鬼蜘蛛姫




第三話 妄念は撚り合う



 八重山から無事下りた白玉は、人目を気にしつつ人界に向かった。
 魂のみで活動することなど生まれてこの方初めてだ。足元を見下ろすと薄く影があり、足裏には小石の散らばる 地面を踏み締めるざらついた感触が伝わってくるので、実体の一歩手前という姿になっているのだろう。魂を収めた 心臓が朧な体の芯で鼓動を打つが、血が巡らないので手足は冷え切っている。水辺に顔を映してみると、白粉など 不要なほどに顔色が真っ白くなっていた。唇だけが紅を差したように赤いので、人間味は感じられない。幸い、妖狐 の証しである耳と尻尾は隠せる程度の妖力は残っていたものの、こんな姿では人間ではないと見抜かれかねない。 だが、ここまで来て引き返せるものではない。貞元の頼みを果たしていないのだから。
 唇を真一文字に引き結んだ白玉は背筋を伸ばすと、さもその辺の貧しい農村で生まれ育った娘のような顔をして 歩き出したが、近隣の農村に入って野良仕事に精を出している農民達を目にした時、はたと気付いた。村娘の振り をするのに、手ぶらでは怪しまれてしまうではないか。彼らは朝から晩まで働き詰めなので、両手が空いている時間 など亡きに等しい。おまけに着物が派手すぎた。長らく遊女として振る舞っていたので、化けた際に着物を着ている かのような格好に整えた時、思い描いたのはいつも身に付けていた長襦袢に白地の芍薬柄の振袖を重ねた格好で あったため、似たような着物になってしまった。ただでさえ泥にまみれて暮らしている農民が、白くて柄の入った着物 を着るわけがない。白玉は物陰に身を隠すと、じっと農民達に目を凝らした。赤子を背負い、裾を捲り上げて太股を 曝して田を耕している中年の女に目をやったが、参考にはならなかった。続いて、民家の庭先でよちよち歩きの弟を 子守している少女に目をやると、麻の着物を一枚着ていた。少女の顔形は地味そのもので、着物にも一切飾り気 がないので白玉の好みとは程遠かったが、背に腹は代えられぬ、と白玉はその少女を元にして化け直した。
 せめてかんざしの一本でも差したかったが、洒落っ気を出し過ぎて怪しまれたら元も子もないので、白玉は長い髪 を解き、帯を引き裂いて頭に巻き付けた。化粧とお洒落が大好きな白玉にとっては屈辱極まりないことではあったが、 それもこれも貞元のためだと思って腹を括った。
 物陰から立ち上がった白玉は、山の麓から掻き集めた枯れ木の枝を束ねて頭に担ぐと、何食わぬ顔をして農村 の中を歩いた。田畑を耕していた農民達は見慣れぬ女が来たことに気付いたらしく、好奇心混じりの視線がいくつも 注がれたが、白玉は笑顔で挨拶をして通り過ぎた。背後では、どこの家に来た嫁だろうか、村外れのあの家か、 いやいやこの前嫁をもらったあの家だ、と、訛りのきつい言葉が交わされていた。
 無事、八重山の麓にある農村を抜け出した白玉は、まずは貞元の首の居所を調べねば、と城下町を目指した。 蜂狩貞元は知る人ぞ知る豪傑である、その首を取ったのであれば、藩主に献上されるはずだからだ。本当は直接 城の様子を探ってしまいたいが、事を急いてはし損じる、外堀から攻めるのが確実だ、と貞元は言っていた。故に、 白玉はその言葉に律儀に従って行動していた。通り掛かる牛飼いや馬借に道を聞きながら、歩いて歩いて城下町 に辿り着いた頃には一昼夜が過ぎていた。寝ずに歩き通したのでさすがに疲れた白玉は、街外れの無縁仏を奉る 無縁寺に入り込むと、ずらりと墓石の立ち並ぶ墓地の側に座り込んだ。

「これ、娘」

 不躾な言葉を投げ掛けられ、白玉が振り返ると、帯刀した侍が睨み付けていた。

「そなたは御触書を目にしなかったのか。さては、字が読めぬな」

「字は読めねぇでもありやせんが、御触書を見てはおりやせん。この寺でちぃと休ませて頂こうと思うただけで」

 白玉がむっとしつつ弁解すると、侍は疑り深い目で白玉を見回してきた。

「はて、見ぬ顔だな。流れ者か、或いは蜂狩の手の者か?」

 もしや、この男は同類なのか。動揺した白玉が後退ると、その侍の肩に別の若い侍が手を掛けた。

「止さぬか。このような娘が、我らの内情を知るはずもなかろう。すまぬな、娘よ。気を悪くせんでくれぬか」

「あいやあとんでもねぇ、あたしの方こそ悪うごぜぇやした」

 ほっとした白玉は深々と頭を下げ、そそくさとその場を逃げ出した。が、何かあると読んで無縁寺の参道の草むらに 身を潜めると、二人の侍は声を押さえて言葉を交わし始めた。常人であれば聞き取れない距離だが、生憎、白玉は 妖狐だ。頭に巻いた布の下から尖った耳をぴんと伸ばすと、澄ませた。白玉に喰って掛かってきた血の気の多い 侍と、その侍を止めてくれた年若い侍はしきりに目を配らせながら、小声で喋った。

「政充、おぬしも貧乏くじを引いたな。あの蜂狩の首塚作りなどを任されるとは。早川家も廃れたものよ」

 血の気の多い侍が同情混じりに言うと、早川政充と呼ばれた年若い侍は袖の中で腕を組んだ。

「任された以上は、どのような仕事でも果たさねばなりますまいて。それが家臣の務めで候」

「しかし、蜂狩の首を奉り立てたところで怪異が収まるとは思えぬ。今朝方も、側室とお世継ぎがお亡くなりになった と聞いている。元から立たねば、荒井の御家は潰えてしまうやもしれぬ。それなのに、何を悠長なことを」

「だが、赤城どの。殿がお受けになったのは祈祷師も呪い師も効かぬ呪いなのだ、心当たりから潰すしか」

 政充は血の気の多い侍の名を呼ぶと、赤城という侍は見るからに苛立った様子で足を踏み鳴らした。

「ええい忌々しい! 蜂狩を仕留めてから丸一年が過ぎようとも手をこまねいている殿に、せめてもの注意を促そう と首が舞うという話をご報告申し上げたのに、八重山を攻めようとはお思いになられないのか!」

「それを実際に御報告申し上げたのは拙者でござるが」

「御報告申し上げることを提案したのは俺ではないか。細かいことは気にするでない」

「気にしたいところではござるが。その、八重山というのは、鬼蜘蛛の姫の根城でござりまするか」

「おうさ。菊千代様が奪われ、お咲の方が殺められたあの日のことを、俺は生涯忘れはせぬぞ。いずこから現れた おぞましき姿の女は我らを蹴散らし、二の丸に押し入り、菊千代様を拐かしたのだ。殿の御許しさえ頂ければ、 俺は一人でも八重山に乗り込んで鬼蜘蛛の姫を討ち取ってみせようぞ!」

 赤城が刀の柄に手を掛けたので、政充は諌めた。

「だから、止さぬか。どうしてこう、おぬしは血気が逸るのであろうな。少しは落ち着きというものを」

「御家の一大事に落ち着いてなど!」

 と、あらぬ方向に拳を振り上げた赤城を、政充はおもむろに引っぱたいた。

「いい加減にせぬか! 拙者とおぬしは、その蜂狩の首を守るという大事な命を受けておるのだぞ! 大体、拙者らの ような者が妖怪を討ち取れるものか! 早う来い、もうじき兵士達も来るのだぞ!」

「おい、年上をもっと敬わぬか!」

 足早に本堂に向かう政充に向かって、赤城は何やら喚いていた。政充はそんな赤城には構わずに、さっさと本堂に 入っていった。どうも、この二人は同僚であり友人ではあるが微妙な関係にあるらしい。政充は血気に走りがちな 赤城にほとほとうんざりしているのか、本堂からは彼の愚痴っぽい言葉が漏れ聞こえてきた。だが、赤城は政充の 態度が素っ気なくて気に入らないらしく、大声でいい加減なことを叫んでいた。白玉は政充の身の上に同情しそうに なったが、相手は愛する武将の首を奪い取った荒井久勝の部下なのだ。
 そう思い直した白玉は、人の姿から狐の姿に変化すると、草むらを駆けて無縁寺の崩れかけた屏をよじ登った。 足音と気配を殺し、瓦が剥がれた塀の上を走った。墓地と境内の奥にある本堂では、赤城に突っ掛かられた政充 が言い返しているらしく、彼の張りのある声が若干高ぶっていた。だから、二人の注意は互いに向いて、警戒心も 薄れている。今を逃す手はないと踏んだ白玉は瓦を踏み切って高々と跳躍し、本堂の裏手に回ると、変化を緩めて 魂と肝の姿に戻り、障子の破れ目からするりと中に入り込んだ。再度変化して狐の姿を成した白玉が顔を上げると、 薄暗く埃っぽい本堂の中にいやに背の高い僧侶が立っていた。菅笠を深く被った目元は見えなかったが、白玉は 本能的にそれが人間ではないと悟り、二股の尻尾を膨らませながら身構えると、僧侶は手を翳した。

「これ、妖狐。そういきり立つでない」

「あんた、何者だい」

 白玉が鋭く問うと、僧侶は錆の浮いた錫杖を振り、しゃらりと鳴らした。

「拙僧はこの寺の住職でな、荒井の殿から蜂狩貞元の首の供養を任されておる者よ」

「……あたしらの同類だろうに、人間に媚を売っているのかい? しかも、あんな野郎に」

 白玉は背筋の毛を逆立てながら牙を剥くと、僧侶はにいっと口元を歪めた。

「人に紛れて生きるのもまた一興なり。して、妖狐、そなたは蜂狩の手の者か?」

「だったら、どうだっていうのさ」

 殺意と怒りを漲らせた白玉が僧侶を睨み付けると、僧侶は背後の襖に向き、侍達の言い合いに気を向けた。

「この場は手を引くが良い。首だけ取り戻したところで、そなたの主は力を取り戻せぬであろうぞ」

「あんた、貞元様の何をどこまで知っているんでぇ!」

 白玉が金切り声を上げると、僧侶は骨張った手で顎をさすった。

「いや何、ちょいと頭を巡らせたまでだとも。蜂狩貞元は確実に死したはずだが、その首が夜な夜な舞うということ は、すなわち首から下が現世に残っているということだ。その首を舞わせる力の源は怨念に充ち満ちた妖力である が、ただの人間がいきなり妖怪の仲間入りが出来るわけがない。すなわち、何らかの妖怪が蜂狩貞元の魂を現世に 繋ぎ止めて怨霊に変えたのではないか、とな。拙僧は間違っておるか? ん?」

「いんや、大当たりでさぁ。だが、そこまで知っているなら、なぜあたしを止めるんでぇ」

 白玉が限りある妖力を高ぶらせようとすると、僧侶はそれを制した。

「拙僧も、そなたらの企みに一枚噛ませてはくれまいか」

「その理由を聞かせてもらおうじゃねぇのさ。誰であろうと、そう簡単に貞元様に近付けさせやしねぇ」

「妖狐らしからぬ言葉ではあるが、そなたにそこまで言わせるのであれば、蜂狩貞元は余程の男とお見受けする。 ならば良かろう、まずはそなたの信頼を得るとしよう。拙僧の名は丹厳、一つ目入道だ」

「信頼? はっ、馬鹿をお言いでないよ。あたしはねぇ、貞元様以外の誰も信じやしねぇのさ」

「これから七日のうちに、そなたの元に蜂狩貞元の首をお届けに参ろう。それで良いかな」

「だけど、あたしも手ぶらってわけにもいかないねぇ。貞元様の兜だけでも返してもらおうじゃないのさ」

「良かろう」

 僧侶、丹厳が耳元まで裂けた口を綻ばせたので、白玉は弾かれるように飛び出して首の入った桶に載せてある 兜の緒を銜えて逃げ出した。丹厳は白玉を追い掛けようとはせず、それどころか障子戸を開けて逃げやすいように してくれた。嘘は吐いていなかったらしい。白玉は塀に飛び乗り、兜を傷付けないために人間に変化すると、無縁寺 の敷地の外に出た。耳を澄ませると、丹厳が芝居がかった口調で、またも首が舞って兜が独りでに逃げ出した、と 説明していた。赤城はそれを信じたようだったが、政充は訝っているようであった。白玉は貞元の兜を抱くと、山道 に飛び込んだ。兜だけであろうとも、一刻も早く貞元の元に戻してやりたかった。
 一つ目入道の丹厳は、たとえ約束を守ったとしても信用には値しない輩だ。恐らく、丹厳も何かしらの目的を腹に 宿していて、そのために白玉と貞元を利用したいのだろう。ならば、利用し尽くされる前に使い捨てるまでのこと。
 骨と皮もしゃぶり尽くしてくれる。




 それから七日後。
 鴉天狗でも行者でもなく、ただの鴉に化けた九郎丸は城下町に舞い降りた。武家屋敷の庭に立つ立派な植木の 枝を掴み、羽根を折り畳む。八重姫に散々弄ばれた首根っこはようやく繋がり、元に戻っていた。毎度毎度、あの 女の戯れはどぎつくて適わない。もう少し手加減してほしいものだが、抗議すればするほどに横暴さが増していく のが不思議だ。普通の感覚であれば諌められれば気が引けてくるものだが、それはあくまでも人間的な感覚であって 妖怪の感覚とは程遠いのだろう。人間を引き合いに出して考えた自分に軽く苛立ち、九郎丸は鳴いた。
 武家屋敷から大分離れた街外れに目を凝らすと、注連縄が張られた一角があった。注連縄の中に踏み入るのは 負担が大きく、近付くだけでも多少なりとも影響があるので、見るだけに止めておいた。注連縄で四角く区切られた 空間の中心には、こんもりと盛り上がった土があり、卒塔婆が一本突き立てられていた。その手前にある立て札には 達筆な字で、蜂狩貞元の首塚であることを示す一文が書かれていた。
 首塚を遠巻きに眺めている人間もいれば、手を合わせて念仏を唱えていく人間もいれば、恐る恐る近付いたくせに すぐさま逃げ出す人間もいる。皆が皆、蜂狩貞元を恐れているのだ。荒井久勝は蜂狩貞元の首を奉って怪異を 妨げたつもりでいるのだろうが、実は何の解決にもなっていない。なぜなら、蜂狩貞元の首塚は形だけであり、肝心 要の首は収まっていないからだ。中に入っているのは別人の首と、どこの馬の骨とも付かない錆び付いた武具のみ である。怨念の類はまるで感じられないので、それらの主は綺麗に成仏しているのだろう。ならば、本物の蜂狩貞元 の首は別のところにある、ということではなかろうか。

「これで蜂狩の首は舞わぬようにはなったが、噂は舞い上がるばかりだな」

 武家屋敷の縁側で胡座を掻いている侍が嘆息すると、その隣で杯を傾けていた若い侍が返した。

「無理もなかろう。殿は蜂狩貞元の首塚を立て、奴が全ての怪異の原因だと仰ったが、それが却って城下に蔓延る 噂の裏付けを行うこととなってしまわれたからな。良かれと思って成したことほど、悪い結果を招いてしまうものだ」

「念仏は丁重に上げたのであろうな。あの無縁寺に住み着いた坊さんを信用せぬわけではないが」

 胡座を掻いていた侍は不作法に寝そべり、つま先を揺らした。その様に、若い侍は顔をしかめる。

「ここは拙宅ではないか。休日とはいえ、そのような成りは侍として如何なものか」

「早川と赤城は古き馴染みよ。それに、俺とそなたは乳飲み子であった頃の付き合い。何を今更」

 侍がけたけたと笑うと、若い侍は手酌で杯に酒を注いだ。

「だからといって、暇を持て余して拙者の家に入り浸るでない。赤城どのは、そろそろ嫁をもらわねばならぬ年頃で はないか。見合いの一つでもしたらどうだ。荒井家だけではない、赤城家も世継ぎを作らねばならぬ」

「生憎、俺は女には差して興味はないのだ」

 赤城と呼ばれた侍が手を振ると、早川と呼ばれた若い侍はやや身を引いた。

「ならば、そなたは道教を嗜むのであるか」

「馬鹿を申すな。俺をなんだと思っている。女は扱いが面倒臭いから手を出したくないというだけであって、その気に なるのは女だけぞ。誰が好き好んで、同じ男におっ立てるものか」

 赤城がげんなりすると、早川は肩を揺すって笑った。

「そんなこと、承知の上よ。だが、拙者は至って真面目にそなたの行く末を案じたのであってだな」

「ならば、お前はどうなのだ。女っ気がないのは、そなたも俺も変わるまい」

 赤城が言い返すと、早川は酒を呷った。

「拙者はまだ、城に仕えて日の浅い身。妻を娶るには早すぎると判断し、縁談を断っておるまでのこと」

「そうか。では、まだ当分はこの家に入り浸れるというわけだ」

 赤城の言葉に、早川は少々面倒そうな顔をしたが嫌そうではなかった。なんだかんだで、幼馴染みであり同僚で ある男と接するのが楽しいからなのだろう。早川は赤城の分の杯に酒を注ぐと、彼の前に置いた。赤城は丁重に 礼を述べながら、その杯を傾けた。二人のやり取りを眺めつつ、九郎丸は瞬きした。二人の会話からはこれといって 収穫は得られそうにないので、翼を広げて羽ばたいた。早川と赤城はこちら側との接点は持っておらず、これからも そんな縁が生まれるとは思いがたかったし、大して利用価値がないと踏んだからだ。
 むしろ、追い掛けるべきはこちらだ。九郎丸は城下町の上空をするりと飛び、村娘のような姿に化けている妖怪 に目を留めた。ここ最近感じ取っていた、馴染みのない気配の主である。ざんばらの髪を布でまとめ、貧しい農家 が着ている麻の着物を身に付けているが、肌の色が奇妙に白い上に化粧臭さで獣臭さを誤魔化している。物売り にやってきたかのような格好をしているが、肝心の売り物が見当たらない。だが、銭だけはどこかから調達してきた らしく、大事そうに握り締めて酒屋に入っていった。徳利をぶら下げて酒屋から出てきた村娘に化けた妖怪は、かなり 浮かれた足取りで歩いていたので、九郎丸の気配には気付いていないようだった。
 娘からは、噎せ返るような怨念の臭気が漂っていた。





 


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