地面に叩き付けられるまでの猶与は、一秒もなかった。 その最中、紀乃は懸命に思考を巡らせた。素早く目を配らせ、虎鉄、芙蓉、忌部の位置を確認してから背後にも 目をやって落下地点との距離を測り、サイコキネシスで三人と自分の体を空中に縫い付けた。だが、それだけでは 凄まじい衝撃破を受け流せないので、サイコキネシスを弓のようにしならせて反動を与え、衝撃を吸収すると同時に 柔軟に跳ね上がって波号との距離を取った。廃墟の上空数十メートルにまで一息に上昇した紀乃は、早く浅い呼吸を 繰り返しながら、三人の無事を確かめた。虎鉄は防御姿勢を取っていて、芙蓉は衝撃を吸収するために若干体を 溶かしており、忌部は吹き飛ばされたままの格好で浮かんでいた。辛うじて無傷だが、ダメージは大きい。 「一撃じゃ仕留められないか。でないと面白くないもんね」 紀乃の前方数百メートル地点に浮かぶ波号は、楽しげに口角を上向けた。 「どうして、あんなに凄い力を」 紀乃はすぐにでも応戦出来るように集中力を高めながら、波号を見据えた。波号はセミロング程度に伸びた髪の 毛先を人差し指でいじりながら、いかにも億劫そうな態度で返した。 「そんなん、どうでもいいじゃん。さっさと遊ぼうよ、原型なんて残さずに潰してあげるから」 「伊号みたいな物言いだな」 紀乃の後方に浮かぶ忌部が訝ると、波号は忌部の位置を正確に捉えた目線で蔑んだ。 「あんな頭空っぽな馬鹿女と一緒にしないでよ、露出狂男」 「恐らく、この前の演習の時と同じだろうな。これまで、波号は一度につき一人からしかコピー出来なかったが、妙な 薬を飲まされて、一度に何人もの能力をコピー出来るようになりやがったんだ」 虎鉄が拳を固めると、芙蓉は波号から視線を外さずに言った。 「となると、タチの悪さも性格の悪さも何乗にもなっているのよね。正直言って、相手したくないのよね」 「てぇことは、紀乃の無茶苦茶さと伊号の我が侭と呂号の横柄さとお前らの能力の厄介さがチャンポンってことか。 そりゃ確かに、相手をするのも嫌になるな。本気で早く帰りたいぞ」 忌部はうんざりしつつ、吹き飛ばされた拍子に少しずれたフンドシをぐいっと引き上げた。 「でも、この子を倒さなきゃ、誰も帰れない」 紀乃は波号と対峙しながら、嫌な感覚に苛まれていた。波号との距離はショッピングモールの廃墟の対角線上と ほぼ同等であり、眼下の駐車場には巨大な竜の首が横たわっている。無駄な被害を被らないためなのか、単眼の 瞼は固く閉ざされている。波号が来ると同時に呼び出されたのか、四方から聞き覚えのあるヘリコプターの羽音が 接近しつつある。廃墟周辺の住宅地からは人間の気配は一切感じ取れず、変異体管理局、もとい、竜ヶ崎全司郎は 虎鉄と芙蓉の行動を最初から解っていたとしか思えなかった。そうでなければ、波号の到着がこんなに早いわけが ないのだ。だが、詮索は後回しだ。今はまず、波号をどうにかしなければ。紀乃はサイコキネシスの照準を波号に 据えていたが、首の後ろを逆撫でされるような違和感が這い上がって眉根を寄せた。ワン・ダ・バが紀乃の感覚に 触れた時とは正反対の不快感で、途方もない気色悪さばかりが腹の底を掻き混ぜてくる。 「あなたが飲んだ薬って、まさか」 込み上がる吐き気と戦いながら紀乃が問うと、波号はとろりと弛緩した。 「えへへ、解るぅ? パパはね、私のために一杯一杯出してくれるの。それをお薬にしてね、私にくれるんだ」 「……おいおいおいおいおい。いやでもな、この流れだと、アレしかないってことだよな?」 波号の言葉の意味を察した忌部は、透明な顔から血の気を引いた。芙蓉は口元を押さえ、涙目になる。 「ひどいなんてもんじゃないわ、最低すぎる」 「理屈には適っている。俺達を始めとしたミュータントの生体組織の活性化には、ミュータント、或いはゾゾ・ゼゼの ような異星人の生体組織が欠かせないが、だが、だからといってそりゃねぇだろう!」 虎鉄は怒りを隠そうともせず、叫び散らした。 「あーあ、どいつもこいつも馬鹿だなぁ。パパのはね、とってもとおっても素敵なんだよ。だから、私もこーんなに強く なれたし、頭も良くなったし、ついでにちょっと大人にもなれたんだから。そんなに素敵なものを羨ましがるどころか 気持ち悪がるなんて、パパにも私にも失礼だよ!」 波号は途端に機嫌を損ねて、両手を掲げた。紀乃は吐き気を懸命に我慢していたせいで、一瞬、対処に遅れた。 波号の周囲から発生した新たな衝撃破は、先程の嵐とは異なり、地震のような衝撃だった。但し、地面ではなく空気 そのものが揺さぶられた。受け止めるにしても、力が強すぎる。受け流すにしても、距離が狭すぎる。紀乃は必死に サイコキネシスの防護壁を張って皆を守ろうとするが、突っ張った腕が震えて肘が曲がりそうになる。 「う、あぅっ……」 「どうしたの、もう限界? つまんないの!」 波号は子供らしく笑いながら、右手をひらりと翻した。すると、さながら床板をひっくり返されたかのように紀乃らの 足元が反転し、天地が逆さまになった。またもや上下の感覚を失いかけたが、紀乃は瓦礫だらけの地面目掛けて サイコキネシスを放ち、叩き付けられる寸前で皆の体を受け止めて軟着陸した。クッションを間に挟んだかのように 一度バウンドしてから、上下を正した紀乃が着地すると、他の三人も同じように着地した。 「つまんない」 波号は拗ね、小さな唇を尖らせる。 「だったら、俺が面白くしてやろうじゃないか!」 瓦礫の一つを踏み切り、虎鉄は高く跳躍した。体の全てを金属に変化させたが故に、その筋力も人間の数百倍と 化している虎鉄は、体重六百キロ近い体を軽々と空中に放った。その両足が抉ったコンクリート片は粉々に砕けて 粉塵が散り、鉄骨がくの字に折れ曲がる。ライダースジャケットを脱いだ傷だらけの背中が地上数十メートルの高さに まで上り詰め、波号に狙いを定める。腰を捻った虎鉄が波号に殴りかかるが、波号の頭はぐにゃりと溶けた。 「くそっ、やっぱりか!」 すぐさま波号の頭から拳を引っこ抜いた虎鉄が落下すると、波号はそれを追った。 「よくも意地悪したね、パパに言い付けてやるんだから!」 「自分からケンカを吹っ掛けといて良く言うぜ!」 毒突きながら虎鉄が地面に着地すると、その足元は砲弾を撃ち込まれたかのように抉れた。 「あんたなんか大嫌い! パパ以外の男なんて大嫌い!」 下半身を液状化させて着地した波号は、文字通り滑るように虎鉄に迫る。虎鉄は拳を固め、力を高める。 「俺もそんなことを娘に言われてみたかったよ!」 短く幼い腕が振るわれ、虎鉄の拳に接する。掴んだだけでへし折れそうな少女の腕の感触に、虎鉄は僅かばかり 怯んだが、戦意を保って波号の腕を握り締めた。薄い肌が固まり、成長途中の危うい骨が強張り、薄っぺらい筋肉 が薄っぺらい鉄板と化していくが、波号は動じるどころか恐ろしく澄んだ瞳で虎鉄を見返してきた。 「嫌い」 惜しみない憎悪を込めた言葉と同時に、虎鉄は強烈な頭痛に襲われた。 「ぐげぁあっ!?」 鋼鉄の脳を焼け焦がさんばかりに電流が暴れ、神経を千切らんばかりに血流が乱れ、痛みが全身の隅々にまで 行き渡る。波号の腕を掴んでいる手のひらは特に尖った痛みが走り、触れていることすら耐えきれなくなった虎鉄は 波号の腕を放してよろめいた。喘いでも酸素が脳に回らず、息をするたびの喉の粘膜が引きつり、視界が回転して 三半規管が能力を損なう。立っていることすら怪しくなった虎鉄が片膝を付くと、波号は侮蔑の眼差しを送った。 「救いようのない馬鹿。私がイッチーの能力も持っているって知っているくせに、どうして不用意に近付いてくるの? イッチーの幅の狭い能力が適応されるのは機械部品だけなんだから、体が鉄のあんたにも通じるってこと、なんで 思い付かないの? まあ、思い付いていたとしても、私に勝てるわけないんだけどね」 「人のことを馬鹿って言う方が馬鹿なのよねぇっ!」 波号の言葉を遮ったのは、芙蓉の叫びだった。彼女は全身を溶かして地面に染み渡ると、完全に気配を消した。 波号は鬱陶しげに舌打ちしてから、芙蓉の位置を捉えようと目を凝らした。しかし、生体組織を余さず液体と化した 芙蓉は不定型な上に異様に素早く、見つけるのは難しい。紀乃も母親の居所を探ろうと感覚を広げたが、その雫の 一滴すらも感じ取れなかった。足元で水音が駆け巡っているのがかすかに聞き取れるだけで、芙蓉の存在感自体 が溶けている。波号は紀乃を攻撃するべきか芙蓉を捉えるべきかを迷っているのか、目線が左右に揺れている。 小川のような涼やかな水音が途絶えた瞬間、視界の隅に光が撥ねた。紀乃が反射的に振り向くと、日光を帯びた 水滴が地面の割れ目から噴き上がり、目映く煌めいた。 「うるさいなぁ、もう!」 波号はサイコキネシスを使って一瞬で間を詰め、水飛沫に手を突っ込んで鋼鉄に変化させた。途端に弾丸の如く 固まった礫がばらばらと飛び散ったが、それだけだった。固めた液体に芙蓉の生体反応がないことに気付いた波号が 顔を上げた瞬間、先程芙蓉が作り出した水柱がぐにゅりとねじ曲がり、波号に食らい付いた。 「あ、そぉーれぇっ!」 滝から引き剥がした瀑布を叩き付けられたかのように、細かな水飛沫と湿った風が吹き抜ける。紀乃は防護壁を 張って水滴を防ぎながら、水道水の竜に噛み付かれた波号を覗き込んだ。忌部も紀乃の肩越しに見ているらしく、 フンドシが背後に浮いた。水道水の竜から生体組織を回収して本来の姿を取り戻した芙蓉は、干涸らびた廃墟に 染み渡っていく水を見下ろした。円筒状に形を成していた水道水は芙蓉の制御を失ったことで解けていき、水圧で 破壊された瓦礫がいくつか現れたが、肝心の波号の姿はどこにもなかった。 「あんたの戦い方なんて、馬鹿の一つ覚えなんだよ!」 芙蓉の背後に、突然、波号が出現した。芙蓉が振り返るよりも早く、波号は電磁手錠を叩き付けた。 「なんで、どうして!?」 芙蓉の細身の両手首に電磁手錠が填ると、電磁波が能力を阻害した。芙蓉は苦々しげに唇を噛みながら波号と 向き直ると、波号はいつのまにか電磁手錠を携えていた。それも一つや二つではなく、何丁も。 「考えてみたら? 馬鹿じゃないんなら」 「逃げろ、紀乃! 次郎と溶子を連れてさっさとどっかに行っちまえ! でないと、俺達は全滅だ!」 這い蹲った虎鉄は娘に怒鳴るが、凄まじい頭痛が再び襲い掛かり、声にならない悲鳴を上げて悶えた。 「そうよ、紀乃! あなたが竜ヶ崎のものになっちゃったら、それこそ元も子もないのよね! だから、逃げて!」 電磁手錠をじゃらじゃらと言わせながら近付いてくる波号から後退りながら、芙蓉も叫ぶ。 「うるさい」 波号が虎鉄を一瞥すると、一瞬の後、その太い両手首も電磁手錠が戒めた。 「瞬間移動……なのか?」 苦痛に震える虎鉄の背は、鋼鉄の鈍色から本来の日に焼けた男の肌色に戻っていった。それは、鋼鉄化能力を 封じられた証しに違いなかった。だが、虎鉄と芙蓉にも、紀乃にも忌部にも、瞬間移動能力を持ったミュータントの 心当たりはない。となれば、考えられる線はただ一つ。宇宙を旅する力を持つ、竜の首からコピーしたのだ。 「勝ち目なんて、あると思うか?」 忌部は紀乃を背に庇いながら、嘲笑混じりに漏らした。紀乃は臆し、ゆるゆると首を横に振った。 「そんなの、ない」 電磁手錠の威力は身に染みて知っている。小松と一緒に捕らえられた際に付けられ、完全に超能力を封じられて しまった。あの時は小松がいてくれたおかげでなんとか脱出出来たようなものであり、先程は芙蓉が溶かしてくれた から自由を取り戻したのだが、その芙蓉もまた電磁手錠に戒められている。虎鉄は過電流の頭痛が抜けていない のに叫んだせいで苦しみが増したらしく、磨り潰したカエルから絞り出したような呻きを零している。逃げるにしても、 虎鉄と芙蓉を助けなければ何の意味もない。ガニガニの時と同じだ。戦わなければいけないのに、戦えるのは自分 だけなのに、戦うための力が出てこない。十丁はある電磁手錠をじゃらじゃらと回しながら悠長に歩いてくる波号の 面差しは、死刑執行人を思わせる冷徹さを湛えていた。 「……ある?」 コンクリートの欠片を踏み、鉄骨の端を蹴り、瓦礫の隙間を跨ぎながら、波号は近付いてくる。 「ある、かも?」 紀乃は波号との距離を測りながら、自問自答を繰り返した。そして、思い当たった。 「忌部さん! あの肉片ってワンのだよね、ってことはワンの中に入っても平気ってことだよね! てぇことはつまり、 合体出来てワンを動かせるかもしれないってことだよね! ね!」 「え……? いや、それはどうかな。俺とあいつに共通性があったとしても、免疫で弾かれちゃおしまいだ」 砕けたコンクリートを踏みながら後退った忌部は、紀乃の話の唐突さに戸惑いながらも答えた。 「でも、御前でしょ? 御前って龍ノ御子と同じくらいに重要じゃん! だから、やって出来ないことはないと思う!」 「思う、だけじゃどうにもならないことがいくらでもあるってことぐらい、解っているだろうが!」 忌部に言い返されたが、紀乃は怯まなかった。というより、自棄になっていた。 「解っちゃいるけど、他に打開策なんてない! お願い、ワン、お願い、忌部さん! どうにでもなれぇーっ!」 「おいこら紀乃っ!」 何をするんだ、と言いかけた忌部を、紀乃はサイコキネシスで真っ直ぐに竜の首へ吹き飛ばした。透き通った影は 矢のように空中を駆け抜けて竜の首へと到達したが、忌部を軟着陸させる寸前で波号が紀乃の目の前に瞬間移動 した。前触れもなく視界を塞いだ少女の顔に紀乃は思わず息を呑むと、あの憎たらしい金属の輪が両手首を戒め、 がしゃりと錠が填った。その拍子にサイコキネシスの制御が途切れてしまい、忌部らしき朧な影が竜の首の瞼付近に 激突して鈍い音を立てた。忌部から来るであろう罵倒と文句を予想した紀乃は首を縮めたが、悲鳴どころか罵倒も 文句も聞こえず、不思議がりながら竜の首を窺った。波号は面倒そうだったが、紀乃に倣って目をやった。 竜の首の瞼付近には、忌部のものに間違いないフンドシが引っ掛かっていた。即席の戦場と化した廃墟を通って きた残暑の湿っぽい風が、フンドシの端を持ち上げて通り過ぎた。紀乃はなぜか妖怪の一反木綿を思い出したが、 気を取り直して目を凝らし、全裸になって竜の首に引っ掛かっているであろう忌部の姿を探した。しかし、竜の首の どこにも光が屈折した部分はない。もしかして見当違いの方向に吹っ飛んだんじゃ、と今更ながら紀乃が慌てると、 ウロコの代わりに岩石を貼り合わせたかのような瞼が鈍い摩擦音を立てながら持ち上がり、体液の代わりに砂粒を 零しながら単眼が大きく見開かれ、針の如く細かった瞳孔が徐々に広がった。 唐突に落盤が起きた。粉塵が高く舞い上がり、空が灰色に濁る。砂が目に入りかけ、紀乃は目を半分閉じながら 落盤の根源を探した。戦闘に次ぐ戦闘で廃墟が崩落したのだろうか。ざらついた風が通り過ぎるのを待ってから、 紀乃は顔を上げた。砂塵が落ち着くと、見慣れぬ色彩が目に付いた。それが何なのかを確かめる間もなく、更なる 落盤が続いた。サイコキネシスが使えれば空中にでも逃げていたのだろうが、そうもいかず、紀乃はピンヒールが 折れかねないほど強く踏ん張って堪えた。砂埃のフィルターが掛かった視界の先では、防御力がほとんどない生身 に戻ってしまった虎鉄が両手で頭を押さえて歯を食い縛り、芙蓉もまた懸命に身を縮めて、容赦なく降り注ぐ小石や 破片を浴びていた。それらが晴れるまで、しばらく時間が掛かった。紀乃は砂まみれの顔を拭おうとしたが、その手を 波号が掴んできた。サイコキネシスでも使って防いでいたのか、波号の顔や髪には砂粒一つ付いておらず、嫉妬と 嫌悪に充ち満ちた表情で紀乃を睨み付けていた。腕を掴む手もきつく爪を立てていて、肌に食い込んでくる。 「パパはあんたを連れてこいって言ったけど、パパが私以外の女に触るなんて死ぬほど嫌。だから、ここであんたを 殺しちゃう。どうせ誰も見てやしないし、事故だって言えばいいもん。生きてなくたって、生体情報さえあればいいん だもん。だから死んで、ね、すぐ死んで? だって邪魔なんだもん」 波号は両目を大きく見開き、紀乃に顔を近寄せてきた。爪が更に食い込み、紀乃の腕は鬱血してくる。手と指が 痺れ始め、嫌な汗が首筋に浮く。波号の目は子供らしからぬぎらつきを帯び、紛れもなく女の顔だった。それもそう だろう、竜ヶ崎全司郎は現在進行形で関係を持っている女性がいてもお構いなしに他の女性に手を出す男だ。先に 手を付けられた側からすれば、嫉妬で耐えられまい。だが、だからといって紀乃に当たるのはお門違いだ。紀乃は 竜ヶ崎と関係を持つつもりはないし、今後、一切合切会うつもりもない。そう言い返そうとしたが、波号から注がれる 真摯なまでの嫉妬に並々ならぬ恐怖を感じ、悲鳴を堪えるだけで精一杯だった。 「おい」 粉塵の奥から、砂を擦り合わせるような濁った声がした。 「その手を離せ、クソガキが」 ず、ず、ず、ず、と巨大な異物が迫り上がる。その上にたっぷりと降り積もった砂塵をざらざらと流しながら、竜の首が 起き上がっていく。首の付け根から肉の筋が二本伸び、更にその後ろから一際太い筋がぐぬりと伸び、関節がある かのように折れ曲がる。直径十メートルは優にある赤い単眼が瞬くと、一対のツノの真下からも皮膚が裂けて筋が 別れ、さながら腕のように形を変えていく。太い両足と長い尻尾の根本付近から覗く恐ろしく太い頸椎を背骨の 代わりにして、それは直立した。みぢりぃっ、と単眼の下に口のような裂け目を作り、歪めると、竜と言うべき様相に 変形した竜の首は、聞き覚えのある声でぼやいた。 「全く、今日は厄日だな」 10 11/17 |