南海インベーダーズ




記憶は瓶に、願いは海に



 モニターには、おぞましい生き物が映っていた。
 全長五十メートルの巨大ガが、伊豆諸島の無人島、イナンバ島で羽を休めていた。衛星写真なので真上から見た 図であり、気色悪い羽の模様がくっきりと映し出されていた。伊号はあからさまに舌を出し、モニターが見えていない 呂号はヘッドフォンを深く被ってヘヴィメタルを聞いていた。円形に配置された管制席の中央に座らされている波号は、 ワインボトルを抱き締めたまま、頭上を飛び交う大人達の声を聞くしかなかった。

「このガが忌部島から飛び立ったのが四日前の午前中、丁度、台風三号が直撃していた時間ね」

 一ノ瀬真波は波号の背後に立っていたが、目の前にいる波号を見ようともしなかった。

「台風に紛れて飛び出させたようだけど、監視を誤魔化せるわけがないわ。相変わらず、ミーコは浅はかね」

「台風三号が太平洋上で熱帯低気圧に変化、弱体化するのを待ってから、本土を攻撃する手筈みたいっすね」

 山吹は手元の書類とモニターを見比べてから、マスクフェイスを真波に向けた。

「デカブツったって、虫は虫っすからね。雨に弱いのは当然っす。で、問題はこのガが何をするつもりかっすけど」

「んなもん、考えるまでもねーだろ? 都心を物理的に破壊するってのが丸解りだし」

 万能車椅子のロボットアームを操った伊号は、気怠げにツインテールの毛先をいじっていた。

「ミーコは単純だが愚かではない。ガの体内には無数の寄生虫が詰まっている。下手に破砕するべきじゃない」

 ヘッドフォンを半分ずらして呂号が呟くと、山吹はファイルで自分の頭を引っぱたいた。

「そうそう、それなんすよねー。それがネックなんす、対ミーコ戦ってのは。一見単純なワンダバに見えるっすけど、 その事後処理が大変なんすよ。出来れば現場で寄生虫を全滅させられればいいんすけど、ロッキーの音楽でも 限界があるんすよ、限界が。だから、一度の戦闘で片を付けて、その勢いで熱消毒出来ればいいんすけど」

「だから、あのガを火山島にぶち込もう、なんていう素っ頓狂な作戦を立案したわけね? 山吹君、あなたの立てる 作戦って、いつもガキ臭いわね」

 真波が神経質に眉根を曲げると、山吹は肩を竦めた。

「それ以上に良い作戦があるっすか、作戦が? 大体、あんなに巨大な物体を一気に熱消毒出来るようなシロモノ なんて、今の人類の科学力じゃ難しいっすよ。地球のエネルギーを当てにするしかないじゃないっすか」

「だから、波号?」

 秋葉の手が波号の肩に添えられたので、波号は肩を縮めてワインボトルをきつく抱いた。

「でも、私、怖い……」

「てか、あたしにやらせりゃいいし。ド派手に空爆すりゃマジ解決じゃん?」

 不満げに唇を歪める伊号に、真波は大袈裟にため息を吐いた。

「毎度毎度、何十億もする機体を使い捨てされちゃ溜まったものじゃないの。うちの予算だって無限じゃないわ」

「だったらまた増税すればいい。僕達にはその権利がある」

 ブーツのつま先でリズムを取りながら呂号が言うと、山吹は両手を上向けた。

「そりゃ俺らの仕事はめっちゃ大事っすけど、変な理由で増税するわけにはいかないんすよ。ただでさえ経済状態が ガタガタなのに、これ以上締め付けたら一揆を起こされちゃうっす。マジでマジで」

「国は大事。けれど、国民はもっと大事」

 秋葉が呂号を諌めると、呂号はヘッドフォンを両手で押さえた。

「僕達がいなければ生き延びられない立場なのになんて我が侭なんだろう」

「それで、どうやって波号を巨大化させるつもり? まさか、乙型二号を使う気じゃないわよね?」

 真波が山吹に目をやると、山吹は厚い胸を張った。

「その通りっす、一ノ瀬主任! 乙型二号は制御不能なミュータントっすけど、能力は今回の作戦に打って付けだし、 意識がはーちゃんなら問題ないっす! てなわけで、許可をお願いしたいっす!」

「そこまで言うなら、波号を完全な制御下に置くことね。山吹監督官、三十分以内に出動準備に掛かりなさい」

 真波は組んでいた腕を解くと、波号が抱えていたワインボトルを奪い取った。

「あっ、それは」

 波号がワインボトルを取り返そうとするが、真波はワインボトルを高く掲げて遠ざけた。

「まだこんな下らないことをしているの? 田村さんが甘やかすから、波号が増長するのよ」

「波号の情操教育には不可欠だと判断し、許可しています。それを波号に返してあげて下さい」

 秋葉は真波に言い返すが、真波はせせら笑った。

「海にゴミを捨てちゃいけないことも教えられないなんて、それでも教育係なのかしら。波号の文章だって機密文書 なのよ、それを誰が拾うとも知れない海に何度も何度も投げ込むなんて、局員としての自覚も足りないようね」

 秋葉は悔しげに目を伏せたが、頭を下げた。

「……申し訳ありません」

「解ったのなら、二度としないことね。それと、田村さんと波号は始末書を提出しなさい。これは、今、処分するわ」

 言い終えると同時に、真波はワインボトルを床に叩き付けた。硬い床に衝突した途端に砕け散り、大きな破片で 稚拙な文章が綴られた手紙が破れた。真波はこれ見よがしに手紙と瓶の破片を踏み躙り、秋葉を一瞥した。

「あなたがしたことよ。ちゃんと片付けておきなさい」

「了解しました」

 秋葉が敬礼を返すと、真波はファイルを手にして足早に司令室を後にした。砕けた瓶と破れた手紙を見、波号は ぶるぶると震える下唇を噛み締めた。ゴーグルの縁に涙が溜まり、密閉性を保つためのパッキンを擦り抜けた熱い 雫が頬に伝い落ちていく。だが、声を出して泣いては秋葉を困らせてしまうので、しゃくり上げそうになるのを必死に 堪えた。伊号はちょっと気まずそうな表情になり、呂号はガラスの破砕音で音楽が途切れた不快感をまともに顔に 出していた。秋葉は砕けたワインボトルの傍にしゃがむと、大きな破片に小さな破片を入れ始めた。

「むーちゃん、素手じゃ危ないっすよ。俺の手なら平気っすから」

 見かねた山吹が手伝おうとするが、秋葉は彼をあしらい、破片を拾い続けた。

「大丈夫、問題はない。それよりも、丈二君は早々に出動するべき。それが丈二君とはーちゃんの仕事」

「ん、んじゃ、気を付けるんすよ。それじゃ、はーちゃん、俺と一緒に行くっすよ」

 山吹は名残惜しげだったが、波号を立ち上がらせて手を引いた。波号は山吹の硬く冷たい金属製の手の感触に ぞわりとしたが、任務なんだから、と心を決めた。赤銅色の長い髪に隠れた秋葉の横顔は窺えなかったが、切なげ だった。ボトルレターを続けていたのは波号なのに、秋葉まで始末書を書かされる。波号は謝ろうと口を開いたが、 山吹に引き摺られて司令室から通路に出た。司令室を護衛していた戦闘服姿の自衛官達に臆した波号は、山吹の 紺色のスラックスにしがみつきながら、必死に秋葉に謝る言葉を考えていた。
 手紙を書くよりも、余程難しい仕事だった。




 海上基地、地下三階。
 蛍光灯が一列に並ぶコンクリートの廊下を歩き、電子ロックが掛かった分厚い金属製の扉を通った先に、異空間が 存在している。通路に比べて極端に広い地下室に入った波号は、その独特な雰囲気に息苦しくなった。天井には 偽物の空がペンキで描かれ、日本庭園を模して植物が配置され、涼やかな小川が流れ、庭園と家屋を区切る池で 大きく肥ったニシキゴイが泳いでいた。二百メートル四方の箱の中に造られた世界、正に箱庭だった。

「何、ここ」

 波号が怯えると、山吹は波号の背を押して踏み石の並ぶ道に進ませた。

「乙型二号が保管されている場所っすよ。乙型二号のコピーを終えたら、すぐに出るっすからね」

「うん」

 滑りやすそうな踏み石の上を気を付けて歩きながら、波号はゴーグルを押さえた。久し振りにこれを外せるのだ、 という嬉しさが胸を掠めた。能力の都合上、鮮やかな世界を目にすることが許されるのはほんの数秒だが、本当の 色を見られる。出来ることなら秋葉の顔や髪の色を見たかったが、そんなことをしてしまえば波号は秋葉を完全に 模倣してしまい、秋葉の知識や記憶だけでなく心の内も得てしまう。彼女のことが大好きだが、大好きだからこそ、 秋葉の全てを知りたくない。少しずつ、少しずつ、知っていくのが幸せなのだから。

「あら……」

 二人が玄関に向かう途中、着物姿の女性が庭木の影から現れた。

「珍しいこと。御客様ですのね」

 その姿を視認した途端、波号は後退りかけた。地味な紺色の着物に白地の帯を締めている女性だが、その肌と いう肌は黒い布に覆い尽くされていた。背中を隠すストールは奇妙に膨らみ、何かが肩より高く伸びていた。裾の間 からも異物が垂れ下がり、庭土に引き摺っている。山吹は臆することなく彼女に向き直り、敬礼した。

「第一級警戒警報発令中につき、ご助力をお願いするっす」

「私でよろしければ、なんなりと」

 着物姿の女性は包帯の下で瞼を動かしたのか、薄い布同士が擦れた。同じように包帯まみれの忌部は先日目に したばかりだが、忌部とは訳が違う。彼女の肌を戒める包帯は墨で煮染めたようにどす黒く、陰影すら生まれない ほどの濃さだった。足袋も、襦袢も、ストールも、何もかもが黒い。まるで、彼女を光から遠ざけるかのように。

「そちらが今回戦われる御方ですのね? まあ、なんて可愛らしゅうございましょう」

 着物姿の女性は波号に近付こうとしたが、波号はひっと息を飲んだ。

「こら、失礼っすよ」

 山吹が波号を小突くと、着物姿の女性は静かに笑った。

「仕方ないですわよ、山吹さん。あなた方と違って、彼女は私を見慣れていないのですから。お名前は何と?」

「は、はごう……」

 波号はおずおずと名乗ったが、ふと、ある疑問が過ぎった。

「ねえ、丈二君」

「むーちゃんの影響受けまくってるっすねー、悪かないけど。んで、何すか?」

 山吹が聞き返すと、波号は着物姿の女性をちらちらと横目に見た。

「乙型一号のお姉ちゃんは三週間くらい前に管理局のものになったって、さっき言っていたよね?」

「そうっすよ。それがどうかしたんすか?」

「でも、こ、このお姉ちゃんは、もっと前から基地にいるんじゃなかったっけ? なのに、なんで二号なの?」

「そっか、その辺は覚えていてくれたっすか。偉い偉い。んで、それはちょっとややこしい話になるんすけどね」

 山吹は波号の頭をぽんぽんと軽く叩いてから、体の前で両手を揃えている着物姿の女性と向き合った。

「乙型二号、っつーか、滝ノ沢翠さんなんすけど、乙型生体兵器が汎用されるようになる前から管理局の管理下に あったんすよ。んでも、戦略的にも戦術的にも使いどころが難しい能力なんで、今の今までこの地下室で保管されて いたんすよ、保管。で、四週間と少し前に管理局が捕縛して指揮下に置いた女の子が乙型一号に認定されたんで、 その流れで乙型二号になった、ってぇわけっす」

「乙型二号、滝ノ沢翠と申します」

 着物姿の女性、滝ノ沢翠は腰を曲げて礼をした。波号も釣られて礼をしたが、やはり怖いので顔を背けた。

「ほらほら、そんなんじゃ仕事にならないっすよ。さあ、じっくり視るんすよ、はーちゃん」

 山吹は波号を翠に向き直らせるとポケットから鍵を取り出し、波号のゴーグルの脇に差し込んだ。錠が回り、頭を 締め付けているヘッドギアが緩むと、波号の視界から薄いグレーが取り払われた。何度か瞬きをして周囲の眩しさに 慣れてから、おずおずと目を上げて翠を視界に入れた。

「ひぅっ」

 視る。映る。入る。翠を捉えた瞬間に、目から脳に、脳から全身に、神経に、細胞に、膨大な情報が駆け巡った。

「あ、う、あぁ、あ、ああっ」

 翠の記憶、経験、知識、感覚、性格、能力が、波号の脳に染み込む。波号を塗り潰す。波号を潰す。潰す。潰す。 秋葉と書いた手紙の記憶が庭木を世話する翠の記憶に成り代わられ、秋葉と遊んだ記憶が偽物の空を見つめる 翠の記憶に差し替えられ、秋葉が翠に、波号が翠に、翠に、翠に翠に翠に。

「じょ、じょうほう、しゅとく、かんりょう……」

 秋葉との記憶や経験が、もう思い出せなくなった。寂寥に襲われた波号がよろめくと、山吹はその目にゴーグルを 被せ、鍵穴に鍵を差し込んで固く錠を掛けた。膨大な情報を急激に読み取ったせいで身も心も破裂しそうな波号は 立つこともままならず、膝を曲げた。山吹は発熱したように息を荒げる波号を横抱きにすると、翠に再び敬礼した。

「では、俺達はこれにて失礼するっす」

「御武運をお祈りいたしておりますわ」

 翠は深々と礼をした。山吹が彼女に背を向けて歩き出したので、その姿は見えなくなったが、波号には翠が何を 考えて何を思って何を言いたいのかが解っていた。いや、解らないわけがないからだ。ゴーグルと一体化している ヘッドギアで脳波が抑制されているために変身は始まっていなかったが、波号は波号ではなく、波号の形をした翠 になっていた。だから、先程まであれだけ怖がっていたのに、今は翠に途方もない親しみを感じた。
 山吹に抱えられたままエレベーターに乗った波号は、どくどくと高鳴る心臓を押さえていた。外に出られるのだわ、 夢にまで見た太陽、本物の空、本物の海、本物の空気、外の世界はどんな色をしているのかしら。私は自由なのね、 本当に本当なのね、ずっとずっと良い子にしていたから、神様がご褒美を下すったのね。けれど、外に出るのは 翠本人ではなく、翠を模倣している波号だ。偽物が本物に勝ったかすかな優越感と、空しさと悔しさと腹立たしさが 膨らんだ。武装ヘリコプターが待機している飛行場に出た波号は、翠の気持ちと自分の気持ちを混ぜた眼差しで、 ゴーグル越しに夏の澄み渡った空を仰ぎ見た。
 いつも通り、灰色掛かっていた。





 


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