機動駐在コジロウ




信じる者はスクラップ



 硝煙が立ち上る銃口は、二つあった。
 一つはスポーツカーを狙撃した一乗寺の拳銃であり、もう一つは武蔵野の拳銃だった。一乗寺の顔の真横にある 電柱に弾痕が残り、潰れた鉛玉が転げ落ちていった。その音に反応して振り返った一乗寺が銃口を向け返して きたが、武蔵野の背後に控えていたつばめに気付いて銃口を下げた。

「なーに、つばめちゃん。むっさんなんか使って、俺を止めちゃう気?」

「先生の言うことはもっともらしいけど、一から十まで信じるわけにはいかないよ」

 努めて冷静さを保ちながら、つばめは一乗寺を見下ろした。あの美野里が、つばめのことを裏切るはずがないと いう確信があるからだ。血は繋がっていないが、美野里は姉としてつばめを大事にしてくれていた。どんな時も第一 に考えてくれていた。遺産相続争いに巻き込まれても、美野里だけはつばめを見放さずに傍にいてくれた。つばめの 生活には常に美野里がいて、美野里の生活にもつばめがいた。事ある事に抱き付いて、年上なのにべたべたに 甘えてくるが、それは美野里がつばめを欲してくれている証拠だからだ。そして、つばめも姉を欲している。

「私はお姉ちゃんを信じる」

 かつて、美野里がつばめを裏切ったことがあっただろうか。否。

「だから、先生は勝手なことをしないで」

 つばめが強く言い切ると、一乗寺は嘲笑する。

「あのさぁつばめちゃん、もうちょっと現実を見たらどうなの? そりゃ、だーい好きなお姉ちゃんがいなくなったのが ショックなのも解るし、寂しかったのも解るけど、だからって妙な情報を流してきた相手を盲目的に信じるなんて素人 判断もいいところだよ。あのね、こっち側に有益な情報ってのは裏を返せば敵方を有利にするための情報でもある んだよ。大体、弐天逸流の本部に俺達が突っ込んでいっても、袋叩きにされるだけだよ。連中が備前美野里を囮に 選んだのは至って簡単、そうやってつばめちゃんの心根を鷲掴みにしてぐらぐらに揺さぶれるからであって。大体、 俺が御鈴様とやらを殺しちゃえば始末が付くじゃん、相手の思う壺になるかもしれないけど、それ以上のダメージを 与えられるじゃん。それなのに、なんで止めるわけ?」

「うるさいっ!」

 聞くに耐えられない言葉の数々に、つばめは窓から身を乗り出して叫んだ。

「さっきからひどいことばっかり言って! そんなにお姉ちゃんのことが嫌いなの!? 先生にとってはどうでもいい かもしれないけど、私にとってはコジロウの次に大事な人なんだよ! 信用して何が悪いの!」

「ああ悪いね、つばめちゃんの感情的な判断のせいで俺達は被害を受けるからだよ! 別にあの女のことは嫌いでも なんでもなかったけど、裏切ったからには大嫌いだよ! すーちゃんと同レベルで大嫌いだよ! それまでにどれだけ 積み重ねてきたとしても、裏切ったって時点でその積み重ねを全否定することになるからだよ! そこまで言うなら勝手に しやがれ、痛い目を見ろ、俺がここまで心配してやってんのにさぁ! やってられっかあ!」

 一乗寺は怒りを露わにして叫び散らした後、電柱の足場を使って道路に下りた。ふて腐れた一乗寺がその場から 走り去ろうとすると、フロントガラスがひび割れたスポーツカーが突如スキール音を上げた。通行人や通り掛かった 車が逃げ出して空っぽになった道路を突っ切ってきたコルベットは、一直線に一乗寺に迫ってくる。

「うひょっ」

 ちょっと楽しそうな声を上げて一乗寺が飛び退くと、コルベットは隣接している個人商店の店先に突っ込む寸前で ハンドルを切って滑らかにドリフトし、黒々としたブレーキ痕を付けながら停車した。

「何、俺とやる気?」

 一乗寺がへらっと笑うと、コルベットの運転席のドアが開き、見覚えのある男が現れた。羽部鏡一だ。

「そっちこそ、出会い頭になんてことをしてくれるのさ。おかげでこっちの手筈が台無しじゃないか」

「マジ気持ち悪ぃ……」

 弱々しい声を発しながら助手席から下りてきたのは、顔色が真っ青な少女だった。その手元には、無数の触手を 伸ばす種子が収まっていた。その触手には、なぜか携帯電話が絡み付いていて、触手の尖端が動くたびにボタンを 押して文章を打ち込んでいた。距離が離れすぎているので、それを読み取ることは不可能であったが。
 あれは一体何なのだろうか。美野里の話には含まれていなかったが、弐天逸流の何かであることは確かだろう。 一乗寺と口論したせいで頭に血が上りきっていたが、コルベットから這い出してきた羽部の下半身を目にした途端、 つばめは全身が総毛立った。なぜなら、羽部の下半身は巨大なヘビと化していたからだ。ひっ、と短く悲鳴を上げて 窓から遠のいたつばめは、道子の背中に隠れた。道子は微笑み、つばめを宥めてきた。

「大丈夫ですってー、この距離なら近付けるはずが」

「いや、そうでもないかもしれんぞ」

 武蔵野は拳銃を握り直しつつ、羽部と少女から目を離さずに言った。だが、この事務所はビルの三階に位置して いるし、直線距離でも三百メートル近い距離が空いている。一乗寺もいるのだし、そう簡単に近付けるわけがない。 武蔵野の考えすぎではないだろうか。つばめは怖々と羽部を見下ろすと、羽部は脇に少女を抱えると長ったらしい 下半身を幾重にも折り曲げた。一度腰を落とした羽部は吊り上がった目で事務所を睨み付けていたが、下半身 をバネのように一気に伸び切らせ、数十メートルの高さまで跳躍した。恐るべき筋力だ。
 電線を尻尾の端で弾き、電信柱を足掛かりならぬ尻尾掛かりにして、羽部は一直線に事務所へと向かってきた。 開け放たれている窓に狙いを定めてきたので、武蔵野が射線から退くと、少女を抱えた羽部は下半身をくねらせ ながら室内に突っ込んできた。机の上の書類やパソコンを薙ぎ倒しながら転げ落ち、応接セットのソファーの中を ひっくり返してから壁に激突し、やっと止まった。それでも、羽部は少女を守り通していた。

「あーもう……最悪なんてもんじゃない、おかげでこの僕の黄金よりも貴重な脳細胞がいくつ死滅したと……」

 強かに打ち付けた後頭部をさすりながら、羽部が起き上がると、少女が毒突いた。

「ウゼェな、ちったぁ黙れよヘビ野郎」

「あらまあ、リアルで見るとますます御嬢様にそっくりさんですねー。髪の色と態度は大違いですけど」

 御鈴様と思しき少女を見下ろし、道子が感心すると、少女は羽部を蹴り飛ばしながら起き上がった。

「つか、てめぇら、あの変な女をどうにかしろよ! ハンドガンであの距離を狙撃するってどういうこった!」

「止める暇もなかったし、正直命中すると思っていなかったんだ。だが、あいつは目視しただけで弾道計算をして、 おまけにそれが完璧だったようだ。しかし、やけに既視感のある言動をするな、このネットアイドルは」

 武蔵野が銃口を上げながら感想を述べると、道子はつばめを庇いつつ報告した。

「今し方、御鈴様の動画をざざっと見てみたんですけど、御鈴様ってこういうキャラじゃないですよ? ブリッ子路線の アイドルとも歌ってみた系の素人歌手ともちょっと違っていて、正統派とでも言いますか、アイドルとしてのキャラ を最大限に生かしているというかで。ブログもSNSも綺麗なもので、アイドルのイメージを崩す発言はゼロだし、変な ファンに煽られても、揚げ足を取られても、にこにこしてスルーしているタイプなんですけど。こんな感じだとすぐに 大炎上して祭りだわっしょいになっちゃいますよ? リアルとネットでの差がひどすぎません?」

「そんなもんはな、全部別の奴がやってんだよ! ゴーストライターに決まってんだろ! 俺が知るか、んなもん!  つか、いつのまにブログとSNSなんて始めたんだよ! 俺の知らない間にまた余計なことしやがって!」

 御鈴様が髪を振り乱しながら種子を揺さぶると、種子は携帯電話に文字を打ち込み、答えた。

『知らないよ、それは僕の領分じゃないし』

「だぁあああもうっ! ウッゼェなぁっ!」

 荒々しく吼えた御鈴様は種子と携帯電話を壁に叩き付けてから、武蔵野と道子に凄んだ。

「つか、てめぇらも現金過ぎやしねぇか? りんねに雇われていたくせに、コロッと鞍替えしやがって。クソが」

 これが、ネットで大評判のアイドルなのだろうか。つばめはやや臆したが、弐天逸流の布教活動のために外見に 合わせたキャラ付けをされていた、と考えれば筋が通る。恐らく、こちらが本性なのだろう。羽部はひどく乱れた髪を 撫で付けて整える努力をしながら、御鈴様の背後に控える。

「で、どうする? 当初の予定通りに動く?」

『彼らが攻撃してくるなんて、計算違いだ。だけど、他に頼る当てがあると思う?』

「だからって、やられっぱなしでいいわけねぇだろ」

 三人は短く言葉を交わしてから、つばめ達に向いた。束の間、双方に緊張が訪れた。だが、それはあまり長続き しなかった。一乗寺が事務所を狙撃したからである。つばめは武蔵野に言われるがままに書類棚の影に身を隠し、 他の面々も身を隠した。繰り返される銃声にびくつきながら、つばめはますます混乱した。

「先生、一体何がしたいの?」

「俺に聞くなよ。さっぱり解らん。備前美野里が裏切ったと言ったと思ったらあいつらの車を迎撃して、いきなりブチ切れて 俺達を攻撃するとはな。脈絡があるようでない行動ばっかりだ」

 横倒しになったソファーに大柄な体を隠しながら、武蔵野がぼやくと、つばめを抱えた道子は嘆いた。

「あの人は元々変な人ではありましたけど、こうもぶっ飛んじゃったのは女体化したせいでしょうかねー?」

「女体化なんて変なエロ漫画でしか聞かない単語なんだけど、それって誰に対しての発言なの?」

 書類棚の影に御鈴様を押し込めながら羽部が失笑すると、つばめは外を指し示した。

「一乗寺先生のことだよ。よく解らないけど、大ケガしたと思ったら女の人になっちゃって」

「あ、そうなんだ」

 不意に、御鈴様が安堵した。羽部にはその意味が解るらしく、半笑いになったが、それ以外の面々には御鈴様が 安堵する理由が見当も付かなかったので、更に混乱が深まった。銃弾が尽きたのか、一乗寺の銃声は止まった。 だが、これで攻撃が終わったと判断するのは余りにも浅はかだ。武蔵野は壁に背を当てながら、外の様子を窺いに 窓際まで移動していった。つばめは武蔵野を気にしつつ、羽部と御鈴様を注意深く窺った。
 羽部鏡一は、以前に会った時とあまり印象は変わらない。モンスターのラミアに似た状態になってはいるが、言動も 服の趣味も相変わらずだ。彼が弐天逸流に加わっていたとは知らなかったが、御鈴様とのやり取りから察するに 全面的に味方というわけではないようだ。対する御鈴様は、外見は吉岡りんねその人だ。つばめがりんねと接触 したのも数えるほどだが、あの整った顔立ちと体形は見間違えようがない。長い黒髪に趣味の悪いメッシュを入れ、 態度も男のように様変わりしているが、それはシュユがりんねに擬態する際に足りない情報を他人から補ったから そうなったのではないのだろうか。だから、性格と外見がアンバランスになっているのでは。
 御鈴様を倒せば、弐天逸流の本部が隠れている異次元が維持出来なくなる。そして、異次元が壊れてしまえば、 出入り口が開いて美野里が逃げ出せる。美野里と再会出来れば、真偽が明らかになる。そうすれば、誰も美野里 を裏切り者だと言えなくなる。だって、美野里はつばめを裏切らないのだから。血の繋がりはなかろうと、十四年の 月日を共に過ごした正真正銘の家族なのだから。だから。
 シュユが擬態している御鈴様を機能停止させてしまえば。そう考えたつばめは、御鈴様に手を伸ばした。相手が 遺産であるならば、つばめの意思で制御出来る。外の様子に気を取られている御鈴様の手を掴むべく、若干身を 乗り出したが、当人に気付かれた。御鈴様は振り返り、訝しげにつばめを見返す。

「んだよ」

「あんたが何をしようとしているのか、解っているんだから!」

「あぁ?」

 御鈴様はつばめを睨んできたが、つばめも負けじと睨み返す。

「だから、あんたの好きにはさせない! お姉ちゃんだって取り戻して、先生の誤解を解いて、遺産だって全部私が どうにかしてやる! コジロウがいなくても、私の力でなんとかしてやる!」

 強引に御鈴様の手を握ってつばめが決意表明をすると、御鈴様はその手を振り解こうとした。

「離せ! 今、てめぇにどうにかされたら俺がどうなるか!」

「離すわけないでしょ! あんた達みたいな悪い奴らが遺産で好き勝手なことをするから、お姉ちゃんもひどい目に 遭わされてきたんじゃない! どうにか出来るか解らないけど、どうにかしないとダメなんだ!」

 御鈴様の手は体温が低く、柔らかく、骨も脆弱だった。それを、つばめは力一杯握り締め、機能停止しろと全力で 念じた。口頭で命令しても受け付けてもらえないと思ったからだ。その命令が通じたのか、御鈴様は貧血を起こした かのように脱力して座り込み、額を押さえた。

「てめぇ……いい加減にしやがれ……」

 すると、つばめの携帯電話が鳴った。つばめがすかさず受信すると、美野里からだった。

「お姉ちゃん! あのね、今、私ね!」

『つばめちゃん、今、大変なことが解ったの! 今すぐ、そこから離れて!』

 美野里の声色は上擦っていて、ひどく動揺していた。つばめは気圧されながらも、聞き返す。

「どうかしたの、お姉ちゃん」

『つばめちゃんの周りにいる皆は、シュユに操られているかもしれないの! 桑原れんげの時と同じ、いいえ、もっと 悪い状況になるかもしれない! 何か、おかしなことが起きていない?』

「さっき、先生がお姉ちゃんが裏切ったって言い出して、私達を攻撃してきて……」

『やっぱり! 一乗寺先生だけじゃない、他の皆だって信用出来ないわ! つばめちゃん、今すぐシュユを機能停止 させるのよ! そうすれば、皆、おかしくなるのを防げるわ!』

 美野里が矢継ぎ早に伝えてくる情報を受け止めながら、つばめは皆を見回した。だとすると、一乗寺が美野里が 裏切ったと言い出したことにも説明が付く。自我を得たアマラが暴走して桑原れんげという架空の人格を造り上げ、 ハルノネットのユーザー達を掌握しようとした時と同じような現象が起きているのが本当であるならば、一大事だ。 つばめは携帯電話を切らずに通話モードにしたまま、今一度、御鈴様に向き直った。

「眠って」

 つばめが御鈴様の額に手のひらを当てると、御鈴様は唇を歪めて歯を食い縛り、抗おうとする。

「俺に、触るなぁっ……」

 しかし、御鈴様はつばめの命令には背けず、膝を付いて項垂れた。意識を失って床に倒れ込みそうになった彼女 を羽部が尻尾で受け止めてから、つばめに文句を付けようとしてきたが、羽部にも触れた。この男には触れるのも 嫌だったが、上半身ならまだマシだ。つばめに触れられた右手を見、羽部は頬を引きつらせる。

「まさか、この僕まで止める気?」

「アソウギを使っているなら、止められないわけがないじゃない」

 眠って、とつばめが命じると、羽部は御鈴様を抱いたまま仰け反り、昏倒した。

『そう、それでいいの。次は、アマラを止めて。でないと、シュユがアマラを操ってしまうかもしれないから』

「うん、解った。アマラだね」

 つばめが道子に振り返ると、道子は後退る。

「つばめちゃん、美野里さんとどんなお話をしているんですか? それに、なんで私まで機能停止する必要があるん ですか? ねえ、つばめちゃ……」

 困惑する道子の手を取って、つばめは命じた。女性型アンドロイドのマザーボードに差し込まれているアマラにも その命令が届き、道子のボディも機能停止して膝を付いた。戸惑った表情を貼り付けたままの彼女は、人形も同然と なって横たわり、コンピューターがシャットダウンされたことを知らせる電子音を発した。

『次はナユタよ。それが動いていると、ナユタを動力源にして他の遺産が目覚めてしまうかもしれないから』

「解った」

 つばめは首から提げていたペンダントを握り締め、命じると、ごくごく弱い光を放っていたナユタが黙した。単なる 結晶体となったナユタから手を外してから、再度姉に尋ねた。

「次は?」

『逃げて、とにかく逃げて。シュユの支配が抜け切っていない以上、武蔵野さんも何をするか解らないから』

 美野里の言葉をつばめは疑いもしなかった。武蔵野はつばめを制止してきたが、聞き入れるだけ無駄だ。どうせ シュユに操られているのだから、惑わされてしまう。つばめは事務所を飛び出し、階段を駆け下りていった。正面の 道路には不機嫌極まりない一乗寺がいるので、雑居ビルの裏通りを選んで走り出した。
 きっと、これで美野里を助け出せる。姉の力になれる。また、これまで通りに一緒に暮らせるようになる。息を切らして 走りながら、つばめは感情と共に込み上がってくるものを目元から拭った。離れてみて改めてよく解る。つばめの 中で美野里がどれほど大きい存在だったか、大切だったか、愛おしかったか。
 一刻も早く、姉と再会したい。





 


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