南海インベーダーズ




根の国、底の国



 それから二百年余り、ゼンはハツと行動を共にした。
 在り合わせの資材で造った船で琉球に渡った二人は、貿易船に乗せてもらって九州から本土に渡り、諸国行脚を 始めた。尼僧であるハツに合わせる形で、ゼンは虚無僧の僧衣を身に付けることにした。虚無僧は天蓋を被って顔 を隠せる上に長い袴を履いているので、現住生物とは懸け離れた外見であるゼンの姿を隠すことが出来たからだ。 といっても、ゼンの体格は当時の成人よりも一メートル近く高いため、どれほど顔形を隠そうとも巨躯ばかりは隠す ことが出来ず、行く先々で大入道呼ばわりされていた。ゼンと同じ格好をしている虚無僧から習った尺八の腕前は それなりに上達したものの、見た目が仰々しすぎるせいで首から提げた箱に御布施を入れられることは滅多になく、 食うや食わずの日々が続いていた。仕方ないので山中で野生動物を捕獲して動物性蛋白質を摂取するが、ハツは それを拒み、農家から御布施としてもらった僅かばかりの穀物を口にするだけだった。生物学的に考えて、雑食で ある人間は動物性蛋白質を摂取した方がエネルギーを得られる。栄養素としては充分だが熱量が足りない穀物 だけでは生命活動に支障を来す、と、ゼンは訝るが、ハツは白湯も同然の粟粥を啜るばかりだった。
 その日、二人は寂れた辻堂で雨を凌いでいた。瓦屋根に叩き付ける雨粒は大きく、山を越えられないだろうが、 急ぎの旅ではないのだから焦る必要はない。ゼンは雨に濡れた天蓋を外して板張りの床に置き、水を吸った袈裟を 外し、四本指の手に填めた手甲を緩めた。紫色の肌と爪を隠すために巻いている布も外してから、振り返ると、 薄暗い辻堂の奥ではハツが法衣を緩めていた。剃り上げた頭に被せた白い布を外すと、薄く汗が混じった雨粒が すいっと滑って首筋に落ちた。藍色の袈裟を外したハツは必要最低限の荷物を置いてから、手のひらで剃髪した頭 を撫で上げた。その仕草は、街中で見かける髪を結い上げた娘達に似ていた。雨雲越しの淡い光を帯びたハツの 横顔は、清廉でありながらも憂いを宿していた。彼女は人間の中でも突出した美貌であると、ゼンはこの二百年の 間に理解し尽くしていた。廓で操を売る娘達のように着飾りもせず、白粉を塗って紅を差す街の娘達のように彩りも しないが、それ故に際立っていた。見慣れているはずなのに目を外せず、ゼンはハツに見入っていた。

「何ね」

 ハツは気恥ずかしげに頬を染め、顔を背けた。

「いや」

 ゼンは歩き疲れた足を投げ出し、袴の中で縮めていた尻尾を伸ばした。

「雨、止むかね」

 ハツは竹筒に入れていた水を少しだけ口に含み、木枠が填っているだけの窓から外を窺った。

「一時的なものだが、雨量が多い。明日、日が昇るまでは動かないべきだ」

 ゼンは刀袋に入れた尺八を取り出し、手頃な布で水気を拭き取った。大した成果は出せないが、商売道具である 以上は丁重に扱う義務がある。ハツは膝を崩すと、間口に座ったままのゼンを手招いた。

「ゼンもこっちに来なっさ。雨が吹き込んでくるね」

「多少濡れた程度では、私の生体活動に支障は来さない」

「寒くねの?」

「体温調節は可能だ」

「ほうな、ゼンはうららとはちゃうからの」

 ハツは少し不満げに呟き、ふうっと息を緩めた。寂しいのだろう、とゼンは察知したが、ハツの要求を呑むべきか 否か迷った。傍に行ったところで、何がどうなるというものでもない。火を焚いたほどの暖かさも得られないだろうし、 ハツの体も休まらないだろう。テロメア細胞の突然変異によって不老不死と化していると言えど、人間であることには 変わりない。増して、肉を一切口にしない。地底湖にいた頃に比べればいくらか健康的な外見にはなったものの、 ハツの肉の薄さと線の細さに変化はなかった。だから、体力も少なく些細なことで弱りがちだ。そうなってしまえば、 諸国行脚が滞る。ゼンは少々迷ったが草履を脱いで脚絆を外し、床に上がった。

「ゼンはええ男ね」

 ハツは嬉しそうな笑みを見せ、ゼンを促した。ゼンはハツの傍に胡座を掻き、尻尾を床に横たえた。

「ハツの要求が正当なものかは判断しかねたが、無益ではないと判断した」

「ほうか、ほうか」

 ハツが可笑しげにしたので、ゼンは瞬きした。

「また、ずれたことでも言ってしまったか」

「いんや。ただ、ゼンは優しいのなあと思うただけね」

 ハツはゼンに近付くと、栄養状態が芳しくないためにかさついた手で太い尻尾を撫でた。

「ゼンは竜の肉片を探すっちゅう大事な仕事があるんに、私なんぞに付き合ってくれるんやから。ゼンがいてくれた から、この二百年、ずうっとずうっと退屈せんかったね。一人でおったら、どこぞの崖から飛び降りて頭をかち割って 死んでおったかもしれんね。でも、ゼンがいてくれたから、私は寂しいことも辛いこともなくなったんの。御仏はホンマ におるんね。一千年も御経を上げていたから、聞き届けてくれたんやね」

「では、ハツは極楽に行けるのか」

「さあ。ほればっかりは、死んでみんとなんとも言えんね。でも、もうしばらくは生きとってもええかもしれん」

 ハツの軽い体が、ゼンに寄り掛かる。

「ゼン。私はあんたのことはよう解らんし、あんたがたまに話してくれる空の上の世界んこともさっぱりやけど、ゼンが おってくれると嬉しいんね。少なくとも、私は一人きりではおらんで済むからの。誰も彼もがあんたみたいに長生き してくれるんなら、私もこうはならんかったのになぁ」

「人類のテロメア細胞の限界は百年弱であり、生体改造を施しても二百年弱程度に過ぎない。よって、他の個体が ワン・ダ・バの肉片を摂取したところで、ハツと同等の効果は得られない」

「何言うてんのかさっぱりやね。ほやけど、うらみたいなんが行けそうな場所が琉球にはあるんやて。琉球に長逗留 しとった時に聞いた話ね。なんでも、海の底には、ニライカナイっちゅう異界があるんやて。琉球の神様がおられる 場所でな、ほの神様は年の初めにやってきて豊穣をもたらして、年の終わりにはまたニライカナイに帰るんやって。 ほんで、そのニライカナイはほんにええ場所やそうよ。なんや、ゼンの故郷とよう似た名前やけど」

「そうだな。偶然の一致だ」

「ほんなら、ニライカナイはゼンの故郷っちゅうことになるんかな」

「有り得ない。人類は恒星間航行技術すら開発していない、惑星ニルァ・イ・クァヌアイに到達出来るわけがない」

「ほんでも、そうやったらええってうらは思うんね。きっと、そうなんよ」

 ハツはゼンを見上げ、目を細めた。

「遠い遠い場所に、うらが生きられる場所がある。ほう思わせてくれはったら、ちっとは気が楽ね」

「それはなぜだ」

「ほんなん、説明せんでもええやね」

 ハツはゼンの太い腕に顔を押し当て、それきり黙り込んだ。ゼンはハツに触れるか触れまいか散々迷い、尻尾を 上げてハツの体を支えてやることにした。ハツはゼンに触れているだけで落ち着くのか、いつになく緩んだ顔をして しがみついていた。一千年以上生き長らえていても、ハツの精神面は老化が止まってしまった十七歳から動いては いないのだと今一度思い知る。何人もの夫に先立たれ、出家し、何度となく入定を試みるも、ワン・ダ・バの肉片が 与えた状況適応能力によって死ぬことが出来ずにいる。それがどれほど空しいものかは、ハツに寄り添って生きた 二百年余りでゼンも身に染みて理解していた。旅の最中で出会った者達とは、二度目に出会う時は墓場だ。そうで なければ、良く似た顔に子孫だ。絶え間なく戦乱が起き、時代が推移し、世の支配者が変わっても、ハツとゼンだけ は変わらずに同じ場所に止まり続けている。さながら、時間の流れから忘れ去られたかのように。
 ワン・ダ・バの肉片を発見し、一つ残らず回収し終えたら、ハツに生体洗浄を受けさせよう。それが出来なければ、 ゾゾに頼んでハツの生体情報を調節してもらって、老化による死をもたらしてもらおう。ゼンはハツの低めの体温を 感じながら、屋根を打ち付ける雨音に合わせて尻尾の先で床を叩いていた。
 火が灯るように、胸の内が暖かくなった。




 緩やかな時の中、ゼンは変化し始めていた。
 ハツはあまり変わらなかったが、ゼンはハツや旅先で出会った人々との経験を重ねるに連れて情緒面が大きく 発達して人並みの感情を得るようになった。それは生体部品らしからぬことではあったが、ハツはゼンの変化を 素直に喜んでくれたので、ゼンもこれは喜ばしいなのことだと理解した。
 その他の変化らしい変化と言えば、経年劣化した衣服に継ぎを当てたり、一から仕立て直したり、使い古した尺八 を新調した程度だった。ワン・ダ・バの肉片は日本列島に四散していて、ハツが食した肉片の本体も越前国の海岸 で発見した。それは保存状態が良く、ワン・ダ・バ本体と合体が可能であるとゼンは判断したが、ハツの意志で入定 しようとした洞窟に封じ込めた。ワン・ダ・バの生体保護機能が緩んだものはほとんどが腐敗していたので、見つけ 次第焼却処分し、それを口にしてしまった人間にはゼンが生体接触を行って生体汚染を阻止しながら、諸国を巡り 続けたが、ワン・ダ・バの首だけは見つけられなかった。ゼンに与えられた命令の中心はそれであり、どれほど肉片 を発見して回収しようと首を見つけられなければ意味はない。もしやと思い、全国各地で物の怪の伝承を聞いては 確かめてみたが、全て外れだった。海中に落ちたのだろうか、と、ゼンは考えたが、そうだとすれば海に潜った際に 生体反応を感知するはずだ。恒星間航行技術を応用して瞬間移動を行い、ゾゾの元にワン・ダ・バの肉片を大量に 転送したが、肝心の首を持ち帰らなければ用を成さない生体部品と判断されて処分されかねない。かといって、ゾゾに 黙っているのも良くない。判断を付けかねたまま、無益に時間ばかりが過ぎていった。
 そんなある日、二人の旅路に転機が訪れた。阿波国に立ち寄った際、岩場に流れ着いた若者を発見してハツと ゼンで介抱した。服装と手足を縛る縄からして、島流しされた罪人のようだった。助けるに値する人間なのか否か、 と、ゼンはハツに問うたが、ハツは助かる命を見捨てるわけにはいかないと言い張ってその若者を匿った。近隣の 住民に見つかってしまっては、ハツとゼンも罪人を助けたかどで罪に問われかねないので、若者が流れ着いた場所 から離れた洞窟に身を隠した。ハツの献身的な介抱とゼンの適切な処置により、若者は程なくして体力を取り戻し、 生まれと名を述べた。阿波国の忌部一族の直系、忌部継成であると。
 ゼンが海中で掴み取ってきた魚を焼いたものと少しの米を煮た薄い粥という飯を食べつつ、継成は流罪になった 経緯を話してくれた。なんでも、継成は千里眼を持っているらしく、ありとあらゆる物事を見通せるのだそうだ。壁や 障子など朝飯前で、山も海も越えた先の国の出来事や戦の行方も目視出来るばかりか、人の頭の中すらも透かして 見えてしまうらしい。幼い頃からその能力を使って一族の繁栄や大名に貢献してきたが、あまりにも見通せすぎた せいで却って気味悪がられ、無実の罪を着せられて流罪に科せられたが、嵐に遭って海中に投げ出されたそうだ。 ゼンが継成の生体情報を採取すると、案の定、ワン・ダ・バの肉片の反応が出た。妙な肉を口にしなかったか、と、 ゼンが問うてみると継成はしばらく考え込み、子供の頃に一族の祭事で鬼の肉を振る舞われ、それを口にした、と 言った。他の一族は誰も食べなかったそうだが、継成だけが食べたそうだ。その結果、継成にもワン・ダ・バの生体 組織が癒着して生体情報を改変され、人間の器に収まりきらぬ能力が授かってしまったらしい。

「ほんなら、尼さんとそこの坊主も儂と同じっちゅうことか?」

 継成は薄い粥を食べ終え、椀を置いた。ハツは粥だけを啜り、頷いた。

「ほう、うらは死ねぬ女での。ゼンは人ではないんやけど、うらと同じ時間を過ごしてくれる御人ね」

「そらごつい話じゃのう」

 継成は胡座を掻き、洞窟の外で燻る焚き火の明かりを受けたゼンを見上げた。

「ほんに、おまさんは人じゃなけん。そんツラ、見とったら解る。どこから来おったんじゃ?」

「この惑星より十五億二千三百十二光年先の宙域に存在する、惑星ニルァ・イ・クァヌアイより出航した多次元宇宙 跳躍能力宇宙怪獣戦艦ワン・ダ・バの管理者である、イリ・チ人の科学者、ゾゾ・ゼゼの生体分裂体だ」

 ゼンが一息に説明すると、継成は首を捻ってからハツに向いた。

「おまさん、こいつの言っとることの意味が解るん?」

「全部っちゅうわけやないけど、ゼンが遠い場所から来なったんっちゅうことは解るね」

 ハツがにこにこすると、継成はゼンに向いた。

「ほんま、なんでおまさんらは一緒におるん?」

「私に下された命令の内容と、ハツの行動が沿ったからだ。故に、五スットゥミグイは行動を共にしている」

 ゼンが返すと、ハツは粥を炊いた鍋に水を入れて掻き回した。

「つまりは二百年近くやね。もう、数える気もありゃせんけど」

「にひゃくねん!?」

 継成が目を剥いたので、ゼンはハツが椀に注いでくれた粘り気のある水を傾けた。

「私達の話を信じていなかったのか?」

「おまさんのツラは普通じゃあらへんとは思うとったし、そこの尼さんもなんや……常人やないなって思うとったけど、 天女みたいやし。でも、いくらなんでもそりゃ嘘っぱちじゃろ?」

「うらは嘘は言わんね。御仏に罰せられてしまうんね」

「私もみだりに他人を謀るようなことはしない。それが、ワン・ダ・バで突然変異した者が相手であれば尚更だ。それ ほど信じられぬのであれば、お前の能力とやらで私とハツの脳内を透視するがいい」

 ゼンはハツの手から鍋を取ると、継成の椀にも水を入れた。継成はその水を一口飲むと、訝しげに眉根を寄せた 継成は目を上げ、岩肌を背にしているゼンとハツを一瞥した。その目線が到達した瞬間、ゼンの生体電流が大きく 波打った。ハツも違和感を感じ取ったらしく、ん、と小さく声を零した。継成の二つの眼球から注がれる視線は、角膜 に届いた光を網膜で収束させて視神経を経由した情報を脳に伝えるものと大差はなかったが、問題は視線に伴う 指向性の思念波だった。並大抵の出力ではなく、ゼンの生体組織が不安でざわめいた。本人はただ見ているだけの つもりだろうが、実際は放射線を当てられた物体が透き通るのと同じ効果であり、つまりは生体電流を用いたX線 撮影だ。相手の思考が読み取れるのは、思念波を照射した瞬間に、相手の脳内の生体電流と継成の生体電流を 無意識に同調させているからだろう。継成は能力を引っ込めたのか、ゼンとハツの違和感が失せた。

「……ほんまじゃった」

 継成は目元を押さえ、頭痛を堪えるように項垂れた。

「継成さん。よろしかったら、うららと一緒に来なっさいね。どうせ、死んだも同然の身の上やろ?」

 ハツが笑みを向けると、継成はあからさまに戸惑い、意味もなく胡座を組み直した。

「そらまあ、儂は流刑になったわけやし、実家にも帰れんし、頼る相手もおらんし、そやけど迷惑じゃあれへん?」

「迷惑だなんて、ほんなことねぇって。な、ゼン?」

 ハツがゼンにも笑みを向けてきたので、ゼンは少し迷った後に答えた。

「ワン・ダ・バの生体組織を摂取して突然変異したのだから、いずれ生体洗浄を受けなければならない。そのためには ゾゾの待つワン・ダ・バの本体に行く必要があり、同行する意味はないわけではない」

「一緒に来たらええ、ってほれだけでええのね。相変わらず、回りくどいの」

 ハツは苦笑してから、継成に向き直った。

「ほんなら、明日から継成さんもうららと諸国行脚に付き合おうてくれるね?」

「儂の家は代々氏子やったから、仏のモンとは縁はなかと思うとったけど、それもまたアリかもしれん。どうせ、一度は 捨てた命よ。きちんと最後まで使い切ってこそ、生きたっちゅうことになる。おまさんらと行かしてつかぁさい」

 継成が頷くと、ハツは満足げに笑んだ。

「ほんなら、明日は早いね。さっさと寝てしもうて、日が昇る前に出発せんと」

 そう言うと、ハツはすぐに三人の食器を片付け始めた。洞窟の外で薄く煙を上げていた焚き火にも海水を掛けて 消し、椀と箸を洗って荷物に入れると、袈裟を被って寝入った。そうなるとゼンと継成も休まないわけにはいかず、 ゼンは継成に掛布として袈裟を貸してやり、自分はそのまま横になった。ハツも継成も余程疲れていたらしく、すぐに 二人の寝息が聞こえ始めたが、ゼンは眠気が起きなかった。この星の自転周期に合わせて体内時計も調節した ので夜に眠る習慣も身に付いていたし、継成を助け出してから世話をしていたのでその疲れもあったのだが、妙に 神経が立って落ち着かなかった。理由は他でもない、ハツの傍らに自分以外の男がいるからだ。仏門に入っている ハツが男にうつつを抜かすとは思いがたいが、継成は精悍な青年だ。千里眼で様々なことを見通してきたからか、 状況判断能力も高く、ゼンとハツに同行することが安全だと踏んできた。厄介な透視能力さえなければ、忌部一族を 継いでいたことだろう。だが、物静かなハツと快活そうな継成では性格が合うとは思えないし、むしろハツは継成 を鬱陶しがるかもしれない。そうだ、きっとそうなるに違いない。ゼンは生まれて初めて感じた嫉妬心を持て余して、 暗闇の中、継成の険しい寝顔を睨み付けていた。
 その日を境に、諸国行脚の道連れは増えた。継成は神道の人間であったが、一族と縁が切れていることもあって 躊躇いもなく虚無僧の格好をし、ゼンと共に尺八を吹くようになった。御世辞にも腕前は良いとは言い難かったが、 大入道のゼンよりも警戒心を抱かれづらいらしく、継成の偈箱の方が実入りは良かった。また、先祖代々、神事に 使う祭具を作ってきた一族の生まれである継成は手先が器用で、翡翠や瑪瑙の原石を拾っては細々とした飾りを 作ってハツに贈った。ハツは最初は困っていたものの、継成の純粋な好意を受け止めるようになり、法衣の下には 継成の作った首飾りが増えていった。継成は口も上手く、喋りも滑らかで、ゼンの頭では到底思い付かなかったこと を語ってはハツを笑わせていた。その様を見るたびに、ゼンの内に溜まった嫉妬心は煮詰まる一方だった。
 継成の偈箱に集まった御布施は随分と大きな額になり、ワン・ダ・バの元に向かうための船が手に入るまではもう 一息という頃合いだった。街中から離れた三人は夜を明かすために廃れた寺に入り、質素な食事を終えた。ハツは 寝入る前に経を上げると言い、御堂で座禅を組んだ。その邪魔をしてはならないとゼンが外に出ると、重たい偈箱を 抱えた継成も追ってきた。諸国行脚を始めた頃は青臭かった顔立ちも今や凛々しい男の顔になり、体格も一回り は成長していた。雑草が伸び放題の庭に面した縁側にゼンが腰を下ろすと、継成もそれに倣った。

「のう、ゼン」

 偈箱から取り出した寛永通宝を数えながら、継成は照れ笑いした。

「ハツん体が普通の女と変わらんようになったら、仏に祈らんでもようなるん?」

「それは私には判断しかねる」

 ハツの唱える淀みない経を聞きながら、ゼンは胡座を掻いて尻尾を伸ばした。

「儂はのう、ハツが普通の女になりよったら、嫁にしとうと思うておるんじゃ」

 ああ言ってしもた、と、継成は気恥ずかしげに付け加えた。ゼンは鼓動が跳ねたが、平静を装った。

「だが、ハツは仏門の戒を破らんぞ」

「それならそれで、ええんじゃ」

 継成は小銭に紐を通して束にしながら、ハツの読経に耳を澄ませた。

「儂は、ハツの傍におりたいんじゃ。ゼンに比べれば遙かに短い時間じゃろうが、ハツを少しでもいいから喜ばせて やりとうてならん。儂はハツより先に死んでしまうじゃろうが、ハツを好いとう人間が一人でもおったことを知って いてほしゅうてな。だから、いずれ、伝えるつもりじゃ」

「だが、ハツはお前を好いているとは限らん」

「そうやな。けどな、もう、抑えが効かん」

 じゃり、と小銭の束を握り締めた継成は、口元を奇妙に歪ませた。

「おまさんがいずれハツを連れ去ってしまうと思うと、儂はおまさんをどうにかしとうてたまらんのじゃ。仏の道からも 引き摺り下ろして、儂の傍にだけ置きとうなる。あんなに綺麗な顔をした女や、仏さんに捧げとくのは勿体のうて ならんとう。ゼン、おまさんだってそう思うたじゃろ? ごっつい不幸を背負ったんや、人並みの幸せをもろたってもええ はずや。儂も目ん玉が普通やない、ハツの傍におれるんは儂しかおらんのじゃ」

 いや、違う。自分こそがハツの傍にいてやれる。ゼンはそう言いかけたが、歯を食い縛って堪えた。この数年で、 ハツと継成は近しくなっていた。ゼンが二百年以上を掛けても近付けなかった距離を、継成はほんの少しの時間で 狭めたばかりか、ハツの心を開くようになった。ハツが喜ぶ顔など見たこともなかった。声を上げて笑う様など想像も したことがなかった。着飾っている町娘達を羨んでいると知っていても、美しい姿を彩る飾りを作ってやることなど 思い付きもしなかった。ゼンが先にそれをしていれば、ハツは継成ではなく自分に惹かれたのではないか。

「もしも、もしもやぞ。儂とハツが祝言を挙げるなんちゅうことになったら、ゼンは祝うてくれるん?」

 継成は声色をやや上擦らせながら、身を乗り出してきた。ゼンは躊躇った後、答えた。

「……ああ」

「ハツの気持ちがどうかは知らんけど、ゼンにそう言うてもろて嬉しいわ。おまはんに出会えてほんに良かったわ」

「ならば、約束してはくれまいか。もしもハツが契りを結んでくれたらば、ハツを人並みの幸せで満たしてやると」

「そんなん、当たり前や」

 継成は金勘定を中断し、笑った。ゼンはその笑顔が心底憎らしくなったが、尻尾でざらりと縁側の床板を擦るだけに 止めておいた。もしも自分が人間であったなら、継成を押し退けてでもハツの傍にいたものを。人並みと言わず、 至上の幸せを与えてやる。共に生き、共に暮らし、笑い合い、共に死んでやろう。ハツさえ自分を選んでくれれば、 継成とは縁を切る。ゾゾとも、ワン・ダ・バともだ。この時ばかりは、普段は信じていない仏にも神にも祈った。
 だが、ハツはゼンを選ばなかった。ようやく手に入れた船に乗ってワン・ダ・バに向かう最中、継成はハツに思いを 告げた。ハツも顔には出さずとも継成を思っていたらしく、涙を浮かべて喜んだ。ワン・ダ・バへと進路を定めるため に帆を張りながら、ゼンは通じ合ったばかりの愛を交わす二人を見、臓物に嫌な熱が広がった。
 明確な憎悪だった。





 


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