機動駐在コジロウ




郷に入ればグッドに従え



「俺が人間でないと知っても、そう思えるのか」

 いつもの平坦な声色を発し、長孝と思しき影は問い掛けてきた。

「君がそう思うということは、君の主観ではこの生活を楽しいと思っているからだ。俺に対してその感覚に同調して ほしいと内心で願っているから、そのような主観的な表現になる。だが、それは俺が人間であるという無条件の前提 に基づいた感覚であり、概念だ」

 小難しい単語を羅列しながら、長孝と思しき影はやや俯く。

「しかし、見ての通り、俺は人間ではない。人間とそうでない生き物、有り体に言えば異星人の混血児であり、人間 に擬態することで社会生活を営んできた異物だ。君が今まで目にしてきた、俺の人間としての姿は、サイボーグに 使用する人工外皮を被っている状態だ。だから、これが俺だ。佐々木長孝という個体識別名称を持つ、知的生命体 の正体だ。それでも、君は俺との生活を続行してくれるのか」

「……一緒に、いてくれるんですか」

 ひばりは浴槽から出ると、長孝に一歩近付いた。彼は身動ぎ、顔を背ける。

「俺は人間ではない」

「人間じゃなくても、いいんです」

 長孝は、出会った時からひばりを気遣ってくれている。言い回しはやたらと回りくどくて堅苦しいが、ひばりのこと を重んじてくれている。それが嬉しい。だから、見捨てないでほしい。縋るような気持ちで、長孝の指なのか腕なのか 定かではない、触手に触れてみた。ゴムのように弾力の強い、冷たい肌だった。

「一緒にいて下さい」

 同じ言葉を繰り返してから、ひばりは懸命に嗚咽を堪えた。喉が詰まり、息苦しくなるが、これまで感じていたもの とは異なる苦しさだった。心臓が早鐘を打ち、目の奥が痛くなる。ああ、この人が好きなのだと緩やかに自覚する。 ついこの前まで、人間らしい生活とは程遠い環境で這いずり回っていたひばりを無下にしないばかりか、こんなにも 気に掛けてくれる相手が嫌いになれるわけがない。好きにならないわけがない。

「だが、俺は人間ではない。日の当たる場所で俺の姿を見たら、君であろうともそうは言えないだろう」

 長孝は下半身の触手を波打たせて風呂場に入り、ひばりに近付いた。躊躇いがちに両腕の触手が伸びてきて、 ひばりの体をやんわりと取り巻いてきた。だが、すぐには触れようとしなかった。

「それでもいいのか」

「すぐ、慣れると思います」

 ひばりは生まれて初めて感じる胸の高鳴りに戸惑いながらも、長孝に一歩近付いた。居間から差し込む日差しを 背に受けている長孝の肩越しに、透き通った突起物の青い光が見えた。鉱物のような色彩でありながらも生物的な 瑞々しさを帯びていて、とても美しいと思った。ひばりは長孝の胸と思しき部分に手を添え、触れてみると、触手よりも 硬い手応えが返ってきた。確かな筋肉の強張りだった。

「だから、これからは一緒にいる時は本当の姿でいて下さいね。でないと、慣れられないから」

「……ああ」

 触手を狭めてひばりを抱き寄せた長孝は、感情を押し殺した声で応じた。

「それと、敬語もやめてもいいですか。なんか、夫婦っぽくないから」

「構わない。むしろ、そうしてくれた方が楽だ」

「だから、私のことも呼び捨てにして下さいね。じゃなくて……してほしい」

「ああ」

「お昼御飯、まだで、だよね」

「ああ」

「ここんとこ、残業ばっかりで御夕飯も一緒に食べられなかったから、一緒に食べていいよね」

「許可を取られるほどのことではない」

「じゃ、御味噌汁、暖めてくるね」

 ひばりは長孝の胸を押して身を下げると、長孝は触手を解いてくれた。真っ暗な風呂場から出ると、脱衣所には 長孝が言った通りに人間の抜け殻が脱ぎ捨てられていた。その傍らには、宮本製作所、と胸ポケットに会社名が 刺繍されている作業着が脱いであった。ひばりは開けっ放しにしていたカーテンを閉めてから風呂場に振り返ると、 長孝も出てきた。赤黒い肌に無数の触手を両手足から生やした、身長二メートル弱もある異形の生物だった。

「背、高かったんだ」

 改めて見ると圧倒される外見だったが、ひばりは臆さずに率直な感想を述べた。

「ああ。人工外皮の中では両手足の触手を縮めているからだ」

「背中の青いツノみたいなものも?」

「ああ。生体アンテナは体内に収納出来るからだ」

 着替えてくる、と言い残して、長孝は四畳半の和間に入っていった。その後ろ姿をしげしげと眺め、背骨はない、 腰骨みたいなところはあるけど尻はない、半透明の青い突起物は肩胛骨の位置から生えているんだ、とひばりは 妙なことに感心した。居間に面した台所で味噌汁の入った鍋を火に掛け、余り物の昼食を見繕いながら、ひばりは ふと我に返って赤面した。姿形が人間から懸け離れているせいで失念していたが、あれは長孝の裸だ。その上、 裸の長孝と抱き合ってしまった。彼を男だと意識したのはほんの数分前なのに、ひばりは猛烈に照れた。
 
「どうした」

 長孝に声を掛けられ、ひばりは振り返った。実用性しかない着古したジャージを着ている長孝は、ガスコンロの 上で沸騰しかけている味噌汁の鍋に気付き、ガスを止めた。ひばりは俯き、目線を泳がせる。

「あの、御夕飯、何がいいかな、って」

「なんでもいい。好きに作ってくれればいい。出されたものを食べる」

「じゃあ、オムライス、とか」

「その……ひばりは、それが好きなのか」

 言い淀んだ後にひばりの名を呼び捨てにした長孝は、部品のない顔を背けた。

「うん。好き、大好き」

 何度も頷き、ひばりは緩んでくる頬を押さえた。オムライスは、峰岸家に住んでいた頃は滅多に食べられないもの だった。一生懸命作っても他の兄妹達に食べられてしまうし、余り物で工夫して作っても、ハムやベーコンが入って いなかったり、卵が足りなかったり、ケチャップが薄かったりと中途半端だった。だから、ケチャップをたっぷり使って ハムやベーコンを存分に入れて、卵を二つ使った薄焼き卵でくるんでみたい。長年の夢だったが、考えてみれば、 今はそれが実現出来る。食費を工面すれば好きな御菓子も買えるし、ジュースも飲めるし、アイスクリームも食べる ことが出来るのだ。今更ながらそれに気付いたひばりは、満面の笑みで長孝を見上げた。
 大好き。もう一度、その言葉を繰り返した。




 生温い微睡みから、意識が浮上した。
 閉め切ったカーテンと窓越しに降り注いでくる日差しは、春先にしては強めだった。天気予報で言っていた通り、 今日は朝から気温が高く、初夏といっても差し支えのない気温だ。だから、服を着ずに寝ても肌寒くない。ぼんやり と天井を見上げながら、ひばりはタオルケットの下に手を差し込んで下半身を探った。自分のものではない体液が 零れ落ちてくるのが、たまらなく奇妙であり、幸福だった。
 これで、やっと本物の夫婦になれた。午前上がりで帰ってきた長孝を出迎えて、一緒に昼食を摂った後、ひばりと 長孝はどちらともなく身を寄せた。長孝の正体を知った日以来、二人は互いの距離を縮めようと率先して触れ合う ようになっていた。最初は手を繋ぐことから始め、抱き合い、長孝の唇もなければ歯も生えていない口とキスをした が、そこから先へはなかなか進まなかった。どちらも男女の営みとは無縁だったのと、長孝自身が自分の肉体には 男としての機能が備わっているかどうかに懐疑的だったからだ。人間と同じ位置から生殖器が生えているのだが、 それを実際に使ったことがなかったためでもある。だが、何度も触れ合っているうちに、長孝にも人間の男と遜色の ない機能と欲動があると判明した。そして、春の陽気に浮かされる形で繋がった。

「本当に、しちゃったんだぁ」

 ひばりはしみじみと呟いてから、上体を起こした。ただでさえクセの強い髪は寝転んだせいで乱れてしまい、毛先が 四方八方に跳ねている。本番に至る前に、その一歩手前の段階の行為を何度も行い、互いの構造が異なる体 を探り合っていたので慣れていたと思っていたのだが、やはり本番と予行練習では訳が違った。

「ひばり。平気か」

 赤黒い肢体を曝しながら、長孝も起き上がる。和らいだ日差しを帯び、背中の突起物が一層輝いた。

「タカ君は? 背中とか、痛くない?」

「う」

 ひばりが最近呼び始めた愛称で呼び返すと、長孝は口籠もった。

「あ、ああっ、やっぱり嫌!? だって君付けだもんね、十歳も年上なのにね!」

 ひばりが慌てふためくと、長孝は数本の触手を掲げてひばりを制してきた。

「嫌、というわけではない。ただ、慣れない」

「でも、長孝さん、って呼ぶのは余所余所しいし、それに」

 そう呼ぶと、長孝の態度が強張ってしまう。ひばりはタオルケットで体を隠しながら、乱れた髪を撫で付けるふりを して長孝を窺った。心身の距離を狭めるために触れ合う最中に、長孝は自分の出自について話してくれた。長孝の 父親は人間で、母親が異星人だそうだ。ニルヴァーニアンという名の種族で、人間の感覚では理解出来ない世界に 息づいているのだが、母親であるクテイは何かの拍子で地球に降ってきた。そして佐々木長光と出会ったが、長光 はクテイを支配することで愛そうとしていた。それは、息子である長孝とその弟に対しても顕著であり、特に母親似 でニルヴァーニアンに酷似した外見の長孝には、嫉妬を通り越して憎悪すら抱くようになった。故に、クテイは長孝を 外の世界へ逃がしてくれた。だが、長光は長孝を逃がそうとはしなかった。ひばりを宛がってきたのも、再び長光 の支配下に置くためであったことは想像に難くない。

「母さんは、ニルヴァーニアンの持つ特殊な遺伝子情報が隔世遺伝するようにと設定した」

 ひばりの裸の背中に、自分が着ていたシャツを掛けてやりながら、長孝は苦々しげに語った。

「そうすることで、母さんは俺と弟が父さんの執着から逃れられるようにしようとしたが、父さんの執着はその程度で 薄らぐものではなかった。だから、父さんはひばりを差し向けてきた。ニルヴァーニアンが地球に持ち込んだ道具を 扱える遺伝子情報、管理者権限を持った子孫を産ませるためにだ。だから、本当はこうすべきではなかったんだ。 俺とひばりは、繋がるべきではなかったんだ。だが、俺はひばりと通じ合わずには死ねないとすら思ってしまった。 だから、全ての責任は俺にある。本当にすまない」

「いいよ、気にしないで。だって、したいって言ったのは私の方だし」

「すまない」

「謝らないの。子供が出来ても何の問題もないじゃない。だって、夫婦なんだよ?」

「ああ」

 長孝はひばりに寄り添い、触手を絡み合わせて人間の手に似せたものを作ると、ひばりの髪を梳いた。

「子供が出来たら、その子のこと、守ってあげるよ。タカ君の家の事情はまだよく解らないけど、その子まで大変な目 に遭ったら可哀想だからね。大丈夫だよ、一緒に頑張れば幸せにしてあげられるよ」

 長孝の胸に寄り掛かり、ひばりは微笑む。そうだな、と長孝は呟いてから、ひばりを抱き締めてくれた。それだけで 心身が満たされ、ひばりは長孝の体に腕を回した。ひばりと違って汗一つ浮いていない赤黒い肌は、いつもとなんら 変わらない冷たさだったが、ほんの少しだけ湿り気を帯びていた。
 どうせ暇だから、と言って長孝は夕食を作ってくれた。慣れないことに耽って疲れ切ったひばりを休ませようとして くれたのだろうが、どうにも素直ではない。その回りくどさだけは、互いに心を開いても変わらないらしい。せっかくの 好意を無下にするのは勿体ないので、ひばりは近所の図書館で借りてきた本を広げていたが、台所に立っている 長孝が気になってしまって読み進められなかった。それからしばらくして出来上がったのは、オムライスだった。
 朝食の余りである味噌汁、昨日の夕食の余りである春キャベツとベーコンの炒め物、ジャガイモの煮っ転がしと 二人分のオムライスがテーブルに並んだ。長孝が無造作にケチャップを掛けようとしたので、ひばりは彼の触手から ケチャップを奪い取り、長孝のオムライスの上に大きなハートを描いてやった。それから、自分の分にもハートを 描いた。長孝は面食らったのかハートのオムライスとひばりを見比べたが、文句は言わなかった。

「そういえばさぁ」

 ひばりは、バターが多めに入れられたまろやかな口当たりのケチャップライスを食べつつ、長孝に問うた。

「タカ君って、なんでロボットが好きなの? 今までなんとなく聞きそびれていたけど、ロボットを造る会社に入るほど なんだから、余程の理由があるんだろうね」

「ロボット、それに準じた機械は、人間を裏切らないからだ」

 触手の尖端を枝分かれさせて器用に箸を使い、長孝はジャガイモの煮っ転がしを口にした。

「人間とは不安定で、不条理で、不可解なものだ。その最たる例が、俺の父親だ。母さんを愛していると再三再四 言っておきながらも、実際には母さんを痛め付けているだけだ。あれを愛と呼ぶのならば、この世は当の昔に平和 になっている。俺の正体を知っていながらも付き合ってくれている、ただ一人の高校時代からの友人は、ロボットに 対して多大な理想と幻想を抱いているが、それはロボットが人間に従属してくれるという確証があるからだ。だが、 人間同士であればそうもいかない。必ず、行き違いが起きる。だから、俺はロボットに執心している。完璧な機械で あれば、無益な諍いが生まれずに済むからだ」

「そうなんだ。じゃ、私のこともそう思っているの?」

「ひばりは例外だ。俺を直視し、理解しようと努めてくれているからだ」

 箸をスプーンに持ち替えてオムライスを掬い、長孝は薄焼き卵と共にケチャップライスを口にした。

「それは、タカ君が私を見てくれているからだよ。大事にされたら、その分、大事にしたくなっちゃうもん」

 ひばりは新タマネギと春キャベツの味噌汁を啜り、野菜の甘みに感じ入った。

「そうなのか」

「そうだよ。それでね、写真を撮りたいなって思っているんだ。結婚の記念写真!」

「だが、それは」

 長孝は、スペアの人工外皮が収まっている押し入れを見やった。ひばりもまた押し入れに向く。

「そりゃまあ、タカ君が本当の姿で写真に写れないのは勿体ないけど、若いうちに綺麗な恰好をして写真を撮って おかないのはもっと勿体ないじゃない。だから、いいでしょ?」

「ドレスか、着物か」

「ドレスで! 一度は着なきゃ嘘ってもんでしょ、女子的に!」

 ひばりが意気込んで拳を固めると、長孝は少し笑ったのか、肩を揺すった。

「解った」

「それじゃ、今度、写真屋さんに行かないとね」

「ああ、そうだな」

「タカ君もタキシードを着るんだよ、白いの。似合うと思うよ」

「人工外皮は無難な外見に作られている。体形も同様だ。よって、衣装のサイズは合うはずだ」

「そうじゃなくて、こっちのタカ君」

「それは同意しかねる」

 自信満々のひばりとは対照的に、長孝は触手を横に振った。

「えー、そうかなぁ。絶対似合うと思うんだけどなー、タカ君のタキシード」

 近頃、長孝の正体を見慣れすぎているからか、ひばりは感覚が麻痺していた。その上、恋の欲目が重なっている ので本気でそう思ってしまったのだ。後から考えてみれば、異星人丸出しの外見の長孝に白いタキシードを着せて 写真を撮るなど、色んな意味でとんでもない。一晩経って冷静になり、ひばりは自分の考えを客観視してその突飛さ に気付いたので、蛮行に及ばずに済んだ。それもこれも春の陽気のせいだ、とひばりは自分に言い訳した。
 それから数日後、近所の商店街にある写真館に赴いた二人は、結婚記念写真を撮るために衣装合わせをした。 人工外皮を被った長孝は本人が言っていた通りに無難な体形だったので、味気ないほど簡単に決まったが、ひばり はそうもいかなかった。ウエディングドレスを着るのは生まれて初めてだし、二度と着る機会はないという妙な確信も あったので、全力で悩んだ。大人っぽいマーメイドドレス、少女趣味なフリルが一杯のドレス、シンプルだがそれ故に 品の良いドレス。多種多様なドレスの山に埋もれながら、ひばりは店員から呆れられるほど一生懸命選び、悩んだ 末に、艶めかしいドレープが付いているデザインのドレスに決めた。更にドレスに合わせるヴェールや手袋といった 小道具も選ばなければならなかったので、そこでまた一悶着あったが、無事に写真撮影は終わった。
 仕事帰りの長孝と待ち合わせて写真館に行き、出来上がった結婚記念写真を受け取ったひばりは、意気揚々と していた。季節は初夏へと移り変わっていたので、まだ日没を迎えていなかった。攻撃的なまでに鮮やかな西日に 照らされた川面を横目に、ひばりは長孝と手を繋ぎながら、土手を歩いていた。

「ひばり」

 不意に長孝が足を止めたので、ひばりは写真の入った紙袋を抱えて足を止める。

「なあに、タカ君」

「これを。順番が変だが、婚約指輪という名目で受け取ってくれないか」

 長孝は作業着のポケットから、ビロードの小箱を取り出した。ひばりは怪訝に思いながらもそれを受け取り、蓋を 開くと、その中には青い宝石が填った銀の指輪が入っていた。価値は解らないが、安価ではないだろう。

「えっ、あっ、でも、こんなのはダメだよ! だって、写真を撮ってお金を結構使っちゃったし、私、仕事してないから、 タカ君にお返し出来ないし! だからいいよ、そんなことしてくれなくても!」

「いいんだ。持っていてくれ」

「でも」

 長孝の人工外皮に包まれた手で頬に触れられ、ひばりは唇を曲げた。

「俺に出来ることは、これぐらいしかないんだ」

 だから受け取ってくれ、と長孝は念を押してきた。ひばりは小箱から指輪を抜き、既に結婚指輪が填っている左手 の薬指に填めてみた。サイズはぴったりで、小粒な青い宝石とシンプルな銀の指輪は結婚指輪にもよく馴染んだ。 長孝が満足げに頷いたので、ひばりは気後れしながらも、二つの指輪を填めた左手を長孝の右手と繋いだ。
 二つの長さの違う影が、土手の上に長く伸びていた。歩調を合わせて進みながら、ひばりは長孝を見上げたが、 気まずくなって目を伏せた。結婚記念の写真といいなんといい、我が侭を聞いてもらってばかりだ。別にそれが 嫌ではないし、長孝なりにひばりを喜ばせてくれようとしているのは解るが、自分が不甲斐なくなる。

「タカ君」

 長孝の手を強く握り、引き留めた。

「でも、タカ君はそれでいいの? 私はあんなこと言ってお嫁さんにしてもらったのに、タカ君からは優しくしてもらう ばっかりで。なんだか、勿体ないよ」

「それでいい。ひばりが俺を享受し、理解し、対等に接してくれているから、俺もひばりに対して報いる必要があると 判断したからだ。だが、俺は感情表現が不得手だ。よって、即物的な行為で報いることしか思い当たらなかった。 それがひばりにとって不快であったのならば、すまない」

「だから、もう謝らなくてもいいって。もう……」

 ひばりは長孝との距離を詰め、その上腕に頭を預けた。互いに気を遣い合って、探り合って、遠慮し合っている のではまだまだ夫婦とは言い難い。けれど、譲り合いながらも近付けるのであれば、遠回りするのも決して無駄では ないだろう。そう思うと、不毛な言い合いをするのも悪くない。長孝を裏切るものか、と密かに胸中で誓う。父親との 確執で人間不信気味だった彼が、少しずつひばりに心を開いてくれたのだから、報いてやらなければ。
 それは、妻としての務めでもある。





 


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