南海インベーダーズ




ノー・リモース



 日が暮れかけた頃、二人は目的地に向けて出発した。
 ワンボックスカーのハンドルを回して車道に出してから、甚平は助手席を窺った。それまでは後部座席を陣取って いた呂号は助手席に移動し、エレキギターケースは足の間に置いていた。単純に素顔を見られるのが恥ずかしい からか、採光ゴーグルを被って窓の外に向いていた。長時間泣いたからだろう、顔を洗って涙の筋を流しても頬は 赤らんでいる。時折鼻を啜り上げてはため息を零し、西日を浴びた横顔は不機嫌そうだった。

「……二度もした」

 呂号が唇に触れると、甚平はハンドル操作を誤りかけるほど動揺した。

「あ、ああ、うん、えと、その、物の勢いで」

「硬くてざらざらしていた。冷たかった。牙があった。磯の匂いもした」

「え、あ、まあ、うん。その、えと、僕はサメだから」

「僕のはどうだった?」

 呂号は心なしか声色を和らげて尋ねてきたので、甚平は口籠もった。

「あ、あぅ、えと、その……」

 食べてしまいたい、と思った。大事にしたくてたまらないのに、性欲なのか食欲なのか解りかねる衝動に駆られて しまった自分が疎ましくなる。本ばかり読み漁って朴念仁を気取ろうとも、やはり自分はただの男に過ぎず、肉食獣 のサメだ。だから、呂号と唇を重ねた感想がそれなのだ。道を間違いそうになってしまい、甚平は慌ててハンドルを 切って脇道に入った。徐々に灯り始めた街灯が生気の失せた住宅街を照らし、ハイビームのライトがアスファルトを ぎらつかせている。甚平が押し黙っていると、呂号が泣きすぎて掠れ気味の声で呟いた。

「僕は嬉しかった。だから甚平もそうだと嬉しい」

「嬉しいよ、僕も」

 甚平は照れ臭さにあまりに少々声を上擦らせて返すと呂号はギターケースを抱き寄せた。

「だったらもっと嬉しい」

 短い返事だったが、呂号の声色は格段に明るくなっていた。泣き疲れているものの表情は晴れやかで、無表情が デフォルトだった横顔も心なしか綻んでいる。それを見ているだけで、甚平までも嬉しくなってしまう。エレキギターを 掻き鳴らしてヘヴィメタルを演奏している時の顔は充足感に満ち溢れているが、険しかった。だが、今の呂号は険が 取れていて、それが可愛らしくてどうしようもない。今すぐにでも車を止めて抱き締めてしまいたくなったが、甚平は 本来の目的を忘れないためにも真正面を見据えてアクセルを踏み込んだ。
 大泉学園町を通り抜けて埼玉県に入り、新座市方面に向かう。関越自動車道の上に架かる橋を横断し、密集した 住宅街に入ると、甚平は電柱に書かれた番地と手元の地図を何度も見比べた。いくつかの角を曲がり、目印である 区立小学校の脇を過ぎると、ようやくそれらしい番地が現れ始めた。徐行運転して進み続けると、斎部、との表札を 掲げた民家が目に留まった。目的地に辿り着けた安堵感から、甚平はエラを全開にして深いため息を吐いた。ここに 至るまでの間は、何度も何度も道に迷ってしまった。その度に自衛隊や警察に見つかるのではないかと気が気では なかったが、都心で起きた戦いの事後処理に人員が割かれているらしく、ヘリコプターの数も少ない。だが、目的地に 到着出来たからといって気を抜くのはまずい。油断大敵だ。興奮と緊張と安堵を一度に味わいながら、甚平は尻尾を 伸ばすためにシートを倒している運転席から下り、助手席のドアを開けて呂号を促した。

「あ、えと、目的地に着いたよ」

「解った」

 呂号はエレキギターのケースを先に出してからシートベルトを外して助手席を下り、ケースを担いだ。甚平は普段 通りに呂号の手を取って先導しようとしたが、触れた瞬間に呂号は手を引っ込めてしまった。あ、意識されている、と 甚平は今更ながら実感して感じ入った。呂号は手を引いてしまった自分を恥じているのか、ギターケースのベルトを 意味もなく握り締めている。その様を眺めていたい気もしたが、事を早く進めなければならないので、甚平は呂号の 手を取って歩き出した。呂号はまたも後退りかけたが、歩調を合わせ、甚平との距離を縮めてきた。
 一度呼び鈴を押して斎部家の住人がいないことを確かめてから、甚平は門を開けて敷地に入った。裏手に回って みると、意外に広さのある庭が目に入った。色鮮やかなニシキゴイが泳ぐ池もあり、その上には石橋も架けられて いて、庭木に良く手が行き届いている。だが、ここ数日間は住民が政府の避難命令で退去してしまったので、水を 与えられていない草花が力なく萎れていた。庭の隅には、民家の敷地には不釣り合いな五輪塔が立っていた。

「あ、やっぱり、思った通りだ」

 甚平はミニトマトのプランターにつまずきかけたが、なんとか転ばずに踏み止まると、五輪塔に近付いた。近付くに 連れて、灰色の五輪塔からは慣れ親しんだ匂いが感じ取れた。凝灰岩で出来ている五輪塔はかなり古く、表面は 崩れ落ちそうなほどに風化している。梵字が刻まれていたようだが、掠れていて読み取れそうにない。

「思った通りって何がだ」

 甚平がつまずいたプランターの位置を正確に感じ取ったのか、呂号は足を引っかけずに真っ直ぐ歩いてきた。

「あ、うん。これ、五輪塔。要するに、昔のお墓」

 甚平は五輪塔の表面に触れると、刻まれた文字を探すために丁寧に指先でなぞった。

「墓? 誰のだ」

 呂号が尋ねると、甚平は背を曲げて鼻先を五輪塔に近寄せる。

「えと、たぶん、竜ヶ崎一族の先祖のじゃないのかな。忌部一族の墓は都内の墓地にあるそうだけど、竜ヶ崎家は 忌部島にもなかったの。あぁ、えと、普通に考えてさ、人の住む島にお墓がないのって変でしょ? 生きていれば、 必ず誰かが死ぬっていうか、死なないわけがないっていうか。だから、その辺のことも調べてみたんだ。で、その、 竜ヶ崎家の墓が見つかればもうちょっと見通しが利くんじゃないかなぁって、思ったんだけど」

「それで何か解ったのか」

「あ、うん。竜ヶ崎全司郎の部屋、というか、まあ局長室だね、その内部屋に一杯あった御三家の資料を洗いざらい 見てみたんだけど、忌部家の本邸が売られた時に、資産も大分切り分けられたのね。ショッピングモールを作れる ぐらいだからかなり広い御屋敷だったらしくて、土地だけでも相当なものだったらしいの。で、えと、御屋敷の蔵とか 掛け軸とか陶器とか家財道具とかも値打ちものだったらしいんだけど、その時の忌部家の御前である忌部我利さん は惜しげもなく次から次へと売り払っちゃったらしいの。まあ、その動機は解らないでもないし、同じ立場だったら、 僕もそうしていたと思う。で、その、忌部家に連なる家系の人達にも売ったり分けたりしたそうで、今の忌部家にある のは我利さんが貯め込んでいた個人資産の余り程度だ、って竜ヶ崎全司郎がまとめた書類に書いてあったんだ。 で、ええと、うん、その、切り分けられた忌部家の資産がどこに行ったのかにちょっと興味が湧いて、他の書類とか、 名簿っぽいものとか、帳簿らしいのとか、その辺も出して見比べてみたの。そしたら、まあ、ひどくて。竜ヶ崎全司郎は 忌部家の資産を受け取ったり買い取った相手から、書類やら何やらをタダ同然で奪い取って名義を書き換えて、 忌部家の資産や不動産登記を丸々自分の手元に置いちゃったの。忌部家を本気で潰そうとしたんだね」

 甚平は凝灰岩から零れ出す匂いを仔細に感じ取りながら、五輪塔の後ろに回った。

「で、えと、そうそう、でも、その、忌部家から買い取った人から奪い取れなかった、っていうか、奪い取るほどのもの ではないって判断したんだろうけど、この五輪塔には手を付けていなかったみたい。だけど、それはちょっと変って いうか、むしろこれこそ買い取るべきものなんじゃないかって思ったんだよねぇ。だって、お墓だし」

 庭木の枝葉に背中を刺されながら、甚平は五輪塔の後ろを眺め回した。

「ああ、そっか、こっちが正面なのね。庭に向いている方が背中、っていうか、そうだね、こっちが南側だし。だとすると、 ああ、うん、あったあった。梵字だ、で、たぶん、五大思想のだね」

 で、その、と独り言を続けながら腰を落とした甚平は、一番下の四角い石に刻まれた戒名を読んだ。

「え、ええと……読みづらいけど、まあ読めないでもない、かなぁ。ああ、やっぱりか」

「さっきから何を言っているんだ。僕にも解るように説明しろ」

 呂号が五輪塔に手を付いて甚平に近付くと、甚平は顔を上げた。

「あ、うん。これ、竜ヶ崎ハツさんのお墓だ。ゾゾが言うところの龍ノ御子で、あの地底湖の遺跡にいた八百比丘尼 本人のものに違いないよ。戒名にも竜って文字と八百って文字があるから、間違いなく」

「だとすると八百比丘尼は実在していたのか。伝説じゃないのか」

「ああ、まあ、うん。そういうことになるね」

 甚平は呂号の手を取ると、雑草や木の枝を尻尾で払ってやってから、呂号を五輪塔の正面に連れてきた。

「だがその事実が一体何になるんだ」

「何って、そりゃ、竜ヶ崎全司郎の動機を根幹からひっくり返す根拠、かなぁ」

「どういう意味だ」

「どういうって、そりゃ、まあ、そうだね。ハツさんはニライカナイに行った、だから竜ヶ崎全司郎はワンの能力を利用 して次元乖離空間跳躍航行技術を成功させて、自分もニライカナイに行こうとしている。またハツさんに会うために。 でも、それはハツさんが生きていることが大前提で、生きていると信じられなければ竜ヶ崎全司郎もあそこまで執念を 燃やさないと思うんだ。てことは、つまり、その」

「死んだと認識出来ていないのか? いや……ゾゾも明言していなかったな。ニライカナイに行ったとしか」

「そう、そこ。それが肝なの」

 甚平はエラを開閉させ、じっとりと湿った晩夏の空気を深く吸った。

「ゾゾは行ったと言う。竜ヶ崎全司郎は生きているものだと信じている。なのに、ゾゾはニライカナイに行きたいとは 言わないし、ハツさんにもう一度会いたいとは言ったことがない。て、ことは」

「ゾゾは竜ヶ崎ハツが死んだと認識している。だが局長はそう認識していない。そういうことか」

「十中八九、そうだと思う。だとすると……あ、でもな、それはいくらなんでも飛躍しすぎかな? うん、忘れよう」

「なんだ。何を思い付いたんだ」

「ああ、えと、どうでもいいこと。本当に」

「だったら口にするな。気になるじゃないか」

「あ、うん、ごめん」

 甚平が平謝りすると、呂号は軽く苛立った仕草でつま先で五輪塔を小突いた。

「やっぱりか」

「あ、何が?」

「言わない。甚平が答えてくれなかったからだ」

「あ、うぅ、ごめん。でも、何か解ったのなら、言ってくれてもいいっていうか」

「言ってもいいが条件がある」

「な、何?」

「ちゃん付けはやめてくれ。紀乃と同じように聞こえるのが嫌だ。それになんだか恥ずかしい」

「え、あ、そんなの気にしていたの? 可愛い方がいいじゃない。だって、女の子なんだし」

「僕は嫌だ。嫌だったら嫌だ。なんとなく放置してきたがさすがに限界だ」

「え……あぁ」

 我が侭を言ってくれるのは心を開いてくれた証拠ではあるが、面倒だ。甚平は少々辟易したが、口元が綻んでくる のが止められなかった。呂号は我が侭を言ったのが今になって恥ずかしくなってきたのか、神経質な仕草でしきり に五輪塔の土台をヒールで小突いている。甚平は呂号の肩に手を添えると、上擦りそうな声を必死で押さえた。

「うん、解った。努力するよ、露乃」

「う」

 呼び捨てにされたらされたでまた恥ずかしいらしく、呂号は唇をひん曲げて俯いた。心なしか頬も色づいていて、 甚平の分厚い手が添えられている肩を意識しているのか、肩を縮めている。

「で、その、何がやっぱりなの?」

 甚平が改めて尋ねると、呂号は妙に早い足取りで五輪塔に近付いた。

「あ……あぁうん。音の響き方が変なんだ。これは比較的柔らかい岩で出来ているのだろう」

「うん、そう、凝灰岩。火山灰が固まって出来た岩ね」

「岩の材質でも音の響き方は違うんだ。僕が広域音波発生器を使用する場所は様々だが大抵の場合は海上で 使用していたんだ。僕の音は空気中にも広がるが当然海中にも広がる。海の中には砂や岩がごろごろしていたから その時の感覚を覚えているんだ。島に近い海底には大抵これと同じ手応えの岩があった。火山灰の岩なら納得だ。 だがこの岩は少し変なんだ。内側に音が籠もっているから響きが悪いんだ。縦長の空洞がある」

「空洞、って、骨とか髪を入れる場所のことじゃないの?」

「違う。それならそれで骨や髪に響いた音が聞こえるはずだ。だがこの中には芯がある。骨でも髪でもないモノだ」

「え、あ、そこまで解るの?」

「僕を誰だと思っている」

「あ、ああいや、その、疑ったわけじゃなくて。えと、そんなに大きい音も出していないのに、って思っちゃって」

「僕は聞こえる音の幅が極端に狭くはなったが聴力が落ちたわけじゃない。ギターの才能もだ」

 呂号は採光ゴーグルを上げてから五輪塔に耳を押し当て、ノックするように軽く叩いた。

「やっぱりだ。芯がある。甚平なら動かせるだろう。取り出してみてくれないか」

「え、ええ? お墓だし、人様の所有物だし」

「芯を取り出せば事の真相にもっと近付けるかもしれないじゃないか」

「それは真理だけど」

「じゃあやれ。今すぐに」

 呂号は身を引くと、五輪塔を指した。甚平は好奇心と倫理観の間で迷っていたが、呂号に今一度促され、五輪塔 を上から順番に外していった。移転した際に補強工事をしたのだろう、ただ積み重ねてあるだけではなく、石と石が 接着されている。これは無理かな、と、頭の隅でちらりと考えながら、甚平は腰に力を入れて捻ってみると、セメント らしき接着面が呆気なく剥がれた。自分の腕力を見くびっていたようだ。一番上の尖った丸、その下の半丸と外して いくが、半丸の石は思ったよりも軽かった。ひっくり返してみると、内部には空洞が開いていた。それも、呂号の言葉 通りの縦長の穴だ。半丸の石を地面に置いてから、五輪塔の中を覗き込むと、本当に芯があった。

「お、おお……」

 呂号の聴力の正確さに圧倒されながら、甚平は芯を掴み、引き摺り出した。手触りは冷たく、表面は青緑色だが 金属ではなさそうだ。限界まで腕を伸ばして抜くと、芯の正体が解った。一振りの長さが一メートル近くもある、立派な 剣だった。円筒形の柄には文字が刻まれていたが、梵字でもなければ日本語でもなかった。甚平は青緑色の剣を 丹念に眺め回し、切れ味の良さそうな刃を指でなぞる。材質は翡翠に似ているが、無機質さは感じられない。

「これ……もしかしてとは思うけど、電影、っていうか、ヴィ・ジュルと同類なのかな?」

 剣に刻まれている梵字は、生きている銅鏡の背面に刻まれている文字と同じだった。

「だとしたらそれも珪素生物なのか」

 呂号が手を伸ばしてきたので、甚平はその手を取り、刃のない部分に呂号の手を触れさせた。

「うん、たぶんね。これが何の役割を果たすのかは知らないけど、ゾゾの元に連れていこうか。そうすれば、 この剣も本来の役割に戻れるはずだ。きっと、役に立つよ」

 甚平が呂号の手から手を離すと、呂号は甚平の腕を掴んできた。

「でも……まだ帰りたくない」

「うん。僕も」

 甚平は翡翠の剣を足元に横たえると、寄り掛かってきた呂号を支えた。呂号は甚平の背ビレの生えた背中に 縋り付くと、離れるまいと作業着を握り締めてきた。甚平は背中に直接染み込んでくる呂号の体温と、甘い汗の匂いと、 高ぶった鼓動を感じ取った。邪魔だと思ったのだろう、無造作に外された採光ゴーグルが雑草の中に転げた。
 言葉もなく、音もなく、ただただ触れ合っているだけだった。呂号は甚平に全てを委ね、甚平は呂号の鼓動を静かに 受け止めた。どこか遠くで偵察機らしき戦闘機の轟音が聞こえ、東京湾から渡ってきた風には排気ガスではない きな臭い匂いがかすかに混じっている。争いの真っ直中にいるはずなのに、奇妙な平穏が二人の心中を満たした。 今もどこかで、誰かが戦っているのだろう。理不尽極まる状況に陥った皆が、足掻き、藻掻いている。甚平も呂号も その渦中に飲み込まれている。竜ヶ崎全司郎の血を半分受け継いでいる甚平と、特異な能力を生まれ持った呂号が 通じ合うのは、どう考えても良いことではないだろう。だから、これ以上関係を深めるべきではない。そんな考えが 脳裏を過ぎるが、呂号の温もりが、無防備な甘え方が、小手先の理性を薄らがせる。肉体的な親近感を精神的な 親近感に履き違えているだけだ。そうでなければ、甚平も呂号もこんな思いは抱かなかっただろう。
 業は、深まる一方だ。





 


11 1/6