南海インベーダーズ




御三家御前会合 前



 山吹丈二と共に、二通の封書が同梱されていた。
 食器の類を片付けられて水拭きされたテーブルには、草書体で宛名が書かれた和紙の封筒といかにも事務的な ボールペン字の茶封筒が並んだ。和紙の封筒は、忌部家 御前様、とあり、茶封筒には、インベーダー各位、との 宛名があった。完全に荷物扱いされている山吹は居間兼食堂の隅に追いやられてしまい、小松と呂号以外の面々 はテーブルを囲んで二つの封書を眺めていた。最初に触れたのは意外にも甚平で、手始めに匂いを嗅いだ。

「あー……うん。えと、その、こっちのインベーダー各位の方は知っている人の匂い、っていうか、ああ、うん、そう、 あの人だ。田村秋葉、って言ったかな。ガニガニと電影ってロボットと一緒にいた女の人」

 甚平は太い指で茶封筒をつまみ、ゾゾに渡した。

「あ、その、読むんなら僕じゃない方がいいっていうか、音読するの苦手っていうかで」

「では、僭越ながら」

 ゾゾは茶封筒を受け取ると、糊で封印された上に〆が書かれた封を開き、便箋を広げた。

「えーと、内容は用件だけですね。ちゃんとした公文書ですね、番号も振ってありますし。超法規的措置についての 通知。インベーダー各位へ、山吹丈二現場監督官の身柄を一時預け、その引き替えとして忌部次郎の身柄の 引き渡しを要求する。尚、本国の法律が一切適応されないインベーダーには拒否権はなく、本件を拒否する以前 の問題であることを忘れるべからず。拒否した場合には実力行使を辞さない。文責、田村秋葉、とありますね」

「えぇー……。てぇことはなんすか、むーちゃんは俺を売ったんすか忌部さんなんかのためにぃー!」

 箱を左右に揺らしながら山吹は嘆いたが、一同は無視した。

「で、こっちは俺宛か」

 忌部はもう一通の和紙の封筒を開き、やはり和紙の便箋を広げた。前回同様、本家の御前からだった。

「御三家御前会合のお知らせ。日時は三日後の昼から、場所は本家? だが、俺は本家の場所なんて知らんぞ。 行ったこともない。だが、なんで山吹が本家の御前のクソ野郎の手紙を運んでくるんだ? となるとやっぱり、甚平の 言った通りだったってことか。もう隠す気もないのか、それとも他に腹積もりでもあるのか?」

「あ、もう一枚あるよ、よ、よー」

 ミーコは和紙の封筒を広げて逆さに振り、もう一枚の便箋を落とした。忌部はそれも拾って広げたが、文面の冒頭に 出てきた名前に驚いた。斎子家長女、斎子紀乃様。

「お前にだ、紀乃」

 忌部がその便箋を紀乃に差し出すと、紀乃はそれを受け取った。

「なんで私に? だって、私んちは関係ないじゃん。御前様とかそういうの、一度も聞いたことないよ。なのに、なんで 私宛の手紙が忌部さん宛の手紙と一緒に入ってんだろ」

 紀乃は訝りながら便箋を広げ、文面を読み上げた。

「本家の分家である斎子家の御長女、紀乃様。この度はお日柄も良く……はまあいい、本題だ本題。つきましては 忌部家御前様と共に、本家へとお出で下さい。御三家御前会合にて、大事なお話がございます」

 後半も訳が解らなかったが、前半は更に訳が解らず、紀乃は変な顔をした。

「うちが本家の分家って何? うちのお父さんもお母さんは、ちょっとは普通じゃない事情があった感じはするけど、 関係があるわけがないよ。そうだよね、ねえ甚にい?」

 紀乃は甚平に尋ねると、甚平は困った。 

「あ、えと、その、それを僕に聞かれても困るっていうか、そこまで調べが付いていないっていうか」

「大事な話って、嫌な想像しか出来ない。ない、ない、ない。紀乃ちゃん、絶対に行っちゃダメ、ダメダメダメ!」

 不安に駆られたミーコは紀乃の両肩を掴み、前後に揺さぶった。紀乃はミーコの剣幕に気圧され、腰を引いた。

「まだ行くって決めたわけじゃないし、行きたいなんて思わないよ」

「嫌なことしか起きませんよ、クソ野郎のことですからね」

 ゾゾは忌部と紀乃の手から便箋を抜き、目を通してから、それを丁寧に折り畳んだ。

「皆さんには、詳しいことを話した方が良さそうですね。その方が、クソ野郎に対して対処も出来るというものです。 長い話になりますので、まずはお茶でも淹れましょう。山吹さんはそのままの箱入り息子になっていて下さった方が よろしいですね、下手なことをされては困りますから。さて、御茶菓子に丁度良い御菓子がありましたっけねぇ」

 ゾゾはいつもの口調で述べてから、皆が揃っている居間兼食堂と併設している台所に入っていった。ゾゾはかまどの 前に立ち、もう一度手紙を見、憎悪と嫌悪が溢れ出しすぎている舌打ちをした。尻尾を器用に使って薪をかまどに 詰め込んだ後、便箋をかまどに放り込んで焚き付けにして火を起こし、水を張ったヤカンをその上に載せた。皆は なんとなく黙ってゾゾの動向を見守っていたが、椅子を引いて所定の位置に座った。ゾゾは口調こそ相変わらずの 調子だったが、言葉尻には隠す気のない苛立ちが出ていたからだ。箱入りサイボーグと化している山吹も空気の 悪さを感じ、箱を揺らすこともなく、部屋の隅でじっとしていた。小松もまた、窓の外で六本足を縮めて座った。
 程なくして湯が沸き、人数分のドクダミ茶が入ると、それぞれの前に湯飲みが並んだ。茶菓子には、昨日、紀乃が 呂号のために作ったホットケーキを応用して作ったチーズ味の揚げドーナツが出された。湯飲みを並べ終えたゾゾ は自分の所定の席に腰を下ろし、熱湯も同然のドクダミ茶に口を付けてから、語り出した。

「まずは、彼のことからお話しいたしましょうか」

 ゾゾは深く息を吐くと、出した分だけの空気を吸った。

「彼とは、忌部島そのもののことです。ミーコさんは彼の恩恵を受けたのですから既に御存知でしょうが、他の皆さん はそうではありませんから、分かり易いところから掻い摘んでお話しいたしましょう」

 ゾゾは赤い単眼で皆を見回してから、一度瞬きした。

「彼の名はワン・ダ・バ。正式名称は多次元宇宙空間跳躍能力怪獣戦艦ワン・ダ・バと申します、生体兵器であり、 研究対象であり、大事な大事な友人です。ワンがこの宇宙に誕生したのは、地球時間に換算すると五億年もの昔、 私が生を受けるよりも遙かに旧い時代に生み出された、恒星間戦闘用中型生体兵器です。ワンのような生体兵器が 生み出された経緯は、まあ、想像に難くないでしょう。あなた方の歴史と同じく、私の星と種族の歴史も血生臭い ものばかりです。いかなる文明であろうとも、発展すればするほどに思想や民族間の軋轢は増していきますし、技術 が発達するほどに兵器開発も盛んになります。宇宙進出しても何も変わることはなく、それどころか、私達の種族は 愚かしい方向へと発達していきました。私達の種族は星系が存在する銀河を蹂躙しても飽き足らず、他の宇宙への 侵略を開始しました。恒星間航行技術は私達に利益ももたらしましたが、同時に欲望も増長させたのです」

 ドクダミ茶で口を潤し、ゾゾは話を続けた。

「私達の種族はあなた方からすれば途方もなく長い時間を生きられます。それ故に暇を持て余していた、というのが 侵略の真意でしょうねぇ。繁殖能力がありませんから無闇に増えませんし、居住区とするために支配した惑星も多く ありましたし、何よりも、恒星間航行技術がありました。それさえあれば、地球で言うところのウラシマ効果で退屈な 時間も一瞬でやり過ごすことも出来ましたし、他の宇宙で遊び呆けることも出来ました。けれど、生き物として生きて いる限り、欲望は潰えません。私も、昔はそうでした。研究意欲に駆られるのは今も同じですが、あの頃は若かった のです。功名心と野心を抱いていた私は、恒星間航行技術を飛躍的に発展させ、科学者としてだけではなく軍人と しても確固たる地位を得ようと躍起でした。その頃の恒星間航行技術はまだまだ発展途上で、一度のワープで移動 出来る距離はせいぜい銀河一つ分しかなく、宇宙を渡り歩くには不充分でした。その上、燃費が悪く、ワンのような 宇宙怪獣戦艦を動かすためには惑星一つ分ものエネルギーを消耗していたのです。私は本来の分野である生体 改造技術を研究する傍ら、恒星間航行技術の研究も重ねた末、ある発見をしました。次元の合わせ目です」

 ゾゾは一旦言葉を句切り、皆を見渡した。

「ここまで話しておいてなんですけど、皆さん、解らないのでしたら聞き流しても良いんですよ?」

「あ、うん、その、一昔前のSFっていうか、ハヤカワ文庫っぽいから、解らないでもないっていうかだけど」

 甚平は好奇心を煽られて心なしか前のめりになっていたが、紀乃は渋面を作った。

「SFなんて読んだことないもん。ゾゾが言っていること、最初から意味不明すぎなんだけど」

「なんかこう、ガンバスターマーチでも聞こえてきそうっすね! 宇宙と人類を救うのは努力と根性っすよね、お姉様も コーチもいないっすけど!」

 ごとごとと箱を揺らして前進した山吹が明るい声を上げると、忌部は透けた足でその箱を蹴った。

「やかましい」

「怪獣映画みたいだな」

 小松もそれなりに興味を引かれたのか、居間兼食堂を覗き込んできた。

「そっか、そっかそっかそっか、彼の名前はワン・ダ・バって言うんだ、だ、だ、だー!」

 ミーコは彼の名を知ったことが嬉しいのか、その場で飛び跳ねた。

「なんでもいいから続きを話せ。僕はまどろっこしいのは嫌いだ」

 チーズ味の揚げドーナツを囓りながら呂号がゾゾを急かすと、ゾゾは皆の湯飲みにお代わりを注いだ。

「では、続きをお話しいたしましょうか。恒星間航行技術についての細かい話と私が発見した理論を応用した次元と 空間の跳躍技術については割愛しますが、解りやすく言えば、次元と空間を使って折り紙を折り、その合わせ目を 利用して何百万光年もの距離と時間を一瞬にして跳躍するんです。次元と空間は互いを支え合って成り立っている ものであり、互いがなければ存在することすら出来ません。そこで、宇宙怪獣戦艦が生み出す生体電流と空間湾曲 能力を使って次元と空間の均衡に揺さぶりを掛け、次元と空間を一度引き剥がしてしまうのです。次元に裂け目を 作ったりはしません、そんなことをすれば数百万年に渡って影響が出てしまうからです。ですが、次元と空間を乖離 させれば、どちらも独立した空間となり、多少の無理をしても何の影響も出ないのです。その後、次元と空間が乖離 したことで生まれた異空間を糊のように扱って次元と空間を折り合わせて、双方の隙間を亜空間航法で移動するの ですが、次元乖離空間跳躍航行技術の実験に最適な宇宙空間がすぐに見つからなかったのです。歪んでいたり、 壊れていたり、反物質が流出していたりしたら、次元乖離空間跳躍航行技術は上手く使えません。それどころか、 反物質を呼び寄せてしまって半径百万光年ほどの宇宙が消滅してしまう可能性もありました。ですので、私とワンは 次元乖離空間跳躍航行技術を使用するのに最適な宇宙空間を探し、長い長い旅をしました。そんな中、私は暇を 持て余した末に愚行に走ったのです」

 ゾゾは空になった湯飲みを置き、急須に湯を足し、二杯目のドクダミ茶を注いだ。

「私は生体分裂を行い、分身を作ったのです。それが、竜ヶ崎全司郎と名乗るクソ野郎の正体なのです」

「じゃあ、局長はゾゾの兄弟みたいなものなのか?」

 忌部が問うと、ゾゾは答えた。

「正確には兄弟とは言いません。生体分裂体です。生体情報のほとんどを共有し、記憶も知識もある程度共有し、 人格もほぼ同一の存在なので、いわば私の予備と言うべきものです。先程述べたように、私の種族は繁殖能力を 持たず、生殖行為を行いません。あなた方からすれば奇妙でしょうが、私の種族には生まれつき生殖器というもの が付いていないのです。精巣と卵巣は最初から備わっていて、成人する時に男か女のどちらかになることを選べる のですが、成人しても生殖機能は生まれないのです。繁殖する場合は、自分の内にある精子と卵子を体外に排出 して胎盤の役割を果たす生体ユニットに着床させ、地球時間に換算して一年と三ヶ月程度でこの世に誕生します。 言ってしまえば、他の生物に卵を寄生させて繁殖する昆虫に近い繁殖方法ですね。その胎盤の役割を果たす生体 ユニットがない場合は、ワンのような生体兵器を利用します。奴は、そうやって誕生させたのです」

 ゾゾは鼓膜の下まで裂けた口を歪め、獣じみた牙を露わにした。

「地球に私達が墜落したのは、全くの事故でした。通常の恒星間航行技術でワープアウトしたワンは、地球の重力に 囚われて落下しました。その際に、他星系で痛めていた首の関節が完全にダメになってしまい、不幸にも頭部が 外れてしまったのです。頭部は関東地方へ落下し、機能停止してしまいました。首から下は、皆さんも御存知の ようにこの海域に落下しました。幸か不幸か、真下には海底火山があり、その莫大なエネルギーを利用することで ワンは命を繋げていますが、宇宙怪獣戦艦としての機能は損なったままなのです。ですから、私はワンの頭部を 取り戻さなければなりません。これまでの研究成果を収めた銅鏡は私の手元にありますが、珪素回路のヴィ・ジュル もクソ野郎に奪われてしまいましたし、クソ野郎から次元乖離空間跳躍航行技術を行うために必要な生体情報も奪い 返さなければなりません。それさえ奪い返せれば、私は奴を思う存分殺してやれるのですが。何度思い返しても、 私は私に腹が立ちます。奴が希代のクソ野郎だと知ってさえいれば、私は次元乖離空間跳躍航行技術を使用する ために必要な生体情報を欠片も授けなかったでしょう。ああ、口惜しや口惜しや!」

「その、なんだ、次元乖離……航行技術か? 局長の目的はそれなのか? ニライカナイってのも、まさか」

 忌部がいきり立ったゾゾに気後れしながら尋ねると、ゾゾは呼吸を整えた。

「ええ、私の母星です。日本語で発音するとそう聞こえるのです。そして、龍ノ御子とは、地球に墜落した際にワンが 生体組織と共に欠損した生体情報を補える遺伝情報を持つミュータントのことなのです。いわば、外れたパズルの ピースです。最初に龍ノ御子となった彼女は、ハツさんは、見事なまでに一致していました。ですが、それは宇宙と 地球が私達に授けてくれた全くの偶然であって、二度も三度も起きることではないのです。しかし、クソ野郎はその 奇跡を再現しようとしました。ハツさんの血を連ねる人々を利用して」

「じゃあ、やっぱり、その、忌部さんとか、僕らは」 

 甚平が作業着の裾を握り締めると、ゾゾは顎に指を添えた。

「細かく調べてみなければ解りませんが、あなた方には多少なりともクソ野郎の生体情報が紛れ込んでいるのです。 小松さんとミーコさんや、私生児である翠さんは、クソ野郎が種だと見て間違いないでしょう」

「だったら何か、俺達は最初からこうなるようにされていたってことか?」

 忌部が透き通った胸を叩くと、ゾゾは頷いた。

「肯定するのも憚られますがね。クソ野郎は科学者としての腕前は私の尻尾の先にすら及びませんが、技術だけは 生意気にも私の記憶から模倣しているのです。ですから、忌部さんの仰る通りです」

「ファッキンでシットな話だな」

 口汚い言葉で感想を述べた呂号は、唇の端に付いた揚げドーナツの欠片を舐め取った。

「だがそれが全て事実だとしても不可解な点が多いぞ。なぜ局長は人間としての戸籍を持っているんだ。なぜ局長は 政府内で確固たる地位を得られたんだ。なぜお前は今の今まで局長を野放しにしていたんだ。簡潔に答えろ」

「ではお答えしましょう。ファッキンでシットでアスホーなクソ野郎は、生体電流を読み取るのだけは私よりも上手いん ですよ。生体電流は脳波でもありますから、高感度のテレパシーを使っているようなものです。ですから、クソ野郎は 他人の思考を読み取り、相手の望むことをして相手の心を掌握し、お偉方に取り入っているのです。戸籍を得た のはその延長線上に過ぎません。呂号さんが耳にした自衛官達の噂話も決して嘘ではないでしょう。あなた方から してみれば、私達のように膨大な時間を長らえる生き物は不老不死であるかのように見えます。ですが、生体改造 を施したところで、生まれ付いてのミュータントでなければ人間の肉体は老化に抗えません。せいぜい、百年程度を 長らえるだけです。死に対する恐怖と欲望を煽り立てた挙げ句に取り入るとは、クソ野郎らしい手段ですよ。最後の 質問ですが、それについては私の生まれ付いての生体構造に問題があるのです。私は最初から科学者となるべく 産み出されましたので、自己改造を繰り返した末に戦闘員にも近しい身体能力を得たクソ野郎とは、根本的な部分 で釣り合わないのです。臆病だと言われればそれまでなのですが」

「となると、御前会合の目的ってのは」

 忌部が封筒しか残らなかった手紙を取ると、ゾゾは首を横に振った。

「大方、あのクソ野郎はワンの頭部の在処を発見したのでしょう。ワンの頭部を復活させるために、忌部さんと紀乃 さんの生体情報が必要なのでしょうが、目論見を妨げる方法は簡単です。クソ野郎の手中に入らないことです」

「でも、私達が行かなかったら、どうなるの?」

 紀乃が戸惑いがちに目を上げると、ゾゾは少し悩んでから返した。

「伊号さんと波号さんや、ガニガニさんが利用されるでしょうね。お二方は呂号さんと同じようにワンの肉片を脳内に 埋め込まれていますからワンに対しての適応能力もありますし、ガニガニさんもミーコさんの寄生虫による生体改造 とワンによる生体復元の際に備わった生体情報があります。龍ノ御子とたり得るかは定かではありませんが」

「だったら行く。ガニガニにひどいことされたくない」

 紀乃が決断すると、ゾゾは目を見張った。

「いけません、紀乃さん! 私の話を聞いておられなかったのですか! クソ野郎の懐に飛び込んだところで、奴の 利用し尽くされるだけです! それなのに、なぜそんなことを仰るのですか!」

「だったら、どうしてゾゾは戦わないの? 私は戦う、止められたって戦う、もう誰にもひどいことされたくない」

 紀乃は激情を無理に抑え、ゾゾを真っ向から見返した。ゾゾは一瞬黙ったが、言った。

「私だって、あなた方に苦しんでほしくないのです。ワンを利用した生体洗浄ユニットが造れないために、あなた方は 生まれ持った能力や外見で苦悩しています。だからこそ、あなた方らしく、自分らしく、自由に生きてほしいのです。 たとえ地球上の全ての人間があなた方を否定しようとも、私だけはあなた方を肯定します。私の愚行を埋める術が あるとするならば、ハツさんに償えることがあるとするならば、それだけなのです」

「どうして? 竜ヶ崎って人が憎いんでしょ? 許せないんでしょ? なのに、なんで戦わないの?」

「紀乃さんを止める理由はもう一つあります。紀乃さんの力は誰かを傷付けるためのものでもなく、増して戦うための 力でもありません。あなたが生まれ持った素晴らしい個性であり、誰にも真似出来ない才能なのです。その個性を、 才能を、ファッキンでシットでアスホーなクソ野郎の命などで穢すことはありません。クソ野郎を仕留めるのは私で あり、手を汚すのも私でなければならないのです」

「でも……」 

 紀乃が言い淀むと、ゾゾは紀乃の髪を柔らかく撫でた。

「紀乃さん。あなたがすべきことは、呂号さんと仲良くなることです。今は、それだけで充分ではありませんか」

 紀乃は足元を見つめ、小さく頷いた。ゾゾは満足げに目を細めると、この話はこれで終わりにしましょう、と締め、 それぞれの湯飲みを回収して盆に載せ始めた。忌部はゾゾにぶつけたい質問や意見が山ほど思い浮かんだが、 紀乃の思い詰めた表情を見ると何も言えなくなった。紀乃を連れて行けば、戦闘能力のない忌部とは違って存分に 戦えるだろうが、これまでは何かと紀乃に頼りがちだった。事ある事に紀乃のサイコキネシスを酷使しては、負担が 掛かるばかりか、紀乃自身を追い詰めかねない。大変な目に遭っているのはこの場にいる誰もが同じだが、紀乃は まだまだ子供だ。呂号との関係も、少しずつだが姉妹らしくなってきたばかりだ。だから、竜ヶ崎全司郎の手中に 飛び込むのは自分だけでいい。紀乃の力がなくとも、なんとか出来るはずだ。いや、なんとかするのが大人として の役目だ。そんな決意を固めながら、忌部は揚げドーナツを一つ取り、貪り食った。
 程良い塩気が実に旨かった。





 


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