南海インベーダーズ




感傷的迷走道中



 海上基地を飛び出したのは、まずかったかもしれない。
 暗闇に沈んだ街中でも景気良く光を放っている自動販売機の前で、忌部はタバコを蒸かした。隣のベンチでは、 翠が底に片手を添えながら缶ジュースを飲んでいる。海上基地はビルの陰に隠れてほとんど見えず、街灯ばかりが 目立つ夜景は見栄えがしない。歓楽街のネオンは毒々しく、アンテナ部分が波号に破壊されてしまったスカイツリー とその周囲はただの廃墟と化しているし、東京タワーの明かりも自動的に付くものではないらしく、これといって 目を惹く夜景はない。二本目のタバコを吸い終えた忌部は、スタンド灰皿に押し付けて火を消した。

「私は、御兄様がお役に立てない御方だと思ったことはありませんわ」

 翠はレモンスカッシュを半分ほど飲み、膝の上に缶を置いた。

「ありがとう、翠」

 忌部が笑みを返すと、翠も顔を綻ばせた。

「皆さん、気が立っていらっしゃいますのよ。短い間に、色々なことが起きたのですもの」

「俺だって、歯痒くないわけじゃない。だが、俺が何も出来ないのは本当なんだ」

 翠の隣に腰を下ろすと、忌部は髪を乱した。自動販売機の傍には、二人の影が伸びている。その影を見つめて、 忌部は思い悩んだ。御前、すなわちゴ・ゼンであるということが、この事態を好転させるとは思えない。むしろ、悪化 させる要素の一つだ。ゴ・ゼンは本来竜ヶ崎全司郎の役割であって、忌部はあくまでも代用品に過ぎない。同時に、 竜ヶ崎全司郎の生体情報に対して拒絶反応が薄いことも意味している。波号のように竜ヶ崎の体内に取り込まれて しまう可能性もなきにしもあらずであり、近付くことすら危険だ。増して、ワン・ダ・バの首に合体して動かせば、前回 と同じ流れで付け入られるはずだ。そして、ワン・ダ・バの本体を奪われるのがオチだ。そうなれば、生体洗浄どころ ではなくなる。竜ヶ崎全司郎は次元乖離跳躍航行技術を利用し、ニライカナイへと旅立ってしまうだろう。
 どうやれば、事を悪化させずに済む。進展させられる。掴み所が目の前にあるような気がするが、手を伸ばせば 絡め取られてしまいかねない。かといって、闇雲に行動しても意味はない。事態が昏迷するだけだ。三本目のタバコに 火を灯して煙を吸い込んでいると、一条の光が視界の端を掠めた。偵察のヘリか、と慌てた忌部が翠を背にして 腰を浮かせると、自衛隊のヘリコプターが旋回しながら降下してきた。スクランブル交差点の中央に着陸したのか、 巻き上げられた風が砂埃を吹き飛ばしてきた。忌部は翠を自動販売機の影に押し込んでから、自分も身を引くと、 ベルトに差し込んでいた拳銃を抜いた。射撃の腕には自信はないが、丸腰よりはマシだ。

「翠はここにいろ、様子を見てくる」

「ですが、御兄様」

 不安げな翠は忌部の裾を引っ張ったが、忌部は笑ってみせた。

「安心しろ、すぐに戻ってくる」

 もう一度翠を自動販売機の影に押し込めてから、その頭を軽く撫でてやった。翠は目の縁をほんの少し赤らめ、 素直に頷いてくれた。忌部は翠に手を振ってから、ヘリコプターのエンジン音がしている間に駆け出した。乗用車に 身を隠しながら近付き、光源を保つためなのか、サーチライトを付けっぱなしのヘリコプターの様子を窺った。風に 煽られた空き缶がボンネットに激突し、高くバウンドして背後で転げた。顔を出そうとしたが、透明だった頃とは勝手 が違うので首を引っ込めた。ヘリコプターの搭乗員を数えるべく、機内に目をやったが、運転席にも管制席にも誰も 座っておらず、戦闘員らしき姿もない。だが、無人機であれば、こんなところに着陸する必要はないはずだ。と、いう ことは。大体の想像が付いた忌部は拳銃を収めると腰を上げ、ヘリコプターに近付いた。
 ハッチが独りでに開くと、機内灯に照らされた少女が現れた。所在なさげに目を動かしているのは、万能車椅子に 座っている伊号だった。服装は以前のものと雰囲気が似ていたが、いくらかラフだった。ロボットアームを支えにして 機内から下りようとしているらしいが、タラップがないので万能車椅子を下ろせずにいる。自信家で自意識過剰気味の 伊号にしては珍しく、表情は曇っていて目元は少し赤い。今にも泣きそうで、頬には涙らしき筋も付いている。見るに 見かねた忌部は、伊号の周囲に戦闘員がいないことを確認してから近付いた。

「俺で良ければ手伝うが?」

「あ……」

 忌部を目にした途端、伊号は潤んだ目を最大限に見開いた。

「お父さん……?」

「あ?」

 なんで俺が、と、忌部はぎょっとしたが、すぐに思い当たった。伊号は忌部の腹違いの妹なのだ。だから、忌部 が伊号の父親である忌部我利に似ていてもおかしくない。それなりに年齢を重ねているし、可視状態になった自分 の顔と向き合った時には自分でも父親に似てきたと思ったぐらいだ。

「お父さんは、あたしんとこよりもさ、ママのところに化けて出てやりなよ。その方が、ずっといい」

 敢えて忌部が間違いを正さずにいると、伊号は嗚咽を堪えるように口元を曲げる。

「あたしはさ、これからマジすっげぇ悪いことすんの。本当だよ。嘘じゃないよ。駐屯地とか米軍基地とかにある兵器を 全部使って、海上基地をぶっ壊すんだ。それしか出来ねーんだよ。殺すのは良くねーって思うけど、あたしだって ぶっちゃけ気分悪ぃけど、そうするしかないんだ。ママの傍にいたかったけど、あたしがいると、ママは不幸になる に決まっている。だからさ、お父さん。ママのところに行ったら、伝えといてくんね。もう一度産まれ直してくる、って」

 忌部は伊号との距離を保ちながら、簡潔に事実を述べた。父親の振りなど出来るわけがないからだ。

「竜ヶ崎全司郎が行方不明である以上、変異体管理局は機能していない。命令系統も完全に崩壊した。非常事態 宣言は未だに継続しているが、インベーダーへの全面攻撃に際して、生体兵器を行使するとは発表されていない。 独断での戦闘行為は危険だ。自衛隊でも相当ヤバいってのに、米軍の兵器に手を出せば、いくらお前でもただじゃ 済まんぞ。国連が手を出しかねない。だから、今は大人しくしておけ」

「……へ?」

 ようやく忌部だと気付いたのか、伊号は叫び散らした。

「お父さんじゃねーし! てか似すぎなんだよ、ツラも声も全部!」

「親父じゃなくて悪かったな」

 忌部が苦笑すると、伊号は今になって恥ずかしくなったのか赤面する。

「うあーうあー……お父さんだと思ってマジぶっちゃけちまったし。てか、あたし、マジダッセェー……」

「呂号もだが、どうしてお前らはそこまでして自分を消耗しようとするんだよ」

 忌部はヘリコプターによじ登ると、伊号を小突いた。伊号は頭を振ってから、忌部を睨む。

「そんなんマジ関係ねーし! あたしらはそういうふうにしか生きられねーんだよ!」

「馬鹿かお前は」

 忌部は伊号の額を弾くと、伊号は即座に怒った。

「何しやがんだリアル妹に!」

「なんだ、知っていたか。だが、お前は俺の最愛の妹である翠とは違う。我が侭で横柄でデタラメで金食い虫の能力の 持ち主で、おまけに俺達を殺そうとしている。デコピンだけで済んだのを喜んでほしいぐらいだ。ついでに言えば、 十七にもなってなんでママなんだ。かすがさんのことだろうが、その呼び方は恥ずかしいと思わないのか」

「仕方ねーじゃん。ママはママなんだし」

 伊号がそっぽを向くと、忌部は訝った。

「だとしても、どこでかすがさんに会ったんだ? その服だって、どこで調達してきたんだ?」

「ママが買ってきてくれたんだよ。あたしのために。あたしさ、なんでか知らねーけど、主任に鎮静剤を打たれて車に 乗っけられたんだよ。んで、目が覚めたら避難所にいて、ママも一緒だったんだ。でも、あたしは普通じゃねーから、 ママの傍にいちゃいけねーし、インベーダーと戦わなきゃならねーし。だから、自衛隊のヘリをパクって」

「んで、無謀な単独行動をしたのか。主任の行動に関しては甚平の意見が正しかったんだな。だが、一人でヘリから下りられないのに、どうやって その中に乗り込んだんだ?」

「そんなん簡単だし。窓外して、ヘリを横付けして、窓枠とヘリに窓を渡して、その上を車椅子でぐあーっと」

 しれっとした顔でとんでもない行動を描写する伊号に、忌部は血の気が引いた。

「お前って奴は……。よく窓が割れなかったなぁ、いやそれ以前にどうしてヘリが窓の傍でホバリング出来るんだ?  常識で考えればローターが壁に引っ掛かって墜落するだけだろうが」

「それもマジ簡単だし。まあ、普通に操縦したんじゃ出来ねーかもしんねーけど」

「しかし、どうしたもんかな」

 ここで伊号を追い返すのは簡単だが、その後が問題だ。かといって、海上基地に連れ帰るのもまた面倒だ。忌部は 後にも引けず、前にも進めず、悩んでいると、暇を持て余した翠がヘリコプターに歩み寄ってきた。

「御兄様、いかがなさいましたの?」

「翠。大人しくしていろと言ったじゃないか」

 忌部が膝を付いて翠を見下ろすと、翠は袖の先で口元を覆って拗ねた。

「だって、御兄様のお帰りが遅いんですもの。気になってしまいましてよ」

 翠は機内にいる伊号に気付くと、深々と頭を下げた。

「お初にお目に掛かります、滝ノ沢翠と申します。以後、お見知りおきを」

「資料で知っちゃいたけどさ、うん、実物見ると計り知れねー衝撃っつーかが……」

 伊号が複雑そうに唇をひん曲げたので、忌部は再度その額を弾いた。

「俺の妹は最高に可愛いんだよ。でもって、お前にとっては種違いの姉じゃないか。ちったぁ褒めろ」

「よろしゅうございますわよ、御兄様。仕方ありませんもの」

 翠は着物の袖で口元を隠し、微笑んだ。伊号はロボットアームで二度も弾かれた額をさすり、ぼやく。

「妹は平等に扱いやがれよ。でもっていちいち叩くんじゃねーし。脳細胞が死んじまうし」

「機械遠隔操作能力がなかったら、お前の知能なんて平均値だろうが。演算能力が恐ろしく高いのは、テレパシー に近い能力で遠隔操作している機械の回路と思考回路を同調させているからであって、知識も同様だ。外部記憶 容量がくっついているみたいなもんだから、頭が良くて当然なんだよ。だから、脳細胞の一つや二つが死んだところ で影響なんて出やしない。自立するためにも、機械に頼らないで自分の頭で考える努力をしろ」

 忌部が事も無げに言い放つと、伊号は言い返した。

「ウッゼェんだよさっきから! てかなんだよ、いちいち兄貴面すんじゃねーし!」

「別にしちゃいない。それよりも、なんでお前はこんなところに下りたんだ? 駐屯地からも米軍基地からも遠いし、 海上基地も見えない場所だ。近いところがあるとすれば」

 忌部が寺院を示すと、伊号は急に勢いを失った。

「死ぬ前に、お父さんの墓参りでもしとこうかなって思っただけだし」

「まあ、御父様の? でしたら、私も御一緒しますわ。私の御父様ではありませんけども、御兄様の御父様であって いづるさんの御父様であるのでしたら、本当の御父様も同然ですわ」

 翠がにこにこすると、忌部は若干迷ったが、伊号に向いた。

「俺は気は進まないが、どうしてもと言うのなら付き合ってやってもいいぞ」

「んだよ、その上から目線。マジ腹立つし」

 伊号は毒突いたが、忌部と翠の手を借りなければヘリコプターから降りられないことを思い出し、渋々同意した。

「そっちがどうしてもっつーんなら、一緒に行ってやってもいいし?」

「あらあら、まあまあ。御兄様といづるさんって、御兄妹らしゅうございますわねぇ」

 翠が微笑ましげにくすくすと笑ったので、忌部も伊号も訳もなく照れ臭くなった。元から仲が良かったわけでもなく、 兄妹だと解ってからも仲良くするつもりはなかった。その自覚が芽生えるのも当分先だと思っていたが、外から 見たらそうでもなかったらしい。忌部はなぜかぎくしゃくしながら、伊号を抱えて先に降ろして翠に預け、その後に 万能車椅子をヘリコプターから外に出した。翠に抱えられている間、伊号は戸惑っているようだったが、決して 嫌がったりはしなかった。翠も妹と触れ合えたのが嬉しいのか、終始にこにこしていた。
 忌部家の前当主と本妻の次男、後妻と本家の御前様の間に産まれた長女、後妻と前当主の間に産まれた次女、 という、真っ当な兄妹とは程遠い血縁関係の三人は、道中の店で線香とロウソクを調達してから墓地に向かった。 万能車椅子は充電していなかったせいか、バッテリー切れが近いらしく、伊号は仕方なさそうに押してくれと頼んで きた。忌部が手を伸ばすよりも先に翠が万能車椅子のハンドルを取り、押してくれた。伊号は翠の外見はさすがに まだ好けないようだったが、翠の心遣いが嬉しいのか、素直に礼を述べた。門をくぐって寺院に入り、真っ暗な境内 を進み、砂利が敷かれた道を歩くとキャタピラの駆動音が一際大きい。足元が見えづらいので、忌部はライターに 火を灯し、忌部家の墓を目指した。父親の四十九日法要で一度訪れているので、記憶が新しい伊号が案内してくれた こともあり、三人は迷わずに忌部家の墓に辿り着いた。年季の入った墓は大きく、忌部継成、との名が刻まれた最も 大きな墓石が末裔を待ち受けていた。
 忌部はロウソクを立ててライターで火を灯し、その火で線香を付けて翠に渡し、伊号はロボットアームに挟ませた。 それを線香立ての中に立てた後、忌部は手を合わせた。長らく誤解していたことを父親に謝ると共に、先祖である 忌部継成にも謝った。一族の名が付いた島、忌部島は地球上から完全に消失したのだから。横目に妹達を窺うと、 翠はかなり熱心に祈っていて息も詰めている有様で、伊号は手の代わりにロボットアームを合わせていた。
 忌部が顔を上げると、翠と伊号も顔を上げた。線香の匂いが鼻を突いて、ロウソクの火が重たい夜風に揺れた。 煙の糸がするりと流れて解け、空気に溶けていく。長い長い間の後、忌部は膝を伸ばして立ち上がった。

「それで、これからどうする? この場で俺達と一戦交えるか?」

「どうって……」

 伊号は忌部一族の墓を見上げていたが、感慨深げに言った。

「前に来た時はなんにも思わなかったけど、今、見ると、なんか不思議な気がしてくる。お父さんとママがいて、んで、 その上にも会ったことねーけど爺ちゃんがいて、んで、その上にも、そのまた上の上にも親がいて、んで、最初まで 辿ると、この継成って人がいたんだなーって考えてみるとさ、迂闊に死ねねーってマジ思った。だって、あたしって、 この人らがいなきゃ産まれてすらいなかったってことじゃん? 誰か一人が抜けていても同じだし。だけど、あたしが これから戦おうとしていたのも、この人らの末裔じゃん? 兄貴と姉貴がそうだし。そう思うと、なんか、死ぬのがマジ勿体 なくなったっつーか、戦うのが無駄なんじゃねーかなぁーって……」

「なんだったら、一緒に来ないか。帰りづらい状況ではあるが、他に行く当てもないんだ」

 忌部が伊号を見下ろすと、翠は伊号の手に自分の手を重ねた。

「せっかくお会い出来たんですもの、いづるさんともっともっとお話ししとうございますわ」

「それ、拙くね? 一応、敵同士じゃん」

 伊号が躊躇すると、忌部はぐしゃりと伊号の髪を乱した。

「それについては、誰も文句を言いやしないさ。呂号の前例もあるし、それにお前は俺の妹だ」

「……気安く触んじゃねーし」

「ああ、そうかい」

 思わず顔が緩んだ忌部は、伊号の髪に触れた指をすぐに放せなかった。伊号は怒ったような拗ねたような、だが 疎んでいるわけでもないという、実にややこしい顔をしていたが、結局忌部の手を振り解こうとはしなかった。さあ、 参りましょう、と翠は万能車椅子を押し、忌部もそれに続いた。墓地を出る前に一度振り返ると、一つだけロウソクと 線香を灯されている忌部家の墓はやたらと目立っていた。翠は軽く頭を下げ、伊号もなんとなくそれに倣い、忌部は 妹達の背を見守るように歩いた。手に残る伊号の体温は翠の体温よりも暖かく、柔らかかった。
 その後、伊号を連れて海上基地に帰還すると、なぜか忌部がインベーダーのリーダー格に認定されていた。訳の 解らない展開に当然ながら抗議したが、他に妥当な人材がいなかったのと、このままでは埒が開かないことは目に 見えていた、と懇切丁寧に説明された。翠からは尊敬の眼差しが注がれ、伊号からは思い切り変な顔をされたが、 誰かがまとめなければならないのは事実だった。仕方なく引き受けると、翌朝から対策会議を始めることになった。 具体的に何を話し合うのかすらも決まっていなかったが、何かを決めようとする姿勢は評価するべきだろう。伊号は 住み慣れた自分の部屋に戻ろうとしたが、かすがに連絡しておくべきかどうか、散々迷っていた。心情としてはすぐ にでも連絡させてやりたいところだが、迂闊にジャミングを解除するのは良くないので、忌部は伊号を諌めた。伊号は 不満げではあったが納得し、万能車椅子を充電してから自室に戻った。やけに長い夜だった、と、忌部は多少の 疲労を感じながら自室に引き上げようとしたが、ふと、窓の外を見た。糸のように細い月に見下ろされている巨体の 宇宙怪獣は、生体電流で忌部に語り掛けてきた。声にも言葉にもならない意志は、朗らかだった。
 ワン・ダ・バは笑っているのだろうか。そう感じると気が緩み、忌部は意味もなく笑い声を零してしまった。寄宿舎側に 向き直ると、唐突にゾゾが立っていた。思い掛けないことに心底驚いた忌部が後退ると、ゾゾは一礼した。

「夜分遅くに失礼いたします、忌部さん」

「あ……いや別に。なんか、用か?」

 薄暗い中、至近距離で単眼のオオトカゲなんか見るもんじゃない。忌部が痛いほど跳ねた心臓を押さえると、ゾゾ は左手に携えていた細長い包みを差し出してきた。その布を開くと、甚平と呂号が持ち帰った翡翠の剣が現れた。

「忌部さん。ゴ・ゼンであるあなたにこそ、これは相応しいです。生体情報を調べた際にもそう思っておりましたが、 可視状態となった忌部さんのお顔を拝見した時に確信しました。実によく似ておられます」

 ゾゾは忌部の手に翡翠の剣を預けてきた。それは見た目に見合った重さで、忌部は両手で受けた。

「どういう意味だ? 俺の役割は、竜ヶ崎の代用品だけじゃなかったのか?」

「三種の神器を御存知ですか?」

「一応な。鏡と勾玉と剣だろ」

八咫鏡やたのかがみ八尺瓊勾玉やさかのにまがたま天叢雲剣あめのむらくものつるぎ、と申します、 この国の創世神話には欠かせないアイテムです」

「もしかして、この剣がそれそのものだとか言うんじゃないだろうな? 確かに、それっぽくはあるが」

「いえいえ。まさか、そんなおこがましいことは申し上げませんよ。私は日本書紀にいたく感動いたしまして、それを モチーフにしただけですよ。宇宙怪獣戦艦の制御に欠かせない珪素回路であるヴィ・ジュルは勾玉に精製し、生体 情報表示機能を搭載した生体電流受信能力保有型珪素生物であるカ・ガンは銅鏡に精製し、ワンの拒絶反応を中和 する免疫抑制機能搭載型珪素生物であるチナ・ジュンは剣の形に精製したまでのことです。ですが、チナ・ジュンは 地球に落下した際に破損してしまいましてね。ですので、ある方の生体組織を使用して修理したのです」

 ゾゾは左手を下げ、忌部を示した。

「その方の名は忌部継成。あなた方の御先祖であり、竜ヶ崎ハツさんの夫である、ミュータントです」

 ゾゾは身を翻し、ゆらりと太い尻尾を垂らした。

「チナ・ジュンを使えば、忌部さんはワンと完璧に合体出来ましょう。さすれば、生体適合率も格段に上昇し、竜ヶ崎 全司郎による妨害も阻めましょう。ともすれば、ワンの全ての能力を忌部さん自身の意志で操作し、技術としては 未完成ですが、理論は確立している次元乖離跳躍航行技術を使用出来るかもしれません。ワンの体力も回復して きたので、明日にでもワンの首の縫合手術を開始します。さすれば、ワンは元の姿と共に本来の能力も取り戻すこと でしょう。ですが、チナ・ジュンを使用するかどうかは忌部さん次第です。チナ・ジュンを使用して合体してしまえば、 忌部さんは忌部さんとしての自我を失い、ワンの中枢と化す可能性も否めません。一度目の合体では、忌部さんは ワンの免疫によって弾かれたおかげで、人間としての姿を取り戻すことが出来ましたが、チナ・ジュンを使用すれば ワンは忌部さんを肉体の一部として認識してしまいますので、再び人間の姿に戻れる保証はありません。それらを 踏まえた上で熟考なさって下さい。御自身の人生なのですから」

 それではお休みなさい、とゾゾは挨拶してから、自室にしている部屋に向かっていった。忌部は先祖の生体組織を 利用して造られた剣を見つめていたが、思考がまるでまとまらず、ふらつきながら自室を目指した。どうやって使う のかは見当も付かないが、これがあればワン・ダ・バを完全に操れるという。しかし、それは単純な勝機ではない。 忌部が求めて止まない、普通の人生に戻る術を失うことになる。躊躇と使命感の狭間で、忌部は逡巡した。
 選ぶべきは、どちらだ。





 


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