機動駐在コジロウ




知らぬがホームルーム



 そして、本日の授業が終わった。
 部活動など存在していないので、つばめはれんげと一緒に帰ることになった。コジロウは二人の少し後ろを付いて きていて、付かず離れずの距離を保っている。誰かと一緒に下校するのは初めてだったので、つばめはなんとなく 居心地が悪かった。れんげはつばめと親しい仲だと思っているらしく、しきりに話し掛けてくる。昨日見たテレビ番組 の話、アイドルグループの新曲の話、一ヶ谷市内にあるファンシーショップの話、などなど、中学生女子の頭の中に 詰め込まれている情報を次から次へと出してくる。だが、生憎、つばめはそのどれも興味がなかった。元々テレビは それほど好きではないし、どうせ見るなら内容が出来上がっている映画の方がいい。アイドルグループはメンバーの 顔の見分けがほとんど付かないし、恋だの愛だのを繰り返すばかりの曲も好きにはなれない。ファンシーショップを 覗いてきゃあきゃあ騒ぐよりも、預金通帳を広げて金勘定をしている方が性に合っている。

「あ、そうか」

 だから、今の今まで同年代の友達が出来なかったのか。今更ながら悟ったつばめが独り言を漏らすと、れんげは にこにこと笑顔を保ちながら、聞き返してきた。

「ん? どしたの、つばめちゃん」

「ごめん、なんでもない」

 つばめは取り繕い、間に合わせの笑顔を作った。けれど、この場でれんげに話を合わせることもないのでは、とも 思わなくもなかった。れんげの正体が何であれ、クラスメイトがイコールで友達というわけではないからだ。それだけで 友達という括りが出来上がるのなら、誰も苦労もしないだろうし寂しい思いもしない。だが、無理に話を合わせても 面白くもなんともないし、それでは接していても苦痛しか感じなくなる。
 れんげは黙り込んでしまったつばめを訝ってきたが、それ以上話し掛けてはこなかった。それがありがたくもあり、 気を遣わせてしまったという心苦しさもあった。そんなことを思ってしまうから、つばめはいつまでも十四歳の子供に 相応しい言動を取れないのだ。胃腸の辺りがきりきりと絞られる。
 桑原れんげの住まいは、船島集落の一角にあった。合掌造りではないが古びた日本家屋で、れんげ以外の誰も 住んでいないのは一目瞭然だった。倉庫を兼ねた車庫の中には車もなければ農耕機もなく、れんげが乗るであろう 自転車だけが寂しげに佇んでいた。表札の名字は桑原なので、元々はれんげの親戚が住んでいたのだろう。それが なぜ、れんげ独りだけで住むようになったのかは解らない。なぜなら、つばめはれんげのことを一切合切知らない からだ。もしかすると、れんげはあのパンダのぬいぐるみと同じなのかもしれない。

「良かったら上がっていく? まあ、大したものが出ないことは知っているだろうけどさ」

 れんげは恥じらい混じりに引き戸を開け、薄暗い玄関先に、ただいま、と声を掛けた。だが、中からは誰も答えては くれなかった。当然だ、れんげには家族はいないのだから。と、つばめの脳裏に覚えのない記憶が過ぎった。

「いいよ、気を遣ってくれなくても。それに、復習と予習をしなきゃならないし」

 と、つばめがれんげのノートを掲げると、れんげは笑った。

「うん、解った。じゃ、また明日ね!」

「また明日」

 つばめはれんげに手を振ってから、帰路を辿った。コジロウもまた、つばめの後に付いてくる。夏の兆しが着実に 歩み寄っているから、午後四時を過ぎていてもまだ日が高く、二人の影もそれほど長くなかった。空っぽの弁当箱 と水筒が入ったトートバッグの軽さと通学カバンの重さを両肩で感じながら、つばめは思い悩んでいた。
 桑原れんげの正体は解らない。だが、堰を切ったように、れんげに関する記憶が蘇ってくる。れんげは家庭環境 が複雑で、幼い頃に両親が離婚して母親に引き取られたが、母親の恋人である男に虐げられた末に持て余され、 捨てられるような形で遠方の親戚の家に預けられた。けれど、遠方の親戚はれんげを持て余してしまい、最後には 親戚一家の父方の叔父が住んでいる船島集落に連れてこられた。しかし、佐々木長光が莫大な資産で船島集落を 買い上げたために、父方の叔父一家は土地を売り払って得た大量の金を持って引っ越していったが、れんげだけ は船島集落に取り残されてしまったのである。だから、れんげは未だに分校に通っている。頼るべき大人がいない から、一人で古く広い家で暮らしている。だが、つばめはいつのまにそんなことを知ったのだろうか。
 いや、そうではないのかもしれない。そもそも、知っている、というのは思い込みであって、一から十までつばめの 空想の産物である可能性が高い。過去にもそんなことがあったからだ。同年代の子供と仲良くしたいのに、一緒に 遊びたいのに、触れ合いたいのに、気が引けてしまうから、都合の良い友達を頭の中に作り上げていた。
 それが、パンダのコジロウだ。




 いわゆる、イマジナリー・フレンドというものだ。
 帰宅したつばめは自室の押し入れを開け、数少ない洋服を掻き分けてパンダのぬいぐるみを取り出した。伊織に 切り裂かれてボロボロになってしまったが、どうしても捨てられなかったので、暇を見て縫い合わせて修繕している。 その甲斐あって切り裂かれた胴体は繋がったが、体毛に似せた化学繊維には古傷のような筋が出来てしまい、綿を 詰め直しても直りそうになかった。以前のような物入れを腹の中に作るべきか否かは、未だに迷っている。あんな ものを入れていたから、大事なパンダのぬいぐるみは狙われ、切り裂かれてしまった。だから、これからは、大好きな ぬいぐるみは隠し金庫扱いはするまいと胸に誓った。

「友達かぁ」

 フランケンシュタインの怪物のように縫い目だらけになったパンダのぬいぐるみを抱っこすると、つばめは背中を 丸めて座り込んだ。小学生の頃は、パンダのコジロウが動いて喋ってくれたものである。もちろん、つばめの想像上 の世界での話だ。パンダのコジロウは丸っこくてふわふわしているが、気高く勇ましい性格の持ち主だ。クラスメイト から心ない言葉を投げ付けられた時には本気で怒ってくれ、備前家の予定が狂って一人だけで夕食を食べることに なったら同じテーブルに付いてくれ、夜中にトイレに行くのが怖い時は同行してくれ、具合が悪くて心細い時はずっと 励ましてくれていた。そんなパンダのコジロウの勇姿を、美野里やその両親に語って聞かせたこともあるが、笑って 受け流すばかりだった。その度に、ただ一人の友達を蔑ろにされたように感じ、心苦しくなった。
 だが、それが普通だ。パンダのコジロウは他人から見ればただのぬいぐるみであって、動くことも喋ることもなく、 ボタンの目と刺繍された口元は、いつも同じ表情を浮かべているだけなのだから。ぬいぐるみが好きなのだろう、と 美野里とその両親が新しいぬいぐるみをプレゼントしてくれたが、新しいぬいぐるみ達にはパンダのコジロウほどの 執着心は抱けなかった。どれもこれも、パンダのコジロウのように動いてはくれなかったからだ。

「あの子も、そうなのかなぁ」

 だとしたら、なぜ、他の皆にも見えているのだろう。知らず知らずのうちに、つばめは桑原れんげがいるかのような 言動を取っていたのかもしれない。それを見ていた一乗寺達が話を合わせてくれているのかもしれない。だとすれば 重症だ。けれど、そんなことは考えたくはない。自分は正気なのだと、真っ当だと、普通だと、信じていたい。

「でも……」

 つばめの想像上の産物だと知った上で、れんげと仲良くしても罰は当たらないのでは。パンダのコジロウを撫でて やりながら、つばめは目を伏せた。だとすれば、れんげには一切害はない。むしろ、つばめの心の拠り所が増えて 好都合なのではないだろうか。コジロウや美野里に対しては好意を向けることに躊躇いはないが、心を全て曝け 出せるというわけではない。相手が好きでたまらないから、気が引けてくる部分も大きい。だが、れんげはどうだろう。 好きだからこそ嫌われたくない、という抑制心が起きずに済むような気がする。

「うん、そうだね、そうしよう!」

 つばめはパンダのコジロウを掲げ、その両手を動かしてやった。

「クラスメイトなんだもんね、仲良くしなきゃ勿体ないよ! ね、コジロウもそう思うでしょ?」

「本官に主観的な判断は不可能だ」

 すると、つばめの独り言に対して的確な反応が返ってきたので、つばめはぎょっとした。縁側と室内を隔てている 障子戸が開き、警官ロボットの方のコジロウが入ってきた。その手には、折り畳まれた洗濯物があった。

「あ、ありがとう」

 つばめは若干照れ臭くなりながらも、ブラウスやTシャツを受け取り、押し入れに入れた。

「つばめ」

 不意にコジロウが膝を曲げて目線を合わせてきたので、つばめは距離の近さに戸惑った。

「えっ、あ、うん、なあに?」

「桑原れんげと親交を深めることに対し、本官は関与しない。小倉美月の事例と同様に」

「うん、ありがとう」

「礼を述べられるような事例ではない」

 コジロウはやや俯き、赤い光を帯びるゴーグルを翳らせた。つばめは腰を曲げ、下からコジロウを覗き込む。

「どうしたの? 首の調子でも悪い?」

「いや……」

 コジロウは若干間を置いてから、顔を上げ、返答した。

「桑原れんげに関する情報が不充分なのだ。本官の記憶容量に保存されている情報を検索、展開、照会してみた が、情報量が不足していて、桑原れんげはつばめに害を成さないと判断するのは判断するのは早急だと認識した。 しかし、本官はつばめの意志を尊重すべきであり……」

「心配してくれてありがとう、コジロウ」

 つばめは一歩身を引くと、にんまりした。コジロウは膝を伸ばし、直立する。

「本官にそのような主観的な意図は存在していない」

「でも、いいの。私がそう思うから」

 つばめはパンダのコジロウを抱えたまま、警官ロボットのコジロウに背を向けた。

「着替えるからさ、ちょっと外に出てよ」

「了解した」

 コジロウは承諾すると、つばめの自室を後にした。つばめはパンダのコジロウを机に置いてから、深呼吸した後、 障子戸の内側に設置したカーテンを引いて明かりを遮った。コジロウの影絵も見えなくなってしまうが、無防備な姿 を曝してしまうよりは余程いい。ジャンパースカートのファスナーを下ろして脱ぎ、ハンガーに掛けて押し入れ上段の ラックに引っ掛け、ブラウスのボタンを外して脱ぎ、紺色のハイソックスから部屋着用の靴下に履き替える。
 締まりに欠ける部屋着に着替えてから髪を結び直した後、パンダのコジロウを再度撫でてやった。カフェオレでも 淹れてから予習と復習に取り掛かろうと思い、つばめは台所に向かった。冷蔵庫を開けると炊飯器の内釜が丸ごと 入っていたので、中を覗いてみると一応原形を止めている生米が水に浸っていた。美野里が言われた通りの家事を こなしてくれたのだ。つばめはなんだか感動しそうになったが、予習と復習に意識を戻した。れんげが取ってくれたノート さえあれば、一乗寺のむやみやたらにハイペースな授業内容にも追いつける。
 その正体が何であれ、クラスメイトとはありがたい。




 この記憶は何なのだろう。
 夕食の仕込みをしながら、道子は考え込んでいた。身に覚えのない記憶、というよりも、リアルタイムで中継された 映像のようなものが直接頭の中に流れ込んでくる。電波に乗って飛び交っている情報を偶然拾ったにしては、妙に 内容が生々しいし、主要な登場人物が見知った者ばかりだ。佐々木つばめ、コジロウ、一乗寺昇、備前美野里、 と、敵対している相手ばかりが目に映る。そんな彼らの背景は船島集落だが、道子が監視衛星を経由して閲覧する ことが出来る角度ではない。アングルもつばめと同年代の子供の目の高さで、サイボーグをハッキングして視覚 情報を奪い取ったかのようなシチュエーションだが、船島集落にはサイボーグは存在していない。だとすれば、一体 どこから得ている映像なのだろうか。そんなことを悩みながら作業をしていると、料理が出来上がっていた。

「……あらぁーん?」

 道子はフライパンに横たわる卵焼きを見下ろし、きょとんとした。今夜はフレンチのコース料理にする予定なので、 卵焼きなんて作る予定すらなかったというのに。はっと我に返ると、ボウルには卵を溶いた痕跡があり、キッチンに 作り付けられているディスポーザーを開けてみると、その中に割られたばかりの卵の殻が四個分入っていた。だと すれば、やはり道子が卵焼きを焼いた、ということか。だとしても、いつのまに。

「とりあえずぅーん、切ってみましょーん」

 道子は包丁を手にし、熱々の卵焼きを切り分けてみた。黄色い卵の内側に巻き込まれていたのは、色鮮やかな ホウレン草だった。今夜の夕食でホウレン草を使う予定はあったが、茹でた記憶もなければ、小分けにして冷凍して おいたという記憶もない。となれば、とシンクを見やると、ホウレン草の緑色の茹で汁が残る鍋が置いてあった。 無意識の行動が連鎖している、と悟った瞬間、道子は息を飲んだ。飲めもしないのに。

「ブレインケースと本体の接続が外れた? いや違う、それは正常。補助AIの異常? いや違う、エラーメッセージも 出ていないし、デバッグはこの前済ませたばかり。外的刺激による遠隔操作? そんなわけない、私をハッキング 出来るような人間もサイボーグもロボットも、現時点では一人も……」

 道子は目眩を感じたような気がして、額を押さえた。感じるはずもないのだが。

「どうした、貧血か? って、サイボーグには貧する血はねぇよな」

 他愛もない軽口を叩きながら、トレーニングを終えた武蔵野が冷蔵庫を開けようとしてきたので、道子は作り笑い を顔に貼り付けて身を引いた。

「あははーん、大丈夫ですぅーん」

「またメンテした方がいいんじゃないか? この前だって、股関節のグリースがどうのと言っていただろう」

「御心配には及びませぇーん。大したことないですからぁーん、えへ」

 道子が小首を傾げてみせると、武蔵野は骨格の太い肩を竦める。

「なら、いいんだがな。脳みそだけとはいえ、お前も女なんだ。無理はしすぎるなよ」

「へっ?」

 予想もしていなかった言葉に、道子は思わず素が出てしまった。武蔵野はスポーツドリンクのボトルを取り出すと、 口が滑っちまったな、とぼやきながらキッチンを後にした。生体部品が脳だけのサイボーグは性別なんてあってない ようなものなので、男だろうが女だろうが扱いは変わらない。だから、これまで道子を女性扱いしてくれるような人間は ほとんどいなかった。ハルノネットの技術主任である美作彰は道子を着せ替えて遊ぶが、それはあくまでも人形 の延長でしかない。ハルノネットの工作部隊は更にそれが顕著で、下の名前で呼ばれたことなど数えるほどでしか なかった。だから、りんねや武蔵野に下の名前で呼ばれるのはくすぐったくもあり、心の片隅で喜んでいたのだが、 そこから先はないのだと諦観していた。それなのに、こんな直球を投げられるとは。

「あ、あー、はぁーい……」

 道子は武蔵野の分厚い筋肉が付いた逞しい背中を見送りながら、どんな表情をしたものかと悩んだ。だが、それを 悩むこと自体が無駄なのだとすぐに思い直した。女扱いされたところで、行き着く先は性欲処理の道具なのだから、 嬉しがってはいけない。性別を捨てたフルサイボーグの女性が異性からちやほやされて女らしさを取り戻したところで、 首から下の制御を物理的に切断されて蹂躙されてしまう、という話は珍しくもなんともない。武蔵野がそんな歪んだ 性癖を持っているとは思いたくはないが、柔らかな態度には裏があるのだと勘繰らずにはいられなかった。
 結局、謎の卵焼きを食べる気にはなれなかった。





 


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