納骨後の精進落としは、都心から離れた料亭で行われた。 どうせ金の出所は税金だからと、思い切り値の張る料亭で行った。どこぞの国の王侯貴族が来ているかのような 厳重な警備態勢でそこかしこに公安の戦闘員が配置され、従業員も大半が警察関係者に入れ替わり、気圧される ほど物々しかった。怪獣映画紛いの戦いの真相を全て知っている御三家は日本国内のみならず諸外国からも目を 付けられている上、生きていることを知られては今度は人間側のバイオテクノロジーの犠牲にされかねないので、 警備されるのは当然といえば当然なのだが、こればかりはいつになっても慣れない。ついこの間までは完全に逆の 立場だったのだから。御三家が精進落としをする部屋は料亭内で最も大きな広間であり、最も警備が厳重に出来る 立地条件の部屋で、何度となく政府要人の密談に使われてきたのは容易に想像が付いた。 喪主である忌部は形式として口上を述べた後、羞恥心に苛まれながら上座に着いた。見知った顔ばかりいる場で 改まった言葉を使うのは、やりづらくて敵わない。上座に胡座を掻き、御膳に並んだ料理に手を付けようと箸を取ると、 仏頂面のいづるがビール瓶を片手に近付いてきた。酌をしに来たのだろうが、忌部のグラスには乾杯した時に注いだ ビールがそっくり残っているので、少しだけ飲んでからグラスを差し出した。 「んだよ、せめて空にしやがれ」 いづるは八割以上中身が残っている忌部のグラスに容赦なくビールを注いだので、いくらか溢れた。 「無茶言うな。空きっ腹で飲んだら悪酔いするんだよ」 忌部はグラスから溢れて手を伝ったビールをお絞りで拭ってから、これ以上零さないために啜った。 「んじゃ、鉄兄貴」 いづるが鉄人にビール瓶を突き付けると、鉄人は半分ほど飲んだグラスを差し出した。 「すまんな、いづる」 「べっつに。あたしだってやりたくはねーし。ママがやれっつーから、やってるだけだし」 いづるは中身がたっぷり残っているビール瓶を粗雑に置き、二人の前で胡座を掻いた。 「せめて裾を押さえろ。行儀の悪い」 忌部はお作りの刺身を取り、醤油を付けてから口に入れた。いづるは不愉快げに口元を曲げる。 「てか、あたしにいちいち常識を求めるんじゃねーし。つか、知らないことの方が多すぎるし。納骨が葬式とは違う、 っつーんはお父さんの時に知っちゃいたけど、こんなことまでするなんてマジ知らなかったし。てか、なんであたし が酌して回らなきゃならねーの? 酒飲みたいんなら、自分でやりゃいいし」 「冠婚葬祭ってのは、そういうものなんだよ。だから、お前が結婚式をする時は俺が酌をして回ってやる」 刺身を二三切れ食べた後、忌部はビールを減らすためにグラスを傾けた。 「別にそんな予定ねーし。てか、あたしは一生結婚なんてしねーし」 いづるは忌部の皿から巻き寿司を取ると、頬張った。忌部はその行儀の悪さに辟易し、妹の手を弾く。 「喰うなら自分のを喰え。なんで俺の皿から取るんだよ」 「だって、つまんねーんだもん」 いづるは唇の端に付いた酢飯の粒を取り、指先を舐めた。 「あたしがこんな恰好してんのに、兄貴はノーリアクションだし」 「可愛いぞ! 似合っているぞ!」 すかさず鉄人が褒めるが、いづるは物足りなさそうに忌部を窺ってきた。 「で、兄貴はどうなん?」 「え、えー……」 いきなりそう言われても。忌部は口籠もったことを悟られないため、巻き寿司を頬張って咀嚼した。いづるは忌部を 睨んできたが、その視線の意味が解らない。喪服なのだから着飾っているわけでもないのだし、いちいち褒める ようなことでもないと思う。大体、喪服姿に何をどう感じろというのだろうか。忌部は自他共に認める露出狂ではある ものの、そういった性癖は持ち合わせていない。いづるは溜まりかねて、忌部のネクタイを掴む。 「だから、どうだっつってんだよ馬鹿兄貴!」 「お前なんかを褒めたところでなぁ」 忌部が顔を背けると、いづるはネクタイを離して舌打ちした。 「なんでこんなのが兄貴なんだよ。マジ意味不明だし」 「俺だって兄貴じゃないか。なんで次郎にばっかり絡むんだ。ちょっと寂しいぞ」 鉄人が不満を零すと、いづるは横目に鉄人を窺った。 「なんつーか、鉄兄貴は兄貴って感じがしねーし。紀乃とロッキーの親父だからかもしんねーけど、兄貴だって気に ならねーんだよ。姉貴はマジ姉貴って感じだけど。でも、馬鹿兄貴はすっげぇ馬鹿すぎて兄貴扱いしたくねー」 「……言わせておけば」 さすがに苛立った忌部が腰を浮かせかけると、いづるはビール瓶を突き出してきた。 「ああやるかぁ、やるってのかクソ兄貴!? 言っとくけど、現場調査官だった頃から兄貴が気に食わなかったんだ からな! 偉くもねーし、能力が凄ぇわけでもねーし、強いわけでもねーのに、年上っつーだけであたしらにデカい面 していたんだからな! 兄貴でさえなかったら、一緒に住みたいだなんてマジ絶対に思わねーし! 一緒に住むのも、 本当は兄貴じゃなくてお父さんが良かった! そしたら、今度こそママも幸せになったはずなのにさ!」 勢いに任せて言ってから、いづるは硬直し、俯いた。水を打ったように静まった大広間を見渡し、不安げな眼差しを 向けてくる母親、かすがを一瞥してからビール瓶を下ろした。 「なんか、ごめん」 「物足りないのは解る。俺だって、今になって親父が恋しいと思っちまう瞬間がある」 唇を噛んで項垂れるいづるを宥めつつ、忌部は曲がったネクタイを直した。 「俺にとっては最低最悪な男だが、お前やかすがさんにとっては心の支えだったんだもんな。お前の体だって、元に 戻ったことを一番喜んでくれるのは親父なんだ。露乃を引き替えにしてでも、お前を竜ヶ崎の手元から取り戻そうと したほどだもんな。その点については、俺は少しだけいづるが羨ましい。一ミリ以下だが」 「一言多くね?」 いづるは笑うべきか怒るべきか迷った末、目元を拭った。が、指先にマスカラがべったりと付いた。 「あ、やべ。マスカラ付けてあったの忘れてた。ママ、これってどうやって直せばいいんー?」 「はいはい、ちょっとこっちにいらっしゃい」 かすがは兄妹のやり取りを傍観していたが、いづるに呼ばれて腰を上げた。いづるは元々長さのある睫毛を増量 していた、右目のマスカラがごっそり取れてしまい、右手の人差し指の第二関節が黒く汚れていた。かすがはハンド バッグを開けて小さな化粧ポーチを取り出すと、その場で直し始めた。化粧のやり方を教わったばかりの翠は母親の 手元を覗き込みながら、しきりに感心している。マスカラと一緒にアイシャドウとアイラインも崩れてしまったので、 目元のメイクを一旦落としてから最初からやり直しているらしく、時間が掛かっている。中途半端な正座をして母親の 前の座るいづるの背中は幼い子供のようで、計り知れないほどの嬉しさが滲んでいた。 いづるの化粧直しが終わった頃、今度は甚平がやってきた。生体洗浄を受けたことで以前の姿ともサメ人間の姿 とも懸け離れた容姿に変貌した青年は、大柄な体格と男らしい顔付きに似合わない気弱な動作で膝を付いてから、 躊躇いがちにビール瓶を差し出してきた。今回は飲み進めていたので、忌部はその酌を素直に受け取った。鉄人も グラスを差し出し、良く冷えたビールを受け入れる。 「えと、あの、ええと」 甚平はいつものように口籠もりながら、ビール瓶を置き、目線を彷徨わせた。 「別に急がなくていい。ゆっくり話してくれればいい」 グラスを置いてから忌部が言うと、甚平は少しネクタイを緩めて息を吐いてから、話し始めた。 「その、忌部さんって、今もワンと繋がっていたりとかするんですか?」 「いや。小松とミーコに追い出されてからは、ワンとの接続は切れちまった。繋がっていたら面白かったんだが」 忌部が答えると、甚平は短く切った髪を乱した。 「あ、やっぱり、そうですよね。うん、それでいいっていうか、それが当たり前っていうか」 「俺とワンが繋がっていたとしたら、何かやらせたいことでもあったのか?」 忌部が尋ねると、甚平は少し間を置いてから答えた。 「ええ、まあ、一応。その、僕はこうして人間の姿は取り戻せたけど、やっぱり、えっと、サメ人間の因子はそのまま 残っていて、一定量の海水に浸かるとサメ人間に変わっちゃうっていうか、免疫が海水に反応して状況適応能力が 作用されるというか、そもそもイリ・チ人の因子とかは関係なしに僕自身に潜在しているサメ人間の部分が表に出る というか、人間という種族自体に既に生体汚染が蔓延している可能性も否めないというかで。だから、えっと、僕や 翠さんみたいに人間じゃない姿になっちゃうのは一種のアナフィラキシーショックであると仮定すると、忌部さんとか 紀乃ちゃんとかみたいに心身に訪れた危険に対処するために能力が生まれてくるは免疫の防衛本能だと仮定する ことも出来るわけで、人間という種族全体に汚染が及ぶ危険性を排除するために突然変異的な進化を遂げたのが 小松さんとミーコさんなわけで。だから、ええと、うんと、なんて言ったらいいのかな……」 甚平は話すうちに表情に力が入り、声色も重みを得た。 「ワンがいなくなっても、事態は根本的な解決は迎えていないんじゃないかって。僕が海水に反応するのは、一万年 も海水に浸かっている間に溶け出したワンの微細な生体組織が生体接触することによるものであって、海水自体が 既に汚染され尽くされている、というかで。言うまでもないことだけど地球上の水分は全て循環しているのであって、 海水はいずれ雨水になって、雨水は地表に降り注いで再び海に流れ込むわけで、水の絶対量ってのは何があっても 変わらないっていうかで。で、人間ってのは体の七割がその水で出来ているわけであって、日々水を摂取している 僕達は知らず知らずのうちに生体汚染を受けているわけで、汚染の濃度さえ高まれば、きっと御三家以外の人間も ミュータントに成り得るわけだから、その、もしかしたら、ゾゾとワンを追い出しちゃったことで、人類は種族としての 進化の道を閉ざしたのかもしれない、って思うっていうかで。だから、忌部さんとワンが繋がっていたとしたら、えと、 その辺のことをゾゾとワンに言ってみてほしかったかな、っていうかで」 「人類全体が俺達みたいになってみろ、それこそ困る。毎日がハリウッド映画になっちまう」 忌部が一笑すると、甚平は胸のつかえが取れたのか肩を落とした。 「ああ、うん、そうですよね。だから、やっぱり、あれでよかったんですよね」 「しかし、本当にお前って奴は色んなことを考えているもんだな。感心する」 鉄人が甚平の肩を叩くと、甚平はちょっと身動いだ。 「え、あ、はい。クセっていうか、考えることが好きなもんで」 「で、お前の考えだと、生体汚染の濃度がどのくらいまで上がれば普通の人間がミュータントになるんだ?」 忌部は天ぷらに箸を伸ばしながら尋ねると、甚平は指折り数えて暗算した。 「ええ、と、僕の場合を1とすると……。個人個人の因子の濃度にもよるけど、そうだな、ここがこうなってあれをこう すると、そう、ん、大体こんな感じ。僕は欠けた染色体をワンの因子で補っているから、汚染濃度自体が高いから、 それを一度減算してやり直して、ええと……」 「んだよ、じれってー。計算式と数字教えろ、出してやるから」 化粧直しを終えたいづるが近付いてきたので、甚平はぎくりとした。 「ええ、あっ、いや、う、でも」 「いいから出してみろって」 いづるは手近な盆を引き寄せてテーブル代わりにして、その上に御膳の敷き紙を広げ、忌部のポケットから強奪 したサインペンで紙面を指し示した。甚平はいづるの肩越しに指示すると、いづるは言われた通りに複雑な計算式 を書き始めた。数分間、サインペンが上等な和紙に擦れ合っていたが、不意にいづるはペンを止めて算出した数字 にアンダーラインを引き、敷き紙を甚平に突き出した。 「まー、大体こんなもんじゃね? 細かく計算したら、もっと別の数字が出るかもしれねーけど」 「あ、ありがとう」 恐る恐るそれを受け取った甚平は、また指折り数えてから、頷いた。 「うん。凄い。というか、早いね」 「てか、数字をいじくり回すのは楽なんだよ、他のことをするよりも。弾道計算なんかマジ一発だし。機械の遠隔操作 は出来なくなったかもしれねーけど、プログラム言語とかはマジ余裕で読めるし。元生体兵器舐めんな?」 いづるは礼を言われたのが嬉しいのか、ちょっと得意げに口元を上向けた。 「で、どうなんだ?」 鉄人に急かされ、また考えに没頭しそうになった甚平ははっとした。 「え、あ、はい、その、いづるちゃんが計算したところによると、僕を生体汚染濃度を基準として、つまり1として計算 した場合、海水の汚染濃度は0.0000001、一千万分の一ってことになるから、僕と同等の生体接触反応が発生 するための条件には一千万倍の濃度の生体汚染を受ける必要がある、ってことになるけどそれはあくまでも現時点 での話であって、毒素や放射性物質とは違うから、体外に排出されるどころか染色体そのものに成り代わってくる わけで、つまりは世代を重ねれば重ねるごとに倍々に汚染濃度が上がっていくわけだから」 「単純計算で生体汚染の濃度が1.073.741.824倍になる三十世代後には、人類が人類じゃなくなってんじゃ ねーのっつー話。もっとも、そんだけ世代を重ねる前に人類自体が戦争とかで滅んでいるかもしれねーけどな」 いづるは軽い口調でおぞましいことを言いながら、自分の席に戻っていった。 「二人とも、頭良いねぇ。私もそれぐらい良かったら、高校受験だってもうちょっと楽に出来たかもなぁ」 瓶入りのオレンジジュースを飲みつつ、紀乃が自虐すると、天ぷらを食べていた露乃は箸を止めた。 「甚平はともかくイッチーは頭が良いわけじゃない。数字をオモチャ代わりにして生きてきたから慣れているだけだ。 お姉ちゃんだって複雑極まる空間計算や質量計算を無意識下で行いながらサイコキネシスを行使していた。だから お姉ちゃんの方がイッチーよりもずっとずっと頭が良い。あれは機械がなければ何も出来ないから」 「うっせーなぁ。ロッキーだって、ギターがなきゃ聴くに耐えない歌唱力のくせに」 胡座を掻いたいづるは毒突きながら、露乃の皿に箸を伸ばしたが、露乃はすかさずその箸をはねつける。 「うるさい黙れ。メタリカとアイアンメイデンの区別も付かないくせに」 「それとこれとは関係ねーし!」 いづるはむっとしながら、またも露乃の皿に箸を伸ばすが、露乃は刺身の入った皿を遠ざけた。 「食べるのなら自分のを食べろ。卑しいな」 「全部喰っちまったんだよ! だから、他にやることねーんだよ!」 いづるが自分の御膳を指すと、その言葉通り、全ての皿が空になっていた。露乃はメガネの下で目を見張る。 「良く喰えたな。結構な量があったのに」 「……だって、喰ったことねーもんばっかりでさ。どれがどんな味しているのか、すっげー気になるじゃん?」 いづるは少々恥じらいつつも唇を尖らせると、その様を見ていた翠がにこにこした。 「そうですわよねぇ、いづるさん。どれもこれも綺麗で珍しいお料理ばかりでしたものね。ですけれど、他の方の お皿に箸を伸ばすのはお行儀悪うごさいましてよ。欲しいと仰ってくれたら、私のをお分けいたしますのに」 「え、マジ!? 姉貴ってば超優しいんだけど!」 いづるは弾かれるように立ち上がり、翠の傍に駆け寄った。翠はいづるに比べると小食らしく、どの料理にも少し 手を付けただけだった。翠の隣に座るかすがから、料理の名前と調理方法を説明してもらいながら、いづるは姉と 母親と共にまた食べ始めた。今まで成長出来なかった分を補うため、体が栄養を求めているのだろう。 「お父さん、忌部さん、まだお酒飲む?」 最後にやってきたのは、紀乃だった。忌部はそれなりに出来上がっていたので、義理で受けることにした。 「大して飲みはしないが、もらおう」 「俺もそんなところだ。明日は忙しいからな、潰れるわけにいかねぇ」 そう言った鉄人は、グラスの縁からビールを少しだけ啜り、紀乃が注いでくれたビールを受けた。 「だよねー。明日になれば、こういう生活も終わっちゃうんだよね。ちょっと寂しいな」 紀乃はプリーツスカートの裾を押さえながら、二人の前に正座し、御三家の面々を見渡した。 「あんなことがなきゃ、こうやって皆で揃うこともなかったんだよね。そう思うと、悪いことも辛いことも痛いことも沢山 あったけど、全部が全部嫌じゃないなって。割り切れないことも一杯あるし、許せないことだってあるけど、明日から は何もなかったことになるんだよね。私達全員の死体が瓦礫の下から出てきたことになって、司法解剖されたことに なって、死亡扱いされて、戸籍もそうなる。忘れちゃいけないし、忘れるわけがないけど、なんだか切ないな」 「俺達御三家は、ずっと常世にいたんだ。それがようやく、現世に帰ってこられたんだ」 忌部はグラスを置いてから、物憂げな紀乃を見やる。 「今日までの俺達はここで死ぬ。ゾゾとワンに、ニライカナイに連れていってもらったとでも思えばいい。その代わり、 俺達は新しい体と名前と人生を手に入れた。文字通り、生まれ変わったんだ。死んだ人間は決して生き返ることは ないが、生まれ変わった人間は違う。どこぞの神様から、もう一度人生をやり直す権利を与えてもらったんだ。それを 喜ばなくてどうする。なあ、紀乃」 「……うん」 紀乃はまだ何か言いたげだったが、口には出さずに頷いた。 「大丈夫だ、名前が変わったところであの野郎はお前のことを忘れたりしない。癪に障るが」 鉄人は不愉快げに言い捨て、ビールを飲み干した。そこへ、トイレから戻ってきた溶子がやってきた。 「あんまり大人げないこと言わないの。てっちゃん、結構酔ってるんじゃない?」 「別にまだ酔っちゃいない。ただ、あのトカゲ野郎がどうにも気に食わないってだけであって」 鉄人は溶子を隣に座らせると、少し付き合え、と言って紀乃が持ってきた瓶ビールを引っ掴むと、スペアのグラスに どぼどぼとビールを注いだ。それを勧められた溶子は、ちょっとだけなのよね、と言いつつも次から次へとビールを 飲み干していき、最終的には鉄人が酔い潰れた。あらまあ、と溶子は悪気の欠片もなく笑ったので、忌部と紀乃は 意外な展開に苦笑するしかなかった。酔い潰れた末に寝込んだ鉄人は早々にマイクロバスに運び込まれ、それ から程なくして精進落としはお開きになった。 食べるだけ食べたので満足したいづるは上機嫌で、実母と姉にしきりに甘えていた。露乃は甚平がいづると仲良く していたのが気掛かりなのか甚平から離れようとせず、甚平はそんな露乃にちょっと困りながらも顔は緩んでいた。 紀乃や溶子から刺身などをもらって食べていたガニガニは、慣れないバスでの旅に疲れ果てたのか、飼育カゴの中 で丸まって眠っていた。療養所までの帰路、マイクロバスに揺られていると次第に皆の話し声が弱まっていく。忌部は ネクタイもベルトも緩めると、車体の振動に身を委ね、酒の酔いと程良い疲労に浸りながら、毒々しいほど鮮烈な 西日に焼かれた都心に目線を投げた。 死を迎える夜明けが待ち遠しい。 11 6/9 |