南海インベーダーズ




ザ・ストラグル・ウィズイン



 鉄人も溶子も、強くなろうとした。
 次の日から、二人は訓練じみたことをやり始めた。だが、最初から高度なことをしても上手くいくはずがないので、 なるべく簡単なことから始めた。鉄人は柔らかいものを鋼鉄に、溶子は硬いものを液体に、その加減を覚えるために 色々なものを試してみた。何もかもが手探りで、触れた場所に向ける意識のようなものの強弱を付けることからして 難しかった。それ以前は触れたものは問答無用で変質させてしまっていたので、意識を制御して能力を抑圧する だけでも一苦労で、主に手に意識を集中させられるようになるまでは一年以上も掛かってしまった。漫画やら映画 やらに登場する特殊能力者はいとも簡単に能力を操っているが、彼らもその裏では血の滲むような特訓をしている のだと思うと、妙に親近感が湧いてきた。心のどこかでは、ヒーローの真似事をする自分に自惚れていた。
 狭い風呂の中で、手のひらに汲んだ湯を一握の鉄に変えた。それをまた湯船に入れ、握り締めると、鉄は緩んで また湯としての姿を取り戻した。この練習を始めたばかりの頃は、手のひらに汲んだ湯どころか浴槽の中身を全て 鋼鉄に変えてしまって抜け出せなくなり、溶子の能力で助けてもらったことがある。それを思い出すと随分と成長 したものだと我ながら感心するが、本番はまだまだこれからだ。仕事で疲れた体の奥からやる気を奮い立てながら、 鉄人が風呂から上がると、台所のシンクに縋って溶子がへたり込んでいた。

「具合でも悪いのか?」

「う……うん、ちょっとね」

 溶子は顔から血の気が引いていて青白く、涙目になっていた。鉄人は溶子の背をさすってやる。

「風邪でも引いたのか? だったら、風呂には入らないで早く寝た方が」

「そうする。だから、お風呂のお湯、落としちゃっていいよ。おやすみ、てっちゃん」

 溶子はふらつきながら立ち上がり、寝室にしている和室に向かった。ふすまを開ける手付きも危なっかしく、足元 もおぼつかないので、余程具合が悪いのだろう、と鉄人は心配になった。シンクには中途半端に溶けている屑鉄が 転がっていて、元の形には戻っていなかった。鉄人はその屑鉄を拾い、元の形に戻そうとしたが、溶けた時の形で 固まっただけだった。それを弄びながら冷蔵庫を開け、最近になって良さが解るようになった缶ビールを出して喉に 流し込んだ。居間のカーテンレールには、今年の春から溶子が通い始めた公立高校の制服が下がり、ブラウスは アイロン台の上に放置されていた。アイロンの電源が入っていないので、アイロン掛けをしようとしたところで吐き気 に襲われたのだろう。鉄人は短く切った髪を乾かしてから、アイロンを暖め、溶子のブラウスにアイロンを掛けた。 溶子は学業に忙しいので、自力で出来ることは自分でやるようにしている。今まではあまり意識してこなかったが、 これではなんだか夫婦のようではないか。

「そりゃあ、まあ、うん……」 

 ブラウスを焦がさないようにしつつも独り言を漏らした鉄人は、急に照れ臭くなった。溶子との関係が急に進展した のは、溶子が高校に進学してからだった。それまでは溶子も中学生だったので、そういう感情を抱いてはいけないと 頑なに自分に言い聞かせていた。けれど、溶子が高校に進学した途端、何かが弾けてしまった。お兄ちゃんという 呼び方からてっちゃんという呼び方に変わったのも理由の一つかもしれないし、肉付きが良くなってきた溶子の体が 女らしくなったからかもしれないし、少しずつではあるが能力を操れる自信を得たからかもしれないし、二人だけで 暮らすうちに心の距離が狭まったからかもしれないが、とにかく鉄人は溶子が好きだった。溶子もそんな感じらしく、 何かに付けて鉄人にくっついてくる。普段は制服の下に隠れている丸い乳房や形の良い尻や匂い立つような太股 に何も感じないはずはなく、勢い余ったことは一度や二度ではなかった。数日前に味わったばかりの溶子の温もりを 思い返すと、情欲が疼いたが、溶子の体調が悪いのであれば当分は我慢するしかない。
 シワの伸びたブラウスをハンガーに掛け、カーテンレールから下げてから、鉄人は甘ったるい欲情と抗いがたい 気持ちに浸りきった自分が情けなくなった。溶子を好きになるのは悪いことではないし、精神的な救いを求めている のは否めないし、恋愛感情に逃げることで現実から目を逸らしている節もある。だが、それが本家の御前様の思惑 だと気付いていた。親等は離れていようとも、鉄人と溶子はれっきとした血縁関係にある。親戚のまた親戚程度かも しれないが、本家の御前様を元とする遺伝子を持って生まれている。だから、鉄人と溶子が添うことは、結果として 本家の御前様の思い通りになることだ。本家の御前様が血縁関係にある娘達に手を出して、手当たり次第に妊娠 させるのは、その血を煮詰めるために他ならない。だから、鉄人と溶子の間にもしも子供が出来てしまったら、二人 が家から逃げた意味がなくなるどころか、本末転倒だ。

「大丈夫だよな、きっと」

 どれほど高揚していても避妊具はきちんと付けているし、無謀な行為はしていない。だから、大丈夫なのだと自分 に言い聞かせながら、鉄人は冷めたアイロンとアイロン台を片付けた。溶子に言われた通りに風呂の湯を落とし、 全ての部屋の明かりを消してから、寝室に入った。二つ並べた布団の右側では、溶子は苦しそうな顔をしていた。 鉄人は脂汗が浮いた溶子の額を拭ってやってから、その頬にキスをし、布団に入った。
 翌日、早上がりした鉄人が帰宅すると、高校を早退したのか溶子も帰ってきていた。昨日以上に具合が悪そうで、 思い詰めた顔をしていた。ただいまと言ってから鉄人が部屋に上がると、溶子はぼろぼろと涙を落とした。

「……てっちゃん。どうしよう」

「あんまり具合が悪いなら、いっそ病院にでも」

 鉄人は溶子を抱き寄せると、溶子は鉄人の作業着を掴み、嗚咽を漏らした。

「あ、あのね。先月も、今月も、アレが来ないの。でも、元々不順だったから、遅れるのはいつものことだったから、 違うだろうって思って、そんなわけないだろうって調べてみたの。そしたら、そうじゃなくて……」

 しゃくり上げる溶子の肩越しに見えたのは、テーブルに転がっているプラスチックの棒だった。それが妊娠検査薬 であることは一目で解り、赤い線は陽性だという証拠も理解出来た。だが、頭が追い付かなかった。なぜ、どうして、 そればかりが頭を巡って慰める言葉も出てこない。溶子はしきりにごめんなさいと繰り返しながら、言った。

「あ、のね、てっちゃん。一度、本当に一度だけなんだけど、アレが中で溶けちゃったことがあるの。で、でも、すぐに 中は洗ったし、全部出せるだけ出したから、大丈夫だって思ったの。だけど、そうじゃなかったのね。ごめんね」

 混乱に次ぐ混乱で力が抜けた鉄人が座り込むと、溶子は細い肩を怒らせた。

「堕ろした方が、いいかなぁ……」

 泣き疲れて嗄れた声で呟いた溶子は、今にも溶けて崩れてしまいそうだった。能力こそ辛うじて制御しているよう ではあるが、精神状態が危うすぎていて、これでは一度溶けたら元の形に戻れないかもしれない。鉄人は溶子の 体を支えると同時に能力を使い、崩れそうな部分を固めてやりながら、今一度抱き締めた。
 二人の子供は産まない方が良い。頭ではそう思う。我利からもらった金はほとんど手を付けてないので、産むこと は産めるだろうが、遠からず本家の御前様に目を付けられるだろう。何かしらの能力が芽生え、人生の足枷となる だろう。本家の御前様から逃れられたとしても、周囲の人間に特異性が露見し、迫害されるかもしれない。だから、 この世に産まれる前に手を下してやるべきではないのか。けれど、けれど、けれど。

「俺の子で、溶子の子だろ」

 うん、と溶子が怖々と頷くと、鉄人は奥歯を力一杯噛み締めた。無意識にそれを鋼鉄に変化させたからか、或いは 噛み締めすぎて血が滲んだのかは定かではないが、舌に鉄の味が広がった。汚れた血が成せる業だとしても、 本家の御前様の呪いか何かでそう思い込まされているだけだとしても、溶子が愛しくて気が狂いそうだ。憎むべき 男の血を煮詰めてしまったと解っていても、途方もなく嬉しい。だから、産んでほしい。育ててやりたい。厄介な能力 を持って生まれたのは本家の御前様と戦うためではなく、これから産まれる我が子を守るためではないのか。

「産んでくれよ。だって、俺達の子供じゃないか」

 鉄人は能力を使った弊害で鋼鉄と化した指で溶子の顔に触れると、溶子は決壊した。

「うん、産みたい。だって、てっちゃんの子供だもん!」

 わあわあと泣きじゃくりながら、溶子は鉄人にしがみついてきた。十六歳で妊娠した溶子の不安や恐怖はとてつも ないだろうが、それでも覚悟を決めていたのだ。本家の御前様などクソ喰らえだ。思い通りに生きてやる。溶子と、 その胎内で育ちつつある子供を守るためならば、能力をいくらでも使ってやろうではないか。
 それからしばらくして溶子は高校を中退した。日に日に大きくなる腹を抱えながら、溶子は今までにないほど明るく なった。母親になった覚悟が精神状態にも影響を及ぼしたのだろう、能力の使い方も格段に上手くなり、それまでは 硬いものを液体と化すだけだったが液体にほんの少しだけ生体組織を混ぜて液体そのものも操れるようになった。 最初はボウル一杯の水だったのだが、訓練を重ねるうちに浴槽一杯の水も操れるようになり、調子の良い日では 川を流れる水すらも操れるようになったが、そのためには自分自身の体を全て溶かして混ぜないといけないので、 他人に見つからないように訓練するだけでも一苦労だった。
 鉄人も触れて鋼鉄と化したものに接触している物体に対しても影響を及ぼせるようになり、半径十メートル程度の 地面を固めることが出来るようになり、自分自身の肉体も隈無く鋼鉄に変化させて筋力を強化出来るようになった。 これなら、普通の人間が相手なら簡単に圧倒することが出来ると二人は自負した。無事に双子が産まれてからも、 子供達に隠れて訓練を重ね、能力に振り回されないようになっていった。しかし、突如現れた我利によって双子の 妹、露乃が奪われた時、溶子は動揺しすぎて能力を発揮出来なかった。鉄人も八つ当たり気味に我利を痛め付けた だけで、露乃を攫うように指示をした本家の御前様に何も出来なかった。それまで積み重ねてきた訓練が無意味 だと思い知った二人は、双子の片割れが最初からいなかったことにして、紀乃を育てようと決心した。しかし、紀乃 が十五歳になった初夏、その決心もまた容易く打ち砕かれた。その時もまた能力を行使出来なかった。それどころか、 紀乃がサイコキネシス能力を発現してしまい、ミュータント扱いされ、変異体管理局の局長となっていた本家の御前様 に奪い去られて忌部島に隔離されてしまった。
 今こそ、戦う時が来た。




 紀乃がいない朝は、ひどく空虚だった。
 昨日の段階では、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。車に撥ねられたがケガの程度は軽かったので、 すぐにでも帰ってくるとばかり思っていた。搬送先の病院から連絡を受けた後、入院に必要な着替えや荷物などを 持って溶子が病院に行った時は既に手遅れで、紀乃の姿は病院のどこにもなかった。連絡を受けてすぐに仕事を 早退してきた鉄人は医師や看護師に詰め寄ったが、皆、国家機密に抵触するので言えないとしか答えなかった。 それだけで、紀乃を攫った者達が変異体管理局だとすぐに解った。鉄人はその場では怒りを抑えたが、これ以上は 堪えているつもりはなかった。溶子も同じ気持ちだった。だから、すぐさま変異体管理局に乗り込むつもりだったが、 その変異体管理局から連絡が来た。斎子紀乃は乙型生体兵器に分類されることが決定し、一週間後には忌部島 に派遣することも決定したので、生体兵器の私物を持ってこい、とのことだった。
 攫うだけでは飽き足らず、紀乃を兵器扱いする竜ヶ崎全司郎には怒りを通り越した憤怒が湧くが、変異体管理局 に突っ込んだところで勝ち目がないどころか紀乃を盾にされるかもしれないと思い止まった。それから、一週間後、 紀乃は小笠原諸島南洋に浮かぶ絶海の孤島、忌部島に移送された。次女のみならず長女まで奪われてから半月 後、鉄人と溶子は行動を起こした。それまでの自分を殺し、戦うためだけに生きようと。
 どうせ後がないのだと割り切って、貯金を引き出して即金でアメリカンバイクを買った。長らく欲しかったものだが、 こんな形で手に入れることになるとは。あまり大事には乗れないかもしれないが、その分性能を使い切ってやろう。 ヘルメットを被り、ライダース一式を身に纏い、青春の象徴であるエレキギターを担いだ。家族三人で暮らしていた 借家は、カーテンを閉め切っているせいもあるが死んだように見えた。バイクの鈍い駆動音が、鼓動に重なる。腰に 回されている妻の手は頼りなく、軽く震えていた。ツナギの白いライダーススーツを着てハーフのヘルメットを被り、 表情は隠れているが怯えは隠し切れていなかった。無理もないだろう、極力関わりを避け続けていた本家の御前様 と真っ向から向き合うことになるのだから。

「溶子」

 鉄人は妻のヘルメットを小突くと、バイザーを上げ、笑いかけた。

「大丈夫だ、俺が付いている」

「ありがとう、てっちゃん」

 溶子は敢えて濃い化粧をした口元を綻ばせ、笑い返してきた。

「行くぞ」

 鉄人はハンドルを回してエンジンを噴かし、発進した。早朝の市街地には不似合いな爆音が鳴り響くと、排気の 筋が伸び、アスファルトには黒いタイヤ痕が残る。背中に押し付けられている溶子の胸元からは鼓動が伝わり、 鉄人の鼓動とバイクの振動と混じり合う。目覚めきっていない街を通り過ぎ、変異体管理局の本部である海上 基地を目指しながら、鉄人は奇妙な高揚感に煽られていた。
 露乃のみならず、紀乃まで奪われてしまったのは恐ろしく悔しいが、ようやく能力を行使出来るのだと思うと腹の底 が熱してきた。憎悪と怒りを燃料にしたエンジンじみたものが荒ぶり、なぜか笑い出したくなる。溶子はそうではない だろうし、娘を奪われた悔しさのあまりに頭がおかしくなったと思われかねないので押さえたが。道路を行き交う車の 間を抜け、川崎側の連絡通路の入り口まで到着すると、当然ながら検問に止められた。怪訝な顔で近付いてきた 武装済みの自衛官達に、鉄人は溶子を小突いた。溶子は表情を作り、にゅるりと下半身を溶かした。

「あらぁん、何か御用かしら?」

 鉄人の腰に溶かした下半身を絡み付かせた溶子は、自衛官達に顔を寄せ、赤く塗った唇を上向けた。

「溶かしてほしいんだったら、この人に断ってからにしてくれないかしらね? 私は安くないのよね」

「俺達の邪魔をするんじゃねぇ。ありがたく思えよ、志願してやるんだからよ」

 自衛官の襟元を鷲掴みにした鉄人は、その戦闘服から首筋までを鋼鉄に変化させた。

「ガチガチに固められて海に投げ込まれたくなかったら、とっとと上の連中に連絡しろ。もたつくじゃねぇ」

 鉄人がその自衛官を放り出すと、喉が動かないので声が出せないのか、その自衛官は口を開閉させるだけで声 も息もしていなかった。他の自衛官達は二人に銃口を向けてきたが、溶子は溶解させた腕を一振りして彼らの 自動小銃に絡めると、一瞬で溶かして無用の長物と化させた。悲鳴を上げて飛び退いた彼らに、溶子は笑む。

「答えがないんだったら、先に行くまでなのよね」

「あばよ」

 鉄人はバイクのエンジンを噴かし、車止めに突っ込んだが、バイクが接触する寸前に溶子が溶かしてくれたので 新品のカウルに無様な傷が付かずに済んだ。車止めの残骸が散らばる道路を通り抜け、東京湾の地下を抜ける 連絡通路に入ると、検問の自衛官達が連絡したのだろう、サイレンを鳴らしながら装甲車が向かってきた。バイクの エンジン音を遙かに上回る駆動音がトンネル全体を揺さぶり、ハイビームが二人を照らし出した。白い光が当たり、 二人の背後に長い影が伸びていく。緩やかな坂道の傾斜が次第にきつくなってくるが、鉄人はスピードは落とさずに 一直線に突っ込んでいった。溶子のしがみつく力は強くなり、鋼鉄化させた腹部が少し締め付けられる。排気ガスの 刺激臭が充満した空気が切り裂かれ、ライダースジャケットをばたばたと鳴らす。両者のヘッドライトが真正面から 向き合い、一瞬、逆光でヘルメットのバイザーの視界が奪われる。それが途切れた、次の瞬間。

「そらよっ!」

 鉄人は全身鋼鉄化したことで超重量級と化した己の体重を生かし、大型のアメリカンバイクの前輪を持ち上げた。 同時に飛び出した溶子は液体と化した下半身で、装甲車のフロントから屋根からテイルに至るまでに幅の広い筋を 付けて滑り降りていく。見事に溶かされたアスファルトと金属が融合して滑らかな道を造り出し、鉄人はもちろんその 上を辿って容易く装甲車を乗り越えた。装甲車の後方で待っていた溶子を拾い、再加速して出口を目指した。背後 からは驚愕の声が上がったが、それがどこか心地良かった。遣り甲斐があるというものだ。
 オレンジ色の照明に照らされたトンネルを出て、四角く区切られた真昼の日差しに飛び込むと、またもや装甲車が 待ち構えていた。その前には戦闘部隊が並び、揃って銃口を向けている。装甲車の目の前には、重武装した戦闘 部隊には馴染まない、スーツ姿でメガネの女性が立っていた。鉄人は横滑りさせながら減速し、停止した。

「丁重な出迎え、どうもありがとう」

 鉄人が冗談めかして言うと、溶子は下半身の形を元に戻してバイクの後部座席に立ち、身をくねらせた。

「手荒な真似をしちゃってごめんなさいね。でも、こうでもしないと、ここのお偉い御方にはお会い出来ないって思った のよね。悪く思わないでほしいのよねぇん」

「そうね、それだけは道理かもしれないわね。簡潔に尋ねるわ、あなた達の目的は?」

 後に一ノ瀬真波だという名だと判明するメガネの女性は、険しい目付きで二人を睨め付けた。

「俺達の能力、買わないか?」

 鉄人は鋼鉄と化した拳を曝し、握り締めてみせた。溶子はくすくす笑いながら、夫の首に腕を絡ませる。

「それって、長い目で見ればすっごぉく安い買い物だと思うのよね。でも、半端な額じゃ買えないのよね」

「それはあなた方の能力次第ね。見たところ、あなた方は物質を変質させられるようだけど」

 真波はメガネを少し上げ、裸眼で二人を注視してきた。鉄人は悪ぶった笑みを浮かべる。

「俺達が味方に付けばこの国を守るなんざ朝飯前だと思うぜ。お前らのまどろっこしいやり方じゃ、いつまでたっても 埒が明かねぇどころかインベーダーに付け込まれるだけだ。効率が悪すぎるんだよ、色々と」

「そうよねぇん。ちょっと調べてみたけど、あなた達が使っている生体兵器って、どれもこれも広域攻撃にしか向いて いないのよね。精密な近接攻撃は不可能っていうか、大量破壊しか出来ないんじゃ、肝心な作戦で失敗しかねない のよね。だから、私達みたいなのが必要かと思って、わざわざ来てやったのよね」

 溶子は悩ましげに身を捩り、濃い口紅を塗った唇をうっすらと開いた。鉄人は海上基地を顎で示す。

「だが、俺達を使ってくれねぇってんなら、俺達にも考えがある。そこのデカブツをぶっ壊してやる」

「造るのは大変かもしれないけど壊すのはとっても簡単なのよね。私がこの基地の支柱とか土台をとろとろにして、 うちの人がちょっと引っぱたけば、ぐぅらぐら。んふふ、エキサイティングでしょ?」

「前金の内訳を聞こうかしら」

 真波は一切臆せずに歩み寄ってきたので、鉄人は声を張った。

「そうだな、前金で一億! それも一人分でだ! そいつを一括で払ってくれるってんならいいぜ!」

「端金ね、安いものよ。こちらに来て頂けるかしら、御両人。でも、その前にお名前を窺っておくわ」

 真波の問いに、鉄人は答えた。

「虎鉄だ」

「芙蓉なのよね」

 溶子も答えると、真波はそれ以上言及はせず、戦闘部隊に退却を命じて歩き出した。鉄人、もとい、虎鉄はバイクの エンジンを緩めると、真波の後を追っていった。とりあえず、変異体管理局に入ることは出来たが問題はこれからだ。 生体兵器として正式に採用されたわけではないし、竜ヶ崎全司郎に正体を見抜かれる可能性も高い。こちらの 思惑を悟られぬよう、兵器然として生きなければならない。十三年前に奪われた次女、露乃がいるかもしれない のだから。もしも露乃がいたとしても、何も感じなかったふりをして過ごさなければならない。今、ここにいるのは 娘達を奪われた親でもなければ復讐に燃える人間でもない、超常の存在、生体兵器なのだから。
 鉄人と溶子は死んだ。そして、虎鉄と芙蓉が生まれた。





 


11 6/27