南海インベーダーズ




侵略的大害獣対南海御三家



 折れたビルの上から、光条が差し込んだ。
 長い一日になるだろう。紀乃のみならず、誰もがそう感じたはずだ。藍色のセーラーが緩やかに靡き、太平洋から 渡ってきた潮風が埃っぽい空気に混じって過ぎていく。電波塔であり東京の新たな観光スポットだったスカイツリーは 暴走した波号によって破壊されたままで、今も尚、無惨に折れた姿を曝していた。そこから程近いビルの屋上に 立った紀乃は、首から提げている赤い勾玉を握り締めた。忌部と合体したワン・ダ・バは、今や忌部の意志を宿して おり、勾玉を通じて流れ込んでくる思念は彼のものだった。声なき意志が練り上げた作戦を事細かに教えてくれる ばかりか、動き始めた敵の気配も伝えてくる。そして、そのワン・ダ・バは海上基地に寄り添い、仇敵を迎え撃つ時を 待ち侘びている。皆も配置に付き、それぞれの役割を全うせんとする頑なな戦意が勾玉を通じて脳に染み入って くる。赤い勾玉、すなわち、ワン・ダ・バの生体組織から精製された珪素回路は一種のネットワークとなって、紀乃を 始めとした人ならざる者達達を繋ぎ合わせてくれていた。それがあるおかげで、誰がどこにいて何を考えているのかが 把握出来ているが、それがなければ烏合の衆だ。
 金網越しに都心を見下ろしながら、紀乃の傍に控えていた翠は、肌を覆い隠している紫外線防止用の黒い包帯に 手を掛けた。最初に両手の包帯を外し、次に帯を解いて着物をはだけ、サラシのように胸と腹に巻き付けた包帯を 剥がし、両足と尻尾を解放した後、翠は頭部とツノの根本を守っていた包帯に指を掛けた。

「紀乃さん。私は、誇らしゅうございますわ」

 最後の包帯を剥がして放り捨てた翠は一対の翼を広げ、大きな乳房が目立つ胸を張る。

「箱庭の中で朽ちていくだけだった命を、こうして皆さんのために燃やせるのでございますから」

「無理はしないでね」

 紀乃は、給水塔の影から日向へと歩み出していく翠に声を掛けた。

「解っておりましてよ」

 翠は優しく微笑んでから、厳かな面持ちで光条の中に足を踏み入れた。賜り物を頂くかのように両手を差し出し、 金色の瞳の縦長の瞳孔が光を受けて太くなり、滑らかなウロコに覆われた肢体が艶やかに煌めく。背骨と一体の 尻尾の先までもが日光を浴びると、翠は右手に握り締めていた赤い勾玉を胸に押し当てる。

「御兄様、皆様、私の一世一代の勇姿をとくとご覧あそばせ!」

 翠のウロコが、音を立てて膨張する。紫外線を浴びた細胞が一つ一つ活性化し始め、骨と筋が軋みを立てて拡大 していく。薄い翼は一息に数十倍になり、翠の体を覆い隠すほどの大きさに変化した。勾玉を握り締めていた右手は 血流が増すと同時に膨れ上がり、伸びきった皮膚の内側に膨れた肉が詰め込まれる。人型だった骨格は、首が 伸びて尻尾が伸びて骨盤の位置が迫り上がって西洋竜の姿となり、眼球も、神経も、脳も、ありとあらゆる細胞が 紫外線への過剰反応で巨大化していった。数分後には、翠の体長は百メートルを越していた。
 屋上どころかビル自体を押し潰さんばかりの巨体となった翠に、紀乃はサイコキネシスで浮かびながら近付いた。 翠は尖った鼻から荒い吐息を噴き出して、四本指の手で砕けた屋上の端を掴んでいる。一振りでも凄まじい威力が 発揮されるであろう尻尾は力なく垂れ下がり、両翼も羽ばたき出す気配はなかった。眉間らしき部分には深いシワが 刻まれ、歪んだ口元からは鈍い声が漏れていた。忌部島で巨大化した時と同様に、苦痛に襲われているのだ。

「翠さん、大丈夫?」

 紀乃が不安に駆られて翠の鼻先に触れると、翠はぐぎぃと低く喉を鳴らした。

「大丈夫……でしてよ」

 胸に埋め込んだ勾玉を通じて思念で応えた翠は、長い首を上げた。

「これしきのことで屈するほど、弱い女ではなくってよ。参りましょう!」

『紀乃、翠、竜ヶ崎の空間跳躍反応を感知した! 出現地点は予測通りだ!』

 勾玉越しに語り掛けてきたのは、ワン・ダ・バと化した忌部だった。紀乃は勾玉に触れ、答える。

「了解!」

「これまで積もり積もった恨み辛みの数々、今日という今日こそは晴らさせて頂きましてよ!」

 翠は一声吼えると、両翼を振るって力強く空気を叩き付けた。至近距離で突如発生した突風に煽られかけたが、 翠がスカイツリーに向けて飛び出したので紀乃もそれを追って飛び出した。サイコキネシスを少しだけ強めて加速 し、翠の鼻先まで追い付いた紀乃は、進行方向を見据えた。不意に翠が羽ばたきを弱めると、破損した電波塔の 影がぐにゃりと歪んで空気の流れがねじ曲がった。乾いた板を割るような破砕音が響き渡ると、ねじ曲がった影が 内側から這い出し、逆光を浴びながら紫色の肌をした異形が現れた。それはスカイツリーの鉄骨に足を掛けて 立ち上がると、巨大化した翠と紀乃を認め、赤い単眼をにたりと細めた。

「出迎えとは殊勝な心掛けではないか」

「待ち伏せって言うべきじゃないの?」

 紀乃は翠のツノの間に立ち、威圧的に腕を組む。翠は羽ばたいてその場に止まり、牙を剥いて威嚇する。

「私達を散々弄んだばかりか、この星を危険に陥れかねない技術でニライカナイに渡らんとする、独善極まる俗人 たる男を常世へと葬り去るためでしてよ! 覚悟なされまし!」

「俗人か。言ってくれるな、翠」

 服を着ていないためにゾゾとほとんど見分けの付かない容姿の竜ヶ崎全司郎は、苛立った仕草で口の端を曲げ、 尻尾を曲げて己の体に突き刺して翼を生やす。直後、鉄骨を蹴り付けて宙に飛び出した。

「生殖能力すら持たぬ失敗作が、私を卑下する権利すらないことを知らぬと見える!」

 迷いなく突っ込んできた竜ヶ崎に、紀乃はサイコキネシスをしならせて叩き付ける。が、竜ヶ崎はサイコキネシスを 張って紀乃の攻撃を防ぎ、赤い単眼で睨め付けてきた。

「お前は龍ノ御子かもしれぬが、ハツにはなれん! たとえ生体情報がハツに匹敵するものであろうと、ゾゾの手垢 が付いたお前などは触れる価値もない! だから、お前からは何の生体情報も得なかったのだよ!」

「そりゃどう、もっ!」 

 紀乃は腕を交差させてサイコキネシスを絞り上げると、竜ヶ崎の体は拘束された。生体改造によって筋肉が分厚く なった腕がテグスのような細い力に絡み付けられ、鬱血する。手足だけでは意味がないので、首や翼にまで力の糸 を絡ませた紀乃は、竜ヶ崎に気圧されないように精一杯の気力で睨み返した。スカイツリーとビル群を背景に空中に 縫い付けられた格好の竜ヶ崎は、サイコキネシスで紀乃の拘束を相殺しようとしているようだったが、勾玉を得た ことで精度と出力が上がったサイコキネシスを押し返せないようだった。その証拠に竜ヶ崎の周囲の空気は僅かに 震えてはいたが、紀乃のサイコキネシスを破れはしなかった。パワー押しで勝てる相手ではない、だから一手一手 を確実に決めていかなければならない。紀乃は深呼吸して気持ちを落ち着け、竜ヶ崎を振り下ろした。

「どぇらぁあああああああっ!」

「うおっ!?」

 落下する寸前、竜ヶ崎は目を見開いた。その真上から翠が急降下し、迫る。

「いざ、尋常に勝負!」

 暴走した波号が破壊した瓦礫が堆積した地面に向けて竜ヶ崎を放つと同時に、竜ヶ崎に絡み付けているサイコ キネシスの糸を締め上げる。落下による血液の移動と動脈を圧迫されたことで竜ヶ崎は失神し、紀乃が示した方向 に抗わずに落ちていった。体内の波号を傷付けないために頭を下にしてから、数秒後、鉄骨が露出したコンクリート 片に硬いものが激突した嫌な音がした。と、同時に粘度の高い液体が撒き散らされ、紀乃は思わず顔を背けた。

「うげぇ」

 手始めに目を潰せ。忌部とゾゾの作戦通りではあったが、さすがに気分が悪い。紀乃が頭が潰れた竜ヶ崎を正視 出来ずにいると、竜ヶ崎の真上に浮かんだ翠が深く息を吸い込んだ。紀乃が慌てて退避すると、翠は体内で水素を 熱量として変換し、ほとんど無色の熱波を頭部が欠損した竜ヶ崎へと吐き付けた。途端に猛烈な熱風と上昇気流が 発生し、姿勢制御が間に合わなかった紀乃はひっくり返りそうになりながらも上下を取り戻し、捲れ上がってしまった スカートを整えながら手近なビルの屋上に着地した。翠が無色の炎を吐き付けた一帯からは灰と煙が舞い上がり、 攻撃した当の本人である翠は予想以上の威力に目を丸めた。
 水素熱量変換能力は、巨大化した翠が珪素回路を得ることで一時的に目覚めた能力だが、それに気付いたのは 昨夜だった。だから、使うのは今回が初めてなので、翠本人もその威力を全く知らなかった。百メートル強の巨体は、 それ相応の容積の肺を持ち合わせている。その肺に吸収された空気から抽出された水素は気道と食道を通る 最中に燃焼直前の気体に変換され、外界に至って酸素に触れた瞬間に爆発的に過熱する。原理としては、 ワン・ダ・バの水素推進孔とあまり変わらないものだが、攻撃の規模が広すぎるので効率的とは言い難い。
 目の次は、生体組織を過熱しろ。これもまた忌部とゾゾの作戦通りである。ビルの給水塔に昇った紀乃は、翠の 巨体越しに見える焼け焦げた蛋白質塊を見下ろした。紫色の肌どころか原形を止めていないようだったが、あれは 竜ヶ崎以外の何者でもないだろう。紀乃は翠に後退するように指示を出してから、翠の元に向かった。吐き出した炎の 威力に今更ながら気圧されたのか、翠はけふんと咳き込んでから、紀乃の身長ほどもある目を潤ませた。

「水素って恐ろしゅうございますわねぇ、紀乃さん」

「それだけヤバいもんだから、色んな方面で兵器利用されちゃうんだよ」

 紀乃が翠の鼻先を撫でて慰めると、翠は不思議がった。

「ですけれど、その水素は私達の周囲に沢山ございますわよね? それは危険ではありませんの?」

「同じものなんだろうけど、使い方が違うってだけなんじゃないの」

「はあ……。でしたら、今度、理科をきちんと学ばなければなりませんわね」

 ぶすぶすと煮え滾る竜ヶ崎の残骸を見下ろしながら、二人はなぜか悠長な会話を交わした。緊張感が解れたわけ でもなく、状況を見誤ったわけではないが、どちらもこれは日常の延長だと認識したいがためだった。これで終わる のならばどんなに楽か、だが、そんなはずがない。紀乃と翠が無意識に息を詰めていると、赤黒い体液に浸る炭化 した物体が、痙攣するようにひくついた。肉の膜に包まれた異物、波号が収まる胴体がびくんと跳ねると、骨を繋ぐ 筋が焼き切れかけた片腕が動いてコンクリートを掴んだ。破れた肺が入っている肋骨の間にひゅるひゅると空気が 抜けると、風船が詰まるかのように肺が膨れ上がって元に戻り、垂れ下がっていた内臓が独りでにうねって本来の 位置に戻り始め、真っ二つに折れていた脊椎が繋がり、骨盤が上がり、互い違いに折れていた両足は最初に再生 した片腕が捻って骨の位置を直し、尻尾がぐっと伸び切って竜ヶ崎の体を自立させた。ミーコの寄生虫が増殖する 時と良く似た、みちみち、ねちねち、にちゃにちゃ、という異音が生じる。割れた頭蓋骨を手で塞ぎながら、竜ヶ崎は 潰れた単眼を押さえ、喉に詰まっていた肉片を吐き出してから肩を揺すり始めた。

「不完全な個体なりに、発達していた能力があったというわけか。いや、実に愉快」

「あらまあ、元に戻られてしまいましたわ」

 翠がちょっと臆すると、紀乃は手近な鉄骨を数本浮かばせた。

「なんだって、こうもしぶといんだか!」

 紀乃が両腕を振り下ろすと、変形した鉄骨は唸りを上げながら竜ヶ崎に突進した。竜ヶ崎はその攻撃を弾かずに サイコキネシスによる防護壁を捻って容易に受け流してしまうと、紀乃が突っ込ませた鉄骨の数倍の鉄骨を瓦礫の 中から浮かび上がらせた。それは紀乃ではなく翠を狙って放たれ、紀乃は翠を守るべく彼女の前に立ちはだかったが、 命中する寸前で鉄骨が消失した。直後、翠の背後から鉄骨の雨が降り注ぎ、薄い翼を破る。

「あぁっ!?」

 一瞬にして翼に複数の穴を開けられ、翠が痙攣した。思い掛けないことに、紀乃はぎょっとする。

「何それ、反則!」

「私とお前達の戦いに、規則も反則もあるまい」

 瞬間移動を用いて紀乃の前に出現した竜ヶ崎は、紀乃の襟首を難なく掴むと、指を捻った。

「あ、あ、あぁああっ!」

 翠の翼を突き破った鉄骨が操られ、骨を削り、肉を裂くと、翠の叫声が増す。

「翠さんっ!」

 紀乃が翠を助けようとサイコキネシスを使おうとするが、竜ヶ崎は紀乃を力一杯放り捨てた。瓦礫の海に突っ込み かけた紀乃はすかさず力を緩く張り、その弾力で自重と落下の勢いを相殺してから、再び急上昇した。その間にも、 竜ヶ崎は翠への攻撃を続けていた。翼が使えないはずなのに翠は空中に止まっていて、竜ヶ崎のサイコキネシスで 四肢も尻尾も押さえ付けられている。灰燼を撒き散らしながら複数の鉄骨が瓦礫の下から引き摺り出されると、皆、 従順に浮かび上がっていく。それらは円形に配置されて翠を隙間なく取り囲むと、主の意志のままに放たれた。

「人の親戚に何してんだぁっ!」

 飛んでいっても間に合わない、攻撃も仕掛けられない。ならば、と、ダメ元で、紀乃はサイコキネシスを拡大させて 空間を全て硬直させるべくサイコキネシスを解き放った。以前、渋谷で呂号と戦った時と似た手だが、あの時よりも 余程緊張した。寸でのところで力が届き、鉄骨の槍が翠の肉を貫く寸前で止まり、戦闘の余波で舞い上がった砂粒 も一つ残らず宙に浮いている。竜ヶ崎は不愉快げに目を瞬かせて、翠を囲んでいた鉄骨を一束にまとめて今度は 紀乃目掛けて落としてきた。能力の範囲を広げたせいで感覚も広げすぎてしまい、紀乃は目の前の事態に意識を 戻すのに僅かばかり間が空いてしまったが、集中力を高めて重力に引かれて地上を目指してくる鉄骨の雨を弾き、 荒々しく瓦礫の山に突き刺した。もうもうと立ち込めた砂塵にまみれながら、紀乃は息を荒げる。

「この野郎……!」

「どうとでも言いたまえ」

 竜ヶ崎は一笑してから翠の巨体に近付き、穴の開いた翼から垂れ落ちる血液を手のひらに受けた。

「お前は役に立たんが、生体情報だけはほんの少し役に立つかもしれんな」

 翠の背に立った竜ヶ崎は、手のひらに溜まった生温かい血を呷った。喉を鳴らしてそれを飲み下してから、口元を 手の甲で拭い取る。大きく尻尾を振ってから、血の赤黒さに染まった牙を剥いた。

「悪くはない。が、腐れた男の末裔と交わらせたせいか、濁りがきついな」

「それもあなたが仕組まれたことでしょうに」

 竜ヶ崎のサイコキネシスによる戒めの中、翠は唯一自由の利く思念を放った。

「なんだね、女にもなれぬ体の分際で、この私に口答えしようと言うのかね?」

 竜ヶ崎が尻尾の尖端を揺すると、翠は顎を懸命に開こうとしたが関節が悲鳴を上げるだけだった。

「私は母にも親にもなれませんでしょう、女にもなりきれませんでしょう! けれど、姉にはなれましてよ!」

「鬱陶しい!」

 竜ヶ崎の単眼が翠を捉えると、翠の側頭部が強烈に殴打された。長い首をしならせて倒れる翠を一瞥してから、 竜ヶ崎はスカイツリーに戻るべく羽ばたいていった。紀乃は即座に飛び出してサイコキネシスを張ると、意識が混濁 した翠を受け止めてから後退し、海上基地付近まで退避するべく加速した。

「お待ちになって、紀乃さん」

 呂律が回りきっていない思念で伝えてきた翠は、穴の開いた翼を広げて空気を孕ませて制動を掛けた。

「翠さん、ダメだよ、そんなことをしちゃ傷がひどくなる! ワンのところまで帰らなきゃ!」

 紀乃は加速を続行しようとするが、翠は紀乃のサイコキネシスを振り切らんと巨体を捩る。

「ここまで虚仮にされておめおめと引き下がれば、忌部の名折れ! 私の御父様や御兄様、御先祖様方に申し訳が 立ちませんわ! 戦わせて下さいまし、紀乃さん!」

「でも、翠さんの父親は」

「私の御父様は竜ヶ崎全司郎などではなく、忌部我利さんでございましてよ! あの御方がおられませんでしたら、 きっと、御母様は御命をお絶ちになったかもしれませんわ! けれど、あの御方がいらしたからこそ、いづるさんと いう素晴らしい妹がお生まれになったのですわ! ですから、私の御父様はあのような男ではございませんわ!」

『止せ翠、すぐに戻れ! お前が無茶をしても、何も!』

 ワン・ダ・バと合体している忌部が、動揺した思念を送る。だが、翠はそれを振り切って羽ばたく。

「そうですわね。私の力など、所詮付け焼き刃。紀乃さんや皆さん方に比べれば、微風も同然ですわ。けれど!」

 深く、大きく、翠は息を吸う。それを吐き出した瞬間に爆発が発生し、紀乃は反射的にサイコキネシスを縮小して 防御に回してしまった。途端に翠は紀乃の庇護下から脱し、急上昇する。真夏の広葉樹を思わせる艶やかな濃緑は 鮮血の化粧が施された肢体をくねらせながら、一気に都心上空に出る。スカイツリーの真上にまで移動した翠は、 最大限に顎を開いて肺に目一杯空気を詰め込んでいく。それを見咎めた竜ヶ崎は、サイコキネシスと翼を併用 して素早く急上昇する。紫色の小さな影と緑色の巨体が直線上に並んだ直後、双方が解き放った力が激突し、猛烈な 爆風を巻き上げた。紀乃は再び視界を奪われた挙げ句に大きく煽られてしまい、球状に柔らかくサイコキネシスを 用いた。手近なビルを犠牲にしたおかげで大ダメージは逃れられたが、翠の安否が。紀乃は粉塵を振り払うと、 すぐさま上昇してスカイツリー上空に向かおうとしたが、その場から動けなくなった。

「あ……あぁっ……」

 折れた電波塔の頂点に、気高くも麗しい竜が飾られている。幾筋もの血が雨のように降りしきり、竜ヶ崎の血痕を 塗り潰している。鉄骨の鈍色とコンクリートの灰色だけだった瓦礫の山に真紅の花が咲き、朝日に艶めいた。宙に 投げ出されている四肢には未だ戦意が満ち、爪先が悔しげに曲がっている。勇敢ではあったが無謀極まる戦いを 挑んだ竜の娘は、スカイツリーの鉄骨に胸を貫かれ、滑らかな腹部を逸らしていた。その手前では、翠を小手先で あしらった竜ヶ崎がにやけながら紀乃を待ち受けていた。

「さて、次は君かね?」

「あんたの相手をしてる暇なんかあるかぁ!」

 紀乃は震える拳をきつく固め、最大限に加速して竜ヶ崎の真上を過ぎると、スカイツリーに串刺しにされている翠を すぐさま引き抜いて海上基地に進行方向を定めた。竜ヶ崎からは嘲笑と思しき言葉を投げられたような気がしたが、 そんなものに構っている暇はない。紀乃は風圧で滲み出る涙を誤魔化す一方、サイコキネシスで翠の傷口を塞いで 止血した。気休めでしかないだろうが、気休めでも手を施さないよりはマシだ。
 勾玉を通じて、ワン・ダ・バから思念が流れ込んでくる。無謀な戦いを挑んだ妹を叱責したが、そこまでして家族を 愛そうとする妹を誇らしく思ってもいた。どちらの気持ちも解るから、紀乃は敢えて言葉を返さなかった。翠と紀乃の 役割は、竜ヶ崎の気を一時引き付けておくだけのものだった。だから、ここまで無理をする必要などなかった。最初の 攻撃を受けた時点で前線から下がり、後陣として控えている皆に戦闘を引き継がせるだけで良かった。けれど、 翠は血族を愛するが故に、愛して止まない次兄の立てた作戦を無視した。翠は本望だろうが、それで死んでは何の 意味もない。戦って、生き延びて、幸せになってこそ、竜ヶ崎への報復は完了するのだから。
 だから、誰一人死なせてはならない。





 


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