機動駐在コジロウ




ペインは剣より強し



 キャタピラで走行する雪上車に揺られ、道なき道を進んでいった。
 船島集落の南西部に向かう細い道路はあったのだが、連日の豪雪で埋め尽くされており、ガードレールまでもが 埋まっているほどだった。雪の量が多すぎて斜面に設置されている雪止めもあまり役に立たず、それを乗り越えた 雪の固まりがいくつも道路に転がっていた。車は一切通らなかったので雪面は柔らかく、キャタピラが踏み締めると 大きく沈む場所もあり、後少し傾けば道路の外側に転げ落ちてしまう、と危惧する場面も何度もあった。だが、その 都度、道子が遠隔操作している人型重機が支えてくれたので落下は免れた。
 船島集落の南西部は、道が途絶えていた。つばめはコジロウが外から開けてくれたドアから顔を出し、吹き下ろし と共に襲い掛かってきた雪に思わず目を閉じたが、気を取り直して目を開けた。見渡す限り白、白、白、で遠近感が 狂ってしまいそうだった。比較対象になりそうなものは山に生えている杉の木ぐらいだが、その杉の木も大量の雪に 埋もれているので長さが解りづらい。そして、雪に包まれながら聳えているのが、フカセツテンだった。

「で、どこから入ろうか」

 つばめは雪上車から出てきた皆に振り返ると、武蔵野が顔をしかめた。

「詳しい座標までは教えてくれなかったからな、あの神様もどきは。親切なんだか不親切なんだか」

「でも、どうしてこの辺だけフカセツテンの外殻が薄いんですかねー? 勝手口ってわけでもないでしょうに」

 メイド服のエプロンを雪風に翻しながら、道子は身軽にステップを昇って雪上車の屋根に立った。

「付け入る隙があるだけマシじゃねーの」

 白一色の世界では際立って目立つ黒の外骨格を外気に曝し、伊織は複眼を上げた。

「見当が付かないわけでもない」

 武蔵野が雪上車が踏み固めてきた雪原に振り返ると、外に出てきた寺坂がその視線を辿った。

「ああ、そういうことか」

「何が?」

 つばめが聞き返すと、外に出てから背嚢を担ぎ直した一乗寺が言った。

「たぶん、この辺にひばりさんのお墓があるってことじゃないの? フカセツテンって元々はクテイのものでもあって シュユのものでもある。だから、二人が拒否反応を示さない相手が存在しているのであれば、どっちもガードが手薄 になるってことなんじゃないかなーって。ね、むっさん」

「まあ、そんなところだ」

 武蔵野が視線をフカセツテンに戻すと、一乗寺がちょっと拗ねた。

「てぇことは何、ひばりさんって人間じゃない連中に好かれまくりなわけ? なんか狡くない?」

「ひばりさんは幸福とは言い難い人生をお送りになった女性ですから、人間の世界に馴染めないニルヴァーニアン の気持ちがよくお解りになっていたんだと思いますよ。私の私見に過ぎませんけど」

 道子の言葉に、寺坂は法衣の裾に付いた雪を払いながら笑った。

「タカさん見てりゃ、その辺はなんとなく解るぜ。ああいう気難し屋を気取ったナイーブな奴って、他人との間にゴツい 壁を作るくせして、本心じゃ優しくされてー大事にされてーって人一倍思っているもんだからな」

「お父さんに対してひどくない?」

 つばめは寺坂の不躾な物言いにむっとしたが、今はそんなことを議論している場合ではないので、フカセツテンに 近付くことにした。フカセツテンの外殻は崖の斜面から五メートルほど離れた位置にあり、表面は尖っている部分は あれど手足を掛けられるような突起はなく、飛び移るのはまず不可能だ。かといって、東京湾に沈んでいる最中に 散々攻撃を受けてもびくともしなかったので、爆弾の類でどうにかなるわけではない。ならば、答えは一つだ。

「よっしゃ、ナユタで壊そう」

 つばめがポケットからナユタを取り出すと、コジロウがつばめの頭上に身を屈めてきた。

「本官の助力が必要か」

「大丈夫。この子の使い方は覚えたから」

 だから、ナユタを信じるだけだ。つばめは分厚い手袋を填めた両手でナユタを包み、握り締めた。つばめの感情 の変動を糧にして膨大なエネルギーを生み出す青い結晶体は、指の間からほのかに暖かな光を放った。昨夜の 余韻が心中にこびり付いているからだろう、祖父に対する怒りや憤りを遙かに上回る熱量で、父親に会えた嬉しさ が込み上がってくる。そこに、祖母に会いたいという一念を加え、撚り合わせ、収束させる。
 両手を組んだ拳を真っ直ぐに前に突き出し、フカセツテンの外殻に向けた。つばめを中心にして迸った青い光は 雪を蒸発させながら直進し、結晶体に激突し、炸裂した。雪の粉塵が舞い上がると共に熱波が押し寄せ、周囲に 積もった雪を円形に溶かしてしまった。果たして成功したのか、と若干不安になりながら、つばめは両手を開いて 熱を持ったナユタを解放した。吹き下ろしが煙を拭い去ると、フカセツテンの外殻には直径五メートルほどの大穴が 開いていた。新免工業の大型船で目の当たりにした壮絶な破壊力も、上手く使えば程々の威力で済むようだ。

「お、おおお……」

 つばめが感嘆すると、武蔵野が肩を叩いてきた。

「よくやった。次はあの無重力を作ってくれ」

「えぇ!?」

 急にそんなことを言われても。つばめが困惑すると、一乗寺は自動小銃を肩に添えながらにんまりする。

「だってさぁ、橋を造っている時間も材料もないじゃーん。それに、みっちゃんが連れてきた子も持って行かなきゃ、 みっちゃんの戦力が半減しちゃうじゃーん。だから、さくっとよろしくね」

「ナユタを使うのって難しいんだよ。コンガラでなんとかなるよ、きっと」

 つばめは肩から提げたトートバッグを指すと、コジロウが平坦に述べた。

「コンガラを使用するには、コンガラが複製すべき対象物、及び複製する対象物の詳細な情報が必要だ。しかし、 この近辺には人型重機の走行に耐えうるほどの強度を持った素材は見当たらない」

「早くしろよ。でねーと、俺、冬眠しちまうかもしんね」

 クッソ寒ぃ、死ね、と伊織が苛立たしげに爪を振り回し、雪を無意味に切り裂いた。

「そりゃ、まあ、そうだけどさぁ」

 コジロウまでもが味方ではなかった。渋々、つばめは再びナユタを両手で握った。出来るだけ広く、丸く、柔らかく、 エネルギーを放つように願った。良くも悪くもストレートなナユタの出力を押さえながら安定させるのは厄介で、感情 の加減も難しい。嫌々では過重力が生まれかねないし、かといってやけに高いテンションでは反重力が行きすぎて 空に吹っ飛ばされてしまうかもしれない。つばめは平常心を保つように尽力し、半径十数メートルの空間を重力から 解放してやった。これで、移動手段は確保出来た。
 最初にフカセツテンの大穴に向かったのは武蔵野だった。彼は雪上車の屋根を蹴って移動し、自動小銃を構えて 穴の内側に向けて危険がないかどうかを確認した後、手を振った。続いて道子に守られてつばめが移動し、その次 に一乗寺、寺坂、伊織と移動し、最後に残ったコジロウは雪上車を道路に据えてから、人型重機の機体を後ろから 押して運んできた。人型重機が無事着地したことを確認してから、コジロウはつばめの元に戻ってきた。
 フカセツテンの外殻は、予想以上に分厚かった。ナユタが貫いた穴は綺麗な筒になっていて、摩擦があまりにも 少ないので、雪が付着した長靴では滑りそうになった。がたごとと人型重機のキャタピラが足元を踏み鳴らす音が 響き渡り、やかましかった。つばめはコジロウの手を握りながら、薄暗く、長いトンネルを進んでいった。
 淡い光が差し込む出口に到着すると、急に視界が開けた。そこには、うららかな春の景色が待っていた。つばめ は暖かな空気と日差しに驚き、目を剥いた。船島集落に来て間もない頃に目にした景色と、全く変わらなかった。 分厚いスキーウェアの下からは汗が噴き出し、煩わしい。長靴のつま先に付いた雪が溶け、一滴の滴に変わる。 穴の出口は地面に接していて、今度は空中を移動しなくても済んだ。武蔵野と道子に続いて中に入ったつばめは スキーウェアを脱ぎ、汗の浮いた肌を曝し、一息吐いた。

「ショートパンツにしてきて良かった」

 つばめは長靴を脱ぎ、スキーウェアのズボンを脱いでいると、一乗寺が咎めてきた。

「なんでそんな格好にしたの。もうちょっと防御力のあるものにしなよ、最低限ジーンズだよ」

「だって、ズボンの類は全部洗濯しちゃったんだもん。で、あの天気でしょ、乾かないんだよ」

「乾燥機でも買えよ。俺んちの洗い場には、乾燥機ぐらい置けるスペースはあるだろ」

 寺坂の真っ当な意見に、つばめは言い返した。

「寺坂さんちで暮らしていた間の生活費は、道子さんの貯金なんだよ? そんなにほいほい使えないって」

「昨日は鍋の仕込みで忙しかったから、私も洗濯物まで手が回らなかったんですよねー」

 苦笑混じりに言った道子は、人型重機の操縦席の屋根に腰掛けていた。中には入らないらしい。

「だったら、アイロンでも使えよ」

 伊織の意見されて道子は、ごもっともです、と肩を竦めた。

「とにかく行くぞ。話は後だ」

 武蔵野に急かされて、皆、歩き出した。軽装になったつばめは、フリースのパーカーにデニムのショートパンツを 着ており、足には防寒用に着込んだ厚手のニットタイツを履いたままだった。寒さに耐えるための服装だったので、 常春の気温の中では無性に暑苦しく、長靴もスニーカーに変えたかったが、そんなものは持ち合わせていないので 無理だった。仕方ないのでパーカーを脱いで、スキーウェアが詰まってぱんぱんに膨れているトートバッグに強引に 詰め込み、上半身を長袖シャツだけにした。
 フカセツテンの内部は、在りし日の船島集落だった。但し、建物は一つ残らず潰れていた。一乗寺が教鞭を執って いた分校、合掌造りの古い民家、つばめの概念を操作していた桑原れんげが自分の家だと言っていた瓦屋根の 家、つばめが相続したと思い込んでいた佐々木邸。コジロウの手を強く握り、つばめは唇を引き締めた。
 ナユタが開けた穴は、分校の裏手に繋がっていた。一乗寺が侘びしげに見つめる潰れた分校の脇を通り、狭い 運動場を通り、集落の唯一の一本道に入る前に、先頭を歩いていた武蔵野が手を挙げた。止まれ、との合図だ。 自動小銃を構えた武蔵野に続いて一乗寺も素早く銃口を上げたが、引き金には指を掛けなかった。二人の肩越し に、狙いを付けられた相手を認めたつばめは、それが誰なのかが解らなかった。菜の花がまばらに咲く道路には、 少年が佇んでいた。とても小柄で、顔色はひどく青白く、小枝のように細い手足で、どことなく彼女に似ていた。

「……ショウ?」

 少年の名を呼んだ一乗寺は、自動小銃を下げた。その言葉で少年の正体を察し、寺坂は忠告する。

「あれがお前の弟に似ていたとしても、十割の確率で人間もどきだ。でなきゃ、アソウギの化け物だ」

「うん、解る、解っているけど」

 一乗寺の横顔は凍り付き、いつもの明るい態度やふざけた口調は拭い去られていた。過去の業から未だに解放 されていないのだ。その業が何なのか、つばめは理解した。理解させられた。理解したくなくてもするしかなかった。 つばめは素手でナユタを握り締め、荒く脈打つ心臓を押さえるが、動揺が収まらない。視線が、意識が、感情が、 記憶がザッピングさせられる。つばめは何者かに脳を掻き混ぜられるような不快感に襲われ、頭を抱えた。

「おねえちゃん」

 ショウと呼ばれた少年が言うと、つばめの口からも同じ言葉が漏れた。

「おい、つばめ、どうした」

 寺坂に支えられるが、つばめは自分の意思では抗えなかった。再び、少年が喋る。

「お姉ちゃんは僕の全てだ。僕はお姉ちゃんの全てだ。だってそうだろう、僕とお姉ちゃんは同じ屑の中の屑の女の 腹からひり出されたんだ、触手の化け物が屑の中の屑の女を孕ませたから出来た世界の廃棄物なんだ、だから僕 とお姉ちゃんは同じじゃなきゃならない、お姉ちゃんと僕は愛し合わなきゃならない」

 またも、同じ言葉がつばめの口から流れ出してくる。おぞましさで背筋が逆立ち、つばめは口を塞ぐが、それでは 何も防げなかった。少年が一乗寺への粘つく執着を語るたびに、つばめも同じ言葉を語ってしまう。つばめと少年を しきりに見比べる一乗寺の面差しには動揺が浮かび、ふてぶてしいほどの余裕は消えていた。

「黙れ」

 そう言う前に、武蔵野は発砲した。少年は避けようともせずにまともに頭に喰らい、仰け反る。

「ぎぇあああああぁっ!?」

 突如、激痛がつばめの頭部を貫いた。頭蓋骨と脳と神経と眼球と頭皮と髪が硬い異物に抉られ、砕かれ、痛み が全神経を逆立てる。寺坂の腕の中、無傷の頭を抱えて仰け反ったつばめは懸命に吐き気を堪えた。理解する、 させられる、祖父が何をしたいのかを。遺産とその産物は互換性で繋がっている、もちろん管理者権限所有者とも 繋がっている。だから、遺産の産物に与えられたあらゆるダメージが全てつばめにフィードバックするように細工を 施している。クテイにつばめの苦しみを捕食させるために、愛する妻を満足させたいがために。

「どうしろってんだ、こんなの、どうしろってのぉ……」

 ひどく喘ぎながら、つばめは苦痛のあまりに涙が浮かんだ目元を押さえた。

「何がどうなってやがる、教えろ」

 寺坂に乞われ、つばめが途切れ途切れに答えると、武蔵野はぎょっとした。

「じゃあ、あいつを攻撃すればそのダメージが全部つばめに来るのか!? なんてこった!」

「殺せと言われれば殺せなくもないよ。俺はもう、すーちゃんしか興味がない。ショウのことは好きだったけど、ガキ の頃の好きと大人になってからの好きはかなり違うからね。でも、何度も撃ったら、つばめちゃんはショック死する こと間違いなしだよ。俺も何度も撃たれたから解るよ、死にそうなぐらい痛いもん」

 一乗寺は自動小銃を握り、頭を半分吹っ飛ばされながらも起き上がる少年に、冷徹な視線を注いだ。

「無視して前に進みますか?」

 道子は人型重機から飛び降りて寺坂からつばめを受け取ると、寺坂は異を唱える。

「あいつをスルーして進んだって、どうせ後から後から似たようなのが出てくるさ。とっとと攻略する方法を見つける ためにも、まともにやり合っていった方がいいと思うぜ」

「ですけど、つばめちゃんが」

 道子は血の気の引いた顔色のつばめを案じると、つばめは深呼吸してから返した。まだ、頭が痛い。

「寺坂さんの言う通りだよ。だから、どうにかするしかない」

 だが、どうやって。つばめは逃げ出したい思いを必死に堪えながら、歯を食い縛って、考えた。肉体的な苦痛から 逃れられるように出来たとしてもつばめの精神に負荷が掛かることは免れないだろう。実際、ショウと呼ばれた少年 が味わっている絶望や悲しみが、つばめの心中に滑り込んでくる。妨げる術はなく、退ける力もない。
 お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃあん、とショウが一乗寺を呼ぶ。一乗寺昇ではなく、一乗寺皆喪としての一乗寺を 乞うている。その叫びは弱々しく、一乗寺の精神をざらつかせる。つばめの心中もざらついて、愛して止まない姉が 生き延びているばかりか、まともな人生に向かおうとしているのが許せないという情念も伝わってくる。

「俺が喰おうか。あいつ、クッソ拙ぃけどな」

 伊織がしゃりっと爪を擦り合わせると、一乗寺はそれを制して自動小銃を構え直した。

「いおりんは手ぇ出さないで。俺が一発で仕留める」

 それが出来たとしても、つばめには痛みが訪れる。それこそ、即死しかねないダメージが及ぶ。生温い春の風が、 少年がぶちまけた脳漿と血の臭気を早々に傷ませ、瑞々しい草木の香りに腐臭を添える。不意に一乗寺しか捉えて いなかったショウの視線が震え、伊織に定まった。それはつばめの視界にも映り、ショウの感情が反れる。

「あ、ああ」

 遺産の内に残っていた情報を元に作られた紛い物でも、本物だった頃の恐怖はショウの精神に色濃く焼き付いて いるらしい。それを目聡く感じ取った伊織は下両足の爪でアスファルトを蹴り、高々と跳ねた。誰が止める間もなく、 黒い肢体は少年の目の前に滑り込み、鞭のようにしなる下右足で少年を打ち、飛ばした。つばめの体にも相応の 衝撃が訪れ、背骨が砕かれそうな激痛が加わる。胸を反らして手足を突っ張り、つばめは呻いた。

「ぐぇあっ!」

「おい、伊織! 止めろ! つばめが死んじまう!」

 武蔵野は伊織を制止しようと叫ぶが、伊織は攻撃の手を緩めなかった。少年の落下地点に先回りして受け止め、 大きく振り回してから地面に叩き込む。その遠心力、反動、苦痛、ありとあらゆるものがつばめに返ってくる。その度 につばめは苦痛と闘い、道子の柔らかな人工外皮に包まれた腕に爪を立てる。伊織は少年の首を易々と切り裂いて 放り投げ、首から下も放り投げ、空中で激突させる。ぐちゃりと互いを潰し合った肉体は落下し、肉塊と化す。
 道子が渡してくれたハンカチを噛み締めていたおかげで舌を噛み切らずに済んだが、つばめは意識が飛びそうに なっていた。全身が引き裂かれそうな痛みは消えず、目の奥がちかちかする。目眩がする。吐き気がする。両足に 力が入らない。冷や汗がべっとりと滲んで、シャツが肌に貼り付いている。コジロウは、と上目に窺うと、コジロウは 両の拳を固めて直立していた。きっと、誰よりも歯痒い思いをしているのは彼だろう。
 表情の窺えない横顔、白いマスクフェイス、赤いゴーグル、銀色の手、胸部装甲に付いた片翼のステッカー。彼の 姿を目にしていると、不思議と心中が穏やかになった。苦痛の嵐が失せたわけではないのに、なんだか気持ちが 楽になる。次第に冷静さを取り戻したつばめは考えた。遺産同士に互換性があるのは、同じ世界から来たもの同士 なので通じ合えているのだろうが、人間同士は何で通じ合うのだろう。同じ話題、同じ視点、同じ経験、などといった もので似た価値観を分かち合う。ならば、少年とつばめの共通点はお姉ちゃんだ。

「コジロウ」

 つばめは汗と唾液が染みたハンカチを口から外し、掠れた声で名を呼ぶと、コジロウは振り向いた。

「所用か、つばめ」

「手、貸して」

「了解した」

 つばめが汗ばんだ手を差し出すと、コジロウは迷わずに二本の指を差し出してきた。それを、力一杯握る。

「大丈夫。だから、頑張るよ」

「だが、つばめ」

「そりゃ、誰だって、大好きなお姉ちゃんが大人になったら寂しいよね。解るよ。私もそうだったもん」

 道子の手を借りて立ち上がったつばめは、コジロウを心身の支えにしながら両足を伸ばした。肉塊と化した少年 は奇妙に蠢きながら肉を寄せ集め、いびつな怪物になりながらも立ち上がろうとする。一乗寺を求めてくる。それは いじらしささえあり、濁った血と崩れた肉を寄せ集めた指を懸命に動かし、姉に縋ろうとする。お姉ちゃんお姉ちゃん お姉ちゃん、少年は繰り返す。つばめもかつては繰り返していた。美野里が好きでたまらなかったから、つばめには 美野里しかいないのだと思っていたから、美野里のいる世界しか知らなかったから。だが、今は違う。

「先生、撃って」

 つばめが一乗寺に乞うと、一乗寺はひどく穏やかな面差しで自動小銃を構えた。

「痛いけど、いいの?」

「痛いけどさ、ある程度は痛い目に遭わなきゃ、ろくな大人になれないよ」

「うん、それは真理だね」

 一乗寺は自動小銃の設定を連射に切り替え、銃床を肩に当て、引き金を絞り切った。途切れずに放たれた銃弾 が粘膜に突き刺さる硝煙を作り出し、いびつな弟が砕け散る。肉片と骨片と血飛沫が波状に広がり、日差しの熱を 吸い込んだアスファルトに放射状に広がった。さよなら、ありがとうお姉ちゃん、とつばめは心中で呟いた。
 思った通り、激痛は訪れなかった。今、つばめの内で美野里は死んだ。つばめを愛してくれた、優しいお姉ちゃんの 美野里は死んだ。愛されようとするがあまりに愛してやれなかった、姉代わりの女性は死んだ。つばめは一乗寺が 撒き散らした薬莢を踏み締め、歩き出した。振り返れば未練に駆られるから、前だけを見据えた。
 戦うべき相手は祖父でも祖母でも遺産でもない、自分自身だ。





 


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