DEAD STOCK




3.Stamp Down



 あれから、十日が過ぎた。
 人造妖精を掴まえてからの日々は、それまでの怠惰な生活とは一変してしまった。プレタポルテが口にするため の食糧や出来る限り清潔な水を調達するだけでも一苦労だったし、プレタポルテは無垢故に好奇心旺盛で何かに つけて悪戯をしてはけたけたと笑っていた。だが、所詮は少女の行うことなので他愛もないことばかりだし、いざと なれば鎖を引っ張って大人しくさせればいい。食糧探しにしても、プライスレスを使いっ走りにすればいいだけだ。 だが、これだけはどうしても耐えきれなかった。
 じーこじーこじーこじーこ、と、手回し式充電器のハンドルが小さな手で回される。歯車と発電機が噛み合って動く たびに生み出された電気がケーブルを伝ってスタンドライトに吸収され、スタンドライトのソケットに差し込まれている LED電球が青白い光を放った。その人工の光を燦々と浴びせられたデッドストックは、渋々目を開けた。

「止めろ」

「にょ」

 プレタポルテは途端に拗ね、デッドストックに背を向けてしまった。着古しすぎて継ぎ接ぎだらけのシャツの裾から はみ出している小さな羽も翻り、力一杯握り締めたら壊れてしまいかねないほど脆弱な肩が縮まった。そしてまた、 じーこじーこと歯車と発電機を回転させて光を灯した。オモチャを与えて大人しくさせたまではよかったが、その後の 弊害については全く考えていなかった。デッドストックは慣れない光のせいで痛む目を瞬かせて、ラバーマスクの上 から目頭を押さえた。光で目覚めさせられることが、こんなにも辛いとは。
 ガラクタの中からゼンマイ式の時計を掘り出して時間経過を確かめると、プレタポルテを寝付かせてから八時間半 ほど経過していた。デッドストックが暇を持て余して寝入ったのはおよそ三時間前なので、寝入った傍から強引に 起こされたようなものである。かといって、プレタポルテに生活を合わせるのも癪に障るし、規則正しい生活という ものに対して嫌悪感すらあるからだ。仮にもヴィランとして振る舞っている自分が、折り目正しく子供に合わせた生活 を送るのは、気恥ずかしいを通り越して腹立たしいからだ。

「クソッ垂れ」

 デッドストックは飽きずに発電させて遊んでいるプレタポルテの後頭部を小突くと、人造妖精はむくれた。

「ぬ!」

「で、便所は」

「ごひゅりんたま!」

 プレタポルテは待っていましたと言わんばかりに腰を上げ、デッドストックを揺すってきた。

「二度と漏らすなよ。次はない」

 デッドストックは立ち上がると、硬い床で寝たせいで痛む関節を伸ばしてから、鎖を引き摺って歩き出した。その後 にプレタポルテが続き、トイレに入った。一応水洗式だが、インフラ設備が死んでからはかなりの年月が過ぎている ので流れるはずもないので、汲み置きの水を流す形式である。個室には二人も入れないので、先にプレタポルテの 用を足させてから、ついでにデッドストックも用を足したが、その傍からメタンガスが発生したので早々に水を流して 下水道に葬り去った。下手をすると、トイレごと爆発してしまいかねないからである。

「水も飲め。あのクソガキが手出ししていなければ、水の濾過が済んでいるはずだからな」

「うぃ!」

 プレタポルテは頷き、挙手した。

「ついでにメシを喰え」

「うぃ!」

「代わり映えのするものでもないがな」

「むぅ」

「喰えるだけでもマシだと思うがな」

「うぅ」

 デッドストックはプレタポルテを連れて階段を下り、地下駐車場に入った。手回し式充電器に蓄積していた電力を 充電器に付属しているLEDライトに使い、その光を頼りに進んでいき、密造酒を貯蔵しているタンクの群れの奥に 据えてある水の濾過装置の元に至った。濾過装置の下に置いた器には、半分ほどの真水が溜まっていた。
 その真水をステンレス製の片手鍋に入れてアルコールランプで加熱した後、湯冷ましにしてから、プレタポルテに 飲ませてやった。湯冷ましを飲みながら乾燥蛆虫をぱりぱりと食したプレタポルテに、ほんの少しだけではあるが、 酒の醸造に使う麦芽糖を分けてやった。スプーンに三分の一ほど掬い取った麦芽糖を差し出してやると、人造妖精 はすぐさまスプーンに喰らい付き、麦芽糖がなくなっても舐め続けた。放っておいたら、スプーンが擦り切れてしまい かねないので、デッドストックはスプーンを引ったくって湯冷ましの余りで洗い流した。

「お前は卑しい奴だな」

「にょ」

「俺に口答えするのか」

「うぃ」

「チビのくせに、良い度胸をしてやがる」

 デッドストックは肩を揺すり、口角を曲げた。こうして一日中付き合っているのだから、プレタポルテと意思の疎通が 出来るようになるのは、努力というよりも自然の摂理だ。悪戯好きで食い意地が張っているが、プライスレスより は口数も語彙も少ないので怒る気にもならないから、というのもあるが。プレタポルテも、常にラバーマスクを被って 表情を見せることのないデッドストックをじっと観察して、何をすれば反応するのか、何を言えばどう答えるのか、と プレタポルテなりに研究しているようだった。その結果が芳しいかどうかは、また別であるが。

「ぷー?」

 プレタポルテは片手鍋から湯冷ましを呷っているデッドストックを見上げ、目を瞬かせた。

「プライスレスはいない。酒を売りに行かせた」

 デッドストックは空になった片手鍋を下げ、ラバーマスクを元に戻すと、プレタポルテは目を伏せる。

「にゅう」

「金が必要なんだよ。メダマは適当な倉庫から奪えばいいんだが、アレばかりは金がないと話にならん」

「ぷーるー?」

「なぜと言われてもな」

 そればかりは、理由を問われても答えづらいのだ。この会話を長引かせないためにデッドストックはプレタポルテの 鎖を引き、一階の居住スペースに戻ると、オレンジ色の作業着姿の少年が廊下に転がっていた。デッドストックは 小脇にプレタポルテを抱えて少年を跨ごうとしたが、プライスレスはデッドストックの足を掴んできた。

「待ぁてよぉストッキー! 最初に言うことあるだろうがぁああっ!」

「売り上げを寄越せ」

「それもそうだけどさ、もっとこう、あるじゃん」

 床に這い蹲ったまま不満を示すプライスレスに、プレタポルテは問い掛けた。

「ぷーるー?」

「聞いてくれよ妖精ちゃあん、俺はとってもとおっても大変な目に遭ってきたんだぜぃ」

 プライスレスはすぐさま起き上がると、担いでいたリュックサックを下ろして脇に置き、胡座を掻いた。

「いつも通りにストッキーの密造酒を売り捌こうと、出来た酒を瓶に詰めて担いでいったわけだよ。ヴィジランテ共は 常連だし、払いも良いから、一回りしたら結構な金になるなぁーって思っていたわけよ。だぁがしかし、ヴィジランテ 共には酒以外の強烈な娯楽がもう一つあったわけさ。そう、あれだよ、アングルワームがパパルナを囲って育てて いたケシの花と大麻さ。つっても、俺はドラッグには手ぇ出さないけどな。あれ、効かねぇんだもん。だが、他の奴ら はそうじゃない。憂さ晴らしにガンギメしまくり。だから、パパルナが腐って死んでからは、アングルワームの工場に 生えていたケシの花も大麻も枯れちまったから、さあ大変!」

「誰に目を付けられた」

 話が長くなりそうだったので、デッドストックはプライスレスの喉元につま先を突き付けた。

「えー……えーと、全員? みたいな? ふへ」

「いつもの上客だけじゃないのか」

「つか、他の街のヤク中も敵に回したと思っていいね。うっひょほう、ストッキー大人気ぃ!」

 プライスレスが笑い出す前に喉に蹴りを入れてから、デッドストックは部屋に戻り、プレタポルテにラバーシートに ウレタンを熱で接着させて作った簡易靴を履かせ、シャツの上にジャケットを被せてガスマスクも被せた。

「パパルナは勝手に死んだ。俺はあのケシ女に触ってもいない」 

「俺もそうだと思ったんだけどぉ、ストッキーの肩を持ったら即座に首が飛びそうだったしぃ。だから、俺はストッキー を油断させてやるからお前らは後で来て“くれよ”、って言ってから逃げてきたんだけどぉ」

 プライスレスは茶色の手袋を填めた両手を重ね、女々しく身を捩る。

「そうか」

「あれ、殴らないの? なんだよぉ、ストッキーらしくもねぇなぁー」

「殴られたいのであれば、全力で殴って首の骨を砕いてやるぞ」

「やぁだなぁ、ほんの冗談に決まってんだろ! ふへははははははっ」

「いいから黙れ。黙らなければ、その喉を腐らせてやる」

 本当にそうしてやりたいが、今はそんな余裕はない。デッドストックはショルダーバッグに手持ちの所有物を詰め、 雑多な私物の山から出てきたステンレス製のピルケースをしばし凝視したが、それもまたショルダーバッグの中に ねじ込んだ。スペアのラバースーツとありったけの紙幣、アルコールランプと折り畳み式の片手鍋と濾過装置として 改造出来そうな太めの瓶、そしてプレタポルテの着替えにしている古着を数枚入れると、容積がそれほど大きくない ショルダーバッグは丸々と肥った。これでは身動きが取りづらいが、プライスレスに預けるとどうなるか解ったものでは ないので、デッドストックはショルダーバッグを肩に提げた。
 と、その時。汚れ切って外の景色に灰色のフィルターが掛かっている窓に、黒い物体が迫ってきた。砲弾の如く 窓ガラスを突き破った異物は、鋭い破砕音とガラスの破片を撒き散らしながら奥の壁に突き刺さった。デッドストック は反射的にプレタポルテに覆い被さってから、目を配り、異物の正体を悟った。
 灰色のコンクリートを抉っている物体には、一対の羽根が生えていた。尾羽と丸く膨れた胴体、尖った爪が生えた 細い足。紛れもない鳥であった。鳥の頭部は激突した際に潰れたのだろう、放射状に散った鮮血が無機質な壁を 赤黒く彩っている。デッドストックは死角になる位置に身を伏せ、ガラスの破片を取ってトレンチコートの袖で磨き、 それに反射させて外を窺った。すると、デッドストックの廃ビルと向かい合うビルの二階に人影が立っていた。その 何者かは大きく振りかぶって鳥を放ってきた。二羽目の鳥は再度窓に命中し、窓を完膚無きまでに破壊した。

「バードストライクか」

 それが、鳥を投げた主の正体であり古株のヴィランだ。その名の通りの能力者で、どんな種類の鳥であろうとも、 バードストライクの手で投げれば百発百中なのだ。幸か不幸か、地下世界では鳥は絶滅していない。人間と同様に 生態系は大いに変化してしまったが。窓ガラスの破片に映るバードストライクの腰には、彼が仕留めたであろう鳥の 死体が鈴生りにぶら下がっている。それを全て叩き込まれれれば、いずれドアも破られるだろう。

「後で来て“くれよ”っつったのに、来るの早すぎんだろ。せめて半日は待ってくれよ、早漏ばっかりかよ」

 ヴィラン相手だと能力の効きが悪ぃなぁ、とぼやいたが、スチール製のドアに鳥が激突した衝撃音でプライスレス はびくついた。慌ててデッドストックの傍に来たが、デッドストックは少年の襟首を掴んでヘッドバットを喰らわせた。 プライスレスはガスマスクが思い切り額に当たったのでよろめいたが、踏み止まった。

「あ、やっぱり怒ってやがるぅ……」

「一番厄介な奴を引っ張ってきやがったからだ」

 デッドストックがプライスレスを放り投げて毒突くと、這い出してきたプレタポルテはもっともらしく頷いた。

「とぅたうぇ」

 デッドストックはプライスレスに背を向け、再び地下駐車場に向かった。ここに入るためのルートは階段しかなく、 かつて車が出入りしていたであろうスロープは瓦礫に埋め尽くされている。ドアが破られるのは時間の問題だが、 山盛りの瓦礫を砕くのはヴィランといえども骨が折れるだろうと推測したからである。
 デッドストックは深く息を吸ってから、プレタポルテに息を止めておけと命じた。それから、醸造途中の酒のタンクを 手当たり次第に倒し、壊し、倒し、壊し、壊し、壊し尽くした。当然ながら腐敗と発酵が入り混じった密造酒が散乱し、 二人の足元には酒の海が出来上がった。麦芽糖の入った瓶と穀物が入った瓶も、ショルダーバッグに押し込もうと したが、最早限界を迎えているので、これ以上詰めればショルダーバッグが破れかねない。だが、麦芽糖も穀物 も貴重品であることに代わりがないので捨てられない。デッドストックが僅かに迷っていると、地下駐車場に続く階段 を荒っぽい足音が駆け下りてきた。プライスレスだったが、なぜかスタンドライトと手回し式充電器を抱えていた。

「あーもうっ、こんなんしか持ち出せねぇとは! 俺、火事場泥棒の才能がないって今気付いた!」

 うわ酒臭ぇっ、とプライスレスはあまりの酒精の濃さに仰け反ったが、気を取り直した。

「まあ、そのアレだよアレ。まだ、俺、妖精ちゃんで釣ったものの稼ぎをもらってねぇし」

「これ以上、お前に手伝ってもらうことはない。そこまで言うのであれば、盾になって死ね。それが報酬だ」

 デッドストックはかつては非常口として機能していた裏口の階段に行き着くと、非常口の前に遮蔽物として置いた 荷物を乱雑に投げ捨てていった。プライスレスはばしゃばしゃと酒の海を蹴散らしながら駆け寄り、荷物を放る。

「まあまあそう言わずにさぁ。逃げるのを手伝ってやるからさぁ」

「俺一人の方が確実だ」

「今は妖精ちゃんが一緒じゃん。てか、あいつらの目的ってストッキーに対するオシオキだけじゃなくて、妖精ちゃん を奪うのも目的だから、何にしたって一人じゃキツいって。処女の穴よりもさ」

「プレタポルテをクイーンビーの娼館に売り払うつもりでいるのか」

「つか、それ以外に有り得ると思う? あいつら、ヤることしか頭にねぇんだもんなー、参るぜ」

「それ以外にやることがないからだ」

「すっげぇ言えてるー」

 へらへらしながら、プライスレスは最後の荷物を投げ捨てた。砂埃とカビと腐敗菌と発酵菌とその他諸々の匂いが 複雑に入り混じった、湿っぽい空気がどろりと足元に這ってきた。ガスマスク越しでも息を止めるほど凄まじく濁った 空気をまともに吸ってしまい、プレタポルテは背中を丸めて咳き込んだ。プライスレスは人造妖精の薄っぺらい背中 を軽く叩いてやってから、階段の上を指し示した。デッドストックはプライスレスをせっついて先に昇らせてから、人造 妖精も先に行かせ、錆び付いていて思うように動かないシャッターを力任せに引き摺り下ろした。
 タイミング良く、一階のドアが破壊された。汚い罵倒と脅し文句を矢継ぎ早に捲し立てながら、ヴィラン共が次々に 生活圏に押し入ってくる。彼らはすぐさま酒の匂いに気付いたのだろう、我先にと階段を駆け下りて地下駐車場に 雪崩れ込んできた。だが、肝心の酒が床一面にぶちまけられていると知るや否や、怒りを露わにした。
 すると、誰かがシャッターに気付いた。おい、あれ、と皆が立ち止まった瞬間を見計らい、デッドストックはライター を灯してシャッターの隙間から投げ込んだ。床一面の高濃度のアルコールに炎が走り、その上に立っていた者達の 服に炎が昇っていく。すかさず、デッドストックは全体重を掛けてシャッターを下ろした。次の瞬間、轟音が廃ビルを 揺する。爆風に煽られながらも階段を駆け上がってプレタポルテを脇に抱え、デッドストックは外界へと急いだ。
 悪辣な酒飲み達には、相応しい最期だ。





 


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