DEAD STOCK




13.Pay Back



 驚いたことに、モノレールが息を吹き返していた。
 展望台を後にした二人が再びレールの中を歩くべく向かっていると、無人の車両が滑り込んできて、ドアを開いて 明かりを灯してきた。数百年ぶりの乗客を待ち構えている車両の中は埃っぽく、空気が淀んでいたが、進行方向を 示す立体映像の看板は色鮮やかに輝いていた。超特急、最上階への直行便、最終便、との文字も浮かぶ。
 プライスレスはきょとんとしてデッドストックと顔を見合わせたが、デッドストックはしばし悩んだがモノレールの車両 に足を踏み入れた。リザレクションかイカヅチのどちらかの仕業なのだろうが、些細なプライドと残り半分を徒歩で昇る 労力を天秤に掛けた結果、前者を捨てるべきだと判断したからだ。二人が座ると、小振りな車両は発進した。

『さあ、今週もやってまいりました! クリミナル・ハァアアアアントッ!』

 唐突に車内のヴィジョン投影装置が叫び、二人はぎょっとした。何事かと目を上げると、今となっては懐かしささえ 感じる地下世界を背景にして、見ず知らずのダウナーが奮戦していた。その小脇には人造妖精が抱えられていて、 デッドストックが連れていた人造妖精と同じく鎖が左足に付けられていた。そのダウナーは襲い掛かってくるヴィランを 次々に倒していき、塔へと辿り着くが人造妖精を奪われ、やはり二人と同じように昇り始めた。
 また次の立体映像が浮かぶが、内容は似たり寄ったりだった。登場人物の顔触れこそ違うが大筋は変わらない。 とあるダウナーが人造妖精を手に入れ、他のヴィラン達に狙われた末に大物ヴィランに奪い去られ、天上世界へと 逃げられてしまう。自分の行動を外側から見ているかのようなむず痒さに、デッドストックは顔をしかめた。
 当初、プライスレスはそれを見て笑っていたが、徐々に大人しくなった。というより怯え始めた。いつも調子付いて いる少年らしからぬ、ナイーブな反応だった。ガスマスクを付けた顔を俯かせ、傾斜に応じて自在に角度が変わる上に 衝撃を吸収してくれる高機能な椅子に座っているはずなのに、居心地が悪そうだった。

「どうした」

 デッドストックが訝ると、プライスレスは両肩を狭めて背中を丸める。

「なんかもう、頭ん中がぐちゃぐちゃだ」

「そうか」

「いやだってそうだろ、こんなもん見せられりゃ! 俺達がしてきたことって、俺達の行動理念に基づいた行動である のであって、誰かにそうしろって言われたわけじゃないだろ!? それなのに、なんで俺達は他のクソダウナー共と 同じことをしていたんだよ!? 妖精ちゃんは一人じゃなかったのかよ!? てか、塔は一つじゃなかったのかよ、 そこからしてまず変だろ!? 変に思ってくれよ、ストッキー!」

 不安に駆られたプライスレスはデッドストックに掴み掛かってきたが、デッドストックはその手を払う。

「餌に食い付いたのはアッパー共じゃなく、俺達だったんだ。それだけ、理解していればいい」

「いいわけないだろ、何言ってんだ! つか、俺が爆睡している間にストッキーは何を知ったんだよ、そうでもなきゃ そこまで余裕ぶっかませるわけがねぇだろ! なあ、おい、ストッキー!」

「黙れ」

「けどさぁ!」

「敵が誰であれ何であれ、俺がやることは変わりはしない」

 少年の襟首を掴んで引き寄せ、額が当たりかねないほど近付け、デッドストックは凄んだ。ガスマスクの奥底で 引きつっていたプライスレスの目が丸められたが、長く瞬きした後に弛緩した。デッドストックがプライスレスを座席 に放り出すと、プライスレスは乱れた襟元を直してから、手袋を填めた両手を組み合わせた。
 そうこうしている間にも、車両の中で放映されているクリミナル・ハントは展開が進んでいた。デッドストックらよりも 先に天上世界に行き着いたダウナー達は、皆、それぞれの人造妖精を取り戻したいがために奮戦していた。彼ら にとっては強敵であろう、秀でた能力を持つスーパーヴィランと戦い抜いて辛くも勝利を収め、囚われの身となって いた人造妖精を取り戻す瞬間を迎えていた。
 険しい面差しのヴィランが、愛情という言葉が当の昔に死に絶えた地下世界を這いずって生きてきた者が、悪人 である彼らが、揃いも揃って無防備な顔になる。母親の胸に縋り付く幼子のような、惚れた女を抱き締めた瞬間の ような、朗らかで柔らかなものが汚れきった顔に浮かぶ。彼らの血と泥に汚れた手が、人造妖精の小さな手に届き、 檻の格子越しに握り合った。
 だが、彼らの幸福は一瞬に過ぎなかった。彼らの手が届いた直後、複数の画面に映っているヴィランの手と指は 強張り、動かなくなった。爪が割れた指先を、骨が露出した指先を、指を数本失っている手を、人造妖精の無垢な 手が包み込んだかと思いきや、彼らの手は砕け散った。さながら、氷を砕いたかの如く、半透明に透き通った肉片 が散乱して人造妖精の手のひらや太股を切り裂いた。
 一部始終を撮影していたメダマが動いたのだろう、視点が変わった。崩れ落ちていくヴィラン達の肩越しに見える 人影は、人間離れした銀色の肌を備えていた。無機質な外装、表情の出ないマスクフェイス、機械仕掛けの肉体。 それは、あのノーバディと同型のロボットだった。彼らは全く同じタイミングでヴィランの残骸を蹴散らし、全く同じ動作 で人造妖精を囲んでいる檻を破壊し、全く同じ動作で人造妖精を抱え上げた。
 怯えて泣き叫ぶ人造妖精達の喉を、銀色のロボットの強靱な手が握り締める。息が詰まった人造妖精達は揃って 手足をばたつかせ、舌を飛び出させ、目を剥いていたが、窒息したのか脱力した。そして、銀色のロボットが触れて いる部分から硬直していき、変質し、数十人の人造妖精達は見事な結晶体の彫像と化した。
 間違えようがない。あれはクリスタライズの能力だ。だが、それをなぜあのロボットが使えるのか。デッドストックは 思わず腰を浮かせかけたが、映像は不意に途切れた。ほぼ同時に車両が停止して、電子合成音声の平べったい アナウンスと共にドアが開いた。終点に到着したのだ。

「どうする」

 俺、もう何がなんだか解んねぇ、と意気消沈したプライスレスに、デッドストックは言い捨てた。

「勝手にしろ」

 粗末なものを詰め込んだショルダーバッグを提げ、デッドストックはホームへ降りた。地上五百キロの地点に来た のだから、気圧も空気も変動しているだろうと思っていたが、地上となんら変わりのない呼吸が出来た。勝手が違う のは、やたらと体が軽くなっていることだった。これは無重量なのだと気付くまで、それほど時間は掛からなかった。 先程、リザレクションから見せられた記録の通り、塔の頂上は未完成だった。モノレールのホームは立派な造りで、 商業施設らしき建物も連なっていたが、中身は空っぽだった。至るところで鉄骨などの構造物が剥き出しのままに なっていて、錆び付き始めている。これでは、廃墟と瓦礫の海である地下世界と大差がないではないか。
 階段を見つけて更に上へと昇っていくと、塔の外側を囲んでいる輪が見えてきた。サンダーボルト・シティである。 そこでも、案の定クリミナル・ハントが大写しにされていた。イカヅチが掻き集めた人々は大歓声を上げ、立体映像 に向けて叫んでいる。彼らのどよめきが嵐となって吹き荒れ、押し寄せてきて、デッドストックは若干気圧されそうに なった。イカヅチに見つかるのは時間の問題だろうが、さてどうする。などと思案していると、どたばたと慌てた足音 が追い掛けてきた。振り返ると、息を切らしながらガスマスクの少年が階段を昇ってきた。

「俺、やっぱり、行く!」

「そうか」

「んだよ、それだけかよ! 俺が一大決心するまでの一部始終をみっちりと教えてやろうと思ったのにさぁ!」

「いらん」

「だぁーもうっ、これだからストッキーってば!」

 嫌いじゃないけどっ、と付け加えてから、プライスレスはその場に腰を下ろして呼吸を整えた。二人揃って都市を 見下ろしている間にも、ヴィジョンの向こう側では哀れなヴィラン達が死んでいく。人造妖精を苦労して取り戻した傍 から、粉々に砕かれていく。それを見つつ、プライスレスは手近な小石でコンクリートに傷を付けていった。
 一、二、三、四、と線を引いたら斜めに五本目の線を引いた。それを黙々と繰り返していくと、人造妖精を奪還 すべくやってきたが殺されたヴィランの数は、三十人にも及んでいた。ということは、そのヴィランと人造妖精の数 だけ、塔が立っているということになる。更に、その塔の周りで自分達と似たような状況の世界が繰り広げられていた ということにもなり、これまで見聞きしてきた世界は広い世界の一端に過ぎないということでもある。
 そして、それは一人の女の歪んだ願望を叶えるためだけに成立しているものだ。デッドストックはトレンチコートの 裾を生温い風に弄ばれつつ、足を進めた。ここで突っ立っていたところで、どうせイカヅチに見つかるだけだからだ。 だから、こちらから向かった方が手っ取り早い。すかさず、プライスレスはその後を追ってきた。
 左手で襟を立て、今一度、腹を括った。




 狭い檻ではあるが、暗くはなかった。
 それもそのはず、四方から照明を当てられているからだ。けれど、頭の中は真っ暗だった。プレタポルテは両手で 頭を抱え、うずくまっていた。だらだらと流れる涙が首筋から胸元までを濡らし、失禁したかのような有様になっていた が、そんなことを気にしていられるはずもなかった。なぜならば、プレタポルテは人造妖精同士の僅かな意識の繋がり を通じて流れ込んでくる苦痛が、恐怖が、絶望が、希望を持ったが故の落胆が、押し寄せていたからだ。
 人造妖精は同じ遺伝子情報を元に製造されて、同じ環境に立たされ、同じような感情の変動を経て、ヴィラン達 に対して淡い好意を抱いていた。ヴィラン達は総じて優しさや愛情に飢えているため、それらを無条件に与えてくる 人造妖精に対して心を開かないわけがなかった。デッドストックにも言えることだが、暴力と欲望が荒れ狂う世界で 頑なに生きていたからこそ、誰かに心を開きたかった。だから、皆、無垢な笑顔を向けてくる人造妖精を手に入れ、 守り、愛するようになった。けれど、それらは全て、突き落とされるために昇らされた階段だ。

「なあ、妖精ちゃん」

 檻の傍らに転がされている、破損したロボットが首をぎこちなく動かした。

「にょ……にょーべでぇ」

 プレタポルテが震えながら名を呼ぶと、銀色のロボットは照明が降り注いでくる天井を仰いだ。

「俺も昔は、あいつらと同じだったんだ」

「ぷるきゅわ?」

「若くて、青臭くて、ひたすら馬鹿だった。自分の能力の上に胡座を掻いて、俺が世界で最強だとすら思っていた。 だから、あの女に手を出した。イカヅチを殺そうとした。けど、上手くいくはずがなかったんだ。だって、俺はあいつらに 勝てるように出来ていないからだ。天上世界に昇ったのも、功名心からだった」

 ノーバディはノイズの走る電子合成音声を発し、関節が破損した手足を動かそうとしたが、軋んだだけだった。

「俺はヒーローになりたかった。あいつが見せてくれた映画やら漫画やらアニメやらの中で、ヒーローはいつだって 誰かを救っていて、感謝されていて、褒められていて、好かれていた。俺もヒーローが好きだった。だから、俺もそう なるべきだ、ならないわけがない、ならなきゃいけないって思ったんだが、この有様だ」

「ぽぅう゛りゅ……」

「へへ、笑えよ。笑ってくれよ。その方が、大分気が楽になる」

 眉を下げたプレタポルテに、ノーバディは乾いた笑い声を散らした。

「だが、念願叶ってヒーローになれたのは体だけで、俺の能力も細切れにされて盗まれて、増やされて、その結果が アレってわけだ。そりゃそうだよな、俺の能力はラバー野郎ほどじゃないが、あの女にとっては脅威なんだ。だから、 あの女はそれを逆手に取りやがったのさ」

「うぅ……」

 居たたまれなくなったプレタポルテが俯くと、ノーバディは朗らかに言う。

「気にするな、ただの愚痴なんだから。イカヅチにやり返されたのも、俺が至らなかったからだ」

「おくしてぃ」

「心配してくれて、どうも。だが、それは俺じゃなくてあの野郎に取っておいてやってくれよ。でないと、ラバー野郎は 嫉妬でどうにかなっちまうぞ? ああいう奴は、感情を表に出さない分、溜めちまうからな」

「にゅ?」

「とにかく、あいつを信じてやってくれよ。でないと、ここまで来た意味がなくなる」

 おっと、とノーバディは急に言葉を噤んだ。ということは、あれが戻ってきたのだ。プレタポルテはぎくりとして唇を 噛み、身を強張らせた。檻を守っている部屋の端に閃光が煌めき、檻を成している鉄柱が輝いたかと思うと、衝撃が 後頭部に襲い掛かってきた。痺れる痛み、熱い疼き、重たい光が弾け、意識が飛んだ。
 ああ、ああ、ああ。助けを乞う前に、痛みを嘆く前に、プレタポルテはイカヅチに肉体を奪われた。髪の一本、爪の 先まで電流が染み渡ると、プレタポルテとしての自我は奥底に追いやられた。二三度短く痙攣した後、少女は偽物の 羽に光を走らせてから、顔を上げた。檻の隅に置いてあった軍帽を拾い、被る。

「都市の点検、及び反重力装置の調整は完了した。後は、奴をここまで招いてやるまでだ」

 幼い声に似合わぬ口調で述べたのは、イカヅチだった。彼は檻の外に控えていたマゴットに檻を開けさせ、軍服の 裾を翻しながら悠長に歩み出した。マゴットは愛想良く接してきたが、神経が高ぶっている今では、鬱陶しいだけ なので追い払った。ビルを取り巻いている人々は、声を揃えてイカヅチの名を呼んでいる、乞うている、欲している、 求めている。それは抗いがたい快感であり幸福だった。

「リザレクション」

 ベランダに向かう途中で足を止め、突っ立っている女に目をやった。ノーバディの手足に隠されていた両手足と、 その腹部に収まっていた頭部を静電気を用いて暫定的に繋ぎ直し、更に立体映像で生きているかのような色味を 与えてやったのだが、今はイカヅチの電圧が落ちているので頭部が外れかけていた。ぱちんと指を弾いて静電気を 生み、結晶体と化している女に触れると、リザレクションの頭部が浮いて紛い物の胴体の上に乗った。
 リザレクションの胴体はクイーンビーの手元にあった。だから、混乱に乗じてクイーンビーとその部下を一掃して 胴体を手に入れる手筈だったのだが、デッドストックの存在が流れを掻き乱した結果、予定よりもかなり早く都市を 浮上させなければならなくなった。そうでもしなければ、あの戦いの流れがヴィラン側に傾いてしまいかねなかった からだ。サンダーボルト・シティとその周辺地域では、ヴィジランテとイカヅチが最強でいなければならない。そうでも なければ、誰もヴィジランテになど傾倒しないからだ。強くないものに価値はないと、ダウナーであれば誰もが知って いることだ。だから、より強く、確かな力を得なければならない。

「やあイカヅチ、視聴率は最高だったよ!」

 軽い羽音を奏でながら近付いてきたマゴットは、いつになく上機嫌だった。

「クリミナル・ハントが数十箇所で並行して撮影されて中継されているように見せかけるだなんて、よくも思い付いた ものだね! でも、あんな映像の素材、どこから引っ張ってきたの? あんなダウナー達、見たこともなかったけど、 誰と誰の映像を合成して作ったものなんだい? 教えてくれたっていいじゃないか、今後の参考のためにもさ」

「私は何も手を加えていない。電波出力を強化して受信した映像を、ヴィジョンに放映しただけだ」

「え?」

「時間差がないように見せるために少し手を加えたが、その程度だ」

 一歩、イカヅチが外に出ると歓声は爆発した。無数の視線に全身を突き刺されているだけで、神経が総毛立ってくる。 寒気すら覚える。陶酔感に浸りながら、イカヅチは支配者に相応しい笑顔を見せた。高性能の集積回路である羽を 通じて得た演算能力を用いて、天上世界に至ってから隅々まで電流を巡らせ、世界中に乱立している塔とそれを 取り巻く状況を見聞きしてきたが、どこもあの女の要求には叶わなかったらしい。それもそうだろう、ダウナー は所詮ダウナーなのであり、能力者としては三流だ。あの男もそうだ。能力は極めて異質でやたらと打たれ強い が、それだけだ。大事なのは戦いに勝つことだけではなく、勝った後のことを見通せるかどうかだ。
 時代とは、過去だけで出来上がるわけではない。





 


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