南海インベーダーズ




感傷的迷走道中



 夕食後のテーブルに、翡翠の剣が横たえられていた。
 忌部と翠が手間を掛けて作ってくれた、サケの塩焼きとキュウリの浅漬けとカボチャの煮付けとナスの味噌汁の 残滓が低く漂う空気に、人数分の湯飲みから立ち上る緑茶の湯気が混じっていた。隅々まで冷房を効かせていても 流れ込んでくる蒸し暑さよりも、いくらか心地良い温もりだ。紀乃はサイコキネシスを使い、それぞれの前に湯飲みを 一つずつ並べていった。隻腕のゾゾはいつになく真剣な眼差しで、甚平と呂号が持ち帰った翡翠の剣を見据えて いたが、紀乃から湯飲みを受け取ると朗らかに微笑んでくれた。

「ありがとうございます、紀乃さん」

「ねえゾゾ、それ、何なの?」

 紀乃はふわりと浮かんでゾゾの背後に浮かび、翡翠の剣を見下ろした。

「とても大事なものですよ」

 ゾゾは翡翠の剣に左手を伸ばし、滑らかな刀身にそっと触れた。その手元には生きている銅鏡が置かれ、紀乃が 覗き込むと、淡くぼやけた円の中に顔が映り込んだ。表情は冴えておらず、自分でも気落ちしていることが解った。 ゾゾの肩越しに食堂に集まっている皆を見回すと、誰も彼も似たようなものだった。特にひどいのが山吹と秋葉で、 夕食は食べるには食べたが終始無言だった。無理もない、助けるはずだった波号を竜ヶ崎に奪われたばかりか、 その体内に取り込まれていたのだから。挙げ句に竜ヶ崎は瞬間移動して逃亡し、その後の行方は掴めていない。 陽動作戦は無意味に終わり、それどころか、竜ヶ崎の元に向かうのが遅かったせいで多数の自衛官が粛清されて しまった。もう少しでも竜ヶ崎邸に向かうのが早かったら、救える命もあっただろうに。虎鉄も芙蓉もガニガニも己を 責めていて、紀乃も例外ではなかった。虎鉄はヘルメットの隙間から一口緑茶を啜り、低く呟いた。

「伊号……いづるは、生きているのか?」

「死体はなかったのよね。でも、車椅子もなかったし、いづるちゃんがどこに行ったのかも解らないのよね」

 芙蓉は湯飲みを両手で包み、目線を落とした。

「生きているさ。その程度のことで死ぬような女じゃない」

 隣の椅子に座る甚平に寄り掛かっている呂号は、膝の上に載せたエレキギターを爪弾いた。

「あ、うん、その、その剣を見つけた後に真波さんに会ったけど、そのこと、聞き忘れちゃったっていうかで。えぇと、 思い付かなくてごめんなさい。あ、え、その、真波さんの乗っていたベンツには、いづるちゃんっぽい匂いが少しだけ したけど、服があっただけかもしれないし、その車に乗っていたとは限らないっていうか……」

 甚平が大きな体を縮めると、紀乃は甚平に近付いた。 

「甚にいは悪くないよ。だって、真波さんに会った時は、そういう状況だってことを知らなかったわけだし」

「んで、主任はどこに行ったんすか?」

 山吹に問われ、甚平は答えた。

「あ、はい、福井県の小浜市っていうか、空印寺に。そこにある竜の肉片を壊しに行くとかで」

「無意味。無益。無駄。無効。……無情」

 無表情で真波を罵倒した秋葉は、真波から返却された携帯電話をぎちりと握り締めた。

「竜ヶ崎邸から逃亡した時点で、一ノ瀬真波は紗波ちゃんを見捨てたという証拠。伊号も同様。あの女が助けている とは到底思えない。一ノ瀬真波とは、そういう女」

「あ、でも、あの人、そんなに悪い人には思えなかったけどなぁ」

 大きな口元に小さな湯飲みを運んだ甚平は、慎重に湯飲みを傾けた。

「そりゃ、甚平君が主任と付き合っていなかったからそう思えるだけだ。それまで自分を縛り付けていた生体兵器と 縁が切れて、せいせいしていたから機嫌も良かったんだろうさ。竜の肉片を壊すなんてのはただの口実だ、空印寺 で竜ヶ崎のクソ野郎と落ち合うに決まっている。あいつらの関係は、そう簡単に切れる関係じゃない」

 虎鉄は緑茶を一気に呷ると、不愉快げに言い捨てた。どちらの気持ちも解らないでもないな、と、人数分の食器を 洗い流しながら、忌部は思ったが口には出さなかった。真波が心変わりしたのは本当だろう。甚平は嘘を吐くような 性格ではないし、竜ヶ崎とは全く通じていないのだから嘘を吐く必要も理由もない。恐らく、竜ヶ崎邸で竜ヶ崎自身が 行った大量殺人が真波の心変わりの原因だろう。
 ワン・ダ・バの生体電流を用いたジャミングは続けているのでテレビは見られないが、海底に通した光ケーブルを 通じてインターネットは見られる。夕食の仕込みの間にニュースサイトなどを閲覧して情報を掻き集めてみたところ、 竜ヶ崎邸で発生した原因不明の爆発と火災による死傷者数は百人を越えていて、最早災害の域に達している。その 原因はインベーダーであると政府は公表して、事態を収束させようとしているようだが、竜ヶ崎邸が炎上する前に 撮られた衛星写真には紀乃らの姿が一切ないことから、ネットに長けた者達はブログや情報媒体などで熱い議論を 交わしている。中には真実に近い意見もあったが、ほとんどは見当違いの妄想だった。粛清とは名ばかりの無差別 殺戮を行った際、波号を体内に取り込んだ竜ヶ崎全司郎が手に掛けたのは無関係の自衛官や警官であり、殺される べきではない人間達だ。一連の出来事は要するにゾゾと竜ヶ崎の内輪揉めで、インベーダー達はゾゾと竜ヶ崎の遠い 血縁なので関係がないわけではない。しかし、彼らは違う。非もなければ関係もない純粋な被害者だ。殺された人々 に近しい者達の心情を思うと、やるせなくなる。

「御兄様」

 濃い青に桔梗柄の着物を着てたすき掛けをしている翠は、洗い終えた茶碗を水切りカゴに乗せた。

「御前様に殺された方々の御家族が恨むのは、やはり私達なのでしょうね」

「間違いなく。だとすると、この基地ももう安全じゃないだろうな。というより、これまでワンに攻撃してこなかったのが 不思議なくらいなんだ。だが、俺達が行く場所はどこにもない。ワンの状態が万全じゃないから、宇宙に逃げるのも 今の時点では不可能だ。となると、政府が俺達に攻撃を仕掛けてくる前に竜ヶ崎を見つけてやり返すしかない」

 忌部は未だに透き通らない手をエプロンで拭いてから、蛇口を捻って水を止めた。

「次郎、だったらお前がやってみたらどうだ。ワンと分離した後でも感覚が繋がっているんだろう?」

 虎鉄が厨房に向いて忌部に話し掛けるが、忌部は手を横に振った。

「そんなの、少しだけだ。首に合体していた時に比べれば、冗談みたいな程度の低さなんだぞ。そりゃ、俺がワンの 首と合体している状態であれば、生体電流でも放出してレーダーと同じ原理で竜ヶ崎の居所を突き止められたかも しれないが、二度三度と合体出来るもんじゃないんだ。俺はゴ・ゼンだが、本当の生体適合者じゃないからな。無茶 言わないでくれ、兄貴」

「いざって時に役に立たないっすね、忌部さん」

 山吹が毒突くと、忌部はエプロンを外した。

「俺の本領は透明であることだけであって、宇宙怪獣と合体することじゃないんだよ。お前達とは違うんだ」

「あ、うん、適材適所っていうか、誰だって出来ることと出来ないことがあるっていうかで」

 雰囲気の険悪さに耐えかねたのか甚平がフォローに回ろうとするが、ぎゅいいい、と呂号が弦を強く擦った。

「だがそれは長年付き合ってきたはーちゃんの生死を危ぶませる理由になるのか?」

「え、あ、露乃ちゃんまで何を……」

 甚平は呂号を宥めようとするが、呂号は力強く弦を弾く。

「僕の能力が健在であれば局長の居所を探すのは可能だ。だが今の僕にはそこまでの能力はない。だからそれは 出来る者がやるべきだ。やるべき時にやるべきことをやらないのはただの怠慢だ」

「ですがね、皆さん。忌部さんとワンの合体の危険性については、忌部さんが仰った通りでして」

 ゾゾが腰を浮かせるが、虎鉄が椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「この期に及んで、竜ヶ崎のクソ野郎を放っておくつもりか!? 出来ることをやらなくてどうするんだ!」

「そうではありません。ですが、そのために忌部さんの命が危うくなってしまっては、元も子もないではありませんか」

「これまで俺の家族がどれだけ犠牲になってきたと思っている!」

 虎鉄は肩を怒らせると、だぁん、とテーブルを殴り付けた。その拍子に鋼鉄化し、鈍色に変色する。

「やっと、やっと、竜ヶ崎のクソ野郎を追い詰められたんだ! もう一息で手が届くんだ! 紀乃を助けた時には奴を 殴り殺せなかったが、次は必ずクソ野郎のドタマをかち割ってやる! あいつのせいでねじ曲げられた人生を元に 戻すためなら、俺はどんなことでもすると決めたんだ!」

「ですが、それは虎鉄さんの人生であって、忌部さんの人生ではありませんよ。それをお忘れなく」

 ゾゾは虎鉄の剣幕にも動じずに言い返すが、それが却って虎鉄の激情を煽った。

「俺達の人生を狂わせた張本人のくせして、言うことはそれだけか!」

 虎鉄はテーブルを乗り越えてゾゾに迫ろうとしたので、動揺した紀乃が割り込んだ。

「お父さん! 戦う相手が違うよ、ゾゾじゃないよ!」

「紀乃、お前もお前だ。なんでそんな奴に惹かれるんだ?」

 虎鉄はヘルメットの下で荒い息を吐き、怒りに火照った声色は上擦っていた。

「百歩譲って露乃と甚平君のことは許そう。従兄弟同士で、甚平君の父親は竜ヶ崎だが、どちらも元々人間なんだ。 だが、ゾゾはそうじゃない。俺達の人生を狂わせる原因で、下らない因縁が煮詰まった血筋の大本で、その自覚が あるにも関わらず、俺達がどうなろうとも今の今まで手を下そうとしなかったんだぞ。恨みこそすれ、慕うような相手 じゃないはずだ。もう一度、よく考えてみろ」

「じゃあ、お父さんはゾゾを恨んでいるの?」

 父親の愛情と同等の憎悪を肌で感じた紀乃が臆すると、虎鉄は吐き捨てた。

「心の底からな。強すぎる能力に振り回されている紀乃をどうにかしてやるどころか、竜ヶ崎のクソ野郎に付け入る ために利用しやがったんだからな。竜ヶ崎のクソ野郎と同じくらいに、頭を叩き割りたい相手だよ」

「てっちゃん。気持ちは解るけど、もう……」

 にゅるりと滑ってテーブルを乗り越えた芙蓉が夫の腕に手を掛けるが、虎鉄はゾゾを睨み付けた。

「次郎がワンと合体出来ないというのなら、ゾゾ、お前がなんとかしろ。そうでなければ、この場で首の骨を折る」

「もうやめてよ!」

 紀乃はサイコキネシスを発する構えを取り、父親と向き合う。

「そんなに言うんだったら、私が行って見つけて来ればいい! 感覚を広げたままでそこら中を飛び回れば、きっと すぐに見つけられる! そうすればいいだけのことじゃんか!」

「どいつもこいつもいい加減にしろ!」

 手にしていたエプロンを調理台に叩き付けた忌部は、怒声を張り上げた。

「兄貴も紀乃も他の連中もだ! 竜ヶ崎が引っ込んだことを、俺達も体勢を立て直せる機会だと思えないのかよ!  今のままじゃ、何度やり合ったところで結果は変わらない! 誰も彼もやりたいことをやるだけじゃ、奴に勝てるわけ がないんだよ! 俺達はチームじゃないかもしれないが、ちったぁ統率が取れないのかよ!」

「ならば、妙案でもあるというの」

 秋葉が忌部に冷ややかな目を向けると、忌部は言い返した。

「そんなもん、あるわけがないだろう。これから考えるんだよ」

「威勢の良いことを言うだけなら、誰にだって出来るっすからね」

 山吹がへらっと笑ったので、忌部は足早に厨房から出た。

「お待ちになって、御兄様」

 翠は忌部を追い縋り、食堂から出る際に皆に一礼してから、急ぎ足で忌部に続いた。忌部と翠の足音が遠のくと 食堂には静寂が訪れたが、平穏とは程遠かった。重苦しい空気だけが堆積し、しばらく誰も喋ろうとはしなかった。 ようやく口を開いたのは、皆の殺気立った言い合いを聞きながらも考え事をしていた甚平だった。

「あ、うんと、僕は忌部さんの言うことが尤もだと思うっていうか」

 自然と皆から視線が集まり、甚平は少々戸惑ったが、自分の考えを話した。

「ていうか、その、皆には皆の立場とか信念とかがあるのは理解しているし、僕だってないわけじゃないし、目的は 似てはいるけど方向性は見当違いっていうか。でも、そんなんじゃ、いつまでたっても同じことの繰り返しっていうか。 僕らは厳密には仲間とは言い切れないし、同胞でもないし、愚連隊ってのとも違うっていうかだけど、外側から 見れば同じ括りの中にいるっていうかで。だから、その」

「リードギターだけで演奏された曲は聴くに耐えない」

 呂号が甚平の意見を自分なりにまとめると、甚平は頷いた。 

「ああ、うん、そう、そういうこと。今の僕らは、その、ソロじゃないからね」

「だとしても、誰をリーダーにするつもりだ?」

 虎鉄が怒りの冷め切っていない目線で皆を見渡すと、甚平は素早く後退った。

「え、あ、僕はその、全力で辞退する」

「僕もだ。指示される方に慣れ切っているからな」

 呂号も顔を背け、紀乃は肩を縮めた。

「私も無理だ。そういうのは、もうちょっと大人の方がいいんじゃないのかな」

「ベタな展開だと、リーダーを決めるためだけに不毛な争いをして一話を丸々潰すんすけど、そんな余裕なんてない っすからね。多数決で決めたらどうっすか?」

 山吹が提案すると、秋葉が迷わず山吹を指した。

「丈二君」

「いやいや、俺はリーダーの覇権争いには参加しないっすよ? ニューリーダー病には冒されていないっすからね。 そういうむーちゃんこそどうっすか?」

 山吹が腰を引くと、秋葉は表情を曇らせた。

「私に他者を統率する資格はない。これまでも、昼間の件も、私ははーちゃんに気を取られすぎていて、周囲に気を 回せなかった。私では、視野が狭すぎる」

 となると、誰がいるのだろう。発言しなかった芙蓉に皆の視線が向くと、芙蓉は手を横に振った。

「私だってそんな柄じゃないわ。今でこそこんな格好をしているけど、ちょっと液体を操れるだけの主婦なのよね」

「かといって、俺もな……」

 少し頭が冷えたのか、虎鉄はごりごりとヘルメットを引っ掻いた。

「となれば、もう決まったも同然ではありませんか。もっとも、私も謹んで辞退させて頂きますがね」

 それでは所用がありますので失礼いたします、と、ゾゾは翡翠の剣を左手に携えて一礼し、食堂を後にした。紀乃 は尻尾を少し持ち上げて出ていったゾゾの後ろ姿と、落ち着きはしたが未だに気が立っている虎鉄を見比べたが、 何も言えずに手近な椅子に腰掛けた。虎鉄が言ったことは、親心としては至極当然のことばかりだ。紀乃は妄信的 にゾゾを好いているわけではないが、一時の熱でしかなく、この戦いが終われば冷めてしまうような薄っぺらい感情 かもしれない。紀乃は浮ついた気持ちが萎んでいき、唇を噛んだ。
 鉄筋コンクリートと通気口を伝わって、地下駐車場からと思しきエンジン音がかすかに聞こえてきた。恐らく、忌部が 憂さ晴らしにでも行くのだろう。今は夜も更けてきたので、翠も一緒だろう。どこに行くのかは気になったが、忌部の ことなので下手な行動は取らないはずだ。紀乃は漠然と信じながら、ゾゾを追おうか追うまいか迷い、結局食堂 から出ずにその場に止まった。虎鉄をまた怒らせたくはないし、ゾゾとは少し距離を置いて頭を冷やした方がいいと 思ったからだ。帰ってきた頃合いを見計らって、今し方決まったことを伝えよう。
 もっとも、忌部本人がそれを了承するかどうかは解らないが。





 


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