南海インベーダーズ




生活は怠惰なり



 校庭には、こんもりと砂の山が作られていた。
 その中心には、太い流木が一本突き立てられていた。紀乃の見間違いでなければ、砂の山に刺した棒を倒さない ように砂を掬っていく遊び、棒倒しに違いなかった。全長二メートルはありそうな砂山の傍ではミーコが遊んでいて、 木箱に詰めた砂を運んできた小松が外装に付いた砂を払っていて、ゾゾが紀乃を待ち侘びていた。超能力を使った 本物の戦闘でなくてよかった、と思う反面、ゾゾの感覚って子供っぽいなぁ、とも思ってしまった。

「では、始めましょう」

 ゾゾは砂山を背にして、三人を見回した。

「この棒を倒してしまった方が今夜の夕食当番になります。そして、優先的に人類を掌握する権利を得ます」

「えぇー……? それ、極端すぎない?」

 紀乃が思い切り嫌な顔をすると、ゾゾは得意げに笑った。

「どうです、紀乃さん。ますます張り合いが出たでしょう」

「張り合い、っていうか」

 棒一本に六十四億人の命運を懸けてしまうのは、呆気なさすぎる。ゾゾの言うことは本気とも嘘とも取れず、本気 だったら困るので参加しないわけにはいかない。すると、三人はごく普通に順番を決めるじゃんけんを始めたので、 紀乃も慌てて参加した。その結果、小松、ミーコ、紀乃、ゾゾの順番に決定した。小松は四本のマニュピレーターが 付いた腕を伸ばし、ざっくりと砂を掬い取った。

「終わった。次」

「ミーコミーコはミヤモトミヤコ!」

 ミーコはばふんと砂山に突っ込み、腕どころか体全体で砂を掻き出した。

「じゃあ、次、私ね」

 紀乃は乾いた砂に手を差し込もうとすると、ゾゾが制止した。

「いえいえ、それではいけませんよ。紀乃さんは超能力の訓練をしているのですから、超能力を使いませんと」

「でも、上手く使えないんだし」

 紀乃が躊躇うと、ゾゾは尻尾をぬるりと曲げて紀乃のスカートの端に引っ掛けた。

「でしたら、こうすればよろしいのではありませんか?」

「ぎゃあ!」

 不意打ちに紀乃が飛び退くと、その拍子に超能力が暴発して砂山の端が吹っ飛んだ。

「おやおや、残念。下穿きも引き摺り下ろすつもりでいたのですが」

 ゾゾが尻尾を下ろすと、紀乃は腰を引きながらスカートを押さえて絶叫した。

「ばっ、うっ、何しやがるー!」

「そうです、その意気ですよ、紀乃さん。では、次は私の番でしたね」

 ゾゾは何事もなかったような態度で、砂山を掻き出した。紀乃は膝丈のスカートを押さえて息を荒げ、膝をぴったり と閉じてゾゾを睨み付けていたが、思うように力は出なかった。こういう時こそ発揮されるべきだと思うのだが、融通 が利かない。ゾゾが身を下げると、小松が二度目に砂を掬い出そうとしたが、ぐるぐると頭部が回転しているせいで 狙いが定まらず、右半分の足をがくんと折り曲げて砂山に突っ込んでしまった。当然、砂山は崩壊して棒も大きく傾き、 その勢いのままひっくり返った小松は、昆虫のように下半身の六本足をがしゃがしゃと蠢かせた。

「おやおや、これはこれは」

 ゾゾはくすくすと笑ったが、小松を起こそうとはしなかった。

「では、小松さんは一抜け、ということで。では、もう一度砂山を作り直して続きをいたしましょう」

「うぉぉ……」

 小松は苦しげな呻きを漏らしながら体の上下を元に戻し、いやにぎこちない動作で校庭から出ていった。

「前屈み、といったところでしょうか」

 ゾゾが肩を揺すると、ミーコはばっさばっさと砂を散らかした。

「前屈みカガミカガミミー!」

「ちょ、超能力は出たけど、あれはない……」

 紀乃がずりずりと後退すると、ゾゾはにたりと口元を緩めた。

「これまでの事例から判断するに、紀乃さんの能力が解放されるには瞬間的な感情の爆発が欠かせません。です ので、私が考え得る中で最も効率的な行動を取ったまでなのですが」

 もっともらしく説明するゾゾに、紀乃は泣きたくなってきた。何が悲しくて、こんなセクハラトカゲの味方にならなきゃ ならないんだろうか。だが、ちょっとばかり超能力が使えるようになったぐらいで自分を隔離して兵器扱いした人類を 見限ったのは紀乃自身だし、これ以上ない味方だろうが、事ある事にあんなちょっかいを出されてはたまらない。

「では、紀乃さん。訓練を兼ねた棒倒しの続行を」

 笑みを隠さずににじり寄ってきたゾゾに、紀乃は砂を一掴みし、渾身の力で投げ付けた。

「するわけないだろっ!」

 単眼に砂粒を喰らったゾゾは、おうっ、と間の抜けた声を漏らして後退る。その隙に紀乃は全速力で駆け出した。 二人の言った通りになぜか前屈みになっている小松から引き留められたが、紀乃は振り返らずに畑や家屋の 間を走り抜けた。もうやだ、とは思うが、慣れなきゃダメだ、とも思い、けれど、だけど嫌だやっぱり嫌だ、と絶望が 胸を渦巻いた。エメラルドグリーンの海の鮮やかさだけが救いになるような気がして、ひたすら海を目指して走った。
 走りながら、ちょっと泣いた。




 油臭い灯台にもたれて見る夕焼けは、綺麗だった。
 スカートがめくれないように膝を抱えてぼんやりしているうちに、夕方になってしまった。喉も乾いていたし、空腹でも あったが、廃校に帰ればまたゾゾに何をされるか解らない。少なからず好意を抱いていたのに、ひどい裏切りだ。 だが、考えてみれば予兆がなかったわけではない。恋愛ドラマを見て紀乃に恋愛を迫るような言動を取ってきたり、 何かと紀乃の世話を焼いたりと。紀乃からしてみれば、ゾゾは男として見るどころか恋愛対象以前の問題だ。紫色 のでかいトカゲでしかないゾゾに、好意を抱くのはまず無理だ。出来ることなら、もう付き合いたくない。

「……帰りたくない」

 だが、帰らなければ夕飯を食べ損ねる。そういえば、結局、あの棒倒しの勝者は誰だったのだろう。

「紀乃」

 地面の鈍い震動と共に大きな影が近付き、小松が背後に寄ってきた。

「何よ前屈み男」

 憂さ晴らしに紀乃が毒突くと、小松は途端に大股に後退った。

「そおっ、それは誤解だ、うん誤解だ誤解」

「じゃあ、なんで逃げたの」

「説明する必要もなければ義務もない」

 と、小松は頭部を反らしたので、紀乃は確信を得た。前屈みになっていたのは間違いない。それまでは特に何も 思っていなかった小松に軽蔑の感情が沸いたが、ゾゾへの嫌悪感よりは少なかったので口に出さなかった。小松は 人型重機に脳が癒着した元人間の青年なので、むしろ、あの反応は正常だと考えるべきだろう。だから尚更、紀乃に 執着するばかりかセクハラまでしてくるゾゾが異常なのだ。

「あいつはあいつで、君が仲間になったことを喜んでいるんだ」

 挙動不審気味ながらも小松がそれらしく話を切り出したが、紀乃は素っ気ない。

「にしたって、あれはない」

「悪気はない」

「悪気があった方がまだマシだよ。ていうか、悪気がないっていう奴ほどやることがあくどいんだよね」

「それは……道理だ」

 小松はそれきり黙り込み、ぎしりと足を縮めた。鮮烈な西日に照らされた機体の影が長く伸び、灯台にも匹敵する 長さの影が出来ていた。紀乃は眩しさと小松の鬱陶しさで表情を歪めながら、煌めく水平線を見やった。
 こんな面々が本当に人類を脅かしているのか、今更ながら信じがたかった。ゾゾはまだ解るとしても、ミーコと小松は 侵略者としては頼りなさすぎる。ミーコにしても、寄生虫を相手の肉体に挿入して繁殖させるには接触しなければ ならないし、小松は人間の脳と合体した人型多脚重機というだけで、小松自身は至って無害だ。そんな連中の味方に なったのって本当に良かったのかな、と紀乃は後悔しかけたが、引き返せない状況なのだと思い直した。

「キーノォオオオオオオオオオ!」

 唐突にあの声が聞こえたので、紀乃と同時に小松もぎょっとして身動いだ。振り向くと、湯気を立てる鍋を頭上に掲げた ミーコがにこにこしながら駆けてきた。ゾゾはミーコの十数メートル後方を、緩やかに歩いている。

「完全に忘れていた」

 小松が頭部を反転させてから体を反転させると、紀乃は頬を引きつらせた。

「ミーコさんの御飯って、何?」

 ミーコの乱暴な歩調に合わせ、だっぱんだっぱんと鍋の中身は波打った。そのたびに煮汁らしき液体が散らばり、 ミーコの頭も上半身もべたべたに汚れるが、ミーコは全く気にしていない様子で灯台まで走ってきた。が、灯台の 階段で蹴躓いたため、ミーコは鍋を盛大に転がした。その中から飛び出したのは、泥と砂がたっぷり混じった海水で 煮込まれた無数のフナムシだった。

「うおおおおおっ!?」

 驚きすぎて男らしい悲鳴を上げた紀乃が後退ると、小松は僅かに身を引いた。

「ま、まあ、ミーコだからな」

「おやおや、零れてしまいましたね」

 悠長にやってきたゾゾは、真正面から転んだミーコよりも先にひっくり返った鍋を拾った。泥と砂と海水とフナムシ の上に突っ伏していたミーコは身を起こすと、ちょっと残念そうに空っぽの鍋を見上げた。

「転んだコロンダロダロダ」

「で、結局棒倒しはミーコさんが勝ったわけか」

 ミーコ作の夕飯がダメになったので紀乃が安堵すると、ゾゾは空の鍋を脇に抱えた。

「ええ、そうです。あなた方が抜けてしまったので、二人きりのゲームでした。そして、先約通りにミーコさんには今晩の 食事を作って頂いたのですが、見ての通り地面が食べてしまいましたので私が作り直すことにいたしましょう」

「ああ、良かった。これでまともな御飯が食べられる」

 紀乃が思わず本音を漏らすと、ミーコはむくれた。

「良くないナイナイナイ」

「で、今夜は何だ」

 紀乃から距離を取るように灯台から降りた小松がゾゾに尋ねると、ゾゾはゆらりと尻尾を振った。

「それは出来てからのお楽しみですよ、小松さん」

「あー、お腹空いた」

 小松に続いて紀乃が灯台から降りると、ゾゾは振り返った。

「おや、紀乃さん。機嫌はもう直られましたか?」

「直ってないけど、お腹空いたの。だから、帰るの」

 紀乃はゾゾと距離を置きながらも、彼らに続いて歩いた。ゾゾは鼓膜の下まで裂けた口元を開き、威圧的な印象を 与える笑みを浮かべた。ミーコは鍋がひっくり返ったのが余程残念だったらしく、小松の足をだんだんと殴り付け ながら足早に歩いていた。小松はミーコを振り払おうと足を払ったが、ミーコにすかさず滑り込まれてしまい、結局は 並んで歩くことになった。三人の形も大きさも違う影を追いながら、紀乃は彼らの会話に耳を傾けた。だが、その 内容は支離滅裂だ。ミーコは思い付くままにいい加減な言葉を吐き出しているだけだし、小松は単語がぶつ切り なので意味が上手く通じず、ゾゾは二人の会話に相槌を打っているようでいて独り言だった。
 何はともあれ、今夜の夕飯が楽しみだ。





 


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