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ハマは恋えているか



 そして、横浜中華街。
 山下公園沿いに歩いていき、東側に位置する朝陽門をくぐった。今日は平日ではあるが、学生は春休みの最中 だからということもあるからだろう、客層が全体的に若かった。だが、それはあくまでも人外と連れ立っている人間達 の顔触れから判断したものであり、顔形を見ただけでは解りづらい人外達の年齢層までは把握していない。人間達 は自分の友人がそもそも人間ではなかったという事実を知っているのか、知っていたとしてもそれを自覚しないよう になっているのか、ごく普通に接している。笑い合っている。言葉を交わしている。それもまた世界征服による影響な のだと思うと、暗黒総統ヴェアヴォルフが用いた魔法の威力の凄まじさを感じさせられる。と、同時に、人間達の 間近で息づいていた人外の数の多さも痛感する。人ならざる者の世界は、人間が思い描いているよりもずっと身近 に存在していたものなのだ。だが、今の今まで、誰もそれを認めようとしなかっただけだ。
 人間と人外が入り乱れる雑踏の中から、禍々しささえある原色で彩られた街並みを見上げる。至る所に赤と金が 施され、中華料理店の看板には龍が絡み付いている。その店先では、中華まんや小籠包を蒸している蒸し器から 良い香りの湯気が漂っている。料理にふんだんに使われている紹興酒の独特の甘みのある匂いに、八角、杏仁、 花椒、鬱金などの香辛料の香りが混じっている。そして、これでもかと売られているパンダグッズ。

「うげえ」

 人型昆虫の体には香辛料の匂いが厳しかったのか、カンタロスは触角を下げて項垂れた。繭はカンタロスの背 を軽く叩いて励ましてやりながら、中華街を見渡した。みなとみらいからはそれほど離れていないのに、異文化が 凝縮された空間は異世界のようだ。それが物珍しく、眺めているうちに口が半開きになってしまった。

「なんか、凄いなぁ……」

「移民街ってぇ、どこの世界でもそんなに雰囲気は変わらないですぅ」

 ハリネズミまんを早々に買い込んできたミイムは、どうぞですぅ、と一つずつ配ってくれた。ヒエムスと由佳の後に 繭にも渡されたので、繭は礼を言いながらハリネズミまんを受け取った。揚げ立てなので熱々で、手のひらサイズの 小さな揚げまんじゅうだった。薄い紙ナプキンに包みながら囓ってみると、歯応えは軽く、まんじゅうと言うよりも揚げ パンのような食感で、中には甘いカスタードクリームが入っていた。

「月に出来ちゃった街も、大体こんな感じですぅ。あれはぁ、宇宙怪獣戦艦とかぁ、都市型移民船とかぁ、生体攻略 要塞とかをくっつけていって街っぽい形になった場所だからぁ、それぞれの船に乗っていた人達の文化やら何やら がごちゃ混ぜなんですぅ。小さなトラブルはありますけどぉ、なんとかなってますぅ。んー、おいしいですねぇ」

「そうですわねぇ。月には原住民はいらっしゃいませんでしたけど、文化と文化が正面衝突した挙げ句に融合しつつ あるのはとても良く似ておりますわね。行き着いた先で生き延びてやろうという、生命力に溢れているところも」

 ヒエムスはハリネズミまんを食べ終えると、紙ナプキンで唇に付着した揚げ油を拭った。

「あとぉ、移民街の近くにスラムがあるのもぉ、どこの世界でも変わらないですぅ。ボクもそういう場所に売られたこと が何度かありますけどぉ、馴染み方さえ解れば結構居心地も良いものですよぉ。気取らずに済みますからぁ」

 しれっととんでもないことを暴露したミイムに、繭は訝った。

「あの、ミイムさんってどういう経歴なんですか……?」

「ざっくりと説明いたしますと、貴種流離譚のようなものでしてよ」

 ヒエムスはにこやかに教えてくれたが、その笑顔はあまりにも出来すぎていた。ミイムの笑顔も同様だ。つまり、 あまり深く突っ込むべきではない話題ということだ。二人の気分を害するべきではないので、繭はこれ以上この話題 を引っ張らないことにした。繭が他人に言えない秘密を抱え込んでいるように、皆、何かしらの秘密がある。

「それはまあ、それとして」

 ハリネズミまんを食べ終えた由佳は、中華街の通りを指した。

「チャイナドレスをレンタルして写真を撮れる場所があるんだ! 良かったら、行ってみない?」

「え、あ」

 チャイナドレスには魅力を感じたが、写真を撮られるのか。繭は答えあぐねるが、ミイムははしゃいだ。

「色鮮やかで艶々した布に綺麗な刺繍がしてあるドレスのことですねぇ、行きますぅー!」

「良いお考えですわね、由佳さん。参りましょう」

 ヒエムスも乗り気になったが、繭は困り果てた。そんなことをして何になるんだろう、どうせカンタロスは何の服を 着てもノーリアクションだし、そもそもチャイナドレスなんて似合うとは思えないし、写真を撮られるのも恥ずかしい し、と繭は否定意見が頭の中で渦巻いたが、口に出せるわけがなかった。カンタロスをそっと窺うと、カンタロスは まだ気分が悪そうだった。すると、インパルサーが繭を覗き込んできた。

「御心配なさらず、繭さん」

「え」

 何を、と繭が聞き返す前に、インパルサーはカンタロスを指した。

「カンタロスさんは体内に内蔵されている人工頭脳に無線通信装置を設置されておりませんが、僕のセンサーでは 彼の単純明解な電子パルスはとても簡単に読み取れますので、カンタロスさんがメモリーの少ない記憶中枢の中に 目一杯繭さんの画像を保存していることも感知しています。ハッキングは僕の本領ではないんですけど、カンタロス さんの電子的セキュリティがあまりにもザルだったので思わず。なので、繭さん、安心して下さい」

「ぬあぁああああっ!」

 と、唐突にカンタロスが奮起してインパルサーを突き上げた。背中に猛烈なアッパーを食らったインパルサーは、 大きく弧を描いてから地面に激突する、かと思いきや空中で身を反転させてからブースターを噴出し、衝撃を軽減 させて着地した。熱波が過ぎ去ってから、インパルサーは文句を言った。

「何するんですかぁ! 今の攻撃で翼の塗装がちょっと剥げちゃいましたよ、確実に!」

「デタラメぶっこいてんじゃねぇぞ、ガラクタがぁ!」

「この僕が嘘なんか吐けますか、吐けるわけないじゃないですか、由佳さんの前で!」

「そんなこたぁどうでもいいんだよ、勝手に俺の頭ん中に入り込んで好き勝手すんじゃねぇよ!」

「好き勝手ってほど暴れ回っていませんよ、イレイザーでもあるまいし。たとえるならば、開きっぱなしの窓から家の 中をちょっと覗いてしまったレベルです。通りすがっただけです。つまり、それほどまでにザルだったんです」

「誰が猿だ、俺は王の中の王だ!」

「言語プログラムをインストールしておいた方がよさそうですね。というか、セキュリティの甘さといい、プログラムの 少なさといい、カンタロスさんって未完成のままで起動してしまった生体兵器ですか? 遠隔操作するシステムすら まともに作動しないんですから、これじゃ繭さんとの意思の疎通が上手くいかなくて当たり前ですよ。情緒の発達が 鈍いのは、カンタロスさん御自身の性格なんでしょうけど。それにしても、いい加減な作りですね」

 ねえ繭さん、とインパルサーに同意を求められたが、繭は少し迷ったが言い返した。

「そのままで、いいと思います」

「あ?」

「えっ」

 カンタロスに凄まれ、インパルサーに不思議がられたが、繭はぎこちなく顔を上げた。

「だって、カンタロスはカンタロスだから。それと、あんまり心配してもらわなくても大丈夫ですから。カンタロスのこと を一番解っているのは、私だけですから」

「だってさ。パルもその辺にしておきなよ。仲良くしなさい、はい命令」

 由佳はインパルサーが殴られた部分に触れ、撫でてやった。

「それと、塗装がちょっと剥げたぐらいで、あんたの格好良さが減るわけないでしょ。気にしすぎ」

「えっ、あっ、はい、了解しました」

 インパルサーは由佳に敬礼すると、カンタロスに向き直って深々と礼をした。

「由佳さんがそう仰るのであれば、仕方ありません。というわけで、和平交渉と行きましょう」

「いらねぇよ、そんなもん。俺の女王に構わなきゃ、それでいいんだよ。喰えねぇ人形になんか興味ねぇ」

 カンタロスは爪先に付いた青い塗料を払ってから、複眼に繭を収めた。独占欲の固まりとしか言いようがない彼の 言葉に、繭は一気に頭に血が上ってしまった。けれど、カンタロスはそういう意味合いで言ったつもりはないらしく、 由佳に早く先へ進めとせっついてきた。繭はミイムとヒエムスに支えられ、茶化されながらも、なんとか歩いた。
 目的地である複合商業施設、横浜大世界に辿り着いた頃には気分は落ち着いていた。カンタロスは繭の服装には 興味はないが、繭を気に掛けてくれているのは確かだと解ったので、チャイナドレスを着る意味があるかもしれない と思えるようにもなっていた。二階にある写真館に行き、撮影プランを決めてチャイナドレスを選んだ。
 由佳が選んだのは鮮やかな青の裾の長いチャイナドレス、ミイムが選んだのは危ういほど丈が短い白のチャイナ ドレス、ヒエムスが選んだのは子供用の濃いピンクのチャイナドレス。由佳は髪飾りと羽根扇子もレンタルし、ミイム によって髪型を整えられて外ハネの髪も上手くまとまっていた。ミイムは細長い赤の羽根のストールをレンタルして、 サイコキネシスを用いて浮かばせながら身に纏わせていたので、マフィアの愛人のような妖しさがあった。ヒエムス は薄い茶髪の巻き髪を両サイドで高く結んで丸め、お団子にした髪に牡丹の髪飾りを付けていた。
 そして、繭はといえば、悩みに悩んだ末に黒の膝丈のチャイナドレスにした。由佳の好意で髪飾りと羽根扇子を 又貸ししてもらい、写真を撮ってもらった。写真館のスタッフに四人揃って写真を撮ってもらったが、さすがにプロの 腕前だけあって写りは良かったものの、繭だけは表情が硬かった。写真に撮られることに慣れていないせいだ。

「はあ……」

 恍惚として由佳を見つめていたインパルサーは、両手でマスクを押さえて排気を漏らした。ため息だ。

「由佳さんはなんてお美しいんだろう……。いつも素敵ですけど、普段と違う服装でまたその魅力が……」

「褒められて悪い気はしないんだけど、褒め殺しみたいなもんだからなぁ。パルのは」

 少し照れた由佳に、繭は羨望を交えて言った。

「ちゃんと服を見てもらえるだけでも充分じゃないですか」

 えー、そうでもないよ、と謙遜なのか自慢なのか測りかねることを言う由佳の横顔を見ていたはずが、繭の視線 はその下方へと向いた。幼さが抜けきらない童顔との落差が激しい、大きな胸が青い布地を丸く押し上げていた。 先程まではダウンベストを着ていたのであまり目立たなかったのだが、体形が如実に表れるチャイナドレスを着る と嫌でも目に付く。見るからに重たそうで、柔らかそうで、女性としての魅力が溢れている。対して、自分はどうだ。 繭は目線を下げてみるが、自分のつま先も腹部もすんなりと見通せた。あまりにも、ささやかだからだ。

「見られすぎても困るんだけどねー。あたしだって人間だから、気が抜ける時だって一杯あるしさぁ」

「それは解ります。解ってしまいます」

「んで、パルがあたしを喜ばせてくれようとして事ある事に御菓子を作ってくれるのはいいんだけどね、実際喜ぶし。 でも、そのせいで体重がさぁ。足なんかこれだもん、これ。繭ちゃんの倍ぐらいあるかもしんないよ」

 由佳は片足を上げ、深いスリットを割って健康的な太股を覗かせた。だが、素足ではない。事前に用意していた ストッキングを履いている。繭もそのストッキングのスペアを貸してもらい、ミイムはヒエムスから強く言われて渋々 下着とストッキングを履いていた。つまり、ヒエムスに下着を履かされるまでミイムの下半身は剥き出しだったという ことになるのだが、相手は人外なので驚くべきではない。人間の常識が通用しないからこそ、人外なのだ。

「似合っておりますかしら?」

 ヒエムスは小首を傾げて巻き髪を揺らし、青い瞳を瞬かせてミイムを見上げた。ミイムは奇声を発してヒエムスに 飛び付く、かと思いきや、その場で固まってしまった。色白なほっそりとした腕と、二次性徴を迎える前の少女でしか 持ち得ない絶妙な曲線を持つ足が、露出しているからだ。ロリータドレスは肌をほとんど隠す服なので、ヒエムスの 体のラインはたっぷりとした布地に包み込まれている。だが、チャイナドレスは違う。体に沿うデザインの服なので、 膨らむ兆しが僅かに訪れている胸元と、それと並行して子供らしさが失せてきた腹部のなだらかなラインが白日の 下に曝されている。図らずも男心をくすぐられ、ミイムは目線を彷徨わせる。

「ミイムママはよくお似合いですわよ。ストッキングもちゃんと履いて頂けましたし」

 ヒエムスはミイムに近付き、満面の笑みを浮かべる。ミイムは少し躊躇ったが、笑顔を返す。

「うにゅうん」

「それで、私はいかがですの? お答え下さいまし」

 ヒエムスはミイムの手を取り、じっと見つめてくる。ミイムは手の甲に重ねられた小さな手の温かさと、少女だけ にしか許されない甘い香りを感じ、普段は自覚しないようにしているものが徐々に膨れ上がってきた。が、保護者 としての立場を貫くために理性で押し殺してから、ミイムはヒエムスに笑顔を返した。

「とおってもよく似合ってますぅ! ひーちゃんは何を着ても天使ですぅ、お姫様ですぅ!」

「あれもあれで大変なんだな」

 離れた位置から撮影会を見ていたカンタロスは、触角を曲げて、ミイムのホルモンバランスが変動したことで発生 した匂いを絡み取った。インパルサーはヒエムスとじゃれ合うミイムを見つつ、頷く。

「それはどこの世界でも、誰であろうとも、変わりのないことですよ」

 撮影会が終わったので、繭は着替えるために更衣室に向かった。ホックを外してから背中のファスナーを下げ、 黒のチャイナドレスを脱ぎながら、繭は内心で恥じ入った。カンタロスの外骨格と同じ色のチャイナドレスに決めた 自分と、彼がその色の意味に気付いてくれないかと期待してしまった自分にだ。だが、インパルサーも由佳の着た チャイナドレスの色の意味に気付いているかどうかは怪しかったので、インパルサーが気付けないことにカンタロス が気付けるはずもないのだと思い直した。どうせ、期待するだけ空振りするのだから。
 この後は、待ちに待った昼食だ。




 朱塗りの円卓は、料理の皿に埋め尽くされた。
 格安で時間無制限で食べ放題の中華料理店に来たのだから、何を食べてもいい、と由佳が言ったので、繭は その通りにした。してしまった。女王の卵を胎内に植え付けられているせいで食欲が止めどない体になっている ことと、気疲れして消費した体力を取り戻したいのとで、手当たり次第に注文してしまったからだ。
 蒸し鶏、ピータン、焼き豚、フカヒレスープ、サンラータン、北京ダック、トンポーロー、四川風麻婆豆腐、酢豚、 卵と海老の炒め物、ホタテ貝のXO醤炒め、エビの蒸し餃子、小籠包、チーズ春巻き、あんかけチャーハン、担々麺、 焼きビーフン、五目焼きそば、杏仁豆腐、マーラーカオ、桃まん、ゴマ団子、ココナッツムース。

「……え、あ」

 次々にやってくる料理の大群に目を丸めていた由佳は、円卓を覆い尽くした皿の大群に圧倒された。

「これ、全部、繭ちゃんが食べるの?」

「物理的に不可能では……?」

 インパルサーも戸惑ったが、ミイムとヒエムスはノーリアクションで自分の料理を食べていた。

「むーちゃんはもっと食べますぅ」

「そうですわ。アウトゥムヌス御姉様のお腹には、ワームホールが開いておりますもの」

「あ、えっと」

 由佳から注がれる視線を受け、繭は照れ臭くなりながらも下腹部を押さえた。

「た、食べるのは私じゃなくて、その、お腹の……」

「えっ? え、ええ?」

 由佳は顔を引きつらせ、繭とカンタロスを見比べた。

「女王の卵に養分を回すには、いくら喰っても足りるわけねぇだろうが」

 カンタロスは人外向けに薄味にされている肉まんを囓り、二三回咀嚼しただけで嚥下した。

「えぇ!?」

 がたっと椅子を鳴らして後退り、由佳は身動いだ。

「だったら、なんでもっと繭さんを大事にしてあげないんですか! それでもあなたはお父さんなんですか!」

 インパルサーは腰を浮かせてカンタロスを指したが、カンタロスは空になった器を押しやり、次の皿を取る。

「うるせぇな。そんなの俺の知ったことじゃねぇ」

「繁殖しただけで父性が目覚めるってものでもないですぅ」

「繁殖しなくても父性がお目覚めになる場合もありますけれど、それは稀ですわね」

 やはりノーリアクションで、ミイムは肉団子の甘酢和えを、ヒエムスはカニ玉を食べ続けている。

「も、もうちょっと驚こうよ、ね」

 由佳は二人の反応の薄さにも戦慄していたが、ミイムは悠長にジャスミンティーを傾ける。

「ボクの種族ではぁ、父親ほど影が薄いものもないですぅ。女尊男卑だからですぅ」

「繁殖相手の傍にいるだけ、まだマシですわよ。物の本に寄れば、受精させただけでさっさと逃げるオスも多いそう ですわ。その場合はメスが大きくて強いから、というのもありますけれど」

 水餃子のスープを味わってから、ヒエムスも淡々と述べる。

「新たなカルチャーショックだ……」

 由佳はやけに神妙な顔をして椅子に座り直し、呟いた。インパルサーも座り直し、マスクを押さえる。

「ええ、由佳さん……」

「その、なんて言ったらいいのか解らないけど、でも、うん。繭ちゃんが幸せなら、それでいいよ」

 自分なりに納得した由佳は、言葉を選び抜いて繭を労ってきた。五目焼きそばを食べ終え、繭は箸を置く。

「ありがとうございます。えと、その、頑張ります」

 以前に他の誰かにも、カンタロスの卵を頑張って産んで、と励まされたことがある。しかし、それをどこで誰から 言われたのかが思い出せないのが歯痒かった。かすかに覚えているのは、第三帝国と思わせる装飾が目立つ レトロな喫茶店と、シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテの味だけだった。
 注文した料理を平らげ、デザートとお茶でお喋りを楽しんでから、中華料理店を後にした。繭はいくつかの料理 の味が気に入ったので、メニュー表を写真に撮っておいた。後で作り方を調べて、自分で作るためだ。中華料理店と 同じ味が出せるほどの腕前と設備はないが、新しい料理に挑戦するのは楽しいからだ。だが、満腹まで食べた直後 によこはまコスモワールドに行くと色々な意味で厳しいので、落ち着くまで中華街を観光しながらお土産を買おう、と 話していると、繭の視界の隅からひらひらしたものが遠ざかった。
 ヒエムスだった。トイレにでも行くのだろうか、だとしたら誰かに断ってから、と繭はヒエムスを引き留めようとする が、ヒエムスは余程急いでいるのか雑踏の間に消えていった。目を離せば、すぐに見失ってしまう。繭は僅かばかり 逡巡したが、ヒエムスを追い掛けた。迷子になってしまったら、見つけるのが大変だからだ。人混みの中でも目立つ ロリータドレスを見失わないように気を付けながら、繭はふと思った。
 なぜ、彼女を追ってしまったのだろう。





 



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