機動駐在コジロウ




終わり良ければ全て良し



 情報を取得し、記録し、保存する。
 市立高校の制服姿のつばめは、卒業証書の入った筒を振り上げながら駆け寄ってきた。白い息を弾ませながら やってくると、花飾りの付いた胸を張り、ホームランを予告するバッターのように黒い筒を掲げてみせた。自慢げに 口角を上向けているつばめを、卒業証書越しに捉えたコジロウは、彼女の頭上に傘を差し掛けた。

「降雪は継続している」

「そりゃまあ、そうだけどさ。卒業したこと、ちょっとは褒めてもいいじゃない」

 期待していたリアクションが返ってこなかったからだろう、つばめは不満げに唇を尖らせる。

「教育課程を修了した証明書の閲覧は帰宅後に行うべきだ。サブマスターが駐車場にて待機している」

 ざくざくと雪を踏み分けながら、コジロウはつばめを伴って校門に向かった。三月を迎えても、雪国にはまだまだ 雪が降り積もる。除雪車によって校門の左右に押し退けられた雪の固まりは、捲り上げられている底の部分が泥 で黒く汚れていた。他の卒業生達は友人と記念写真を撮ったり、教師と別れを惜しんだり、親に卒業祝いの言葉を 掛けてもらったり、と、皆、めいめいに高校生活最後の日を過ごしていた。

「結局、りんねは卒業式に来られなかったね」

 つばめはコジロウの左腕を掴み、離れないようにしながら、残念がった。

「療養中だからだ」

 コジロウが平坦に返すと、つばめは通学カバンからはみ出している、もう一本の筒を見やった。

「帰り道に病院に寄っていこうね。で、卒業式をしてやろうよ。出席日数は芳しくなかったけど、りんねの成績は学年 一位のままだったんだもん。文香さんにメールして、りんねが食べられそうなケーキがあるかどうか教えてもらって、 それを買っていこうよ。しばらく会っていないから、話したいことが一杯あるんだ」

「妙案だ」

「で、ミッキーが帰ってくるのは明日だっけ。RECの海外公演、上手くいったみたいでよかったね」

「興行収入は日本円に換算して五百億円を超えたとの情報を取得している」

「なんかもう、桁が大きすぎて逆に想像が付かないねー。でも、それだけ、ミッキーとレイが凄いって証拠だよ」

 つばめは満足げに頷いてから、駐車場に入ると、父親の待っている自家用車に向けて手を振った。人工外皮を 被っている佐々木長孝は、娘と息子に相当する警官ロボットに片手を挙げてみせた。つばめは父親に駆け寄ると、 自分の卒業証書を見せた後、りんねのお見舞いと卒業祝いに行こうと提案した。長孝はそれを快諾し、コジロウは 車の後に付いてこいと命じた。コジロウはそれを了承し、雪が積もった傘を折り畳み、つばめに手渡した。
 降りしきる雪の中、両足のキャタピラを作動させて凍結気味の路面を踏み締めながら、コジロウは佐々木親子の 乗ったワゴン車を追っていった。少し曇ったバックガラスの奥では、運転席でハンドルを握っている長孝につばめが しきりに話し掛けている。聴覚センサーを高めれば、その内容は聞き取れないこともなかったが、一から十まで知る のはあまりよくないことだとコジロウは感覚的に理解しつつあった。
 ワゴン車が赤信号で停車したので、コジロウもまた速度を緩め、一旦停止する。赤いゴーグルに貼り付いた雪片 を拭い去り、機械熱で水滴を蒸発させていると、多次元通信装置でメールを受信した。それはつばめからのメール で、高校卒業まで毎日登下校に付き合ってくれてありがとう、これからもよろしくね、という文面だった。コジロウは その内容と意図を理解するべく演算能力を駆使してから、文章を構成し、入力し、返信した。
 了解した、任務を継続する、と。




 収集した情報の索引を作成する。
 長く伸ばしていた髪をばっさりと切り落としてショートカットにしたつばめは、真新しい喪服に身を包み、細い煙が 立ち上る線香を見つめていた。その背に視線を据え、コジロウは玉砂利の上で直立していた。吉岡りんね、の名が 新しく側面に刻まれた墓石は冷え冷えとしていたが、色とりどりの花に囲まれていた。
 一昨日、吉岡りんねと藤原伊織は生命活動を終了した。集落の分校を卒業した後、りんねは一ヶ谷市内の市立 高校に入学したが、二学期を迎えて間もなく、体調を崩して入院した。その時は簡単な処置だけで退院することが 出来たのだが、その後も何度も入退院を繰り返すようになった。産まれる前から命を失い、強引に産まれさせられた 後は佐々木長光に散々弄ばれてしまったため、りんねの遺伝子情報には修復不可能な欠損があった。その影響に よる病症は、現代医学では到底治療出来ないものだった。
 それから、死期を悟ったりんねは、苦痛を軽減する緩和医療だけを受けて伊織と共に余生を過ごすようになった。 成虫であるが故に寿命が短い伊織も、りんねと生き切ることを望んだ。病院から退院して集落の自宅に戻り、母親と 暮らしながら、好きなことをした。本を読み、映画を見て、散歩して、伊織と押し花を作り、食べたいものを食べ、 皆と思い切り笑い合った。そして、りんねは伊織と惜しみない愛を交わし合った末、二人でその日を決めていた かのように揃って眠りに付いた。自宅の自室で、大好きなものと大好きな彼と共に、最後の人生を終えた。
 
「お疲れ様」

 つばめは墓石を優しく撫で、涙を湛えた目を細めた。吉岡りんね、享年十九歳。藤原伊織、享年二十三歳。

「もう二度と、あんな目に遭わないように祈っておくね。次に産まれる時は、りんねも、伊織も、真っ当に産まれてくる ようにって一杯お願いしておくから。だから、今はゆっくり休んでね」

 深くため息を吐いたつばめは、ハンカチで目元を拭ってから、コジロウに振り返る。

「あれだけ泣いたのに、まだ出てくるよ。どうしよう」

「つばめ」

 コジロウが身を屈めると、つばめはコジロウの分厚い胸部装甲に縋り付き、肩を怒らせる。

「ごめん、もうちょっとだけ」

「了解した」

 つばめの震える手に角張った手を添え、コジロウは背を丸めた。合金製の外装に爪を立てながら、つばめは声を 上げて泣いた。生前のりんねと伊織が幸せであればあるほど、残された者の寂しさは募るものだからだ。つばめが 息苦しくならないようにと背中をさすってやりながら、コジロウは演算能力を駆使し、つばめが感じている感情を己の 疑似人格で再現出来るようにと情報を収集し、分析し、保存していった。
 泣くだけ泣いたおかげで気分が凪いだつばめは、浄法寺の敷地内にある岩に腰掛けているコジロウの膝に座り、 りんねの数奇な人生と思い出を一つ一つ言葉にしていった。一時期はあんなに恨んだのに、羨んだのに、今では 自分の一部分のように思える、とも。コジロウの胸元に散らばる涙をハンカチで拭いながら、つばめはコジロウの指 をきつく握っていた。その理由を問うと、どうしようもなく寂しいからだと答えた。
 理解しきれなかったが、手を握り返した。




 蓄積した情報を類別する。
 白、白、白。それ以外の色彩を徹底的に排除した、機能性が皆無な衣装を身に纏い、つばめははにかんでいる。 佐々木ひばりが結婚記念の写真を撮った際に着ていたものとどことなく似たデザインのウェディングドレスを着て、 つばめは照れていた。再び長く伸びた髪をセットされて儚げに透き通ったヴェールを被せられ、生花を使ったブーケ を手にしている。若くして亡くなった母親に似てきた顔立ちは美しく、体形もバランスが取れている。衣装に見合った 化粧も施されているため、目鼻立ちが強調されていた。ドレスの襟刳りは広く、丸く膨らんだ胸の谷間が露わになって いて、心臓の位置に付いた片翼の傷跡も同様だった。
 私は自分がおかしいって解っている、と笑顔を保ちながら、つばめは言い切った。レースの長手袋を填めた手を 伸ばしてコジロウのマスクフェイスに触れながら、つばめは淡いピンクの口紅を差した唇を開いた。

「でもね、やっぱり、他の誰も好きになれないんだ」

 コジロウのマスクをなぞり、唇に相当する位置を人差し指で押さえながら、つばめは背伸びをする。

「高校の時、コジロウじゃない誰かを好きになるんじゃないか、なれるんじゃないか、って思ったことがあるの」

「それは」

 思わずコジロウが身動ぎ、関節を軋ませると、つばめはアイシャドウに彩られた瞼を瞬かせる。

「思っただけ。あの頃は、ちょっと遅れてきた反抗期っていうか、思春期の一番面倒臭い時期だったから、コジロウ から離れたら私は早く大人になれるんじゃないかって考えちゃったの。でね、そんなことを考えちゃった時に限って 部活の先輩から告白されちゃったんだ。で、ちょっとだけ付き合ってみようかな、なんて思っちゃったんだ」

 だけどね、とつばめは苦笑し、コジロウの胸に額を当てる。

「やっぱり無理だった。その人、凄くいい人だし、優しいし、私のことを大事にしてくれるんだろうなぁって解ったけど、 どうしても最後の最後で踏ん切りが付かなかった。どうしても、コジロウのことを先に思い出しちゃったから」

「その行動の意味が解らない」

 コジロウがつばめの素肌の肩に手を添えると、つばめは金属の冷たさで肩を竦める。

「もしかして、ちょっと怒った?」

「本官には、つばめを叱責する理由がない」

「その割には力が強めなんだけど」

 素肌に浅く食い込む指先に目をやったつばめに、コジロウはすかさず手を離す。

「本官の握力制御プログラムに異常は生じていない」

「誤魔化さないの」

「本官は……」

 この不可解で複雑な情緒パターンを表現するための語彙が、すぐに割り出せなかった。コジロウが言い淀むと、 つばめは唐突に笑い出した。笑うような事態なのだろうか、とコジロウが混乱していると、つばめは化粧が崩れて しまいかねないほど盛大に笑い転げてから、ちょっと情けなさそうに眉を下げた。

「妬いた?」

「本官はその語彙に相当するような情緒は」

 が、言葉とは裏腹に、コジロウはつばめに詰め寄りかけていた。つばめはコジロウを制し、仰ぎ見る。

「ほら、妬いたんじゃないの」

「それはつばめの主観的判断であって」

「そういうところ、全然変わらないよね。私は色々と変わっちゃったけど、でも、これだけはずっと同じ」

 コジロウを愛している。コジロウのマスクフェイスを両手で挟んで引き寄せたつばめは、コジロウのマスクに潤った 唇を添えてきた。温度感知センサーがつばめの体温を感知すると、ずくん、とムリョウが熱量を増大させる。余剰分 のエネルギーをバッテリーに回し、平静を保ちながら、コジロウはつばめの腰に手を回す。
 神の前で永遠の愛を誓ったのは、十六分三十二秒前の出来事だ。本当に形だけの結婚式で、友人である集落の 住人達どころか父親すらも呼ばず、一ヶ谷市の片隅で半ば放置されていた教会を借り、立会人も牧師も招かずに それらしい言葉を並べ立てて愛を誓った。それでいいのかとコジロウが問うと、つばめはそれでいいと答えた。父親 でさえも理解出来ない領域にまで深入りしてしまっているから、と、主は少し悲しげに言った。

「愛しているって、言える?」

 薄汚れたステンドグラスの下で、コジロウのマスクに付いた口紅を拭いながら、つばめは囁いてくる。

「その語句を復唱することは可能だ」

 コジロウはつばめと目を合わせながら返すと、つばめは眉根を寄せる。

「そうじゃなくて、さっき言ったじゃない。病める時も健やかなる時もー、って。で、私の愛の定義についても随分前に 教えたじゃない。覚えているでしょ?」

「無論だ。そして、つばめの愛に対する概念は理解している」

「じゃあ、なんで言えないの?」

「本官には情緒と呼ぶべき主観が完成していない」

 つばめを抱き締め、背を丸め、膝を付く。どれほど情報を収集して分析してムジンの演算能力を駆使して主観と 情緒を再現しようとも、つばめが与え、注いでくる感情の量には到底追い付かない。だから、根拠に欠ける言葉を 述べたところで空しいだけだ。つばめの腕がコジロウの首に回され、二人の隙間が埋まる。

「完成していないから、どうだっていうの」

 つばめはコジロウの耳元に備わっているパトライトに頬を寄せ、かすかに笑う。

「言えるなら言ってよ。でないと、こんな恰好までした意味がなくなっちゃうよ。このドレス、オーダーメイドなんだから 高いんだよ? コジロウに見せるためだけに、わざわざ作ってもらったんだから」

「人型特殊車両には戸籍が存在しないため、人間と婚姻関係を結ぶことは不可能だ」

 だが、とコジロウはつばめの腰を引き寄せ、豊かなドレープが付いたドレスの裾を押し潰す。

「それを違法とする条令も、それにより課せられる罰則も、それを取り締まる法律も、現状では存在していない」

「んふふ、解ってきたじゃない」

「よって、それらを考慮し、つばめの発言内容を検討し、判断する。発言の許可を」

「はい、どうぞ」

 つばめに促されると、コジロウは若干の間を置いてから言い切った。

「……愛している」

 たったそれだけの短い言葉を絞り出すだけで、どれだけの時間と経験と情報を得なければならなかったのだろう。 うん、と感慨深げに小さく頷いたつばめを支えながら、コジロウはこれまでの経験と情報を反芻する。愛という概念 や価値観や主観は、パンダのぬいぐるみであった頃に得ていた。それもこれも、つばめがコジロウに一心に愛情を 注ぎ込んでくれたからだ。だから、ムジンに蓄積した情報を分析して、愛がいかなるものかを知った。
 けれど、それを知れば知るほど、コジロウはつばめを愛してはいけないのだと理解せざるを得なかった。つばめは 人間であり、前途有望な子供であり、物質宇宙で唯一無二の力を持つ管理者権限を有しており、道具の一つである ムリョウとムジンが管理者権限所有者を独占するのは以ての外だと自覚していた。だから、愛してはならないと自我 を戒め、潰し、否定し、ムジンを物理的に破壊して演算能力を低下させ、完全に消し去れたと思っていた。
 だが、愛してはならないと思った相手から愛された。パンダのコジロウだった頃とは正反対の言動を取り、つばめ の興味を惹くまいとしていたのに、つばめはそうではなかった。警官ロボットがコジロウがパンダのコジロウであると いう事実を知らなくても、真っ向から好いてきた。コジロウの密やかな決意と覚悟は他でもない主によって蹂躙され、 戒めは破られてしまった。しかし、道具の範疇を越えられないと解っていたから、愛に応えられなかった。

「ずっと、ずっと、一緒だからね」

 二度目のキスを終えてから、つばめは恍惚とする。

「了解している」

 コジロウが返すと、つばめは全ての幸福を凝縮したような笑みを浮かべた。愛してもいいのだと、愛されてもいい のだと、集積回路の片隅で認識する。それもまた管理者権限による命令によるものだ、という言い訳じみた結論が 弾き出されるが、即座に削除する。つばめに言わされていたとしても、思わされていたとしても、それはそれで幸福 なことなのだと判断したからだ。他でもない、主が幸福なのだから。
 太さも材質も違う指を絡め、体を寄せ、時間と感覚と感情を共有した。曖昧で不定型なものを寄せ集め、形作り、 かつて抹消し尽くした愛とは少し違う愛を構築していった。兄弟間の愛とも、主従の愛とも、友人関係の愛ともまた 異なる、男女間の愛だった。道具らしからぬ独占欲に相当する行動原理が生じたコジロウは、つばめの細い顎を 掴んで上向かせると、哀切に細い吐息を零していた唇を塞いだ。
 この瞬間、欲望を理解した。







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