DEAD STOCK




3.Stamp Down



 二度三度、世界が回った。
 狭い階段の出口から爆風に押し出されたデッドストックは、プレタポルテと自分を繋ぐ鎖を靡かせながら、空中に 射出された。一瞬、天地を見失いそうになったが、ラバーマスクの下で目を見開いて視界を確保する。地面は斜め下 にあり、閉じた空は足の裏にある。上下感覚を得たデッドストックはすぐさま姿勢を正し、両足から着地すると、右腕で 抱えていた人造妖精の無事を確かめた。少女は余りのことに絶句していて、目を丸めていた。

「おい」

 デッドストックはトレンチコートの裾に飛んでくる火の粉を払ってから、人造妖精を小突いた。

「……ぅ、うぃ」

 プレタポルテは我に返り、デッドストックを見上げてきた。

「生きているなら、それでいいんだ」

 トレンチコートに付いた小さな焼け焦げを恨めしく思いつつ、デッドストックは猛烈な煙を吐き出しながら燃え盛る 廃ビルを仰ぎ見た。赤い火柱は薄暗い世界の中では凄まじく目立ち、その一角だけが昼間になっていた。炎の中で 逃げそびれたヴィラン達が必死に喚いていたが、熱に耐えかねた構造物が壁や床が立て続けに崩落すると、死に 物狂いの悲鳴が明らかに減った。この分だと、追い打ちを掛ける必要はなさそうだ。
 ショルダーバッグの中身の無事を確かめてから、デッドストックが逃走経路を考えながら歩き出すと、プライスレス が狭い路地から転げ出てきた。彼もいくらか被害を被ったのか、ぼさぼさのブロンドの毛先が焦げていたが、妙に 元気溌剌だった。異常事態の連続で、興奮しているのだろう。

「ストッキーって最高にエキサイティング! だから俺、あんたが好きだな!」

「盾になれと言ったはずだが」

「そんな暇、あるわけねーじゃん! つか、俺って盾よりも囮になるのが得意なタイプだから!」

「屁理屈を捏ねるな」

「うぃ」

「どっちがだよ! つか、妖精ちゃんもストッキーの味方をしちゃうわけ?」

「うぃ! ごしゅりんたら!」

「だそうだ」

「うーわーマジィー? 最悪なんだけど」

 愚にも付かない会話をするだけ時間の無駄であり、プライスレスは邪魔なのだが、プレタポルテはプライスレスが リュックサックに括り付けているスタンドライトをしきりに気にしていた。お気に入りのオモチャがなくなってしまうと、 後でプレタポルテは愚図るかもしれない。愚図ってしまえば、その分、ヴィラン共に見つかる可能性が高くなるし、 何よりも泣き止ませる自信がない。デッドストックは苛立ちをぐっと堪え、鎖を握り締めた。
 ヴィランの街から逃亡するために最も有効であり確実なルートは、下水道であろうという案を出すと、同じ意見が プライスレスからも出た。経年劣化や地盤沈下や地震などで崩落している箇所も少なくないが、構造が恐ろしく複雑 であり、下水道を生活圏の一部としているデッドストックとプライスレスであっても迷いかける瞬間がある。ヴィランの 中にも下水道に精通している者もいるが、デッドストックの能力の都合上、立ち回る空間が狭い方が対処しやすい。 触れた相手を問答無用で腐らせる能力であろうとも、触らなければ話にならないからだ。
 下水道の入り口はいくつかあるが、廃ビルから最も近いのはマンホールだった。周囲の様子を窺いながら三人が マンホールのある路地に入ると、その、円形の金属板の上に大柄な男が胡座を掻いていた。

「綺麗な花火を上げてくれたなぁ、デッドストック」

 顔の正面にゾウの鼻のように垂れ下がったフィルターが一つ付いたガスマスクを被っている大男は、擦り切れた 革製のジャケットとやはり革製のパンツを履いていた。何度となく修繕した後が残るジャングルブーツの底は、大男 の百二十キロ近いの体重を日々受け止めているからだろう、なめしたように真っ平らになっていた。

「スマックダウンか」

 デッドストックはプレタポルテを制止してから、大男と向き直った。ガスマスクのゴーグルの下で目元を歪めると、 大男、スマックダウンは酒に焼けすぎて喉を潰しているために掠れた声で低く笑った。首が埋もれるほど分厚く盛り 上がった肩の筋肉、プライスレスの腰回りほどの太さを持つ上腕、今にもシャツを破りかねないほど膨れ上がった 胸筋、それらを支えている頑強な骨格。ガスマスクの下も体格に見合った凶相であり、鋭い目は細められていたが 笑みとは程遠い表情だった。純然たる殺意を宿し、ぎらついていた。

「そこのお喋りから聞いたぞ。お前、スピアーを殺したんだとなぁ」

「それがどうした」

 そういえば、殺した気がする。デッドストックがやる気なく応じると、スマックダウンは首の骨を鳴らす。

「スピアーは、俺が散々可愛がってやったんだよ。あいつはよぉ、いつまでたってもチンピラ根性の抜けない三下 でなぁ、最近ちったぁマシになったかと思っていたらヴィジランテに寝返りやがってよぉ。追い風が吹いている方に 行った方が生き延びられるだの、徒党を組んでおかねぇと後がないだの、偉そうなことを捲し立てていたんだが、 そのヴィジランテに寝返った傍からお前に殺されちまうたぁなぁ。馬鹿らしすぎて笑い話にもならねぇ」

 革製の手袋を填めた骨張った手で顎をさすり、スマックダウンは厳つい肩を揺する。目尻と首筋に刻まれたシワは 深く、加齢によって肌からは張りが失せていたが、腕力は健在で手慰みに小石を握り潰していた。

「デッドストック。悪いことは言わねぇ、俺の下に付け。そうすれば、俺が手を下す前にスピアーをヤッちまったこと は許してやらんでもない。お前の住み処に突っ込んでバーベキューになりやがった馬鹿共についても、不問にして やらんでもない。但し、そこの小娘を渡してもらう。そいつを売っ払えば、良い金になるからよぉ」

「断る」

「ぐへはははは、そう言うだろうと思ったさぁ。それ以外に言わねぇからなぁ、お前は。考えてみりゃあ、お前がこの街 に流れ着いた時からそうだったよ。自分の手の内を明かすでもなく、俺に媚びるでもなく、突っ掛かってきた奴らを 全員腐らせて殺しちまったんだぁなぁ。ヴィランらしい上等な態度だが、ヴィラン同士にも均衡ってのはあらぁなぁ。 お前って奴ぁ、そいつを知ろうともしなければ守ろうともしねぇ。だが、手ぇ出せば倍返しにされちまうし、大事な酒の 作り手でもあった。お前の酒はよく売れたよ、強ければ強いほど、水で薄めて増産出来たからな。売り上げも上々で、 おかげで俺の懐は随分と潤った。もっとも、プライスレスのクソガキが売り上げを中抜きしていたようだが、そいつも お前の酒に免じて見逃していたんだ。解るだろ、おい、俺がどれだけ優しい男かが。だがなぁ、デッドストック、 さすがの俺も今度ばかりは優しく出来ねぇなぁ。俺の食い扶持で、俺達にお前の酒以上の快楽をキメさせてくれた、 最高にいい女のパパルナを死なせたとあっちゃ」

 スマックダウンは膝を伸ばして立ち上がり、ガスマスクの下から吐息を漏らしながらデッドストックを見下ろした。

「殺せる口実が出来て、嬉しいったらねぇなぁ」

 ぼぎぃ、とスマックダウンは指の関節を鳴らす。お仕置きを意味する名を持つスマックダウンは、敵対する相手に 致命傷となる一撃を確実に与えられる能力を備えている。その相手がどんな能力を持っていたとしても、関係ない。 鉄板越しだろうが、コンクリート越しだろうが、どれだけ離れていようが、お仕置きの名の下に粉砕する。その能力を 持っていたからこそ、スマックダウンはヴィランの頂点に立っている。狂った獣達を、暴力で支配しているのだ。
 獣を制することが出来るのは、同じ獣だけだ。デッドストックはプレタポルテとの距離とプライスレスの位置を確認 すると共に、物陰から湧いてきたヴィラン達を捉えた。地下世界の吹き溜まりだけあって、屑は掃いて捨てるほど 溜まっている。それこそ、焚き付けにして燃やしても追い付かないほどに。

「お前らぁ、手ぇ出すなよ。お仕置きの時間だ」

 スマックダウンは有象無象のヴィラン達を睨め回してから、マンホールから一歩踏み出した。

「ぬぇあっ!」

 腹の底から声を出しながら、スマックダウンは拳を固めて振りかぶる。空気が捻れ、煙と砂埃が曲がり、渦を巻く。 その中心部を貫いて襲い掛かってきた拳に、デッドストックは鎖を張る。びぃん、と金属の細い盾が震えた。伊達に アッパーの開発した特殊合金ではない、スマックダウンの一撃でも壊されないのだから。だが、鎖が壊れなかった 分のパワーはデッドストックの両手に及び、鎖が食い込んで骨に噛み付いていた。

「いいモン持ってんじゃねぇかぁ、よおっ!」

 スマックダウンは拳を捻り、太い鎖をデッドストックの右手に絡めて持ち上げる。手の骨が絞られ、砕ける。

「ぎひぃっ」

 骨が神経に突き刺さった痛みに耐えかねて呻き、デッドストックは少し浮いた足を引き摺った。呼吸を整えてから プレタポルテを窺うと、スマックダウンに持ち上げられているせいで鎖が繋がっている左足を上げていて、不安げに 両者を見比べている。スマックダウンはプレタポルテを一瞥してから、デッドストックの折れた右手を握る。

「ぐげぁっ」

 全身が硬直するほどの激痛で胃液が迫り上がり、ラバーマスクの下から滴って地面を腐らせる。

「ごひゅりんらま!」

 プレタポルテはデッドストックの足元に這い寄ると、その足に縋り付く。

「ふへはははは、こいつぁとんでもねぇ。ゴシュジンサマだとぉ? こんなチビを抱き込んで、銜えさせてんのか?」

 スマックダウンの軽口で、笑いが爆発する。デッドストックはひどく喘ぎつつもプレタポルテを足先で小突いてやり、 ショルダーバッグを示した。プレタポルテははっと目を見開き、左足を上げながらショルダーバッグを掴んで開けよう としたが、スマックダウンは片足にプレタポルテの側の鎖を引っ掛けて軽々と持ち上げる。

「おいおい、何をしようってぇんだぁ、お嬢ちゃん。俺を引っ掛けようたぁ良い度胸だぁなぁ」

「にょん、にょーんっ!」

 プレタポルテは短い手足を振り回して暴れるが、スマックダウンは意に介さず、片足を更に上げる。

「おい、こいつぁなんて喋ってんだぁ? 誰か、解る奴ぁいねぇのかぁ?」

「あー、それ、たぶんフランス語かなぁ……」

 おずおずと挙手したのは、すっかり存在を無視されていたプライスレスだった。スマックダウンに睨まれると、彼は 引きつった悲鳴を上げて後退ったが、両手を上げて降参の姿勢を取る。

「フランスだぁ?」

「待て待て待て待ってくれって、俺は別にスマックダウンに逆らうつもりはねぇし、逆らったところで特にならねぇって 知っているからさ! つか、ストッキーに付き合ってもろくなことねぇし! 今だって、ストッキーは俺の稼ぎにもなるし あんたらの楽しみでもある酒を爆発させちまったし! な、な、な!?」

 プライスレスは腰を引きながらも捲し立てると、スマックダウンは少年を視界の端に捉える。

「そうか、クソガキ。お前は俺達から酒代の上前を跳ねていたっつうことか。何割跳ねやがった」

「え、そこに敢えて突っ込むのかよ! なんだよセコいな! えっああっ嘘嘘嘘嘘、ごめん、マジごめん、だからその 立派な拳を下げてくれよ! そうそう、それでいいの、でな、その酒の作り方なんだけどさぁ」

 プライスレスは後ろ手にリュックサックのポケットを探ると、液体の入った小瓶を取り出した。

「これ、これさえあればどうにか出来るから! 俺でも作れないこともないから!」 

「この俺に嘘を吐いたら、お仕置きだぜ?」

「嘘なわけねぇだろ、マジでガチでリアルだって! ちったぁ俺のことを信じてくれって、酒、飲みたいんだろ!」

 いきなり何を言い出すのだ。デッドストックは脂汗を垂らしながら内心で毒突くが、プライスレスは声高に叫ぶ。

「だからよスマックダウン、取引と行こうぜ! 俺と組んで、ストッキーと妖精ちゃんを“寄越して”“くれよ”!」

「こんのぉっ……!」

 その言葉を確かに聞き取ったスマックダウンは、膝を折り、両手を緩めた。右手がぎこちなく開いてデッドストック が解放されると、プレタポルテも自由になった。プレタポルテは半泣きでデッドストックのコートの裾を掴んできたの で、デッドストックは右手を振って折れた骨を元の位置に戻し、左腕でショルダーバッグを担いだ。

「あいつの言葉に耳を貸す方が悪い」

 デッドストックは項垂れて歯噛みするスマックダウンを見下ろし、ラバーマスクの下に左手を入れて手袋の指先を 噛み、手袋を引き抜いた。素肌が外気に触れた瞬間からメタンガスが発生し始め、周囲に刺激臭が漂い始める。

「だから、お前らもストッキーと妖精ちゃんには手を出さないで“くれよ”?」

 出したらストッキーが百倍返し、とプライスレスが自慢げに笑ったので、デッドストックは舌打ちした。 

「うぃ」

 プレタポルテはデッドストックの足の影に隠れると、頷いた。が、次の瞬間、プライスレスが吹っ飛んだ。その拳の主 は考えるまでもなく、スマックダウンだった。リュックサックを引き摺りながら滑っていったプライスレスが路地裏の奥に 没してから、スマックダウンはよろけながらも立ち上がり、ガスマスクの下で汚い言葉を吐き捨てた。

「悪知恵ばっかり回るクソガキが! あいつの口を叩き潰して舌を引っこ抜いてやりてぇ!」

「その通りだ」

 デッドストックはスマックダウンの意見に心底同意しながら、左手の手袋を脱ぎ、太い喉を素手で掴んだ。ひぅ、 との短い声が聞こえたが、それを無視して指に力を込める。プライスレスの馬鹿げた陽動を真に受けてくれた おかげで、スマックダウンともあろう男がデッドストックに背を向けるとは。

「ガキの浅知恵に振り回されるとは、お前も落ちたものだ」

 左手の下で汗ばんだ肌と血管がひくついていたが、手応えが柔らかくなった。ごぷ、と溶けた肉が泡立ったので、 デッドストックはすかさず動脈を引き摺り出して力任せに千切ると、スマックダウンの体格に見合った勢いの血液が 噴出した。赤黒く生温い体液が素肌に掛かると、掛かった傍から腐り、腐臭が立ち上る。

「お前ら、酒が飲みたいんだろう。作ってやるよ」

 デッドストックはヴィラン共を見回すと、膝を折って崩れ落ち、痙攣しているスマックダウンの腹部に手を当てた。 途端に服が腐り落ちて穴が開き、鍛え上げられた頑強な筋肉も崩れ、内臓が垣間見えた。デッドストックはその中 に手をねじ込んで内臓をぐじゅぐじゅと掻き混ぜると、内臓を毟り取り、握り締めると腐敗して泡立った。
 スマックダウンが倒れたことで怖じ気付いたのか、半端な能力しか持たないヴィラン達は逃げ惑い始めた。そこに スマックダウンの臓物を、筋肉を、骨を、皮膚を投擲しては命中させる。それは彼らに強烈な恐怖を与えたようで、 振り返らずに逃げ切る者も多かったが、逆上して襲い掛かってきた輩もいないわけではなかった。鉄パイプや棒で 殴りかかってきたが、それはまた鎖で受け止めてから捻って落とし、奪い、逆に相手の胸を貫いてやった。心臓の 切れ端が内側を垂れ落ちてきた鉄パイプを引き抜いて、無造作に男達の頭部を薙ぎ払っていると、ふと気付けば 誰も動かなくなっていた。皆、頭や胸を砕かれ、体の一部を腐らせられ、死んだからである。

「終わったー?」

 路地裏から暢気に出てきたプライスレスは、体中に付いたゴミを払った。デッドストックは振り返り様に鉄パイプを 真横に振り抜いたが、プライスレスはリュックサックで受け止め、難を逃れた。

「なんだ。死んでいないのか」

 デッドストックが落胆すると、プライスレスは両手を上向ける。

「だって、スマックダウンの野郎、焦りすぎて俺を殴る前にお仕置きって言わなかったんだぜ? あいつは俺の 能力と似たり寄ったりだから、特定の言葉を使わないと意味がねぇのにさぁ。馬ッ鹿じゃねぇの」

「嘘を吐いたらお仕置きだ、とは言われていたが」

「だって俺、嘘は吐いてねぇもーん。あの瓶の中身は麦芽糖だし。じゃ、行こうぜ」

 何事もなかったかのように、プライスレスは親指を立てて足元を示した。デッドストックは血と脂と脳漿でべとつく 鉄パイプを用いてマンホールの蓋を剥がし、転がすと、ヘドロと苔と砂と汚物が堆積した円筒形の入口が現れた。 その奥底では、ありとあらゆる汚濁が入り混じっている粘ついた液体が流れていた。下水道である。デッドストックは 鉄パイプを投げ捨て、人造妖精を脇に抱えると、堆積物を手と足で払いながら、内壁に備え付けられているハシゴ を伝って下りていった。プライスレスはマンホールの穴よりも大きいリュックサックが引っ掛かってしまったので、力任せ に引っこ抜いたが、その拍子に落下しそうになった。が、天性の反射神経でハシゴを掴み、堪えた。どうせなら下水に 落ちれば良かったんだが、と内心でぼやきながら、デッドストックは地下世界の更に地下へと向かった。
 馴染み深い腐臭が満ちていた。





 


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