機動駐在コジロウ




好きこそもののジャンキーなれ



 チクワ入道が爆死してからというもの、りんねの行動がおかしくなった。
 それまでは日々規則正しく行動し、秒単位でタイムテーブルが組めるほどの完璧な行動パターンが出来上がって いたのだが、ニンジャファイター・ムラクモの放映が終わってからは自室から出てこなくなってしまった。食事時には 高守が作った食事を差し入れると器が空になって帰ってきたが、リビングにも顔を出そうとしなかった。何から何まで りんねらしからぬことばかりで、武蔵野はすっかり調子が狂ってしまった。
 監視カメラや盗聴器を駆使してりんねの行動を隅から隅まで把握している、鬼無克二にも連絡を取って確認して みたが、自室に籠もったりんねは、一心不乱に読書に耽っているか、何もせずに呆然としているかのどちらかなの だそうだ。実際、物音も話し声も聞こえてこなかった。月曜日になればまともになるだろう、と武蔵野は思っていた のだが、りんねの心の傷は予想以上に深かったのか、週が開けても出てこなかった。
 それから、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、と経過し、気付けば土曜日になっていた。このままでは、りんねは 完全に引き籠もってしまうのではないか。たかがチクワ入道が爆死しただけなのに、と、武蔵野は呆れ返ってしまい そうになったが、自分に置き換えて考えてみた。事前情報もなしにレギュラーキャラが死亡したら、自分が思っている 以上にショックを受けるに違いない。もしも、それがニンジャファイターの一員であれば。その中でも武蔵野が最も 気に入っている、鬼蜘蛛のヤクモが戦死したりしたら。或いは、宇宙山賊ビーハントに拘束されて洗脳されて悪役側 に回ってしまったりしたら。一週間か、それ以上は引き摺ってしまうに違いない。だから、武蔵野はりんねの様子を 見守ろうと決めた。あまりにもひどいようであれば、実力行使も辞さないが。

「と、いうわけなんだが」

 冷房が効いていても機械熱で蒸し暑い、鬼無のプレハブ小屋を訪れた武蔵野が事の次第を説明すると、大量の パソコンに囲まれている上に数十本のケーブルを己のサイボーグボディに接続している鬼無は、冷ややかな反応を 示した。鏡面加工のつるりとしたマスクフェイスではなければ、呆れ顔を浮かべていたことだろう。

「馬ッ鹿じゃないですかー? 御嬢様も、武蔵野さんもー」

「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」

 少し苛立った武蔵野が言い返すと、鬼無は細長い指でぱたぱたとキーボードを叩いた。

「てか、チクワ入道なんて大して受けなかったじゃないですかー。ニンジャファイターの実況スレもそんなに伸びては いなかったですし、SNSのホットワードにもならなかったし、検索ワードの上位にも昇らなかったレベルの雑魚中の 雑魚でザッコザコしすぎる怪人ですよー? たぶんソフビにもならないレベルじゃないですかー?」

「お前、お嬢の監視をしながら何をやっているんだ」

「そりゃ決まってますってー、ネットの巡回ですー。今の俺は自宅警備員みたいなもんですからね、盗撮は楽しくて たまらないですけど、映像に動きがあるかどうかはソフトで割り出せるんでー、そのソフトが反応するまでは基本的に 退屈なんですよねー。だから、撮り溜めしておいたアニメとかを消化しつつ、ネットをぐるぐるっとー」

「良い身分だな、おい」

 武蔵野が毒突くが、鬼無には嫌味は通じなかった。

「俺もそう思ってますー。新免工業に就職して良かったなー、って」

「で、チクワ入道は置いておいて、あの社長はどうしている」

 冷房が効いているのかいないのか解らないほど暑苦しいので、武蔵野は首筋に滲んだ汗を拭った。

「元気ですよー? あの人、サイボーグの操縦が意外と上手みたいで、チクワ入道みたいなクセの強すぎるボディも ちゃんと動かせてましたしねー。もっとも、サイボーグ慣れしていないと脳が死ぬほど疲れちゃうんで、今頃はクール ダウンの最中だと思いますよー。各種センサーとの接続を切って精密検査、って段階ですねー。だけど、その合間に メールが来るんですよー。俺のこと、メル友だとでも思ってんでしょうかねー」

「知るか、そんなこと。だが、無下にはしていないだろうな」

「そりゃまあ、書類の上では俺達と同じ実働部隊の隊員扱いですしー、機嫌を損ねられたらいざっていう時に肝心な 仕事をさせられませんからねー。まー、返信の文面は決まり切っていますけどー」

 こんな具合に、と鬼無はノートパソコンのモニターを示したので、武蔵野は身を乗り出した。そこには藤原忠からの 情熱的ですらある長文のメールに対する返信が表示されていたが、へー、それは凄いですね、と二行だけだった。 ビジネスライクですらない、鬼無のやる気のなさだけが曝け出されている。これで藤原は怒らないのだろうか、と 武蔵野は一抹の不安に駆られたが、前後のメールのやり取りに目を通してみると、藤原のテンションの高さと鬼無の テンションの低さは全く変わらなかった。要するに、藤原は鬼無にメールを読んで反応を返してもらいたいわけでは なく、メールを送り付けることで満足しているらしい。だから、鬼無の脱力した返信に怒りもしないのだ。
 なんて非生産的な。だが、それで双方がやりやすいならそれでいいのかもしれない、と武蔵野は妥協しつつ、藤原 のいきり立つような文面のメールに目を通し続けた。チクワ入道のサイボーグアクターとして撮影現場に向かう前日 はハイテンションの極みで、エクスクラメーションマークが全ての行で乱舞していた。これが五十路を過ぎた子持ちの男 がしたためるメールなのか、と武蔵野は頭痛すら感じた。伊織はまだしも、その父親は理解しがたい。

「鬼無。今、メールを出せるか」

 武蔵野が言うと、鬼無は首を捻った。フェンシングのフェイスガードを思わせるフェイスカバーが天井を映す。

「そりゃー出せますけどー、あの社長さんに何か御用ですかー?」

「チクワ入道がどうなったのか、聞いてみてくれないか」

「撮影が終わったら、さっさと引き上げて制作会社の倉庫行きだと思うんですけどねぇー。ガワだけ外して。ああいう 特殊な形状のサイボーグボディは特注品ですからー、ガワは出来るだけ安く仕上げて中身を使い回せるように改造 するのが定番なんですよー。っと」

 鬼無は武蔵野の質問をそのまま書き込んだメールを送信したが、一分もしないうちに返信があった。

「オゥフ、相変わらずの早さー。チャットじゃないんだからなー、もう」

 鬼無はぶつぶつ言いながらも藤原忠からの返信メールを開き、妙に文面の長いメールを読み、要約した。

「えーっとですね、チクワ入道のガワはサイボーグボディごとヒラタ造型の倉庫にあるんだそうですよー。で、これがその 倉庫の中の写真だそうですよー」

「お、おお」

 思わず、武蔵野は前のめりになってしまった。それもそのはず、藤原のメールに添付されていた画像にはニンジャ ファイターシリーズで活躍した怪人達がずらりと並んでいたからだ。初代に登場した幹部怪人を始め、劇場版でしか 登場しない怪人のものや、ニンジャファイター自身のサイボーグボディもあった。その中に、チクワ入道がひっそりと 佇んでいた。古き良きナパームを使っての撮影を行ったからだろう、両手足に填っているちくわが煤けている。

「お嬢に画像だけでも転送してやるべきか?」

 武蔵野が自身の携帯電話を取り出すと、鬼無は人差し指を曲げて顎に当たる外装を引っ掻いた。

「んー、それはどうでしょうねー?」

「なんでだ、悪いことじゃないだろう」

「悪いことじゃないからこそ、なんか、嫌ぁな予感がするんですよー。って、言ってみたかっただけかもー」

「藤原忠みたいなことを言うな」

 とりあえず画像だけでも保存しておこうと、武蔵野は携帯電話をノートパソコンに近付けた。鬼無は渋りつつも操作 し、藤原忠からのメールに添付されていた画像を武蔵野の携帯電話に転送した。
 そして、武蔵野は鬼無が引き籠もっているプレハブ小屋を後にしたが、鬼無は腰を上げることもしなければ見送ろう ともしなかった。ローペースのランニングをして別荘に帰還すると、りんねが久し振りにリビングに下りてきていた。 いつもと変わらぬ涼やかな面差しで紅茶を傾けていて、身だしなみも整っていた。チクワ入道の一件など、最初から なかったかのようだ。なんだか拍子抜けした武蔵野は、クールダウンしようとキッチンの冷蔵庫を開けた。
 すると、冷蔵庫の中から大量に袋が雪崩れ落ちてきた。ちくわに他ならなかった。全部で五段ある棚は全てちくわ に占領されていて、冷凍庫にも、野菜室にも、冷蔵庫の空間という空間がちくわに支配されていた。武蔵野はちくわ の山に埋もれていた麦茶のボトルを取り出し、と不安に駆られながら振り返ると、りんねはちくわを御茶請けにして 紅茶を飲んでいた。小綺麗なケーキ皿に横たわる斜め切りのちくわは、シュールだった。

「お嬢、それはないだろう」

 武蔵野がげんなりすると、りんねはケーキフォークでちくわを差し、口にした。

「何か問題がございますか、巌雄さん」

「あるだろ、大いにあるだろ! ありすぎて、どこから突っ込んだらいいのか解らないくらいだ!」

 動揺した武蔵野に対し、りんねはちくわを咀嚼した後に紅茶を傾けた。

「ちくわの損失で受けた傷は、ちくわでしか癒せないと判断した結果です」

「なんでそういう理屈になるんだ!」

「ペットを失った飼い主は、再びペットを飼うことで喪失感を癒しているではありませんか」

「ペットロスとチクワ入道を同列に扱うことからしてまず間違っているだろ、間違っているって思ってくれよ!」

「でしたら、ちくわロスという造語を作ってさしあげます」

「そういう問題じゃない!」

「では、どういう問題なのか、仔細に説明なさって下さい」

「説明するだけ馬鹿馬鹿しさが増すだけだ!」

 武蔵野が必死になるも、りんねは意に介さずに、またもちくわで紅茶を飲んだ。アフタヌーンティーでサンドイッチを 食べる、ということは武蔵野も知っているが、それとこれとは根本的に異なっている。味を想像するが、どう考えても ちくわと紅茶が馴染まない。魚の風味と塩辛さと、紅茶の香りは相容れない。道子のトンチンカンな味付けの料理と いい勝負だ。いや、あんなものと勝負出来るモノがある方がどうかしているのだが。
 これは本格的に拙いことになってきた。今更ながら危機感を覚えた武蔵野は、ちくわの山を冷蔵庫に戻してから、 麦茶を呷った。水分が体内に染み渡っていくのを感じ取ってから、自室に戻った。携帯電話の中に保存されている チクワ入道の写真を展開し、これをりんねに見せるべきか否かを迷った。りんねはチクワ入道が作り物であること は解り切っているだろうから、だから何なのですか、と一蹴されるのが関の山だ。だが、りんねを現実に引き戻して やらないことには、今後の仕事にも差し障りが出る。
 武蔵野は汗を流してから着替えると、腹を括った。チクワ入道如きでヤキモキしていることが、そもそも馬鹿らしくて どうしようもないのだから、さっさと事を収束すべきだ。携帯電話をポケットにねじ込んでから再びリビングに入ると、 りんねは携帯電話を操作していた。が、武蔵野に気付き、手を止めた。

「巌雄さん、何か御用ですか」

「あのな、お嬢。あいつは」

「今し方、宇宙山賊ビーハントの方々と連絡を取りました。チクワ入道さんの雇用契約についてです」

「……あ?」

 予想の斜め上の展開に武蔵野が答えに窮すると、りんねは満足そうに目を細めた。

「ニンジャファイター・ムラクモがお芝居であることは百も承知です。ですので、チクワ入道さんはストーリーの上では 爆死してしまいましたが、現実では生き長らえているのです。異星人を相手に商談を行うのは初めてではありますが、 吉岡グループの資金力を持ってすればどうということはありません」

 もう、どうにでもなれ。武蔵野はりんねを説き伏せるのを諦め、再び自室に引き上げた。だが、ニンジャファイター・ ムラクモの悪役である宇宙山賊ビーハントと、どうやって連絡を取ったのだろうか。制作会社だろうか、サイボーグ アクターだろうか、或いはその所属事務所だろうか。きっと、相手が吉岡グループの社長令嬢だと知って、お情けで りんねと話を合わせてくれたに違いない。大体、宇宙山賊ビーハントが実在しているわけがないのだから。
 もっとも、実在していたならしていたで、是非とも会いたいものだが。




 一方、その頃。
 佐々木つばめは、何事もなく一週間を終えた。ハルノネットの一件のせいで授業計画が詰まっていたので、半ドン で土曜日も登校したのである。転校してきたばかりの藤原伊織も、欠席することもなければ授業をサボることもなく 登校し続けて勉強に勤しんでいた。必要以上は会話しようとしない伊織と、無駄にお喋りな一乗寺が摩擦を起こし かけることは多々あったものの、つばめはそれが過熱する前に二人を引き離した。場合によっては、コジロウの力で 物理的に引き離し、事が大きくなる前に阻止していた。おかげで、平穏無事な学校生活が送れていた。

「はい、これ」

 帰り支度を始めた伊織に、つばめは一枚のプリントを差し出した。

「んだよ」

 伊織はそれを受け取ると、触角を片方曲げた。

「夏休み前の家庭訪問のお知らせ、だってさ。何を今更、って感じだけどさ」

 先生は何度も家に上がり込んでるじゃん、とつばめがぼやくと、伊織はあぎとを少し広げた。

「だよな」

「で、今日の授業はどこまで理解出来た?」

「大体は。つか、一度は習ったことばっかりだし。俺にとってはマジ復習だし」

「それなのに、学校に来るの?」

「ウッゼェ」

 途端に伊織は顔を背け、あぎとを噛み締めた。少しでも突っ込んだ質問をすると、すぐにこうだ。つばめは若干 残念に思いつつも、通学カバンに折り畳んだプリントを入れた。伊織は寺坂のお下がりである使い古しのショルダー バッグを肩に引っ掛けると、引き戸を開け、一度身を屈めてから廊下に出た。
 窓を見上げると、程なくして伊織が夏の青空に吸い込まれていった。黒い外骨格に覆われた肢体が見事な放物線 を描きながら遠ざかっていくと、その着地点の木がかすかに揺れた。それ以降は、目で追えなかった。つばめは暑く 湿った梅雨明けの空気が流れ込んでくる窓枠に寄り掛かり、伊織が消えた空を仰いだ。

「可愛くないなぁ」

 つばめが漏らすと、コジロウが平坦に言った。

「藤原伊織は、可愛い、という評価に値する個体ではないと判断する」

「でも、コジロウは可愛いからいいの」

 つばめが笑むと、コジロウは身動いだ。

「その理由が見受けられない」

「そういうところが可愛い!」

 つばめがコジロウを小突くが、コジロウは戸惑ったのか、やや目線を下げた。可愛い、と評価されても、それに対する リアクションが思い当たらないのだろう。そういった無機質な部分が彼の魅力であり、頑なな態度も一巡すれば愛嬌に 変わってしまう。そう思ってしまうと、今まで以上に彼が愛おしくなってくる。身支度を調えたつばめは、戸惑いが処理 しきれないコジロウの手を引き、下校した。
 コジロウの硬く太い指は、夏に向かいつつある外気と機械熱を含んで暖まっていた。つばめの体温よりもいくらか 高めなので、真夏になったら触れるのを躊躇うほどの高温になるだろう。けれど、そうなったとしても、手を繋ぐのを 止めたいとは欠片も思わない。手を繋いで登下校するのは、いつのまにか習慣と化しているからだ。最初の頃は、 常に傍にいた方が襲われた時も対処しやすいから、と言い訳がましいことを言っていたが、今となってはそんな口実 は必要ない。近頃ではコジロウも弁えていて、つばめが手を伸ばすと人差し指と中指だけを伸ばしてくれる。

「先週も今週も、襲われなかったね」

 真昼の高い日差しが、濃く、短い影を生み出している。

「だが、油断は出来ない」

 歩幅が違いすぎるので、コジロウが一歩歩くたびにつばめは二歩歩く。

「まさか、吉岡一味が夏休みに入ったってわけじゃないよねぇ」

「攻勢を緩め、つばめの油断を誘う戦略である可能性も否めない。よって、警戒レベルは下げられない」

「うん。夏休みになったら、一緒に出掛けようね」

「その場合でも同様だ」

「解ってるってぇ。それでも、やりたいこととか行きたい場所とか一杯あるんだ!」

 つばめが繋いだ手を振ると、コジロウは右腕の力を抜いてくれたらしく、つばめの仕草に応じてコジロウの右腕が 前後に揺れた。その気遣いが嬉しくて、つばめは頬が緩んできた。パトライトと同じ色の赤いゴーグルアイがつばめを 見下ろしていて、滑らかな強化プラスチックには笑顔の少女が映り込んだ。

「で、さ」

 つばめはコジロウの指を一層強く握り締め、目線を彷徨わせた。コジロウは訝しげに、上体を曲げる。

「何だ、つばめ」

「そういうの、つ……」

 付き合ってくれるよね、と言いかけて口籠もり、つばめは意味もなく赤面した。付き合うといっても、それは男女交際 のことではなくて行動についての言葉なのに、口にしようと思うだけで照れ臭くなった。コジロウは文面通りの意味 でしか捉えないだろうし、つばめの葛藤など知る由もないだろうが、だからこそ余計に羞恥に駆られる。だが、言葉に しなければ、コジロウは解ってくれないのだ。だから、つばめは意を決して言い切った。

「付き合ってくれるよね!?」

 気合いを入れすぎて叫んでしまい、つばめは猛烈に恥ずかしくなってしまった。これでは告白したも同然ではないか。 赤面したつばめは俯き、繋いだ手を緩めかけると、コジロウの指が曲がった。つばめの手が外れないようにと 人差し指と中指を慎重に曲げ、接続部分に挟まないように位置を調節してくれた。

「了解している」

 腰を屈めてつばめと目線を合わせたコジロウは、逆光でマスクフェイスを翳らせながら頷いた。つばめは更に赤面 してきて目眩すら起こしかけたが、意地と根性で踏み止まった。そうと決まれば、コジロウと一緒に出掛けるための 計画を立てなければ。嬉しさのあまりに顔が崩れそうなほど笑みが込み上がってきて、歩調も早まった。
 夏休みはもうすぐだ。





 


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