機動駐在コジロウ




溺れる者はワームをも掴む



 十挺目の自動小銃が無造作に投げ捨てられ、薬莢の海に沈んだ。
 銃撃の余韻が残る両手を振りながら、無数の薬莢に取り囲まれている一乗寺はだらしなくにやけていた。ベストの 前面に鈴生りにぶら下げていた拳銃も弾丸を一つ残らず撃ち尽くしていて、ナイフも一本しか残っていない。一乗寺の 足元には赤黒い池が広がり、生臭い肉片が散らばっていた。全身隈無く返り血を浴びている一乗寺は、満足げに ため息を吐き、余韻に浸った。さながら、トイレから出てきたばかりの子供のようである。

「あはぁーん、気持ちいい……」

 一乗寺は指ぬきグローブを填めた手で両の頬を押さえ、少女漫画のヒロインのように身を捩った。

「ああ、そうかい」

 寺坂は一乗寺の仕草に呆れつつも、自分のやるべきことに集中した。包帯から解き放たれた触手を肉片の中に 差し込み、掻き混ぜる。だが、目当てのものが見つからなかったので、すぐに触手を引っ込めた。

「まだ生き残りがいるかな? もっと遊びたぁーい!」

 一乗寺は手近な死体の頭部に突き刺さっていたナイフを引き抜くと、脳漿の滴る刃先を振り回した。

「これだけ殺して、まだ気が済まねぇのかよ」

 寺坂が毒突くが、一乗寺は意に介さない。

「うっふふー、たぁのしーいっ」

 軽快にスキップしながら、一乗寺は集落の農道を駆けていった。苗が伸びつつあった田んぼや畦道にも、集落の 住民の死体が転がっていた。濁った泥水に血が溶け、黒ずんだ染みが広がっている。一撃で額を撃ち抜かれたにも 関わらず、胸や腹に無駄玉を撃ち込まれて血肉を撒き散らしている人間も少なくない。わざと中途半端な位置を 撃たれて半死半生にされた挙げ句、一乗寺ににこにこしながらナイフを突き刺された者も少なくない。老人だろうが 女だろうが子供だろうが、一切躊躇しなかった。それが一乗寺の強みであり、狂気だ。
 体温が残っている血溜まりを触手を差し込み、弾丸と刃に引き裂かれた肉を探り、寺坂は死体を一つ一つ改めて いった。一乗寺と連むようになる前は、調べたい相手を力任せに殴り倒して触手を喉から突っ込んでいたのだが、 それでは効率が悪かった。寺坂は殺人狂ではないので相手を殺しはしなかったので、触手を突っ込む際には激しく 抵抗されたし、対象者の周囲の人間も黙ってはいなかったからだ。だが、こうやって皆殺しにしてしまえば、寺坂に どれほど調べられようとも誰一人として抵抗しない。非情かつ不条理だが、効率は良い。
 小さな虫が集っている街灯に照らされ、一乗寺が履いているジャングルブーツの赤黒い足跡がぬらぬらと光って いる。寺坂は出来る限り血溜まりを踏まないようにはしているが、どこもかしこも死体だらけなのでそうもいかない。 佐々木家を出た後に履き替えた使い古しのスニーカーは、洗い流した後で供養して捨ててしまおう。生と死の狭間 に立っている職業であるからこそ、穢れに対しては敏感になる。

「ねーねー、よっちゃーん!」

 錆び付いたトタン屋根の倉庫の前で立ち止まった一乗寺が、盛大に手を振っている。

「なんだよ、うるせぇな」

 寺坂は足元に転がっていた千切れた腕を跨がないように迂回してから、一乗寺に近付いていった。

「ほらほら、まだいたよ? 生き残りが」

 そう言うや否や、一乗寺は足を上げ、隙間から明かりが漏れてくる倉庫の引き戸を蹴破った。派手な破砕音と共 に古びた木製の戸は壊れてレールから外れ、内側に倒れ込んだ。土埃が舞い上がり、肥料の饐えた匂いと農機の 機械油臭さが混じった独特の空気が流れ出した。手前に停めてあるトラクターのタイヤには乾いた泥がこびり付き、 壁に作り付けられた棚にはずらりと農薬のボトルが並び、エンジン式の農薬の噴霧器が控えていた。去年収穫した 古米を格納するためのコンテナには農協のカレンダーが貼られ、倉庫の一番奥には二階にまで及ぶほどの大きさ の米穀用乾燥機が備え付けてあった。

「見てみて、あそこにいるよ!」

 動物園で珍しい動物を目にした子供のようにはしゃいで、一乗寺はコンテナの影を指差した。途端に短い悲鳴が 上がり、何者かの影が揺れた。寺坂はベストの内側から小型の拳銃を取り出した一乗寺を制してから、コンテナの 傍に歩み寄っていった。梁から吊されている裸電球の光を跳ねた草刈り鎌を握り締め、震えていたのは、つばめと 大差のない年頃の少女だった。地元中学校のジャージを着ていて、日に焼けた頬には涙の痕が幾筋もある。

「ねぇねぇどうするの? 頭を吹っ飛ばしちゃう? 首を切っちゃう? それとも目玉を抉る? あはーん?」

 銃身の短い拳銃をくるくると回しながら、笑顔の一乗寺が寺坂に近付いてきた。寺坂は一乗寺には反応せずに、 少女を見下ろした。一ヶ谷第二中学校の校章の下には、少女の名前が刺繍されている。富田六実。

「お願いします、こ、殺さないで下さい……」

 ひどく震える両手で草刈り鎌を握り締めた少女は、泣きすぎて充血した目で二人を見上げてきた。極度の緊張に よる汗なのか失禁した痕なのかは定かではないが、ジャージのズボンの股の部分には哀れな染みが付いていた。 少女、六実は必死に後退るが、山積みになっている藁束に阻まれて身動きが取れなくなった。

「えぇー? 殺されることがそんなに怖いのー? だって、殺されても死なないのが弐天逸流が言うところの奇跡って やつでしょー? んー?」

 寺坂の肩に馴れ馴れしく腕を載せた一乗寺が笑うと、六実はびくりとした。

「うぁっ」

「御布施と奉仕の代償が肉体を伴った輪廻転生だってことぐらい、俺が知らないわけがねぇだろうがよ。何せ、俺は お前らに取っちゃ生き神様なんだからな」

 寺坂は一乗寺の手を払ってから、膝を曲げ、六実と目線を合わせた。

「フジワラ製薬に手を貸した理由は何だ。教えろ。そしたら、お前の処置を考えてやらねぇでもねぇ」

「知らないよぉっ、そんなこと! 私は変な神様なんて信じていないもん!」

 金切り声を上げた六実は藁に縋り付いたが、汗ばんだ手に藁屑が貼り付いただけだった。

「本当か?」

 寺坂がやや声を低めると、六実はぎこちなく頷いた。

「こんな時に、嘘なんか吐けないよ」

「本当だな?」

 寺坂が念を押すと、六実は必死になって何度も頷いた。

「本当だってばぁ!」

「そうか」

 寺坂は腰を上げ、六実から一歩離れた。六実は見るからにほっとした様子で、涙と鼻水と涎でべとついている顔を ジャージの袖で拭った。その様を横目で窺いつつ、不満げな一乗寺を小突いてから、寺坂は倉庫内を見回した。 六実が通学に使っているであろう24インチの自転車がトラクターの奥に置かれていたが、サドルに土埃が積もって いた。布を被せられてはいるが、小振りな祭壇が壁際にある。寺坂はここ数ヶ月の記憶を引き出して、この集落に ついての記憶も掘り起こした。数えるほどでしかないが、この集落には寺坂の寺の檀家もいる。だから、ゴミ捨て の時以外にも訪れていた。その時に目にしていたのだ、富田六実の葬儀を執り行う光景を。

「お前の死因はあれだったな、交通事故だ」

 寺坂の言葉に、六実は目を剥いて硬直した。震えも止まり、涙も止まった。

「休みの日に街に遊びに出て、信号無視して交差点を走っていこうとしたらトラックが突っ込んできてグシャー。って 聞いたんだよ、俺んちの檀家からな。葬式もひどいもんだった、棺桶の中身は腐りかけた肉だらけで顔の形も元に 戻せなくて、荼毘に付しても骨が折れまくっていたから拾うのが難儀だった、ってな」

「う」

 六実は身動ぎ、見るからに青ざめていった。

「まあ、お前んちは俺の檀家じゃねぇし、俺はお前の葬儀に顔を出しちゃいねぇけど、棺桶に花を入れた後に道端で ゲロゲロ吐いているクラスメイトだったら何人も見たぜ。それが、なんで生きている?」

 左手でサングラスを外した寺坂は、射るような眼差しを少女に注いだ。六実は口籠もり、俯く。

「それは……奇跡が起きたからで……」

「信じていないんじゃなかったのか? クソッ垂れで守銭奴な教祖をよ」

 寺坂が凄むと、六実はまた涙目になる。

「でも、奇跡は本当に起きたから……」

「これのどこが奇跡だよ!」

 寺坂は触手を伸ばして六実を戒め、掲げる。胸と首を絞められ、六実は顔を歪めながらも反論する。

「だ、だって、私はこうして」

「死人が墓から出てくるんじゃねぇよ。商売上がったりなんだよ!」

 大きく振りかぶり、寺坂は六実を壁に放り投げた。ぎぇっ、との短い悲鳴の直後、灰色のコンクリートに哀れな少女が 激突した。頭蓋骨が割れて広がった髪の間から脳漿と血が噴き出す、かと思いきや、割れた頭蓋骨の内側から 溢れ出したのは赤黒い触手の固まりだった。体液の汚らしい筋を塗り付けながらずるずると滑り落ちていった六実 は、血が流れていくかと思いきや、細い触手が何本も這い出してきてミミズのように悶えた。頭蓋骨のように見えた のはそれらしい色が付いた強化プラスチックで、血と脳漿からは蛋白質の匂いはしなかった。びちびちと薄い体液 の中で跳ねていた触手の固まりは、懸命に逃げようとするが、寺坂はすかさず触手を放った。
 どぅんっ、と砲弾が着弾したかの如く、コンクリート壁が抉れた。寺坂の右腕の中で最も太い触手は、六実の振り をしていた触手の固まりを貫通していた。途端に気色悪い色合いの体液が噴出し、触手は萎れていった。細い触手 達は一乗寺が嬉々として狙撃していて、ものの数秒で全滅させてしまった。

「ちぇー、これでもう終わりかぁ。つまんねー」

 一乗寺は唇を尖らせつつ、硝煙の立ち上る銃口をふっと吹いた。寺坂は触手を収め、死んだ触手と富田六実の 形に作られていた人形を見下ろした。サイボーグやロボットよりも遙かに稚拙な出来ではあるのだが、有機素材で 作られているプラスチックの骨格や人工臓器に触手が何かしらの作用をもたらしているらしく、生者の如き瑞々しさ がある。体液が抜けて萎れた触手の固まりと、一乗寺の銃撃で千切れた細い触手を掻き集めた寺坂は、それらを 右腕の触手に巻き込んだ。程なくして、寺坂の右腕に死んだ触手が同化し、寺坂の触手が一本増えた。

「で、よっちゃん、今日のところはこれで引き上げなきゃならねーの?」

 一乗寺は小型の拳銃の替えのマガジンを探しているのか、しきりにポケットを探っている。

「いや。本番はこれからだ」

 寺坂は触手の具合を確かめつつ、倉庫から外に出た。殺されたばかりの人々が発する鉄錆の腐臭が、冷え込んだ 夜風に掻き回される。降るような星空の下に出た寺坂は、富田家の玄関先に腰を下ろした。

「他に誰か生き返ってこねぇか、一晩見張る。そのためにお前に殺させたんだろうが」

「えぇー、めんどっちーい」

 そうは言いながらも、一乗寺は寺坂の隣に腰を下ろした。そして、ようやく見つけ出したマガジンを交換した。

「殺した連中の身元を洗い出すのが面倒臭いが、まあ、十中八九信者共だろうな。俺が知っている人間は、一人も いなかったからな。富田六実は別だが。問題は、土地を離れたがらないであろう田舎の老人共を、どうやって他の 土地まで引き摺り出したかってことだ」

 寺坂はタバコを取り出して銜えると、一乗寺に差し出した。一乗寺はタバコを銜え、にんまりする。

「ま、それは追々ってことでいいんじゃねーの? いちいち考えるのは面倒臭いしぃー」

「夜が明けるまで何も起きなかったら、こいつらの死体を掻き集めるのを手伝えよ。荼毘に付してやらにゃならん」

「えぇー。めんどっちーい。適当に腐らせておけばいいじゃーん」

「リアルに感染症が蔓延しちまうだろうが。それに、怪人の生き残りが死体を喰いに来るかもしれないだろ」

「その時は殺して遊べるからいいじゃーん」

「この人でなしが」

「うん! だって俺、宇宙人だもーん」

 一乗寺は寺坂のポケットから勝手にライターを出すと、火を灯し、ライターを投げ返してきた。寺坂はその荒っぽさに 辟易しつつも、タバコを付けて蒸かした。新しく生えた触手から流れ込んでくる感覚を紛らわすために、いつになく 煙を深く吸い込んで肺に回した。富田六実に成り済ましていた触手は、当然のことながら富田六実の生前の記憶を 持っていて、年頃の少女らしい出来事と感情が次々に脳裏に浮かんでは消えていった。その記憶の中に弐天逸流 の教祖に関するものはないかと凝視してみるも、無駄だった。富田六実に触手を与えたのは教祖でもなければ上位 幹部の信者でもなく、触手を入れた瓶を携えている中年の男であったからだ。その中年の男がどこの誰であるかが 解れば、もう少し突き詰めて調べられるのだが、六実の視線が中年の男に定まっていないせいで、肝心の顔がよく 見えなかった。そうこうしているうちに触手は寺坂に完全に馴染み、記憶は消え去った。
 戒められていない百二十九本の右腕を垂らしながら、寺坂はサングラスを掛け直した。辺りが真っ暗なのでサン グラスを掛ければ更に視界が悪くなるだけだが、掛けずにはいられない。目の前に横たわる理不尽を直視したくない がために、薄膜を隔てていなければ世界と向き合えない。寺坂もまた、心が弱いからだ。
 女の肌が、無性に恋しくなった。




 いつのまにか、寝入ってしまっていたらしい。
 美野里ははっと目覚め、上体を起こした。畳の痕が頬にくっきりと残り、剥がれる時に痛みすら覚えた。その部分 を手で押さえながら目線を下げると、布団の上ではつばめが眠り続けていた。うなされてはいなかったが、また寝汗 を掻いていたのでタオルで拭い取ってやった。ずっと握り締められていた手には、つばめの指の形で痣が付いて しまったが、それが嫌だとは思わなかった。つばめの苦しみを和らげられたのだと、安堵すらした。
 枕元の携帯電話を作動させて時刻を確かめると、夜明けとは程遠い深夜だった。いつのまにか出ていった寺坂が 戻ってくる気配はなく、コジロウを組み上げるために働き続けている政府の人間の声ばかりが聞こえてくる。その中には 寺坂の声はなく、恐らく一乗寺と連れ立って出かけたのだろう。それを知ると、なんだか物寂しくなった。

「いつ頃帰ってくるのかしら」

 あの二人が家族であるかのような独り言に、美野里はふと笑みを漏らしそうになった。いつのまにか寺坂と一乗寺 が傍にいる騒がしい時間に慣れてしまったようだ。つばめが蹴り飛ばしていた掛布を直し、すぐに戻るわね、と声を 掛けてからつばめの寝床を離れた。続き部屋と居間を通り抜けて台所に至った美野里は、生温い水道水をコップ に入れ、喉を鳴らして飲み干した。つばめのことが気になってたまらないから、喉の渇きさえも忘れていた。コップを 軽く洗ってから水切りカゴに戻し、替えのタオルをもう何枚か持って行ってやろうと、別の部屋に向かった。
 タンスから洗い立てのタオルを出して腰を上げたが、エンジン音を耳にして顔を上げた。重々しい走行音からして コジロウの部品を輸送してきたトレーラーか、自衛隊の装甲車だろう。寺坂の車ではないと解ると、美野里はタオル を抱えて顔を埋めた。期待してどうする。何を考えている。

「それだけはダメ」

 寺坂に好意を返したとしても、いいことはないと解り切っているではないか。

「つばめちゃんのことだけ、考えていなきゃダメなんだから」

 肝心なものを守り通してから、余計なことを考えるべきだ。

「だって、そうしないと、私は」

 唇を引き締め、美野里はタオルに爪を立てた。一度深呼吸してから気を取り直し、つばめを寝かせている部屋に 戻ろうとすると、ふすまを隔てて泣き声が聞こえてきた。美野里はすぐさまふすまを開け放って駆け込むと、寝床から 起き上がったつばめが泣きじゃくっていた。つばめはしゃくり上げてぼたぼたと涙を落としながら、喘ぐ。

「おねえちゃあん……」

「大丈夫よ、大丈夫だから、ね?」

 美野里はつばめを撫でてやりながら優しく語り掛けると、つばめは更に泣いた。

「コジロウがまた壊れちゃったよぉ! そんな目に遭わせたくないのに! 大事にしたいのに!」

「大丈夫よ、政府の人達がすぐに直してくれるから」

「直してくれたって、コジロウは私のことなんか嫌いになるに決まってる!」

「コジロウ君はそういうことは考えないから、落ち着いて」

「私なんかが好きになっても大丈夫だって思ったのに! 友達になってくれるかもしれないのに! やっと、やっと、 一人じゃなくなったって思ったのに! こんなんじゃ、コジロウにだって嫌われる! そんなの嫌ぁ!」

 つばめは絶叫し、頭を抱える。美野里はつばめの背中をさすってやりながら、語り掛ける。

「大丈夫、大丈夫だから」

「一人になんかなりたくない! 遺産なんかいらない! だからお願い、私を嫌いにならないで!」

 つばめは両手で顔を覆い、振り絞るように叫んだ。後半は嗚咽混じりで上擦っていたので聞き取りづらかったが、 心情は痛いほど伝わってきた。美野里はつばめを抱き締めると、大丈夫、大丈夫、と何度も言い聞かせてやった。 それでも、つばめは泣き止まなかった。美野里の服を千切らんばかりにしがみつき、怖い、嫌だ、と叫んだ。
 明るくて打たれ強くて度胸があるように振る舞っていても、その強さを成り立たせているのは孤独に対する凄まじい 強迫観念だ。外側に強い自分を作っておけば、弱い自分を内包出来てしまうからだ。けれど、見せかけの強さが 崩れた時の反動は痛烈だ。外側の自分が強ければ強い分、割れた殻のエッジは鋭く、弱い自分を切り裂いてくる。 だから、今のつばめは傷だらけだ。事ある事に命を狙われる辛さは、想像しても余りある。
 その傷口を塞げはしなくとも、痛みを紛らわせたら、と願いながら美野里はつばめを支えてやった。気の済むまで 泣かせてやり、叫ばせてやり、喚かせてやった。政府の医療班からは鎮静剤を処方しようかと声を掛けられたが、 美野里はそれをやんわりと断った。薬で誤魔化したところで、つばめの心の傷が塞がるはずもない。
 一人にしないで、どこにもいかないで、とつばめは譫言のように繰り返した。その度に美野里は、一人にしないわ、 どこにもいかないから、と答えてやった。そのやり取りを何度も繰り返すと、つばめは少しずつだが落ち着いてきた。 空が白み始める頃、泣き疲れたつばめは美野里の腕の中で寝入った。つばめの顔を拭って布団に横たえてやって から、美野里も眠りに落ちかけていると、聞き慣れたスポーツカーのエンジン音を耳にした。
 訳もなく嬉しくなった。





 


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