南海インベーダーズ




湾岸怪獣騒動



 作戦の第一目標は、謎の物体を東京近郊の漂着を阻止することである。
 出来る限り海上で破壊し、回収する。そのためには、的確で迅速な行動が不可欠だ。制服から戦闘服に着替えた 秋葉は資料と書類が詰まった分厚いファイルと通信機器を携えて、たちかぜ型護衛艦の船首付近に立っていた。 電影と山吹丈二専用人型軍用機の二機は甲板にワイヤーで機体を固定されており、船体の動きに合わせて耳障りな 軋みを立てていた。海上自衛隊の自衛官達が忙しなく働くのを横目に、秋葉は謎の物体の位置を補足するべく、 睨んでいた。自機の傍で待機している山吹は直立していて、微動だにしない。件の肉塊は護衛艦の甲板からも視認 出来るほど巨大で、海流に合わせて緩やかに漂っていた。それなりに浮力はあるらしく、赤黒く濡れた表面が波間に 上下している。潮風には酸味混じりの腐臭が混じり、秋葉はほんの少し頬を引きつらせた。

「電影とジョージーがぶっ壊すんはあれなんさー?」

 前傾姿勢でワイヤーに縛り付けられた状態の電影は、首を伸ばして肉塊を見ようとした。

「そう。破壊、及び回収が私達に与えられた任務」

 秋葉が答えると、山吹は二人の会話に混じろうと顔を向けたが、結局何も言わずに海に視線を戻した。言いたい ことがあるなら言えばいいのに、と秋葉は言いかけたが、嫌味ったらしいので飲み込んだ。山吹は格納庫で秋葉に 挨拶してきた時以来、秋葉に目もくれようとしない。それでも、電影との会話が気になるらしく、その度にゴーグルを 向けてくるが、それだけでしかない。話し掛けるなら話し掛ける、無視するなら無視する、どちらかに決めてくれ、と 思ってしまった。愛想を尽かしているのなら、それを貫いて欲しかった。虎鉄と芙蓉が言ったように、実戦配備されて 間もない電影には経験は皆無だ。完全自立型とはいえ、人型軍用機も援護がなければ満足な戦闘は行えないし、 変異体管理局内で目下のところ人型軍用機に搭乗出来る耐久力を持っているのはフルサイボーグである山吹だけ だが、気まずいことこの上ない。秋葉は任務には私情を挟まない主義ではあるが、さすがに今回は無理だ。電影に だけ気を向けていたいのに、山吹が気になって気になって仕方ない。目を合わせづらいのに顔を見て話したくなり、 甘えてはいけない状況下だから余計に抱き付きたくなって、この数週間に積もり積もった思いをぶちまけたくなる。 しかし、そんなことをしてしまえば、秋葉がこれまで積み上げてきたものが台無しになるどころか変異体管理局という 省庁の沽券にも関わりかねない。

「アキハー? どうかしちゃんさー?」

 電影は這い蹲るように身を伏せ、秋葉を覗き込んできた。顔に出ていたのか、と秋葉は取り繕った。

「大丈夫、問題はない」

「前方、三百メートル地点に目標を確認しました!」

 環境から報告を受けた自衛官が秋葉に伝えてきたので、秋葉は頷いてから、電影と山吹に指示した。

「電影、山吹一尉、両名とも戦闘態勢に入れ。これより、目標物への攻撃を開始する」

「了解やいびーん!」

「了解しました!」

 電影と山吹は威勢良く答え、山吹は遠隔操作で自機の胸部装甲を開き、狭苦しい操縦席に身を収めた。山吹が ハッチをロックしたのを確認してから、自衛官達が手際良く動いてワイヤーが一本一本外されていった。電影もまた 自由を取り戻し、山吹よりもワンテンポ早く直立した。モーターの唸りを上げながら両足を伸ばして立ち上がる山吹機を 見上げると、Defeat the Invaders! と I Love AKIHA! とのノーズアートが地味なアーミーグリーンの外装の中 では浮いていた。脚部のシリンダーを縮め、廃熱の蒸気を薄く噴きながら立ち上がった山吹機は、足元に立つ秋葉を 見下ろしてきた。秋葉は表情を強張らせ、山吹機と電影を見据えて命じた。

「目標物の正体は不明であり、いかなる事態が発生するのかは予測不可能である。よって、この任務に最も重要 なのは情報判断能力であり、臨機応変な対応が求められる。故に」

「つまり、現場の判断でどうこうしてもいいってことなんさー?」

 電影が言うと、秋葉は同意した。

「要約すればそうなる」

『ではこれより、山吹、電影、出撃します!』

 山吹機は敬礼し、新たに両脚部に装備されたスラスターを全開にさせた。ぐっと両膝を曲げて甲板を踏み締め、 強靱なシリンダーを伸ばして跳躍すると、一息で数十メートルの高さまで飛び上がった。続いて同じ動作で跳躍した 電影も山吹機と等しい高度まで飛び上がり、自衛官の間から感嘆の声が漏れた。両機は緩やかな放物線を描いて いたが、両脚部のスラスターからアフターバーナーを噴出して肉塊との距離を一瞬で詰めると、スラスターを切って 肉塊の真上に着地した。が、足場が予想以上に柔らかかったのか、電影も山吹機も前のめりに転倒した。

「あがひゃ!?」

『うっだら!?』

 着地の勢いが殺し切れていなかったせいで、電影も山吹機も真正面から顔を突っ込んだ。先に起き上がったのは 山吹機で、機体の前面に貼り付いた粘液を両手のマニュピレーターで剥ぎ取ろうとするが、滑り抜けた。

『うっげー、なんすかこれー……。ねっとねっとのにっちゃにっちゃっすよ、冷蔵庫の片隅で忘れ去られていた先週の お総菜状態っすよ、マジ最悪っすよ。うっへぇ、匂いが気密パッキン擦り抜けてきたっす! おう気持ち悪っ!』

「でーじカジャーなんさー!」

 山吹機と同じく前面が汚れた電影も派手に嘆くが、山吹機は訝った。

『てか、俺はともかくとして電影は匂いが解るんすか? ロボなのに?』

「解るものは解るんさー! でーじハゴーなんさー!」

『珪素生物でも生き物は生き物ってことっすかねぇ』

 マジ不可解っすけど、と山吹機は首を捻りつつ、右腕の飛び出しナイフを出した。対小松戦で使用したが交換が 必要なほど消耗していなかったので、小松の黄色と黒の塗料が刃に付着していた。両足を広げて重心を安定させ、 右腕を振り上げてナイフを肉塊に突き刺した。が、腐敗しているために呆気なく根元までナイフが埋まってしまった。 結果、右腕を動かせなくなった山吹機は踏ん張るが、踏ん張れば踏ん張るほどに両足も埋まり込んだ。

『あ、あら?』

「チバリヨー、チバルんさー!」

 電影は山吹機を後ろから抱えて支えたが、山吹機の飛び出しナイフが突き刺さった傷口から溢れ出した黄ばんだ 粘液がごぶりと足元に広がった。それを思い切り踏んでしまった電影は背中から転倒し、電影に腹部を抱えられて いた山吹機はその勢いで右腕と両足は引っこ抜けたが、勢い余って綺麗なバックドロップを決められた。

「な、なんくるないさー?」

 頭から肉塊に突き刺さった山吹機に、電影が恐る恐る声を掛けると、山吹機は強引に頭を抜いて言い返した。

『なんくるあるっすよ! ないわけがないっすよ、ないわけが!』

「えー、そんなにちれんけー! 電影だってシカンダー!」

『と、とにかくっ、やることやって風呂に入るっすからね! プロレスごっこしてる暇はないっすよ!』

 山吹機は頭部に貼り付いた溶けかけた肉片を剥ぎ取ってから、左腕の外装を開き、スタンガンを展開した。

「了解やいびーん!」

 電影も左腕に内蔵されているスタンガンを展開し、ばちり、とヒューズを散らした。山吹機の飛び出しナイフと右腕が 深く埋まった傷口の断面からは、腐敗した表面よりはいくらか新鮮味のある色合いの肉が覗いていた。筋繊維が 幾重にも絡まっていて、心臓の断面を思わせた。風が吹き付けると条件反射でひくつき、その度に膿のような粘液 がでろりと溢れた。全長五十メートルもの体積を持つ肉塊は海洋生物の死骸である可能性もないわけではないが、 地球上最大の生物であるシロナガスクジラであっても全長二十五メートル程度でしかなく、そうだとすれば腐敗した 表面から骨が飛び出していてもいいはずだし、内臓から消化途中の小魚などが零れ出しているべきなのだが、この 肉塊にはそのどちらもない。骨格も皮膚もヒレも内臓も見当たらず、さながら特撮番組に登場する怪獣から誰かが 切り分けて海に投げ込んだかのようだ。考えられる線は、ミーコの寄生虫によって巨大化した生物の死骸だろうが、 ここ最近のミーコの動きは大人しく、伊豆諸島で波号と交戦した巨大ガを最後に巨大生物を関東に送り込んでくる 様子はない。だとすれば、一体、何の生物から切り離された肉塊なのだろうか。

『いっせぇーの!』

「せいっ!」

 二機が同時に打ち込んだスタンガンから数百万ボルトに匹敵する高出力の電流が放出され、一瞬、青白い電流が 肉塊の上を駆け抜けた。山吹機と電影の左腕から伸びるワイヤー針型電極の周囲から、湯気と煙が入り混じる 白い筋が流れていた。絶え間ない海風がそれを晴らすと、ずぶ、と山吹機はスタンガンを引っこ抜き、ワイヤー針に 付着した肉塊の組織を振り払った。過熱したために茶色く変色していて、刺激臭のある湯気を昇らせている。

『効果はナシっすね、ナシ』

 山吹機が肩を竦めると、電影もスタンガンを引き抜こうとした。が、何かに引っ掛かり、抜けなくなった。

「ないんさー。って、あいさー?」

『何すか何すか、今度は俺が電影をバックドロップでぶん投げる番っすか?』

 山吹機が電影を助け起こそうと近付こうとすると、肉塊の表面に空いた穴に足を取られ、背中から転んだ。

『ふぐおっ!?』

「ジョージー、なんくるないっ」

 さー、と言いかけた電影を、突如、肉塊から飛び出した触手が絡め取った。人型軍用機の手足よりも太さのある 肉の帯が何本も絡まり、引き摺り倒される。電影はそれを引き千切ろうとするが、腐敗液と粘液が摩擦を奪い取り、 マニュピレーターはまるで役に立たなかった。出しっぱなしにしていたスタンガンの上にも肉の帯が被さり、右腕の 飛び出しナイフも外装を塞がれたために展開出来ず、恐るべき力を持つ肉の帯によって電影は牽引されていった。 山吹機が起き上がった時には既に遅く、電影の機体はずぶずぶと肉塊の内へと沈み込んでいった。

『電影!』

 山吹機はせめて電影のマニュピレーターを掴もうと腕を伸ばすが、それが届く寸前で新たな肉の帯が伸び、電影 の機体を隙間なく包み込んだ。赤黒い繭に覆われたかのような様相の電影はもがいていたが、為す術もなく、肉塊 に没し、みぢみぢみぢ、と電影の形をした穴が筋繊維に塞がれてしまった。山吹機は拳を固め、打撃を放った。

『このっ!』

 両腕のシリンダーに掛けられるだけの油圧を掛けて、肉塊全体が揺れるような打撃を何度も繰り出すが、肉塊は 黙したままだった。再びスタンガンを打ち込んで放電するが、反応すらない。粘液のせいで切れ味が格段に落ちた 飛び出しナイフででたらめに表面を切り裂きながら、山吹機は叫んだ。

『電影、応答しろ! 応答しやがれ、でないと困るんすよ!』

 山吹機の刃が切り裂いた傍から傷口が塞がり、重なり合い、繋がり合った筋繊維が膨らむ。

『期待の新人なんすからっ!』

 腰を大きく捻って切り裂いた傷も、一瞬で塞がる。

『でもって、むーちゃんの部下なんすからっ! しっかりしやがれ!』

 右腕全体が没するほど深く突き刺した飛び出しナイフは、根本が軋み、割れた。

『畜生、この安物が!』

 毒突いた山吹機は飛び出しナイフの根本を引き千切って捨てると、両手で直に傷口を掘り返し始めた。

『電影、電影、なんでもいいから返事をするっす!』

 人型軍用機の太い指が、雑草のように筋繊維を引き千切っては海面に撒き散らす。しかし、筋繊維は一つ一つが 異常に太い上に再生能力が早く、飛び出しナイフで切り裂くよりも遙かに効率が悪かった。だが、電影が肉塊の中に 没しているのでは護衛艦から爆撃するわけにいかず、現状では肉塊の上で行動出来るのは山吹機のみで、秋葉は 護衛艦の甲板から事の次第を見守るしかなかった。山吹機が肉塊を掘り返し始めて数分経過しても、尚、表面には 穴どころか凹みも出来なかった。それでも山吹機は諦めずに肉塊を掘り起こし続けていると、手応えがあった。

『電影!?』

 確かに、今、マニュピレーターに硬いものがぶつかった。山吹機はその地点を特に深く掘り起こしていくと、またも 手応えが返ってきた。今度は五本の指の先端が擦れ、外装らしきものが垣間見えた。山吹機は太い筋繊維の束を 掻き分けて肉塊の中を覗き込むと、電影に近い質量を持つ物体が埋もれていた。これに間違いない、と山吹機は その物体を掴み取ろうとすると、山吹機の十数メートル後方で筋繊維が盛り上がり、破裂した。

「ぶっはー! てーげ苦しかったんさー!」

 全身に絡み付く筋繊維を千切りながら肉塊から脱した電影は、頭を左右に振って切れ端を振り払った。

『……え?』

 じゃあ、こっちは一体誰だ。山吹機は唖然としながら両腕を引くと、筋繊維まみれの電影も覗き込んできた。

「ジョージー、これはなんなんさー?」

『それは俺が聞きたいっすよ! てか、なんで、こっちに埋もれたはずなのにあっちから出てくるんすか!?』

 山吹機が今し方掘り起こした穴と電影が出てきた穴を交互に指すと、電影は首を傾げた。

「グジガーニんさー。電影、最初はジョージーが掘ってくれた場所に埋まったんさー。ヤシガ、気ぃ付いたらあっち側に いたんさー。んで、それ、何なんさー?」

『それを調べるのが俺らの任務っすよ、任務。だから、俺と協力してこいつを外に……』

 山吹機は穴の奥底に埋もれている物体を指し示すと、それが動いた。でたらめに掘り返した穴を中心にして一筋の 裂け目が生まれ、肉塊がぶるりと身震いした。その拍子に山吹機と電影はよろけたが、辛うじて海には落ちずに 踏み止まった。粘液と血を思わせる赤黒い液体の混じった糸を引きながら開いた裂け目が、何者かの腕によって 押し開かれた。無数に飛び散った体液の雫が海水に落ち、波間が濁る。台風一過の鋭い日差しが、外界に現れた ばかりの異形をてらてらと輝かせた。ぐじゅり、と肉塊の上に出来た体液の池を踏んだ物体は、青黒くごつごつした 装甲に覆われた人型軍用機に似たものだった。その両腕は甲殻類の鋏脚に酷似し、両足は太く長いがバランスが 悪く、分厚い甲羅を背負っているせいか前傾姿勢で、丸まった尻尾の下には球状の腹部が収まっていた。

「ヤー、ガニなんさー?」

 電影が臆せずに異様な生物に声を掛けると、体長十メートル近いそれは、首と一体化した頭部を捻った。

「電影は電影ってんさー。んで、こっちはジョージー。ヤーはなんていうんさー?」

『電影、それに話し掛けたってダメっすよ。大体、知能があるかどうかも解らないんすから』

 山吹機が電影の肩に手を添えて首を横に振ると、電影は笑った。

「なんくるないさー。このガニ、見た目ほど怖くねーらんさー」

『根拠もなしに適当なこと言うんじゃないっすよ。大体、この手の怪獣はヤバいって決まってんすから』

「カイジュー? このガニ、カイジューなんさー?」

『そうっすよー、怪獣っすよ、怪獣。大都会を破壊し尽くした挙げ句に光の国からやってきた制限時間付きの巨大な 戦士にぶちのめされちゃうタイプっすよ。でなきゃ、同じ怪獣同士で戦い合ったり、どこぞの五色のヒーローが乗った 巨大ロボに必殺技をぶち込まれて爆死したり、仮面を被ったバイク乗りに蹴りを食らったりするやつっすよ』

「カイジューって悪い奴なんさー?」

『そりゃあもう。インベーダーと同じくらいか、それ以上っすね。インベーダーについてはこの前教えたっすよね?』

「うー! 電影、アキハーに色んなことを教えてもらったさー! インベーダーってのは、でーじ悪いんさー!」

『だから、こいつはそれと同じなんす。仲良くする必要なんてないんすよ、どっこにも』

「ガニはカイジューででーじ悪いんさー? カイジューでインベーダーなんさー? だったら、電影は戦うんさー!」

 電影は拳を固め、巨大生物と向き直った。山吹機もスタンガンを出し、通電させた。

『そうそう、その意気っす! 俺らは政府公認の正義の味方なんすから!』

 巨大生物は、身構えた二機をじっと見つめた。胸部と一体化した頭部から飛び出した複眼は体液に濡れていて、 瞼が付いていないので瞬きすらせずに周囲の状況を捉えていた。こちこち、と顎を小さく鳴らし、長いヒゲを左右に 動かしていたが、護衛艦に視点を据えた途端にヒゲがぴたりと止まった。巨大生物の視線に気付いた秋葉は一瞬 身構えかけたが、肉塊から護衛艦までは三百メートル以上もの距離があることを思い出して警戒心を少し緩めた。 ごちん、と顎を強く打ち鳴らした巨大生物は、ハサミがぶら下がる両腕を引き摺るように歩き出した。

「あっ、そっちに行っちゃならんさー!」

 電影は巨大生物を掴んで引き留めようとするが、巨大生物はそれを容易に振り払い、何かに引き寄せられるように 肉塊の上を歩いた末に海に踏み込んだ。そのまま海に没するかと思われたが、背中の甲羅が縦に二つに割れ、 羽のような物体を広げた。魚のヒレのような光沢と昆虫の羽のような透明感を併せ持つハネを動かした巨大生物は、 一陣の突風と共に浮上して肉塊から脱し、かちかちかち、と顎を鳴らしながら護衛艦に向かっていった。

『こいつぁマジヤベェっす! 全速後退、迎撃準備っす!』

 山吹機は慌てて指示を出すが、それが護衛艦全体に行き渡るよりも早く、巨大生物は護衛艦の甲板に着地した。 思い掛けない衝撃と重量を受けて護衛艦は左右に揺れ、そこかしこから悲鳴が上がった。秋葉は船首の手すりに しがみついて耐えたが、もろに海水を被ってしまった。貼り付いた前髪に奪われた視界を取り戻そうと髪を払うと、 頭上に影が差し掛かった。腐臭と海産物特有の生臭みが襲い掛かり、軽く目眩を覚える。目を上げると、秋葉と 自衛官達の間にあの巨大生物が立ちはだかっていた。訓練の行き届いた自衛官達は、すかさず自動小銃を構えて 一斉射撃を行うが、巨大生物の分厚い外骨格はそれらを全て弾き飛ばした。硝煙の濃い匂いが漂う中、巨大生物は 何事もなかったかのように秋葉の前に膝を付くと、鋏脚を伸ばしてきた。

「アキハァアアアアアアアッ!」

『むーちゃぁあああああんっ!』

 電影と山吹機は声を重ねて叫び、肉塊の上から跳躍した。巨大生物は鋏脚を使って秋葉を柔らかく掴み取ると、 振り返り様にヒゲを振り上げた。それが海面に接すると、ばちり、と突然海面が青白く発光した。直接的なダメージは 一切なかったが視界を奪われた二機は方向を見失い、護衛艦の後部へと突っ込んだ。秋葉を大事そうに抱えた 巨大生物は、再びハネを広げて羽ばたいた。電影と山吹機が起き上がった時には、巨大生物は陸地を目指して 飛行していた。ぶべべべべべ、と昆虫よりも遙かに重たく力強い羽音が遠ざかり、進行方向には横浜のみなとみらい が見えた。山吹機は巨大生物と秋葉を追おうとするが、不時着の衝撃で両膝のシリンダーが破損してしまっており、 跳躍出来なくなっていた。スラスターは稼働するが、肝心の跳躍が出来なければ無意味だ。電影も似たような状態 らしく、片足を引き摺りながら起き上がっていた。山吹機は怒りに任せて甲板を殴りかけたが、ただでさえダメージを 受けた護衛艦を傷付けてはいけないと自制し、両の拳を握り締めるだけに止めた。

『全速発進! 目標、インベーダー、及び田村監督官補佐っす!』

 ここで混乱しては、助けられるものも助けられなくなる。山吹は人型軍用機の中で呻きを殺しながら、込み上がる 憎悪と憤怒と戦っていた。思い出されるのは九年前の出来事だ。これだから、インベーダーは許し難い。あのまま 大人しくしていれば生け捕りにしていたものを、秋葉に手を出したからにはただでは済まさない。機体が動く限りに 戦い抜き、あのおぞましい生物を必ず仕留めてやる。防護服を着ていても襲い掛かってくる機械熱よりも、どす黒く 粘り気を帯びた熱がサイボーグボディを這い回る。山吹は失ったはずの動悸を胸に感じ、荒く排気した。
 正義を行使しなければ。





 


10 9/25