機動駐在コジロウ




終わり良ければ全て良し



 類別した情報を、細分化する。
 コンプレッサーと繋がっているスプレーガンを用いて、コジロウの外装に黒い塗料を吹き付けてから、佐々木長孝 は塗り残しがないかどうかを入念に確かめた。彼の周囲には、生乾きの外装が円を描いて置かれている。いずれも 黒一色で、揮発剤が蒸発しきっていないからか照りがあった。時折、工場に入り込む風が新聞紙の端を捲り上げ、 一週間前の見出しを見せてきた。N型溶解症に関する記事だった。

「俺に報告すべきことはないのか、コジロウ」

 スプレーガンを横たえてコンプレッサーの電源を切ってから、長孝は作業着の袖から伸びている触手を曲げた。 オーバーホールされるために分解されているコジロウは、作業台に置かれている頭部の視覚センサーを通じてその 仕草を捉えたが、何を答えるべきか否か、逡巡した。確かに、佐々木長孝に報告すべきことはいくらでもある。二人 だけの結婚式を挙げたことは報告すべき事象の範疇に入っていたが、それを報告することは望ましくない、と判断して 押し黙った。長孝は数本の触手を束ねて填めていた軍手を外すと、手近な椅子に腰掛ける。

「報告出来なければ、無理にしなくてもいい。察しは付いている」

「その理由は」

「明言出来るようなものではないが、確信した理由はつばめとお前の雰囲気が変わったからだ。俺が本社への出張 に行っている間に、何が起きたのか、何をしたのか。その内訳を問い質すつもりはないが、遠からずそうなるだろう という懸念は抱いていた。そうならないはずがないのだとも、予想していた。……ひばりも許してくれるだろう。それ がお前達が見出した幸福であるというならば、責める謂われはない。俺も責めはしない」

 ぎし、と年季の入ったパイプ椅子を軋ませ、長孝は背を丸める。外見は加齢を感じさせないが、動作の端々から は老いが現れ始めていた。窓から差し込む日差しの強さとは対照的に、長孝とコジロウに掛かる影は濃い。

「手放しで祝福してやれないのは寂しいが、それもまた仕方ないことだ」

 フレームと内部機関を曝しているコジロウを見やり、長孝は凹凸のない顔の眉間と思しき部分にシワを寄せる。

「だが、つばめとお前の出した結論が正しいと言っているわけではない。正気の沙汰ではないことは、誰の目から 見ても明らかだ。機械と人間である以前に兄妹なんだ。確かに、お前につばめを守ってやれと命じた。助けてやれ とも願った。俺が傍にいられない分、傍にいて支えてやってくれとも言った。愛してやってくれ、と命じたかどうかは よく覚えていない。思いはすれども愛するな、と命じておけばよかったかもしれないが、もう手遅れだ」

「本官は法律に抵触する行為を犯してはいない」

「そうだな。そう思っておけばいい」

 長孝は緊張を緩めるように、細く、長く、息を吐く。

「だが、一方でお前達が出した結論が最良だとも判断している。母さんの……いや、俺の血を残してはいけない。 ニルヴァーニアンは人類と交わるべきではない種族だった。俺自身もそうだった。だが、取り返しの付かないことを してしまった。それを償うべきだった。だが、俺に過ちを償える力はなかった。だから、つばめがお前以外の誰にも 惹かれていないと知って安堵した。しかし、納得し、理解するまでにはもう少し時間が掛かる」

「その理由は」

「親だからだ」

「その語彙に関連する情報、及び資料を照会、参照するが、極めて不明瞭。よって、結論を理解出来ない」

「解らないのなら、それでもいい。解っていたとしても、解らない振りをするのであれば、それでもいい」

「その表現は理解しがたい」

「ままごとだろうと何だろうと、契りを結んだことに変わりはない。最後まで添い遂げてやってくれ」

「了解している」

「だったら、それでいい」

 この話はこれで終わりだ、と言い、長孝は腰を上げた。コジロウの黒い外装に触れて塗料が乾いているかどうか を確認してから、乾いたものは倉庫に運んでいった。影の濃さよりも更に深い黒を視界の端で捉えながら、コジロウ は長孝の言葉を何度となく反芻した。文章としては理解出来るが、その行間に垣間見える情緒は掴みきれず、理解 には遠く及ばなかった。コジロウのフレームを調整し、摩耗した部品や緩衝材を交換しながら、長孝は時折妻のこと を話した。いつになく感情的に声色を波打たせながら、コジロウの記憶中枢に妻との思い出を保存するかのように、 情報を並べていった。それを一つ残らず記録し、保存していくと、コジロウの未熟な情緒が揺らいだ。
 そして、寂寥を理解した。




 細分化した情報を、処理する。
 つばめは享年二十歳の母親よりも年上になってから、三ヶ月が経過した。洗い晒しの少し毛羽立ったシーツは、 目に染みるほど白く、薄暗い部屋の中では発光しているかのようだった。年季が入って毛羽立ってきた畳に広げた シーツに縋りながら、つばめはとろりとした目でコジロウを見上げてくる。薄く火照った頬と汗ばんだ首筋が、西日を 含んで柔らかな輪郭を得ていた。乱れた服を直そうともせずに、つばめはコジロウに手を伸ばす。

「これで、よかったんだよね……?」

「つばめがそう結論付けているのであれば、本官は異を唱えない」

 そうだ、これでいい。コジロウは思考回路の片隅で持論に等しい主観的判断を処理し、打ち消してから、つばめ の指に自身の銀色の指を伸ばし、交わらせた。

「満足したのは、私だけだけどね」

 空しく苦笑したつばめに、コジロウは体を寄せる。

「本官は、つばめの命令を忠実に」

「ごめんね」

「その言葉の意味が理解出来ない」

「だって、こうでもしないと私はコジロウのものにはなれなかったから。コジロウは私のものだけど、私はコジロウの ものじゃなかったから。だから、こうしなきゃ気が済まなかったの。でも、やっぱりさ、違うよね、こういうの」

 馬鹿みたいだ、と呟き、つばめはコジロウの膝に突っ伏した。その空しさも、悲しさも、やるせなさも、情報としては 理解出来る。だが、それを理解した上での判断が下せない。つばめがいかにコジロウを愛そうと、コジロウがいかに つばめを愛そうと、乗り越えられない壁はいくらでも立ちはだかっているからだ。
 愛する者の体を求めるのは、人間の本能だ。つばめもまた、真っ当な生き物だったというだけだ。けれど、相手が ロボットでは、どれほど求められても返せないものが多すぎる。その隔たりを埋めたいがために、薄膜を破りたいが ために、つばめの欲求に応じた。だが、それは更なる空しさを生むだけだった。その先には何もないと、あるはずが ないのだと解ってしまったからだ。愛すれば愛するほど、愛する女性が傷付いていく。

「好き」

 コジロウにしなだれかかりながら、つばめが譫言のように漏らした。その言葉の意味は、幼い頃とは全く別のもの だと理解し、認識している。年端もいかない幼児の好意と、成人を迎えた女性の好意は、似て非なるものだ。その 感情の根幹は同じでも、ベクトルが正反対だ。純然たる愛情ではなく、独占欲が多大に含まれた執着心だ。
 それは、コジロウも同様だった。ぐしゃぐしゃに乱れたシーツを引き上げ、つばめの白い肌を隠してやると、つばめ は少しほっとしたように顔を綻ばせた。閉め切った障子戸の向こう側から、集落の中で遊び呆けている子供達の声 が聞こえてくる。小倉家の長男、護と、武蔵野家の長女、ひなたと、周防と一乗寺の間に 産まれたが、両親が婚姻関係を結べなかったので一乗寺の私生児として認知された、翔也しょうやだった。
 護は四歳、巽は三歳半、翔也は二歳半で年頃は離れているが、他に都合の良い遊び相手がいないので一緒に 遊ぶしかないのである。それぞれの親も近くにいるらしく、時折、呼び掛ける声が聞こえてくる。その度に、つばめは 丸めた背中を引きつらせた。すぐ傍に真っ当な幸せがあると知っているから、尚更、コジロウとの間に何も成せない のが悔しいのだ。安易な言葉で慰められるほど、浅い業ではない。だから、その背を支えるだけで精一杯だった。
 その時、絶望を理解した。




 処理した情報を元に、構築する。
 クテイの根の処理が八割方終わった船島集落跡地から、身元不明の赤子が発見された。アソウギに溶けていた 人々の中に妊娠していた女性がいたが、人間としての姿を取り戻した際に胎児が異物として排出されてしまった のではないか、という仮説が立てられた。周防を始めとした政府の人間が事実関係を洗い出した結果、妊娠三ヶ月 の状態で怪人化した女性がいたことが判明したが、シュユの力を借りて蘇って一ヶ谷市内で暮らしていた女性から 事情を聞くと、彼女は自分が妊娠していた事実を知らなければ胎児が体外に排出された事実も知らなかった。つわり もほとんどなければ、腹も膨らみづらい体質だったのだろう。
 新しい名前を得て人生をやり直し、家庭も持っている女性に押し付けるのはあまりにも酷だということになり、赤子 は養護施設に送られることが決まった。だが、乳児院に入れる前に精密検査をした結果、赤子には僅かではあるが クテイと同じ遺伝子情報が混じっていた。遺伝子情報を改変されていなければ、赤子は染色体異常で産まれることすら なかった。アソウギの能力とクテイの情念と、赤子本人の生存本能が成した力業だった。
 となれば、事情は大いに変わってくる。つばめの完成された管理者権限には程遠いものの、管理者権限の端切れ を得て産まれてきた赤子とあっては、悪意を抱いた人間達に道具扱いされかねない。ならば、つばめの住まう 集落で育てた方がいいのではないか、という意見が出た。それに賛成したのは、他でもないつばめだった。

「本当に、その子を育てるの?」

 紺色の作業着姿の美月は、サイドテールに結んだ髪を払ってから、つばめが抱いている赤子を覗き込んだ。

「うん。お父さんも手伝ってくれるって言ったし、この子が私みたいにひどい目に遭ったら可哀想だから」

 うんせ、とつばめは腕に力を入れ、四キロ近い重量がある赤子を抱き直した。

「その子の名前、決めたの?」

「女の子だから、すずめ、って付けた。お母さんがひばりで、私がつばめだから、それ以外に思い付かなくて」

「そりゃいいね。よく似合っている」

「りんねと伊織にも会わせてきたよ。皮肉な話だけど、りんねがああいうことにならなかったら、遺伝子情報を改変 した前例が作られなかったから、この子も産まれなかったはずなんだよ。そう思うと、色々と考えちゃって」

「きっと喜んでくれるよ。りんちゃんも、伊織君も」

「うん、そうだね、だといいね。で……ミッキー、本当に引退しちゃうの?」

「今年で二十四だから、昔みたいに若さを売りに出来なくなったしね。それに、腕がコレだし」

 そう言って、美月は義肢となった左腕を上げた。軽いモーター音が唸ると、手首と肘が滑らかに曲げる。三ヶ月前の RECの会場設営中の事故で、左腕を切断せざるを得ないほどの重傷を負ったからである。

「RECの規模が大きくなっていくと、その分、レギュレーションもきつくなってきちゃってさ」

 美月は生身の右腕で、人工外皮を被った左腕を撫でる。

「何年か前、サイボーグのオーナーがロボットファイターを遠隔操作して試合をしていたって事件があったでしょ?  口頭でコマンドを送るよりも余程的確だし、迅速なんだけど、対戦相手が試合展開を読めなくなるから、演出も何も 台無しにされちゃうんだよ。だから、その後に色々と規定を設けて、サイボーグのオーナーは原則的に試合禁止に するってことにしたんだけど、それが自分の首を絞めることになるとはねー。人生って解らないなぁ」

「でも、小倉重機の仕事は続けるんでしょ?」

「もちろん。私と一緒にレイも引退するけど、私以外の誰にもレイの体はいじらせない」

 美月はつばめの背後に控えているコジロウを見、残念がった。

「もう一度、シリアスとエンヴィーにも出てもらいたかったけど、子供が出来ちゃったなら仕方ないよね」

「うん、ごめん」

「いいっていいって。私とレイの引退試合は最高に盛り上げるから、楽しみにしていてね」

 美月は笑顔を保とうとしたが、ぐ、と声を詰まらせて俯き、右手で作業着の布地を握り締めた。

「もう一回王座を取れば、レイは通算二十冠を達成出来たのになぁ……。王座戦の対戦カードだってとっくに組んで あったし、対戦相手との攻略方法だって考えてあったし、衣装だってデザイン画を起こしてあったのにさぁ……。また ヒールターンして、羽部さんみたいなキャラのヴァイパーレディになって、レイも毒ヘビキャラのヴァイパーバイトに改造 して、思い切り暴れるつもりだったのにさぁ……。それなのに、それなのにぃっ」

 私がこんなになっちゃったからぁ、と美月は叫ぶや否や、崩れ落ちた。つばめは赤子をコジロウに預けると、美月 を抱き寄せてやった。子供のように泣きじゃくる美月はつばめにしがみつき、これまで誰にも言えなかったであろう 心情を叫んでいた。トップを守り続けてきた誇らしさと辛さ、強くなればなるほど厚くなる周囲との壁、レイガンドーを 愛して止まないのに戦わせずにはいられない矛盾、RECの人気が最高潮に達しているのに引退しなくてはならない 歯痒さ。ありとあらゆる感情を吐き出す美月を、つばめは抱き締めてやっていた。
 泣き止んだ美月を見送ってから、つばめはコジロウの腕から赤子を受け取った。集落の住人達や政府関係者から 贈られた大量のベビーグッズが溢れている居間に戻り、オムツを替え、ミルクを与えると、すずめと名付けられた 赤子は寝入った。ベビーベッドの傍に膝立ちになったつばめは、すずめの無垢な寝顔を見つめる。

「すずめがうちの子になったのは、私が変なことを考えちゃったせい?」

「つばめの願望によって因果律が変化する可能性はゼロではないが、遺産が手元に存在していないため、つばめの 願望が物質宇宙の物理法則に強烈な作用を与えるとは思いがたい。よって、それは杞憂だ」

「私が欲しがったから、ミッキーがあんなことになっちゃったの?」

「つばめの願望と美月の負傷に因果関係は見受けられない。よって、無関係だ」

「でも……」

 つばめは声を詰まらせたが、一度深呼吸した後、すずめのぷっくりとした小さな手に人差し指を差し込んだ。反射的な ものだろう、すずめは義理の母親の指を握り返してきた。

「解った。もう、欲張ったりはしないよ」

「つばめが気に病むことではない」

「どんなことだって、釣り合いが取れているんだよ。お金を払った分だけ、欲しいものが手に入るのと同じなんだよ。 欲しいものが何もかも手に入って、充分幸せで、これ以上は欲しがるわけがないって思っていたのに、人のことを 羨んだりしたから、こんなことになったんだ。当たり前のことなんだよ、充分足りているのに他のものを欲しがったり したから、新しいものを入れるための場所が欠けたんだ。だから」

 これからは何も欲しがらない。並々ならぬ決意を込め、つばめは言い切った。コジロウはそれに異議を唱えようと したが、体が不自然に軋んだだけだった。つばめが決めたことであれば、その決定を妨げるような意見を述べるのは 筋違いだ。そもそも、ロボットの領分ではない。すずめを愛でるつばめを見下ろし、コジロウは拳を固めた。
 彼女は変わっていく。大人になったからだ。常に新陳代謝を繰り返している生物に対して不変を望むのは醜悪な エゴであり、そんなものを考えたこと自体が誤りだ。だが、主観的極まりない判断と意見は思うように削除出来ず、 コジロウは拳を緩められなかった。コジロウに一心に注がれていたつばめの愛が、今や、すずめに向いていた。
 憂慮を理解してしまった。





 


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