南海インベーダーズ




地球外知的生命体的単騎行



 変異体管理局、臨時本部。
 またの名を、竜ヶ崎全司郎邸宅。都心の一等地を無造作に切り取ったかのような広大な敷地内には、海上基地 から追い出された人員や機材が詰め込まれていた。手間と時間と金を存分に掛けられた日本庭園には、各種機材を 繋ぐケーブルが血管のように這い回り、四方八方から強烈な水銀灯が浴びせられ、高い漆喰塀の周囲は百人近い 自衛官と多数の戦闘車両に取り囲まれている。敷地に見合った広さの屋敷の母屋では生活感の欠片もない居間 に管制室が再現され、通信機器の前ではオペレーターの女性達が座布団を敷いて関係機関と情報をやり取りして いる。屏風のようなふすまは外されて無造作に部屋の隅に追いやられ、畳の上には重たい機材が載せられ、白衣の 研究員達が屋敷の中を忙しく立ち回っている。政府の人間も多く出入りしており、何はなくとも騒がしかった。
 夜空を通り過ぎる報道機関のヘリコプターを見上げながら、ガニガニは思い悩んでいた。変異体管理局から局員が 全員退去したばかりか、関東一円の住民に避難命令が下され、政府が非常事態宣言を発令するほどの事態を 引き起こす大事の一因を作ったのは自分だからである。多次元宇宙空間跳躍能力宇宙怪獣戦艦こと、ワン・ダ・バ が動き出したのは、もちろんゾゾがワン・ダ・バを蘇生したからだろう。変異体管理局内で竜の首と紀乃らの警戒に 当たっていたガニガニは、本来の生体組織とワン・ダ・バの生体組織が混ざっているため、ワン・ダ・バの生体活動 が活性化したことも感じ取り、長年の空腹で損なわれた神経伝達物質を補うために珪素回路である電影の代わり に小松の脳を使用していることも、外骨格の内側をなぞる感覚で理解していた。しかし、ワン・ダ・バが動き出したと いうだけで、竜ヶ崎全司郎が交戦姿勢を緩めてくれるとは考えにくい。ワン・ダ・バの東京湾襲来に合わせて変異体 管理局側の体勢を崩さなければ、竜ヶ崎は引き下がらないだろう。そう踏んだガニガニは、虎鉄と芙蓉と竜の首が 隔離されている格納庫に近付き、ヒゲの尖端で鉄骨に触れた。支柱に手錠を掛けられている虎鉄の電磁手錠から バッテリーの電力を抜き取ると、それから間もなくして能力を取り戻した虎鉄が暴れ始めた。そして、芙蓉と竜の首も 自由を取り戻し、局員や自衛官を叩きのめし、竜ヶ崎の自室にいた紀乃も救い出してくれた。
 結果、この国はえらいことになってしまった。ガニガニはヒゲと触角を交互に動かして平静を装っていたが、内心、 内臓が煮えるかと思うくらいに緊張していた。もしも、人間達にガニガニの謀反がばれてしまったら、ガニガニは一体 どうなってしまうのだろうか。厳罰を喰らうのか、それともインベーダー側に戻されるのか、もしかしてカニ鍋なんか にされちゃうのか。嫌な想像ばかりが頭を巡り、ガニガニは不安に駆られてがちごちと顎を強く鳴らした。
 不意に、正面玄関が騒がしくなった。竜ヶ崎邸の正面に配置されていたガニガニは巨体を伸ばし、塀の向こう側を 見下ろすと、検問も警備の自衛官も蹴散らす勢いで黒のジープラングラーが爆走してきた。正面の門に突っ込んだ ヘッドライトが真っ直ぐに日本庭園を切り裂き、太いタイヤに踏み潰された玉砂利が飛び散る。石畳や芝生のせいで ブレーキングが甘くなってしまったのか、盛大にドリフトして半回転したジープラングラーは、庭木に追突する寸前で ようやく制止した。直後、運転席のドアが弾かれるように開き、サイボーグの男が登場した。

『丈二兄ちゃん!?』

 驚いたガニガニが手近な拡声器にヒゲを接触させて喋ると、山吹丈二は軽い調子で挨拶してきた。

「ちょい久し振りっすねー、ガニガニ」

「わー、ジョージーなんさー! でも、なんでジョージーに臨時本部の場所が解ったんさー?」

 塀の右側を警戒していた電影が駆け寄ってくると、迷彩柄の戦闘服姿の山吹はにやりとした。

「俺はサイボーグっすから、その辺はどうにでもなるんすよ、どうにでも。暗号化されているものとはいえ、通信電波は じゃんじゃん飛び交っているっすから、発信源を辿れば一発っすよ、一発。ついでに言っちまえば、報道のヘリが カトンボみたいに飛び回っているっすから、昼間のうちにアタリを付けておいたんす。んで、夜になれば明かりが付く っすから、そこを目指してきたんすよ。どうっすか、凄いっすか?」

「わー、ジョージー、でーじ凄いんさー!」

 両手を挙げて電影が褒めると、ガニガニも釣られて頷いた。

『言われてみればその通りだけど、なんか凄いね!』

「敵地に単身で放り込まれるという絶対的不利な状況を生き延びたばかりか、自力で同胞と合流した俺の判断力を ブッ千切れるほど褒めてほしいっすけど、まずはむーちゃんの無事を確かめなきゃならないんす。どこっすか?」

 山吹は二人に近付き、尋ねた。ガニガニは電影と一度顔を見合わせてから、山吹を見下ろした。

『秋葉姉ちゃんなら、別の場所に行ったよ』

「……へぁ?」

 山吹は臨時本部に秋葉がいると信じて疑わなかったのか、声を裏返した。

「そ、そうなんさー。だからー、ジョージーはそっちに行くといいんさー。ここは手が足りているんさー」

 電影はガニガニを押し退けて前に出ると、山吹にずいっと顔を寄せた。

「そうっすか。んで、むーちゃんがいるのはどこの場所っすか? 近場の駐屯地っすか、そうでなければ近隣住民を 掻き集めた避難所っすか、もしかして政府に説明のために呼び付けられているんすか?」

 山吹は落胆しつつも再度尋ねると、ガニガニは口籠もった。山吹には嘘は吐けない。だが、本当のことを言うと、 大変な状況から無事に帰ってきた山吹を打ちのめしかねないからだ。現在、秋葉は臨時本部にはいない。けれど、 山吹が例を挙げたような場所にもいない。秋葉は、今、近隣の病院に収容されているからだ。虎鉄と芙蓉と竜の首が 海上基地で暴れた際に戦闘部隊との戦闘に巻き込まれて負傷した、と局員達には知らされた。
 だが、それは嘘だとガニガニは知っている。また芙蓉に溶かされてはたまらないとハネを広げて基地上空に浮上 した時、最上階の竜ヶ崎の部屋が偶然複眼に入ってきた。四角く大きな窓の奥では、異変を察知した秋葉が竜ヶ崎 の部屋に飛び込んでいた。秋葉は、虎鉄らの目を引き付けるために紀乃を捨てていこうとする竜ヶ崎に対して強く 抗議していた。だが、竜ヶ崎は紀乃をその場に放り出し、伊号と波号だけを連れて自室から出ていった。防音効果 のあるガラス越しなので音は聞こえづらかったが、秋葉の口唇が動いていたので内容が解った。あなたは自分さえ 良ければ他人などどうでもいいのですか、そんなあなたに従っていた私が馬鹿でした、この瞬間から私はあなたの 部下ではありません、だから。そう言って拳銃を構えた秋葉を狙って、どこからともなく出現したナイフが放たれた。 一瞬、日光を煌めかせた金属は秋葉の背中を袈裟懸けに切り裂き、秋葉は膝を折って崩れ落ちた。紺色の制服が 赤黒く染まり始めると、竜ヶ崎の尻尾と戯れていた波号がけらけらと笑った。何の悪気もなく。
 それからの先のことは、ガニガニにもよく解っていない。局員達が交わす言葉を仔細に聞き取って秋葉が病院に 搬送されていることや、一命は取り留めていることは知ったが、細かいことは察知出来ていない。秋葉と波号の間に 何があったのかは与り知らないが、あれほど可愛がっていた波号に裏切られた秋葉の心中は察するに余りある。 きっと、紀乃もそうなのだろう。敵対関係になったからと言えども、あれはやはり言い過ぎた。面と向かってきちんと 紀乃に謝ろう、たとえ許してもらえなくても。再びジープラングラーに乗って去っていった山吹を見送ったガニガニは、 巨体に見合わない大きさの脳を働かせ、この先どう動くべきかと懸命に考えた。
 だが、まるで思い浮かばなかった。




 小一時間、彼は鏡と睨み合っていた。
 ひどく難しい顔をしながら剃刀を肌に当て、中途半端に伸びていたヒゲを剃り落としてから、事務用なので切れ味が 今一つ悪いハサミで伸び放題だった髪を不器用に切り揃えていた。それまでは手探りでやっていた行為をちゃんと 目視しながら行う加減が違うらしく、指先や顎に小さな切り傷を作っていた。一通りの身支度を終えると、また鏡を 射抜かんばかりに睨み付けていた。角度を変えてみたり、手を翳してみたり、身を引いてみたりと、思い付く限りの ことをして自分が鏡に写っていることを確かめてから、忌部は振り向いた。

「なんでこうなったんだ?」

 嬉しがるべきなのか困るべきなのか決めかねているのか、透き通っていない忌部は中途半端な表情をしていた。 その顔立ちをまともに目にするのは初めてなので、ゾゾは単眼を据えた。目元は若干吊り上がり気味だが、鼻筋は 真っ直ぐ通り、唇の厚さは平均的で顎も同様だ。目を惹く容姿ではないがこれといった過不足はなく、日頃から忌部 が望んでいるような普通の顔立ちだった。ゴ・ゼンとして忌部が融合合体していた竜の首から分離させた時は、まだ 生体組織が不安定だったので忌部の肉体は赤黒い体液が混ざり合ったゼリー状だったが、ゾゾの持つ生体情報で 生体復元を行った結果、忌部は五体満足で蘇った。と、同時に、その姿が見えるようになっていた。

「ゴ・ゼンとしてワンと融合した影響で、一時的に忌部さんの生体情報が補正されたのですよ」

 忌部の程良く日に焼けた背を見つつ、ゾゾは答えた。忌部は今し方整えたばかりの眉を曲げ、再び鏡を覗く。

「一時的ってことは、しばらくするとまた俺は透明人間に戻るのか」

「ええ。忌部さんの新陳代謝の速度にもよりますが、二三日の間は色素が保たれるかと。それはそれとして、下着を 履いたらいかがですか。見たくもないものが、先程からぶらんぶらんしておりますよ」

 ゾゾが軽く目を逸らすと、忌部は私物の入った段ボール箱を開け、トランクスを履いた。

「となると、二三日は服を着なきゃならんのか。最悪だな」

「生体洗浄をお受けになったところで、忌部さんの性癖だけは洗浄出来ないでしょうねぇ」

 ゾゾは首を横に振ってから、小さく嘆息した。

「さしずめ、東京インベーダーズってところか」

 スラックスを履いてベルトを締めながら忌部が漏らすと、ゾゾは聞き返した。

「なんですか、それ」

「俺達の状況だよ。昨日までは南海インベーダーズだったがな」

「私達を一括りに言い表すとそうなるかもしれませんが、果たしてそんなものが必要ですかね?」

 ゾゾが首を傾げると、シワの寄ったワイシャツを着た忌部は袖口のボタンを留めた。

「外側から見たら必要だろうが、内側から見たら不要だ。俺達をインベーダーとして分類し、忌部島に隔離したのは 竜ヶ崎のクソ野郎だ。だから、俺達自身からインベーダーだと名乗ることは、奴の思い通りになってちまっている ってことだ。俺達は俺達だ。インベーダー以外の上手い呼び名が思い付けば良いんだが、生憎思い付かん」

「いずれ思い付くかもしれませんね。その時を楽しみにしておりますよ」

 それでは、とゾゾは一礼した。忌部はまだ納得が行かないらしく、ワイシャツの襟元を緩めたまま、何度となく鏡に 写る自分を眺め回していた。気が済むまでさせておこう、と思い、ゾゾは忌部の部屋を後にした。昨日までは変異体 管理局の男性局員が寝起きしていた寄宿舎は、彼らが逃げ出す際に落とした私物がそこかしこに散らばっていた。 下着、靴下、ワイシャツ、ネクタイに始まり、片方だけの革靴や携帯電話も点々と廊下に落ちている。エレベーター ホールで区切られている女子寄宿舎も似たようなものだったが、こちらはいかにも女性らしく、ヘアピンやシュシュに 始まり、生理用品、ハイヒールの片方などが無機質な廊下を彩っていた。エレベーターホールに入ったゾゾは、海に 面した窓から海上基地全体を見渡した。基地内の自家発電施設が生きているので、寄宿舎を始めとした建物には 明かりが付いているが、対岸には窓明かり一つない。政府が非常事態宣言が出すと同時に、東京湾沿岸の住民や 勤め人達は自衛隊や警察によって強制的に郊外に連行されたため、民間人はただの一人もいないからだ。情報源は テレビなので正確ではないだろうが、概要さえ掴めれば充分だ。
 遠くから、呂号のギターの音色が聞こえてくる。住み慣れた自室に戻った彼女は、紀乃のセーラー服を脱いでから シャワーを浴び、メタルファッションに身を包んでヘヴィメタルを掻き鳴らしている。甚平は呂号が一人でもちゃんと 動き回れることを確認すると、早々に資料室を漁りに行った。翠は好奇心に任せて基地内を散策しているが、芙蓉 がそれに付き合ってくれているので迷子になる心配はない。能力が使えない状態で鎖を噛み千切ろうとしたために 上下の前歯が全滅してしまった虎鉄は、割れた歯の根本を全部抜いてくれないかとゾゾに頼んできたので、ゾゾは とりあえず出来る限りの処置を施した。生体接触して虎鉄の痛覚を黙らせてやり、医務室にあった器具で抜けるだけ 抜いてやり、止血して消毒して抗生物質を飲ませてやった。しばらくはろくにものも食べられないだろうし、口の中が 傷だらけなので日常にも支障を来すだろうが、抜かずにいた方が良くないからだ。虎鉄の生体情報を存分に採取 出来たので、今後に役立ててやらなければならない。でなければ、虎鉄が味わった苦痛に見合わないからだ。
 女子寄宿舎の一室が開き、足音がした。蝶番が軋む音が静まり返った廊下に響き、青白い蛍光灯に照らされた 空間に鮮烈な色彩が現れた。半袖の赤いブラウスに裾をレースで飾られた黒のチェックのプリーツスカートを着て、 太い横ストライプのニーソックスを履いた紀乃だった。女性局員の服ではサイズが合わないし、呂号の服を着ては 少々面倒なことになりそうなので、その場凌ぎで伊号の服を借りたのである。ちなみに、下着の類は売店の商品を 失敬して全て新しくしている。紀乃は黒いサテンのシュシュで短いサイドテールに結んだ髪を気にしていたが、ゾゾの 目線に気付くと、エナメルの編み上げブーツを下げて心なしか身を引いた。

「よくお似合いですよ、紀乃さん」

 ゾゾは厚い瞼を狭めると、紀乃はドアを閉じ、編み上げブーツの丸いつま先に視線を落とした。

「うん。私も、こういうのは嫌いじゃない」

 ゾゾは紀乃に近寄ろうとかかとを上げたが、躊躇い、元の位置に戻した。紀乃はブラウスの上に羽織ったフェイク レザーのベストの裾を正していたが、半歩、後退した。

「現状について、ご報告いたしましょう。私達は来るところまで来てしまいました」

 紀乃との距離を狭めたい気持ちを抑え、ゾゾは窓に向き、東京湾に横たわるワン・ダ・バの巨体を見やった。

「今現在、私達の元には、クソ野郎の野望を阻むために不可欠な人材が揃いつつあります。宇宙怪獣戦艦の本体 であるワン・ダ・バ、ワンの首と融合なさったばかりか生体洗浄の実用性を我が身で立証して下さったゴ・ゼンである 忌部さん、類い希な能力を持つ紀乃さんの御両親。そして、龍ノ御子に近い生体情報をお持ちの紀乃さんご本人。 ワンの本体と融合し、ワンの脳の神経伝達物質に成り代わって下さったミーコさん、珪素回路であるヴィ・ジュルの 代用となって下さった小松さん。小松さんの情報処理能力には若干の不安がありますが、ワンとの融合を続けて いればおのずとキャパシティは増えていくことでしょう。物理的に考えて、小さな勾玉であったヴィ・ジュルよりも遙かに 容量が大きいですからね。そして、ワンの能力を解放し、再び在るべき世界へと戻すことが出来る私の生体情報。 足りていないものは、若き日の私がクソ野郎に分け与えた、生体情報の半分だけです。それさえ取り戻せば、私は 首を縫合して元に戻ったワンに乗って地球を旅立ちましょう」

 最後の言葉に、紀乃はびくりと肩を震わせた。

「私達は、この世界にとっては異物なのです。言ってしまえば、凶悪な感染力を持った病原体も同然です。ガン細胞 なのです。ですから、排除され、差別されるのは、地球という惑星の免疫として至極真っ当なことなのです。しかし、 私の忌々しい片割れは、次から次へと女性に手を出しては不要な因子を授かってしまった人間を産み出させます。 それを止め、あなた方の人生を狂わせずに済む方法はただ一つ、私達がここから去ることなのです」

「……私は、この力がいらないものだなんて思わない」

 紀乃はサイコキネシスを発現させ、廊下に散らばるものを浮遊させた。

「これがなかったら、私はゾゾに会えなかった。戦えなかった。露乃とだって、一生会えなかった。だから、この力も 含めて私なんだ。だから、そんなこと言わないでよ」

「おやおや、それはそれは」

「嘘じゃない! 心からそう思う! ゾゾだって、私の才能だって言ってくれたじゃない!」

 顔を上げた紀乃に、ゾゾは強張った眼差しを返した。

「確かに、並外れた適応範囲の広さとパワーを兼ね備えたサイコキネシスは、紀乃さんにしか許されない素晴らしい 才能です。ですが、特殊能力を生まれ持っていたせいで、人間扱いされなくなり、学校にも通えなくなり、御両親からも 引き離され、絶海の孤島に隔離され、母国を含めた人類から敵対されたとしても、ですか?」

 紀乃は二の句を継ごうとしたが、唇を噛んだ。ゾゾは紀乃から目を逸らさず、続けた。

「いいですか、紀乃さん。紀乃さんには、人間として生きるべき道があります。全うすべき義務もありますし、いずれ 出会うであろう生涯の伴侶と家庭も築くでしょうし、大切な御両親と妹さんもいます。ですが、私は紀乃さんの人生に 関わるべきではないのです。私の生まれは地球ではありませんし、生物としては根本的に異なりますし、軍や母国が 健在かどうかは定かではありませんが果たすべき任務もありますし、続けるべき研究もあります。私と紀乃さんでは、 生きるべき世界そのものが違うのです。どうか、解って下さい」

「どうして、そんなこと解らなきゃいけないの?」

 紀乃はゾゾと向き合い、拳を固めた。宙に浮き上がっている女性局員達の忘れ物が、一層高く浮かぶ。

「それは、今し方述べた通りですよ」

 ゾゾは紀乃に背を向け、尻尾を下げた。紀乃は拳を緩めるが、浮かんだものは落ちなかった。

「それはそうかもしれない。だけど、ゾゾはゾゾだよ」

「お気持ちは嬉しいですが、困ってしまいますねぇ」

 尻尾を半分だけ上げたゾゾは、目の端で紀乃を窺った。

「ずっとこのままじゃ、ダメなのかな」

 紀乃は両手をきつく組んでサイコキネシスを押さえようとしたが、意に反して忘れ物は天井近くまで浮き上がる。

「そんなのダメだって、有り得ないって、頭じゃ解っている。解った気持ちでいる。でも、嫌。凄く嫌なの。竜ヶ崎って人 を倒して、ヴィ・ジュルっていう名前の勾玉も取り返して、ガニガニも助けて、ワンを動かせるようにして、生体洗浄を 受けなきゃ、って思うけど、嫌。力がなくなったら、私はゾゾにとってなんでもなくなるんだもん!」

 堪えきれなくなった紀乃が声を荒げると、廊下を衝撃破が駆け抜け、女子寄宿舎のドアが一斉に開いた。

「それが、本来あるべき姿なのですよ」

 紀乃の震える肩を抱き寄せたい衝動を殺すため、ゾゾは爪を手のひらに食い込ませた。

「ねえ、ゾゾ」

「はい、なんでしょう?」

 紀乃の弱々しい問いにゾゾが返すと、紀乃は唇を舐めてから、開いた。

「露乃から聞いたんだけど、ゾゾが私のこと、利用したって本当?」

「ええ。それが真実です。幻滅いたしましたでしょう、お嫌いになったでしょう、さぞや腹立たしいことでしょう」

 ゾゾは出来る限りの自嘲を込め、尻尾を揺する。

「……うん」

 弱々しく呟いた紀乃は、泣き笑いのような顔をした。

「でも、それでもいいかなって思ったの。馬鹿みたいだけど」

 本当に馬鹿だ。そう言って、罵倒すれば良かっただろう。頬でも何でも張り飛ばして、考え直せと叱るべきだった。 目先のことに気を取られていないで現実を見極めろ、と、頭ごなしに怒鳴るべきだった。だが、そのどれも出来ず、 否定する言葉すら吐けず、ゾゾは尻尾をだらりと垂らして歩き出した。紀乃から引き留める言葉が掛けられたが、 聞き取ることすら耐えられず、ゾゾは非常口を開け放った。夜気を纏った猛烈な潮風が吹き付ける中、ゾゾは己の 生体情報を操作してコウモリに似た翼を生やし、非常階段を蹴って空中に躍り出た。
 紀乃の思いに応えてやりたい。好かれているのと同じか、それ以上に好意を抱いていると伝えてやりたい。言葉に して、行動にして、料理に込めて、どれほど愛しているかを教えたい。自分を抑圧すればするほどに欲望は増大し、 心臓を締め付けて内臓を煮えさせる。思いを伝えるのは容易いが、問題はその先だ。ゾゾは竜ヶ崎全司郎とほぼ 同じ生体情報で出来ている。だから、竜ヶ崎に成り得る因子がゾゾの内に宿っているはずだ。紀乃に思いを伝え、 紀乃が応えてくれたなら、ゾゾの内なる竜ヶ崎が目覚めるかもしれない。愛すればこそ慈しむべきところを、愛情を 渇望にすり替えて貪ってしまうかもしれない。ほんの僅かな可能性に過ぎないとしても、可能性は可能性だ。夜気を 切り裂いて東京湾上空を飛行しながら、ゾゾは口元を歪めて牙を剥いた。
 片割れと変わらない自分が、心底憎らしい。





 


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