機動駐在コジロウ




オーダーを仇で返す



 自分がどこから来て、どこへ行くのか。
 地球の一部であり、生態系を成している生命体としてこの世に生まれたのか。精神体が蛋白質で構成された肉体 に憑依していただけなのか。物理法則が異なる宇宙からの異物に過ぎないのか。或いは、自分という存在自体が 幻想に過ぎず、今、ここで自分を認識しているすら錯覚なのではないのか。異次元宇宙を丸ごと利用して造られた 気の遠くなるような規模の量子コンピューターが計算し損ね、削除される前のバグではないだろうか。それらの疑問 を払拭し、自分という個を形作ってくれる力は概念であり、概念とは名前であり、名前とは自我の結晶だ。
 電子の海、電脳の世界、意識と無意識の狭間。設楽道子という固体識別名称を持っていた電脳体は、物質宇宙と 異次元宇宙を繋げるアマラから切り離されたことで、外部からの刺激が途絶えてしまい、安定を欠いてしまった。 それでなくとも、電脳体とは儚い代物だ。炭素生物が日々水や食事を摂取して生き長らえるように、電脳体は貪欲 に情報を吸収しては消費し、消化し、変換し、計算していなければ自我を保てない。人間が作り出した、現実と酷似 した情報だけの世界を彷徨っていられれば、絶えず流れ込んでくる数多の情報を得られていたのだろうが、ここは 異次元宇宙だ。人智を越えた機能を持つ遺産を操作するために不可欠なバックグラウンドであり、言ってしまえば 恐ろしく巨大な集積回路の内側だ。外界から隔絶したスタンドアローンの演算装置、それが異次元宇宙だ。
 遙か昔、遠い記憶の彼方、或いは途方もない時間を超えた先の未来にて、進化し続けた種族、ニルヴァーニアン が作り出した、遺産のためだけの異次元宇宙なのだから。元より外部と繋がっている必要はなく、どこの宇宙とも 並行している必要もなく、ただただ計算と情報処理のために消費されるだけの世界である。そこには生命が芽吹く 余地もなければ、惑星が生まれる種もなく、無限の情報が波状に漂っていた。
 道子は知る。異次元宇宙が孤独に蓄えてきた情報の波を掻き分け、泳ぎ、仮想世界の惑星へと辿り着く。それが ニルヴァーニアンの生まれた世界であり、彼らが頑なに守ろうとする場所だった。
 ニルヴァーニアンとは、元を正せば地球人類と大差のない種族であった。しかし、一つ違っていたことは、彼らは 生まれ付いて精神力を操る能力を持っていたということだ。彼らの死は浅く、薄い。ニルヴァーニアンの概念による 黄泉の国はひどく身近で、彼らは寿命によって朽ちた肉体を捨てて異次元宇宙に精神を預け、遺伝子操作技術で 複製された若い肉体に再び精神を戻しては、終わりのない時間を楽しんでいた。技術と文化は進み続け、いつしか 彼らは娯楽の多さと比例しない手足の数に不便さを覚え、遺伝子操作技術で手足の数を増やした。生身でも電波 を送受信出来るように円形の生体アンテナを生やし、表情を出す利便性を見出せなくなった顔からは部品を全て 取り除き、生命維持のために摂取するものも植物と大差のないものにした。そうすることで、農地や食糧を巡る争い を減らそうとしたからである。その結果、ニルヴァーニアンは高みへと至ったが、至った先で知った。

「我らは、精神を喰らう種族と化した」

 触手を備えた異形の神が前触れもなく現れ、語る。穏やかな低音の声が、道子の精神に直接馴染む。

「精神のみの世界は高次元であり、地球人類の語彙で表現するならば、桃源郷であると思い込んでいたのだ」

「肉体を滅ぼそうが、精神体だけになろうが、生きている限りは栄養を欲すると知ったからですね」

 道子が返すと、シュユは眼下に広がる広大な銀河系を捉える。目も鼻も口もない顔が、歪む。

「そうだ。それ故に、我らは分散した。我らが共にあれば、いずれ共食いしてしまう。誰かが傍にいれば、その者の 心を欲してしまう。興味を求めてしまう。関心を得ようとしてしまう」

 仮想世界の惑星から、異次元宇宙に記録されているニルヴァーニアンの歴史に従い、結晶体の宇宙船が煌めき ながら宇宙へと巣立っていく。放射状に光条を描き、無数の結晶体が暗黒物質の海へと消えていった。

「そして我らは、行き着いた先の宇宙で、惑星で、矮小な世界で、人心を導く神となった。我らには遠く及ばぬ技術 と文明しか備えていない原始的な種族は多々あり、皆、先の見えぬ世界に不安を抱いていた。その隙間に、我らの 触手と技術を滑り込ませ、我らを信ずれば奇跡を起こすと語った。その奇跡とは、君達の語彙で言うところの遺産を 利用した手品であり、ペテンだ。だが、異種族達は我らを信じた。それを我らは喰らい、長らえてきたのだ」

「なるほど。需要と供給のバランスが保たれていますね」

「そうだ。我らはこの異次元宇宙によって精神を並列化させ、我らは個体としての自我を持たないことで種族を統一 させ、思想と思考を安定させていた。それは異種族達への布教にも大いに役立ち、我らを通じて遙か彼方の惑星 同士が通じ合い、とある銀河系の発展に多大に貢献した。その結果、我らが得る精神も数百倍に膨張し、我らは 飢えからは遠のき、平静と安定を得た。だが、しかし」

「えーと、クテイさんが変な方向に目覚めちゃったんですよね? ざっくりと要約すると」

 シュユの長話に付き合うつもりはなかったので、道子がこの話の続きの情報を読むと、シュユは口籠もった。

「まあ……そういうことだ。クテイは我らの一部であり、兄弟であり、親であり、子であった。だが、クテイの精神体 は未熟であったが故に成長を促すために多大な情報を与えた結果、太古の昔に廃棄した異性間交配の情報を強く 欲した。欲する情報を得れば、その分成長も促進するが故、クテイの欲するがままに与え続けたのだが」

「見事な恋愛脳になっちゃったと」

「まあ……そういうことだ。クテイが特に好んで得ていたのは、我らに注がれた精神の中でも際立って強烈なもの、 異性関係に関する願いだ。そのどれもが長続きしないため、我らにとっては取るに足らぬものであったが、クテイは 束の間の鮮烈な刺激を好んでいた。中でも高頻度に摂取していたのが、望まぬ婚姻に抗った末に逃避行に及ぼうと する若い男女の精神であった」

「うわぁ悪趣味」

「まあ……我らの内でも、そういった反応はないわけではなかった。我らはクテイを諌め、その精神に高尚な思想と 高潔な思考を与えるべく、新たな情報を注いだが、クテイはその情報を上書きしようとはしなかった。更なる刺激を 求めて物質宇宙へと下り、束の間、異性間の繁殖衝動に伴った行動を促す、偽りの神となった。その結果、クテイに よって本来あるべき道筋を歪められた者は多々生まれ、星間戦争すらも引き起こしたほどだ」

「恋愛成就の神様って一杯いますけど、それは傍迷惑にも程がありますねー」

「うむ。我らもその結論を導き出した。クテイが成長すれば、偏った性癖と歪曲した思想が異次元宇宙を通じて我ら に蔓延しかねない。そうなれば、我らが築き上げた安寧と文明は潰えてしまいかねない。よって、我らは合議の末 にクテイを追放することを決定した。異次元宇宙から隔絶し、物質宇宙へと下し、二度と我らと交わらぬよう、辺境の 惑星に捨て置くこととなった。私がその役目を引き受けたのは、我らの中でも古きものであったからだ」

「ああ、あれと一緒ですね。不祥事の責任を取って会社の重役が辞任する、ってやつ」

「その喩えが合致しているか否かは我らの主観では判断が付けられぬ。本題に戻ろう。我らはクテイの精神と肉体 を凍結させ、我らが彼方へと旅立つために用いた珪素の宇宙船、フカセツ・フカセツテンの下位個体、フカセツテン を用いてクテイを移送した。恒星間跳躍航法を用いて辺境の惑星に至り、着陸すべき場所を選んでいると、クテイ は目覚め、覚醒すると同時に異次元宇宙を通じて己の末路を悟り、我らに抗った」

「そりゃ逆らうでしょう。島流しされそうになったんですから」

「うむ。だが、クテイの暴挙はそれだけに留まらず、私の精神と肉体の繋がりを破壊した末にフカセツテンから投棄 した。そればかりか、遺産の管理者権限をクテイ個人のものに全て書き換えてしまった。偽りではない、本物の神に 成ろうと考えていたようだ。仮定形なのは、その時には既にクテイは異次元宇宙から完全に切り離されていたが故、 我らはクテイの心中を知ることは出来なかった。そして、その後は地球人類の知る限りだ」

「クテイさんの味方をするわけじゃないですけど、クテイさんの価値観を理解してやろう、とは誰も言い出さなかった んですか? ですよねー、思考が並列化されているのであれば、出る杭はフルボッコになりますからねー」

「我らが欲するべきは、個体同士が共有する好意ではない。広く、深く、価値観の根幹に食い込む信心から生ずる 精神力だ。よって、クテイの主観と呼ぶべき凝り固まった価値観は認めるべきではない」

「いや、それこそ認めるべきでしょう。何事も多角的に捉えないと」

「その必然性は見受けられぬ。我らは雑念を排し、邪念を滅し、この高みへと至った。それ故、原始的な炭素生物 に過ぎなかった頃のような愚行は許されぬ」

「原始的かつ本能に直結した感情こそ強烈で、摂取しがいがあるんじゃないかと思うんですけど」

「それは汝の主観。我らは教典によって精錬され、修行によって精製された、高潔なる精神こそ我らに盤石な安寧 を与えるものと結論付けた。故に、上下の激しい感情は我らが喰らう精神たり得ぬ」

「好き嫌いはいけませんよ。何でも食べないと」

「我らが論じるべきは、そのような単純かつ矮小なことではない」

「いいえ、同じことです。大体なんですか、自分達のことを偉くて凄い種族だのなんだのと言うわりには、恋心の良さ に目覚めちゃった女の子一人を押さえきれなくて、挙げ句の果てに逃避行の手伝いまでしちゃって。偉そうな口を 利けるような立場ですか。それにですね、シュユさんがずうっと寝ていたせいで色々と大変なことになっちゃった んですからね? 思考が並列化されているとはいえ、刺激が全くなければ停滞するでしょうに」

「停滞は訪れぬ。我らは摂取した精神から数多の情報と刺激を得るが故」

「でも、好奇心もなければ欲求もないんでしょ? それじゃ、刺激とは言えませんよ。クテイさんが恋愛にキャッキャして 外に出たがるの、なんだか解ってきちゃいましたよ」

「我らはそれを理解出来ぬ。安寧と秩序こそ、生命の至るべき道」

「その割には、下等な知的生命体を引っかき回しているようですけど? 自分達さえ良ければ他人はどうでもいいって ことですか? それって神様って呼べませんよ、非常識すぎますよ。そういう自己主張が強い種族が生き残るのもまた 現実ではありますけど、世の中は持ちつ持たれつなんですから」

「その意義とは」

「意義? ありまくりじゃないですか。古い概念にしがみついていても、衰退するだけですよ」

「我らが抱く概念は遠き未来と深き過去により、織り上げられたもの。時間が終わらぬ限り、滅びはせぬ」

「それはどうでしょうかねぇ。未来と過去を繋げるのはどうしたって現在です。先祖と末裔だけがいても、種族は成り 立つわけがないじゃないですか。映画の冒頭と結末だけ見たって面白くもクソもないですし。大事なのは経緯です、 経験を積み上げる手間を省いたら中身が空っぽです。それこそ、滅びじゃないでしょうか」

「我らに滅びはない。我らは宇宙を担う力場であり、均衡の糸である」

「それはどうですかねぇ」

 と、言い返した時、道子の電脳体にノイズが走った。物質宇宙と異次元宇宙を貫く電波が、一筋の情報を届けて きてくれた。それは、物質宇宙に造り上げたつばめちゃんホットラインを通じ、道子に直接働きかけてきた。つばめ ちゃんホットラインは、異次元宇宙を経由することで物質宇宙からのハッキングなどを防げるように設定してあった のだが、ハッキングや妨害工作を突破するほどのパワーはない。道子の情報処理能力を利用すれば可能だが、 つばめの力だけではまず不可能だ。ということは、物質宇宙でのフカセツテンを使用した次元間通信の妨害工作 がなくなったということか。試しにアマラに戻ろうとしてみたが、また別の障壁が道子の移動を妨げた。

「なんて分厚いファイヤーウォール。やろうと思えば破れないこともないですけど、全部破ると時間が掛かりすぎ ちゃって、外に出た頃には全部終わっていそうですねぇ。これって、シュユさんの仕業ですか?」

 道子が眉根を顰めると、シュユは触手をゆらりと振る。

「否」

「だったら、誰ですか? 寺坂さんの肉体を乗っ取っている、ラクシャに人格をコピーした長光さんですか?」

「否」

「ニルヴァーニアンの他の誰かとか?」

「否」

「となると、差し当たって思い付くのは一人だけですねぇ」

 クテイさん、と道子が名を挙げると、シュユは触手を束ねて道子を示す。

「応」

「でも、クテイさんにそれほどの力がありますか? シュユさんだって、信仰心をあれだけ集めても精神体を完全に 物質宇宙に引っ張り出せなかったじゃないですか。いくら長光さんに愛されたとしても、そこまでは」

 道子が訝ると、シュユは背負った光輪から淡く光を放つ。青白い光を帯びた二つの影が、宇宙を翳らせる。

「クテイは生殖衝動に連なる精神を捕食し、学習し、独自の理論を得た。執着と暴力は一対であると。暴力こそが 双方の執着を深め、業を与え、愛を強めるのだと」

「暴力? うわ、なんですかそれ、DVじゃないですか。最低ですね」

「応。クテイは貪欲なり。更なる刺激と、過激と、苛烈を欲している。古き時、クテイが数多の情報と精神から学んだ のは甘き愛のみにあらず。故に、我らはクテイを排除した。しかし」

「やり返されちゃった、と」

「応」

 少々気が引けるのか、シュユの語気は鈍った。

「我らは物質宇宙への干渉は行えぬ。我らは高みにて、愚かしき異種族を導く光にして道。故に、クテイを阻むべき 触手は備えておらぬ。私の肉体は物質宇宙にあれども、精神体は動かせぬ。故に」

「どうにかするのを手伝ってくれ、ってことですか? だったら、早く言って下さいよ」

「クテイと最も強く接続している個体を処分してはもらえぬか」

「はい?」

「クテイが隔世遺伝した個体に授けた管理者権限とは、我らに管理される権限であり、言わば巫女たるもの。故に 清冽であり、高潔であり、崇高であり、純潔でなければならぬ。だが、管理者権限所有者は俗だ。猥雑たる欲望と 不完全な自我を宿し、精神体を持たぬ虚ろな人形と通じ合おうとしている。それ故、クテイは管理者権限所有者を 通じて物質宇宙に繋がり続けている。管理者権限所有者は物質宇宙に依存した生命体であるが故、異次元宇宙 に至れぬ精神体しか有しておらぬ。感情の供給源を断ち、クテイを弱らせた暁には、汝らが遺産と呼ぶ道具を全て 我らの支配下に戻し、使用し、物質宇宙の再構成を図る」

 遠回しではあるが、クテイと繋がっているつばめを殺せ、と言っているのだ。道子はいきり立つ。

「勝機はあっても正気じゃないですよ! そんなことをしたって、何も変わりはしません!」

「その根拠は」

「私はつばめちゃんの言うことしか聞かないからです! 他の遺産も、きっとそうです!」

「遺産は我らが道具。故に自我は持たぬ。汝の精神体もまた、アマラによって複製、拡張されたもの。よって、汝は アマラであって個体と呼ぶべきものではない」

「神様気取りのくせに了見が狭いですねー。やんなっちゃいます。古道具だって百年経てば妖怪変化になるんです から、それよりもずっと昔から存在している遺産が自我を持ったって別にいいじゃないですか。もっとも、その自我が あなた達や人間の認識する自我に近いかどうかは別ですけどね。だから、お断りします!」

 道子が強く言い切ると、シュユはぐいと眉間らしき部分にシワを刻んだ。

「汝の自我は、アマラの迅速かつ精密な情報伝達の妨げとなる。よって、異次元宇宙より排除する」

「たとえそれが出来たとしても、またすぐに戻ってきますよ! だって私は、アマラそのものなんですから!」

 シュユの触手が道子に触れた途端、膨大な情報が電脳体に流し込まれた。少しでも気を抜けば電脳体そのもの を塗り潰されてしまいそうな、ニルヴァーニアンの歴史の渦に道子という個体が掻き消されてしまいそうになった が、余分な情報やプログラムは異次元宇宙の演算装置に流出させて凌いだ。クテイが物質宇宙から組み上げたで あろうファイヤーウォールを擦り抜け、セキュリティ、プロテクト、パスワード、暗号化、その他諸々を貫いた時、本来 の世界で奮闘しているつばめからの電話を受信した。そして、迅速に厄介な用件を終え、僅かばかり気が緩んだ 瞬間に、シュユと異次元宇宙から注がれた情報の奔流に押し流されてしまった。
 道子の意識は揺らぎ、遠のいた。




 


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