南海インベーダーズ




忌み子らよ、常しえに



 中途半端な酔いが覚めると、目も冴えてしまった。
 疲れているはずなのに体は熱く、脳が腫れぼったく、神経が無意味に立っている。ベッドで何度か寝返りを打って みたが、眠気は襲ってこない。明日は早いのだから少しでも長く眠っていた方がいいと解っているのに、そう思えば 思うほどに寝転がっているのが嫌になってくる。どうにも落ち着かなくなった忌部は布団を跳ね上げて起き上がり、 大きくため息を吐いた。洗面台でべとつく顔を洗い流してから用を足したが、それでもまだ落ち着かない。一服したら その気になるかもしれない、と思い立った忌部は吸いかけのタバコとライター、いくらかの小銭をポケットに入れて 自室を後にした。
 療養所の三階は静まっていて、廊下の窓からは青白い月明かりが差し込んでいた。消火栓の赤い光と非常口の 緑色の光が、忌部の足元に二色の影を作る。自動販売機が置いてあるのは一階のホールなので階段を下っていく と、ギターの旋律が鼓膜をくすぐった。音源は食堂で、密やかな話し声も聞こえてきた。誰がいるのかは見当が付かない でもないが、忌部は換気のために開け放っているドアから中を窺うと、窓際の席に露乃がいた。

「……ん」

 リッケンバッカーのエレキギターを爪弾いていた露乃は、忌部の気配に気付いて手を止めた。

「邪魔なら、さっさと退散するが」

 忌部が言うと、暗がりで視力が鈍っているのか、露乃は目を凝らしてきた。

「いや。お前如きは僕の……じゃなくて……私の集中力の妨げにはならない」

「なんだ。一人称、直すのか?」

「僕……じゃなくて私は別にこのままでもいいと思ってはいる。だが甚平が」

「僕よりも私の方が可愛い、とか言ってくれたのか?」

 忌部が茶化すと、露乃は頬を赤らめて俯いた。答えを聞くまでもない。忌部は笑いを零しつつ、椅子を引いて 露乃の向かい側に座った。露乃は頬を隠そうと両手で覆うが、耳元や首筋まで赤らんだので意味はなかった。

「だって……そう言われたらそうするしかないじゃないか」

「ベッタ惚れだな、お前らは」

「うるさい黙れ!」

 露乃は反射的に言い返したが、口元を押さえた。

「こういうのも直すべきだ。もう誰に対しても敵意を向ける必要がないんだから。イッチーだってそうしている。だから 僕……じゃなくて私もそうするべきなんだ。でないと普通の人間らしくなれない」

「無理はするなよ、露乃」

「……うん」

 露乃はエレキギターを抱き寄せると、じゃりん、と爪で不規則に弦を弾いた。

「お前……じゃなくて忌部……じゃなくて」

「まあ、適当に呼んでくれ。但し、お前は止めてくれ。曲がりなりに年上なんだし、叔父なんだし」

「だから努力しているじゃないか。まあそのなんだ。私が普通になるのはどうなんだ。変じゃないか」

「変も何も、そうあるべきだったところに収まるんだから、違和感を感じることなんてない。胸を張って生きていけば いい。俺だって不安は色々とあるし、明日からに対する期待と不安で落ち着かなくて寝付けなくなっちまったんだ。 他の連中も、きっとそんなもんだと思う。露乃だけじゃない。俺だけでもない。皆、同じなんだよ」

「甚平もか」

「あいつに限って、不安がないなんてことはない」

「そうだな。それが甚平だ」

 露乃は表情を少し緩め、エレキギターをテーブルに置いた。療養所の中庭から見える満月を見上げ、メガネの奥の 目を瞬かせた。忌部は椅子の背もたれに体重を掛け、軋ませる。露乃の横顔は紀乃に似ていたが、それ以上に 目元や輪郭は驚くほどゆづるに似ていた。確実に一族の血は受け継がれている。呂号だった露乃を長らく目にして いたはずなのに、それに気付こうとしなかったのは、忌部の業だ。父親と兄を恨むあまりに透き通った体の内側が 濁り切り、見えるはずのものも見えなくなっていた。忌部は露乃の頭に手を伸ばし、軽く叩いた。

「甚平のこと、支えてやれよ。当の昔に自分の家族を見限っているとはいえ、お前らが傍で幸せそうにしているのを 見て何も思わないわけがない。俺がそうだったんだ。あいつは内に籠もるタイプだから、尚更だよ。だから、露乃が さっさと甚平の家族になってやれ。元気な子供も産んでやれ。だが、高校はちゃんと卒業しろよな」

「……どっちなんだ」

 そう言いつつ、露乃は少しだけ笑った。忌部は笑い返す。

「どっちも、だ」

 棘のない言葉に他愛もないやり取り、敵意を含まない眼差し。呂号は死んだ。露乃もこれから死ぬ。そして、末継 露子として新たに生まれ変わる。竜ヶ崎が求めたニライカナイとも、ゾゾの生まれ故郷であるが遠い昔に滅ぼされた 惑星ニルァ・イ・クァヌアイとも、民間伝承で伝わるニライカナイともまるで別物だが、御三家はニライカナイを越えた のだと実感する。常世は終わり、現世が始まり、死が生を作るのだから。
 切りの良いところで寝付けよ、と露乃に言ってから、忌部は食堂を後にした。ホールの自動販売機で缶コーヒーを 買ってから、階段を昇って屋上に向かった。あの暑い夏が嘘だったかのように気温はぐっと下がっていて、手すりに 手を掛けていると指先が少し強張ってくる。だが、それとは対照的に左手で軽く握っている缶はとても熱い。屋上に 出ると、そこにもまた先客がいた。双子の片割れである紀乃とガニガニだった。紀乃は屋上に寝そべり、ガニガニは その傍らに寄り添っていた。忌部は二人の邪魔をしないように、離れた位置のベンチに腰掛ける。

「星でも見ていたのか?」

「うん。宇宙って広いなーって思ったら、なんだか目が冴えちゃって。ね、ガニガニ」

 紀乃がガニガニに話し掛けると、こちこちこち、と彼は小さく顎を鳴らした。忌部は缶コーヒーを開け、啜る。

「そりゃまた豪儀なことだな。眠れなくなるのも当然だ、宇宙なんてものは俺達が生きている間に解明出来るものでも ないし、解明出来るような時代になったら、甚平が言っていたようなことになっているかもしれん。だから、俺達の 頭で考えること自体が間違いなのかもしれないな」

「でも、私はその宇宙を自分の目で見てきたんだよ。忌部さんだってずっと私とゼンのことを観測していたんだから、 私とゼンを通じて他の宇宙を感じ取っていたはずだよ」

「少しだけな。だが、よく解らない」

「じゃあ、忘れちゃったの?」

「忘れることはないし、忘れようがない。だが、上手く言えないんだ」

 忌部は薄く湯気の昇る缶コーヒーを口元から外し、ベンチに置いた。紀乃はガニガニを抱え、頭を反らす。

「うん、私も。あんなに派手に暴れ回っていたのに、上手く思い出せないんだ。思い出したくないことばっかりだから、 なのかもしれないけど。だけど、これだけは絶対に忘れないし、忘れようだなんて思わない。私はゾゾが好き」

 紀乃が哀切な言葉を零すと、ガニガニは心配げに少女に触れた。紀乃は薄く笑い、ガニガニに触れる。

「ありがとう、ガニガニ。泣いたりはしないよ。もう、一杯一杯泣いたから。後は、思い切り笑うだけだから」

「いい女だよ、お前は」

「そんなこと言ったって、何も出ないって」

「褒めてやったんだ、素直に受け取れよ」

 忌部は笑みを返してから、タバコを銜えて火を灯し、吸い込んだ。

「そうやって、あいつのことだけ考えていてやれ。他の男になんか靡くな。一生、トカゲ野郎のものでいろ」

「忌部さんは、そう言ってくれるんだ」

 紀乃は顔を横に向けて忌部を見やったが、口元を綻ばせた。

「ああ、言うさ。兄貴は絶対に言わないだろうし、他の連中だって容認してはいるが納得はしていないだろうからな。 だが、俺はお前とゾゾの関係を否定したりはしない。俺は御三家の御前だからな」

「それが理由? もうちょっとさあ、感動的な理由にしてくれないかな」

「贅沢言うな」

 忌部は足を組み、フェンスに背中を預けた。紀乃はゆっくりと上体を起こし、ガニガニを抱きかかえる。

「でも、ありがとう。ちょっとだけだけど、辛いのがなくなった」

「露乃にも言ったが、無理はするなよ。当たり前に生きていけばいい。初恋をこじらせて行かず後家になるなんて、 世の中じゃ珍しくもなんともないんだ。その代わりに、一人でも生きていけるような仕事を見つけるんだ。心の底から やりたいって思ったことを、徹底的にやっちまえ。そうすれば、誰もお前の生き方に文句を付けられなくなる」

「じゃあ、まずは夢を探すことから始めないとだね」

「それがいい。俺も当分はそうなるだろうしな」

「だったら、いっそのこと競争にしちゃおうか。そうしたら、張り合いが出るんじゃない?」

「悪くない提案だな」

 忌部は紀乃と向き合い、紀乃も忌部と向き合った。真正面から見ると紀乃もやはりゆづるに似ていて、我利にも、 鉄人にも、溶子にも、忌部自身にも似ていた。なんともいえない複雑な思いが胸中に込み上がってきたが、忌部は 隣に腰掛けた紀乃とその膝の上のガニガニと、夜明けまで話し込んだ。忌部島の思い出を一つ一つ確かめること から始め、忌部島に来る以前の歴史をなぞるように、紀乃が産まれる前に亡くなった祖母の話や、祖父の話、忌部 が知る呂号時代の露乃の話、忌部自身の話、ごく普通の親として振る舞っていた鉄人と溶子の話、紀乃自身の話、 と思い付く限りのことを話した。解放感を伴った寂寥感に浸りながら、忌部と紀乃とガニガニは朝を迎えた。
 その瞬間、御三家は滅んだ。




 段ボール箱だらけの部屋から見る景色には、まだ慣れない。
 忌部次郎、もとい、末継純次はカーテンすら下げていない窓から海を望んでいた。忌部島で見た海とも、海上基地 から見ていた海とも違う色合いの波間では西日が揺れている。先祖である忌部継成の生まれ故郷である徳島県の 海沿いの街に居を構えたのは、望郷の念に駆られたからだろう。実家は取り壊され、忌部島は本来の姿に戻って 宇宙に旅立ち、忌部という名も捨ててしまうと、自分自身の根幹があやふやになる。だから、心中に据えられる芯が 欲しかった。たったそれだけのことでも、あるとないでは大違いだ。
 テーブルには、各種必要書類が積み重なっている。戸籍謄本、住民票、国民健康保険証、運転免許証、編入した 大学の学生証、その他諸々の権利書。ちなみにこの家の世帯主も純次になっていて、つまり諸々の税金の請求書 が来ることになるのだが、当分純次にはろくな収入はないので、当分は免除してもらえるように礼科を通じて政府の 人間に手を回してもらった。これまで散々迷惑を被ってきたのだから、それぐらいは恩恵を受けてもいいはずだ。

「兄貴ー、夕飯だってさー。つってもあれだし、弁当屋のだし」

 不躾に部屋に入ってきたのは、色気のないジャージ姿の忌部いづる、もとい、末継いづみだった。

「それでも充分じゃないか」

 忌部は窓を閉めてから自室を出ると、いづみも付いてきた。

「てかさー兄貴、あたしん部屋の片付け、手伝ってくれね? 前のあたしん部屋の五分の一ぐらいしか容積がねー から、片付けようがねーっつか。あと、パソコンの配線もさ」

「一度に言うな。自分でやれ。機械の配線こそお前の出番じゃないのか、いづみ」

「ちっげーし! あたしが強いのはソフトだけであって、ハードとかぜんっぜんだし!」

「俺だってパソコンに関しちゃ胸を張って詳しくないと宣言出来る!」

「自慢するようなことかよ! じゃあどうすんだよ、ネット出来ねーじゃん! マジ暇すぎだし!」

 階段を下りかけた純次の前に回り込んできたいづみは、苛立たしげに声を上げた。 

「携帯があるじゃないか。それに、そんなもんは一日二日出来なくたって死にはしない」

「精神的にマジ死ぬし!」

 当たり散らすいづみを無視し、純次は一階に下りた。組み立てる前の家具の平べったい箱や未開封の家電製品の 箱が廊下にずらりと並んでいて、脱衣所やトイレまでもが段ボール箱に塞がれてしまっているのでまともに歩くこと は不可能だった。仕方ないので箱を跨ぎながらリビングに入ると、新品のオーブンレンジが床に置かれ、滝ノ沢翠、 もとい、末継翡翠がオーブンレンジと睨み合っていた。純次は妹に近付き、尋ねる。

「なんだ、どうした」

「御母様が買っていらした御夕食を暖め直したいのですが、どのボタンをどう押せばよろしゅうございましょう?」

 困り果てている翡翠に、純次はオーブンレンジが入っていた段ボール箱を探り、説明書を出した。

「使い方が解らなかったら、まず最初にこれをだな」

「もちろん読みましたわ。けれど、さっぱり意味が解りませんでしたの」

 翡翠は自分の不甲斐なさを自責しているのか、眉を下げている。純次は少し笑い、説明書を広げる。

「大丈夫だ。この手の機械は、日常的に使わない機能の方が多くてだな」

 純次が翡翠にオーブンレンジの使い方を説明していると、母親が帰ってきた。買い出しに行った後、その足で近所 に挨拶回りに行ってきたらしい。階段を下りたいづみと鉢合わせたのか、忌部かすが、もとい、末継はるひは次女 から矢継ぎ早に文句を浴びせられた。純次の態度に温度差があるのが気に入らない、とのことだが純次がパソコン 関係に詳しくないのは紛れもない事実なのだ。下手なことをして壊したら元も子もない。そんなに文句を言うのなら 事前に自分で調べておけよ、と次女に言ってやりたかったが、これ以上刺激するとややこしいことになると判断して 胸の内に収めた。翡翠はひどく真剣な顔をしてオーブンレンジを操作し、無事に出来合いの弁当が温め直されると とても喜んだ。純次も釣られてにやけていると、不意に背中を蹴られてつんのめった。

「なんだいきなり!」

 純次が振り返ると、目を吊り上げたいづみが汁椀を載せた盆を手にしていた。

「なんでもねーし! てか、これ、味噌汁な! まだお湯湧いてねーけど!」

「まあ、御兄様ったら。いづみさんにもちゃあんとお優しくなさって下さいまし」

 翡翠は微笑みを浮かべながら、純次を押しやった。いづみの前に出された純次が戸惑ってると、いづみは苛立ち を込めた目で兄を睨み下ろしてくる。すると、その間にはるひが割って入ってきた。

「ほらほら、ケンカしないの。せっかくお姉ちゃんが暖めてくれたんだもの、さっさと食べちゃうわよ」

「でもさぁ」

 いづみは唇を尖らせるが、はるひは純次の額を弾いた。痛みと衝撃で純次が仰け反ると、はるひは笑む。

「いづみと仲良くしてくれないなら、今度はもっと強いのをぶちかましちゃうわよ? それが嫌なら、ママって呼んで もらうわよ? どっちがいい、純次君?」

 いづみの姉への軽い嫉妬が混じった目線と、翡翠のにこやかだが今後の展開に期待する目線と、はるひの少々 悪戯心が混じった笑みを見比べていたが、純次は観念して前者を選んだ。

「……悪かったよ」

「んじゃ、後であたしん部屋に来いよな! でねーとマジ許さねーし!」

 途端に機嫌を直したいづみは、湯沸かし途中の電気ポットの様子を見るべく、キッチンに向かっていった。純次は 安堵のため息を零し、次女の手伝いに行ったはるひを見やった。四歳しか歳が離れていないはるひを母親だと思う ことからしてまず無理があるのに、ママと呼べるわけがない。かなり妥協しても、お母さんが限界だ。伊号だった頃と 変わらない次女の横暴さに辟易しつつ、純次は夕食を食べるスペースを作るためにリビングテーブルを片付けた。 弁当の入っていたビニール袋から人数分の箸を取り出した翡翠は、妹と兄が仲直りしたのが余程嬉しいのか終始 笑顔だった。生まれ育った環境の違いもあるだろうが、姉妹なのに気性の差が激しすぎる。
 翡翠が温め直した弁当と、いづみがいい加減な量の熱湯を注いだので味にばらつきがあるインスタントの味噌汁と、 ペットボトルのお茶を注いだ紙コップを並べ、家族四人で夕食を摂った。実家を出て独り暮らしをしていた頃も、 海上基地の営舎で暮らしていた頃も、食事といえばそんなものばかりで胃袋を膨らませるだけの作業だった。その 時は味の善し悪しもまるで感じ取れなかったが、今日はまともに味が解った。衣がべたついている粉っぽいフライで あっても、ただ甘いだけの卵焼きであっても、塩辛いきんぴらであっても、炊いてからかなり時間が経っているので ぱさついた白飯であっても、精進落としで食べた懐石料理を遙かに凌ぐ味だった。家族の会話を聞き流しながら、 ふと、純次はニライカナイへと渡っていったかつての自分に思いを馳せた。
 きっと今頃は、墓石の下で家族と食卓を囲んでいるのだろう。







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