南海インベーダーズ




ノー・リモース



 帰り道は、思い切り寄り道をした。
 自衛隊や政府の監視網に引っ掛からないのではないかという懸念もあったが、ただただ、呂号が楽しんでくれる のが嬉しかった。地図や標識を頼りにして思いのままにハンドルを曲げるが、目的はなく、移動すること自体が目的 のドライブだった。呂号の目には景色は映らないが、光の反射なら良く見える。採光ゴーグル越しならば、輪郭程度 なら掴み取れる。だから、甚平は都心のミラーガラスに覆われたビル群が見下ろせるような高台に向かい、都市部に 面したカーブでワゴン車を止めた。
 走り回っているうちに日が暮れ、西日が世界を茜色に染め上げている。忌部島の自然に溢れた景色とは根本的に 違うが、人間の営みの力強さを感じられる悪くない景色だった。甚平は助手席から呂号を下ろすと、ちょっと照れ 臭かったが、エスコートするように彼女の手を取ってガードレールまで導いてやった。呂号はガードレールを慎重に 撫で、ブーツのつま先で足元のアスファルトと崖の境目を確かめてから、顔を上げて眩しく煌めく都心を一望した。 甚平が想像した通り、光量のおかげで形が認識出来ているのか、呂号はしきりに首を動かして声を漏らしていた。
 その反応に満足した甚平は、呂号の傍からそっと離れ、ワゴン車に戻って後部座席のスライドドアを開けた。例の 翡翠の剣は、ワゴン車に積んであったビニールシートでくるんでシートベルトを締めて後部座席に横たえた。この剣も 小松や電影と同じような珪素生物だとしたら、雑な扱いをするわけにはいかない。割れてしまったら一大事だし、 気も咎める。甚平は剣の形に巻かれた青いビニールシートに触れて中身の存在を確かめてから、途中の自動販売機 で調達してきた缶ジュースを持ち出した。

「露乃、どう?」

 甚平が声を掛けると、呂号は都心を見下ろしたまま、答えた。

「凄いな。よく見える」

「あ、うん、僕もそう思ったから、ここまで昇ってきたっていうか」

「違う。そうじゃない。甚平がだ」

「あ、え、あ?」

 甚平がきょとんとすると、呂号は音源に顔を向けてきた。

「どうして僕の物の見え方を知っているんだ? 光が見えるとは説明したことがあるが輪郭で判別していることまでは 説明していなかった。それなのになぜ解ったんだ」

「ああ、うん、それは想像っていうか。音波操作能力が落ちてきたなら、目に頼るようになるのが自然かなって思った っていうか。んで、その、えぇと、露乃の顔の動きとか、目の動きとか、観察していたから。そうしたら、その動き方で 大体どんなふうに見ているのか解るっていうか。僕を見る時だって、僕そのものじゃなくて、僕の少し後ろっていうか 僕に当たっている光を見ていたでしょ? だから、うん」

 甚平は呂号にダイエットコーラの缶を渡してから、自分の分である缶コーヒーを開けた。

「僕なんか見ていて退屈じゃないのか」

 呂号はガードレールに寄り掛かり、缶のプルタブを開けて口を付ける。甚平もその隣に並ぶ。

「全然。ていうか、まあ、うん、気になっていたから」

「観察対象としてか」

「あ……まあ、うん、最初はね。変異体管理局側のミュータントと会うのは初めてだったし、僕に対して敵意剥き出し だったから、一歩引いて見ていたの。口は達者だし、能力は凄いし、結構怖かったし。だけど、それは本当に本当の 最初だけっていうか、すぐになくなった。だって、ねえ?」

「足を踏み外して挫いた上に溺れかけるような注意力の欠けた生体兵器で悪かったな」

「あ、えと、ごめん」

 甚平が平謝りすると、呂号は両手でダイエットコーラの缶を包み、ホットパンツを履いた太股の間に下ろした。

「またあの島に行きたい。今度こそは溺れたりしない。海で遊びたい」

「皆で、一緒に?」

「男のくせに無欲で無粋なことを言うな」

「え、ああ、あ、そういう意味!? で、でもなぁ、その、そういうことを言うのが早すぎっていうか……」

 困った甚平が空き缶を両手の間で転がすと、呂号は不意に笑い出した。嘲笑でも自虐でもなく、大きく口を開けて 声を出して笑っている。甚平の困りぶりが余程面白かったのか。多少心外ではあったが、呂号の笑い声を聞くのは 初めてかもしれないので、甚平は敢えて諌めなかった。コーラが零れそうなほど体を揺すって笑い転げた呂号は、 採光ゴーグルをずらして目元を擦ったが、まだ肩を震わせている。呂号はひとしきり笑った後、残ったコーラで喉を 潤してから満足げにため息を吐いた。時折笑いの発作が込み上がってはいたが、また都心に向いた。

「ここからでも見えるな。ワン・ダ・バは。夕日があるから輪郭がはっきり見える」

「うん、見える。ビルの向こうに海上基地に繋がる道路があって、その先にね」

 甚平は呂号に倣い、目を凝らす。呂号はコーラの最後の一滴を飲み干してから、空き缶を振る。

「あれが僕や甚平の体を元通りに戻してくれるのか?」

「そう。でも、ワンを生体洗浄プラントに改造するには、まだまだ足りないものがあるってゾゾが言っていた」

「それを補って生体洗浄プラントが完成したら僕も甚平もただの人間に戻れるのか」

「あ、うん。そういうことになる」

「甚平は元に戻りたいと思うのか?」

「まあ……少しは。でも、僕は実家に居場所なんてないし、忌部島で暮らしていた方が性に合っていたっていうか、 元々人付き合いは苦手だし、色んな本を読んだりしていられれば気が済むっていうかで。だから、ワンが元の姿に 戻らなきゃ、ずっと忌部島で暮らしていたと思う。僕らの人権が戻ってきても、きっとね」

「僕は……元に戻りたいかもしれない。能力を封じる代わりに目が見えるようになると言うのなら喜んでこの能力を 捨てる。甚平の顔をちゃんと見たい。人間に戻った甚平じゃない。今のままのサメ人間の甚平をだ」

「物好きだねぇ」

「そっくり返してやる」

 呂号はにやりと口元を上向けてから、うんと一度伸びをし、踵を返した。

「そろそろ帰るぞ。都心の様子が静かだから他の連中も戦いが終わって引き上げているはずだ」

「あ、え、もう気が済んだの?」

「まさかとは思うが僕と二人だけで一晩過ごすつもりか? 止せ。虎鉄に殴り飛ばされる」

「あー……うん、そうだね」

 甚平は半笑いになりながら空き缶を受け取り、助手席のドアを開いてやった。呂号は助手席に乗り込むと手探りで シートベルトを締め、ギターケースを足の間に置いた。後部座席のスライドドアがちゃんと閉まっていることを確認 してから、甚平は運転席に乗った。イグニッションキーを回して休んでいたエンジンに再び火を入れると、低い唸りが 車体全体を震わせた。が、それが急に途切れ、エンジンが力を失った。何事かと甚平は鼻先を突き出してメーター を覗き込むと、油量計の針がゼロを指し示していた。なんのことはない、ガス欠である。

「あ、あのさぁ、露乃」

 気まずくなった甚平が呂号を窺うと、呂号はどっかりと両足をダッシュボードに投げた。

「言わなくても解る。さっさとガソリンを調達してきたらどうだ。僕はここから動かないし動けない」

「あ、うん、ごめん、本当にごめん。えっと、スタンドはどの辺だったかなぁ、確か、山の下の方にあったような」

 甚平は何度となく謝りながら、ワゴン車から降りた。一度呂号に振り返ると、呂号はエレキギターを出して退屈凌ぎに 爪弾いていた。狭い助手席で良く弾けるものだと感心したが、今はそれどころではないので、甚平は昼間の日光の 熱をたっぷりと吸い込んだアスファルトを素足で歩いていった。車で通った時は十数分だった道も、自力で歩いて みると意外と距離が長い。しかも、蒸し暑い。サメと言えども元は人間なので、汗も出てくる。青い作業着の背中と胸 に広範囲の汗染みを作りながら、甚平は下り坂を早足で下った。結構重たい尻尾を引き摺らないように気を割いた 結果、背中を緊張させたり、常に尻尾を浮かせているよりも楽だという結論に達したからだ。
 ワゴン車の元から離れて一時間以上経過した後、甚平はようやく山道を下りて市街地に入った。幹線道路沿いに セルフスタンドが一件あったはずだ、と、甚平は記憶を掘り起こしながら歩いていき、探し求めた看板を見つけた。 それを目にした途端、安堵感が脱力を伴って襲い掛かってきたが、日が暮れる前に呂号の元に戻るためには時間を 無駄にするわけにはいかない。甚平はその辺りに座って休みたい衝動に駆られつつ、足を進めると、セルフ式の ガソリンスタンドには先客がいた。メルセデス・ベンツのセダンで、その運転手らしき女性が給油を終えて精算をして いた。ありがとうございました、との機械音声の後、彼女は精算機から吐き出されたレシートを引き千切った。甚平 は逃げるべきか否か迷ったが、身を隠すよりも先に女性が振り向いた。

「あら」

「あ、ああ、えと」

 ガソリンスタンドの影に逃げ込もうとしたが逃げ切れなかった甚平が口籠もると、女性は話し掛けてきた。

「用があるなら、早くしなさいよ。お金を持っていないんだったら、立て替えてあげるけど?」

「え、ええ、ああ」

 甚平は尻尾を丸め、後退り、作業着のポケットを叩いたが運悪く財布を忘れていた。

「お、御言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」

 ガソリンスタンドの蛍光灯の下、一ノ瀬真波は笑顔を見せた。甚平は色々と聞きたいことはあったが、まずは用事を 済ませなければと思い、ガソリンスタンドの事務所に入ってスチール製のタンクを探し出し、一番大きいサイズの タンクを拝借した。それをセルフスタンドまで運び、真波に教えてもらいながら給油した。二十リットル分のガソリンと タンクの料金を払ってもらった甚平は、恐ろしく重たいタンクを抱え、一礼した。

「あ、えと、どうもありがとうございます。では、僕はこれで」

「さっき、山から下りてきたでしょ? まさか、また山の上まで歩いていく気? いいわよ、乗せていってあげる」

 真波は運転席のドアを開けてメンソールのタバコとライターを取り出すと、喫煙所に向かった。

「でも、その前に一服させてくれないかしら。付き合う?」

「あ、いえ、その、僕は未成年っていうかで」

 甚平が首を横に振ると、真波は笑った。

「あら、そう。真面目なのね」

 事務所に併設した喫煙所で、真波は慣れた手付きでタバコに火を灯した。いつのまにか完全に日が落ちていて、 真波のライターの火はいやに目に付いた。メンソールとニコチンの匂いが鼻を突く煙をゆったりと吐き出してから、 真波はベンチに腰を下ろした。甚平は少々迷ったが、ガソリンのタンクを足元に置いてから自動販売機でスポーツ ドリンクを買い、真波の座っているベンチの隣のベンチに腰を下ろして喉を潤した。良く冷えた水気と疲労を溶かす ような甘みに感じ入っていたが、ふと、真波の横顔に目を向けてみた。資料でしか顔を知らない女性ではあったが、 皆の会話から受けた印象とは大分違っている。一ノ瀬真波は、竜ヶ崎全司郎に人生の全てを捧げている女性で、 妄信的で頑なで危うい人物だとばかり思い込んでいた。しかし、甚平の前にいる真波はインベーダーである甚平に 何の躊躇もなく話し掛けてきたばかりか、ガソリンとタンクの代金を払ってくれた。その上、車に乗せて送ってくれる とまで言った。良く似た別人ではないのだろうか、と、甚平は妙に緊張してスポーツドリンクを飲み干した。

「私のこと、誰だか解っているんでしょ?」

 真波はジャケットの胸ポケットから局員証を取り出し、甚平に投げてきた。甚平はそれを受け取り、確かめたが、 間違いなく一ノ瀬真波だった。真波の顔写真は無表情で銀縁のメガネを掛けて、色気のない引っ詰め髪だったが、 実物の真波は長い髪を解いていた。それまではまとめていたからだろう、クセが付いていて色っぽくうねっている。 ブラウスも襟元のボタンを二つ開けていて、鎖骨が覗いている。ストッキングにはいくつもの穴が空いていて素肌が 垣間見えており、ブラウスもタイトスカートも焼け焦げらしき痕がある。ひどい格好だが、妙な色気があった。

「私、もう、変異体管理局は辞めるわ。本家の御前様の妾も、何もかもね」

 真波は一本目のタバコを押し潰すと、すぐに二本目のタバコを銜えて火を付けた。

「えと、何か、あったんですか?」

 甚平が恐る恐る尋ねると、真波は口紅の剥げかけた唇からふうっと紫煙を吐き出した。

「色々とね。単純に言えば、私は竜ヶ崎には愛想を尽かしたのよ。そんな竜ヶ崎に逆らえなかった自分にもね。私が もっとしっかりしていたら、波号……紗波を守ってやれたら、普通の子供らしく育ててやれていれば、ここまで事態は 悪化しなかったはずなのよ。馬鹿よね。ちょっと可愛がってくれるからって、あんなトカゲに媚び売って、人生を棒に 振って、挙げ句の果てがこの様よ。だからせめて、最後に一矢報いてやるのよ」

「えと、何をするつもりなんですか?」

「これから福井県に行って、空印寺にある竜の肉片を壊してやるの。石化していてもあれの本質は蛋白質だから、 燃やしたら生体情報も生体組織もダメになるんじゃないかって思ってね」

「ああ、まあ、それはたぶん間違いないかと」

「じゃ、やるわ」

「あ、でも、その、そんなことをしたら、きっと真波さんは」

 甚平が腰を浮かせかけると、真波は甚平を制した。

「解っているわよ。私は今度こそあの男に殺されるかもしれないわ。けれど、そんなことは覚悟の上よ」

 真波はタバコを吸い終えると、背筋を伸ばして立ち上がった。

「心配してくれてありがとう、甚平君。あなたみたいな人に、もっと早く出会えていれば良かったのにね」

 これは田村さんに返しておいて、と真波はジャケットから携帯電話を取り出すと、甚平の手中に握らせた。甚平は いかにも二十代の女性らしい明るい色合いでストラップがじゃらじゃら付いた携帯電話を見ていたが、真波がベンツの 運転席に乗り込んだので、甚平はトランクの中に二十リットルのガソリン入りタンクを載せた。後部座席に甚平が 座ると、真波はギアを切り替えて発進させた。甚平が山道を示すと、その通りの方向に進んでくれたので、どうやら 政府関係者の元に連れ去るつもりではないようだ。
 それから十数分後、真波の運転するベンツは都心を見下ろすカーブに到着し、暗がりの中で待ちくたびれていた 呂号はふて腐れて甚平を出迎えた。真波が一緒だと解ると機嫌は更に悪くなり、ガソリンを入れてからも不愉快げに 唇を曲げたままだった。これから福井県に向かっていく真波を見送ってから、甚平は呂号を助手席に乗せたが、 エレキギターは後部座席に置かれた。それを訝りつつ甚平が運転席に乗り込むと、呂号は甚平に飛び付いてきた。 思い掛けないことに甚平は後頭部を強かにドアにぶつけてしまい、呂号に文句を言おうとしたがその気が失せた。 呂号は甚平の肩に顔を埋め、寂しかった、と、言ったからだ。帰りが遅くなったことを丁重に謝った甚平は、呂号の 頬や腕に触れて宥めてやり、助手席に座り直させた。呂号は物足りなさそうだったが、ワゴン車が発進してしばらく すると寝入ってしまった。余程気疲れしていたのだろう、身動きせずに熟睡してしまった。道路に連なっている街灯 に照らされる呂号の寝顔を横目に見ながら、甚平はハンドルを切って海上基地への帰路を辿った。
 後部座席では、翡翠の剣とギターケースが鬩ぎ合っていた。





 


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