機動駐在コジロウ




ギフトは寝て待て



 それから、寺坂と道子にも会った。
 濃緑のアストンマーチン・DB7・ヴァンテージヴォランテに乗った二人は、船島集落跡地の近くに住むシュユと今後 についての話し合いをしに行くのだという。弐天逸流に関する情報の真偽、弐天逸流に関わった人間の名前、彼ら を引き入れた経緯、寺坂が過去に接触した信者達の所在、などの情報を出来る限り摺り合わせて、政府にとっては 都合の良い報告書を作る手伝いをするのだそうだ。シュユの話す内容は人間の価値観では理解しきれない部分も 多く、異次元宇宙と接触した経験がなければ概念すら把握出来ないことも多いので、アマラによって産み出された 電脳体であり、ニルヴァーニアンの概念や情報を理解している道子の存在は重要である。彼女がシュユの言葉を 通訳してくれなければ、政府、いや、人類はシュユに歩み寄ることすら不可能だろう。

「それでですね、りんねちゃんの御誕生日なんですけどね」

 派手なオープンカーの助手席に座っている道子は、胸の前で両手を組む。今日もまたメイド服姿である。

「暇を持て余して作ったシュシュが山盛りにあるんですよー。出来のいいものをちょっといじってから、ラッピングして プレゼントしようかなーって。多いに越したことはないですからね、髪留めって」

「俺もまあ、適当にだな」

 いつもの法衣姿でサングラスを掛けた寺坂は、サイボーグになっても相変わらずの禿頭を押さえる。

「随分前に入れ込んでいたキャバ嬢にあげようと思って買ったコンパクトミラーがあるんだけど、その子、ちゃっちゃ と高収入の男を引っ掛けて店を辞めちゃってよ。でも、ブランドものだし高かったから捨てちまうのは勿体ねぇしで。 だから、りんねにやろうかと思ってよ。つばめはそういう感じのは好きじゃねぇだろうし、ミッキーはRECのファンから ばんばん貢がれているから、俺があげるまでもないだろうしな」

「まあ……無駄にはなりませんね」

 寺坂のプレゼントの正体はりんねに明かさないようにしよう、と文香は苦笑した。

「で、他の方のプレゼントはどういう内容でしたか? ちゃんとリサーチしておかないと、被っちゃいますからね」

 やけに真剣な顔をした道子に問われたので、文香が武蔵野と小夜子と美月のプレゼントの内訳を教えると、二人 はなんともいえない顔になった。文香も同様である。彼ららしいと言えばらしいのだが、十五歳の少女のプレゼント には相応しくない品物ばかりだからである。しばらく話し合った後、ちくわさえ回避すればこれ以上被らずに済む、と いう結論に達した。それから程なくして、二人の乗った車は発進していった。
 いつまでも手を振っている道子に手を振り返してやってから、文香は今一度考えてみた。ならば、文香はりんねに どんな誕生日プレゼントを贈ればいいのだろうか。りんねは心優しいので何を贈っても喜ぶかもしれないが、本当に 喜んでくれなければ意味がない。だが、ちくわが題材のプレゼントは既出だ。しかも二つもある。水商売をしていた 頃は、その場その場で誕生日をでっち上げて男達から高価なブランドバッグや宝飾品を貢いでもらったが、文香の ような女達は安酒と一晩のデートで応じるだけだった。あまりにも高頻度で誕生日を連発しすぎたので、自分自身の 誕生日がいつだったかを忘れたこともある。けれど、それはそれで充実していた。おめでとう、おめでとう、と何度も 言われるのは素直に嬉しかったからだ。

「この分じゃ、プレゼントの山が出来ちゃいそうね」

 誕生日祝いの来客も増えそうなので、お祝いの御馳走のメニューも考えておいた方が良さそうだ。歩いているうち に血行が良くなってきたらしく、再発しかけた頭痛も紛れたので、自然と文香の足取りは軽くなった。ふと気付くと、 狭い集落を抜けて船島集落に至る道に入っていた。
 危険、関係者以外立ち入り禁止、政府管理区域、などと仰々しい言葉が書かれた看板が立ち、黄色と黒のテープ が貼られていた。検問も造られていて、重武装した警察官が道の両脇を固めていて、警察車両も並んでいる。文香 はそれに近付くこともなく、眺めるだけに止めた。しばらく前までは、この少し先で古めかしいドライブインを経営し、 ちらほらとやってくる客を相手にして過ごしていたのだが、それが恐ろしく遠い過去のように思える。

「シュユに御用でしたら、俺に話を通してくれますか」

 不意に話し掛けられ、文香が身動ぐと、重武装した警察官の一人がヘルメットを外した。周防国彦である。

「あら、どうも、周防さん」

 驚きすぎてしまい、文香が間の抜けた返事をすると、周防は左目の義眼を動かして文香を見やる。

「どうも。しかし珍しいですね、文香さんがこっちに来るなんて」

「散歩していたんです」

「それ自体は結構ですが、あんまり船島集落には近付かないで下さいね。でないと、俺達の仕事が増えるんですよ。 それでなくても、シュユとお偉方が話し合う日ですから、警戒がきつくなっているんです。あなた方の住む集落の周辺 は常に警戒されているので何事もないように思えるでしょうが、一ヶ谷市内は非常線が何本も張ってありますから、 迂闊なことをすれば関係者でも引っ掛けられますよ。まあ、小倉重機の車両はほぼノーチェックで通しますけどね。 そうしなければ、レイガンドーと岩龍のムジンが不安定になってムリョウに影響を及ぼすかもしれませんから」

「あら、お優しいんですね」

「そうでもないですよ」

 周防は口角を曲げ、戦闘服と揃いの紺色の手袋を嵌めた手を広げた後、握り締めた。

「あなた方は檻なんです。あなた方さえ穏やかに過ごしていれば、佐々木つばめとその手中にあるムリョウもムジン も、あなたの娘さんが手懐けている怪人も、二度と世に放たれずに済みますからね。国益は大いに損ないますが、 国家の安全には代えられません。厳しいことを言うようですが、文香さんが出そうとしている店舗も、本来であれば 絶対に許可出来ないことなんです。一ヶ谷市内には未だにN型溶解症の病原菌が蔓延していることになっています し、文香さんは罹患者と同居していることにもなっています。ですから、文香さん自身も発病しなかった保菌者として 扱われても仕方ない状況なんです。娘さんだけじゃなく、藤原伊織の保護者という立場でもあるんですから、出来る ことなら集落から離れてもらいたいはないんですがね」

「ですけど、私が店を出すことは許して下さいましたよね?」

「ええ、まあ。長孝さんと小倉親子も遺産の関係者ですが、RECを止めさせて小倉重機を倒産させろとはさすが に言えませんからね。今や全世界的な大衆娯楽になりつつありますからね、ロボットファイトは。それが前例として あるので、強くは出られないんですよ。前例がなければガタガタ抜かすのが政府ですが、前例があったらあったで 頷くしかないのも政府なんですよ」

「ありがとうございます。これからも御手数をお掛けするでしょうが、御世話になります」

「こちらこそ、俺の連れ合いが娘さん方の御世話になっています。分校の方は大丈夫なんですか?」

「ええ、もちろん。りんねが毎朝元気に通っているのが、何よりの証拠です」

 そう言うと、周防の面差しが和らいで見るからに安堵した。一乗寺もまた、厳密に言えば人間ではない。それ故に 使い捨ての武器として最前線で酷使されてきた彼女が、ようやく人間らしい生活を手に入れられたのだから、彼女 を愛して止まない周防は心配なのだろう。だが、周防は内閣情報調査室の諜報員としての仕事があるため、集落 にはほとんど帰ってこられない。今日も、こんなにも近くにいるのに顔すらも見られないのだから、思いは募る一方 だろう。そう思うと、目の前の重武装した男が急に可愛らしく見えてしまう。

「で、その、なんですか、娘さんの誕生日がどうとか」

 ミナからのメールにそう書いてあったんですけど、と周防が声を低めたので、文香もそれに合わせた。

「はい、来週なんですけどね」

「俺も適当にプレゼントを見繕いますよ。ミナが張り切っているのがメールの文面だけでも解ったんで、付き合って おかないと後で拗ねられちゃいそうなんで。で、娘さんは何なら喜びますかね? やっぱり、ちくわですか」

「生憎ですけど、ちくわは既に二つも出ていまして」

「だったら、何がいいんだ……」

 それ以外に全く思い付かない、と周防は悩ましげに呻いたが、無線機から呼び掛けられた途端に真顔に戻った。 彼は文香に一礼した後、警察車両に戻っていった。文香は彼の背を見送ってから、踵を返した。元来た道を辿って 歩きながら、一乗寺と周防のいびつながらも収まりのいい関係を微笑ましく思っていたが、またも頭の奥に鈍痛が 生じてきた。せめて家に帰るまでは持ってくれと願いながら足を進めたが、今度は目眩までもが起きてきた。
 渦巻く視界と芯の抜けた平衡感覚に耐えきれなくなった文香は道端で蹲り、目眩が収まるまで待った。それでも、 なかなか落ち着いてくれない。前のめりに倒れ込みそうになったが、アスファルトに両手を突いて堪えていると、背後 に影が掛かった。肩に差し伸べられたのは、藍色の作業着に包まれた触手の束だった。佐々木長孝だ。

「顔色が良くないが、具合でも悪いのか」

「ちょっと、頭痛と目眩が」

 意地を張れるほどの余力もなく、文香が弱々しく答えると、長孝は両腕の触手を伸ばして文香を立ち上がらせ、 小倉重機一ヶ谷支社の社用車であるワゴン車まで導いてくれた。後部座席に座らされた文香は、歯を食い縛って 吐き気と戦っていると、長孝が運転席に乗り込んできた。

「家まで送るべきか」

「いえ、大丈夫です」

「大丈夫だとは思えない。あまり辛いなら、一度病院に行くといい」

「大丈夫です」

 文香は背を丸めながら、辛うじて声を絞り出した。長孝は少し間を置いてから、ハンドルから触手を離した。

「だったら、しばらくこうしていよう。俺も今日は仕事は終わった。家事の大半はコジロウが済ませている。よって、 時間は有り余っている。俺と話すこともないだろうから、聞き役になろう。娘には言えないこともあるだろうしな」

「そんなの」 

 ありすぎて、どこから話せばいいものか。文香は後部座席に横たわり、捻れる天井を見上げる。

「やっとの思いで取り戻したのに、あんなに辛い思いをして手に入れたのに、どうしてあの子の全部を好きになって やれないのかな。これからはりんねのために生きるって決めたのに、これまで不幸だった分、思い切り幸せにして やるって誓ったのに、なんでそれが面白くないのかな……」

 再発した頭痛で感情の堰が切れたのか、意志に反して心情が口から出てしまう。

「幸せになるって、どうすればいいの。誰もそんなの、教えてくれなかった。ハチさんだって教えてくれなかった。私は ずっとずっとハチさんのことが好きだったけど、ハチさんはそうじゃなかった。だってあの人、自分のことしか好きじゃ なかったんだもの。それが解らないほど、馬鹿じゃないから。私なりに頑張ろうって思ったの、だけど、解らないもの は解らないの。自分の誕生日を祝ったこともないし、祝われたこともないから、りんねの誕生日の祝い方なんて全然 なの。だけど、皆は祝ってくれるの。私はそんなこと、されたこともないのに。親なのに、お母さんなのに、もう頭の中 がぐちゃぐちゃして、どうしたらいいのか解らないの」

「解るさ」

 長孝はバックミラー越しに、部品のない顔を向けてきた。

「俺も時折考える。ここにひばりがいたら、この家にひばりがいてくれたら、と考えずにはいられなくなる。そういう時 は立ち止まるしかない。やりきれないことに向き合うにしても、一度に全部とぶつかる必要はない。やり過ごす方法 を見つけるためにはそれしかない。あまり無理をすると、立っていられなくなるからだ。俺も文香さんも、あの子達の 親になってから、まだ一年も経っていない。だから、行き詰まるのも無理はない」

「ごめんなさい」

「何がだ」

「前に、長孝さんに、色々とひどいことを言ってしまったのに」

「気にしないでくれ。俺も、以前、文香さんに暴言を吐いてしまった。だから、負い目を感じる必要はない」

 気が済むまでそうしているといい、と長孝は言い、バックミラーを傾けた。文香は彼の気遣いに感謝しながら、嗚咽 を殺した。素直になるだけなのに、なぜこんなに苦しいのだろうか。家族に心を開くだけなのに、なぜ未だに抵抗が あるのだろうか。羨まずに祝えばいいものを、なぜ羨んだ挙げ句に疎んでしまうのだろうか。自分の醜悪さばかりが 鼻に突き、娘への愛情が濁ってしまいそうになる。それが恐ろしく、文香は声を上げて泣いた。
 目を上げると、車窓から入る日差しが翳っていた。泣き疲れた後に寝入ってしまったのか、時間が飛んでいる。 文香は乱れた髪と汚れた顔を気にしながら上体を起こすと、運転席で技術書を広げていた長孝が振り返って、もう いいのかと尋ねてきた。文香は曖昧な返事をしてから、歩いて帰れると言ってワゴン車を後にした。
 帰らなければならない。やることは山ほどある。今日は家事を一切せずに家を出てきてしまったのだから、せめて 洗濯だけでもしなければ。夕食の支度もしなければならないし、風呂も掃除してから沸かさなければ。りんねはまだ 幼く、人間社会に慣れていなければ要領も悪く危なっかしいので、家事はほとんど手伝わせていない。伊織も図体 が大きいので、人間サイズの住宅の中では引っ掛かってしまうので、手伝わせると逆に散らかってしまうので手を 貸さないでくれと言ってある。だから、全部、文香が片付けなければならない。それが母親の仕事だからだ。
 けれど、それは子供の頃とどう違うのだろう。朝から晩まで働かされて、兄妹の世話をさせられて、自分の時間も 部屋も居場所も与えられなかった頃と大差がないのではないか。似合わないドレスを着てどぎつい化粧をして髪を 巻いて甘えた声を作ってスーツ姿の男にしなだれかかりながら、浴びるように酒を飲んでいた頃とも何がどう違う。 考えるべきではないことばかりが頭を過ぎり、喉が詰まってしまいそうになったが、深呼吸を繰り返す。

「あれ、文香さん?」

 文香が薄暗い道を重たい足取りで歩いていると、声を掛けられた。いつのまにか、佐々木家まで戻ってきていた ようだった。明かりの付いた玄関から、携帯電話を手にしたつばめがサンダルを突っ掛けて出てきた。文香は袖で 出来る限り顔を拭ってから笑顔を作ろうとすると、つばめは携帯電話を下ろした。

「よかったー、帰ってきてくれて。さっき、りんねから電話があって、文香さんが帰ってこなくて心配だから、コジロウに でも捜しに行ってもらおうかって話していたところだったんです」

 自分のことのように安堵しているつばめの背後から、警官ロボットが現れた。文香は苦笑する。

「ごめんなさい、心配掛けちゃって。気晴らしに散歩していたら、遠くまで行っちゃったのよ」

「あ、ちょっと待っていて下さいね!」

 すぐ戻ってきますから、と言い残し、つばめは足早に家に戻っていった。その場に取り残された文香は、コジロウを おずおずと見上げた。彼を間近で見るのは、よく考えてみたら初めてかもしれない。赤く発光するゴーグルに目を やると、コジロウは首のモーターを鋭く唸らせながらマスクを引き、目を合わせてきた。その上背の高さと体格による 迫力に臆してしまい、文香は愛想笑いを作った。しばらくして、つばめが急ぎ足で戻ってきた。

「あの、これ! うちの夕飯なんですけど、よかったら持っていって下さい! お裾分け!」

「あら、いいの? 長孝さん、これから帰ってくるでしょ?」

 文香はつばめが差し出してきた包みを受け取りつつも、気後れした。ランチクロスに大振りなタッパーが包まれ、 出来たての料理の優しい匂いが零れてくる。

「いいんです、うちはお父さんと二人だけだし。足りなかったら、適当に見繕えばいいだけだし。だけど、文香さんの ところは伊織もいるし。それに、今から帰って夕飯の支度を始めると大分遅くなっちゃうだろうから、りんねが お腹を空かせていたら可哀想ですから」

「ありがとう、つばめちゃん。器は後で洗って返すわね」

「じゃ、おやすみなさーい」

 つばめはコジロウと共に、見送ってくれた。文香はタッパーを両手で抱えながら、佐々木家の兄妹に一礼した後に 改めて帰路を辿った。野菜と肉が煮えた匂いと醤油の香りから察するに、肉じゃがだろうか。足が格段に軽くなり、 喉の異物感も消えていた。長孝には気が済むまで泣いていていいと言われただけであって、つばめからは夕食の お裾分けをもらっただけなのに、硬い殻に覆われていた心中が解れてきた。
 結局のところ、文香も誰かに気遣ってもらいたかっただけなのだろう。親兄弟にも甘えられず、弱みを見せられる 男にも出会えず、友人も作れず、その寂しさを埋めようと働きすぎては心身を痛め付けていた。付け入られまいと するがあまりに敵ばかり作り、その結果がこれだ。だが、まだやり直せる。文香は生きているし、りんねも人間として 生まれ変わったからだ。まずは、自宅に帰らなければ。
 そして、娘と自分自身と向き合わなければ。





 


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