Metallic Guy




第十六話 オーバー・ヒート



優しく湯気を上らせている卵雑炊が盆に載せられて、リビングテーブルに置かれた。
あたしの予想通りだ。その湯気の匂いは、コンソメだ。
お椀の隣に置かれているのもレンゲでなくてスプーンだから、確実に洋風だ。あたしは好きだ。
柔らかな黄色の中央にちょんと乗せられているのは万能ネギだけど、まぁ問題はないだろう。
料理をしている間に機嫌の戻ったインパルサーは、いつものようにフローリングに正座していた。
あたしはスプーンを取り、卵雑炊をすくう。

「いただきます」

口の中に入れると、まずコンソメの味がする。そして、卵。
薄味だけど、ちゃんと味がある。この感じは、たぶん。

「ねぇ、お醤油入れたの?」

「入れました。コンソメを殺しては元も子もないので、色づけ程度ですが」

と、パルは頷いた。よし、今度はちゃんと隠し味が解ったぞ。
あたしが食べる様を見ながら、彼は少し首をかしげる。

「おいしいですか?」

「当然!」

飲み下してから、あたしは頷く。これがおいしくないわけがない。
冷めないうちに食べてしまうべく、スプーンを進める。幸せだ。
それは良かった、と、インパルサーは言うと、ふとどこかを見上げた。

「このパルスは…確か」

「何が?」

「由佳さんの携帯電話です。色々届いてるみたいですよ」

と、インパルサーは天井を指した。どうやら、あたしの携帯が受信した電波を感じていたらしい。
あたしが立ち上がる前に、彼は先に立ち上がって取りに行ってくれた。何もそこまでしなくとも。
しばらくすると、ストラップを指先に引っかけて、パールホワイトの携帯をぶら下げたパルが戻ってきた。
それを卵雑炊の入った盆の隣に置き、すいっと差し出してくれた。あたしはそれを受け取る。

「ありがと」

「たぶん、鈴音さんからじゃないでしょうか」

「昼休みになったからねー」

そう返しながら、ぱちんとフリップを開く。パルの予想通りだ。
メールを受信しています、と手紙をくわえたハトのキャラクターが、液晶画面に表示されている。
あたしはメールボックスを開いて受信したメールのアドレスを見たが、それはちょっと意外だった。
一通は当然鈴ちゃんで、お大事に、とのことなのだが、もう一通は。

「神田君だ。そういやあ、電話番号と一緒にメルアドも教えてあったっけ」

平べったいボタンを爪先で押し、内容を見る。
神田らしい簡素な文章で、これだけだった。

迷惑でなければ、電話してもいいかな。

今までどんな用件でもメールで送ってこなかったのに、わざわざメールする辺り結構な用件だ。
あたしはとりあえず、いいよ、とだけ一言書いて返信した。送信して数十秒後、携帯が鳴り出した。
電子音のジャスカイザーのOPが、流れ続ける。電話って、すぐだったのか。
あたしは隣のパルがちょっと気になったけど、この際仕方ない。通話ボタンを押し、耳に当てる。


「はーい」

「悪い、美空。こんな時に。調子悪かったら切るから」

多少気落ちした神田の声。あたしは今は朝よりまともなので、こう返事をする。

「今は大丈夫だから。それより、なんか用事があるんでしょ?」

「ああ。運動会んとき、オレとインパルサーが借り出されたの覚えてるか?」

「うん。で、そのあとすぐに神田君帰っちゃったよね。さゆりちゃん、寂しそうだったよ」

「悪いことしちゃったなぁ…まぁ、その借り出されてるとき、ちょっとインパルサーに聞いてみたんだ」

「パルに?」

あたしには、話が見えなかった。神田の声が、少し変わる。

「インパルサーは美空を、人間を好いたことを後悔しないのか、って」

神田は、少し笑った。

「そしたら、笑ってこう返しやがった。僕が由佳さんに出会って後悔することなんて、何一つありません、とさ」

あたしはつい、フローリングに座るパルを見た。
彼は何も言わず、レモンイエローのゴーグルにあたしを映していた。
神田は続ける。

「最初から、これからもずっと、だとさ。それ聞いたら、ちょっと自信がなくなっちゃってさ」

「自信て…神田君の?」

「ああ。オレなんかがそんなに思われてる女を、思ってていいのかってさ。まぁ、だからって帰ることもなかったけど」

ちょっと、神田の声が上擦った。照れくさいらしい。

「色々考えて、覚悟を決めた。オレはインパルサーに何一つ勝てやしないけど、勝てないなりに足掻こうってな」

なんだ、これは。いきなり男らしいぞ、葵ちゃん。
あたしはちょっと戸惑ってしまった。神田は照れくさくて仕方ないのか、声の調子がおかしくなる。

「また自信が戻ったら、いや、自信が付いたら」



「オレは真っ向から、美空に告る」



「じゃ、お大事に」

と、最後に付け加え、神田は切ってしまった。
あたしは電話が切れたことを確認してから、ゆっくり携帯を下ろした。なんか、凄いことになっている。
神田に何があったんだ。こんなことを神田から言われたのって、初めてだ。
ナイトレイヴンに乗るようになったせいか、いや、それだけじゃないかもしれない。
頭の整理が付かない。自信ってなんだよ、あたしはそんなに価値のある人間じゃないよ、葵ちゃん。
どうしたらいいのかさっぱり解らないし、今度顔を合わせるときにどう接したらいいのかも解らなくなりそうだ。
インパルサーは、あたしから目を逸らしてはいなかった。たぶん、神田の話も聞こえていただろう。
ヒューマニックマシンソルジャーの感覚は、人間とは桁違いだから。

「覚悟と自信、ですか」

パルは拳を握り、こん、とスカイブルーの胸に当てた。

「葵さんも、戦士ですね」

「神田君が?」

「ええ。ですが葵さんの場合は、僕らのように誰かを傷付けるために戦う戦士ではなくて」

彼の太い指が広げられ、軽く自身の胸板を押す。

「自分自身と、自分のために戦っている戦士ですが」

あたしには、よく解らない世界だ。戦士の世界、男の世界ってやつだったりするんだろうか。
とりあえず頭を整理する前に、せっかくおいしいので、冷める前に卵雑炊を食べてしまうことにした。
さっきよりもちょっとは温くなっていたけど、それでもおいしい。パルの料理だから。
コンソメの優しい味を噛み締めながら、あたしはソファーに転がした携帯を取った。
鈴音からのメールに返していなかったからだ。でも、さっきのことは書けないし言えないだろう。
ごめんよ、鈴ちゃん。あたしも鈴ちゃんに、言えないことが出来てしまいました。




昼の分の薬を飲むと、切れかけていた効果が戻ってきてくれた。
今さっき計った体温は、まだ三十七度台だった。ちゃんと下がるまでは、もう少し掛かりそうだ。
やっぱりいくら探しても冷却シートはないので、あたしはまたパルにくっ付いていた。これしか方法がないのだ。
インパルサーはもう慣れてきてはいたが、それでもゴーグルの色はオレンジだ。
だけど放っておくとまた赤に近付いてきてしまうため、その度にあたしはちょっと離れて、赤が薄らぐのを待つ。
あたしはパルの胸板に当てていた額を外し、その部分にぺったり付いた脂に気付いた。汗、かいたもんなぁ。
それをパジャマの袖で拭っていると、インパルサーが見下ろす。

「どうかしましたか?」

「お風呂入りたいなーって思って。熱、三十七度台だけどもう大したことないし」

「なら、入れてきましょうか?」

と、インパルサーは片手を挙げてお風呂場の方を指した。
あたしはちょっと身を引き、体を傾けてみた。よく見ると、他にも多少汚れがあるように見える。
とりあえずそれを擦ってみても、簡単には取れない。
しばらくそうしていると、不思議そうにインパルサーはあたしの手元を見下ろす。

「何してるんですか?」

「パルってお風呂入らないもんねぇ」

薄い汚れをごしごしやりながら、あたしは目の前の彼を見上げた。

「洗ってあげようか?」

「は…?」

上擦り損ねたような声を洩らし、インパルサーは首をかしげた。
間を置いてから、あたしをまじまじ見つめて呟いた。

「由佳さんが、僕を、ですか?」

「うん」

あたしは頷く。あたし以外に誰がいる。
しばし呆然としていたが、インパルサーはずるっと身を引いた。フローリングが擦れちゃうぞ。
彼の胸に体重を掛けていたあたしは、ずり下がってしまったが、引き離されないように肩アーマーを掴む。
ずいっと近寄ってから今一度パルを見上げると、パルはがばっと顔を逸らした。

「ですが、僕は、えと…」

単語を発しながら、ゆっくりと彼はこちらへ向き直った。
あたしがそのマスクに指を当てると、固まってしまった。なんて解りやすい。
オレンジのゴーグルの奥で、少しだけサフランイエローが強くなっている。色が似ているから、少ししか見えない。
マスクの下の表情はどうなっているのか、ちょっと気になったけど、この状態では開きそうにない。
パルは深呼吸するように、一度胸を上下させた。背中の翼の角度も、ちょっと上がる。

「いけませんよ」

「何が。ただ、あたしがパルをお風呂に入れるだけでしょ」

「とにかく、いけないんです!」

語気を強め、パルはあたしに迫った。



「イッセンを越えていないダンジョが、一緒にオフロに入るなんてことは!」



予想はしていた。
だけど、実際に言われると気が抜けてきた。
彼はゆっくり息を吐いてから、あたしを見据える。真剣だ。

「確かに僕はマシンですけど、その、一応はれっきとした」

「誰が一緒に、なんて言ったの」

あたしは、呆れてしまった。主語を抜いたような言い方をした、あたしも悪いのだけど。

「今度調子の良いときに、洗ってあげようかなって。イヌみたいに」

「イヌですか?」

拍子抜けしたように、インパルサーは呟いた。
あたしは頷く。

「そう、大型犬みたいに。だから、あたしと一緒ったって、ちゃんと服は着るに決まってんでしょ」

「なら、いいんですけど」

ふう、と安心したようにインパルサーは肩を落とした。何を考えてたんだか。
もうちょっと遊んでみようと思い、あたしは笑う。

「でもどうしてもと言うなら、今一緒に入ってもいいけど?」

「え」

一瞬、パルから素のような声が出た。いや、実際素なのかもしれない。
あたしは彼から体を離して、横目に見てみた。ぽかんとしたまま、へたり込んでいる。
ゆっくりと手を挙げて敬礼してから、やっと聞き取れるくらいに小さい声で呟いた。

「…ご命令と、あらば」

「冗談よ」

「そうですか」

それなりに期待していたのか、どこか残念そうにパルは手を降ろした。期待するなよ。
あたしはインパルサーにもそれなりに下心があったという事実が、ちょっと不思議な感じがした。
機械の体でも、そんな感覚があるとは。これも、予測外に生まれた恋心のせいなのかな。




お風呂といっても、体調が優れないのだからシャワーだけで済ませた。
つい髪も洗ってしまったので、さっさと乾かさなくてはならない。これ以上風邪を悪化させたくはない。
リビングに戻ってドライヤーを使い、髪を乾かしていると、インパルサーがなにやらまたキッチンにいた。
よくもまあ、次から次へと料理を作るなぁ。あたしにはそこまで出来ないので、感心してしまう。
黄色い卵液が、たっぷりとボウルに満ちている。あの色は、確か。

「プリン?」

「よく解りますね」

洗って水気を拭いたプリン型が六つ並べられ、その中にお玉にすくわれた卵液が注がれる。
背後のオーブンが温まっているので、蒸し焼きのものだろう。よくやるなぁ、ホント。
インパルサーはオーブンの蓋を開いて、中にプリン型を並べた金属製の盆を入れた。
ばたん、とオーブンを閉じてから、彼はあたしに振り返った。

「これはまだ作っていなかったし、消化にも良さそうなので。好きですか?」

「大好き」

あたしは即答した。甘い物の中でも、一番好きだ。
理由を挙げればキリがないけど、卵も好きだからかもしれない。
あたしの答えにインパルサーは安心したのか、リビングへやってきた。エプロンを外し、ソファーに乗せる。
彼はついでに、先程まであたしがくるまっていた毛布をふわりと広げて折り畳む。

「出来上がって冷えるまで時間が掛かりますけど、それまでどうします?」

「今はそんなに眠くないしなぁ」

朝方あれだけ眠ったのだから、当然といっちゃ当然だ。調子も良くなって、大分まともになってきた。
あたしが考えあぐねていると、パルはふとテレビへ顔を向けた。
その上には、崩壊せずに微妙なバランスで置かれている、てるてる坊主があった。が、彼の視線はその下だ。
ビデオデッキに、すいっと手が向けられた。

「ジャスカイザー、見ます?」

「なんでそうなるの?」

「いえ、前に一度前編だけ見ましたよね、愛しのエンプレス。後編はまだでしたよね」

「そういえば…」

そう言われて、あたしは思い出した。随分前に、前編だけ見ていた気がする。
うろ覚えだけど、ジャスカイザーとエンプレスの悲恋だったような。記憶が定かではない。
だけど、ストーリーを覚えていないわけではない。印象が強かったし、結構面白かった。
インパルサーはもう一度、見ますか、と尋ねてきた。何の気なしに、あたしは頷いていた。




騒々しいジャスカイザーのOPだけは、熱の残っている頭にはきつかった。
だけどそれ以外はそうでもなく、戦闘シーンも前編よりは大人しめだし、心理描写が多くてスローテンポだ。
ジャスカイザーの三十三話、愛しのエンプレス・後編のあらすじは、こんな感じだ。
一度はエヴィロイドから元に戻ったものの、エンプレスにはまだエヴィロイドが寄生していたのだ。
エンプレスがジャスカイザーからもらったパーツの中で、エヴィロイドは回路に偽装し、潜んでいたのだ。
修理のために基地へ戻った二人は入念に調べられたけど、そのパーツだけは調べられなかった。
パーツはエンプレスの体ではないから気付かない、ということらしい。ちょっと無理がある気がするけど。
案の定、その中で傷を癒したエヴィロイドが溢れ出し、またエンプレスに寄生した。
今は、その直後だ。

基地の中で大暴れするエンプレスの体からは、ごっつい武器がばんばか出ている。
水色の髪の少女、ナナエオペレーターによれば、エヴィロイドが彼女の性能を引き上げているとのこと。
だからあんな、無茶苦茶な姿になっているらしい。筋が通るようで、通らないようで。
ジャスカイザーを元にして作られたエンプレスの性能は高くて、他のロボットでは太刀打ち出来ないようだ。
今し方、サンダードリラーがボロボロにされた。しかも出撃した直後。ホントに、扱い悪いなぁ。
格納庫を破壊し尽くしたエンプレスは、カイザーガード基地の動力炉へ向かっていった。
両腕から巨大な銃を生やし、それを引き摺るように。

「止まれぇ!」

通路の側壁を破って、ステッカーごてごての真っ赤なオフロードカーが現れた。これは確か、アウトロードだ。
変形したアウトロードはチェーンをびしりと張り、にやりと笑う。悪役みたいだ。

「ようよう姉ちゃん、いい暴れっぷりじゃねーか。惚れちまいそうだぜ。だがここは、オレのダチのシマでね!」

アウトロードの姿に、エンプレスは止まる。
息も荒く、彼女の両腕の銃身からは少し煙が出ていた。
直後、構えられた二丁の銃をアウトロードはチェーンで絡め、ぐいっと下へ向けさせる。

「ちぃとヤキ入れさせてもらうぜ!」

アウトロードのチェーンが過熱する。真っ赤になって、エンプレスの銃身も赤くなる。
だが、チェーンの絡んでいた部分だけ切り離されて、拘束を逃れる。エンプレスは銃を振り上げた。

「避けて!」

彼女の悲痛な叫びも空しく、アウトロードは乱射を全て受けてしまった。
揺れたチェーンが、ずしゃりと画面の手前に落ちる。その後ろに、アウトロードは倒れる。
通路を塞ぐように横たわるアウトロードへ、エンプレスは銃口を向けていた。その目は、震えている。
アウトロードは起き上がらない。銃口の奥に、光が集まる。

エンプレスが撃つと思われた瞬間、何かが真上から降ってきた。



「ジャスティーッシールドォォォーッ!」


銃口から放たれた凄まじいビームが、直前に降ってきた金色に輝く盾に阻まれた。
ビームは弾かれ、消える。盾の前にジャスカイザーが降ってきた。天井には、大穴が開いている。
ジャスカイザーは盾の後ろへ顔を向け、声を上げる。

「生きているか、アウトロード!」

画面斜め下に、アウトロードのカットが入る。立ち上がろうとしたが、崩れ落ちた。

「ギリって感じ…? スチャラカ正義野郎、てめぇの彼女はとんだじゃじゃ馬だな…」

「そこで大人しくしていろ!」

ジャスカイザーは、エンプレスへ叫ぶ。

「私の彼女は、私が止める!」


ジャスカイザーを前に、エンプレスは涙を堪えていた。
その両手は、ぎりぎりと上げられてジャスカイザーに向けられていた。
だがジャスカイザーは動くこともせず、ただ真っ直ぐに、彼女の銃口を見据えていた。

「エンプレス」

「ジャスカイザー…」

顔を上げたエンプレスは、はっと目を見開いた。
銃身が再生し、ぎゅっと伸びてジャスカイザーの胸元を押していたのだ。
ジャスカイザーは、真剣な顔をして動かない。



ここでCMが入る。
カッコ付けたポーズのジャスカイザーが、一言。

「撃帝、ジャスカイザー! 私の彼女は宇宙一!」

隣でパルが、ぽちりとリモコンを押した。
おもちゃのCMやらが早送りされ、さっさと後半になる。
その前に、また絵が入る。今度はエンプレスだ。
モデル立ちでにっこり微笑み、投げキッスまでしている。サービスしすぎだ。

「撃帝、ジャスカイザー! 私の彼も宇宙一!」

バカップル全開だ。ていうか、シリアスな話なのにこんなの挟んでいいんだろうか。
あたしは、ちょっと面食らってしまった。それでいいのか、ジャスカイザー。



緊迫した場面が、続いていた。
ジャスカイザーは青い目を強め、拳を強く握った。
しんみりした口調で、落ち着きを失ったエンプレスに語りかける。

「エンプレス。私の、せいだな…。私があの時、エヴィロイドを浄化し切っていれば…」

「違う、違うわジャスカイザー! あなたのせいじゃないわ!」

エンプレスは、必死に叫ぶ。

「私が弱いから…」

「君は弱くはないさ、エンプレス。現に、まだ意識を保っているじゃないか。悪いのは、全て…」

ばっと顔を上げたジャスカイザーは、光を放ち始めた拳を突き出した。

「エヴィロニアスだぁ!」



「浄めの輝きよ、我が拳に宿れ! カァイザァァァー、ナァックル!」

ジャスカイザーの必殺技、カイザーナックルが発動した。
といっても、いちいちそれを発動するシーンが挟まる訳じゃなくて、発動しっぱなしってことらしい。
白く輝く拳を放つが、どれもエンプレスはかわしていく。掠りもしない。
それどころか、ジャスカイザーは押されている。ついには追いつめられて、シールドに背中をぶつけた。

「くっ!」

大きく銃を振り上げたエンプレスは、その先からじゃきんと刃を飛び出させた。
ぎらついた刃先が、ジャスカイザーのパトライトが変形した胸元に向かう。そういえば、こいつはパトカーだっけ。
だがパトライトに剣が突き刺さる前に、ジャスカイザーは横へ逸れ、勢い良くエンプレスを抱き留めた。
両腕を下ろさせながら、握り締めたカイザーナックルをエンプレスの背に当てる。光の波紋が、広がる。

「エンプレス…」

抱き締める腕の力を、ジャスカイザーは強めた。その腕に、電流が走る。
彼の背には、先程の剣が突き立てられていた。つまり、傷を負う覚悟でエンプレスを止めたのだ。
エンプレスはエヴィロイドが浄化されてきたのか、次第に表情が穏やかになっていく。ジャスカイザーを抱き返す。

「ごめんなさい。私が、あなたを愛さなければこんなことには…」

ジャスカイザーは首を振る。
優しい笑顔で、泣き伏せるエンプレスを見下ろす。

「君が私を愛してくれて、私も君を愛した。素晴らしく幸せなことじゃないか」

「ええ」

エンプレスは、目を細めた。

「ジャスカイザー。そうかも、しれないわね…」

その目の光が、薄らいでいく。

「もう、ボディが持たないわ。AIを保つのも、限界…だから」

身を乗り出し、エンプレスはジャスカイザーに深く口付けた。
ロボット同士なのに、やけに色っぽい。
エンプレスは目を潤ませながら唇を放し、微笑んだ。

「私のメモリー、あなたにあげる。忘れたりしたら、承知しないんだから」



「ありがとう。愛しているわ」

エンプレスはジャスカイザーの胸にずり落ち、呟いた。

「ジャス、カイ…ザー」



エンプレスの目から、光が消える。機能停止したのだ。
胸元からずしゃりと剣が抜けたジャスカイザーは、自分の上で動かなくなったエンプレスを見つめる。
ゆっくりとその傷だらけの細い体を抱え、肩を震わせた。

「エンプレス…」

目を伏せたジャスカイザーは、ついっと涙を流した。

「礼を言うのは、私の方だ」

背後のシールドが倒れたかと思うと、アウトロードがそれを蹴り飛ばしていたのだ。乱暴な。
彼はジャスカイザーとその腕の中のエンプレスを見、表情を歪める。
他のロボット達もやってきて、二人の周囲を固めた。
その中心で、ジャスカイザーは涙を流しながらエンプレスの息絶えた顔を見、呟いた。

「忘れることはないさ。君の、ことなんだから」


「ありがとう、エンプレス」

ジャスカイザーは、もう動かないエンプレスを抱き締めた。

「私も君を、愛しているよ」



シーンが切り替わり、夕焼けの海岸線になる。
砂浜にいたカラーリングの派手なパトカー、ジャスカイザーは変形し、振り返った。
その先には、オレンジ色の髪のひらひらした格好をした少女、アヤカが立っていた。

「ここにいたのね」

「アヤカ君」

ジャスカイザーはアヤカから目を外し、夕陽にきらきら光る海を眺めた。
アヤカはジャスカイザーの前に出、彼を見上げる。

「ジャスカイザー。エンプレスさんは、幸せだったと思うわ」

「ああ、私もそう思うよ。私も、幸せだった」

ジャスカイザーは笑み、アヤカを見下ろした。

「これからも、ずっとな」


しんみりしたBGMが続き、画面が暗転した。
EDが始まり、スタッフロールが流れていく。
あたしは話の展開に飲まれてしまい、呆然としながらそれを見ていた。
やばい。このままじゃ、あたし。
止めようと思ったけど、無理だった。目元がじんわり熱くて、拭ってもダメだ。
堪えようとしても余計にダメで、ボロボロ涙が出てくる。たかがアニメと思っていたのに。
パジャマの袖で拭ってから顔を上げると、インパルサーがあたしを見ていた。

「泣けますよね? 救いがありませんけど、それがまた余計に来るんですよ」

そう言うインパルサーのマスクにも、冷却水の筋が付いていた。
ぼたぼた落ちていて、ゴーグルの下辺りから胸元までびっしょびしょだ。また号泣している。
あたしは頷いた。今喋ったら、変な声が出てしまう。
なんとか深呼吸してから、パルを見る。

「エンプレスがぁ」

案の定、妙に上擦った声が出た。あたしは涙を押さえながら、息を吐く。

「ジャスカイザーカッコ良すぎぃ」

「ですよね!」

身を乗り出したインパルサーは、がしりと拳を握る。もう泣き止んだようだ。
その後ろで、じゃこん、とビデオが止まった。彼はそれをケースに入れながら、くるっと振り返った。

「他の話もいいんですよ、由佳さん!」

「いや、そんなに気力ないし」

あたしはようやく止まってきた涙を拭きながら、彼を見上げた。

「風邪だもん」



今更思い出したように、頭痛が戻ってきた。ああ、まだちょっと痛い。
熱は大分失せてきたけど、まだちょっと痛みだけが残っているのだ。
いつのまにかプリンは焼き上がっていたようで、オーブンレンジは止まっていた。
インパルサーはそれに気付き、ダイニングキッチンへ向かっていった。オーブンが開けられ、甘い匂いが漂う。
毛布にくるまったまま、あたしは深呼吸を繰り返す。まさかあそこまで、ジャスカイザーが泣けるとは。
だけど、別にハマッたわけじゃないぞ。ただ、面白かったってだけだ。うん。


だけど。

パルがジャスカイザーを好きになったのも、なんとなく解ったような気がした。







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