DEAD STOCK




13.Pay Back



 塔には過去が眠っている。
 そう気付いてからは、デッドストックは膨大な情報に身を任せることにした。下手に抗っても疲れるだけだし、それ をはねつけずに直視した方が状況が理解出来るようになるのではと考えたからでもあった。展望室の片隅にあった 丸椅子に腰掛けたデッドストックは、給仕装置が勝手に出してきた水の入ったコップを受け取り、頭の中で縦横無尽に 暴れる情報も受け止める努力をした。意識が飛びかけたことは一度ではなかったが、気力でねじ伏せた。
 深く息を吸って集中し、情報に没した。




 ぼやけた視界に、映像がザッピングする。
 それまでは不規則に投げ込まれてきた情報が誰かの目線に絞られたのは、恐らく、塔がデッドストックの情報か 何かを読み取ったからだろう。おかげで、随分と見やすくなった。その薄暗い世界に蔓延っているのは、死と恐怖と 汚染であり、幸福はなかった。地下世界と寸分違わぬ、いや、それよりもひどい環境だった。
 細切れではあったが、文字も読み取れた。新聞だった。その記事の隅にある日付から察するに、天上世界と地下 世界が壁に隔てられる以前の時代のものだった。現在の正確な年数は解らないが、五百年以上千年未満といった ところだろう。アッパー言語よりもダウナーの使う古い英語に近い言語だったので、難なく意味が掴めた。
 その当時、世界規模で天変地異が頻発していた。と、同時に世界的な人口過密に陥っていた。矛盾しているように 思えるが、それらは別々の現象ではなく、深い関連性を持っていた。天変地異によって地球の環境が著しく変動した ことにより、その環境に適応するために突然変異を起こす人間が相次いだ。彼らは、外見は常人とはなんら変わりは なかったが、非常に生命力が強く繁殖力も高く、一度に何人もの子供を産み落とした。当初、それは人類がついに 進化したのだと歓迎されていたが、日に日に人口は増大していき、それに応じた問題も生じた。
 最も大きな問題が、食糧問題だった。進化した人類は汚染された環境にも強く、毒性が強いものでも平気で食しては 消費していたが、それでも足りなかった。だが、食糧となる作物や家畜が育つよりも早く人間は生まれ続けていき、 食い扶持は増えないのに喰らう口ばかりが増えていった。そこで、人類は苦肉の策を打ち出した。
 それが、人造妖精だった。しかし、人間は共食いすることに対して猛烈な嫌悪感を覚える種族であり、長らく共食い は宗教的にも倫理的にも禁じられてきた行為だった。なので、食用として扱われる人間には、人間ではない特徴を 後天的に付与させて人外に仕立て上げた上で食糧として加工した。ある者はツノを、ある者は羽を、ある者は耳を、 尻尾を、牙を、触角を、という具合に。
 その甲斐あって、人類は食糧危機を回避した。だが、それも長く続かず、共食いしたために発生した病気が蔓延 していき、結果的に人類の総人口は大幅に減った。一時期は百四十億人を突破していたが、日を追うごとに死んで いき、いつしか五十億人を割るほどになった。一日の間に産まれる子供よりも死ぬ人間の方が多くなり、気付いた 頃には三十億人にまで減少していた。このままでは種の存続にすら関わってくるため、種を保存するための打開策 として、人口過密期に中途半端に開発されていた恒星間航行技術とそれに耐えうる宇宙船を完成させ、外宇宙へと 病気に汚染されていない人間を掻き集めて移民として送り込んだ。
 だが、その間にも人類は死に絶えながらも共食いを続け、血も濃くなり、特異な能力も煮詰まった子供達が大勢 生まれるようになった。しかし、常人達には彼らを殺す術はなく、殺されるしかなかった。そんな時、現れたのが不死 に等しい再生能力を備えた、一人の女だった。




「それが、あいつか」

 リザレクション。殺してくれと頼んできた女の姿が脳裏に過ぎり、デッドストックは呻いた。いつのまにかプライスレス が隣の丸椅子に腰掛けていて、カウンターに突っ伏していた。今になって、疲れが出たのだろう。
 人類の愚行の続きを見たいとは思わないが、見なければいけない。使命感すら感じながら、デッドストックは再び 深呼吸し、浄化された水を呷って喉を潤した。気付けば、嫌な汗を掻いていてラバースーツが肌に貼り付いたが、 そのせいで新たなメタンガスが発生していた。何かの機械がガスを検知したのか、甲高く騒いでいる。
 目を閉じる。息を詰める。拳を固める。




 リザレクション。その名は、最後の名である。
 その女の生まれは粗雑で、どこで生まれ、誰が親なのかも釈然とはしていない。解っているのは、汚い路地裏の ゴミ捨て場に血にまみれた布にくるまれて捨てられていたということだけである。程なくして女は通り掛かった人間に 拾われ、その人間の住まう家のキッチンに運び込まれ、短い手足をナイフで切り分けられてオーブンに入れられると いう運命が待ち構えていた。実際、その通りになったが、オーブンから出されても女は泣き喚き続けた。
 手足を断ち切られても再生し、水の一滴も口にしなくとも生き長らえ、体中をこんがりと焼かれても泣いていたので、 女を拾った人間は気味悪がって窓の外に放り投げた。その際、道路に落ちて頭が真っ二つに割れたのだが、 それでも女は生きていた。生き続けていた。元の姿に戻り、いるはずもない母親を求めて泣き喚いていた。
 それから女は喰われるために拾われたが捨てられ、捨てられては拾われ、を繰り返していくうちに成長していき、 主に能力者を集めた孤児院へと行き着いた。そこでは、女はそれなりにまともな生活を送ることは出来たのだが、 それも長くは続かなかった。女は無限に再生する食糧として、常人に買い取られたからである。
 裂かれ、切られ、煮られ、焼かれ、潰され、摺られ、練られ、ありとあらゆる方法で調理された女の肉が常人の口 に入っていった。女の肉は特に美味で、常人達の中でも秀でた財産を持つ者達がこぞって食べに来ては、女の味を 絶賛した。女の肉を喰えば若返る、精力が増す、体が沸き立つ、などという戯れ言も飛び交っていた。
 その日もまた、女は首から下の肉を全て削がれ、骨と僅かな内臓だけとなって調理場に吊されていた。きいきいと 頭上で軋む鎖と、ぽたぽたと垂れ落ちる血の滴と、ぬちぬちと再生する己の肉の蠢きと、苦痛の嵐だけが、女の意識 を支配していた。足元に零れている小さな肉片を涙が滲んだ目で見つめると、それがぴくりと跳ね、思った通りに 踊り始めた。それ自体は他愛もない遊びでしかなかったが、不意に気付いた。
 千切れた肉が死なないのなら、喰われた肉も死なないのでは、と。上半身が再生しつつあった女は、試しに念じて みると、ぎゃあと悲鳴が上がって破裂音が響き渡った。途端に屋敷の中が騒がしくなり、誰が死んだ、別のあの人 も死んだ、と使用人達が喚いている。そこで、女は悟った。
 自分を喰った人間の腹の内で、自分の肉を暴れさせれば、その人間は死ぬ。だったら、今まで自分を喰ってきた 人間は全員殺せる。消化された肉が腹から出ていたとしても、女の組織が少しでも分解吸収されていれば、いくらでも 再生してやれる。そして、殺してやれるのだと。




「……それで?」

 十杯目の水は、給仕装置が気を利かせてくれたのか、大振りな氷が入っていた。それを口にすると、舌が痺れる ほどの冷たさが襲い掛かり、歯に染み込んで神経を鋭く痛ませた。プライスレスの前にも同じ水が置かれていた が、少年が目覚める気配はなく、氷水が入ったコップには結露が浮いていて、滴り落ちた水滴が輪を描いていた。 デッドストックはゆったりと流れる穏やかな音楽を聴きながら、瞼を下げた。
 また、息を詰める。




 上流階級、知的階級、勝利者、資本主義者。
 そう呼ばれていた人々は次々に死んでいき、それでなくとも不安定になっていた社会は呆気なく崩れる。建造途中 だった軌道エレベーターはいい加減な状態で放置され、その用途を教えられていない人々は会社が倒産したので 働く意味がなくなり、工事自体を放棄した。
 外宇宙の移民達に与えてやるために、能力者を元にして開発されていた生体兵器の数々は、それを作り出した 人々が死んでしまったので、やはり中途半端な状態で放逐されて野生化してしまった。他の能力者も同様で、自由 を得たが秩序など亡きに等しかったので、あっという間に無法地帯と化した。
 そして女は、能力者を解放した女神として祭り上げられたが、能力者達も女を喰うようになった。喰った。喰った。 喰った。血が流れれば啜られ、肉が削がれれば噛み千切られ、体液を零せば舐められ、欠片も残さずに喰われ、 時には脳髄すらも喰われてしまうほどだった。女が全てを見限るまでに、そう時間は掛からなかった。
 しかし、女には戦えるほどの力はなかった。不死身ではあったが、それ以外の能力は持たなかった。そこで女は、 中途半端な状態で放置された塔に目を付けた。女の肉片を食ったがために女の力で殺されるのを恐れた人々が、 脳髄だけを取り出し、塔の中で眠っていることも思い出した。
 女は塔を昇り、昇り、昇り、ついに頂上へと至る。しかし、そこで女は星の海を渡る船を目にし、その船から現れた 一人の男に触れられて殺されかける。初めて味わう、本物の死の匂いに女は陶酔する。それでも、女は死ねない。 男を地上に叩き落としたが、男に触れられた体は再生しなくなった。
 そこで、女は一計を案じる。男に殺されるために。




「この世を、天上世界と地下世界に隔てた理由は」

『他の誰かにあなたを奪われたら、私は困ってしまうから。だから、蓋をしただけよ』

「俺の記憶にまで蓋をしたのか』

『私じゃないわ。それは事故よ、ただの偶然。でも、驚いたわ。あなたがちゃんと生きていてくれたなんて』

「あの馬鹿をヒーローに仕立て上げたのは」

『ふふ、素敵でしょ? その方が、遣り甲斐が出るもの』

「アッパーは実在しているのか」

『いるわよ、私の肌の上に。でも、彼らは私が生かしているだけだから、何も出来やしないから安心して』

「なぜ生かす」

『私が受けた苦痛を延々と味わわせてやるの。楽しいのよ、ちょっとしたことでぎゃあぎゃあ騒いでくれるし』

「人造妖精を甦らせたのもお前か」

『ええ。だって、その方が面白いでしょ?』

 音楽を流していたスピーカーから、女が甘ったるく囁いてくる。

『あなたは自分が誰なのか、何なのか、どこから来たのかはすっかり忘れているみたいだけど、私は覚えている。 あの日、私の前に現れたあなたは悪魔のようだった。あなたに触れられた体は元通りになってしまったけど、あの 時感じた心臓が冷える感覚や、苦しさや、恐ろしさは忘れられなかった。最高に気持ち良かったから』

 女の声がまとわりつき、ぞわりとした違和感が首筋から背骨に這い上がってくる。

『でも、簡単には殺させてあげない。その方が、あなたも本気になれるでしょ?』

「下らん」

『ここまで来てくれたじゃない。少なくとも、それは嘘じゃないわ』

 含み笑いを残し、女の声は遠ざかる。左手で握り締めていたコップはヒビが走り、砕け散る寸前だった。それほど までに、感情が荒立っていた。確かに、当初の目的は女を殺すことだったかもしれないが、それは過去のことだ。 現在のデッドストックの行動理念は、それではない。私物を取り返すことだ。

「もういい、黙れ。どういう理屈かは知らないが、俺に下らんものも見せるな。飽きたんだ」

『あなたがたとえ耳を塞ごうと、目を潰そうと、私はあなたに寄り添えるのよ。だから、あまり嫌わないでくれる? その 方が、あなたにとってもやりやすいはずよ。私の精神とあなたの精神は共振するように出来ているから。なぜなら、 あなたは私の全てを反転させて生まれたものだからよ。だから、塔の記録媒体に意識接続出来たのよ。それは私の 生体情報で塔の情報を全て閲覧出来るように、塔の設定をいじっておいたからよ』

「それが何だと言うんだ、売女め」

『逃れられないのよ。あなたは』

 そう言い終えると、軽いノイズの後に女の声が途切れた。体を折り曲げて鬱積した疲労と困惑を吐き出してから、 デッドストックは額に手を当てて仰け反った。女の話に出てきた人物は、自分と同一の存在なのか、或いは自分の 原型になった人物なのか、それとも全く別の生き物なのか。いずれにせよ、長年の疑問は晴れず、疑問が増えた だけだった。血と反吐と汚物と欲望にまみれた映像が瞼の裏側から拭えず、唇を噛んだ。
 地下世界の住人達は、事も無げに人間の血肉を食糧にしていた。それは、彼らが共食いを余儀なくされた人々の 末裔である証拠なのだ。思い出してみれば、能力を持たない者達ほど好んで共食いを行っていた。デッドストックは 殺した人間を肉屋に売って端金に変えていたが、肉を喰いたいと思ったこともなければ、骨を囓りたいとも、髄液を 啜りたいとも、脳を切り分けたソテーを食べたいとも、臓物を煮込んだスープを飲みたいとも、ただの一度も考えた ことがなかった。だが、彼らは喰っていた。それもこれも、彼らは常人だったからだ。
 常人は人間ではないものを区別する、差別する、駆逐する、屠殺する、捕食する。その最たる例がリザレクション なのだ。彼女の境遇に同情は禁じ得ないが、だからといってその全てを甘受出来るわけがない。常人に復讐したいと 願うのならば、なぜもっと簡単な方法を取らなかったのか。回りくどく、時間の掛かる、厄介な手段で、地下世界に 常人と能力者を封じ込めて飼い殺しにしていたのだろうか。能力者にとっては最も屈辱的な存在である人造妖精を 甦らせ、使用していたのか。ますます疑問が増えたが、デッドストックはこれ以上考えないことにした。
 労力の無駄だからだ。





 


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