機動駐在コジロウ




窮鼠、ネットワークを噛む



 都内某所。
 気付けば、事は大事になっていた。オスプレイで都内に輸送されると、今度は車に乗せられてどこぞのホテルへと 連れ込まれ、やたらと間取りが広い部屋を割り当てられた。政府要人を移送する際に使うような重装備のハイヤー に乗せられ、寺坂は自前のフェラーリの助手席に一乗寺を乗せて後続してきた。おかげで無駄に目立ってしまい、 道中、政府関係者が殺気立っていたのは気のせいではないだろう。
 嵌め殺しの大きな窓から下界を見下ろして、つばめはちょっと臆した。このホテルは超高層なので、周囲のビル群 からは頭一つ二つ抜きん出て高い。よって、当然のことながら人も車も建物も小さく見えるのだが、見慣れない景色 なので背筋の辺りがぞわりとする。高度で言えばオスプレイの方が余程高かったのだが、飛行中は窓の外はあまり 見られなかったし、状況に付いていくだけで精一杯だったので景色を楽しむ余裕なんて皆無だった。だから、ホテル に到着して一休みして乗り物酔いも収まったので、ようやく周囲を眺めることが出来るようになっていた。

「一泊でいくらぐらいするのかな、この部屋」

 つばめが何の気無しに漏らすと、女性型サイボーグのボディに意識を移し替えた道子が教えてくれた。

「エグゼクティブスイートなので、ざっと二十万といったところでしょうか」

「それを税金で落とすわけ? うっわー、無駄だー、超絶に無駄だ。私だったら、そのお金で一ヶ月分の生活費でも 見繕っちゃうけどな。株主総会までのボディガードだったら、コジロウがいるわけだしさぁ」

 こっちはロハだもん、とつばめがリビングの出入り口を守っている警官ロボットを示すと、道子は笑う。

「そうですね。ですけど、政府が絡んできたとなると、あちら側にも体面というものがありますし、一乗寺さんの作戦 にも準備が必要ですから、あちら側の態勢が整うまでは私達の身の安全を確保しておかなければならないんですよ。 この手のホテルはそういった警備にも長けていますし、従業員の身元も洗い出しているでしょうから、安心して休んで いいですよ。高いお金を払って借りた部屋なんですから、使い切ってしまえばいいんです」

「つばめと設楽女史に危害が及ぶ可能性があれば、本官が応戦する」

 ドアを背にしているコジロウが平坦に述べたので、つばめは座り心地が抜群のソファーに腰掛けた。

「そりゃそうだけどさぁ」

「何か懸念でもありますか、つばめちゃん?」

 誰かに似ているようで誰にも似ていない顔と日本人女性の平均的な体系で出来上がっている道子は、表情のクセ が全く付いていない顔の人工外皮を動かして、少し不安げな面差しを作ってみせた。つばめはソファーの上で胡座を 掻いて後頭部で手を組み、煌びやかなシャンデリアが下がっている天井を仰ぎ見た。

「懸念っていうか、道子さんはどうして桑原れんげを倒したいの? 説明されたことを全部理解出来たわけじゃない けど桑原れんげは道子さんが作ったキャラクターのスペックを元にして出来上がったモノであって、道子さんの人生 の断片を喰い千切って成長していったモノなんでしょ? だから、分身そのものじゃない。なのに、消すの?」

「分身だからこそ、消すんですよ。あれを成長させたのは私自身ではないけど、生み出したのは私ですから、責任を 取らなければならないんです。記憶を一切合切消去していたとはいえ、ハルノネットから命令されるがままにアマラ の能力を悪用して犯罪を重ねていたことも、そうです。私は肉体的には完全に死亡しましたから、現行の法律では 私を裁くことは出来なくなってしまいました。被疑者死亡で告訴されるでしょうが、それだけです。私は罪の意識こそ あれども、罰を受けることは適わないんです。だから、私は出来ることをやり抜こうと思っているんです」

 道子は政府関係者が支給してくれたリクルートスーツに袖を通し、寸法を確かめた。ぴったりだった。

「本来は私一人ですべきことなのですが、つばめちゃんや皆さんを巻き込んでしまって申し訳ありません。今にして 思えば、寺坂さんの元に赴くべきではなかったのかもしれません」

「いいよ、こういうことには慣れてきたから。それに、私もアマラに用事があるし。だけど、そのアマラを回収するため には、桑原れんげをどうにかしなきゃならない。桑原れんげをどうにかするためには、サイバーパンクな世界にいる 妄想の固まりと直接対決出来る人材が必要。だから、道子さんが必要。ってことだから」

 複雑な感情は残っていたが、今は私情を抜きにするべきだ、と判断した末の結論だ。

「そうですか。それで、アマラを何に使うんですか?」

 道子は真新しいパンプスを箱から取り出すと、ストッキングを履いたつま先を差し込んだ。

「フジワラ製薬に誑かされて怪人にされた挙げ句、アソウギに溶かされちゃった人達を元に戻すためにはアマラの 情報処理能力が必要だってコジロウが言うから。そのままにしておくのは、色々とアレかなぁって思って。そりゃまあ、 フジワラ製薬の人達からアソウギを怪人達ごと寄越された時には戸惑ったけどさ」

「つばめちゃんは正義感が強いんですね」

「まっさかぁ」

 道子の思い掛けない評価に、つばめは失笑する。

「そりゃ、ちったぁそういう気持ちもないわけじゃないよ。可哀想だって思うし。だけど、本命はそれじゃない。怪人に されていた人達を元に戻して恩を売っておけば、何かの役に立つかなぁって考えたから」

「あらまあ」

「道子さんって、そういうの嫌い?」

「いいえ。御嬢様だけでも御苦労をなさっているのに遺産まで相手にしなければならないんですから、つばめちゃんは それぐらい強かでないと乗り切れません。だから、そのままで結構ですよ」

「で、モノは相談なんだけどさ」

「はい、なんでしょう?」

 ドレッサーと向かい合ってセミロングの髪をまとめていた道子は、一旦振り返った。

「アマラと桑原れんげのことが片付いたら、道子さんはどうするの? また吉岡りんねのメイドさんに戻るの?」

 つばめは手を伸ばし、リビングテーブルに用意されているウェルカムチョコレートを一つ取る。

「私は御嬢様から処分された身の上ですので、不可能です。かといって、美作彰が勤務しているハルノネットで今後 も業務を行えるとも思えませんし、あの男の傍にいたくありません。ですから、事を終えたら、私は潔くこの世界から 消えるつもりでいます。電脳体の寿命は解りませんが、広大なネットワークを泳いでいれば時間なんて忘れることが 出来るでしょうし、寂しくありませんから」

「じゃ、雇われてくれる? あのヘビ男の時は失敗しちゃったけど、今度は大丈夫そうだし」

「はい?」

 きょとんとした道子に、つばめはチョコレートを食べつつ畳み掛ける。

「私は管理者権限を持っているけど、だからって何から何までコントロール出来るわけじゃないってこと、これまでの 事で身に染みているから。だから、アマラを使ってアソウギに溶けた人達を元に戻せるような技術を持った人材が 不可欠ってわけ。で、その仕事が出来そうなのは、道子さん以外にはいない。お姉ちゃんと寺坂さんを襲ったことは チャラにはしないけど、これ以上はゴチャゴチャ言わないよ。もちろん、給料も出すし、私んちで良ければ住まわせて あげるし、休みの日にはサイボーグボディで遊びに行ってもいいし」

「え!? いいんですか、街に遊びに行っても!」

 唐突に道子が食い付いてきたので、つばめは若干気圧されながらも頷いた。

「う、うん。電脳体って言っても、道子さんは若い女の人だから、色々と遊びたいだろうし」

「後で契約書を作って下さいね。俄然、やる気が出てきました!」

 道子は両手で拳を固め、意気込んだ。どこにツボがあるか解らないものだなぁ、とつばめは意外に思いながらも、 話し合いがすんなりと終わったことに安堵していた。これで、アマラとアソウギを持て余さずに済む。上手くすれば、 アソウギを収めているタイスウも活用出来るようになるかもしれない。
 妙に機嫌が良くなった道子がサイボーグの人工外皮用のメイク道具を広げ始めた頃、ドアがノックされた。つばめ が腰を上げかけると、コジロウがそれを制してドアに向かった。コジロウが電子ロックを解除するや否や、廊下側 から全力で蹴り開けられて二人の男が飛び込んできた。

「いっえーい!」

 絵に描いたようなテロリストの格好をした一乗寺が、黒いスーツ姿の寺坂を引き摺っていた。

「変な具合に掴むんじゃねぇ、シワになっちまうだろうが!」

「どう、似合う? 似合うよね、似合わないわけがないよね、似合わないって言ったらぶっ飛ばすぞーう!」

 一乗寺はお気に入りの服を着た少女のように飛び跳ねながら、迷彩柄の上下とニット帽と鼻から下を隠すための バンダナを見せつけてきた。ホルスターには愛銃のハードボーラーが下がり、背中には自動小銃を担ぎ、ベストには 手榴弾が下がり、中東帰りといっても差し支えがない。対する寺坂は、サングラスと黒いスーツが相まって凄腕の シークレットサービスのような印象を受ける。その右手は相変わらず包帯に戒められている。

「はいはい、お似合いでーす」

 つばめがぞんざいに返すと、一乗寺は満面の笑みを浮かべた。

「てなわけだから、明日はよろしくね。俺、頑張っちゃうから! なんだったら、二三人殺したっていいよ?」

「余計なことをやらかすんじゃねぇ、後始末でまた無駄な税金を使っちまうだろうが」

 寺坂は一乗寺の後頭部を左手で押さえ込むと、一乗寺は幼い表情で頬を張った。

「スーツのよっちゃんってなんか変ー。可愛くなーい」

「てなわけだから、明日はよろしくな。俺達はやれるだけのことをやる、だからつばめもやれるだけのことをやれ」

 寺坂は右手でつばめの頭を押さえたので、包帯越しの触手の感触に戸惑いながらも、つばめは目を上げた。

「解っているって。にしても、寺坂さんの触手って結構ぶよぶよしてんだね。縛るの大変でしょ」

「そうでもねぇよ。全部筋繊維みてぇなもんだから、力さえ入れりゃどうにでもなる」

 じゃあまた後でな、と寺坂はつばめと遊ぼうとする一乗寺の襟首を掴んで、廊下に放り投げてから自分も廊下に 出てドアを閉めた。つばめがなんとなく手を振ると、コジロウはつばめの動作を真似て手を振った。こんなことで無事 に事が済むのだろうか、そんなわけがあるものか、だがその時はその時だ。諦観を交えながらも腹を据えたつばめ は、自分の服を広げることにした。株主総会の場に着ていくのは、学生の身分で最もフォーマルな服装である制服 だと決まり切っているが、それは明日の話だ。まだ十時間ほど時間があるのだから、それまでは自由だ。ホテルの中 であれば歩き回ってもいいだろうし、滅多に来ない場所なのだから目一杯楽しんでおかなければ損だ。
 宿泊料金分の元を取らなければ。




 翌日。株主総会当日。
 ハルノネット本社に寺坂のフェラーリ・458で乗り付けたつばめは、助手席から下りた途端、他の来場者の注目を 一心に浴びた。猛烈な羞恥心に駆られているつばめを横目に、運転席から下りてきた寺坂は悦に入っているのか、 意味もなくサングラスの位置を直している。つばめ達に少し遅れて駐車場に滑り込んできたコジロウはフェラーリの 横でブレーキを掛けて制止すると、両足を変形させてタイヤを引っ込め、蒸気を噴出して廃熱を行った。コジロウと 寺坂に左右を固めてもらってから、つばめはトランクを軽くノックした。すると、内側からノックが返ってきた。

「大丈夫だって」

 つばめがトランクの中に収まっている道子に代わって答えると、寺坂はほっとした。

「そりゃ良かった。2シーターでさえなければ、ちゃんと乗せてやれたんだが」

「で、コジロウ、タイミングは解っている?」

 寺坂がイグニッションキーでトランクのロックを開けたのを確認してから、つばめはコジロウに念を押した。

「理解している」

「あの馬鹿がパーティーを始めたら、すぐに来いよ。手間取ると後に響くからな」

 じゃあな、と寺坂はコジロウの肩を叩いてから、つばめを促してきた。つばめは後ろ髪を引かれつつも、駐車場を 後にした。ハルノネットの駐車場には、今回の株主総会に赴いた株主達の自家用車がずらりと並んでいた。寺坂の ようなフェラーリとまではいかなくとも、それなりに値の張る車が多く、資本主義の力強さを思い知る。株主達の服装 はスーツであったり着の身着のままであったりと様々ではあったが、圧倒的に中高年の男性が多いので、中学校の 制服姿のつばめは果てしなく浮いていた。場に馴染んでいないどころか、一体誰がこんな子供を連れてきたんだ、と 言わんばかりに凝視された。が、SP紛いの格好の寺坂が愛想良く笑い返すと、男達は慌てて目を逸らした。

「なんだかんだで面白がってない?」

 つばめが寺坂を見上げると、寺坂は口角を上向ける。

「そりゃあな。何事も楽しんだもん勝ちよ」

「悲観的になるよりはマシかもね」

 程度にもよるけど、と付け加えてからつばめは先を急いだ。ハルノネットの本社に入ると、株主総会会場、順路、 との矢印が書かれた貼り紙がそこかしこに掲示されていた。それを辿って進んでいくと、本社一階を通り抜け、別館 である講堂に到着した。受付の女性型サイボーグに電子株券と入場票を提示し、未成年なので付き添いを連れて きました、と言い張って寺坂も中に連れ込んだ。寺坂は作り物らしい整いすぎた美貌を持つ受付嬢に興味津々では あったが、本懐を忘れられたら困るので、力任せに引き摺っていった。
 ハルノネットの講堂は立派なものだった。緩やかなカーブを描いてステージに面している観覧席は全部で一千人 弱を収容出来るばかりか、音響設備も整っているのでコンサートも開催出来そうだ。資料として渡された会社役員 を紹介する小冊子を広げると、真面目な顔をした重役達の顔写真とプロフィールは隅に追いやられていて、新社長に 就任した桑原れんげがアイドルグラビアのようなポーズで笑顔を振りまいていた。その顔は、つばめの記憶の中に かすかに残っている桑原れんげのものよりも遙かに派手で、美少女と呼ぶべき容貌に変化していた。そして、服装 が呆れるほど煌びやかだった。金髪ツインテールにサファイアのような青い瞳、背中からは純白の翼が生え、胸の 大きさと腰の細さを強調するコルセットにバレリーナを思わせるチュチュスカート、腰には針金が入っているであろう 巨大すぎるリボン、太股にはレースたっぷりのガーターベルト、両足はピンヒールのショートブーツ、両腕はシルクの ような艶を持った長手袋に包まれていた。更に言えば、少女漫画のようなキラキラしたエフェクトも加えてある。

「どう、これ?」

 つばめは隣の席に腰掛けた寺坂に桑原れんげのグラビアを見せると、寺坂はげんなりした。

「これは媚びすぎだろう……。今時、こりゃねぇよ。ウィンクしながら小首を傾げて腰を半端に捻って右腕で胸を強調 しながらも投げキスなんて、くどくて胃もたれがする。しかもこれ、衣装があの神聖天使のじゃねぇか。うげぇ」

「へえ、これがねぇ」

 つばめはその衣装をまじまじと眺めてみたが、可愛いと思うよりも先にデザインが重たいと思った。元々魔法少女 アニメに登場する魔法少女の最終パワーアップ形態なので、ごてごてしているのが当然ではあるのだが、いっその こと装飾を削ぎ落とした方がいいのでは。特に不要なのが、この腰のリボンだ。戦闘中に敵に掴まれたら、一巻の 終わりではないか。更に言えば、このツインテールもひどい。ツインテールだけならまだしも、その結び目には宝石 と思しきハート型の飾りがあり、前髪からは触角のように二本の髪が跳ね、両サイドの髪もやたらと長くて胸の谷間に 届いている。中身がアレだと知っていると、一層萎えて仕方ない。
 渋面を作ったつばめは小冊子を閉じてカバンにねじ込み、講堂のステージ前を見下ろした。そこで、見覚えのある 人影に気付いた。同じように小冊子を広げて眺めている後ろ姿は、吉岡りんねに間違いなかった。しっとりと濡れた ような艶を帯びた長い黒髪に御嬢様学校の制服、銀縁のメガネ。通り掛かる男達は、りんねの前を意味もなく何度も 行き来しては好色な目を向けていた。一人きりってことはないよね、と思ったつばめは身を乗り出し、りんねの周囲を 窺うと、りんねの隣の席には矮躯の男がすっぽりと収まっていた。吉岡一味の一人、高守信和だ。
 なんて珍しい。それがつばめの率直な感想だった。こういった場では、りんねの護衛役に付くのはサイボーグで あり女性である道子なのだろうが、当の道子は今やつばめ側に付いたも同然だ。だったら武蔵野が適任ではないの だろうか、とは思ったが、高守を護衛役にすると判断したのはりんね本人だ。きっと思惑があるのだろう。それに、 相手は敵対しているのだ。気に掛けておく義理はない。そう結論付け、つばめは座り直した。
 司会役のハルノネット社員から席に着くようにとのアナウンスの後、講堂のドアが閉められた。道子の言っていた 通り、警備員である武装サイボーグが三箇所の出入り口を固めている。彼らは軍用サイボーグ顔負けの重装備で、 全員が脇のホルスターに銃を携帯している。といっても、実弾ではなくゴム弾だろうが。
 ステージの左脇からは、会社役員達がぞろぞろと登場してきた。彼らはステージに一列に並べられている椅子に 腰掛けて、神妙な顔をして株主達を見回してきた。つばめはちょっと居心地が悪くなり、身を縮めた。だが、寺坂は 殊勝な気持ちはないらしく、前の座席に誰も座っていないのをいいことに、足を組んで背もたれに乗せた。
 行儀が悪いとつばめが寺坂の足を引っぱたこうとした時、講堂の照明が落ちた。途端に株主達はざわめいたが、 会社役員達は無反応だった。すると、ステージ中央にスポットライトが落ち、眩い光の輪の中に少女が現れた。

「はあーいっ、皆、元気ぃー!?」

 神聖天使の格好をした桑原れんげだった。アイドルコンサートの出だしのようなセリフの後、手にしていたマイクを 観覧席に向けるも、返事は返ってこなかった。当然である。

「もお、皆、ノリが悪いぞー!」

 スポットライトの中で飛び跳ねた桑原れんげは、ツインテールを煌めかせながらポーズを決めた。

「この私、桑原れんげちゃんがハルノネットの新社長であり、人間をもっともーっと素晴らしい高みに導く存在なの!  好きって言ってよ、言ってくれたらその分だけあなたのことも好きって言ってあげるから!」

 だが、反応はない。皆、呆気に取られているからだ。

「誰だって、自分のことを他の人に知ってほしい、認めてほしい、褒めてほしい、解ってほしいって思っていることを、 れんげは知っているんだから。でね、れんげはね、皆の気持ちが解るんだ。ふふ、それはなぜかって? それはね、 れんげが神聖天使だから! この世を愛で満たすために全宇宙の希望と夢を得てパワーアップした、魔法少女の 中の魔法少女だから! だからね、人間同士が解り合えるように出来るだけじゃなくて、幸せな気持ちにも出来る んだよ。だって、皆の心の中にはれんげがいるんだから」

 ねっ、と愛らしい笑顔を浮かべたれんげが小首を傾げると、つばめと寺坂とりんねと高守以外の株主達が一斉に 立ち上がった。そして、中年の野太い歓声が講堂を揺らがした。きゃあーんありがとぉー、とれんげは媚びた仕草で 株主達に手を振り返している。一瞬のうちに彼らの思考を掌握したらしい。れんげの能力につばめが僅かに臆する と、れんげの視線がつばめに定まった。媚びた笑顔が消え去り、氷の刃の如く冷えた眼差しが上がる。

「でもぉー、れんげのこと、嫌いな子もいるみたい。れんげ、悲しいっ」

 れんげが口元に両手を添えて体をくねらせると、株主達がつばめを凝視してきた。すかさず寺坂が立つ。

「生憎、俺もお前みてぇなメスガキには興味ねぇよ。株主総会だったら、会社経営について話せよ」

「だぁーからっ、今、お話ししているんじゃない。れんげはね、ハルノネットの電波をちょっぴり強くして、皆をとっても とってもとおっても幸せにする会社にしようって思っているんだぁ。皆は現実を生きていくのが辛いって言っているし、 疲れ果てている皆を見ているとれんげは悲しくなっちゃうの。だからね、皆を幸せにしてあげて、生きていくのが辛く ないようにしてあげるの。どう、素敵でしょ? 夢みたいでしょ?」

「うん、夢だね。悪夢以外の何物でもない、変な妄想だよ」

 つばめも立ち上がり、れんげを見下ろす。れんげはマイクを胸元で持ち、上目遣いにつばめを見つめる。

「ひどい……。れんげは、皆のためを思って一生懸命考えたんだよ? それなのに」

 潤んだ瞳から、透き通った涙が音もなく零れ落ちる。だが、ステージに滴っても水音はしなかった。株主達の視線 に突き刺すような敵意が加わり、つばめは身を引きかけたが意地で踏ん張った。気合い負けしている場合ではない からだ。寺坂は右手の包帯を緩めるために左手の指を掛け、つばめを背にしている。と、その時。
 ガラスが破られた破壊音、受付嬢達の絹を引き裂くような悲鳴、警備員の武装サイボーグ達が壁に激突したで あろう鈍い金属音、そしてスポーツカー特有の鋭いエグゾースト。それは真っ直ぐ講堂に接近し、そして。

「いっええええーいっ!」

 講堂の正面出入り口のドアを吹き飛ばして突っ込んできたのは、寺坂の愛車であるフェラーリ・458であり、その 運転席にはテロリストの格好をした一乗寺が乗っていた。真紅の車体は見るも無惨な傷が付き、ボンネットは激突 した武装サイボーグの形にへこみ、滑らかな塗装はそこかしこが剥げ、フロントガラスにはクモの巣状のひび割れが 出来ていた。寺坂は呆然としていたが、我に返り、喚き散らした。

「てめぇっ、よくも俺の可愛いフー子ちゃんを! エンジン直結させやがったなぁああああっ!?」

「何それ」

 フェラーリに付ける名前にしては地味すぎないか。つばめが呆れるが、寺坂はエキサイトする。

「いいから下りてこい、俺と戦え、今日という今日は絶対に許さねぇからなぁっ!」

 今にも包帯を解きそうな寺坂を横目に、一乗寺は悠長な足取りでフェラーリ・458から離れると、おもむろに発砲 した。弾丸は天井に命中し、スプリンクラーを損傷させたのか、一筋の水が降り注いできた。

「いいから黙ってくれる? 月並みな文句でなんだけど、この会場は俺が占拠したー! でもって、今、この瞬間から 社員全員が人質だぁーい! ちょっとでも逆らってみろ、脳みそがバーンだ!」

 これこそ、一乗寺が思い付いた作戦だ。テロリストがハルノネットの株主総会会場に襲撃して騒動を巻き起こし、 桑原れんげの注意と支配力を逸らさせた上でフェラーリ・458のトランクに仕込んでおいた、妨害電波発生装置を 作動させる、というものだ。どこぞの中学生の妄想にありそうな展開であり、単純すぎやしないかとつばめは懸念を 示したが、こういうのは解りやすい方が良いんだと一乗寺は笑うだけだった。だが、怒り狂っている寺坂の様子から 察するに、フェラーリ・458が株主総会会場に突っ込んでくるのはアドリブだったらしい。つくづく不良教師だ。
 余程楽しいのか、一乗寺はハイテンションだった。銃声を聞いたことで桑原れんげの支配が緩んだのか、株主達 は動揺し始めた。れんげはまた株主達に語り掛けようとするも、一乗寺は再度発砲してその言葉を遮った。一乗寺は 硬直した男達を見て満足げに頷いてから、観覧席の階段を下りていき、ステージ前の座席にいる吉岡りんねの元に 到着した。りんねはすぐにテロリストの正体が一乗寺だと悟ったのか、身動ぎもせずに一礼した。

「これはこれは御丁寧に」

 一乗寺はりんねに頭を下げ返したが、直後、りんねを左腕で拘束して銃口を突き付けた。

「さあ見ろお前ら、これがリアル美少女だ! その名も吉岡りんね、かの有名な吉岡グループの御令嬢にして管理職 であり、超絶美少女だ! 色白黒髪だぞ、もちろん処女だぞ、CGなんかで出来た妄想アイドルとは訳が違う!」

 それは脅し文句になるのか。それ以前に凄まじいセクハラだ。つばめは、初めてりんねに同情した。

「どうせ慰めてもらうなら、自分の妄想の延長なんかよりも、生身の女の方がずっとマシだろ?」

 一乗寺はまだ熱を帯びている拳銃を差し込み、りんねの制服の裾を持ち上げ始めた。ジャケットの下のブラウス が覗き、更にブラウスがずり上がっていくと細い腰が垣間見え、つばめは気まずくなって目を逸らしかけた。けれど、 当のりんねは抵抗すらせずに一乗寺に拘束されていて、高守も上司を助ける気配もない。このまま放っておいたら 一乗寺は何をしでかすか解らない、かといってりんねを助けては今後の戦いに響くのでは、とつばめが悩んでいると、 寺坂はつばめを小突いてりんねに向き直らせた。
 りんねはつばめを見上げて、声を出さずに口だけを動かした。早く行きなさい。だとよ、と寺坂に強調され、つばめは 観覧席に棒立ちになっている男達を押し退けて階段を駆け上がっていった。寺坂も後に続く。フェラーリ・458が 破壊した出入り口とは別の出入り口から廊下に出ると、生き残っていた武装サイボーグがつばめを取り押さえようと 飛び掛かってきた。が、白い機体が駆け抜け、鈍色の武装サイボーグは廊下の奥へと吹き飛ばされた。

「コジロウ!」

 つばめが歓声を上げると、コジロウは頷いてみせた。フェラーリ・458のトランクが中から開き、リクルートスーツ 姿の道子が現れた。彼女はトランクの片隅からランドセルよりも一回りは大きい箱、大型の外付けハードディスクを 取り出すと、それを背負って頸椎のジャックにケーブルを接続した。通常のサイボーグボディではアマラのプログラムを 解析出来るほどの演算能力がないため、増強するために持ってきたのだ。コジロウは物凄く残念そうな寺坂を 一瞥した後、フェラーリ・458のテールバンパーが歪むほど強く蹴り付け、講堂に叩き込んだ。途端に凄まじい悲鳴 と怒号が上がり、開いているドアからは人々が我先にと逃げ出してきた。本社の正面玄関を目指して走っていく男達 を見送った後、道子は皆に向き直った。

「行きましょう、皆さん。メインコンピュータールームは地下二階から四階にあります」

「みっちゃん、トランクの中に仕込んでおいた装置は作動させてきたか?」

「ええ、もちろん。あの程度の衝撃では破損しないでしょうし、バッテリーも三時間は持つはずですから、桑原れんげ の動きを封じられないにしても、多少は足止め出来るはずです。もっとも、あれに足はありませんけどね」

 寺坂に返しつつ、道子はフェラーリ・458が空けた大穴を一瞥した後、駆け出した。

「じゃ、私達もおうっ!?」

 つばめはコジロウに指示を出そうとすると、言い終える前にコジロウに横抱きにされた。サイボーグの強靱な脚力 を発揮して駆けていく道子の後をコジロウが追い掛けていくと、こら待てよ、と取り残された寺坂が追い縋ってきた。 革靴で走っては間に合わないと踏んだのだろう、右腕の触手を全て解放して天井や床に叩き付けて体を飛ばしながら 追ってきた。ああいう使い方も出来るのか、とつばめはちょっとだけ感心した。
 地下室に通じる階段は、もうすぐだ。





 


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