DEAD STOCK




16.Fly Trap



 鉄の鳥のクチバシを、どす黒い廃油の波が洗う。
 なんとか生きている。と、思うのだが。デッドストックは凄まじい振動と衝撃の余韻で目眩がしていたが、操縦室の 計器だらけの天井を仰ぎ見ながら呼吸を整えた。傍らには、恐怖のあまりに気を失っているプレタポルテが転がり、 操縦席ではプライスレスが死んだように倒れ伏している。操縦室の真正面のモニターはいつのまにか機能が停止 したらしく、光を失って窓になっていた。そこに、幾度となく汚れきった波が打ち寄せては引いていく。
 デッドストックは猛烈な吐き気を堪えながら起き上がり、操縦席に手を掛けて外界を望んだ。辺り一面の闇と黒々 とした海、遙か彼方に横たわる瓦礫まみれの陸地、その上にまばらに見える人家の明かり。どうやら、地下世界に 戻ってこられたようだったが、ここがどこなのかがまるで解らない。デッドストックらが乗る鉄の鳥が突入したのは、 かつてはサンダーボルト・シティの中心を貫いていた塔の真上に開いた穴なので、そのまま降下すればそれまで 生活していた土地に戻れるはずだったし、そのつもりでいた。だが、穴から降下しようとした瞬間に無数の異物に 襲い掛かられてエアインテークを塞がれ、大気圏内用のエンジンが目詰まりを起こしてしまい、墜落こそは免れた ものの、進路が大きく変わってしまった。その結果、見当違いの方向に突っ込んでいった末に海へと落ちた、という ことらしい。機体が砕け散っていないのは、鉄の鳥自身が機体の姿勢制御と着水時の入射角の調整と計算を充分に 行ってくれたからだろう。機械というのは、偉大である。
 とりあえず、これからどうしたものか。デッドストックは副操縦席に座り、嘆息して疲弊を吐き出した。手元に浮かぶ 立体映像に指を向けてみると、鉄の鳥は水上をも航行出来るように作られているらしく、プロペラを出すか否かを 問うてきた。それを出して動かしてもいいのだが、向かうべき場所が定まっていなければ、どこへ向かったとしても 労力と鉄の鳥の動力を無駄にするだけだ。

「周辺の地形が解るか」

 デッドストックは口頭で訊ねてみると、鉄の鳥はダウナー言語で応じ、降下している最中に感知した地形のデータ を立体映像に映し出してくれた。透き通った糸で描かれた立体地図が現れたが、見覚えがない場所だった。ならば もっと範囲を広げてみてくれ、と頼むと、地図の縮尺が変化して更にその周囲五十キロを表示してくれた。しかし、 それでもまだ見覚えがない。更に更に範囲を広げてもらい、着水地点から半径百五十キロ圏内を表示してもらうと、 やっと記憶にある地形が出てきた。あの、ヴィラン達が住み着いていた島だった。

「そこに行けるか」

 どうせろくでもない場所だが、未知の土地よりはマシだ。デッドストックが一抹の期待を込めて問うと、鉄の鳥は海底 に累積している瓦礫や何やらの山を映し出して、海上を進むのは困難だと言ってきた。だったら、なんでプロペラが 装備されていることなんて教えて期待を持たせてきたんだ、と少しばかり苛立ちに駆られたが、相手は機械なので 杓子定規に答えただけだ。だから、嫌味というわけではないのだ。それでも、癪に障ることもある。
 となれば、海底の障害物を避けてじりじりと進むしかなさそうだ。デッドストックは鉄の鳥に、なるべく安全なルートを 調べながら島に向かえ、と命令してから、副操縦席に座り込んで足を組んだ。

「うげおろぉ」

 寝入ろうとした時、背後から変な声が聞こえてきた。何事かと振り返ると、目を覚ましたらしいプレタポルテが早々 に船酔いしたようだった。けほけほと咳き込みながら限りある食糧を吐き戻していて、小さな背中が痙攣している。 こいつは事ある事に吐くな、と内心でぼやきつつも、デッドストックは青い顔で呻くプレタポルテを脇に抱えて操縦室 から運び出した。壁から出てきたチューブがプレタポルテの吐瀉物を吸い取っては薬液を撒いていたので、掃除を する必要はなさそうなのが救いだった。
 シャワールームにプレタポルテを運び込み、若干躊躇ったがスーツを脱がし、頭から生温い水を掛けてやった。 すると、徐々に気分が晴れてきたのか、半開きだった瞼が開き、金色の瞳の焦点が合ってきた。そして我に返った途端 に赤面して泣き出してしまったので、デッドストックはばつが悪くなった。

「他意はない」

「じぇ、おんとぅ!」

 プレタポルテは顔を歪めてぼろぼろと泣き出したので、デッドストックは静かに背を向けてシャワールームのドアを 閉めた。すると、ドア越しに引きつった泣き声が聞こえてきて、フランス語で罵倒と思しき文句も叫んでいた。意味はよく 解らないが、言いたいことは語気で解る。デッドストックは年甲斐もなく切なくなって、頭を抱えた。
 どうしてこう、人造妖精を相手にするとこうなってしまうのだろうか。人造妖精とは、デッドストックのようなヴィランを、 デッドストックと同じ経緯で生み出された同じ能力と身体を持った男を、デッドストックではなくとも功名心とそれなりの 理性を持ったヴィランを、陥れるための餌として地下世界にばらまかれたものだと知ったはずだ。それなのに、どうして 腹の辺りがむず痒くなるのだろうか。ああ面倒臭い、面倒臭い、面倒臭い。
 少女の泣き声は、背中に突き刺さるように痛かった。




 シャワーを浴び終えても、人造妖精の機嫌は直らなかった。
 壁に作り付けられていたドライヤーにてふわふわに乾かされた髪からは、花のような甘い香りが漂っていた。その 扇情的ですらある香りがメタンガスに塗り潰されるのが惜しかったが、こればかりはどうしようもない。デッドストックは 膨れっ面のプレタポルテを宥めながら、操縦室に戻ると、プライスレスも意識を取り戻していた。
 ガスマスクを被った少年は操縦席に座っていて、二人を出迎えると正面モニターを示した。左側の一面は窓では なくなっていて、ヴィジョンの番組と思しき立体映像を映し出していた。だが、イカヅチが死んだ今となっては、誰が 何を放送するというのだろうか。訝るデッドストックの前に、奇襲を受けて墜落する寸前の鉄の鳥が現れた。

『今週もやってまいりましたぁ、クリミナル・ハァーントッ!』

 と、派手なロゴと華美な字幕と共にいつも通りの口上が映像に被さってきたが、その声はいつものアナウンサー ではなかった。聞き間違いでなければ、マゴットの声である。

『毎週毎週ダウナーの皆様には悪逆非道の犯罪者を相手にして頂いておりますが、今週に限り、標的を変更させて 頂きます! それは、この禍々しき殺戮兵器! その名もパッセージ・バード! これはアッパーが開発した高性能 で高出力で高精度の最新型爆撃機なのです! 現在、パッセージ・バードはサンダーボルト・シティ跡地から南西に 二百キロほど離れた海上にて沈黙しておりますが、それは我らダウナーを油断させるための手段でしかありません!  パッセージ・バードが大人しくしている時間は限られております、その間に先制攻撃を仕掛けましょう!』

「だってさ」

 プライスレスはけらけらと笑いながら、メダマが捉えたであろう海面に浮かぶ鉄の鳥の立体映像を指した。だが、 映像が切り替わり、先程の墜落寸前のものが再び映し出された。立体映像を拡大させると、無数の異物には羽と 足と複眼が付いていて、エアインテークを詰まらせたものの正体がおのずと判明した。数億匹のハエだった。

「屑が」

 デッドストックは悪態を吐いてから、プライスレスを見やる。

「鉄の鳥は、どのくらい動ける」

「んー、ちょい待ち」

 プライスレスは手元に浮かばせた透き通ったコンソールを叩き、立体的なグラフと数字を表示させた。

「理屈はよく解らねぇけど、こいつの動力はクォンタム・ドライブってやつらしい。原理も解らねぇし、グラフの見方も 全然だけど、その、なんつーか、動力炉で対消滅する物質はまだまだあるから、当分は動くぜ。あのクソッ垂れな 島に到着するまでの分はありそうだ。でも、なんか、こう」

「どうした」

「いや、宇宙にいた時よりも対消滅する物質の減りが早いっつーか、なんつーか。まあ、単純に燃費が悪くなった だけかもしれねぇし。俺らがたまに乗っていた車だって、エンジンがオンボロだと石油を喰うわりに走らなかったから、 たぶんそれと同じことだろ。うん、きっとそう!」

 一人で勝手に納得してから、プライスレスは不機嫌極まりない顔でデッドストックを睨み付けているプレタポルテに 気付いた。ガスマスク越しの視線がデッドストックとプレタポルテの間で行き来したので、デッドストックは居たたまれなく なって顔を背けた。プレタポルテはぷっくりとした唇を尖らせ、顔を背けた。

「さっきまであんなにラブラブだったのに、何、どしたの」

 半笑いのプライスレスに、デッドストックは苛立ち紛れに吐き捨てる。

「どうということでもない」

「けりゅこんぬ!」

 プレタポルテは恨みがましいデッドストックを睨み、目を吊り上げる。

「さっさと謝ったら?」

 話を聞くまでもない、とばかりにプライスレスがデッドストックを急かしてきたので、デッドストックは言い返す。

「謝るほどのことでもない」

「そりゃーストッキーはそうかもしれねぇけどさぁ、妖精ちゃんはオンナノコだしさぁ」

「何が言いたい」

「ストッキーが考えればいいじゃーん。てか、俺にそこまで世話する義理はないしぃ」

 プライスレスは冗談めかしてはいたが、言葉の端々に嫉妬が紛れていた。プレタポルテばかりを構っているのが 面白くないのだろうが、そんなことにいちいち嫉妬されても、面倒臭いだけである。なので、デッドストックは二人を 黙らせようと考えを巡らせた。と、その時、鉄の鳥が真下から突き上げられて中身もシェイクされた。
 鉄の鳥のナビゲートコンピューターが、それが何なのかを詳細に説明してくれた。鉄の鳥と同等か、それ以上の 長さがある巨体の生物が体当たりを仕掛けてきている。一度ならず、二度三度と激突されても鉄の鳥自身はあまり ダメージを受けていないようだったが、中に入っている人間はそうもいかない。上へ下へと吹き飛ばされそうになり、 なんとか操縦席にしがみついて堪えたが、そう長くは保たない。

「おい、外に出せ」

 どうせ、相手はケチな魚に決まっている。デッドストックが命じると、鉄の鳥は外は危険だと喚いてきただけでなく、 デッドストックを拘束しようとベルトを伸ばしてきた。左腕に絡み付いてきたベルトを掴んだが、素材がやたらと丈夫 で素手では引きちぎれそうにない。これでは、手の打ちようがない。

「そんなの、別にどうってことねーじゃん。鳥ちゃん、外に向けて音を出せるだろ?」

 プライスレスが鉄の鳥に話し掛けると、鉄の鳥はすぐさまスピーカーを出したと伝えてきた。

「いよぉーし! 相手が何者であろうと、俺に敵うわけがねぇんだよ! いいか見てろよストッキー、俺の格好良い ところをな! あっ、言った傍から妖精ちゃんと見つめ合うなよ、痴話ゲンカするなよ! クソッ垂れ!」

 などと文句を言いながらも、プライスレスは操縦席の手前に出てきたマイクをひったくり、叫んだ。

「俺らにちょっかい出さないで“くれよ”!」

 鉄の鳥の外壁が、何百倍にも増幅された少年の言葉で揺さぶられた。それから僅かな間の後、鉄の鳥の正面に 飛び出してきた、全長三十メートルはあろうかという奇形の怪魚が牙を剥いて迫ってきたが、鉄の鳥のクチバシに 食らい付く寸前で吹き飛んだ。得意げに高笑いしたプライスレスはデッドストックに振り返った。が。
 マイクを握っていた右手が、怪魚と同じく吹き飛んだ。少年の黒ずんだ指先が飛び散り、デッドストックのマスクを 掠めて壁に貼り付く。年相応に華奢な骨が覗き、筋が広がり、血管が千切れ、手首から先が失われた。べちゃりと 床に落ちた一塊の肉塊に、大量の血が降り注ぐ。プライスレスは何が起きたのか理解するまで、間があった。

「……ぇ」

 脳が状況を理解したなら、後は簡単だ。途方もない喪失感と、全身が引き裂かれるような激痛に襲われる。経験が あるから、手に取るように解る。もっとも、その手は失われて久しいが。そう思いながら、デッドストックはその場に 膝を付いて吼えるプライスレスを傍観した。苦痛を紛らわすために絶叫を絞り出すプライスレスに怯えてしまった プレタポルテを支えてやりながら、デッドストックは記憶から甦る分不相応な知識で事態を理解した。
 鉄の鳥の動力源はクォンタム・ドライブ。となれば、イミグレーターが乗っていた宇宙船も、あの宇宙ステーションも それが動力源だろう。クォンタム・ドライブとは、要するに量子をエネルギーに変換する装置だ。それは動力源であると 同時に、量子コンピューターでもあったのだろう。そして、イミグレーターとダウナーの混血児である概念操作系の 能力者とは、量子コンピューターを用いることが出来る能力者という意味だったのだ。そうでもなければ、ただの 小賢しい少年に過ぎないプライスレスが万能になれるわけがない。
 これまでは、イミグレーターの科学技術が能力の代償を軽減してくれるばかりか、増幅してくれていた。だが、彼は イミグレーターの科学技術の結晶を無邪気に壊したばかりか、自分自身の能力の裏付けや詳細について調べよう ともしなかった。だから、右手が吹き飛ぼうと頭が砕けようとも、自業自得だ。
 何事にも、揺り戻しはある。それも、決して他人事ではないのだ。デッドストックはガスマスクの下でひどく喘いでいる プライスレスの襟首を鷲掴みにすると、操縦室から引き摺り出していった。救護用の機械が据え付けられている 部屋に放り込んでから、歯噛みした。プライスレスの恐ろしさを認識した上で擦り切れるまで利用してやろうと考えた 傍で、こんなことになってしまうとは。これでは、プライスレスに何かを脅し取らせても、プライスレス自身が細切れに なっては何の意味もない。となれば、能力を乱発させないようにして、いざという時に死んでもらうしかない。

「な、なあ……ストッキー……」

 どん、と力ない拳でドアが叩かれ、弱り切ったプライスレスの声が漏れてきた。

「へへ、なんか、俺、どうしようもねぇー」

「解っているなら、死ぬな。お前が死ぬ時は俺が決める」

「嘘、何、てか、それって俺を使い切るってこと? うわー、何それ、なんだよ、なんだよもうー……」

「恨むのであれば、俺のケツを追いかけ回してきた自分の馬鹿さ加減を恨みやがれ」

「なーにそれ。ふへへははははははは」

 口説いてんの、とひどく真剣な語気で付け加えたが、プライスレスは獣のように絶叫した。機械の駆動音も扉越し に聞こえてくるので、何らかの器具が彼の傷口の治療を始めたようだ。みちみちみち、べりべりべり、ぎゅるぎゅる、 と肉と骨と筋を切り開いている様子が漏れ聞こえてくる。終わるまで付き合っているほど義理堅くはないし、事態は 急を要する。デッドストックは状況を把握するべく、真新しい血痕を辿りながら操縦室に戻った。
 直後。鉄の鳥のクチバシが、怪魚に喰い千切られた。





 


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