば、倒せたのは巨大ヤシガニとミーコ だけっすから、忌部さんも翠さんも無事っすから。だから、きっと……」

 山吹は深呼吸するように吸排気を行い、ごろりと転がって秋葉の腰に腕を回した。

「むーちゃん。俺達がやっていることって、正義っすよね? 悪いことじゃないっすよね?」

「そうだと信じている」

 秋葉は膝に乗ってきた山吹の頭部を、年齢のわりに小さな手で撫でた。

「私達が戦えば、どこかの誰かが危機を逃れる。私達が都心を守れば、国家の機能が守られる。私達が苦痛を全て 受け止めて耐え抜けば、憎悪の連鎖が生まれずに済む。私達が手を汚せば、犠牲は少なくて済む。それを正義と 呼ぶのならば、紛れもない正義に違いない」

 山吹の冷たい外装に触れていた手を外し、秋葉は自分の手を見つめた。

「けれど、いかに潔白な正義であろうとも、行使すればするほどに犠牲は生じる」

「その仕事は、俺のっす。だから、むーちゃんがそんなに思い詰めることはないっすよ」

 山吹は片手を上げ、秋葉の手を取った。

「乙型五号も無事起動したし、訓練を一通り終わらせれば、実戦配備出来るっす。だから、心配することないっす」

 秋葉は山吹の手と指を絡め、目を伏せた。

「丈二君は私が守る。九年前にも丈二君を守れたから、今度もきっと守れる。だから、私が戦う」

「え……」

 それは、まさか。山吹が秋葉と絡めた指を硬直させると、秋葉は恐ろしく澄んだ眼差しを向けてきた。

「乙型五号は私が指揮を執る。忌部島掃討を軸にし、対インベーダー作戦を展開する。丈二君は戦わなくていい」

「で、でも、そんなことをしたら、忌部さんも翠さんも」

「あの二人は今日付でインベーダーとして認定された。攻撃しても罪に問われない」

「ほ、本気っすか?」

「だから、丈二君は何も心配する必要はない」

 秋葉は山吹を見つめ、優しく微笑んだ。山吹は反射的に秋葉の膝から顔を起こし、後退した。秋葉は不思議そうに 目を丸め、腰が引けているサイボーグを見やった。九年前も山吹を守った、ということは、まさか彼女は。

「むーちゃん、まさか、まさかたぁ思うっすけど、み、宮本都子を」

 頼む、嘘だと言ってくれ。山吹が声を上擦らせると、秋葉は笑みを保ったまま答えた。

「宮本都子は丈二君を苦しめていた。だから、私が」

「宮本都子は人間だったじゃないっすか! それなのに、なんてことをするんすか!」

 続きの言葉を聞きたくない一心で山吹が声を荒げると、秋葉はびくんと震えた。

「けれど、宮本都子はミーコであり寄生体一号であって」

「それでも人間じゃないっすか! だった、かもしれないけど、あの頃はまだ人間じゃないっすか! 忌部さんだって そうっすよ! 今までずっと仕事を一緒にしてきたじゃないっすか、それなのに攻撃するだなんて!」

「それが私達の仕事」

「かもしれないけど、でも、もうちょっと何かあるんじゃないっすか!」

 山吹は秋葉に詰め寄り、更に声を張った。秋葉は理解しがたいと言わんばかりの目で、山吹を見上げてきた。

「なぜ、怒るの」

「……もういいっす、むーちゃん。出てってくれないっすか」

「なぜ」

「むーちゃんのこと、嫌いになりたくないからっすよ」

 山吹が顔を背けると、視界の隅で秋葉は目を伏せた。唇を噛み締めてベッドから下りた秋葉は、お休みなさい、と 小声で言い残してから、部屋を出ていった。秋葉のことは理解していると思っていた。愛している分、隅々まで知って いると自負していた。秋葉は宮本都子との関係を知っているが、許してくれていたと信じていた。秋葉が何をしようと、 笑って許せるほど惚れているつもりだった。だが、秋葉は与り知らぬところで宮本都子を手に掛け、苦楽を共にして 国防に従事していた同僚を躊躇いもなく攻撃すると言った。命を張って守ろうと誓った女性なのに、今は嫌悪感 しか感じなかった。山吹は淀みや憤りや苛立ちが一気に溜まったが、吐き出す術はなく、振るいたくとも振るえない 拳を固めて肩を怒らせた。忌部を裏切った罪悪感と秋葉を信じ切れない情けなさが激しく渦巻く中、山吹は両手を 握り合わせて膝の間に置き、どがん、と力一杯ヘッドバッドを喰らわせた。
 何を信じて、戦えばいい。




 伊号からリクエストを受けるのは、珍しいことだった。
 それも、ちゃらちゃらしたJ−POPではなくエッジの効いたデスメタルだとは。激しい曲の最後の音色を弾き終えた 呂号はエレキギターを一回転させ、呼吸を整えながら、たった二人の観客がいるであろう位置を見下ろした。光量が 一際多いスポットライトの中からでは捉えづらいが、波号の小さな拍手の音が聞こえてきた。呂号はアンプの電源を 落とし、エレキギターからケーブルを抜いてから、最前列に座る二人に近付くためにステージの端に立った。海上 基地内のホールはオーケストラでの演奏が可能な広さだが、その用途に見合った人数の音楽家が招かれることは ない。今のように、気紛れに呂号が使用してばかりだからだ。呂号はエレキギターを担ぎ、言った。

「イッチー。気が晴れたか」

「全然。つか、マジ意味ねーし」

 最前列に万能車椅子を止めている伊号は、ロボットアームでツインテールの毛先をいじった。

「あ、うんとね、格好良かったよ」

 波号は身を乗り出し、呂号を見上げてきた。呂号は口元の端を緩めてから、ステージの端に腰掛けた。

「イッチーはともかくとしてはーちゃんが気に入ってくれたのなら良かった」

「てか、なんだよあいつら。あたしらよりも先に手柄立てやがって。マジムカつくし」

 伊号はロボットアームを使って頬杖を付き、派手に舌打ちした。波号は一際機嫌の悪い伊号に臆したのか、呂号の 足に縋ってきた。呂号は波号の頭をぽんぽんと撫でてやりながら、彼女に同調すべきか否かを思案した。伊号の 苛立ちの原因は、言うまでもなく、新たに配備された乙型生体兵器の活躍だった。虎鉄と芙蓉は一ノ瀬真波直属で あり、甲型と乙型は扱いからして違うので厳密には同じ編成ではないのだが、対インベーダー戦で運用されることは 代わりはない。そして、その虎鉄と芙蓉は忌部島に直接乗り込み、ガニガニとミーコを撃破して帰投した。これまで、 伊号らの活躍と言えば首都防衛ばかりだった。それが無益だとは言わないが、真っ向から敵を叩き潰すことだけは 許されなかった。間接的にダメージを負わせることは許可されていたが、直接攻撃は不可能だった。山吹と秋葉に 寄れば、伊号らが未成年なので細々とした制限があってそうせざるを得ないらしいだが、生体兵器に大人も子供も ないと伊号も呂号も波号も思っている。虎鉄と芙蓉は当の昔に成人しているから、というだけで、これまで伊号らの 誰も成し得なかった最大の手柄を奪い去っていった。それが悔しいのは、皆、同じだった。

「あーもうっ、マジつまんねーし!」

 伊号が苛立ち紛れに叫ぶと、荒く波打った脳波がアンプを鈍く鳴らし、ホール全体を震わせた。

「てか、あたしらなら一秒で全員殺せるし! 乙型一号だって異星体一号だって敵じゃねーし!」

「そうだ。僕達に敵はいない。殺せない敵もいない」

 ぎゅりいいっ、と呂号はエレキギターの弦を擦り、鳴らした。

「その人達を倒したら、局長は一杯一杯褒めてくれるんだよね?」

 呂号の足にしがみつきながら、波号はご褒美の愛撫を期待して頬を緩めた。

「もちろんだ。しかし局長に褒められるのはこの僕だ。イッチーともはーちゃんとも協定は結ばない」

 呂号はピンヒールのブーツを履いた足を波号の腕から引き抜き、波号から遠ざかった。

「当たり前だし。てか、手ぇ組んだら組んだだけ、あたしが褒められる量が減るし?」

 伊号は万能車椅子を反転させ、キャタピラを回転させて出口に至る階段を昇り始めた。

「あっ、待ってよぉ、一人にしないでよぉ」

 波号は不安げに伊号に追い縋り、転びそうになりながらも階段を昇っていった。二人の足音がホールの外に出て いった気配を聞き取ってから、呂号はエレキギターを爪弾いた。デスメタルを心行くまで演奏した痺れが残る指先で 手慰み程度に弦を弾きながら、どんな曲でインベーダーを殲滅するべきかを思い描いた。この目で現場を目の当たり にすることは出来ないだろうが、インベーダー共の悲鳴は極上のメタルに違いない。連中の中でも特別に嫌いな 乙型一号こと斎子紀乃の断末魔は、考えただけでもぞくぞくする。だが、インベーダーを殲滅するとなると、気弱で 鬱陶しいが意外に博識なサメ男、鮫島甚平をも殺すことになってしまう。途端に手元が狂い、びょいん、と的外れの 音色が出てしまい、呂号は羞恥に襲われた。あんなに鬱陶しい男に間違っても好意を抱くわけがない、増して相手は 悪しきインベーダーだ。だが、一度胸中に過ぎった動揺はなかなか振り払えず、その後も何度か音を外した。
 こんなことは、初めてだ。





 


10 9/7