死んだ都市の中で、奴の居所だけが息づいていた。 だから、探すまでもなく、竜ヶ崎の居所は掴めた。都内有数の高級住宅地に程近い高層ビルの屋上に立ち、ゾゾ は単眼を凝らした。四方八方からサーチライトを当てられている大邸宅は光の洪水に溺れていて、夜の帳を強引に 押し退けていた。放置された乗用車が点在している道路にも街灯の明かりは落ちていたが、それ以外の街明かりは 一切ないので、竜ヶ崎邸だけが目立っている。ビル風に混じって流れてくる秋口の夜風は重たく湿り、冷たく硬い 肌をずるりと舐め回してから翼を膨らませ、通り過ぎていく。立てていた尻尾を下ろし、ゾゾは深く息を吸うが、都会 の空気はワン・ダ・バの周囲に比べると硫黄濃度が薄すぎ、二酸化炭素濃度が濃すぎた。肺の内部で呼気に必要 な物質を補える構造にはなっているが、外から採取出来ないと若干不自由だ。 竜ヶ崎邸から飛び出したであろう一台の車が道路を走るエンジン音が死んだ街を掻き乱し、遠のいた。その音の 行方を少しだけ気にしつつ、竜ヶ崎邸を注視した。警備は厳重極まり、これでもかと言わんばかりに自衛隊や警察 から人員が割かれている。変異体管理局の重要性を世間にアピールするためであり、竜ヶ崎が我が身を守りたい がために寄せ集めた生け贄だ。出来ることなら彼らに迷惑を掛けずに竜ヶ崎だけを仕留めたいところだが、生憎、 ゾゾの戦闘の腕は皆無だ。かといって、今から生体改造を施したところで、馴染みのない能力を持て余して結局は 隙が生まれ、やり込められるだけだ。実戦向きではない生体情報で生まれ付いたのが、今ばかりは疎ましい。 ビルの屋上を蹴って飛び出したゾゾは、翼を広げ、風を掴んだ。夜の気配に惹かれて外界に現れたコウモリの間を 擦り抜け、ビルに寄り添うマンションの脇を抜け、幹線道路に沿うように飛行する。空から攻めるのが最良だが、 馬鹿正直に上空から降下しては狙い撃ちされてしまう。だから、なるべく高度を下げて移動した後、急上昇して敵の 懐に飛び込むのだ。頭の良い作戦とは言い難いが、今のところ、ゾゾが思い通りに扱えるのは、科学文明の発達に よって退化してしまった翼を再現して成した飛行能力だけだ。以前、紀乃のサイコキネシスを借りたこともあったが、 あれはあくまでも紀乃の能力であってゾゾの能力ではなく、ゾゾの脳髄では小手先の出力でしか扱えない。それに、 ワン・ダ・バの蘇生手術を行った日には使用出来たが、紀乃の能力を借りた日からは大分時間が経っているので、 新陳代謝が行われて紀乃の生体情報は除去されて体外に排出されている。もしも、紀乃を連れてきていたら、彼女 は戦ってくれただろうか。きっと、我が身を省みずに最前線に飛び込み、強力なサイコキネシスを駆使して竜ヶ崎に 立ち向かってくれるだろう。それが紀乃だ。情が深いというか、一途というか。だが、今はそれすらも心苦しい。 「私は、一体何をやっているんでしょうねぇ……」 ゾゾは給水塔を支えている鉄骨に寄り掛かり、ほうっと嘆息した。今やインベーダーの本拠地となった海上基地を 飛び出さずに、紀乃の傍にいてやるべきだった。ゾゾに執心しているのは、状況が変わって不安になっているから だろう。そうでもなければ、紀乃の方からあんなことを言うわけがない。両親や生き別れの妹と再会したのだから、 優先すべきはそちらのはずだ。だから、紀乃のあの言葉を本気で受け止めてはいけない。相手は現住生物であり、 異種族であり、余所様の娘なのだから。心から愛している。だが、それ故に越えてはならない一線がある。 「何もせずにワンの元へ帰った方が懸命ですね。私一人でどうこう出来る問題でしたら、当の昔に……」 突如、突風がゾゾの両翼を打ち付けた。真横から注がれたサーチライトが、一瞬、単眼を白く染める。ビルの足元 から急上昇してきた武装ヘリコプターはゾゾを捉えた途端、機銃を発砲した。屋上に弾丸が跳ね、マズルフラッシュ と同時に赤い火花が飛び散る。ゾゾは素早く駆けてビルの屋上から身を投じ、翼を広げ、武装ヘリコプターの死角 に入って前進した。敵も負けじと方向転換してゾゾを追ってきたが、旋回速度が早すぎる。目を凝らすと、操縦席には 誰も座っておらず、操縦桿だけが独りでに動いている。 「これはこれは、伊号さんの仕業ですか」 ゾゾが呟くと、伊号が操る武装ヘリコプターはそれを耳ざとく聞き付けたらしく、スピーカーから怒声が飛んだ。 『だったらどうだってんだよ! てか、あたしの制空権に入ってきたんだし、気付かれねーわけねーし!』 「それはそれは、申し訳ありません。私をどこに向かわせるおつもりですか?」 『んなもん、決まってるし! 局長んとこしかねーし!』 ローターを激しく回転させた武装ヘリコプターは、ゾゾの斜め上後方にぴったりと付けてきた。ゾゾが少しでも回避 行動を取ればすかさず機銃が火を噴き、罪もない民家の屋根や窓に大穴が開いた。高度を上下させても同じこと で、振り切れそうにない。仕方なく、ゾゾは伊号に追い立てられるがまま直進した。進行方向には竜ヶ崎邸の広大な 敷地が待ち構えていて、武装ヘリコプターの接近と同時にサーチライトが照射される。視界を失いかけたゾゾが 少々飛行速度を落とすと、頭上を数発の弾丸が通り抜けて庭木や池を砕いた。すると、今度はゾゾの真上に武装 ヘリコプターが急降下してきた。どうやら、押し潰すつもりでいる。ゾゾは慌てて高度を下げて敷地内の日本庭園に 着地すると、武装ヘリコプターの腹部が漆喰塀と瓦屋根に擦れ、無人の武装ヘリコプターは頭から庭に突っ込んで 轟音を立てた。がしゃ、と空回りしたローターが庭木に突き刺さり、機械油の匂いが充満する。武装ヘリコプターの 墜落地点から数メートル手前に着地していたゾゾは、肝を冷やしつつ顔を上げると、いつのまにか自衛官達が ゾゾの周囲を固めていた。自動小銃の冷たい銃口がずらりと並び、ゾゾを睨み付ける。この人数では、飛んで逃げる のも難しいだろう。だが、対処しなくては。ゾゾが応戦姿勢を取ると、母屋の障子戸が開いた。 「客人だ、丁重に出迎えてやらぬか」 重武装した自衛官を伴って庭に下りてきたのは、着流し姿の竜ヶ崎だった。 「おやおや、これはこれは。諸悪の根源ではありませんか」 ゾゾは応戦姿勢を解かずに竜ヶ崎を見返すと、同じ顔をしたトカゲは単眼を見開いた。 「その言葉、そっくり返してやるとも。インベーダー風情が、国防の本拠地に何の御用かな?」 「私は別にあなたの汚らしく脂ぎったツラを拝む気は毛頭なかったのですが、伊号さんに誘導されてしまいましたので、 仕方なく着陸しただけですよ。来て欲しくなければ追い返してくれればよろしいのに、わざわざここまで案内して 下さるとは、言っていることとやっていることが正反対ではありませんか?」 「あれは伊号の独断だ。私が命じたわけではないよ。だが、私の屋敷に立ち入った時点で、お前を攻撃する材料 には事欠かんよ。インベーダーとさえ名が付けば、いかなる行為も罰せられぬように法整備してあるのでね」 「永田町の古ダヌキさん方をどれだけ抱き込んだのですか?」 「連中は私から手を出さずとも近付いてきたのだ、それ故に有効活用しただけに過ぎんよ」 「彼らには不老長寿でも約束したのですか」 「何、大したことはしておらんよ」 「大したことではなくとも、現住生物に手を出した時点で問題なのですよ!」 こうなったら、腹を括って戦う他はない。ゾゾは体重を掛けていた足で地面を踏み切り、玉砂利を蹴散らす。翼を 広げて低空飛行し、自衛官達の間を擦り抜けて一瞬にして竜ヶ崎の前に立ちはだかる。が、竜ヶ崎は逃れようとは せず、逆に尻尾を振るってゾゾを叩きのめした。首を薙ぎ払われたゾゾは玉砂利の津波を起こしながら倒れ、庭木に 衝突する。硬い木の葉が落下して冷たい肌を掠め、落ちていく。脳震盪に陥ったゾゾに、竜ヶ崎は詰め寄る。 「私に生体情報を奪われに来てくれたのかね、片割れよ」 「逆ですよ。私があなたから、生体情報を奪い取るのです」 ゾゾは立ち上がるが、竜ヶ崎は尻尾を悠長に揺らしている。 「余程焦っているな、お前らしくもない。……ほう、そうか」 竜ヶ崎の愉しげな言葉と同時に脳の生体電流が乱れ、ゾゾは身動いだ。生体電流ごと思考を読まれたのだ。 「ふははははははははははは! 面白い、いや実に面白いぞ、お前とあの娘は!」 突然笑い出した竜ヶ崎に、ゾゾは後退ったが無意識に尻尾が立った。 「私を笑うのでしたら一向に構いませんけど、紀乃さんを笑うのは許せませんね」 「散々偉そうなことを言って私を蔑んだにも関わらず、同じ轍を踏もうとはな。やはり、私とお前は同じものか」 「戯れ言を。下半身ありきのあなたとは根本的な部分から異なっています!」 居たたまれなくなったゾゾが反論すると、竜ヶ崎は大きく踏み込んで間を詰め、ゾゾの首を掴んだ。 「馬鹿だと言うなら、お前の方が遙かに馬鹿だ!」 振りかぶった竜ヶ崎は、ほぼ同じ体格のゾゾを片腕で容易く投げ飛ばした。強烈な腕力で宙に放たれたゾゾは、 体勢を立て直そうとするも、翼を広げた直後に障子戸を突き破っていた。紙片と木片にまみれながら畳に転がり、 いくつかの木片が硬い肌にめり込む。単眼を押さえながらゾゾが上体を起こすと、竜ヶ崎は余裕を見せつけるため なのか、ゆったりとした足取りでゾゾに近付いてくる。 「私からしてみれば、お前は停滞している。状況に適応するための変化を恐れる、ただの臆病者だ」 ぎしり、と縁側を踏み締め、竜ヶ崎は母屋に上がってくる。 「進化こそが生命の本質であり、繁栄なき欲動など無意味極まるものだ。違うかね、科学者先生?」 サーチライトの逆光を背負い、竜ヶ崎は赤い単眼を細める。 「ええ、そうですね、あらゆる生き物は生き延びるために進化するものです。ですが、あなたのやったことは進化でも なんでもありません、人類という種の根底を脅かす汚染です」 ゾゾは折れ曲がりそうな膝を意地で立て、尻尾を使って直立する。 「いや、進化だよ」 竜ヶ崎はゾゾを放り込んだ部屋には踏み込まず、身を引いた。すると、竜ヶ崎の目の前の空間が湾曲し、その中 から波号が出現した。波号は竜ヶ崎から一言命じられると、にこにこ笑いながらゾゾに向かってきた。 「わーい、パパの命令だぁ!」 満面の笑みの波号は両手を振り上げ、サイコキネシスでゾゾを宙に浮き上がらせた。と、思いきや、天井を破らん ばかりの勢いで叩き付ける。埃が薄く舞い上がり、板が歪む。衝撃と痛みで呻くと、今度は畳が襲い掛かってきた。 三度に渡る衝撃で目眩がしたが、ゾゾは半ば意地で片膝を立てた。波号を見ると、無邪気な微笑みを保っている。 竜ヶ崎は孫であり娘である波号を愛おしげに見つめていたが、その眼差しは生き物に対するものではなく、価値の 高い骨董品を見る眼差しだった。かなり浮かれている波号はサイコキネシスをしならせ、ゾゾを畳に沈めた。一瞬、 気が逸れたせいで受け身も取れなかったゾゾは、ふすまを背中で突き破って次の間に転がる。背中の皮膚に来る であろう衝撃は訪れず、奇妙な柔らかさが包んでくる。艶めかしくも生臭い匂いが鼻を突き、ゾゾは揺れ動く視界を 補正しながら、次の間を見渡した。かすかに紀乃の匂いが残留する部屋には、それを塗り潰す竜ヶ崎の生臭さが、 畳の目の一つにまで染み込んでいる。前触れもなく、細胞が全て凍り付くような嫌悪感がゾゾを襲った。 「こんなものが進化なわけがありますか! 愚行の極みです、種族の恥です、宇宙の穢れです!」 この部屋で、紀乃は竜ヶ崎に。ゾゾは嫌悪感を上回る怒りに震え、尻尾で畳を打ち鳴らす。 「ほう、妬いたな?」 竜ヶ崎が笑うと、波号が指先を曲げ、ゾゾの喉元が見えない力で締め上げられる。 「うっ、ぐぇ……」 「今も昔も、私は正しいことをしているだけなのだよ。私を本家の御前様だと祭り上げたのは、他でもない人間達だ。 お前が言うところの汚染は、連中の意志によるものなのだよ。それが、御三家の歴史なのだよ」 ゾゾは息苦しさで喉を掻きむしるが、硬い爪先が皮膚を削っただけだった。 「私はまれびとなのだよ。崇められた瞬間から、神託を望まれた瞬間から、受け入れられた瞬間から、神となる資格を 与えられているのだよ。故に、御三家は私を奉った。全てを司る神として」 ざらり、ざらり、と、畳を尻尾で擦りながら、竜ヶ崎は呼吸のままならないゾゾに近付いてくる。 「神託を求める人間に対して、神は対価を望むものだ。だから、私は娘達に種付けし、突然変異体を産み出した」 竜ヶ崎の硬い手が、ゾゾの顎を掴んで上向かせる。 「嫌だ嫌だと言うわりに、娘達は花弁を開いてくれる。しとどに濡らして、私自身をそっくり飲み込んでくれる。最初は 嫌悪感から流していた涙も、事を終える頃には愉悦の涙に変わっている。私の種を受け止め、十月十日もすれば 私の血を引く子を産み落としてくれる。解ったかね、まれびとの血を欲しているのは人間の方なのだよ」 竜ヶ崎の手があるからか、波号のサイコキネシスが若干緩んだ。その隙に、ゾゾは余力で言い返した。 「そんなものは詭弁です、あなたは神でもなければまれびとでもありません! ただの変態オオトカゲです!」 「お前に言われる筋合いはない!」 竜ヶ崎はゾゾを蹴り付け、別のふすまに突っ込ませた。ひどく咳き込んでから、ゾゾは声を張る。 「神というものは、いちいち他人の家庭を壊すものなのですか? 慎ましやかに愛し合っている家族の、可愛い盛りの 娘さんを誘拐させるのですか? 異性と手すら繋いだことのない箱入りの御嬢様を手込めにして、強引に子供を 産ませるものなのですか? 挙げ句、その娘さんが一生懸命築いた家庭をぶち壊しにするのですか? 本当なら、 小学校に通ってお友達と楽しい思い出を作っているはずの娘さん達を兵器として扱うのですか?」 「それも全て、連中が望んだことよ。だが、私を安易に造ったお前が、私を非難出来る義理があると思うかね?」 「思いませんよ、そんなこと。ですが、だからこそ、あなたに腹が立ってどうしようもないんです!」 折れたふすまから尻尾を引っこ抜き、竜ヶ崎と波号との距離を測りながら、ゾゾは頭を巡らせた。竜ヶ崎にも波号 にも勝ち目がないことなど、最初から解り切っている。びりびりに破れた障子紙が貼り付いている障子戸が縁側から 滑り落ち、玉砂利をけたたましく鳴らす。無謀だとは解っていても、あれ以上紀乃の傍にいたくなかった。寄り添って 支えてやりたいと思う反面、心のままに紀乃を欲したいと思ってしまう。竜ヶ崎と同じか、それ以上のことをしてしまい たくなる。自分の悪い部分を凝縮して煮詰めて毒素を混ぜ込んだような片割れを殺せば、自分自身の汚い部分も 浄化されるような気がしていた。だが、そんなことはあるはずもない。ゾゾはゾゾであり、竜ヶ崎は竜ヶ崎だ。 折れたふすまの向こうに見える庭先から、ガニガニと電影が事の行方を窺っている。どちらも不安げで、ガニガニは しきりにヒゲと触角を動かしている。電影は何をどうすればいいのかが解りかねるのか、そわそわしている。至る ところから向けられた銃口がゾゾを隈無く狙い、離れたビルの窓にもスナイパーライフルを構えた自衛官が控えて いるのが見える。笑みを湛えている竜ヶ崎の傍にはにこにこしている波号が寄り添い、ゾゾを攻撃するタイミングを 計っている。この場で、ゾゾに対して敵意を持っていない者はまずいないだろう。敵意と殺意と侮蔑と嫌悪を帯びた 視線が注がれ、神経の末端をひりつかせる。思えば、紀乃らはいつもこんな目に遭っていた。本来であれば、共に 暮らすべき人間達から蔑まれ、恐れられ、挙げ句の果てに敵視された。それだけでも、さぞ辛かろう。それなのに、 心身を削って同胞達のために戦い続けてくれた紀乃を、ほんの一時とはいえ道具扱いしてしまった。彼女はゾゾの ことを非難しないばかりか、それでもいいと言った。どんな思いで言ったのか、考えるだけで胸が痛む。 「我が片割れよ」 波号を伴った竜ヶ崎は、ゾゾに顔を近寄せた。 「この星に来てから、お前は何をしたのかね? 何もしておらんだろう、ん? ワン・ダ・バの機能を復活させる施術 もせず、生体洗浄プラントに代わる生体洗浄装置の開発も行わず、私を殺そうともせず、ミュータントと化した人間を 根本から救う処置も行わず、ただ、無益な時間を消費し続けていただけだ。その結果が、これだ」 竜ヶ崎の尻尾が、ゾゾの右腕の付け根に突き立てられる。 「ぎげぁっ!?」 肩の関節に尻尾をねじ込まれ、その激痛にゾゾが呻くと、竜ヶ崎は尻尾に血を伝わせながら更に顔を寄せる。 「だが、私はお前とは違うのだよ。お前が悠長に生きていた間、私は模索し続けていたのだ。ニライカナイに至る道を 開く術を、再びハツに出会う方法を、そして、ワン・ダ・バを動かす手段もな!」 「が、あ、あ、あ、あぐぁっ!」 びぢぃっ、と、竜ヶ崎の尻尾がゾゾの右肩に突き立てられたと同時に、筋が裂けて肩ごと外れた。 「……それをどうするおつもりで?」 血と体液が溢れ出す右肩を押さえながら、ゾゾは血溜まりの広がる畳に膝を付く。竜ヶ崎はゾゾの右腕を拾うと、 それを弄びながら、笑顔を保ち続けている波号を撫でた。 「解り切ったことを問うな。ワン・ダ・バを新たに造り出すのだよ。そのためには、お前の生体情報が必要なのでね」 「あいつの生体情報をぜーんぶコピーして、すっごい宇宙怪獣になってやるんだから」 波号はけらけらと笑い、竜ヶ崎の足にしがみつく。ゾゾは瞳孔を竜ヶ崎に据えようとするが、視界が暗む。 「あなたの考えにしてはまともですが、しかし、それでは波号さんが」 「そんなこと、大した問題でもないよ。それよりも、今は己の身を案じたらどうだね?」 竜ヶ崎はゾゾの右腕をぶら下げながら、荒れ果てた部屋を出ると、その後を波号が駆けていく。ゾゾは追い縋ろう とするも、右腕の付け根からの出血は止まるどころか勢いを増している。自衛官達はゾゾが脱する隙を与えるまいと 土足で和室に踏み込み、発砲する姿勢を取った。銃声は一発や二発では済まず、ゾゾの傷口を重点的に攻めて くる。ただでさえ多量だった出血が倍になり、赤い滝のように滴って畳を焼け焦がす。傷口以外は分厚く硬い皮膚の おかげで跳弾していくが、痛みまでは跳ねていかない。眼球すれすれに擦れる弾丸も多くなり、立っていることすら 怪しくなる。尻尾を支えに辛うじて体を立てていたが、もう、保たない。ゾゾは片膝を曲げ、畳に付いた。 「この匂いは」 ふと、竜ヶ崎が振り返った。ゾゾは目を見開こうとしたが、激痛と出血による疲弊がそれを阻んだ。一陣の夜風が 母屋に滑り込み、酸の強い生臭さを掻き乱しながら、通り抜ける。伊号が遠隔操作しているらしい戦闘車両が応戦 したのか、いくつもの銃声が轟く。自衛官達が騒然とする。竜ヶ崎の傍で波号が金切り声を上げる。金属音も連なり、 ゾゾを狙っていた銃口が別方向に向いた。ゾゾが反射的にその方向に向くと、母屋の屋根が嵐に絡め取られる かのように引き剥がされ、がらがらと瓦が剥がれて庭に転げる。瞼を強引にこじ開けたゾゾは、古びた木片と積年 の埃が降る夜空に浮かぶ少女の姿を捉え、息を詰めた。 「……紀乃さん」 「来ちゃった」 若干の照れと躊躇いを交えながら、紀乃はゾゾを見下ろしてきた。ゾゾが戸惑いを示すよりも早く、竜ヶ崎邸上空 に浮かぶ紀乃は慣れた様子でサイコキネシスを操った。引き剥がした瓦を粉々に打ち砕いて即席の散弾を作り、 致命傷を与えない程度に加減しながらばらまく。鯉が泳ぐ池の水を渦巻かせ、青臭い雨を降らせる。戦闘車両同士を 衝突させたり、ひっくり返したりと、目に付くもの全てを弄ぶ。竜ヶ崎に命じられるよりも早く動いた波号は、紀乃に 翻弄されている自衛官達を言葉汚く罵倒してから、波号は紀乃にサイコキネシスを放った。紀乃は力任せの攻撃を 凌ぐ傍ら、スカートを締めているベルトに掛けていた電磁手錠を抜き、波号が驚いた一瞬の隙を衝いて電磁手錠を 投げ付けた。少女の腕には少々大きすぎる手錠が填ると、途端に波号は能力を失い、浮かび上がらせていたものも 重力に従って地面に突き刺さった。紀乃は右腕をもぎ取られたゾゾを浮かび上がらせて同じ高度に招き、竜ヶ崎に 対してもサイコキネシスを放ったが、竜ヶ崎の周囲だけは小石も動かず、竜ヶ崎の手からゾゾの右腕を奪い返す ことすらも出来なかった。電磁手錠に戒められている波号が紀乃を睨み付けているので、原因は波号に違いない。 サイコキネシスなどの能力を使えなくなってはいるが、強烈な精神波で紀乃のサイコキネシスを相殺したのだろう。 紀乃はすぐに分が悪いと判断し、ゾゾを連れて竜ヶ崎邸の上空から退避した。 心も体も、痛かった。 10 12/9 |