南海インベーダーズ




ザ・ストラグル・ウィズイン



 思わず、夕食を食べる箸が止まった。
 リビングの壁一面を占めるほどの大型液晶テレビからは、あの日の映像が飽きもせずに流れていた。秋が過ぎて 初冬を迎えた今でも、インベーダー関連の特集番組は放映されている。証拠保全と同時に隠蔽工作をするために 公安と自衛隊が動き回っているので、都心の復興は当初の予定から大幅に遅れているが、そのことを各方面から 突っ込まれるたびに被害の大きさをこれでもかと教えるために放映しているのだそうだ。しかし、それはいつまでも 持つものではない。世間からは既に飽きられているし、変異体管理局と伊号を失ったことで情報操作能力を欠いた 政府が情報統制を行おうとも、通信網が発達し切った現代社会では限度がある。

「あ、私だ」

 長女、紀子はスカイツリーを背にして一つ目オオトカゲと戦う少女の映像を見、苦笑した。

「うわー、なんだありゃ。今見るとひどいなー、能力の使い方。下手くそなんてもんじゃないよ」

「ああ、うん、でも、まあ、それは仕方ないっていうか。非常時だったし」

 従兄弟であり次女の恋人である青年、鰐淵仁は、寄せ鍋の煮汁で作った雑炊を慎重に啜った。彼が末継一家 と共に食卓を囲むのは、そう珍しいことではない。近所のアパートに住んでいるのだが、露子が事ある事に連れてくる ので、一月に三四度は同じものを食べている。最早、日常的な風景である。

「いい加減に他の映像が流出してもいい頃だと思うんだが。監視カメラの類は全部オシャカなのか?」

 次女、露子は、駒形橋の上でエレキギターを掻き鳴らす生体兵器を見、渋面を作った。来春の高校入学に向けて 地元の中学校に紀子と共に通い始め、同年代の子供と付き合うようになったおかげで随分と表情豊かになった。

「うんざりするほど下手な演奏だ。ああまた音が外れている。歌詞を発音し切れていない。衝撃破を放っているだけで ビルによる反射を考慮していない。それ以前にスピーカーの角度が悪すぎる。デタラメで力任せな演奏が最後の ステージだったのか。なんてクソッタレな。やり直せるものなら今からでもやり直したい」

「何もかも、過ぎたことなのよね」

 人数分のお茶を淹れて運んできた融子は、それを食卓に並べ、自分の席に座った。

「だから、あんまりぐちゃぐちゃ言うな。未練がましいな」

 鉄郎が娘達を諌めると、紀子は自分の湯飲みを取り、熱い緑茶を啜った。

「うん。でもさ、あの時ああしていたら、って考えることは結構あってさ。能力の使い方なんか、特にそう」

「上手く使えりゃいいってもんじゃない。使えるようになればなるほど、思い上がっちまうんだから」

 鉄郎は湯飲みに触れたが、かつてのように鋼鉄と化すことはなく、陶器と液体のままだった。

「あ、えと、それじゃ、映画でも見ようか。その方が、うん、精神衛生にいいっていうか」

 仁が腰を上げると、露子も立ち上がった。

「今回は何を持ってきたんだ」

「あ、うん、ええと、これまでは有名どころばっかりだったから、今度はマイナー路線っていうかで」

 そう言いつつ、仁はソファーの下に置いてあるショルダーバッグを開けた。露子は仁が持ってきた映画が何なのか 気になって仕方ないらしく、手元を覗き込んでいる。仁はブルーレイディスクを取り出してブックレットも取り出すと、 どういったジャンルでどんな内容で、と語り始めた。そのままでは映画の内容を全部説明してしまいそうだったので、 紀子が仁の話を遮り、テレビの下にあるプレイヤーを作動させてディスクを突っ込んだ。それからしばらくして映画が 始まると、仁は自分の悪いクセを自戒しつつ、双子と共に見始めた。紀子はガニガニを水槽から抱え上げて膝の 上に載せてやり、テレビの前に連れてきた。鉄郎は三人の邪魔をしないように、早々に二階に引き上げた。
 夫婦の寝室に入った鉄郎はクローゼットを開け、その奥から破損したヘルメットを取り出した。バイザーは割れて 塗装は擦り切れて剥がれ、緩衝材が飛び出し、最早ヘルメットとしての意味を成していなかった。

「てっちゃん」

 後片付けを終えたのか、融子が寝室にやってきた。鉄郎はヘルメットを置き、妻に向く。

「どうした」

「あの子達の邪魔しちゃいけないのよね。だって、凄く楽しそうなんだもの」

 融子は寝室のドアを閉めると、声を潜めた。鉄郎は少し笑い、近付いてきた妻を抱き寄せる。

「そりゃそうだ。あいつらの人生は、やっと始まったばかりなんだからな」

「じゃあ、私とてっちゃんの人生は?」

「そいつも、これからだ」

 鉄郎は皮の厚い両手で、優しげな丸みを帯びた妻の顔を包んだ。融子は鉄郎の手に頭を委ね、愛おしげに目を 細める。化粧気のなくなった唇を親指の先でなぞってやると、他愛もなく綻ぶ。やや腰を曲げて顔を寄せた鉄郎は、 妻の存在を確かめるように唇を重ねた。かかとを浮かせて背中に手を回してくる融子を支え、受け止め、貪る。

「ちょっ……!」

 思わぬことに慌てた融子は鉄郎の胸を押し、体を離した。

「あ、すまん」

 鉄郎が身を引くと、融子は少女のように頬を染めながら俯いた。

「う、嬉しいんだけど、ちょっと恥ずかしいのよね。だって、下にはあの子達がいるし」

「ああ、そうだったな」

 一瞬、それを忘れかけていた。鉄郎が苦笑すると、融子はぼすんとベッドに腰掛けた。尖らせた唇からは文句が 出てくるものだと思ったが、融子は互いの唾液で濡れた唇を手の甲で拭っただけで何も言わなかった。鉄郎は妻の 傍に腰掛けると、融子は脱力したかのように鉄郎に寄り掛かってきた。

「あの子達の前じゃ言いづらいけど、私ね、虎鉄だった頃のてっちゃんも大好きなの」

 融子は微笑み、腰に回した鉄郎の手に自分の手を重ねてきた。その笑顔こそ昔のままだが顔付きは母親のそれ であり、言葉尻には力強い信頼が宿っていた。それに応えるために二度目の口付けを交わすが、融子があまりにも 体を寄せてくるので手加減するのが難しかったが、高ぶりすぎない程度に止めた。妻の左手に己の左手を這わせ、 二つの結婚指輪が接して小さく金属音を立てると、どちらからともなく手を握り合わせた。
 初めて出会った夜のように。




 正しく夜逃げだ、と思った。
 父親、忌部我利が渡してくれた預金通帳と諸々の書類、必要最低限の荷物と現金、そしてエレキギターを担いで、 忌部鉄人は実家から逃げ出した。傍らには、血の繋がりがあるであろう少女が一人。深夜の街並みに馴染まない 制服姿が痛々しく、泣き腫らした顔は沈んでいた。終電手前の私鉄を乗り継ぎ、乗り継ぎ、乗り継ぎ、見知らぬ街に 行ったつもりではあったが、所詮は子供の浅知恵なので都内からは出られなかった。
 鉄人は少女と共に終点の手前で下りたが、駅には誰もいなかった。自動改札を出て駅前に出たが、街灯以外に 明かりらしいものはなく、人の気配も感じられなかった。眩しいのは自動販売機だけであり、機械の唸りが不気味に 空気を震わせている。少女、斎子溶子は鉄人の手を痛いほど握り締めていて、全身を強張らせていた。とりあえず 落ち着こうと鉄人がベンチに促すと、溶子は足を引き摺るように歩き、ベンチに腰掛けた。手が痛くなってきた鉄人は その手を離させようとするが、溶子の指は離れるどころか食い込んでくる。

「あのさ、手が痛いんだけど」

「ごめんなさい……」

 溶子は辿々しく答えたが、指は緩まず、手は震えるばかりだった。鉄人は観念し、そのままにさせた。

「こういうのって、駆け落ちってやつだよな」

「うん」

「俺なんかで、ごめん」

「別に、謝られるようなことじゃ」

 溶子は顔を背け、制服に包まれた肩を縮めた。

「朝になったら、どこか住む場所を探そう。でないと、始まるものも始まらない」

 鉄人はなんだか急に気恥ずかしくなってきて、溶子とは逆方向に向いた。

「い……一緒に、ってことだよね?」

「まあ……離れて住んだら、金も掛かるし、色々と面倒だし」

 溶子の上擦り気味の言葉に、鉄人は釣られてしまった。

「頑張るね」

 ただならぬ決意が込められた溶子の一言に、鉄人は返す言葉が思い付かず、頷くしかなかった。何をどう頑張る つもりなのかは定かではなかったが、覚悟が決まったのなら何よりだ。溶子はぎこちなく指を剥がして鉄人の手から 自分の手を離すと、声を殺し、涙も殺した。鉄人は爪痕がくっきり残った左手を開閉させ、居たたまれない気持ち で溶子の泣き声を聞き流した。自分が泣かせたわけではないのに、体が竦む。懸命に泣くまいとしているのに、意に 反して喉から絞り出される嗚咽と涙を堪えきれない溶子が哀れでたまらない。自分も全く同じ状況なのだから、鉄人も 泣きたい気持ちがないわけではないが、鉄人が泣くわけにはいかない。溶子のためにも、自分のためにも。
 冷え切った夜が終わり、朝を迎え、商店街の店舗が始業時間を迎えた頃、鉄人は溶子と共に不動産屋に行った。 制服姿ではどちらもまず相手にしてもらえないので、まずは衣料品を買って、精一杯大人に見える恰好をした。今に して思えば無謀極まりなかったが、それでも話が通ったのは、我利から渡されていた一千万円近い額の預金通帳を 不動産屋に見せたからだろう。金の力というものは即物的で偉大だと痛感した。
 なるべく安くて地味な物件で、という条件で探した結果、見つかったのは古びたアパートだった。木造二階建てで、 トタン屋根や鉄製の階段には赤茶けた錆が浮いていて、中に入ってみるとカビ臭い匂いが充満していたが、風雨に 曝されるよりはマシだった。思い付く限りの日用品を買い集め、人間らしい生活が出来るようになったのはそれから 一週間が経過してからだった。だが、徐々に問題も浮き彫りになってきた。
 それは、互いの能力だった。鉄人は触れたものを鋼鉄と化す能力を持ち、溶子は触れたものを液体と化す能力を 持っていたが、それが日常に差し障りが出ないわけがない。触れたもの、という定義は鉄人も溶子も手だけではなく 体全体を差していて、ちょっとしたことで変化させてしまうことが間々あった。意識しないようにしても接触した衝撃で 能力が発動することも多く、最初に買い集めた日用品も大半がダメになってしまったほどだった。
 それでも、鉄人と溶子は互いを見限ろうとはしなかった。いや、見限れなかったと言った方が正しい。実家に縋る ことは出来ず、頼れる大人はほとんどおらず、支え合う以外に生き抜く術がなかったからだ。本家の御前様の影に 怯えてはいたが、近所の中学校に転校し、拙いながらも家事をこなすようになった溶子は自信を持てるようになり、 町工場の鉄工所で雇ってもらって自力で金を稼げるようになった鉄人は、ほんの少し大人になれたような気が した。互いに相手が不可欠だと感じつつあったが、恋愛感情には程遠かった。それどころか、恋愛感情を持つのを 敬遠していた。異性として意識しないように努めていたが、それもいつまでも持つものではなかった。
 やり場のない能力と感情の高ぶりを鬱積させながら、鉄人は帰路を辿っていた。職場とアパートは三駅近く離れて いるが、なるべく電車賃を使いたくないので夜道をひたすら歩いていった。同年代の若者が何人も乗り込んでいる 派手な車が通り過ぎると、改造済みのマフラーから吐き出された爆音と排気だけが残った。市街地から離れるほどに 街灯の間隔が広くなり、暗さが増してくる。歩き疲れて乾いた喉に水筒の底に少しだけ残っていた水を流し込むが、 何の慰めにもならなかった。空っぽの水筒をバッグに詰め込み、また歩き出そうとすると、進行方向に人影が 立っていた。街灯に寄り掛かって寂しげに目を伏せているのは、転校先の中学校の制服を着た溶子だった。

「お帰り、お兄ちゃん」

 従兄弟同士であるという設定に真実味を持たせるために、溶子は鉄人をそう呼ぶようになっていた。鉄人は心中で 燻る面倒な感情を誤魔化すために、ぞんざいに返した。

「ただいま。ていうか、なんでこんな場所にいるんだよ。危ないじゃないか」

「うん、そうかもしれないね。でも、その時はアレがあるから」

「あんなもん、他人に使うもんじゃない。俺もだが」

「そうだね。うん、そうなんだけどね」

 溶子は鉄人と並んで歩き出したが、足取りはいつになく遅かった。

「……何かあったのか?」

 鉄人が訝ると、溶子は機械油で汚れた作業着の袖にそっと指を掛けてきた。

「あったといえば、あったかもしれない」

「はっきり言えよ、面倒臭いな」

「うん。あのね」

 溶子は鉄人の袖だけでなく腕を軽く掴みながら、話し始めた。転校先の中学校で、同じクラスの男子生徒から告白 されたのだそうだ。クラスメイトではあったが名前も知らなかったし、男女交際になど興味もなかったので、溶子は 早々に断った。けれど、その男子生徒は食い下がってきて、付き合うまではいかなくてもいいから友達になろう、と 詰め寄ってきた。急に怖くなった溶子は逃げるように帰宅したが、男子生徒は後を追ってくる。帰る方向は正反対で あるはずなのに、同じ通学路を辿って付いてくる。怖くて怖くてどうしようもなくなった溶子は、いっそ地面を溶かして 男子生徒の足を埋めてしまおうか、という考えが過ぎった。

「それで?」

 鉄人が続きを乞うと、溶子は随分筋肉質になった鉄人の腕をぐっと握り締めてきた。

「地面を溶かしはしなかったけど、あんまりしつこく追い掛けてきたから、近くにあった電柱の根本をちょっとだけ緩く したの。そしたら、電柱が傾いて倒れてきて、道路を塞いでくれたの。その男子は何が起きたのか解らないみたい だったけど、やっと諦めてくれたんだけど。あ、その後、電柱は元に戻せるだけ戻してきたの。バランスは変だけど、 ぱっと見じゃ解らない程度だから、たぶん平気なのね」

「何もなかったなら、それでいいじゃないか」

「能力を使っちゃったこと、怒ったりしない?」

「怒ったりはしない。けど、そのせいで本家の御前様に見つかったとしても、自己責任だろ」

「……うん」

 溶子は小さく頷き、鉄人の腕から手を離した。何事かと鉄人は立ち止まり、振り返る。

「溶子?」

「この力があれば、本家の御前様なんかどうにか出来ちゃうんじゃないのかな? ううん、出来るよね?」

「お前、何考えているんだ。そんなこと、出来るわけが」

「出来るよ! しようとしないだけでしょ、お兄ちゃんも、私も!」

 溶子は声を張り、拳を固めた。鉄人はしばらく迷ってから、言い返した。

「俺達の力なんて、使いようがないじゃないか。増して、俺達みたいなのが力を振るって戦ったところで、結果は どうなるか目に見えているじゃないか。それこそ、生きられる場所がなくなっちまうだけだ。だから」

「このままでいいの? 本当にいいの? ねえ、お兄ちゃん? 本家の御前様に見つかっちゃったらまた逃げるの?  逃げてばかりいなきゃいけないの? 悪いことなんかしていないのに、どうして私達ばっかりこんな目に遭わなきゃ いけないの!? 戦おうって思わないの!?」

 自分の言葉で高ぶったのだろう、溶子の握り締めた拳が崩れ、滴った。両手の違和感に気付いた溶子はすぐさま 能力を制御し、アスファルトに滴り落ちた手首から先を元の形に戻したが、怒りで頬が紅潮していた。

「俺だって、どうにかしたいって思っちゃいる。けど、まだその時じゃない」

 鉄人は両手を元通りに戻した溶子の腕を取ると、足早に歩き出した。

「さっさと帰るぞ。で、今日の夕飯は何だ」

「カレー。またドロドロになっちゃったけど」

「消化が良くなっただけだ。どうせ味は変わらない」

 申し訳なさそうな溶子の表情を視界の隅に捉えながら、鉄人は迫り上がる激情を必死に堪えていた。戦えるもの なら、とっくの昔に戦っている。本家の御前様に命じられた滝ノ沢かすがによって奪われた、母親、ゆづるの遺骨を 取り戻すために、忌部の御前様にさせられた弟、次郎を因縁から解放するために、溶子を守るために、自分自身を 救うために。だが、こんなにも半端な能力では何も出来ない。だから、もっと大人になって強くならなければ。
 無意識のうちに能力が漏れていたのだろう、握り締めていた溶子の腕の感触が変わった。鉄人がはっとして手を 離すと、鋼鉄と化していた溶子の腕は徐々に元に戻ったが、溶子は何も言わなかった。それどころか、鉄人が制御に 失敗したことを慰めてきた。やるせなさが心中を戒め、腹の底で抑え込んでいたものが凝固した。
 どうせ戦うなら、自分が徹底的に戦ってやる。







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