南海インベーダーズ




侵略的主夫活動



 午前中一杯を使った掃除を終え、昼食の後にプリンが出てきた。
 紀乃は素焼きの器に入ったプリンに木製のスプーンを差して掬ったが、少々不満に思った。その理由は下らない もので、プリンが円錐台でなかったからだ。食べられるだけでも御の字じゃないか、と自分で自分に呆れてしまうが、 プリンと聞いてからずっと頭に思い描いていたのは黄色くてぷるぷるした円錐形だった。ゾゾが次にプリンを作って くれる時があるとしたら、その時には円錐形にしてくれるように注文してみよう。無理かもしれないが。
 ヤギ乳のプリンは、大きいボウルに満たして冷やしたプリンを大きなスプーンで掬って皿に載せたものだ。ゾゾは それだけでも充分だと言ったのだが、紀乃の注文で新たに作ったほろ苦いカラメルソースを掛けた。紀乃はカラメル ソースの絡んだ硬めのプリンを信じられない気分で見つめていたが、ゾゾから促され、紀乃はプリンを味わった。 バニラの香りこそしなかったが、卵のまろやかさと動物性生乳のコクが凝結した甘い洋菓子に違いない。

「プリンだぁ……」

「ええ、プリンですとも」

「でも、どうしてゾゾはプリンなんて作れるの?」

 市販品よりも濃厚で味わい深いヤギ乳のプリンが一発で気に入った紀乃は、嬉々として二口目を食べた。

「これもまた、人間を理解するために不可欠なことだからですよ、紀乃さん」

 ゾゾは自分の皿に盛ったプリンを掬い取り、口を開いて舌先で絡め取った。

「誰かを喜ばせるためとかじゃなくて?」

 紀乃は不思議がったが、ゾゾはそれを不思議がった。

「私がプリンを作ることで誰が喜ぶというのですか?」

「だって、これ、おいしいし」

 甘いものに飢えていた紀乃は、あっという間にプリンを食べ終えてしまった。

「私は、誰かを喜ばせるために行動に出ることはありません。私がこの島での生活環境を整えているのは、自分の ために他ならないからですよ。いかに生体操作能力を持ってしても、栄養分を摂取したり、休息を取らなければ、 私の生命活動に支障を来します。あの二人に食事や生活環境を与えているのも、お二人の特異性を間近で研究するために 必要だと判断したからです。そして、あなたも」

 ゾゾはプリンを大きく掬い、皿に載った分の半分以上を口に入れた。

「あなた方を知ることは、私の願望を果たすための近道となるのです。だから、何もおかしいことはありません」

「そうなんだ」

 紀乃はちょっと残念に思い、皿に残ったカラメルソースをスプーンの端でこね回した。

「ええ、そうなのです」

「じゃ、私もゾゾのこと、知った方がいいのかな」

「それはなぜですか、紀乃さん」

「研究とかそういうことは出来ないけど、ゾゾのことが解れば、どうやって戦えばいいのかも解りそうだし」

「あなたでは私の全ては理解出来ませんよ」

「ゾゾだって、私のことなんてほとんど知らないくせに」

 少しむっとして、紀乃は唇を尖らせた。ゾゾは反論しようとしたが、それもそうだと納得した。では紀乃の精神構造 を把握するにはどうするべきか、とゾゾが思案すると、貴重な電力の無駄遣いではあるが娯楽としては欠かせない テレビから、安っぽい恋愛を描いたドラマの再放送が流れていた。

「ふむ」

 ゾゾは一度瞬きしてから、紀乃を見下ろした。

「では、紀乃さん」

「それだけは嫌」

 紀乃はテレビを見てゾゾの言いたいことを察し、すぐさま否定した。

「なぜですか、紀乃さん。著しい感情の変動が発生する恋愛は、精神構造を把握するに最適ではありませんか」

 ゾゾが尻尾の先を横に振ると、紀乃はがたっと椅子を引いた。

「だって、トカゲだし! ていうか、そもそもそういう対象に見られるわけないし!」

「トカゲではありませんよ。そうですね、言うならばディノサウロイドに近しい進化を遂げた、れっきとした知的生命体 ですよ。知的水準も科学技術も生物としても、人間よりも遙かに進化した位置に存在しています」

「そんなに進化しているなら、どうして地球に来たの?」

「それもまた、私のためです」

 ゾゾが空になった皿にスプーンを横たえると、紀乃は椅子の背もたれを握り締めた。

「そんなことのために、地球をどうこうしようとしているの?」

「ええ。ですが、人類も同じではありませんか。ただ、その方向性がほんの少しだけ違うだけなんですよ」

 もうよろしいですね、とゾゾは紀乃の前から皿を回収し、自分の皿と重ねて洗い場に運んだ。紀乃はすっかり 機嫌を損ね、むっつりとテレビを睨んでいる。ゾゾとしては当たり前のことを言っただけのつもりなのだが、そこで紀乃が 不機嫌になる理由も必然性も解らない。水を溜めた桶に皿とスプーンを浸し、冷蔵庫の中で冷え切っている残りの プリンとカラメルソースを確認してから、ゾゾは面倒臭くなる前にと二人分の皿とスプーンを洗った。
 テレビからは、女優の下手くそな演技が流れていた。




 紀乃が寝付いた頃、ゾゾは裏庭に出た。
 その手には、三人分のヤギ乳プリンの皿があり、カラメルソースもたっぷり掛かっていた。夜中は発電機の 電力を別の場所に回しているので、古びた校舎には光はない。光源は澄んだ夜空から注ぐ月光だけであったが、ゾゾは 瞳孔を最大限に開いているので光量に不足はなかった。虫がちりちりと鳴く草むらを掻き分けながら歩くと、暗がりの 中でじっと巨体を縮めている機械の男、小松建造が半球状の頭部を回転させて赤いランプを点灯させた。その毒々しい 明かりでゾゾの視界は一瞬眩んだが、すぐに慣れた。小松の操縦席では、ミーコが胡座を掻いていた。

「ゾゾ。何の用だ」

 ぎゅいんとモーターを唸らせた小松は、六本足を折り曲げてゾゾに顔を寄せた。

「ナニ、なあーにぃ、ナニナニナニ?」

 ミーコは操縦席から身を乗り出し、ずり落ちたが、何事もなく着地してゾゾに駆け寄ってきた。

「御菓子オカシおかしオカシカシカシカシカシ、どうしてどしてどおしてシテシテシテシテ?」

「紀乃さんの御機嫌を伺おうと思ったのですが、失敗してしまいまして」

 どうぞ、とゾゾが二人分の皿をミーコに渡すと、ミーコは駆け足で小松の足を駆け上って操縦席のタラップに 飛び乗り、両手が塞がっているのでばんばんと乱暴にフロントガラスを蹴り付けた。小松はミーコに蹴破られる前にドアを 開けると、ミーコは小松の操縦席に転がり込んできた。その勢いで傾いた皿から数滴のカラメルソースが落ちてシートを 汚したが、ミーコはそれを気にせずに座り、小松の脳と脊髄の一部が詰まった生体維持装置を開けてゾゾが後から 備え付けた人工臓器にプリンをそっくり流し込んで蓋をした。クーラーボックスよりも一回り大きい生体維持装置の 上に両足を投げ出したミーコは、にこにこ笑いながらプリンを食べ始めた。

「そうか」

 ゾゾが合成した消化液でプリンとカラメルソースを消化して栄養分だけを吸収した小松は、ランプを点滅させた。

「ええ。そうなんですよ」

 ゾゾは軽く跳躍して小松の足の一本の上に着地すると、油まみれのシリンダーが数センチ上下した。

「なぜ、ナゼナゼナゼ? ゾゾはゾゾゾゾゾゾ、失敗シッパイしっぱい失敗失敗失敗?」

 口の周りをべたべたに汚しながら、ミーコはスプーンを囓った。

「ええ、残念ながら」

 ゾゾは小松の足の上に腰を下ろし、本日二度目となるプリンを口にした。

「私としては、紀乃さんのお気に障ることはしていなかったつもりでしたが。何がいけなかったのでしょう?」

「知らん」

 小松が突っぱねると、ミーコがけらけらと笑った。

「知らんシランしーらん! シランからシランランラン! ミーコは知ってても教えないオシエナイナイナイナァーイ!」

「おや、それはそれは」

 ゾゾは引き締まった筋肉がウロコに覆われた足を組み、その上に皿を置いた。

「紀乃さんの情報を共有することは、私達に非常に有益だと思うのですが」

「ない」

「ないないないないなぁあああああいっ!」

 小松が一蹴すると、ミーコがだんだんと内側からフロントガラスを蹴り付けた。

「その根拠はいかほど?」

 ゾゾが口元に付いたカラメルソースを舌先で舐めると、小松は首を横に振った。

「あれはただの人間だ。何の役にも立たない」

「たったなぁーい立たない立たないタタナイナイナイナイナイナイ!」

 ミーコは空になった皿をスプーンで叩き、耳障りな騒音を作った。

「それはどうでしょうね。私のお入れしたドクダミ茶をお飲みして苦いと仰っていましたから、紀乃さんは確実にこちら 側ですよ。野生のドクダミに生体改造を施して薬効成分を引き上げたドクダミには、特定の因子に反応する成分が 多量に含まれておりますからね。強い苦味を感じるのは、その作用の一部なのですよ。言わば試金石ですね」

 ゾゾは残り少なくなったプリンの欠片を丁寧に掻き集め、ぺろりと舐め取った。

「紀乃さんが眠っておられる間に色々と調べさせて頂きましたが、なかなか面白い変異を遂げていました。もっとも、 あなた方が超能力と仰る能力は上手く発現しておりませんし、紀乃さん自身に能力を操った経験がまるでないので 実用化には至らないでしょうが、まるきり無益な存在というわけではありません。生殖能力も充分ですし」

「もしかして、調べたのか?」

 あの子のアレを、と小松がやや声を低めると、ゾゾはにんまりした。

「ええ、もちろんですとも」

「変態」

「変態へんたいヘンタイへんたぁあああい!」

 侮蔑を込めて言い放った小松とは逆に、ミーコははしゃいでいた。

「生殖能力の有無を調べるのは大切ではありませんか。ミーコさんは肉体的な習慣として月経が訪れますが、長らく 寄生されているせいで生殖能力は失われています。ですので、紀乃さんの生殖能力は貴重ではありませんか」

 ゾゾは立ち上がり、ミーコの手から二人分の皿とスプーンを回収した。が、小松は急に体を揺すった。

「黙れ」

「おうっ!?」

 当然、小松の足の上にいたゾゾは転げ、ミーコも操縦席から投げされた。

「きゃふひゃふぎゃふぅ!」

 頭から地面に突っ込んだミーコは奇声を上げながらのたうち回り、ゾゾも背中から落ちたが三枚の皿を死守した。 二人を振り落とした小松は上体を起こし、どしゅうと背中の排気筒から高熱の排気を噴出しながら吐き捨てた。

「変態が。これだから生身のある奴は嫌なんだ」

「あなたもその生身ではありませんか、小松さん」

 皿の無事を確かめてから、ゾゾは立ち上がった。ミーコはおかしな方向に折れた首を曲げ、元に戻した。

「そうだよダヨソウダヨソウソウダヨヨダダ」

「俺は寝る。お前の話に付き合った俺が馬鹿だった」

 小松はぎっちらぎっちらと六本足を動かし、寝床にしている体育館に向かった。その場に取り残されたゾゾは、 プリンのお代わりを欲しいのか物欲しげな顔のミーコを振り切り、台所に向かった。ミーコは追い縋ってきたが、ゾゾが プリンのお代わりをくれないのだと解ると、ミーコは不愉快げに舌を出してから闇の中に駆けていった。その足音を 背で感じ取りながらゾゾが居間兼食堂に戻ると、テレビの前に紀乃が陣取っていた。

「おやおや、紀乃さん。眠ったのではなかったのですか?」

 ゾゾは皿を洗い場の桶に浸しながら言うと、紀乃はばつが悪そうに肩を竦めた。

「そのつもりだったんだけど、なんだか目が冴えちゃったの」

「御一緒してもよろしいですか」

 皿とスプーンを洗いながらゾゾが言うと、紀乃はちょっと躊躇ってから返した。

「別にいいけど」

 その答えが少し意外だったが、好都合ではある。ゾゾは洗い終えた皿とスプーンを洗いカゴに置き、冷蔵庫を開けて 良く冷えたドクダミ茶を出した。紀乃が見ている番組は、中身もなければ深みもない芸能人のトーク番組だった。 他の番組で既に披露していた話を繰り返していて、他の芸能人達はさも初めて聞いたかのような派手なリアクションを 取っていた。ドクダミ茶を二つの湯飲みに注いだゾゾは、それを運びながら紀乃の背に問い掛けた。

「それ、面白いのですか?」

「どちらかって言えばつまらないけど、外にはちゃんと人間がいるって解ると安心出来るから」

 紀乃はゾゾからドクダミ茶を受け取り、その冷たさに感じ入った。半袖ジャージの襟元から覗く首筋はうっすらと 汗ばんでいて、一度寝ようとしたからか顔付きは気怠げだ。ゾゾは紀乃の隣に椅子を運び、同じように並んでテレビを 見ることにした。芸能人達はどうでもいい私生活の出来事を大袈裟に話しては、下らないことで騒ぎ立てていた。

「紀乃さん。何か、聞いていましたか?」

 ゾゾが尋ねると、紀乃はゾゾを見上げてきた。

「何を?」

「いえ。存じ上げておられないのでしたら、それでよろしいのですが」

 知られて困ることでもないが、知られない方が楽ではある。ゾゾはテレビに目を向け、冷たいドクダミ茶を啜った。 トーク番組が途切れてCMに入ると、各企業の新商品のCMに混じって政府公報が放送された。変異体管理局からの お知らせ。突然変異体を見つけたり、身の回りでおかしなことが起きていたら、速やかに警察や行政に通報して 下さい。直ちに適切な処理をいたします。
 紀乃が見慣れている政府公報のCMはそれだけで終わるのだが、今回は違っていた。紀乃の子供の頃から中学 三年生までの写真がスライドショーのように流され、冷淡な女性のナレーションが重なっていた。旧名・斎子紀乃、 識別名称・乙型生体兵器一号はサイコキネシス能力を持つミュータントです。変異体管理局により、変異体隔離 特区へ隔離措置を行いましたが、万が一、街中で見かけたら速やかに警察や行政に通報して下さい。ただちに 出動し、迅速に処理いたします。市民の安全と平和のため、ご協力、よろしくお願いいたします。

「私さぁ」

 政府公報が終わると、紀乃はぽつりと言った。

「これって、ずっと嘘だと思ってたんだ。そんな人間はいるわけないし、いるとしても全然関係ない人だって。だけど、 そうじゃなかったんだ。嘘でもないし、関係ないわけでもなかったんだ」

 私は人間なのに、と切なく漏らし、紀乃はそれきり黙り込んだ。ゾゾは紀乃に掛ける言葉を考えたが、無難な 言葉では却って気に障るだろうと判断して何も言わないことにした。目まぐるしく切り替わる映像を表情の失せた 瞳孔に映し、洪水のように垂れ流される音声に鼓膜を震わされている紀乃は、素焼きの湯飲みを両手できつく 握り締めていたが今にも割ってしまいそうなほどに力が籠もっていた。見開かれた目の端には、うっすらと体液が 溜まったが、紀乃はそれを流すまいと拭い取った。

「ねぇ、ゾゾ」

 紀乃は目を瞬かせてから、ゾゾに向いた。

「私、そっち側に行ってもいいかな?」

「ええ、もちろん。拒むことなどありません」

「それってやっぱり、私が人間じゃないから?」

「いえいえ。紀乃さんだから、ですよ」

 ゾゾが頷くと、紀乃はドクダミ茶を傾けた。

「やっぱり苦いよ、これ」

「慣れますよ、じきに」

 ゾゾはドクダミ茶を傾けると、紀乃が飽きるまでテレビ鑑賞に付き合い、更に夜食にも付き合ったので本日三度目 のプリンを食べた。二度目のプリンを先程食べたばかりなので三度目は鉛のように重たく感じ、ゾゾの消化機能を 持ってしても胸焼けを起こしてしまいそうだった。明日の朝の腹具合を気に掛けながら、口中の甘みを流そうとドク ダミ茶を啜った。草むらではりいりいと虫が鳴いていて、時折吹き付ける潮風が窓を鳴らした。
 テレビからは、二度三度と紀乃を蔑視する政府公報が流れていた。





 


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