Metallic Guy




第十六話 オーバー・ヒート



ジャスカイザーの話が、頭の中をぐるぐるしていた。
あんなに濃くてインパクトのある話だとは、思っていなかったのだ。なかなか消えない。
やけに色っぽい二人のキスシーンだとか、エンプレスの最期だとか、はっきり焼き付いてしまった。
あれから熱は上がらないし頭痛も弱くなってはいたけど、また眠くなってきていた。薬のせいかも。
ベッドから見上げるあたしの部屋の天井は、朝よりも大分明瞭だった。熱が下がってきた、証拠だ。
寝返りを打って掛け布団に縋ると、その動きに合わせてマリンブルーの手が動いた。あたしの額から、離れない。
少し上へ目をやると、インパルサーはあの忠誠ポーズで座っていた。やりづらそうな姿勢だ。
首を少しかしげ、パルはあたしの様子を伺う。

「眠れませんか?」

「ちょっとね」

あたしはちょっとだけ、インパルサーの手に体重を掛けた。きしり、と軽く関節が鳴る。
ジャスカイザー、侮りがたし。ていうか、あんなもん風邪引いてるときに見るんじゃなかった。
今夜、夢に出そうだ。ジャスカイザーとエンプレスの、凄まじすぎる愛が。あれはもう、ラブなんてもんじゃない。
ついでに、神田の話も思い出された。妙に頭に残る出来事ばっかりだ。
次第に体温が移って温くなり始めたパルの手が、くるりと裏返された。丁寧なことだ。
まだ冷たい手の甲が、ぺたりとあたしの額に当てられる。

「ねぇ、パル?」

「なんでしょうか」

「なんで、あんたまで学校休んだの。別にこれくらい、一人でも大丈夫なのに」

そうあたしが尋ねると、パルは笑う。

「こういうときに近くにいないなんて、あんまりにも薄情ですし。それに、これもハナムコシュギョウですから」

「まだそれ、言うの?」

「言いますよ。なるって決めたんですから」

こちらに振り向いたパルのゴーグルに、あたしが映る。冴えない顔だ。
マリンブルーのマスクに付いていたはずの傷は消えていて、元に戻っている。これがセルフリペアかな。
花婿は、マジな夢だったのか。やっぱり乙女チックだ。
インパルサーは、窓の外へ顔を向けた。飛行機雲が、薄青い空を切り裂いていた。

「好きな方とずっと一緒にいられるなんて、凄く素敵なことですから」


あたしはいつか彼が破った窓を見、ふと思った。
パルは、唐突に宇宙からあたしの部屋に降ってきた。マスターコマンダーの、意図するままに。
彼らは地球生まれじゃない。元々、他の惑星の文明から、マスターコマンダーの手から生まれたものだ。
人間みたいなロボットだけど、ロボットであることに代わりはないし、何も知らない人からすれば脅威かもしれない。
今はそれこそ、マリーさんが行ったであろう情報操作で怪しまれていないけど、いつか彼らの正体がばれたら。
弾こそ抜いてあるけれど、強力な兵器を体に仕込まれた、暴走する可能性がある戦闘ロボットだと知れたら。

一体、どうなってしまうんだろう。

嫌な想像ばっかりが駆け巡った。あたしはちょっと、泣きたくなった。
そんなことはないと思いたい。だけど、ないとも言い切れないし、現に杉山先輩のような人もいる。
皆が皆、鈴ちゃん達みたいに真っ向から彼らの人格を認めてくれたら、どれだけいいだろう。
でも、そんなに理想通りには、上手いことにはならないだろう。それが、人間ってやつだから。


「由佳さん?」

影を感じたので顔を上げると、パルがあたしを覗き込んでいた。
心配げな手付きで、あたしの額に手を当てた。

「どうかしましたか?」

「なんでもない」

あたしはそう返し、寝ようと思った。だけど、そう簡単には眠れない。
色々と考えてしまったから、目が冴えてきちゃったようだ。
インパルサーの見慣れたマスクフェイスが、すぐ近くにある。あたしがマスクに触れると、彼は身を乗り出してきた。
マリンブルーとスカイブルーの二色に塗られた腕が、どん、と顔の脇に置かれる。マットレスが、少し揺らいだ。
あの機械油の匂いに混じって、僅かながら甘い匂いも混じっている。ちょっと、不思議な感じだ。
パルの首辺りに手を当てたままにしていると、少しそれが動いた。


こん、と。

軽く、額に冷たい硬さがあった。


眉間のすぐ上に、滑らかなラインのマリンブルーが当てられていた。
マスクは、開かれていない。
パルが立ち上がって身を引いたので、あたしは手を放した。
窓からの逆光で、陰った中に目立つレモンイエローが、綺麗だ。


「それでもまだ、一線越えてないって言うつもりなの?」

と、あたしは茶化してみた。パルは顔を逸らす。

「…どうでしょうか」


今まで散々当てていた彼の装甲と同じ感触なのに、やけに残っていた。
あたしは額の真ん中辺りをごしごしやってみたが、同じことだった。ただ、当てられた場所が違うだけなのに。
前に一度だけキスをしたのはあたしからだし、今までは寸止めというか、未遂だった。
もしかして。いや、もし、なんてない。
間違いなく。

あたし達、進展している。

近頃、やたらにあたしはパルにべたべた触っちゃってることも、微妙に進展した影響なのかもしれない。
彼からはほとんど触ってこないというか、必要時以外は、常に一歩くらいの距離が開いている。
その半端な距離感を埋めようとしているのはパルじゃなくて、あたしだ。間違いなく。
なんであたしは、こんなにも、彼との距離を埋めたがっているんだろう。
距離感を埋めたい理由が、解っているようで、実はよく解らない。自分のことなのになぁ。
ふと気付くと、インパルサーはあたしに背を向けていた。あらぬ方向を見ている。
背中に備えられた二枚の翼と、それを挟むように付けられた三本のブースターが、ぎらりとしている。

「あの」

「ん?」

「その、僕はまだ」

くるっと振り返ったパルは深呼吸してから、あたしを見下ろした。

「僕はまだイッセンを越えたとは思っていませんし、あれは、その!」

「マスク越しだから?」

「はい!」

勢い良く頷き、インパルサーは敬礼した。
相当に照れくさいのか、またゴーグルの色がオレンジだ。今日はほとんどこの色じゃないのか。
あたしはその必死な姿が可笑しく思え、笑ってしまった。

「なら、そういうことにしとく?」

「しておいて下さい」

敬礼していた手を降ろし、インパルサーは顔を両手で覆った。がくんと項垂れる。
指の間からオレンジを覗かせながら、小さく呟く。

「お願いですから」

「了解」

あたしはベッドから上半身だけ起こし、軽く敬礼してみた。
顔から片手を外したインパルサーは、ふう、と安心したように肩を落とす。背中の翼が少しへたる。
あたしは今度こそ眠くなってきたので、毛布を被った。横になってから彼を見ていたが、目を閉じた。
考え事の続きは、今はするべきじゃないと思う。今は。




目が覚めると、すっかり窓の外は薄暗くなっていた。
頭ももうほとんど痛くないし、お腹も普通に空いてきている。うん、これでこそ自分の胃だ。
レースカーテンの向こうに見える空は西日に赤く染まっていて、枕元の目覚まし時計を見るともう五時過ぎだ。
ぐいっと背筋を伸ばすと、丸めていた背筋がばきりと鳴ってちょっとうるさい。肩も鳴る。
テーブルの上にちょこんと横たわる体温計は、きっとパルが置いたのだろう。わざわざ持ってこなくても。
あたしはベッドから降りて手を伸ばし、ケースから体温計を抜いてスイッチを入れ、腋の下に挟んだ。
ベッドに座ってぼんやりしていると、ドアが開いた。見ると、パルが何か持っている。
その手にある小さい器にぽこんと乗せられた、柔らかそうな黄色い台形に、てろりとカラメルが伝っている。
インパルサーは銀色の小さなスプーンを添えた器をテーブルに置き、あたしを見下ろす。

「プリンが冷えましたから、持ってきました」

腰に手を当てて胸を張り、声を上げる。

「お母様に食して頂いたら良かったとのことですので、どうぞ!」

「あ、ちょっと待って。熱計ってるから」

あたしは空いている方の手で、体温計を指した。ちょっと残念そうに、インパルサーは頷いた。
数分後、小さく電子音が繰り返された。あたしはそれを出し、彼に見せる。

「下がったから、明日はもう大丈夫だと思うよ」

「三十六度七分、ですか?」

「うん。あたし、平熱はちょっとだけ高いからこれでいいの」

そう返してから、あたしは体温計のスイッチを押し、切った。

「逆に鈴ちゃんは低いんだけどねー。真冬に手ぇ握られるとビビるもん、マジで」

体温計をケースにしまってから、プリンの器を手に取る。見事に蒸し上がったプリンが、あたしを待っていた。
あたしはそれをスプーンですくい、食べてみた。よく冷えていて、つるんと入る。
ふんわりした甘さにカラメルが丁度良くて、苦すぎない。病み上がりには、丁度良い。
あたしは半分くらいあっという間に食べてしまってから、パルを見上げる。

「おいしいよぉ」

「それは良かったです」

と、満足げにインパルサーは頷いた。あたしも幸せだ。
残り半分を食べながら、一階が少し騒がしくなっていることに気付いた。二人が帰ってきたらしい。
足音をさせないままやってきたクラッシャーは、ひょいっと開いていたドアから顔を覗かせる。

「インパルサー兄さん、おねーさんと進展したー?」

「だからなんでいっつも聞くんですかぁ! しかも僕ばっかり!」

いきなり言われて照れくさいのか、インパルサーは若干高い声を上げた。
クラッシャーはにやにやしながら口元に手を添え、上目に兄を見る。

「妹心だもーん。それにぃ、一番進みそうなのってインパルサー兄さんだけなんだもん」

「お願いですからあんまり聞かないで下さい、ヘビークラッシャー…」

げんなりと肩を落としたパルに、クー子はにじり寄っていく。

「なんでなんでー? 私ぃ、わっかんなーい。教えてお兄ちゃあん」

「由佳さぁん…」

困り果てた様子で、パルはあたしに振り向いた。いや、だからなんであたしなの。
ませ過ぎているクー子の問いに答えられないのは、あたしも同じなのに。ていうか、言えるわけない。
インパルサーとクラッシャーの押し問答は、なかなか終わりそうになかった。
廊下の方をちらりと見ると、情けなさそうな顔をして涼平が項垂れていた。止めきれなかったらしい。
頑張れ、弟よ。あたしも頑張らなきゃだけど。




翌日。
あたしの体調はすっかり元に戻っていたので、ちゃんと登校していた。
昨日の電話のことがあるせいか、少し後ろをマウンテンバイクを押して歩く神田は、あたしを正視しない。
逆にインパルサーはあたしの調子が良いのと、また学校に行けるから喜んでいる。対照的だ。
ちょっと前を、涼平とクラッシャーが小競り合いのような言い合いをしながら進んでいる。よくやるよ。
なんとか真正面を見て歩くイレイザーの隣を、さゆりが無表情で歩いていた。相変わらずだなぁ。
神田は妹の姿とあたしを見比べてから、ふと思い出したように言った。

「そういやぁ、昨日の訓練の時だったかなぁ」

「何かあったの?」

あたしが尋ねると、神田が頷く。

「ああ。飛行訓練のついでに着陸もやっとこうと思って河川敷に降りたら、サッカー部の部長がいてさ」

それを聞いた途端、あたしは一瞬ぎょっとした。それ、杉山先輩だ。
神田はよく解らない、といった顔で首を捻る。

「いきなりナイトレイヴンを貸せ、ってさ。最初は断ったんだけど、あんまり食い下がるもんだから…」

「貸したの?」

「五分だけ。つっても、五分も持たなかったよ。三十秒ちょい、コントローラー付けただけでアウト」

と、神田はマウンテンバイクのハンドルに体重を掛けた。

「簡単には出来ない、って何度も言ったのになぁ。何したかったんだろうなぁ、あの人」

「あたしはその理由、なんとなく解る」

何か姑息なことをしようとしてるに違いない。そう直感した。
神田は意外そうな目をした。まさか、あたしが知っているとは思っても見なかったんだろう。
しばらく進んで横断歩道に付くと、さゆりはイレイザーから離れ、軽く手を振る。

「いってらっしゃい」

「行って参るでござる」

と、多少気恥ずかしげにイレイザーは返し、頷いた。さゆりは満足げに、少し笑った。
信号が青になり、小学生達はさっさと渡っていってしまった。あたし達も続く。
河川敷から流れてきた弱い風が冷たく、すっかり秋の空気だった。




しばらく歩くと、高校の校門が見えてきた。
いつもならばまばらに通っているはずの生徒の数が、ちょっと少ない。というか、早足だ。
校門の前に立って昇降口の方を見ると、何か少し空気が違う。人だかりのざわめきが、ちょっと低い。
すとん、と軽く校門に乗ったイレイザーは身を乗り出して、呟いた。

「…悪趣味な」

「ああ。えげつねぇや」

校門の内側に寄り掛かっていたリボルバーが、腕を組んでいた。
ぎしりと奥歯を噛み締め、吐き捨てる。かなり苛ついているようだった。

「しょーもねぇことしやがって」

「全くです」

と、インパルサーは頷いた。何が、一体どうなってるんだろう。
しばらくあたし達が突っ立っていると、鈴音が小走りにやってきた。あまり表情が冴えない。
彼女は長い髪を揺らしてあたしの前に立ち止まると、昇降口を指す。

「由佳。病み上がりになんだけど、ろくでもないことになってんのよ」

「いや、だから何が?」

さっぱり話が見えない。神田も同じようで、変な顔をしている。
鈴音は腕を組み、ため息を吐いた。

「百聞は一見に、よ。とにかく、見てみてよ」


鈴音に引っ張られるように、あたし達は昇降口へ向かった。
この騒ぎの元凶は昇降口の中のようなのだが、人が多いせいであまり奥が見えない。
人だかりの手前で、ディフェンサーが腹立たしげに拳を握っている。それを、律子が宥めていた。
律子はあたしに気付くと、駆け寄ってきた。

「美空さん!」

「オレ達は、何もしてねぇのに!」

ぎりぎりと握った拳を、ディフェンサーは自分の手のひらにぶつけた。


昇降口の窓ガラスに、かなり拡大された写真が四枚、ポスターのようにしてべったりと貼り付けられていた。
右からリボルバー、インパルサー、ディフェンサー、イレイザーだった。ちゃんと番号順だ。
内側ではなく外側に、しっかりとガムテープで四隅を固定されている。
元はあまり大きくない写真を無理矢理拡大したのか画質は悪く、色もちょっと掠れている。
で、その写真の上に、太い黒マジックで。


馬鹿馬鹿しい落書きがされていた。


説明するのも鬱陶しいくらい、馬鹿馬鹿しいのだ。幼稚というか、なんというか。
眉毛にメガネに鼻毛に目、三段重ねのとぐろ、まぁいわゆるアレとか。もうごっちゃごちゃに。
背後で突っ立っているインパルサーは、はぁ、と深くため息を吐いた。うん、あたしも嫌。
イレイザーは間近で見たせいか変な笑いを浮かべ、顔を逸らした。
特にひどいのがリボルバーで、弟三人に比べて書き込まれ具合が違う。赤は真っ黒だ。
すると、昇降口の中からマリーが出てきた。浮かない表情をしている。
彼女は、ごきげんよう、と言ってから、昇降口の中を示す。

「裏は更に凄まじいですわよ。ご覧になります?」

昇降口の中に入ったあたしは、表に負けず劣らず書き込まれたその内容に目を疑った。
だがそれは、間違いなく。
彼らの写真の裏に、書いてあったのだ。



機械は機械。

間違っても、人ではない。

似た形をしていても、それはただの無機。

惑わされてはいけない。

奴らは人ではない。

間違っても、人ではない。

脳髄を持たず、腸を持たず、血肉を持たず、魂も持たぬ、金属塊。


無機なのだ。


直ちに、機械は人の真似事を止めろ。


これは警告に過ぎない。

警告を破るならば、以後の平穏は保証しかねる。




正義の使者




定規を使ったみたいな角張った文字で、四枚に渡って書かれていた。
内容からして、いわゆる脅迫文だ。
正義の使者、の下に英語とも記号とも付かない、ロシア語みたいだけどそれとも違う文字が並んでいた。
インパルサーは上から下までじっくり眺め、やれやれ、と首を振った。

「怒る気すら失せました。精神攻撃を狙ったのでしょうが…慣れてますから」

リボルバーは苛立った表情のまま、じっとその裏面を睨んでいた。

「暇なんだろうや。きっとな」

「手の掛かったことをしたものでござるな」

不意にイレイザーが呟くと、ディフェンサーは肩を落とす。

「めんどっちいことになってきやがったなー…」

「近頃は、これといって目立ったことはしておりませんのに」

マリーは頬に手を当てていたが、両手を体の前で組む。
でかでかとした文字の脅迫文を眺めていた鈴音は眉を顰め、リボルバーを見上げる。

「単純に考えて、これは挑発よね」

「ああ」

ばしん、とリボルバーは手のひらに拳をぶつける。表情は、不機嫌そのものだ。
ゆっくり肩を上下させてから、くるりと背を向ける。通学カバンを持ち、歩き出した。
階段へ向かいながら、彼は吐き捨てた。

「それも、下らねぇ類のな」

しばらくじっと張り紙の裏を睨んでいた神田は、深く息を吐いた。握っていた拳を、開く。
階段を昇っていくリボルバーの後ろ姿を見送ってから、神田はあたし達へ振り返る。

「下手に動いたら相手の思う壺…ってことになるのかな」

「いい答えですわ、葵さん」

僅かに微笑み、マリーは頷いた。

「ですがこれは、戦略とは少しばかり勝手が違いますわ」


悲しかった。

あたしは怒るより前に、それが先立った。
インパルサーは、機械じゃない。生きている。
彼は確かに戦うために生まれたロボットだったけど、今は違う。
あたしは元より、皆が好きなのも、学校が好きなのも、この世界が好きなのも近くにいればよく解る。
だけど、上手くまとまらない。言葉にしようとしても、説明しようとしても、明確に出てこない。
混乱しているんだ。あたしは。


彼らを、否定されたことで。



「慣れています」

インパルサーが、呟いた。

「ですが僕は、悲しいです」


穏やかな声が、ざわめきを静めた。
ぎしり、とインパルサーが手を広げた。その手が、あたしに向けられる。
ローファーのつま先をじっと見ていたあたしの視界に、マリンブルーが入った。

「由佳さんが悲しむ様を見るのは、その数十倍ですけど」

あたしが顔を上げると、インパルサーが頷いた。

「あなたが悲しむ必要はないんです。これらの言葉は、僕らに向けられたものですから」

「馬鹿ぁ!」

思い切り、叫んでしまった。
一度溢れた感情は、押し止めることが出来なかった。

「全部あんたらが背負う必要こそないの! あんたはあたしの友達で、ボルの助達も友達で!」


「友達を悪く言われて、悲しくないわけがないでしょうが!」


こくん、と律子が頷いた。
肩を震わせて泣くのを堪えている律子の肩に、鈴音が手を置く。
あたしはパルの胸を、殴り付けていた。

「あんたはいっつも、いっつも…全部一人で背負って、全部一人で受け止めようとして…」

彼のマスクフェイスが、初めて無表情に見えた。

「辛いなら辛い、嫌なら嫌って、言ってもいいの!」


だけど、インパルサーは何も言わなかった。
あたしの手を胸から離させて、また、頷いただけだった。
始業時刻が近付いてきたからなのか、集まっていた生徒はばらけて教室へ向かっていった。
あたしはその中に突っ立って、動けなかった。周囲の音が、遠い。
インパルサーは軽く敬礼し、それでは先に、と教室へ向かっていった。弟達も、それに続く。
なぜ、パルはそこまでするんだろう。ただ優しいだけじゃ、あそこまで出来ない。
ぼんやりしていると、鈴音があたしを見下ろしていた。ぽんぽん、と軽く頭を叩かれる。
その後ろで、律子が硬く手を握り締めている。開け放たれた昇降口のドアをちらりと見たけど、目線を落とした。
鈴音のすらりとした手が、軽くあたしの肩に置かれた。パルの頑固さの理由がなんなのか、思い出した。
あたしは目の前の鈴音を見上げ、なんとか声に出した。

「守るつもりなんだよ」

「ブルーソニックが、由佳に言いそうなことだよね」

多少気落ちした声で、鈴音が返す。あたしは頷く。

「でもそれは敵だけじゃなくって、全部から、こういうことからも守る気なんだよ。パルは」

「ボルの助もね。大した根性よ、ホント」

と、鈴音は呟いた。早々にリボルバーが立ち去った、階段を見上げた。
律子はあたし達を見ていたが、握っていた手を解いて、軽く組み直した。

「ディフェンサー君、大丈夫かなぁ…。一人で、教室行っちゃった」

「一人じゃないだろ。イレイザーも一緒だから」

ズボンのポケットに片手を突っ込み、神田が呟く。いつもより、大人しい。
その右手に巻かれたクロムメッキのコントローラーを、彼は睨んでいた。
あたしは神田がいつになく真剣な顔をしていることに気付いた。戦っているのかな、神田は。
校門側を、マリーがじっと見ていた。ドアが直角に開け放たれているため、あの張り紙は見えなくなっていた。
ふわふわした金髪に横顔を隠したまま、彼女は少し笑う。

「このマリー・ゴールドに、カラーリングリーダーに挑むなんて、なんて愚かしいことでしょう」

振り向いたマリーの笑みは、いつになく硬かった。
柔らかく波打つ金髪の向こうでエメラルドの瞳が細められ、薄暗い中で目立つ。
頼りなく思えるほど小さめな手が、ニットベストに被われた控えめな胸に当てられ、握られた。

「そちらがその気なら、受けて立ちますわ。仕掛けたのはそちらであることをお忘れなく、正義さん」


軽い足音を残して、マリーは階段を昇っていく。
あたしは鈴音に急かされたけど、足が進まず、動けなかった。彼女は、先に行ってしまう。
神田は振り返ることもしないまま、さっさと一人で行ってしまった。
仕方なしにあたしが歩き出すと、律子も俯いたまま後に続いて、階段へ向かう。
皆の上履きのゴム底が床に当たる耳障りな音が、規則的に続いて、廊下の壁に反響していた。


途中、階段の踊り場であたしは足を止めた。

薄汚れた大きな窓に切り取られた向こうの、広い空には。



雲一つなかった。







04 5/20