DEAD STOCK




18.No Body



 なぜ、戦わなければならないのか。
 厳密に言えば、デッドストックとクリスタライズは敵対関係にあるというわけではない。間にリザレクションを挟み、 デッドストックが一方的にクリスタライズに執着を抱いているだけだ。それだけである。その他に大した関係はなく、 強いて言うならばプライスレスがクリスタライズと過去に親しかったというくらいだ。
 戦う理由はない、と真っ当な価値観を持つ者は叫ぶだろう。解り合おう、手を取り合おう、仲良くなろう、と綺麗事 に耽溺している理想主義者は甘く囁いてくるだろう。二人のどちらかが、そういった優しさを持っていたのであれば、 そうなる可能性もあったかもしれない。だが、どちらも筋金入りのヴィランであると共に、泥水を啜りながら地下世界 を生き延びてきたダウナーである。殺し合わなければ道は切り開けないと、遺伝子に刻まれている。
 故に、二人は対峙していた。透き通った壁から燦々と降り注ぐ日光が砂漠の砂を熱し、ブーツの靴底からは熱が 染み込んでくる。擦り切れて穴が開いている上に袖を千切ったトレンチコートでは容赦ない熱を防げるはずもなく、 全身を覆う黒のラバースーツが却って熱を吸収してしまっていた。
 対するクリスタライズも、見た目は氷の固まりのようで涼しげではあるが、その実はかなり暑いらしく時折呻き声を 漏らしていた。彼の全身を覆っている結晶体の外骨格はレンズのような役割を果たしてしまうらしく、日光を反射する 一方で熱を吸収してしまうようだった。考えてみれば、至極当然の話である。
 要するに、どちらも状態は芳しくなかった。せめて日が暮れてからにするべきでは、とデッドストックはちらりと頭の 片隅で考えたが、先延ばしにするとやる気が失せてしまいそうだったので、やはりこれで良かったのだ。戦闘衝動 は性欲と同じだ。一度滾れば忘れられなくなるが、少しでも萎えてしまえばどうでもよくなる。

「へへ」

 少年じみた笑みを零したクリスタライズに、デッドストックはラバースーツを脱ごうとしかけたが、止めた。この日光 と暑さには体が全く慣れていない。突っ立っているだけでも茹だりそうなほどだ。だから、下手に肌を曝して体力を 消耗すると後に響く。そう考えたデッドストックは、トレンチコートだけを脱ぎ、左手に巻いた鎖を掲げる。

「なあ、ストッキー」

「なんだ」

 プライスレスのような呼び方にデッドストックが苛立つと、クリスタライズは砂を結晶化させて凝結させた刃を右腕 から生やし、軽く振り下ろしてみせた。恐ろしい怪力で、数メートルに渡って砂が両断される。

「あんたってさぁ、斜に構えているわりに面倒見が良いよな」

「なんだ、いきなり」

「プライシーにしてもそうだし、人造妖精にしてもそうだ。あのクソガキのどこが気に入ったのかは解らねぇが、まあ、 付き纏われて悪い気はしねぇよな。だって、俺達みたいなクソ能力持ちは!」

 クリスタライズが駆け出したしただけで、砂の瀑布が舞う。直後、砂嵐を伴って迫ってきた衝撃が、デッドストック が本能的に構えた左腕の鎖に直撃した。両足を踏ん張ろうにも踏み締められず、仰け反ったままの恰好で一気に 吹っ飛ばされる。背中が擦り切れかねないほどの摩擦と高温に見舞われたが、偶然、窪みに填って勢いが止まる。 朦朧とする視界と目眩を堪えながら上体を起こそうとすると、左手に巻いていた鎖がひび割れた。

「うぉっ!?」

 左腕を上げたデッドストックは、鎖を見、絶句した。頑丈な鎖は結晶化していただけでなく、吹っ飛ばされた衝撃を もろに喰らって割れていた。右腕の手首のない手で触れると、砂が崩れる音と大差のない音を零しながら、結晶体と 化した鎖は砕け散った。赤茶けた砂の上に透き通った砂が混じり、見えなくなる。

「他人に触っただけで、そいつが死ぬんだもんなぁ?」

 音もなく顎に寄り添った結晶体の刃は、熱風渦巻く砂漠の中でも、怖気立つほど冷たかった。

「だから、俺があの女に惚れるのは当然だったんだ。お前が執着するのも当然だったんだ」

 逆光を浴びながら、クリスタライズは首を捻る。光の加減が変わり、眼光がより鋭くなる。

「正直嬉しかったよ、ノーバディになれた時は。イカヅチとマゴットには人並みに恨みはあるし、奴らを殺すのは俺で ありたかったとは思いもするが、それはそれだ。単なる倉庫番だった。退屈な仕事だった。ケーブルに繋がれている せいで身動きなんて取れないし、たまに俺に会いに来るのはイカレた刃物女だけだったけど、俺が触ってもなんにも 結晶にならなかった。死ななかった。壊れなかった。けどな、けどな、けどな?」

 クリスタライズはデッドストックの前に跪き、顔を寄せる。彼が歩いてきた道筋と膝を付いた部分の砂が、固まる。

「ノーバディは人造妖精とかジガバチと同じで、意識と記憶を馬鹿でかいサーバーで共有していたんだ。もちろん、 俺の脳みそが詰め込まれた機体もだ。ノーバディの役割は人造妖精の製造と出荷と処分。だから、俺は毎日毎日 人造妖精を殺す羽目になった。ダウナー共ならどれだけ殺してもなんとも思わないのに、人造妖精だけは違った。 あいつらは、あの女から作られた生き物だったからだ。つまり、娘なんだ。次世代のリザレクション、安価で安全で 安心な下僕の能力者、おいしくて可愛くて無抵抗な食糧。頭がおかしくなった方が楽だった。けど、俺は精神の方も 割と頑丈に出来ていたみたいでな、ジャクリーンみたいにはブッ飛べなかった」

「殊勝なことだな」

「ああ、全くだよ。中途半端に理性があることほど、辛いことはねぇよ」

 一笑したクリスタライズの膝が上がり、デッドストックの胸を抉る。普通であれば、立ち上がりもせずに出来る動作 ではない。だが、それが出来るからこそ、クリスタライズはヒーローだった。息が詰まり、肋骨が軋み、心臓が止まり そうになる。実際、止まりかけている。結晶体になりつつあるからだ。
 惜しむ暇もなく、スーツを脱ぎ捨てる。結晶体と化してきていた胸の部分を剥がして脱ぎ、上半身を曝すと同時に スーツは結晶体に代わり、砂に落ちると同時に砕けた。下半身の部分だけ切り離せたのは、幸運としか言いようが ないだろう。二度目はない。間近に死を感じたのは、久々だった。

「人造妖精を奪ったら、どうするつもりだ」

 だが、ここで退けるわけがない。デッドストックはラバーマスクの奥で、目を据わらせる。

「あの女の代わりにする」

 しれっと答えたクリスタライズは、結晶体のマスクの下で口角を上げる。

「って言ったら、俺はすげぇヴィラン臭いよな。でも、俺はヒーローだからこう言う。お前からあの子を救う」

「求められない限り、救いなんて与えるものじゃない」

「うへぇ説教臭ぇー」

「お前の存在自体を、俺が求めていないからだ」

 腐れ、腐れ、腐り落ちろ。デッドストックは露出した上半身に力を込め、左手の拳を固め、呼吸を詰める。灼熱の 砂漠といえども細菌は存在しているし、存在しているのであれば、活性化出来る。そして、腐敗させられる。皮膚が 日光とは異なる熱源で熱し、陽炎とは異なる理由で景色が揺らぎ、慣れた匂いが鼻を突く。
 クリスタライズにそれに比べれば遙かに脆弱で、風が吹けば掻き消されてしまう、メタンガスの鎧を成す。それを クリスタライズが結晶化させるのが早いか、デッドストックがメタンガスの鎧を纏った拳をクリスタライズに当てるか。 その、あまりにも際どい戦いは、両者の獣そのものの本能を剥き出しにするものだった。脳が知覚するよりも先に 体を動かし、殴り、蹴り、喰らい付く。力よりも技を、技よりも経験を、経験よりも才覚を、研ぎ澄ます瞬間が続く。
 薄すぎるガスの膜が破られ、クリスタライズの硬い拳が分厚い筋肉が付いた右腕に食い込んだ。それと全く同じ 瞬間に、デッドストックの左手がクリスタライズの喉元を捉え、指がめり込んだ場所から結晶体の外装が黒ずんで いき、腐り始めた。右腕に噛み付いたクリスタライズの左手から、徐々に結晶化していく。どちらの能力がどちらの 肉体を侵し尽くすのが早いか。それが、この馬鹿げた戦いの終着点だった。

「お前さ、目、青いんだな」

 額を突き合わせそうな距離で睨み合う最中に、クリスタライズが半笑いになった。ラバーマスクの奥まで覗かれる ほど近付かれたのは、これが初めてだとデッドストックは気付いた。きっと、クリスタライズもそうなのだろう。

「そういうお前は、割と若いな」

 透き通ったマスクの奥に見える顔付きだけならば、プライスレスよりも少々年上と言っても通用するかもしれない ほどの若々しさだった。能力の弊害で老化が阻害されているのかもしれない。

「プライシーと仲良くしてやれよ?」

「お断りだ」

「人造妖精をいじめるなよ?」

「余計なことを」

「……あの女を殺すのは、俺だ」

「殺せと言われたのは、俺だ」

 じゅく、と結晶体の外装が崩れ、指先が埋まり、汗ばんだ肌に触れる。途端に腐って肌に穴が開き、鮮血が噴く。と、 同時にデッドストックの右腕の結晶化が肩にまで及び、右腕の付け根が割れて落下し、熱砂に埋もれた。右腕の 根本から鎖骨に掛けてはまだ結晶化していなかったため、感覚も麻痺しておらず、壮絶な痛みが背筋を痺れさせる。 体から分離した途端に結晶化が解けて元に戻った肉と血が砂を固まらせ、腐らせ、メタンガスを生む。

「おぶぇっ」

 動脈から入り込んだ腐敗汁が早々に毒性を発揮し、クリスタライズは結晶体のマスクの内側を吐瀉物で満たした が、それすらも結晶体と化してしまうのか、彼のマスクの下からは漏れてこなかった。遠からず、窒息するだろう。 お互い、難儀な体質だ。デッドストックはクリスタライズのマスクに触れて結晶体を黒く腐らせ、剥がしてやる。

「おい」

「あー……悪ぃ」

 クリスタライズは喘ぎながら再度嘔吐するが、やはり、体液にまみれたものも結晶化してしまう。そのため、本来 であれば汚い光景であるはずなのに、出てくるものが光り輝いているので恐ろしく奇妙だった。ぜいぜいと喘ぐたび に喉に引っ掛かった吐瀉物の結晶体が粘膜を傷付けるらしく、クリスタライズは動脈に開いた穴からの出血と相違の ない量の血を吐き出した。その血も、砂に落ちる頃には結晶体となり、更に砂を結晶体に変えていた。
 なあ、俺、今、格好悪いよな、と問い掛けられた。その通りだ、とデッドストックが同意してやると、クリスタライズは 哄笑した。自虐的でもあり、誇らしげでもあり、それでいて奇妙に清々しげでもあった。クリスタライズの首筋から 広がる血の海が砂を結晶体に変えなくなった頃、透き通った壁が割れ、赤黒い滝が生まれた。
 血の瀑布だった。リザレクションの血管の断面が覗き、内臓らしき肉の袋がずるりと零れ、骨らしき白い固まりが 血に混じって落ちてくる。その中に、例の白い球体も混じっていた。あの中に醜く肥え太ったアッパーが入っている のだと、息も絶え絶えのクリスタライズが教えてくれた。

「ふへははは、ヒーローの勝ちだ」

 ごぶぇっ、と臓物混じりの吐瀉物を吐き出してから、クリスタライズは力任せに口角を曲げる。

「俺はあの女を固めながら、細切れにしてきたんだ。心臓も、脳も、神経も、何もかも。だから、あの女は俺のもの として死ぬんだ。あの女がお前に惚れていたとしても、俺はあの女を渡しはしない。ひへははは、どうだ、悔しい だろ、ヒーローだろ、俺はヒーローだろ、なあ!?」

 声にならない声で叫び散らすクリスタライズに、デッドストックは首を横に振った。

「いや。ただの屑ヴィランだ」

「はぁ?」

「ヴィランに殺されるようなヒーローがいるものか」

「ああー……そりゃ、そうだな」

 ふひへはは、と力なく笑い、クリスタライズは弛緩する。彼に背を向けたデッドストックは、右腕が生えていたはずの 空間に左手をやり、虚空を握った。もっと早く出会うべきだった。両腕が揃っている時に戦うべきだった。そうすれば、 もっと戦いを楽しめたものを。これまでに何人ものヴィランとやり合ってきたが、あれほど本気になったのは、この男が 最初で最後だ。落下した物体の質量に応じて発生した暴風が、メタンガスの鎧を拭い去る。
 作り物の英雄は、死んだ。




 何者かになりたかった男は、何者にもなれずに死んだ。
 球体の頂上に昇ったデッドストックは、結晶体の外装が溶けて崩れ去ったクリスタライズの死体から剥いだ、黒い スーツで上半身を覆っていた。宇宙ステーションで手に入れたものとは素材が少し違うらしく、肌触りが硬かったが、 体格に大差はないので布地も余らなかった。どおどおどおどお、と天上世界から地下世界に雪崩れ落ちてくる血の 瀑布の勢いは緩まず、日が暮れる頃合いには砂漠を赤い海に変えてしまった。
 リザレクションの血の海の下に、クリスタライズは沈んでいる。時折、肉片も剥がれて落ちてきては、血の水柱を 立てて没していく。吹き渡る風には鉄と蛋白質の匂いが多量に混じっていて、吐き気を催させてくる。デッドストック はまだ堪えられるが、プレタポルテは案の定吐き戻していた。けっけっけっ、と小さな空咳を繰り返して、血の海に ぽちゃんと胃液混じりの水を落とした。その羽の生えた背を左手でさすろうとしたが、バランスを崩しかけた。右腕 全体を失ってしまったので、重心の据え方が解り切っていないからだ。痛みと疼きは残っているし、血も出すぎた ので目眩がしそうになるが、意地で押さえ込んでいた。

「う゛ぇー……」

 プレタポルテはデッドストックの右腕が付いていない事実が余程辛いのか、ぼろぼろと涙を落とした。

「いちいち泣くな」

 デッドストックはプレタポルテの顔を手袋を被せた左手で拭ってやるが、泣き止むどころか更に泣いた。それだけ 心配してくれている証拠なのだが、正直言って困ってしまう。デッドストックがラバーマスクの下で苦い顔をしている と、球体の頂上付近に穴が開き、ハシゴを伝ってプライスレスが出てきた。少年は右腕の上に四角い板状の機械 を置いて左手の指を滑らせ、立体映像を浮かび上がらせた。

「今更調べなくても解るけど、一応やってみたぜ。スイーティを通じて、そこら中にいるジガバチ全体の目を経由した 映像を拾ってみたけど、どこもかしこもリズの血がどばどば出て肉がぼろぼろ落ちて、地獄みたいな有様だよ。原因は ストッキーがクリスを殺したから、クリスの能力で支えられていたリズの肉が割れたんだ。んで、重力に引かれて降って きたもんだから、地球全土が血の海」

「そうか」

「……どうする?」

「どうにもしないさ」

「俺は、どうにかしたい」

 赤黒い水平線を見据えたプライスレスは、いつになく語気が硬かった。その真意を測る暇はなかった。一瞬の隙を 突かれて撃ち込まれた熱線が、血が乾き切っているかどうかも怪しい右腕の傷口を焼き切り、更に肉が爆ぜる。 美しいカーブを描いている球体に足掛かりはなく、仰け反ったが最後、真っ逆さまに血の海に没した。
 衝撃が怒りを上回っていた。後はリザレクションを殺すだけだと踏んでいた。気を抜いていた。裏切られないという保証 があるはずもないのに、いつの頃からか浅はかにも信用していた。だから、こんな目に遭うのだ。赤黒い水が視界を 満たす直前に捉えたプライスレスは、人造妖精を傍らに抱き、球体の中へと戻っていった。それさえなければ、左手の 拳を固めはしなかっただろう。少年に対して、明確な殺意を覚えはしなかっただろう。
 血の海の底で、吼えた。





 


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