機動駐在コジロウ




柔よくゴングを制す



 待ち遠しかった夏休みが始まった。
 けれど、小学校の頃のように心が弾むわけではない。ただ、安堵感が増すだけだ。夏休みの間ならば、登校せず に家にいてもなんら不思議はないからだ。居候している家に元々住んでいる親戚から向けられる視線も、母親から 浴びせられる小言も、少しだけ気にならなくなる。だが、家の外に出たいとは思えない。外に出たところで、今度は 中学校の同級生と顔を合わせてしまうからだ。東京に戻りたい、と何度願い、何度声を殺して泣いただろうか。
 美月は学習机代わりの座卓に置いたままの宿題の山を一瞥したが、中身を見ようとすら思わなかった。プリントの 束には手を付けることすらしていないので、夏休みの宿題の全容すら把握していない。それではダメだ、勉強だけは きちんとやらなければ、と思うものの、勉強しようとするだけで嫌な気持ちが蘇る。
 父親が違法なロボット賭博で身を持ち崩してからというもの、美月の生活は下へと落ちる一方だった。それまで は、都内の有名私立大学付属の中高一貫校に通っていた。成績優秀とは言い難かったが、気の合うクラスメイト達 と談笑し、部活動にも励み、洒落た制服に身を包んで通学していた。中でも一番仲良くなったのが、あの吉岡りんね だった。世界規模で事業展開している吉岡グループの社長令嬢でありながらも気取らない性格のりんねは、美月の 父親が経営する小倉重機に興味を示してくれた。りんねが切望したので、一緒に小倉重機の本社工場を見学した こともある。知性と気品の高さが感じられる立ち振る舞いと、美月など足元にも及ばない美貌を備えたりんねの傍に いるだけで、美月は多少なりとも優越感を覚えていた。美月自身の価値が高まったわけではないし、りんねは美月 を特別扱いしていたわけではなく、他のクラスメイト達と同じように接していた。それなのに、美月はりんねに何度か こんなことを聞いてしまった。私とりんちゃんは一番の友達だよね、と。

「一番……」

 その言葉に、りんねは少し躊躇った後に頷いてくれた。不本意だっただろうが。後から考えるに、美月はりんねが 他のクラスメイト達と仲良くしていることで危機感のようなものに駆られていた。りんねが仲良くなる相手が増えるに 連れて、りんねの美月に対する優先順位が下がっていくかのような、吉岡グループの社長令嬢と親しくしているという 付加価値が薄まっていくかのような、手前勝手な感覚だった。だが、りんねは他人に優劣を付けるような性格では なかった。むしろ、優劣を付けられることを嫌がっていた。どれほど外見を褒められようと、成績を讃えられようと、 それは自分だけに与えられる評価ではないから、と謙遜してばかりいた。それなのに、美月はりんねの一番の友達 になろうとした。一番でなければならないとすら、信じていたからだ。
 りんねが交通事故に遭ったのは、冬休みが明けてから間もない日のことだった。その日、美月はりんねと一緒に 登校しようと待ち合わせをしていた。中高一貫校では富裕層の生徒とそうではない生徒に溝を作らないため、車に よる送迎を禁止していたので、りんねも美月と同じく電車通学をしていた。最寄り駅で降車した美月は、駅前広場で りんねを待っていたが、登校時間が押し迫っても現れなかった。携帯電話にも連絡はなく、美月はりんねの約束を 破られたと腹を立てながら登校した。教室で会ったら文句の一つでも言ってやらなければ気が済まない、と苛立ちを 募らせながら、一月の教室に入った。だが、そこにもりんねはいなかった。ホームルームが始まると、青い顔をした 担任教師が教壇に立ち、りんねが登校中に事故に遭った、と告げてきた。途端に生徒達は大騒ぎし、女子生徒は 揃って悲鳴を上げ、男子生徒はざわめいた。誰かがお見舞いに行こうと提案したが、当分の間は面会謝絶だから、 と担任教師に宥められた。呆然とした美月は、騒ぐことすら出来ず、自分の席に座り込んだままだった。
 りんねがいなくなると、教室は華やぎが失われた。いや、学校全体から光が消えたかのようだった。けれど、それは 一週間足らずのことで、週が明けると皆はいつも通りに戻っていた。りんねが事故に遭った直後はひどく悲しみ、 嘆き、騒いでいたのに、何事もなかったかのような雰囲気になっていた。りんねの空っぽの机には、近付くことすら 憚られていたのに、今となっては男子生徒達が無遠慮に腰掛けては馬鹿笑いしている。美月はそれを咎めようかと 思ったが、言うだけ無駄だと解っていた。りんねがいなくなってからは、女子生徒達は声高にりんねの悪口を言い、 あの子って外面良すぎて気に食わないよね、ちょっと美人だからってね、金持ちなら奢れよ、などと誰かが言うたびに 笑い声が爆発していた。だが、美月はそれに混ざらなかった。話を振られても曖昧に返し、りんねの悪口が聞こえて くるたびにその場から逃げた。その結果、クラスからは孤立したが、りんねを心の支えにして踏ん張った。
 そう信じていたから、美月は吉岡邸に出向いた。りんねに面会させてくれと懇願したが、りんねの母親は哀切な 微笑みを浮かべてはいたが断ってきた。頑なにりんねの所在を伝えようとはせず、どこの病院に入院しているのかも 教えてくれなかった。だったらせめて学校のプリントだけでも渡そうとするが、やんわりと遮られた。あの子と仲良く してくれて嬉しいわ、けれどあの子はもう学校には戻れないと思うから、とりんねの母親は言い、美月を吉岡邸から 追い返してしまった。玄関先にすら上げてもらえず、門すら通らせてもらえなかった。
 それから、美月は自分の考えを改めることにした。お見舞いすらも許可してもらえなかった自分は、りんねの一番 ではなかった。りんねの一番にはなろうとしてもなれないのだと、ようやく認められた。だから、自分も誰かに対して 一番であることを求めたり、一番になろうとすべきではないと思い知った。それと同時に、最上と最下も定めるべき ではなく、中間地点を見出した方が安泰だとも。八方美人だと言われるかもしれないが、自衛のためだ。

「大丈夫、大丈夫」

 だから、まだこの生活は底辺ではない。美月は自分にそう言い聞かせ、深呼吸する。梅雨の名残が残る湿っぽい 空気は埃混じりで、軽く咳き込んでしまった。掃除が疎かになっているからだ。最近では母親だけでなく、その親族 も家事をしなくなっていて、この家は荒れつつある。美月は自分の生活を維持するために、自分の洗濯物を洗って 干したり、割り当てられた部屋を掃除したり、食事を見繕っているが、それにも限界があった。もう一人の居候である 謎の多い青年、羽部鏡一は当てには出来ない。彼は異様に頭が良いが、生活能力は皆無だからだ。

「う」

 立ち上がろうとすると、下半身に違和感を感じた。ぬるりとした感触が下着に広がる。

「そういえば、そんな時期だっけ」

 数日前から軽い頭痛に悩まされていたが、レイガンドーの整備と改造にばかり入れ込んでいて、自分の体調管理 と準備を怠っていた。手元にあるナプキンの量は心許ないので、買いに行かなければ。

「歩いていける場所にあったっけ?」

 東京であれば、自宅の近所には何軒もコンビニがあったのだが。美月は不安に駆られたが、一ヶ谷市内の地理 を覚えようとしていない自分が悪いのだと自責した。外に出て市街地に向かえば、ドラッグストアはなくとも、コンビニ ぐらいはあるだろう。そう決心した美月は、汚れた下着を洗い流してから干し、生理用の下着に履き替えた。ついでに 寝間着代わりにしているジャージから私服に着替えようとしたが、迷った。
 あまりに気取った格好をすると、中学校の同級生に見咎められてからかわれる。かといって、いい加減な服装で 外を出歩くのは美月の自尊心が痛む。しばらく悩んだ末、まだ色褪せてないスポーツブランドのTシャツとジーンズ のハーフパンツに着替えた。本当はふわふわしたスカートやキャミソールを着たいのだが、その格好をしている時に 馬鹿にされると服自体に嫌気が差してしまうので、嫌気が差しても問題のない服ばかりを選ぶようになった。
 下半身の重苦しさと気分の悪さを堪えながら、美月は外出の準備を整えた。日除けのためにスポーツキャップを 被り、玄関で履き古したスニーカーを履いていると、足音も立てずに彼が二階から下りてきた。

「何、出かけるの?」

 羽部鏡一だった。美月は振り返り、笑みを作る。

「ええ、まあ。ちょっと」

「ふうん」

 気のない返事ではあるが、羽部の視線は美月を入念に観察してきた。この、爬虫類が絡み付いてくるかのような 冷たい視線が苦手だ。けれど、それさえ我慢してしまえば羽部は美月に害を成さないのだから。だから、美月は羽部 には蔑まれないように、精一杯愛想良くしていた。最近では、それが演技ではなくなりつつあるのだが。

「ああ、アレね。なんだったら、この僕が付き合ってあげてもいいと言ってあげるかもしれないよ?」

 なんだ、その言い回しは。美月は本当に笑ってしまい、頬を持ち上げた。

「かもしれない、って、結局どっちなんですか」

「君がこの僕を必要とするか否かを意思表示してくれればいいんだよ。もっとも、この僕を必要としない人間なんて この世にいるはずがないんだけどね。なぜならこの僕は、世界に乞われるべき知性と才能がある」

 羽部の自信がありすぎて溢れ返っている態度に、美月は可笑しくなった。

「そうですねぇ」

「で、君の結論を早いところ教えてもらいたいんだけど。でないと、この僕が次に取るべき行動を割り出せないなんて いう、あってはならない事態に陥っちゃうんだけど?」

 羽部は腰を曲げ、美月を睨んでくる。吊り上がった目と青白い肌と他人に噛み付かずにはいられない性分はヘビを 思わせる。きっと、彼の内には猛毒が宿っているのだろう。その毒を注いでもらえれば美月も楽になれるのだろうか、 という考えも時折過ぎる。だが、それではレイガンドーが不幸になってしまうから、思い止まっている。
 で、どうするの、と羽部にせっつかれ、美月は答えに詰まった。生理用ナプキンを買いに行くのだから、出来れば 男性とは一緒に出掛けたくない。だが、具合が良くないのも事実であり、徒歩では不安も多い。

「お願いします。よければ車を出してもらえませんか」

 美月が一礼すると、羽部は腕を組み、見下ろしてきた。

「この僕を顎で使おうだなんて、良い身分じゃないのさ。でも、この僕も用事がないってわけでもないから、特例として 君の用事に付き合ってあげなくもないよ。そこで待っていろ、支度をしてくる」

 そう言って、羽部は二階に上がっていった。今日はどんな服を着てくるんだろうか、と美月は不安を上回る期待を 抱いた。羽部の服装のセンスは凄まじく、常人の感覚からは懸け離れている服ばかりを着てくるのである。配色も エキセントリックなら、デザイナーの正気を疑うようなジャケットやパンツを持っている。あまりにも変なので、美月は 嫌悪感を覚えるよりも先に面白くなってしまい、今では羽部の私服を見るのが楽しみになっている。もっとも、一歩でも 外に出れば奇異の目で見られるので、美月自身もちょっと変なのだと自覚している。だが、楽しみなのだ。
 十数分後、二階から下りてきた羽部は、美月の期待通りにとんでもない格好をしていた。蛍光グリーンの合皮製の ジャケットの下に目が痛くなるほど鮮やかな赤と紫のドット柄のカッターシャツを着ており、黒地に黄色のトカゲ柄の ネクタイを締めている。柄物同士なので、余計にインパクトが強い。下半身はといえば、レザーとジーンズが交互に 繋がっているパンツで、見るからに洗うのが面倒そうな代物である。そして靴はといえば、つま先がやけに尖った エナメルブーツだった。美月が歯を食い縛って笑いを堪えていると、羽部は片眉を曲げた。

「この僕の崇高なセンスのどこが笑えるって言うんだよ、身の程知らずめ」

「ふぁい」

 美月は笑い転げたいのを我慢しながら、羽部に続いて外に出た。ガレージで待機しているレイガンドーに外出して くると言うと、充電中のレイガンドーは快く送り出してくれた。羽部は愛車のイグニッションキーをやる気なく振り回し ながら車庫に入ると、派手なスポーツカーのエンジンを暖機した。アストンマーチン・DB7、ヴァンテージ・ヴォランテ と仰々しい名前のスポーツカーの発するエンジン音は、物心付く前から機械と接してきた美月には心地良い音楽も 同然だった。ガソリン特有の排気ガスも嫌いではない。羽部に急かされて助手席に乗った美月は、滑らかな加速に よって生み出された風を感じ、吹き飛ばされそうなスポーツキャップを押さえた。
 短いドライブの最中は、嫌なことを忘れられた。




 それから、二人は最寄りのドラッグストアに向かった。
 最寄りといっても、美月の住む家からは徒歩では三十分近く掛かる。だだっ広い駐車場に駐めた濃緑のオープン カーは嫌でも目立ち、そのイグニッションキーを弄んでいる羽部もまた無駄に目立った。美月は少し気後れしそうに なったが、わざわざ車を出してくれた羽部に悪いので顔には出さなかった。
 生理用品売り場に向かい、いつも使っているメーカーの生理用品をカゴに入れた。そのついでに必要になりそうな ものを物色していると、羽部の姿が見えなくなった。羽部も用事があると言っていたので、自分の買い物を済ませて いるのだろう。そう判断した美月はカゴに入れた商品を会計しようと振り返ると、見覚えのある人影を見て身動いだ。 すぐさま商品の陳列棚に隠れようとしたが、相手もまた美月に感付いていたらしく、足音が近付いてきた。
 逃げ出そうとするが、貧血による目眩で立ち竦んだ。青ざめた美月が気分の悪さを堪えて俯いていると、足音が 背後で止まった。何もしないでくれ、何もしないから。だが、美月のささやかな願いは叶わず、声を掛けられた。

「あれぇ、小倉さんじゃーん」

「う……」

 気分の悪さも相まって、美月が唇を噛み締めながら振り返ると、同じクラスの香山かやま千束ちづかが立っていた。

「何、死にそうな顔してんの」

 と、言ってから、千束は美月が買いに来たものを見て納得した。

「ああ、そういうこと」

 そう言うや否や、千束は美月の下腹部を狙ってきた。美月はよろめきながらも後退り、千束の拳を逃れると、カゴを 抱き締める形で自衛した。千束は空振りに終わった拳を下げると、物足りなさそうに舌打ちする。

「あんたさー、なんで生きていられんの? てか、なんでこの辺で買い物していいって思っているわけ?」

 美月が俯いて押し黙ると、千束は嫌らしく顔付きを歪ませる。そのせいで、可愛い顔が台無しだった。

「あの成金の孫と話した時点で、あんたはあたしら全員にケンカ売ったの。その意味、解る?」

 つばめのことだ。美月は目を伏せ、唇をきつく噛む。

「あいつのクソ爺ィがあたしらの家の土地を買い上げなきゃ、あたしらの家族は今でもあの土地に住んでいたんだよ。 そりゃ金を山ほど寄越してくれたかもしれないけど、金は金であって土地じゃないじゃん? 孫が相続したっつーけど、 あいつ、あたしらのことなんて知りもしないじゃん。土地返せって手紙とか電話とか、うちの親も他んちの親もした みたいだけど、弁護士だっつー女が全部切りやがって取り次ぎもしねぇの。それ、おかしくね?」

 おいなんか言え、と千束は美月の肩を小突くが、美月は黙し続けた。反論しても無意味だからだ。

「だから、あの成金の孫と馴れ合うなんて有り得ないんだよ。いくら金だけもらったってさ、作付けする土地がねぇと 農家なんてマジ成り立たないし、家は建てられたけど農地を買う金は寄越してくれなかったし。だから、ちったあ気を 回せよ。あの成金の孫にたかれよ、金を毟り取ってこいよ、そうしたら許してやらなくもないんだけど」

 そんなことは自分でやればいい。そして、コジロウに倒されればいい。

「おい、聞いてんのかよ!」

 千束は美月のサイドテールを掴み、力任せに顔を上げさせた。それでも、美月は口を閉ざした。

「聞いてんのかよっ!」

 再度、耳元で怒鳴られる。美月は肩を震わせるも、必死に目を逸らす。

「あいつが一ヶ谷に来てからは、変な事件ばっかり起きてんじゃんか。船島集落に肝試しに行った連中が事故ったと 思ったら、その身内に馬鹿みたいな金が転がり込んでくるし、船島集落に近い集落に住んでいた連中が一晩でいなく なっちまうし、変なのがうろつくようになるしさぁ」

 あんたの連れとか、と千束は付け加えた。それは確かにそうだが、羽部の正体については美月もよく知らないの だから答えようがない。千束は美月の髪に触れた手をジーンズで拭ってから、美月の脛を蹴った。

「いい加減にしろよ? あんたが持っているロボットも訳解んないし、つか、あんなデカいのを持ってて良い身分とか 思ってんの? あんなの持ってんだったら、さっさと成金の孫を潰せよ。そしたら、許してやらないでもないけど」

 それでも、美月は反応しなかった。千束はそれが面白くないのか、今度は美月が抱えているカゴを蹴り付けようと 足を上げた。だが、それがカゴの側面を抉る前に、千束が変な声を漏らした。

「うへっ」

 美月が目を上げると、千束の目線の先に羽部がいた。羽部はフジワラ製薬が製造販売しているスポーツドリンクを 箱買いするつもりらしく、カートの下の段に箱が積み重なっていた。千束が臆した理由は至って簡単で、羽部の服装が 奇妙だったからだ。羽部が美月に近付いてくると、千束はあからさまに怯えて後退る。

「んだよ、死ね! お前ら死ね! キモッ!」

 そう毒突いてから、千束は身を翻して駆けていった。美月は安堵して脱力すると、羽部は舌を出した。

「あれ、不味そうだね」

「……おいしくはないと思いますよ」

 美月は家族と合流してドラッグストアを後にする千束を見つつ、苦笑した。散々蹴られた脛には赤い痣がいくつか 出来ていて、しばらくは痛みそうだった。それを気にしながら、美月は用事を済ませるために会計に向かった。羽部は スポーツドリンクの他にも欲しいものがあるのか、辺りを見回しているので、美月だけがレジに並んだ。
 必要物資を買い込んだ美月は店の外に出ると、羽部が会計を終えるまで待つことにした。一ヶ谷市内の市民祭り の日時を告知するポスターが貼られていて、打ち上げ花火もあるそうだ。だが、美月には関係ない。千束のように、 つばめと親しくしていたからと言うだけで美月を敵対視する人間がいるかもしれないのだから。打ち上げ花火だったら 自宅からも見えるだろうし、どうせならレイガンドーと一緒に楽しみたい。

「ああ、それね」

 会計を終えて出てきた羽部は、美月が眺めているポスターに気付くと、催し物の項目を指し示した。

「これ、って」

 美月は今一度ポスターを眺め、目を丸めた。午後三時半より、市役所駐車場にて、ロボットファイト。

「レイガンドーの整備は充分にしておくことだね、そうでないと後悔するのは君だ」

 帰るよ、と羽部にせっつかれ、美月は羽部に続いた。各地で人型重機や人型ロボットが戦い合うロボットファイト が開催されていることは知らないわけではなかったが、公式リーグが存在していないため、天王山工場で夜な夜な 繰り広げられていた賭博目的のロボット同士の格闘戦となんら変わりはない。違いがあるとすれば、賭け金が動くか 否かだ。美月は俄然興味が湧いてきたが、ぐっと堪えた。ようやく完成に漕ぎ着けたレイガンドーに無理をさせて、 小遣いを掻き集めて買った部品を鉄屑に変えてしまうのは嫌だ。父親はそれなりに腕の立つオーナーだったかも しれないが、美月は素人なのだから、無理をするべきではない。
 だから、観戦するだけに止めておこう。





 


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