DEAD STOCK




19.Price Less



 その男と遭遇したのは、五年前のことである。
 その当時、少年はまだプライスレスとは名乗っていなかった。かといって、オスカー・ワーカーホリックの名を使う のは青臭いプライドが許さなかったので、その場凌ぎの偽名を名乗って、ヴィランとヴィランの間にドラッグや酒など を運ぶ商売をやっていた。もちろん、そんな仕事が安全であるわけがなく、何度となく殺されそうになっては能力を 使って窮地を免れていた。ヴィランの中には少年を養子にしたいと申し出る輩も数人いたが、いずれも少年の能力 が目当てだった。タトゥーを焼いても娼婦の生まれであることには代わりがないため、淫売の子なんだから素直に 股を開け、と屈強なヴィランから襲われたこともあった。それでも、少年は生き長らえていた。
 死にたくない。こんなところでくたばってたまるか。そう思いながら意識を戻した時、少年はぬるつくゴミ溜めの中 に埋もれていた。腹がひどく痛み、口の中が切れているのか、鋭い痛みと共に苦い鉄の味がする。ぼやけた視界 を探りながら、体を起こし、生きていることを確かめる。自分を殴ってきた相手には死んで“くれよ”と叫んでおいた のだが、いつも通りに能力の効果は絶大だったようで、ゴミ溜めに頭から突っ込んで息絶えていた。
 どういった経緯で殴られたのだろうか。自分の全財産を詰め込んだリュックサックを探し出し、中身の有無も確認 しながら、少年は記憶を辿った。いつものように、ヴィランの間で売買されている密造酒を、胴元であるヴィランから 受け取って運んで買い手に渡して代金を受け取ろうとしたのだが、酒の量が少ないだのなんだのと言われてその場 で殴り倒されたのだ。要するに、あれは代金の踏み倒しを兼ねた強盗だったのである。それから、この隣にいる男 にゴミ溜めまで引き摺られていってひどく殴られたが、死んで“くれよ”と叫んだおかげで、どうにか命を繋ぐことが 出来た。だが、この男を殺したと知られてしまっては後が面倒だ。この男と連んでいるヴィランとその一派から因縁 を付けられて、殴られるだけでは済まなくなる。今更ながら、寒気がしてきた。
 遠くから流れてくる怒鳴り声や叫び声に、砂を踏む足音が混じった。もう感付かれたのか、と諦観しながら少年が 振り返ると、地下世界の闇を煮詰めて人型に形作ったような男が立っていた。黒い肌に擦り切れたトレンチコートを 羽織っていて、全体的に細身ながらも硬い筋肉が付いた両腕を無造作にポケットに突っ込んでいる。

「おい」

 黒い男は、圧迫感すらある低い声を発した。と、同時に饐えた匂いが流れてくる。

「んだよ。見てんじゃねぇよ」

 少年が精一杯の威嚇をすると、黒い男はゴミ溜めに突っ込んで死んでいる男を一瞥する。

「そいつはアンロックだな。ケチな鍵開けの能力持ちだ」

「そうだけど。倉庫街をシメてるレポジトリの鍵番でもあるけど、知り合い?」

「俺が殺すはずだったんだが」

「なんで?」

「そいつは俺の隠れ家から、俺が造った酒を掻っ払っていきやがった。おかげで、俺の稼ぎはゼロだ」

「あんたがヴィラン共の酒を造っているのか?」

「そうだ。お前は確か、その屑共の伝書鳩だな。たまに見かけていたが、よくも今まで生き延びていたものだな」

「それ、褒めてんの?」

「いや」

 黒い男はゴミ溜めに足を踏み入れると、右手の黒い手袋を外して素手を曝した。途端に猛烈な腐臭が起き、それ をまともに吸い込んでしまった少年は激しく咳き込んだ末に限りある胃液を吐き戻した。だが、黒い男は少年の様子 など意に介さず、アンロックの死体を右手で握った。程なくしてアンロックの骨張った足が泡立ち、崩れ、青黒く変色 した後に腐り落ちた。黒い男はアンロックの死体を引き摺り出すと、物言わぬ男を携えて歩き出した。

「呆れただけだ」

 黒い男の広い背が路地裏から出ていくと、誰かの絶叫が響き渡った。ごちゅっ、ぶぢゅっ、ぐじゃっ、と嫌な水音が 繰り返されるたびに悲鳴が消え、代わりに水音が増えていった。それから、あの嫌な匂いの量が増えてきた。それを まともに吸い込んでは先程の二の舞なので、少年は荷物の中からガスマスクを引っ張り出して被った。劣悪な環境 にも適応している能力者なので、本来ならば不要なのだが、あの匂いを嗅ぐのは嫌だったからだ。
 路地裏から出ると、至る所に腐乱死体が散らばっていた。その顔触れには、見覚えがあった。倉庫街を支配して 一大勢力を築いているヴィラン、レポジトリの一派だった。恐らく、少年がアンロックの元から逃げ出した場合に止め を刺すために配置しておいたのだろう。あの黒い男が来なければ今頃は、と考えると恐怖が甦った。
 礼の一つでも言うべきだろう、と思い、少年は黒い男が辿った道筋を追っていった。道標には丁度良い腐乱死体 が山ほど転がっていたので、とても簡単だった。そして、最終的にはレポジトリが住み着いている倉庫に行き着き、 中を覗いてみると、事は呆気なく終わっていた。レポジトリの腐った生首を、黒い男が鷲掴みにしていた。

「なんだ」

 ぐずぐずに腐った生首を倉庫の奥に放り投げてから、黒い男は忌々しげに少年を見据えてきた。

「あのさ、あんたって俺を」

「誰がお前のようなクソガキを助けるものか。何の意味がある。お前になど興味はない」

「そんなの解り切ったことだって! んで、あんた、名前は?」

「聞いてどうする」 

「そりゃもちろん、こいつらからあんたに鞍替えするんだよ! レポジトリはケチだったし、スマックダウンは怖ぇし、 イカヅチのクソッ垂れヴィジランテになんて靡くつもりは更々ないし! それにさ、あんたが造った酒をヴィラン共に 卸したりしないで売り捌けば、今の何十倍も稼げるからさ、それを手伝ってやるよ!」

「いらん」

「そう言わずに、なぁ? それに、その体じゃ、あんたはろくに商売も出来ないし、女も買えないだろ?」

 少年は黒い男の心中に踏み込むために、特異な能力者のコンプレックスを乱暴に刺激した。この男と同じように 触れたものを変質させてしまうクリスタライズは、この言葉を言えば必ず激昂していた。だから、手段はどうであれ、 こちらに振り向かせられる。と、少年は踏んでいたのが、黒い男は視線も向けなかった。

「だからどうした」

「だから、ってそりゃあ」

「俺にはお前などいらん。特に、その面構えが気に食わない」

 勝手に死ね、と吐き捨ててから、黒い男は死体だらけの廃倉庫から立ち去っていった。あまりにも手応えのない 反応に少年は呆気に取られたが、すぐさま追い縋った。黒い男は邪険にしてきたが、必死に食い下がり、与太話 と言っても過言ではない甘言を並べ立て、なんとか取り入ろうとした。しかし、黒い男の関心は奪えず、彼は隠れ家に 身を潜めてしまった。一人取り残された少年は、人目に付かない場所に潜り込み、思案した。
 なぜ、こんなにも黒い男が気になるのだろうか。能力は極めて特異で、腕っ節も強く、取り入れば頼りになるのは 間違いない。本当にあの男がヴィランの間で高値で取引されている密造酒を作っているのであれば、それを上手く 売買して金儲けも出来る。だが、理由はそれだけなのだろうか。もっと、他にもあるはずだ。
 その理由に気付いた時、少年は自分に新たな名を付けた。自分にはそれだけの価値があるのだと示すために、 価値があることを男に知ってもらうために。その日から、少年はプライスレスと名乗った。黒い男に付き纏い、男の 名を聞き出してからは、長年連れ添った相棒であるかのように振る舞うようになった。そして、黒い男が人造妖精に 並々ならぬ執着を抱いていると知ってからは、敢えて人造妖精の情報を遠ざけた。黒い男がクイーンビーの色街で 操を売っていたリザレクションという能力者の女に特別な感情を抱いていると知ってからは、リザレクションの胴体を 手に入れ、いざという時に使うために全財産と一緒に担ぐようになった。それもこれも、価値があると知ってほしい からだ。知ってもらうまでは、いくらでも、何度でも、どんなことでもしてみせる。
 だから。




 一瞬の隙を衝いて、デッドストックを撃った。
 プライスレスは手中に収まるほど小さな熱線銃を見つめながら、ガスマスクの中に何百回目のため息を零した。 あれで良かったのだ、と思う反面、あのまま仲良しごっこを続けていたかった、とも思ってしまう。けれど、そうする と決断したのは自分自身だ。プライスレスはペンよりも短い熱線銃をポケットにねじ込み、背中を丸めて体の中から 躊躇を絞り出すようにため息を吐いた。ペン型の熱線銃は、以前アッパーの廃棄物の山から見つけた掘り出し物 で、普段は火を付けるための熱源として使っていたのだが、本来の用途で使うことになるとは思わなかった。だが、 これ以外にデッドストックに対抗出来る手段はなかった。
 プライスレスの膝の間では、プレタポルテが丸くなって眠っている。泣き疲れたからだ。少女の羽が付いた背中 をさすってやると、苦しげに引きつった。その様に少し罪悪感が沸いたが、堪えた。今まで敵対してきたヴィランが、 人造妖精を奪ってはデッドストックを怒り狂わせて誘き寄せていたように、プライスレスも同じことをしてやったまで のことだ。だから、遠からずデッドストックはプライスレスを見つけ出し、殺しに掛かるだろう。

「おとうたま」

 びいいいいい、との鈍い羽音が迫り、白い布を触角の根本に結び付けたジガバチが降りてきた。プライスレスの 遺伝子と能力を引き継いだ次世代のジガバチであり、姉妹達のリーダーでもある、スイートハートだ。

「お帰り、スイーティ」

 プライスレスは左手で娘の顎を撫でてやると、スイートハートは嬉しそうに触角を左右に振った。彼女の周囲には 何百何千ものジガバチが取り巻いていて、プライスレスとプレタポルテがいる建物を完全に包囲していた。黒い渦、 鋼鉄の雨、鉄壁の娘達。彼女達は、かちかちかち、と顎を鳴らしては父親に己を鼓舞してくる。
 アッパーのデータベースである球体の上から、プライスレスとプレタポルテを連れ去ったのは当然ながらジガバチ 達である。突如、壁から降ってきたクリスタライズに攫われてデータベースに連れ込まれた後、プライスレスは意識 を取り戻したが、手足が結晶化されていたので動かせなかった。クリスタライズとデッドストックが大量の映画を延々 と見ている最中に、少しずつ動いてデータベース内にある設備を確かめ、二人が外に出ていって交戦している間に 通信設備を使い、スイートハートと連絡を取った。デッドストックをリザレクションの血の海に沈めてから、ジガバチ達 に迎えに来させ、血の海の侵食が比較的少ない場所に来たというわけである。

「おとうたま、そのこ」

 スイートハートはプライスレスの膝に縋っている人造妖精を見、心配げに触角を曲げる。

「寝ているだけだ。どうってことねぇよ」

 プライスレスがプレタポルテの乱れた髪を撫で付けてやると、スイートハートはかちりと顎を軽く鳴らす。

「うん。わかった。それでね、おとうたま。あれ、みちけた」

「そうかぁ、偉いぞ。んで、俺の言った通りの場所にあっただろ? 色街の跡地の地下にある、クイーンビー専用の ゴミ捨て場の中に。だが、誰も触っちゃいないだろうな?」

「うん。みんな、がんばった」

 スイートハートがジガバチ同士のネットワークを通じて合図を送ると、ジガバチが編隊を組んで飛んできた。彼女 達は足の間に一枚の大きな布を張っていたが、その上に多量の水が混じった汚物を入れているので撓んでいた。 慎重に高度を下げてきたジガバチの編隊は、プライスレスの前に布を下ろし、広げると、馴染み深ささえある腐臭が 溢れ返った。それをもろに喰らってしまったジガバチ達が失神し、墜落しそうになったが、すかさず他のジガバチ 達が助けてくれた。プライスレスはスイートハートとその姉妹達に礼を述べてから、布の中心で藻掻いている物体と 向き直った。本体から切り離されて久しい、デッドストックの右手だった。

「凄ぇな」

 クイーンビーが戯れにデッドストックの右手を切断してから、かなりの年月が経っている。それなのに、未だに腐る どころか瑞々しさを保っている。それどころか能力も健在で、緩衝材を兼ねていた泥と水がなくなって布に触れると、 すぐさま布が腐って大穴が開いた。プライスレスは歓喜が込み上がってきたが、ぐっと飲み下した。

「ストッキーの所在地は解るよな?」

「うん。ちのうみが、ごぼごぼってしていて、へんないろのばしょ。けっこうとおい」

「適当な頃合いに誘導してきてくれ。この場所まで。なんだったら、連れてきてくれてもいい」

「なんで? そうすると、おとうたま、しんじゃう」

「いいんだよ。それで。パパの命令に逆らうなよ?」

「うん。わかった。んで、てきとうなころあい、いつごろ?」

「それは俺が決める。解ったか?」

「うん。わかった」

「よおし、良い子だ。愛してるぜ」

 プライスレスはスイートハートの複眼の間にガスマスクをごつんと当ててやり、キスの真似事をした。スイートハート はやたらと喜び、恥ずかしがって身を捩った。その照れが伝播したらしく、スイートハートに近い位置のジガバチもまた くねくねと大きな体を捩った。奇妙ではあるが、微笑ましいダンスだ。
 その様を横目に、プライスレスはオレンジ色の作業着の右袖を引っ張り、右手を損なった腕を曝した。鉄の鳥の 中に設置されていた全自動の医療設備によって、粉砕骨折した骨の破片も全て取り除かれ、ピンを抜いた手榴弾 を握っていたかのように抉れていた肉も無駄な部分は切り落とされ、無事な部位は縫い付けられた。そのおかげで、 縫い目だらけではあるが右手首の傷は塞がっている。
 能力を使い損なって、右手を失ってからは、どうすれば再び己の能力を使いこなせるようになるかを考えていた。 あの時は何も考えず、それまでと同じように代償を払わずに対価を得られるものだと思い込んでいたから、右手が 吹き飛んだ。イミグレーターが生み出した量子コンピューターを破壊した今、能力の代償として払えるものは、己の 肉体しか残されていない。あの時は脅し取ったものがちんけだったから、右手だけで済んだ。しかし、次に脅し取る ものの代償はそんなもので済むわけがない。だから、こうする他はない。

「俺の娘達の命、百匹分をくれてやるよ」

 手袋を填めた手でデッドストックの右手を掴んで、双方の右手首の切断面を重ねると、デッドストックの右手首の 太さと自分の手首の細さがはっきりと解る。それが少し可笑しかった。だが、触れ合わせて間もなく肉が腐り始め、 耐え難い激痛が内臓を痙攣させる。それでも、プライスレスは悲鳴を呻きに変えて、デッドストックの右手首の骨が 折れんばかりに握り締めながら、叫んだ。

「だぁからっ、ストッキーの右手、俺の右手になって“くれよ”!」

 きぇええ、きぃいい、ぎぃいい、と百匹分のジガバチの断末魔が響き渡り、次々に地面に墜落しては砕け散った。 小高い土地に打ち寄せている血の海に飲み込まれる者もあれば、死なずに済んだはずの姉妹を巻き添えにする者 もあれば、父親に裏切られたと叫ぼうとする者もいた。だが、これは必要な犠牲だ。そもそも、ジガバチは消耗品の 生体兵器なのだから、使い捨てるのが当たり前だ。ハニートラップやスイートハートのような、特別な才覚を持って いなければ、些末なことで朽ちるものなのだ。イミグレーターにとっての自分のように。
 ガスマスクの内側から溢れ返るほどの胃液を吐き出してから、プライスレスは引きつった笑みを零す。右手首の 切断面は青黒く腐り、膿んでいたが、確かに骨と血管と神経が繋がっていた。ぎこちなく指を曲げると、骨張った 指が丸まり、砂を握り締めた。だが、間もなく手中の砂は腐り、濃密なメタンガスが漂った。

「ごしゅりんしゃま……?」

 メタンガスの匂いでデッドストックが来たと勘違いしたのか、プレタポルテが身を起こした。プライスレスは笑みを 抑えもせずに、へらへらしながらプレタポルテを再度横たわらせて寝かし付けた。プレタポルテは不満げでは あったものの、まだ疲れが抜けていないらしく、一分と経たずに熟睡した。
 デッドストックの右手を手に入れた快感は苦痛を上回っていたが、右手首から始まった腐敗が全身に至るのは、 時間の問題だと、頭の片隅で冷静に判断していた。けれど、これでいい。こうでもしなければ、彼は自分のことなど 歯牙にも掛けないのだから。あれだけ吐いたのにまだ吐き気が収まらず、プライスレスはガスマスクを外し、その中 にたっぷりと溜まった吐瀉物を出してから、体を折り曲げて盛大に吐いた。
 胃液に汚れた顔を拭い、呼吸を整えてから、人造妖精に目をやる。今更ながら嫉妬心が沸いたが、少女を殺す のにはさすがに少し躊躇いがあった。時間を共有していると、妹のように思えてきたからだ。しかし、何もしない のは生温すぎる。そう考えたプライスレスは、人造妖精を俯せにしてスーツを脱がし、背中を曝した。作り物の羽 の下、肩胛骨から腰骨に掛けて、タトゥーよりも粗雑な引っ掻き傷で文字が刻み付けられていた。想像していた 通りの意味を持った文字が、背骨に沿って並んでいた。
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